古河電工 の歴史

創業

1896年

創業者

古河市兵衛

創業地

神奈川県横浜市

直近売上高(2025/3)

12,017億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1896年に古河財閥は横浜電線製造を設立したのか
A 足尾銅山が産む銅の使い道を社内で確保するためである。1896年6月、古河市兵衛氏の財閥は鉱山から仕入れた銅を電線に加工し、通信・電力事業者へ納める垂直統合の会社として横浜電線製造を設立した。1920年4月には古河鉱業から日光電気精銅所を取得して電気銅の生産から電線製造までを一貫させ、古河電気工業へ改称した。上流の素材と下流の加工を同じ会社で抱える事業構造が、創業時から定まった。
Q なぜ2001年に古河潤之助社長はルーセントの光ファイバ事業を買ったのか
A 本業の電線市場が成熟するなか、銅から光への素材転換に賭けたためである。2001年11月、古河潤之助社長は合弁JDSU株の2兆円規模の含み益を原資に、米ルーセントから光ファイバ事業OFSを約2,250億円で買収した。だが直後のネットバブル崩壊で原資も需要も同時に消え、2003年3月期1,140億円・2004年3月期1,401億円と2期連続の赤字と有利子負債910億円が残り、古河潤之助氏は買収失敗の責任を取り退任した
Q なぜ2020年代に非鉄子会社を売ってデータセンター向け光部品へ集中するのか
A 2001年のOFS買収で温存した光ファイバの特許と製造技術が、生成AIによるデータセンター需要で再評価されたためである。森平英也社長は2025年4月に光ファイバ事業をLighteraへ統合し、水冷やCPOの量産能力へ資金を集中した。原資は1950年に分離した古河電池、アルミのUACJ持分、巻線のEssex Furukawaを相次いで手放して作った。財閥期の多角化で広げた非鉄子会社を売り切り、光部品の量産へ振り向ける選別を進めている。

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1896年〜 足尾銅山の銅加工から非鉄金属総合メーカーへの拡張期

古河電工の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1896年 古河電工創業——足尾銅山の電気銅から横浜の電線工場へ 電灯・通信網の拡大で銅線需要が高まるなか、足尾銅山を握る古河市兵衛氏は銅の加工先をどう社内に取り込んだか
  2. 1920年 古河鉱業から日光電気精銅所を取得し商号を古河電気工業に変更
  3. 1921年 九州電線製造を買収し九州事業所を開設
  4. 1923年 ドイツ・シーメンスとの資本・技術提携による富士電機製造の設立 電線までしか持たない会社が重電機へ伸びるとき、自社の事業部と外資との合弁のどちらを選ぶか
  5. 1938年 大阪伸銅所(後の銅管事業)を新設
  6. 1949年 東京証券取引所に株式上場
  7. 1950年 古河電池を設立

足尾銅山の銅を電線に変えるために生まれた横浜電線製造

1896年6月、古河財閥は保有する足尾銅山で産出する銅を有効活用するため、横浜電線製造株式会社を設立した。電線の製造は銅の加工用途として自然な選択であり、古河鉱業(現・古河機械金属)から銅を仕入れて電線に加工する垂直統合型のビジネスモデルで出発する。1920年4月には古河鉱業から日光電気精銅所(現日光事業所)を取得し、商号を古河電気工業株式会社に変更した。これにより電気銅の生産から電線の製造まで一貫して手がける体制が整い、古河財閥の非鉄金属事業の中核となった。創業者は鉱山王と呼ばれた古河市兵衛氏で、足尾銅山の鉱業収益と電線の加工収益を一体運営する財閥戦略が背景にあり、同社は当初から垂直統合型のビジネスモデルを前提に運営される会社だった。 [1][2][3][4]

  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1896年6月 横浜電線製造株式会社を設立(足尾銅山の銅加工先として)
    • [2]古河鉱業(現・古河機械金属)から銅を仕入れて電線に加工する垂直統合型のビジネスモデル
    • [3]1920年4月 古河鉱業から日光電気精銅所を取得し商号を古河電気工業株式会社に変更(現日光事業所)
  • 古河市兵衛翁伝(founding.md 出所)
    • [4]創業者は古河市兵衛(鉱山王と呼ばれた)

1921年12月に九州電線製造を買収して九州工場を設置、1938年11月には兵庫県尼崎市に大阪伸銅所(後の銅管事業)を新設する。戦後は1949年5月に東京証券取引所に株式上場、1950年9月には電池部門を分離独立させて古河電池を設立した。1958年には平塚工場、1961年には千葉工場、1971年には三重工場と、高度成長期を通じて拠点を拡張し、電線・銅加工・電池・電装という複数の事業領域を抱える総合電機・非鉄メーカーへと成長した。古河財閥の非鉄部門を担う存在として、戦後復興から高度成長期にかけての国内電力・通信インフラ整備を下支えする役割を果たし、製品レンジは銅線・電力ケーブル・電池・電装品・通信ケーブルへと多角化し、重電・通信の川上工程を支える基盤素材メーカーの顔を持つに至った。 [5][6][7][8][9]

  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1921年12月 九州電線製造を買収し九州事業所を設置
    • [6]1938年11月 兵庫県尼崎市に大阪伸銅所(後の銅管事業)を新設
    • [7]1949年5月 東京証券取引所に株式上場
    • [8]1950年9月 電池部門を分離独立させ古河電池を設立
    • [9]1958年 平塚/1961年 千葉(市原市・千葉電線製造所)/1971年 三重(亀山市・三重工場)

戦前から戦後にかけて、古河電工は電線以外へ事業を広げ、多くの関連会社を生んだ。1914年3月には大阪工場に隣接して電池工場を設けて鉛蓄電池の製造に進出し、1917年10月には米国グッドリッチ社と提携して横浜護謨製造を別会社として設立する。1923年8月にはドイツのシーメンス社と提携して富士電機製造を、1925年3月には東京電灯と提携して日本軽金属を設立した。戦後も多角化は続き、1950年4月に米グッドリッチ社と提携して日本ゼオンを創立、1955年10月に古河マグネシウム、1956年10月に古河化学工業、1958年12月に古河特殊金属工業、1959年8月には米アルコア社と提携して古河アルミニウム工業(フラルコ)を相次いで設立する。こうした関連会社設立により、古河電工は古河グループの中核として早くから多角経営を進めた(『企業の歴史 : 明治百年』経済春秋社編、1968年)。 [10][11][12][13][14]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [10]1914年3月 大阪工場に隣接して電池工場を開設し鉛蓄電池の製造に進出
    • [11]1917年10月 米国グッドリッチ社と提携し横浜護謨製造を別会社として設立
    • [12]1923年8月 ドイツ・シーメンス社と提携し富士電機製造を、1925年3月 東京電灯と提携し日本軽金属を設立
    • [13]1950年4月 米グッドリッチ社と提携し日本ゼオンを創立
    • [14]1955年10月 古河マグネシウム、1956年10月 古河化学工業、1958年12月 古河特殊金属工業、1959年8月 米アルコア社と提携した古河アルミニウム工業(フラルコ)を相次いで設立
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1896年6月 横浜電線製造株式会社を設立(足尾銅山の銅加工先として)
    • [2]古河鉱業(現・古河機械金属)から銅を仕入れて電線に加工する垂直統合型のビジネスモデル
    • [3]1920年4月 古河鉱業から日光電気精銅所を取得し商号を古河電気工業株式会社に変更(現日光事業所)
    • [5]1921年12月 九州電線製造を買収し九州事業所を設置
    • [6]1938年11月 兵庫県尼崎市に大阪伸銅所(後の銅管事業)を新設
    • [7]1949年5月 東京証券取引所に株式上場
    • [8]1950年9月 電池部門を分離独立させ古河電池を設立
    • [9]1958年 平塚/1961年 千葉(市原市・千葉電線製造所)/1971年 三重(亀山市・三重工場)
  • 古河市兵衛翁伝(founding.md 出所)
    • [4]創業者は古河市兵衛(鉱山王と呼ばれた)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [10]1914年3月 大阪工場に隣接して電池工場を開設し鉛蓄電池の製造に進出
    • [11]1917年10月 米国グッドリッチ社と提携し横浜護謨製造を別会社として設立
    • [12]1923年8月 ドイツ・シーメンス社と提携し富士電機製造を、1925年3月 東京電灯と提携し日本軽金属を設立
    • [13]1950年4月 米グッドリッチ社と提携し日本ゼオンを創立
    • [14]1955年10月 古河マグネシウム、1956年10月 古河化学工業、1958年12月 古河特殊金属工業、1959年8月 米アルコア社と提携した古河アルミニウム工業(フラルコ)を相次いで設立

非鉄金属総合メーカーからの複線化と光ファイバ研究の準備

1972年8月には子会社の古河電池を東京証券取引所市場第一部に上場させ、1981年4月に古河金属工業を吸収合併して非鉄金属総合メーカーとしての事業基盤を強化する。1987年2月には横浜市西区に横浜研究所を新設し、光ファイバなど次世代技術の研究開発体制を組んだ。1990年には北米で光関連部品メーカーJDSU(後のJDS Uniphase)を合弁で設立する。これが後にルーセント買収資金の原資となる投資である。光ファイバへの研究投資は1970年代から続いていたが、事業化は他の非鉄・電線事業の影に隠れて目立たない存在だった時期が長く、研究所と本体事業の距離感が以後の経営判断に影響を及ぼしていく構図となり、次の主力事業を光ファイバに据える布石が置かれた。 [15][16][17][18]

  • 古河電池 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1972年8月 子会社の古河電池を東京証券取引所市場第一部に上場
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1981年4月 古河金属工業を吸収合併
  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1987年2月 横浜市西区に横浜研究所を新設(光ファイバ等の研究開発体制)
    • [18]1990年 北米で光関連部品メーカーJDSU(後のJDS Uniphase)を合弁設立

1993年10月には軽金属事業を製販一本化するため古河アルミニウム工業と福井圧延を吸収合併した。電線・電力ケーブル・非鉄金属・電池・軽金属・光関連部品という多角化した事業構造が1990年代前半に完成する。しかし売上規模は拡大する一方で、利益率は業界全体が直面する価格競争で圧迫されており、「次の柱」を模索する局面だった。1995年に古河家5代目当主の古河潤之助氏が社長に就任し、光ファイバ事業への傾注を打ち出した。銅線の会社が、光の会社への転換を賭ける局面が始まり、次の主役を光ファイバに定める経営判断が社内外に示された。本業の電線市場が成熟化する一方で、光関連市場の潜在力を信じる経営陣の方針が次第に明確化した。 [19][20]

  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [19]1993年10月 軽金属事業の製販一本化のため古河アルミニウム工業・福井圧延を吸収合併
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [20]1995年 古河家5代目当主の古河潤之助が代表取締役社長に就任
  • 古河電池 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1972年8月 子会社の古河電池を東京証券取引所市場第一部に上場
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1981年4月 古河金属工業を吸収合併
    • [19]1993年10月 軽金属事業の製販一本化のため古河アルミニウム工業・福井圧延を吸収合併
  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1987年2月 横浜市西区に横浜研究所を新設(光ファイバ等の研究開発体制)
    • [18]1990年 北米で光関連部品メーカーJDSU(後のJDS Uniphase)を合弁設立
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [20]1995年 古河家5代目当主の古河潤之助が代表取締役社長に就任

1990年〜 ルーセント光ファイバ買収という賭けと1,500億円規模の赤字計上期

古河電工の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1990年 JDSUを合弁設立
  2. 1993年 古河アルミニウム工業・福井圧延を吸収合併
  3. 1995年 古河潤之助が代表取締役社長に就任
  4. 2001年 米ルーセントの光ファイバ・ケーブル部門の買収と、世界シェア2位の取得 銅線から光へ移るために、古河潤之助氏は株式の含み益をどこまで賭け金にしたか
  5. 2003年 OFSの業績悪化で1,140億円の最終赤字に転落
  6. 2003年 軽金属事業部門を会社分割しスカイアルミニウム(古河スカイ)に承継
  7. 2005年 電力事業部門を持分法適用関連会社のビスキャスに営業譲渡

ルーセントから約2,250億円で光ファイバ事業を買収する決断

1990年代後半、世界的なインターネット需要の爆発を受けて光ファイバ市場は急拡大していた。古河電工が1990年に合弁設立したJDSUは、光通信機器メーカーとしてナスダック市場で株価が暴騰し、古河電工は2兆円規模の含み益を抱える。2000年2月時点で古河電工自身の時価総額も約1兆円に達した。古河潤之助社長は光ファイバを次の主力事業と定め、従来の電線・銅加工中心の事業構造からの脱皮を具体化する決断を下す。銅線からの脱却という長年の社内議論が、ようやく具体的な経営判断として俎上に載った局面である。世界の通信事業者が光ファイバを銅線に置き換え始めた時期であり、市場の見立ては強気に偏っており、古河電工もその楽観に乗った格好だった。 [21][22][23]

  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [21]JDSUの株価暴騰で古河電工は2兆円規模の含み益を抱えた
  • 日経ビジネス(2001年10月8日)
    • [22]2000年2月時点で古河電工の時価総額は約1兆円に達した
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [23]古河潤之助社長は光ファイバを次の主力事業と定め事業構造の脱皮を具体化

2001年11月、米ルーセント・テクノロジーの光ファイバ・ケーブル部門の買収を発表した。ルーセント側は総額27億ドルで売却し、古河電工の取得負担額は約20億ドル(約2,250億円)に達する。資金は約1,100億円をJDS株の売却で、残り約900億円を銀行借入で手当てした。「当社が狙っている光関連部品事業は、とてつもない潜在力を秘めている。どんな国でも今さら銅線は使わず、全部光ファイバーで通信回線を作るようになる」(古河潤之助・古河電工社長、日経ビジネス 2001/10/8)。買収後の世界シェアはコーニングの30%に次ぐ19%となる見込みで、特許収入も狙えるとされた。JDS株の含み益を原資に銀行借入で追加資金を作って買収というバブル最後の賭けは、直後のネットバブル崩壊で前提が崩れ落ちる。 [24][25][26][27]

  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [24]2001年11月 米ルーセント・テクノロジーの光ファイバ・ケーブル部門の買収を発表(OFSとして運営)
  • 日経ビジネス(2001年10月8日)
    • [25]古河電工の取得負担額は約20億ドル(約2,250億円)。資金は約1,100億円をJDS株売却、約900億円を銀行借入で手当て
    • [26]古河潤之助・古河電工社長の発言(光関連部品事業の潜在力)
    • [27]買収後の世界シェアはコーニングの30%に次ぐ19%となる見込み(買収時点の見立て)
  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [21]JDSUの株価暴騰で古河電工は2兆円規模の含み益を抱えた
    • [24]2001年11月 米ルーセント・テクノロジーの光ファイバ・ケーブル部門の買収を発表(OFSとして運営)
  • 日経ビジネス(2001年10月8日)
    • [22]2000年2月時点で古河電工の時価総額は約1兆円に達した
    • [25]古河電工の取得負担額は約20億ドル(約2,250億円)。資金は約1,100億円をJDS株売却、約900億円を銀行借入で手当て
    • [26]古河潤之助・古河電工社長の発言(光関連部品事業の潜在力)
    • [27]買収後の世界シェアはコーニングの30%に次ぐ19%となる見込み(買収時点の見立て)
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [23]古河潤之助社長は光ファイバを次の主力事業と定め事業構造の脱皮を具体化

2期連続1,000億円超の赤字と20年以上続くOFS買収の負債

買収の直後にネットバブルは崩壊した。OFS社の業績は急降下し、2003年3月期に古河電工は特別損失の計上などにより1,140億円の最終赤字に転落する。2004年3月期にはさらに1,401億円の赤字となった。2期連続で1,000億円超の赤字を出した古河電工は、買収に伴う有利子負債910億円を抱えて財務基盤が揺らぐ。2003年、古河潤之助氏は社長を退任して代表取締役会長に退き、買収失敗の責任を取る形での人事となった。以後の古河電工は、OFS買収で発生した負債と減損という採算上の負担を20年以上にわたって背負い続けることになり、「買収の失敗」という評価が長く同社を追いかける構造が形づくられていく局面で、資本市場からも厳しい目を向けられ続ける状態が長く継続した。 [28][29]

  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [28]買収に伴う有利子負債910億円を抱えて財務基盤が揺らぐ
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [29]2003年 古河潤之助は社長を退任し代表取締役会長に退いた(買収失敗の責任・石原廣司に交代)

以後、古河電工は構造改革を続ける。2003年10月に軽金属事業を古河スカイ(後のUACJ)として会社分割、2005年1月には電力事業部門をビスキャスへ営業譲渡し、本体のスリム化が進められた。2008年9月のリーマンショックでは2009年3月期に再び▲374億円の最終赤字を記録する。2012年3月期には自動車向けワイヤーハーネスの価格操作・不正入札で米国反トラスト法違反の罰課金152億円を特別損失に計上し、関わった社員3名が米国で禁固刑を受けて収監された。OFS買収失敗の尾を引きずりながら、新たな不祥事が重なる10年となって構造改革は常時進行の経営テーマとして定着し、抜本策の見えない停滞期として外部に映る局面が続き、経営の信頼回復には想像以上に長い時間を要した。 [30][31][32]

  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [30]2003年10月 軽金属事業を古河スカイ(後のUACJ)として会社分割
    • [31]2005年1月 電力事業部門をビスキャスへ営業譲渡
  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [32]2012年3月期 米国反トラスト法違反の罰課金152億円を特別損失計上、社員3名が米国で禁固刑を受け収監
  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [28]買収に伴う有利子負債910億円を抱えて財務基盤が揺らぐ
    • [32]2012年3月期 米国反トラスト法違反の罰課金152億円を特別損失計上、社員3名が米国で禁固刑を受け収監
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [29]2003年 古河潤之助は社長を退任し代表取締役会長に退いた(買収失敗の責任・石原廣司に交代)
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [30]2003年10月 軽金属事業を古河スカイ(後のUACJ)として会社分割
    • [31]2005年1月 電力事業部門をビスキャスへ営業譲渡

2011年〜 非コア事業の切り離しと3セグメントへの事業ポートフォリオ絞り込み期

古河電工の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2012年 米国反トラスト法違反で152億円の罰課金を特別損失計上
  2. 2012年 2期連続で最終赤字(111億円)
  3. 2013年 古河スカイが住友軽金属工業を吸収合併しUACJに商号変更
  4. 2016年 ビスキャスから国内電力ケーブル事業を譲り受け
  5. 2018年 東海理化子会社との製品リコール関連訴訟で特別損失計上開始
  6. 2020年 銅管・巻線・TOTOKU・UACJ・古河電池の売却と、データセンター向け光事業への集中投資 資本効率を指標に据えた会社は、財閥時代から抱えた系列子会社をどこまで手放したか

アルミ・電線・銅管・巻線・TOTOKUを次々に手放す

2012年4月に柴田光義氏、2017年4月に小林敬一氏と社長が交代しながら、古河電工は事業ポートフォリオの絞り込みを続けた。2013年10月には古河スカイが住友軽金属工業を吸収合併しUACJに商号変更し、古河電工の持分法適用関連会社となる。アルミ事業は本体から一層距離を置く構造へ進んだ。2015〜2016年にはビスキャスから電力ケーブル事業を順次譲り受けて本体に取り込む一方、非コア領域は切り出しを続ける方針を維持した。2010年代の古河電工の経営は、OFS買収で膨らんだ有利子負債の返済と、非コア事業の資本関係整理をほぼ同時に進める10年間となり、事業の足し算ではなく引き算で構造を整える局面が続いた。成長投資の原資が慢性的に不足する中での難しい舵取りが続けられていた状況だった。 [33][34][35]

  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [33]2012年4月 柴田光義が、2017年4月 小林敬一が社長に就任
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]2013年10月 古河スカイが住友軽金属工業を吸収合併しUACJに商号変更、古河電工の持分法適用関連会社に
    • [35]2015〜2016年 ビスキャスから電力ケーブル事業を順次譲り受けて本体に取り込み

2018年3月期から2020年3月期にかけては、東海理化子会社との製品リコール関連訴訟で製品補償引当金繰入額を累計313億円計上する。2020年4月には銅管事業をDaishin P&T(現奥村金属)として会社分割したうえで売却、太物巻線等の事業をEssex Furukawa Magnet Wire LLCへ承継して持分法適用関連会社化した。2022年12月には2012年3月に子会社化していた東京特殊電線(現TOTOKU)をカーライルに売却(推定売却益153億円)。古河電工の事業は情報通信・電装エレクトロニクス・機能製品という3セグメントへ収斂していき、非コア事業の売却益と本業の成長投資を組み合わせる構造が定着した。切り出しは戦後の多角化で築いた子会社群の大部分に及ぶ規模となり、本体の事業範囲は絞り込まれ、経営資源の集中が進められていく局面となった。 [36][37][38]

  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [36]2018年3月期から2020年3月期にかけて東海理化子会社との製品リコール関連で製品補償引当金繰入額を累計313億円計上
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [37]2020年4月 銅管事業をDaishin P&T(現奥村金属)として会社分割のうえ売却、太物巻線等をEssex Furukawa Magnet Wire LLCへ承継し持分法適用関連会社化
    • [38]2022年12月 東京特殊電線(現TOTOKU、2012年3月に子会社化)をカーライルに売却(推定売却益153億円)
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [33]2012年4月 柴田光義が、2017年4月 小林敬一が社長に就任
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]2013年10月 古河スカイが住友軽金属工業を吸収合併しUACJに商号変更、古河電工の持分法適用関連会社に
    • [35]2015〜2016年 ビスキャスから電力ケーブル事業を順次譲り受けて本体に取り込み
    • [37]2020年4月 銅管事業をDaishin P&T(現奥村金属)として会社分割のうえ売却、太物巻線等をEssex Furukawa Magnet Wire LLCへ承継し持分法適用関連会社化
    • [38]2022年12月 東京特殊電線(現TOTOKU、2012年3月に子会社化)をカーライルに売却(推定売却益153億円)
  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [36]2018年3月期から2020年3月期にかけて東海理化子会社との製品リコール関連で製品補償引当金繰入額を累計313億円計上

情報通信事業の赤字と電装セグメントの苦戦が続く構造

2020〜2022年の期間、セグメント別で見るとインフラ(旧情報通信+エネルギー)は黒字を維持したものの成長は見られず、電装エレクトロニクスは自動車ワイヤーハーネスの収益性低下で2022年3月期に営業利益がわずか1億円まで縮小した。2023年3月期には連結経常利益172億円まで落ち込み、2024年3月期にはインフラセグメントが▲112億円の営業損失を計上する。長年の構造改革にもかかわらず、成長エンジンはなかなか見えてこず、OFS買収の賭けは結局回収できていないと外部からは評価され続けた。自動車向け・電力インフラ向けの旧主力事業は、いずれも成熟市場で価格競争に直面する構図が続き、新しい成長の軸を立てる必要性が年々高まり、経営の関心は次第に光ファイバ事業の再評価へと傾いた。

古河電工は2001年のOFS買収で得た光ファイバ関連特許と製造技術を、目立たない形で蓄積し続けていた。2025年4月の組織再編でLighteraとして再出発させる光ファイバ・ケーブル事業の土台は、この赤字事業として塩漬けにせざるを得なかった20年間に形づくられた。2023年4月に森平英也氏が17代社長に就任し、「データセンター市場」という新しい文脈で光ファイバ事業を位置づけ直す転換期を迎えた。2022年度には25中期経営計画(2022〜2025年度)のもとで①資本効率重視の既存事業収益最大化、②新規事業創出基盤整備、③ESG経営基盤強化の3方針が明示されて、事業選択と集中の方向性が整理され、経営は守りから攻めへ重心を移していき、2020年代後半への助走が本格化した。 [39][40][41]

  • 古河電気工業 統合報告書 2025
    • [39]2025年4月の組織再編でLighteraとして光ファイバ・ケーブル事業を再出発(2001年OFS買収で得た光ファイバ関連特許・製造技術が土台)
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [40]2023年4月 森平英也が社長に就任
  • 古河電気工業 中期経営計画2022-2025
    • [41]2022年度 25中期経営計画(2022〜2025年度)で①資本効率重視の既存事業収益最大化②新規事業創出基盤整備③ESG経営基盤強化の3方針を明示
  • 古河電気工業 統合報告書 2025
    • [39]2025年4月の組織再編でLighteraとして光ファイバ・ケーブル事業を再出発(2001年OFS買収で得た光ファイバ関連特許・製造技術が土台)
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [40]2023年4月 森平英也が社長に就任
  • 古河電気工業 中期経営計画2022-2025
    • [41]2022年度 25中期経営計画(2022〜2025年度)で①資本効率重視の既存事業収益最大化②新規事業創出基盤整備③ESG経営基盤強化の3方針を明示

古河電工の沿革1896〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
古河電工創業——足尾銅山の電気銅から横浜の電線工場へ電灯・通信網の拡大で銅線需要が高まるなか、足尾銅山を握る古河市兵衛氏は銅の加工先をどう社内に取り込んだか 詳細を読む★★★
古河鉱業から日光電気精銅所を取得し商号を古河電気工業に変更★★
九州電線製造を買収し九州事業所を開設
ドイツ・シーメンスとの資本・技術提携による富士電機製造の設立電線までしか持たない会社が重電機へ伸びるとき、自社の事業部と外資との合弁のどちらを選ぶか 詳細を読む★★★
大阪伸銅所(後の銅管事業)を新設
東京証券取引所に株式上場
西村啓造古河電池を設立
小泉幸久平塚電線製造所を新設
植松清千葉電線製造所を新設
鈴木二郎三重工場を新設
舟橋正夫古河金属工業を吸収合併
友松建吾JDSUを合弁設立
友松建吾古河アルミニウム工業・福井圧延を吸収合併
古河潤之助古河潤之助が代表取締役社長に就任
古河潤之助ネットバブルで時価総額が約1兆円に急騰
古河潤之助米ルーセントの光ファイバ・ケーブル部門の買収と、世界シェア2位の取得銅線から光へ移るために、古河潤之助氏は株式の含み益をどこまで賭け金にしたか 詳細を読む★★★
石原廣司OFSの業績悪化で1,140億円の最終赤字に転落★★
石原廣司軽金属事業部門を会社分割しスカイアルミニウム(古河スカイ)に承継★★
石原廣司電力事業部門を持分法適用関連会社のビスキャスに営業譲渡★★
柴田光義米国反トラスト法違反で152億円の罰課金を特別損失計上★★
柴田光義2期連続で最終赤字(111億円)
柴田光義古河スカイが住友軽金属工業を吸収合併しUACJに商号変更★★
小林敬一ビスキャスから国内電力ケーブル事業を譲り受け
小林敬一東海理化子会社との製品リコール関連訴訟で特別損失計上開始
小林敬一銅管・巻線・TOTOKU・UACJ・古河電池の売却と、データセンター向け光事業への集中投資資本効率を指標に据えた会社は、財閥時代から抱えた系列子会社をどこまで手放したか 詳細を読む★★★
森平英也森平英也が代表取締役社長に就任
森平英也UACJ株式の一部を譲渡し持分法適用から除外
森平英也光ファイバ・ケーブル事業を再編しLightera発足★★
出典・参考
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
  • 古河市兵衛翁伝(founding.md 出所)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 古河電池 有価証券報告書【沿革】
  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
  • 日経ビジネス(2001年10月8日)
  • 古河電気工業 統合報告書 2025
  • 古河電気工業 中期経営計画2022-2025

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