1884年〜 官営長崎造船所の借受から、三菱造船の分離独立まで
- 1884年 三菱重工業創業——岩崎弥太郎氏の長崎造船所借受に始まる重工業の系譜 海運と造船の垂直統合に始まり、戦時の一貫量産・戦後の強制分割・1964年の再合併をどう越えたか
- 1893年 三菱を設立し造船事業を承継
- 1917年 三菱造船を設立
- 1921年 神戸造船所旧電気部を三菱電機として分離
海運の修繕を自前で担うための造船所取得
三菱重工業は1884年7月7日を創立日[1]としている。岩崎弥太郎氏が工部省から長崎造船局を借り受け[2]、長崎造船所と命名した日である。その造船所の起源は幕府にさかのぼり、徳川幕府が1857年10月に長崎稲佐郷飽ノ浦で鎔鉄所の建設に着手[3]し、1861年3月に落成させた。1871年4月に明治政府工部省の所管へ移り[4]、長崎造船所と改称されている。岩崎氏が1870年に設立した九十九商会[5]は三菱商会・郵便汽船三菱会社・三菱社と社名を改めて海運で伸びたが、運航する船舶の修繕を英国まで持ち出す不便[6]を抱えていた。借受から3年後の1887年6月、三菱は同造船所を政府から正式に買い受けた[7]。
- 三菱重工業 有価証券報告書【沿革】
- [1]1884年7月7日 三菱重工業の創立日
- [2]岩崎弥太郎による工部省からの長崎造船局借受
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱造船」の項
- [3]1857年10月 徳川幕府が長崎稲佐郷飽ノ浦で鎔鉄所建設に着手、1861年3月落成
- [4]1871年4月 明治政府工部省の所管となり長崎造船所と改称
- [7]1887年6月 三菱が長崎造船所の払下げを受ける
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)「三菱重工業」の項
- [5]1870年 岩崎弥太郎が九十九商会を設立、三菱商会・郵便汽船三菱会社・三菱社と改称
- [6]船舶修繕を英国へ持ち出す不便が造船所取得の動機
1893年12月、資本金1,500万円の三菱合資会社[8]が設立されると、造船所はその傘下に編入されて三菱合資三菱造船所となった。国内各社が外国航路を開設して外航船舶の需要が増え、日清・日露の両戦争を機に海軍艦艇の建造も相次いだ[9]。設備の拡充は造船所の増設に及び、1905年7月に神戸三菱造船所、1914年12月に彦島三菱造船所[10]が開設されている。1917年3月には長崎兵器製作所[11]も設けられた。これら三造船所と兵器製作所が三菱合資の造船部を構成[12]し、長崎・神戸・彦島という三拠点の配置が固まった。
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱造船」の項
- [8]1893年12月 資本金1,500万円の三菱合資会社設立、造船所を傘下へ編入
- [9]外国航路開設による外航船需要増と、日清・日露戦争を機とした海軍艦艇建造
- [10]1905年7月 神戸三菱造船所開設、1914年12月 彦島三菱造船所開設
- [11]1917年3月 長崎兵器製作所開設
- [12]三造船所と長崎兵器製作所が三菱合資の造船部を構成
- 三菱重工業 有価証券報告書【沿革】
- [1]1884年7月7日 三菱重工業の創立日
- [2]岩崎弥太郎による工部省からの長崎造船局借受
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱造船」の項
- [3]1857年10月 徳川幕府が長崎稲佐郷飽ノ浦で鎔鉄所建設に着手、1861年3月落成
- [4]1871年4月 明治政府工部省の所管となり長崎造船所と改称
- [7]1887年6月 三菱が長崎造船所の払下げを受ける
- [8]1893年12月 資本金1,500万円の三菱合資会社設立、造船所を傘下へ編入
- [9]外国航路開設による外航船需要増と、日清・日露戦争を機とした海軍艦艇建造
- [10]1905年7月 神戸三菱造船所開設、1914年12月 彦島三菱造船所開設
- [11]1917年3月 長崎兵器製作所開設
- [12]三造船所と長崎兵器製作所が三菱合資の造船部を構成
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)「三菱重工業」の項
- [5]1870年 岩崎弥太郎が九十九商会を設立、三菱商会・郵便汽船三菱会社・三菱社と改称
- [6]船舶修繕を英国へ持ち出す不便が造船所取得の動機
三菱造船の分離独立と、民間造船所初の主力艦
三菱合資会社は各事業の発展で機構が膨らみ、事業部門を独立させる方針[13]を採った。造船部門は1917年10月、三菱合資会社から造船部所属業務の一切を引き継いで[14]三菱造船株式会社として設立された。資本金は5,000万円[15]、初代会長には岩崎小弥太氏[16]が就いている。所属工場は長崎・神戸・彦島の三造船所と長崎兵器製作所[17]で、長崎造船所は1915年に三菱造船所から改称[18]されたものであった。その4年前の1913年に長崎造船所で進水した2万7,500トンの巡洋戦艦霧島[19]は、民間造船所として初の主力艦建造[20]である。この造艦技術は、のちに6万9,600トンの巨艦武蔵[21]の建造へつながった。
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱造船」の項
- [13]三菱合資会社が各事業部門を独立させる方針を採用
- [15]三菱造船の資本金 5,000万円
- [16]三菱造船の初代会長 岩崎小弥太
- [17]三菱造船の所属工場は長崎・神戸・彦島の三造船所と長崎兵器製作所
- [18]1915年 三菱造船所を長崎造船所へ改称
- 三菱重工業 有価証券報告書【沿革】
- [14]1917年10月 三菱合資会社から造船部所属業務を引き継ぎ三菱造船を設立
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)「三菱重工業」の項
- [19]1913年 長崎造船所で2万7,500トンの巡洋戦艦霧島が進水
- [20]民間造船所として初の主力艦建造
- [21]6万9,600トンの戦艦武蔵
戦前の高速客船を代表する日本郵船の浅間丸・竜田丸・秩父丸[22]も同社の建造にかかる。舶用主機の製作から始まった原動機部門[23]は、次第に陸用へも進出した。ボイラ・タービンはいずれも発電用と産業用で容量と性能を伸ばし、国内外の発電所や大工場への納入[24]を重ねている。内燃機関の製作も舶用大型ディーゼル[25]など広い範囲に及んだ。車両では1917年に乗用車、1923年に日本最初の電気機関車[26]を送り出し、1935年から翌年にかけてディーゼルバスとディーゼルトラック[27]を開発している。造船で培った素材と機械の技術が、陸上の製品群へ横に広がった[28]。
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)「三菱重工業」の項
- [22]日本郵船の浅間丸・竜田丸・秩父丸を建造
- [23]舶用主機から陸用への原動機部門の進出
- [24]ボイラ・タービンの発電用・産業用への展開と国内外の発電所・大工場への納入
- [25]舶用大型ディーゼルなど内燃機関製作の広がり
- [26]1917年 乗用車、1923年 日本最初の電気機関車を開発
- [27]1935〜1936年 ディーゼルバス・ディーゼルトラックの開発製作
- [28]造船由来の技術が陸上製品群へ展開
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「三菱造船」の項
- [13]三菱合資会社が各事業部門を独立させる方針を採用
- [15]三菱造船の資本金 5,000万円
- [16]三菱造船の初代会長 岩崎小弥太
- [17]三菱造船の所属工場は長崎・神戸・彦島の三造船所と長崎兵器製作所
- [18]1915年 三菱造船所を長崎造船所へ改称
- 三菱重工業 有価証券報告書【沿革】
- [14]1917年10月 三菱合資会社から造船部所属業務を引き継ぎ三菱造船を設立
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)「三菱重工業」の項
- [19]1913年 長崎造船所で2万7,500トンの巡洋戦艦霧島が進水
- [20]民間造船所として初の主力艦建造
- [21]6万9,600トンの戦艦武蔵
- [22]日本郵船の浅間丸・竜田丸・秩父丸を建造
- [23]舶用主機から陸用への原動機部門の進出
- [24]ボイラ・タービンの発電用・産業用への展開と国内外の発電所・大工場への納入
- [25]舶用大型ディーゼルなど内燃機関製作の広がり
- [26]1917年 乗用車、1923年 日本最初の電気機関車を開発
- [27]1935〜1936年 ディーゼルバス・ディーゼルトラックの開発製作
- [28]造船由来の技術が陸上製品群へ展開
航空機と電機の枝分かれ、そして三系統の並立
航空機は原動機部門から枝分かれし、発動機の製造は1916年、機体の生産は1921年[29]に始まっている。1920年には三菱内燃機製造が設立され[30]、これがのちの三菱航空機となった。当時のわが国の航空機工業は民需をほとんど対象とせず、もっぱら軍需に向けて発達[31]している。外国機の製作権購入や外国人技師の招聘に力が注がれ、1930年ごろまでは模倣の域を脱しなかった[32]。1931年の満州事変以後に需要が急激に高まり[33]、1932年4月に横須賀へ設けられた海軍航空廠[34]が民間会社への発注と技術指導を通じて自主設計を推し進めた。1928年には三菱航空機が設立されている。
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「航空機」概説
- [29]1916年 発動機製造開始、1921年 機体生産着手
- [31]日本の航空機工業は民需をほとんど対象とせず軍需向けに発達
- [32]外国機の製作権購入・外国人技師招聘、1930年ごろまで模倣の域
- [33]1931年 満州事変以後の航空機需要急増
- [34]1932年4月 横須賀に海軍航空廠設立、民間への発注と技術指導で自主設計を推進
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)「三菱重工業」の項
- [30]1920年 三菱内燃機製造設立(三菱航空機の前身)
電機部門も造船から分かれ、1921年には神戸造船所の電気部を分離して三菱電機[35]が独立会社として設立された。造船所の内部で電機事業を並行して運営することから生じる組織上の非効率が、分離の理由である。三菱電機は1921年1月に分離手続きを終えている。こうして1930年代の初頭までに、造船・原動機・航空機・電機という四つの系統[36]が三菱の重工業部門から出そろっている。
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)「三菱重工業」の項
- [35]1921年 神戸造船所の電気部を分離し三菱電機を設立
- [36]1930年代初頭までに造船・原動機・航空機・電機の四系統が成立
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「航空機」概説
- [29]1916年 発動機製造開始、1921年 機体生産着手
- [31]日本の航空機工業は民需をほとんど対象とせず軍需向けに発達
- [32]外国機の製作権購入・外国人技師招聘、1930年ごろまで模倣の域
- [33]1931年 満州事変以後の航空機需要急増
- [34]1932年4月 横須賀に海軍航空廠設立、民間への発注と技術指導で自主設計を推進
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)「三菱重工業」の項
- [30]1920年 三菱内燃機製造設立(三菱航空機の前身)
- [35]1921年 神戸造船所の電気部を分離し三菱電機を設立
- [36]1930年代初頭までに造船・原動機・航空機・電機の四系統が成立