三菱重工業の歴史
沿革
1884年に岩崎弥太郎氏が借り受けた官営の長崎造船局が起源。
1964年に財閥解体で分かれた3社が再合併し、1970年に関西電力美浜1号へPWRを納めた。エナジーと航空・防衛・宇宙を収益源とする国内最大の重工メーカーである。
1884年〜長崎造船局の借受による創業と三菱造船の設立
- 工部省から長崎造船局を借り受け創立[2]
- 三菱が長崎造船所の払下げを受ける[3]
- 三菱を設立し造船事業を承継[2]
- 海軍大臣へ軍艦建造の民間工場への下命を要請[4]
- 神戸三菱造船所として営業開始[4]
- 長崎兵器製作所を開設[3]
- 三菱造船を設立[5]
- 神戸内燃機製作所を神戸造船所から分離独立[6]
- 長崎製鋼所を設立[6]
- 神戸造船所旧電気部を三菱電機として分離
- 売上高
筆者所見
三菱造船の創業期を特徴づけるのは、造船所で育った技術を別会社へ独立させる分社の発想である。1920年に神戸内燃機製作所の設備を三菱内燃機製造へ譲渡し、1921年には米ウエスチングハウス社との提携を前提に三菱電機を設立した[1]。造船から機械と電機を分けたことは、艦艇需要の変動を事業全体へ及ぼさない備えにもなった。それでも1932年上半期には創立以来はじめての赤字に陥った[1]。内燃機の系譜を造船と再び一社にしたのが、1934年の三菱重工業である。
- [1]三菱重工業株式会社史(三菱重工業株式会社社史編纂室編、1956年)第二沿革編「第三章 三菱造船株式会社時代」
1934年〜三菱重工の軍需集中と財閥解体による3社分割
- 商号を三菱重工に変更[5]
- 横浜船渠を合併し資本金6,000万円[9]
- 資本金を1億2,000万円へ増資[9]
- 日立造船彦島造船所を買収[9]
- 定款の営業目的から軍需関係を削除[10]
- 14工場の閉鎖と3工場の合併を発表[11]
- 決定指令書で地域別三社への分割を指令[12]
- 財閥解体により3社に会社分割
- 東京・大阪各証券取引所に株式を上場[5]
- 米ウェスチングハウス社と蒸気タービンの技術提携[13]
- 商号を新三菱重工業に変更[5]
- 愛知県小牧に航空機機体修理工場を建設[13]
- 戦闘機の生産再開を決定(国内ライセンス生産)
- 本社を東京都千代田区に移転[5]
- マンモスタンカー建造着手[7]
- YS-11の共同開発を開始
- 三重工の合併が本決まり[14]
- 新三菱重工業:キャタピラーと合弁・建設機械に参入
- 売上高
筆者所見
戦後の三菱造船の復調は、運輸省が造船所を指定する計画造船の枠を超え、需要を自ら先取りしたことで成った。スエズ運河の閉鎖を機に油送船の大型化が強まるなか、1956年11月にマンモスタンカーの建造を決め、設備の拡充へ踏み出した[7]。6万〜8万重量トン級の船が常態化する数年前に、その船型へ設備を合わせた計算になる。1961年には長崎造船所の進水実績が世界第1位となった[8]。財閥解体で失った規模を、船型の先取りで補ったと言える。
- [7]読売新聞「三菱造船・マンモスタンカー建造に踏み切る」(1956年11月22日)
- [8]読売新聞「三菱の長崎造船所」(1962年1月9日)
1964年〜3社合併による三菱重工業の発足と三菱自動車工業の分離
- 三菱造船など三社の再合併[5]
- 長崎造船所で30万tドッグを新設
- 菱重環境エンジニアリングを設立[5]
- 関西電力美浜1号にPWRを導入[15]
- 戦闘機F-4EJを受注
- 三菱自動車工業を分離設立[5]
- MU-300ビジネスジェットの開発開始
- 重工環境サービスを設立[5]
- MHIディーゼルサービスを設立[5]
- ボーイング社とB767/777の事業契約を締結
- 米国にMitsubishi Heavy Industries America, Inc.を設立[5]
筆者所見
1964年の三社の再合併で取り戻した規模を、三菱重工業は6年で選り分け始めた。1964年6月に新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の3社が合併し、1970年6月には自動車部門を三菱自動車工業へ移譲した[5]。自動車部門の分離は、売上の3割近い最大部門を、景気に左右される量産品として本体から外す決断だった。本体には、造船・原動機・航空機など長期受注の事業が残った。再統合で掲げた国際的な信用力は、量産品を持たない重機械の専業として生かされた。
- [5]有価証券報告書(2025年6月27日)
1986年〜大幸工場の閉鎖と2000年の最終赤字転落
2006年〜三菱日立パワーシステムズの設立と客船の巨額損失
- 仏アレバと中型炉合弁設立[18]
- ボーイングB787向けに主翼出荷を開始
- オランダにMHI International Investment B.V.を設立[5]
- キャタピラーとの合弁契約を解消
- プラット・アンド・ホイットニー・パワーシステムズを買収[16]
- ニチユ三菱フォークリフトとして営業開始[5]
- PW Power Systems, Inc.として営業開始[5]
- 日立製作所と火力発電システム事業の統合で合意[16]
- ヴェスタス社と洋上風車の合弁会社設立で合意[16]
- 日立と火力発電事業統合
- シーメンス社と製鉄機械事業の合弁会社設立で合意[16]
- 三菱重工航空エンジンが営業開始[5]
- Primetals Technologies, Limitedが営業開始[5]
- 監査等委員会設置会社へ移行[5]
- 監査等委員会設置会社へ移行
- アイーダ客船事業から撤退
- 三菱重工エンジン&ターボチャージャが営業開始[5]
- 三菱重工サーマルシステムズが営業開始[5]
- 南ア資産譲渡の譲渡価格調整金等の支払を求め仲裁を申立て[17]
- 三菱重工エンジニアリング・三菱造船などが営業開始[5]
- 本社を東京都千代田区に移転[5]
筆者所見
2010年代の三菱重工業は、事業ごとに相手を選んで合弁を設ける方式へ転じた。2013年に日立製作所と火力発電システム事業の統合で合意し、ヴェスタス社と洋上風車、シーメンス社と製鉄機械の合弁設立を決めた[16]。相手を事業ごとに変えたのは、世界の上位と競う規模を一社で賄えなかったからである。共同出資は規模を得る代わりに、損失の分担という難題を背負う。南アフリカの火力案件をめぐる日立との係争は仲裁に至り、日立との提携解消の起点となった[17]。
- [16]会社IR「MHI REPORT 2014」(2014年)
- [17]会社IR「正に作成することができる体制の整備について-2」(2018年6月8日)
2020年〜スペースジェット開発中止と防衛・宇宙事業の拡大
- Primetals Technologiesの全株式を取得し完全子会社化[21]
- 三菱航空機が債務超過状態
- MHI RJ Aviation Inc.が営業開始[5]
- 三菱日立パワー合弁を解消[22]
- 火力発電システム事業等を三菱パワーから承継[5]
- スペースジェット開発中止[19]
- エンジニアリング事業を三菱重工エンジニアリングから承継[5]
- Concentric, LLCを子会社化[5]
- 防衛・宇宙事業の倍増
- 保有する有形固定資産の譲渡を決定[23]
- 過去最高益を達成
- MSJ資産管理の特別清算開始を申立[20]
- 泉澤清次氏が社長を退任[20]
- 三菱ロジスネクストへの公開買付けで不応募契約を締結[20]
筆者所見
スペースジェットの開発中止と防衛・宇宙の拡大は、民需の新市場への挑戦から、国の需要に設備を合わせる創業以来の路線への回帰である。2023年2月の中止に続き、2024年7月にはMSJ資産管理の特別清算開始を申し立てた[19][20]。型式証明と海外開拓に巨額を要する民間機と違い、防衛は顧客が国だけで需要を予算から読める。同年の防衛・宇宙事業の倍増計画は、その読みやすさに経営資源を寄せた。国の計画に依存する収益は、1921年の軍縮のように政策の転換に脆い。
- [19]有価証券報告書
- [20]臨時報告書