電気の知識を持たない碍子屋の息子が始めた町工場は、セラミックスという焼き物技術を電子部品に転用することで、80年後に売上収益1兆7,000億円を超える企業へと育った。技術的参入障壁を武器に、村田は1979年に輸出の96%を円建てに統一するという、輸出企業としては逆張りの通貨戦略をやってのけた。
その強さはMLCCとセラミックフィルターの世界シェアが支えていたが、2010年代に入ると高周波モジュール、リチウムイオン二次電池、MEMSセンサという「第2の柱」への投資が相次ぎ挫折する。2022年買収のResonant社のれんは2026年2月に全額438億円の減損となり、コンポーネント主軸の強さと新事業育成の難しさが同時に表面化している。
歴史概略
1944年〜1963年碍子屋から電子部品の町工場へ
清水焼から碍子、そしてチタコンへ
村田昭は京都市東山区の碍子屋に生まれ、旧制商業学校を結核で中退した。父親は堅実な職人気質で同業の下請けも厭わない人物であったが、昭は碍子ではなく特殊磁器の世界に可能性を見ていた。電気の知識は持たなかったが、焼き物の電子部品化に事業機会を見出し、1944年10月、京都市中京区四条大宮北に150平方メートルの工場を構えて村田製作所を個人創業した。男性職人1名と女性約10名の町工場で、設備は手作りのガス炉と仕上げ用の裁縫机が並ぶだけの零細な出発であった。
当初はステアタイトと呼ばれる高周波絶縁体に着目していたが、唯一の依頼先である三菱電機伊丹製作所から求められたのは、軍用通信機向けのチタン酸化物セラミックコンデンサ(チタコン)であった。電気の知識がないまま試行錯誤を繰り返し、3カ月後にサンプルを完成。学歴を理由に一度は断られた大企業との取引を、品質で開いた。「生まれつき、人と競争するのがいやだったから、一歩、人の先を行くようになった」(日経ビジネス 1980/3/10)という昭の姿勢は、人のやらない領域を選ぶという独自技術路線の原点となった。
終戦と民需転換、そして垂直統合の萌芽
1945年の終戦で軍需は消滅し、昭は従業員の大半を解雇して電熱器販売で糊口をしのいだ。1946年頃、占領軍命令でラジオがスーパーヘテロダイン方式に切り替えられると、チタコンの民需が立ち上がる。復員ブームでラジオが飛ぶように売れ、村田は軍需から民需へ事業基盤を移した。1950年12月には資本金100万円で株式会社化した。
京都大学工学部の田中哲郎教授との産学連携でチタン酸バリウム(チタバリ)の実用化に成功し、誘電率の飛躍的に高いコンデンサを開発。1952年に防衛庁の唯一の認定メーカーとなった。米国から輸入した調合済み原料では品質ばらつきが出るという経験から、原料の調合から成形・焼成・加工までを自社で一貫する垂直統合モデルが、この時期に芽生えた。1959年には大宮技術研究所を設立し、電子顕微鏡やX線解析装置といった当時の中小企業では珍しい設備を導入、正特性サーミスタ「ポジスタ」の世界初商品化とセラミックフィルターの開発につなげた。
セラミックフィルター世界シェア80%と東証上場
1963年、セラミックフィルターが完成し、のち世界シェア80%を押さえる製品に育つ。同年3月、大阪証券取引所市場第二部に上場し、1969年12月には東京証券取引所市場第二部にも上場、1970年2月に両取引所で市場第一部へ指定替えとなった。創業から約20年で村田は年率20%の成長を維持し、上場時の資本金は3億9,000万円、セラミックコンデンサの市場占有率はテレビ用50%、通信機用95%に達していた。1962年9月には本社を現京都府長岡京市に移し、同月には福井村田製作所に資本参加して地域分業型の生産体制の端緒を開いている。
昭はセラミックスを「不思議な石ころ」と呼び、その可能性に賭け続けた。部品専業を貫き、完成品メーカーと競合しないことで長期取引を築くという方針が、この時期に固まる。同時期に入社した岡崎清、佐々利治、脇野喜久男ら技術者陣が、その後の製品多様化を支える布陣となった。碍子屋の息子が電気の知識もなしに始めた町工場は、日本のセラミックス電子部品産業の中核企業へと移行していた。
1965年〜2006年世界シェアを武器にした円建て戦略の時代
米欧への拠点拡張とエリー社買収
1965年に米Murata Electronics North Americaを設立して戦後初の海外拠点を築き、1972年にはシンガポール、1978年には欧州初の販売会社をドイツに、1978年11月には台湾生産・販売会社を買収した。そして1980年3月、カナダ拠点の多国籍企業Erie Technological Products(ETP)の株式3分の2を取得し、5年以内の完全子会社化を契約する。ETPは米国・カナダ・西独・メキシコに工場を持ち、フランス・イタリアに販売会社を擁しており、村田は一挙に北米・欧州の拠点と顧客基盤を獲得した。
買収のきっかけは昭自身が語っている。「エリーが売りに出ているといううわさを聞き、翌年の夏、ブラッと行って一つぐらい工場を売ってくれと頼んだのがきっかけだが、その時は他に話があるというのでダメになった。その後、エリーは社長とマネジャーがオーナーから会社を買い取ったので、去年の5月に再度交渉しようと思ったら、それならいっそ全部買ってくれ、ということで話がスンナリまとまった」(日経ビジネス 1980/3/10)。1975〜76年のCBブーム期に高株価を利用して海外市場から調達した資金が、この買収原資となった。ETP買収後、連結売上高は1984年度に2,100億円へ到達している。
1ドル40円でも増益 ── 円建て統一という逆張り
1979年、村田昭は輸出取引の96%を円建てに統一する決断を下す。背景には1977年度の円高差損10億円計上と、売上高営業利益率が1976年度下期の20.8%から1977年度下期の6.7%へ急落した経験があった。同業他社の多くが海外生産比率を上げて為替リスクを減らす方向に進むなか、村田は逆に通貨の主導権を売り手側に引き寄せた。裏付けはセラミックフィルター世界シェア85%、マイクロ波フィルターや圧電体セラミックで50〜85%という圧倒的な市場占有率であった。
村田泰隆は後年、この決断を「円建ては、今回の円高のために手を打ったのではありません。15年ほど前の石油ショックの時代に、円建て、ドル建てに分かれていた取引形態を円建てに統一しました。為替によって収益が大きく変動しないようにすると同時に、営業の第一線にまで円でのコスト意識が徹底して伝わることが狙いでした」(日経ビジネス 1995/10/2)と語っている。効果は1990年代の円高局面で鮮明となり、1994年11月に山一証券経済研究所が「1ドル40円でも増益」と試算するまでになった。1995年3月期には連結純利益が前期比54%増で過去最高を更新した。
モジュール部品事業への組織改革
1990年9月、村田はFD(ファンクショナル・デバイス)事業部を新設し、モジュール部品への戦略シフトに着手した。モジュール部品は複数の電子部品を複合化した高付加価値製品であり、回路設計と部品複合化の工程が加わる分、単品部品より収益性が高い。FD事業部は売上規模が小さかったため、偏向ヨークなど既存の安定売上製品を抱き合わせて事業部として成立させるという組織設計であった。
1991年6月に2代目として社長就任した村田泰隆は、1993年12月1日に大規模な組織改革を実行する。創業者が育てた技術本部を廃止し、長期開発を担う技術開発本部と短期の生産支援本部に分離、国内外の生産拠点を事業部直轄に変更し、新規事業開発本部を新設した。泰隆は「当社の強みはシーズ志向の体質の中から作られた高性能、高品質、低価格の単品部品を持っていることだ。この力を衰えさせてしまったら、そうした単品部品を複合させるモジュール部品事業の根底が崩れてしまう」(日経ビジネス 1993/12/6)と改革の意図を説明した。1993年には滋賀県野洲に55億円でガリウムひ素半導体・薄膜処理ラインを持つ工場を建設し、モジュール部品の中核デバイスを内製化した。
2007年〜2024年スマホMLCC依存と「第2の柱」模索
リーマンショックと村田恒夫体制下のM&A連打
2006年6月、創業者の子である村田恒夫が3代目社長に就任した直後、2008年秋のリーマンショックで村田は直撃を受ける。2009年3月期(FY08)はUSGAAPベースで営業損失▲163億円を計上し、前期に113億円の営業利益を出していたMLCC主軸の収益が、世界金融危機の需要蒸発で一気に吹き飛んだ。しかし売上はスマートフォン向けMLCC需要の拡大とともに急回復し、2015年3月期(FY14)には売上1兆435億円、営業利益2,145億円へ到達する。
2012年1月、フィンランドのVTI Technologies(現Murata Electronics Oy)を約200億円で買収し、MEMS慣性力センサ事業に参入した。同年3月にはルネサスエレクトロニクスのパワーアンプ事業を譲受して高周波事業を補強し、2014年12月には米Peregrine Semiconductor(現pSemi)を買収してRF-SOI技術を取り込んだ。2016年10月にはフランスのMurata Integrated Passive Solutionsを、2017年10月には米Murata Vios, Inc.を買収している。2013年8月には現岩手村田製作所を買収し、2014年3月には現埼玉村田製作所を連結子会社化して国内生産網も拡張した。MLCC以外の第2の柱を育てる試みが、スマホMLCC需要の追い風を背景に、海外技術買収と国内生産拡張の両面で連続的に打たれた時期である。
ソニー電池事業譲受と構造改革の長期化
2017年9月、村田はソニーグループのリチウムイオン二次電池事業を譲受した。電池事業への本格参入であり、素材から加工まで一貫するセラミックス事業とは異なる事業領域への踏み出しであった。ただし収益化は長期化し、構造改革費用の計上が続く状態に陥る。2016年から村田恒夫は代表取締役会長兼社長を務め、2019年には創業家外から初の社長として中島規巨が就任した。2020年12月にはみなとみらいイノベーションセンター(横浜市西区)を開設し、研究開発拠点を集約している。
2015年3月期に1兆円を超えた売上は、スマートフォン用MLCCのサイクルに大きく振れた。2019年3月期は売上1兆5,750億円・営業利益2,668億円、2022年3月期(FY21)は売上1兆8,125億円・営業利益4,240億円と過去最高を更新する一方、2023年3月期(FY22)は売上1兆6,867億円・営業利益2,978億円へ反落し、スマホ市況の減速と中華圏勢の台頭を受ける。2024年3月期(FY23)はIFRS初年度で売上収益1兆6,401億円、営業利益2,154億円と低水準に沈み、コンポーネント事業とデバイス・モジュール事業の跛行色が明確になった。
MTD2024未達と「第2の柱」の失速
2024年3月期末に終了した中期経営計画MTD2024について、中島規巨社長は「経済価値目標の未達」を大きな反省として総括している(決算説明会 FY2025)。民生市場のセット台数減少が主因であるが、内訳を見ると、MLCCを中心とするコンポーネント事業は堅調である一方、高周波モジュール、表面波フィルタ、リチウムイオン二次電池といったデバイス・モジュール事業群が軒並み収益性を落としていた。AIサーバー向けMLCCとADAS向けインダクタが一方で伸び、もう一方でスマホ向けの第二層事業が沈むという二極化の構図である。
2025年3月期には、2012年買収のVTI事業であるMEMS慣性力センサ事業で設備全額の減損104億円を計上した。ADAS(先進運転支援)レベル3以降で村田のセンサが評価される前提で設備投資を進めたが、レベル3普及が想定より遅れ、回収可能額が見通せなくなったためである。同じく電池事業では通期145億円の構造改革費用を計上し、円筒乾電池ラインの既発注設備を減損した。2012年以降の「第2の柱」育成投資が、スマホ市況の反転とADAS普及の遅延という二つの外部要因を受け、次々と再評価を迫られる局面に入った。
2025年〜2026年直近の動向と展望
Resonant社のれん全額438億円減損 ── 2022年買収の前提崩壊
2022年3月に350億円(為替まき直し438億円)で買収した米Resonant社について、村田は2026年2月の第3四半期決算で、のれん全額438億円の減損を計上した。XBAR技術を獲得してWi-Fi7やFR3(5.5G/6G向け新周波数)といった3GHz以上の高周波帯に対応するという買収当初の狙いは、2つの要因で前提が崩れた。中島規巨は「買収当時の狙いはXBARで3GHz以上の周波数帯に対応することだったが、BAWフィルタの技術向上で競合との境界が曖昧になってきた。新周波数の本格量産は2030年以降にずれ込む見込み」(決算説明会 FY2026-3Q)と背景を説明している。
第1の要因は中華圏競合の台頭で、従来周波数の表面波フィルタの収益性が悪化したこと。第2は5G次世代規格の展開遅延である。XBAR技術そのものは残し、ハイエンドスマホ向け高周波モジュールのシェア獲得を最優先に置く方針だが、2022年買収から約3年での全額のれん減損は、村田のM&A史において大きな挫折として記録されることになった。2025年3月期には第4四半期にMEMS減損104億円、通期で電池事業の構造改革費用145億円も計上しており、2010年代の「第2の柱」投資の再評価が同時多発的に進んでいる。
AI/データセンター需要と米政府フレームワーク協定
一方でMLCC・インダクタを中心とするコンポーネント事業はAIサーバー需要を取り込み、2025年度上期売上収益は過去最高の9,028億円に達した。2025年度通期業績予想は、10月時点で売上1兆8,000億円・営業利益2,800億円へ上方修正された後、Resonant減損計上を受けて2月に営業利益を2,700億円へ▲100億円下方修正している。自己株式取得は2024年度800億円、2025年度は1回の取得としては過去最大の1,000億円に拡大し、買収への機動的活用も視野に入れた方針へ転換した。
2025年10月28日、トランプ大統領来日時に村田は米国政府とフレームワークアグリーメントを締結した。内容は「アメリカのための投資」という位置づけで、米国データセンター向け重要部品の供給とサプライチェーン強靭化を約束するもので、最大150億ドル規模のビジネス機会が示されている。中島は「このデータセンター投資が我々にとって非常に重要なマーケットであり、ここに関われることは非常に光栄」(決算説明会 FY2026-2Q)と述べた。中期経営計画MTD2027では、2027年度売上2兆円・営業利益率18%・ROIC12%を堅持しつつ、高周波モジュールのシェア奪還、電池事業の黒字化(2025年度Q1で20億円黒字を達成)、データセンター向け電源モジュール事業化の3点を経営の最重要コミットメントに据えている。