1887年に三菱財閥が長崎の官営造船所を買収して造船事業に参入し、1917年に三菱造船として株式会社化された。海軍艦艇・航空機・タービンに多角化して日本有数の重工メーカーに成長したが、戦後の財閥解体で3社に分割された。1964年の再合併後は防衛・エネルギー・宇宙で寡占的地位を築く一方、MU-300・客船・SpaceJetなど民間向け大型プロジェクトでは撤退判断の遅れが繰り返された。防衛・GTCC・原子力を牽引役に2024年に過去最高益を達成した。
歴史概略
第1期: 造船から総合重工メーカーへ(1887〜1950)
官営造船所の買収と三菱造船の設立
1887年、三菱財閥は旧徳川幕府が1857年に開設した長崎の造船所「長崎熔鉄所」の払い下げを明治政府から受けた。海運事業における船舶修繕をイギリスまで持ち出す不便を解消するため、国内に自前の造船所を確保する垂直統合の発想が起点であった。1905年に神戸三菱造船所、1914年に彦島造船所を新設し、長崎・神戸・彦島の3拠点体制を構築した。
1917年10月、三菱財閥の事業独立運営方針のもと三菱造船株式会社が設立された。1911年に巡洋戦艦霧島を進水するなど海軍艦艇の建造を主力事業として確立し、1921年には神戸造船所の電気部を分離して三菱電機を設立した。造船所内部で電機事業を運営する非効率が顕在化したことが分離の契機であり、名古屋製作所の新設など電機事業の独立的成長を可能にした。
軍需企業への発展と財閥解体による3社分割
1934年に三菱航空機と三菱造船が合併して三菱重工業が発足し、艦艇・航空機・車両を量産する日本有数の軍需企業となった。1938年に長崎造船所で戦艦武蔵を竣工し、1943年に零式艦上戦闘機の生産を開始するなど、軍需品の生産を拡大した。しかし終戦後の財閥解体により、新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の3社に分割された。
3社はそれぞれ東京証券取引所に上場し、約15年にわたって別会社として運営された。1963年に合併準備室を発足させ、公正取引委員会の審査を経て1964年6月に再合併を実現した。売上高3000億円規模の大企業が誕生し、戦前の造船・軍需の技術的蓄積を一つの組織に集約することで、戦後の防衛・エネルギー・航空宇宙への展開の基盤が整った。
第2期: 防衛・エネルギーの寡占と民間事業の挫折(1953〜2016)
戦闘機ライセンス生産による防衛産業の先行参入
1953年、朝鮮戦争を契機とした米国の対日政策転換により航空機生産が再開され、三菱重工は名古屋の小牧工場で米ノースアメリカン社のF-86Fのライセンス生産に着手した。1961年までに3期の契約で累計300機・約180億円を防衛庁に納入し、以後F-104J、F-4EJ、F-15J、F-2、F-35と後継機の生産を受注し続けた。黎明期の先行参入によって防衛庁との受注関係と製造ノウハウを蓄積し、戦闘機の国内ライセンス生産は三菱重工と川崎重工の2社寡占が70年以上にわたって固定化されている。
エネルギー分野でも同様の構造が形成された。ウェスチングハウスからPWR技術のライセンスを取得し、1970年の関西電力美浜1号機を皮切りに原子力プラントの供給を開始した。火力発電ではJ型・JAC型の世界最高効率ガスタービンを開発し、電力会社との長期保守契約で顧客を囲い込んだ。参入障壁が「技術」ではなく「関係性と実績の蓄積」に基づく市場構造が、三菱重工の安定収益の源泉となった。
MU-300・客船・SpaceJetにみる民間市場での撤退判断の遅れ
防衛・エネルギーでの寡占とは対照的に、民間市場向けの大型プロジェクトでは撤退判断の遅れが繰り返された。1975年に開発を開始したビジネスジェットMU-300は米国市場で販売不振に陥りながら10年間事業を継続し、1985年に撤退した。2011年に受注した大型客船2隻は設計変更の連鎖と工程管理の破綻により推定2500億円の損失を計上した。
2008年設立の三菱航空機によるSpaceJet(旧MRJ)は、型式証明の取得に6度の延期を重ね、累計1兆円規模の損失を出して2023年に開発中止となった。これらに共通するのは、戦艦武蔵や零戦の製造で培った「技術的に完成できるはずだ」という組織的確信が、撤退の選択肢を意思決定の俎上に載せにくくしている点である。防衛・エネルギーでは市場リスクが限定的であるため顕在化しないこの傾向が、民間市場に参入した途端に露呈する構造であった。
第3期: 過去最高益と事業構造の再編(2016〜現在)
GTCC・防衛・原子力を柱とした過去最高益の達成
2014年に三菱日立パワーシステムズを設立して火力発電事業を強化し、GTCC(ガスタービン複合サイクル発電)分野での受注を拡大した。SpaceJetの開発断念と客船事業からの事実上の撤退を経て、三菱重工は防衛・エネルギー・宇宙という政府・電力会社向けの寡占事業に経営資源を集中させた。
2024年3月期には売上高4兆6571億円・純利益2220億円で過去最高益を達成した。防衛省向け販売高は4897億円(全社売上対比10.5%)に達し、GTCC・原子力と合わせて業績を牽引した。「最初に入った者が残る」市場構造のもとで蓄積された受注関係と技術が、70年以上を経て安定収益の源泉となっている。ただし民間市場での撤退判断の遅れという構造的課題を認識しない限り、次の大型プロジェクトで同じパターンが繰り返される可能性がある。
三菱財閥が造船に参入した動機は、海運事業における船舶修繕の不便にあった。イギリスまで回航して修繕する非効率を解消するため、国内に自前の造船所を確保する垂直統合の発想が起点であった。官営造船所の払い下げという機会を捉え、長崎・神戸・彦島の3拠点を構築して国内最大級の造船所に成長。海運から造船への垂直統合が、のちの三菱重工業という総合重工メーカーの原型を形成した。