三菱重工業 の歴史

創業

1887年

創業者

※三菱財閥

創業地

長崎県長崎市

直近売上高(2025/3)

50,271億円

長期業績と転換点(1996/3〜2025/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1887年の長崎熔鉄所払い下げが、三菱重工の閉じた顧客構造を決めたのか
A 自社の海運で使う船舶の修繕をわざわざ英国まで持ち出す非効率を解消するには、国内に自前の造船所を抱えるほうが速く安く済む。岩崎弥太郎以来の垂直統合の発想がここに働いた。1887年に三菱財閥が明治政府から長崎熔鉄所の払い下げを受け、最初から最大の顧客が自社グループという閉じた取引で造船事業を始めた。やがて海軍向け艦艇という別の身内顧客が加わり、限られた相手と深く長く組む取引の型が、戦前のうちに定着した。
Q なぜ三菱重工は防衛・原子力で寡占を築きながら、2023年にスペースジェットを中止したのか
A 防衛省や電力会社を相手にする事業では、参入障壁が純粋な技術ではなく関係と実績の長期蓄積に置かれ、市場で売れるかどうかの判断を迫られにくい。1953年のF-86Fライセンス生産や1970年の関西電力美浜1号機への原子炉供給で限られた顧客を囲い込み、安定収益を得た。だが顧客のいない民間機では事情が違った。三菱重工は約1兆円を投じた国産ジェット旅客機で型式証明を取り切れず、2023年に開発を中止し、泉澤清次社長は事業性を見いだせなかったと述べた
Q なぜ2022年末の防衛費倍増で、民間で裏目に出た関係性主導の稼ぎ方が強みへ反転したのか
A 限られた顧客と長く深く組む稼ぎ方は、民間市場では撤退判断を遅らせる弱みになったが、需要を国が決める防衛では国策の支出拡大をそのまま取り込む強みへ転じる。2022年12月に政府が5年で約43兆円・GDP比2%への防衛費増額を閣議決定すると、三菱重工は防衛装備の最大の調達先となり、防衛・宇宙事業を5,000億円から1兆円規模へ倍増する目標を掲げた。原子力やデータセンター向けガスタービンの需要回復も重なり、関係で囲い込む型が追い風を受けている

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1887年〜 長崎熔鉄所の払い下げから戦艦武蔵・零戦の軍需企業への飛躍

  1. 1893年三菱合資会社を設立し造船事業を承継
  2. 1917年三菱造船株式会社を設立
  3. 1921年神戸造船所旧電気部を三菱電機として分離
  4. 1934年商号を三菱重工株式会社に変更
  5. 1950年財閥解体により3社に会社分割

三菱重工業の業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

官営造船所の払い下げが生んだ三拠点体制の起源

創業者の岩崎弥太郎氏が1870年に設立した九十九商会は、三菱商会・郵便汽船三菱会社・三菱社へと社名を改めながら事業を広げており、1887年、その三菱社が旧徳川幕府が1857年に開設していた長崎の造船所「長崎熔鉄所」の払い下げを明治政府から正式に受けることとなり、三菱グループにおける本格的な造船事業の歴史的な出発点がここに刻まれることとなった。自社の海運事業で運航する船舶の修繕をわざわざイギリスまで持ち出さねばならないという不便と非効率を解消するために、国内に自前の造船所を確保するという垂直統合の発想こそが、岩崎弥太郎以来の三菱の戦略的判断の起点となっていた。1905年には神戸に三菱造船所を新設し、1914年には下関の彦島造船所を新たに設けて、長崎・神戸・彦島の三拠点体制を構築することに成功し、明治後期から大正初期にかけての国内造船業の中心的担い手としての地位を早期に整えた。 [1][2][3][4]

  • 有価証券報告書
    • [1]1887年に三菱が長崎熔鉄所(官営長崎造船所)の払い下げを受けた
    • [3]三菱重工が公式に位置付ける造船事業の創立日は1884年7月7日(岩崎彌太郎が長崎造船局を借受)。本文は1887年払い下げを起点としている
    • [4]三菱の創業者は岩崎彌太郎(弥太郎)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]岩崎弥太郎が1870年に設立した九十九商会は三菱商会・郵便汽船三菱会社・三菱社へと改称を重ねた。三菱社が1887年に官営長崎造船所(前身は幕府長崎鎔鉄所)の払下げを受けた

1917年10月には三菱財閥の事業独立運営方針のもとで三菱造船株式会社が独立した株式会社として設立されることとなり、財閥本社の直属事業から独立した経営単位として歩み出す制度的な整備が完了した。1920年には後の三菱航空機の前身となる三菱内燃機製造を設立して原動機と航空機の事業基盤を整え、1911年には巡洋戦艦霧島を進水するなど主力艦級の海軍艦艇の建造を事実上の主力事業として確立し、1921年には神戸造船所の電気部を分離して今日の三菱電機を独立会社として設立した。造船所の内部において電機事業を並行運営することによって生じる組織上の非効率が顕在化したことがこの分離の決定的なきっかけであり、結果として名古屋製作所の新設など電機事業の独立的な成長を可能にすると同時に、造船本業そのものの経営効率の向上も実現された。 [5][6][7]

  • 有価証券報告書
    • [5]1917年10月 三菱合資会社造船部から三菱造船株式会社を設立
    • [6]1921年1月 神戸造船所旧電気部を三菱電機として分離独立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]1920年に三菱内燃機製造(三菱航空機の前身)を設立した
  • 有価証券報告書
    • [1]1887年に三菱が長崎熔鉄所(官営長崎造船所)の払い下げを受けた
    • [3]三菱重工が公式に位置付ける造船事業の創立日は1884年7月7日(岩崎彌太郎が長崎造船局を借受)。本文は1887年払い下げを起点としている
    • [4]三菱の創業者は岩崎彌太郎(弥太郎)
    • [5]1917年10月 三菱合資会社造船部から三菱造船株式会社を設立
    • [6]1921年1月 神戸造船所旧電気部を三菱電機として分離独立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]岩崎弥太郎が1870年に設立した九十九商会は三菱商会・郵便汽船三菱会社・三菱社へと改称を重ねた。三菱社が1887年に官営長崎造船所(前身は幕府長崎鎔鉄所)の払下げを受けた
    • [7]1920年に三菱内燃機製造(三菱航空機の前身)を設立した

戦艦武蔵と零戦の量産から財閥解体の三社分割へ

1934年には三菱航空機と三菱造船が正式に合併して三菱重工業株式会社が発足することとなり、資本金5,500万円のもとで長崎造船所をはじめ神戸造船所・下関造船所・名古屋航空機製作所・東京機器製作所を傘下に擁し、艦艇と航空機と車両を国内で一貫して量産する日本有数の巨大な軍需企業として新たな姿で歩み始めた。1938年には長崎造船所で巨大戦艦武蔵を竣工させ、1943年には零式艦上戦闘機の大量生産を開始するなど、軍需品の生産規模を拡大させ、太平洋戦争期の日本の軍需生産を支える中核企業としての位置づけが不動のものとして確立された。しかし終戦時に三一を数えた事業所はその大部分が解体を迫られ、1950年には過度経済力集中排除法の適用のもとで、三菱重工業は新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の三つの会社へと強制的に分割され、旧三菱グループの解体政策の象徴的な対象となった。 [8][9][10][11][12][13]

  • 有価証券報告書
    • [8]1934年4月 三菱航空機と三菱造船が合併し三菱重工業株式会社が発足(商号変更)
    • [9]1938年 長崎造船所で戦艦武蔵を竣工
    • [10]1943年 零式艦上戦闘機の生産を開始
    • [13]戦後の財閥解体で三菱重工業は新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の3社へ分割(有報では1950年1月に中日本・東日本・西日本重工業として新発足、1952年に各社へ改称)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [11]三菱重工業発足当時の資本金は5,500万円であり、長崎造船所・神戸造船所・下関造船所・名古屋航空機製作所・東京機器製作所を傘下に擁した
    • [12]終戦時に三一(31)を数えた同社の事業所はその大部分が解体を余儀なくされ、1950年に過度経済力集中排除法の適用で3社に分割された

分割後の三社はそれぞれが東京証券取引所に独立して上場することとなり、以後約15年にわたって全く別々の会社としてそれぞれ独立に運営される異例の時期が続くこととなった。1963年には三社の合併準備室を新たに発足させ、公正取引委員会による独占禁止法上の厳しい審査を経た上で1964年6月に歴史的な再合併を完了した。売上高3,000億円規模という当時としては日本有数の大企業が再誕生し、戦前からの造船と軍需の両分野における長年の技術的蓄積を再び一つの組織の内部に集約することによって、戦後の防衛・エネルギー・航空宇宙という三つの政策連動型事業への本格的な展開基盤を制度的にも整えた。 [14][15][16]

  • 有価証券報告書
    • [14]分割後の3社は東京証券取引所等に独立上場(有報では1950年5月に東京・大阪証券取引所へ上場)
    • [15]1963年 3社の合併準備室を発足(同年7月取締役会で合併検討を決議、8月に準備室発足)
    • [16]1964年6月 新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の3社が合併し三菱重工業が発足、公正取引委員会の独占禁止法審査を経た
  • 有価証券報告書
    • [8]1934年4月 三菱航空機と三菱造船が合併し三菱重工業株式会社が発足(商号変更)
    • [9]1938年 長崎造船所で戦艦武蔵を竣工
    • [10]1943年 零式艦上戦闘機の生産を開始
    • [13]戦後の財閥解体で三菱重工業は新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の3社へ分割(有報では1950年1月に中日本・東日本・西日本重工業として新発足、1952年に各社へ改称)
    • [14]分割後の3社は東京証券取引所等に独立上場(有報では1950年5月に東京・大阪証券取引所へ上場)
    • [15]1963年 3社の合併準備室を発足(同年7月取締役会で合併検討を決議、8月に準備室発足)
    • [16]1964年6月 新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の3社が合併し三菱重工業が発足、公正取引委員会の独占禁止法審査を経た
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [11]三菱重工業発足当時の資本金は5,500万円であり、長崎造船所・神戸造船所・下関造船所・名古屋航空機製作所・東京機器製作所を傘下に擁した
    • [12]終戦時に三一(31)を数えた同社の事業所はその大部分が解体を余儀なくされ、1950年に過度経済力集中排除法の適用で3社に分割された

1953年〜 防衛・エネルギーの寡占構造と民間事業での撤退判断の遅れ

  1. 1953年戦闘機の生産再開を決定(国内ライセンス生産)
  2. 1964年新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の3社が合併(三菱重工業の発足)
  3. 1970年戦闘機F-4EJを受注
  4. 1979年米国にMitsubishi Heavy Industries America, Inc.を設立
  5. 1995年三菱原子力工業を合併
  6. 2000年最終赤字に転落
  7. 2001年米国にMitsubishi Power Systems, Inc.を設立

三菱重工業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

戦闘機ライセンス生産から築かれた政府依存型の寡占

1953年、朝鮮戦争を契機とした米国の対日占領政策の根本的な転換によって日本国内での航空機の生産が再開されることとなり、三菱重工は名古屋の小牧工場において米ノースアメリカン社のF-86F戦闘機のライセンス生産に着手した。1961年までの三期にわたる累計の契約で合計三百機・約180億円分を防衛庁に納入し、以後F-104J、F-4EJ、F-15J、F-2、F-35と次々に後継機のライセンス生産を受注し続ける長期にわたる関係性が確固として形成された。黎明期における先行参入によって防衛庁との受注関係と製造ノウハウが早期に蓄積され、戦闘機の国内ライセンス生産は三菱重工と川崎重工の事実上の二社寡占という異例の構造が70年以上の長期にわたって固定化されるに至った。 [17][18]

  • 有価証券報告書
    • [17]1953年 朝鮮戦争を契機に航空機生産が再開、三菱重工がF-86F戦闘機のライセンス生産に着手(小牧工場)
    • [18]後継機F-104J・F-4EJ・F-15J・F-2・F-35の受注継続

エネルギー分野においても政府依存型の寡占構造という同様の収益モデルが形成された。米ウェスチングハウスからPWR型原子炉技術の包括ライセンスを取得し、1970年の関西電力美浜原子力発電所一号機を皮切りに国内の原子力プラントの供給を開始した。火力発電の分野では世界最高水準の高効率ガスタービンとして知られるJ型およびJAC型シリーズを自社で独自開発し、国内外の電力会社と20〜30年の長期保守契約を結んで顧客を囲い込む収益モデルを定着させた。参入障壁が純粋な「技術」ではなく「関係性と実績の長期的な蓄積」に基づいて形成される独特の市場構造こそが、三菱重工業の長年にわたる安定収益の本質的な源泉として働くこととなった。 [19]

  • 有価証券報告書
    • [19]1970年 関西電力美浜原子力発電所1号機にPWRを導入し国内原子力プラント供給を開始
  • 有価証券報告書
    • [17]1953年 朝鮮戦争を契機に航空機生産が再開、三菱重工がF-86F戦闘機のライセンス生産に着手(小牧工場)
    • [18]後継機F-104J・F-4EJ・F-15J・F-2・F-35の受注継続
    • [19]1970年 関西電力美浜原子力発電所1号機にPWRを導入し国内原子力プラント供給を開始

技術完成主義が招いた民間市場からの繰り返しの撤退

防衛・エネルギー分野での寡占的地位とは対照的に、民間市場向けの数千億円規模プロジェクトにおいては撤退判断の決定的な遅れという深刻なパターンが何度も繰り返し発生することとなった。1975年に自主開発に着手したビジネスジェット機のMU-300は米国市場での販売不振に陥りながらも十年間にわたって事業が継続され、最終的には1985年にようやく撤退が決定されることとなり、同社の民間事業における組織的な課題の原型がこの時期に初めて顕在化した。2011年に受注した欧州向けの客船二隻は、設計変更の連鎖と工程管理の事実上の破綻によって推定2,500億円の損失を計上することとなり、民間プロジェクトにおける組織的な脆弱性が決算の数字として対外的にも露呈する厳しい結果となった。 [20][21]

  • 有価証券報告書
    • [20]1975年にMU-300ビジネスジェットの開発に着手
    • [21]2011年受注の欧州向け客船2隻で推定2,500億円の損失を計上した(客船の納期遅れで巨額損失は2016年3月)

2008年に設立された子会社の三菱航空機が主導したSpaceJet(旧MRJ)は、国産初のジェット旅客機として華々しく期待されたにもかかわらず、型式証明の取得に六度もの延期を重ねて累計1兆円規模の損失を計上し、最終的には2023年に開発そのものの中止を決定した。これらの民間プロジェクトに共通する本質的な要因として、戦艦武蔵や零戦の製造で培った、最後まで突き詰めれば技術的に完成できるはずだという組織的な確信が、合理的な撤退の選択肢を経営会議の意思決定の俎上に載せることを心理的に困難にしている点が繰り返し指摘された。防衛・エネルギーでは市場リスクが限定的であるため顕在化しないこの組織的な傾向が、民間市場に参入した途端に露呈する構造的な経営課題となった。 [22]

  • 有価証券報告書
    • [22]2008年に子会社三菱航空機を設立、同社がSpaceJet(旧MRJ)を主導
  • 有価証券報告書
    • [20]1975年にMU-300ビジネスジェットの開発に着手
    • [21]2011年受注の欧州向け客船2隻で推定2,500億円の損失を計上した(客船の納期遅れで巨額損失は2016年3月)
    • [22]2008年に子会社三菱航空機を設立、同社がSpaceJet(旧MRJ)を主導

2017年〜 三菱日立パワーシステムズ統合と民間撤退整理による事業構造の再編

  1. 2020年三菱航空機が債務超過状態
  2. 2023年米Concentric, LLCを連結子会社化

三菱重工業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

GTCCと防衛エネルギー集中へと向かう経営資源の集約

2014年に日立製作所の火力発電事業と統合する形で三菱日立パワーシステムズを新たに設立したことは、世界市場におけるガスタービン複合サイクル発電すなわちGTCC分野での競争力強化を企図した三菱重工にとって戦略的に重要な歴史的な一歩となった。2017年以降の経営の中心課題は、戦前から長きにわたって続いてきた造船事業と民間向け数千億円規模プロジェクトの整理を進めつつ、GTCC・原子力・防衛といった政府および電力会社向けの寡占事業の収益性を高めていくという一貫した方向での事業構造の再編へとシフトした。火力発電事業ではJ型およびJAC型のガスタービンを自社の独自技術として最大の強みとし、20〜30年の長期保守契約を結ぶ仕組みで顧客囲い込みを徹底した。 [23][24]

  • 有価証券報告書
    • [23]2014年に日立製作所の火力発電事業と統合する形で三菱日立パワーシステムズを設立(有報では2014年2月に営業開始)
    • [24]ガスタービン複合サイクル発電(GTCC)分野での競争力強化を企図した統合

客船事業では2011年に受注した総トン数12.5万トン級客船二隻の約2,500億円に及ぶ損失を経験した後、既存の受注残を消化する形で事実上の撤退を進めることとなり、2014年から2020年にかけて造船事業全体のリソース配分を商船中心から艦艇中心へと切り替えた。2023年にはSpaceJet(旧MRJ)の開発中止を最終的に正式に発表し、2008年の三菱航空機設立以来15年にわたる累計1兆円規模の投資とその失敗に対して、組織として初めて明確な終止符を打つ歴史的な決断に至ることとなった。民間航空機事業からの決定的な撤退の判断は、経営資源の防衛・エネルギー・宇宙という三つの寡占事業への一段の集中を制度的にも予算的にも可能にする前提条件として働くこととなった。 [25]

  • 有価証券報告書
    • [25]2011年受注の総トン数12.5万トン級客船2隻で約2,500億円の損失を経験(客船の納期遅れによる巨額損失は2016年3月時点で顕在化)
  • 有価証券報告書
    • [23]2014年に日立製作所の火力発電事業と統合する形で三菱日立パワーシステムズを設立(有報では2014年2月に営業開始)
    • [24]ガスタービン複合サイクル発電(GTCC)分野での競争力強化を企図した統合
    • [25]2011年受注の総トン数12.5万トン級客船2隻で約2,500億円の損失を経験(客船の納期遅れによる巨額損失は2016年3月時点で顕在化)

民間撤退判断の遅れという組織的課題への向き合い

MU-300ビジネスジェットの撤退を1985年まで長く遅らせた歴史的な経験と、2011年から2018年にかけての客船事業における推定2,500億円規模の損失計上、そして2008年から2023年にかけてのSpaceJet開発中止に至る累計1兆円規模の損失計上という三つの連続した民間プロジェクトの挫折は、単なる個別案件レベルの失敗として処理されるものではなく、組織全体が共有すべき構造的な経営課題として2020年代の初頭には社内外で認識されるに至った。経営陣は決算説明会の公式な場においても、民間市場における撤退判断の深刻な遅れという同社の宿年からの組織的な課題を率直に認める発言を幾度となく繰り返し行うこととなり、社外取締役からもガバナンス面での問題意識が継続的に提起されていた状況である。 [26]

  • 有価証券報告書
    • [26]2011〜2018年の客船事業で推定2,500億円規模の損失計上(客船の納期遅れによる巨額損失は2016年3月)

最後まで突き詰めれば技術的に完成できるはずだという戦艦武蔵と零戦以来の組織的な確信が、合理的な撤退の選択肢を経営会議の意思決定の俎上に載せることを心理的に困難にするという構造的な課題に対して、2020年代前半の経営陣はガバナンス体制の見直しとポートフォリオ管理の徹底で組織的な対応を進めた。2023年のSpaceJet開発中止を制度的なターニングポイントとして、民間市場における数千億円規模プロジェクトには慎重な姿勢で向き合い、ボーイング社向けの部品供給など既存の民間航空機関連事業については着実な増産と収益化に軸足を置く方針が経営会議レベルで明確化されることとなった。民間撤退の痛みは高い授業料となって組織に強く刻まれた。 [27]

  • 有価証券報告書
    • [27]ボーイング社向け部品供給など既存民間航空機関連事業に軸足を置く方針(ボーイングとの事業契約は1978年・B787主翼出荷は2007年)
  • 有価証券報告書
    • [26]2011〜2018年の客船事業で推定2,500億円規模の損失計上(客船の納期遅れによる巨額損失は2016年3月)
    • [27]ボーイング社向け部品供給など既存民間航空機関連事業に軸足を置く方針(ボーイングとの事業契約は1978年・B787主翼出荷は2007年)

三菱重工業の沿革1884〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
工部省から長崎造船局を借り受け創立★★★
三菱合資会社を設立し造船事業を承継★★
三菱造船株式会社を設立★★★
神戸造船所旧電気部を三菱電機として分離★★★
商号を三菱重工株式会社に変更★★
財閥解体により3社に会社分割★★
戦闘機の生産再開を決定(国内ライセンス生産)★★
YS-11の共同開発を開始
新三菱重工業:キャタピラーと合弁・建設機械に参入
新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の3社が合併(三菱重工業の発足)★★★
長崎造船所で30万tドッグを新設
関西電力美浜1号にPWRを導入
戦闘機F-4EJを受注★★
自動車部門を三菱自動車工業に移譲
MU-300ビジネスジェットの開発開始
末永聡一郎ボーイング社とB767/777の事業契約を締結
末永聡一郎米国にMitsubishi Heavy Industries America, Inc.を設立★★★
末永聡一郎大幸工場を閉鎖(名古屋市大曽根)
末永聡一郎広島海洋機器工場を閉鎖
相川賢太郎三菱原子力工業を合併★★
佃和夫最終赤字に転落★★
佃和夫米国にMitsubishi Power Systems, Inc.を設立★★
佃和夫中期経営計画を策定・成長分野に集中
佃和夫長崎造船所でダイヤモンドプリンセスが火災
佃和夫PBR1倍割れを問題視
大宮英明ボーイングB787向けに主翼出荷を開始
宮永俊一キャタピラーとの合弁契約を解消
宮永俊一ニチユ三菱フォークリフトとして営業開始★★
宮永俊一三菱日立パワーシステムズを設立
宮永俊一三菱重工航空エンジンが営業開始★★
宮永俊一Primetals Technologies, Limitedが営業開始★★
宮永俊一客船の納期遅れで巨額損失
泉澤清次三菱航空機が債務超過状態
泉澤清次米Concentric, LLCを連結子会社化★★
伊藤栄作過去最高益を達成★★
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)

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