三井金属鉱業は三井鉱山の非鉄金属部門を母体に1950年に発足した。岐阜県の神岡鉱山から産出される亜鉛・鉛を主力とし、高度経済成長期には海外鉱山の権益取得や製錬事業の拡充で成長を遂げた。しかし円高の進行と国内鉱山の競争力低下により神岡鉱山の段階的縮小を余儀なくされ、1980年代には大規模な人員削減と再建計画を経て、銅箔やTABテープなど電子材料への事業転換を推進した。資源会社から先端電子材料メーカーへと変貌を遂げ、自動車部品や排ガス浄化触媒にも進出している。
歴史概略
第1期: 三井財閥の鉱山事業と神岡鉱山の隆盛(1874〜1971)
三井組による神岡鉱山取得と製錬事業の展開
1874年に三井組は岐阜県の神岡鉱山を明治政府から払い下げを受け、鉱山経営に参入した。神岡鉱山は国内最大の亜鉛産出量を誇る優良鉱山であり、三井財閥の鉱業事業を支える収益の柱として機能した。1892年に三井鉱山合資会社を設立し、鉱山と炭鉱を一体運営する体制を整えた。1913年には大牟田に亜鉛製錬工場を新設して製錬事業に参入し、採掘から精錬までの一貫体制を構築した。
戦後の財閥解体により、1950年に非鉄金属部門が三井金属鉱業として分離発足した。発足当初は「神岡鉱業」の商号を用い、1952年に三井金属鉱業に変更している。同年に東京証券取引所に上場し、独立企業としての歩みを開始した。
高度成長期の事業拡大と海外鉱山への進出
1960年代に入ると三井金属鉱業は事業の多角化を加速させた。1962年に伸銅事業部とダイカスト事業部を新設して加工事業を拡充し、1964年にはペルーのワンサラ鉱山の権益を取得して海外資源開発にも進出した。1967年には八戸製錬を設立し、亜鉛製錬の拠点を拡充している。国内最大の亜鉛鉱山を擁する強みを活かし、製錬から加工までの垂直統合を推進する時期であった。
一方で1972年にはイタイイタイ病の補償問題が発生し、無配転落に追い込まれた。神岡鉱山からの排水に含まれるカドミウムが原因とされ、三井金属は被害者への補償に応じることとなった。公害問題は同社の社会的信用に大きな傷を残し、経営判断においても環境対策が重要な制約条件として意識されるようになった。
第2期: 神岡鉱山の縮小と再建(1972〜2001)
円高と鉱山縮小の23年
1971年のニクソンショックによる円高進行で国内鉱山の国際競争力が低下した。三井金属は世界有数の亜鉛産出量を記録する神岡鉱山を擁していたため、競合他社より数年遅れて縮小判断に至った。1978年に一時帰休を実施して段階的な規模縮小を開始し、1981年には再建計画を策定して大規模な人員削減に踏み切った。1985年のプラザ合意でさらに円高が進行すると経営状況は一段と悪化し、1986年に希望退職者の追加募集を行った。
同年、神岡鉱山を完全子会社の神岡鉱業として分離した。以降も1994年に鉱石からの鉛精錬を中止し、1995年に人員の20%削減を柱とする神岡再建計画を策定するなど、段階的な縮小が続いた。2001年6月に鉱石の採掘を中止し、1874年の三井組による取得から約130年の鉱山経営に区切りをつけた。
電子材料と自動車部品への事業転換
鉱山縮小と並行して三井金属鉱業は新規事業の開拓を進めた。1976年に米国でOak-Mitsui社を設立して銅箔の現地生産を開始し、1980年には三井金属箔を吸収合併して上尾銅箔工場を設置した。プリント基板向け銅箔は半導体産業の成長とともに需要が拡大し、三井金属の新たな収益源として定着していった。1989年には半導体向けTABテープの製造子会社を設立し、電子材料分野への展開をさらに深めた。
自動車部品分野でも1987年に米国でGECOM社を設立して海外生産を開始し、1995年には排ガス浄化触媒の海外生産を本格化させた。2001年には中期経営計画「MAP500」を策定し、電子材料をコア事業と位置づける方針を明確にした。鉱山会社としてのアイデンティティから電子材料メーカーへの転換が、経営計画の上でも公式に宣言された。
第3期: 電子材料メーカーとしての成長(2001〜現在)
事業再編と選択と集中
2000年代に入ると三井金属鉱業は事業ポートフォリオの再編を加速させた。2003年に大井製作所を完全子会社化し、自動車部品のサプライチェーンを強化した。2006年にはペルーでパルカ鉱山の操業を開始する一方、2010年には伸銅事業を住友金属鉱山と統合して経営資源の集中を図った。同年にはペルーのカセロネス鉱山の権益を共同取得するなど、海外資源開発においても選択的な投資を継続した。
しかし2009年3月期にはリーマンショックの影響で最終赤字に転落し、非鉄金属市況の変動が業績に与える影響の大きさが改めて浮き彫りとなった。事業構造として電子材料の比重を高めつつも、金属市況への依存を完全には脱却できない構造が残されていた。
直近の動向と業績回復
2020年代に入ると非鉄金属の国際市況が高騰し、三井金属鉱業の業績は回復基調に転じた。2022年3月期には過去最高益を達成し、閉山後にリサイクル製錬に転換した神岡鉱業も2024年3月期に売上高435億円・営業利益61億円を確保している。同年には三井金属エンジニアリングをTOBにより完全子会社化し、グループ経営の効率化を推進した。
2024年3月期の全社業績は売上高6466億円・当期純利益259億円となっている。銅箔やTABテープに代表される電子材料事業が収益の柱として機能する一方、排ガス浄化触媒や自動車部品も安定的な収益を計上している。資源会社としての出自を持ちながら、電子材料を軸とした事業構造への転換を進めてきた歴史が、現在の多角的な収益基盤を形成している。
神岡鉱山の閉山は、1978年の縮小決定から2001年の採掘中止まで23年を要した。世界有数の亜鉛鉱山としての優位性が却って縮小判断を遅らせ、雇用維持・労使関係・地域経済への配慮が段階的縮小という方針を選択させた。一方、閉山後の神岡鉱業はリサイクル製錬に転換して収益を確保しており、段階的な事業縮小が結果として製錬事業への転換期間を確保した側面もある。鉱山閉鎖の意思決定における構造的な遅延要因を示す事例である。