三井金属の歴史
沿革
1874年に三井組が飛騨の神岡鉱山を明治政府から払い下げられ、鉱山経営に参入したのが起源。
1976年に米Oak-Mitsuiを設立して銅箔へ進み、その極薄銅箔はAIサーバー向けに伸びている。亜鉛・鉛の製錬を国内に残す非鉄金属メーカーで、機能材料と金属の2部門が利益をほぼ占める。
創業期
1874年〜神岡鉱山の経営開始と財閥解体による三井金属鉱業の発足
- 三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得・鉱山経営を開始[1]
- 三井鉱山を設立[1]
- 三井鉱山を設立[1]
- 大牟田亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
- 鈴木商店経営の彦島亜鉛製煉工場を買収[1]
- 昭和鉱業から日比製煉工場・竹原電煉工場を買収[1]
- 日比製煉所から竹原電煉工場を分離し竹原製煉所を設置[1]
- 神岡鉱業として独立[2]
- 東京証券取引所に株式上場
- 目黒に東京研究所を設立[3]
- 商号を三井金属鉱業に変更[1]
- 伸銅事業部・ダイガスト事業部を新設[1]
- 串木野鉱業所を分離し三井串木野鉱山を設立[4]
- 三金機工(現 三井金属エンジニアリング)を設立[1]
- ペルー・ワンサラ鉱山の権益取得
- 三鷹工場を新設[2]
- 八戸製錬を設立[1]
- 日比共同製錬を設立[1]
低迷期
1972年〜イタイイタイ病補償による無配と再建計画の人員削減
- イタイイタイ病賠償受諾
- 三井研削砥石を設立[4]
- Oak-Mitsui, Inc.を設立・銅箔の現地生産を開始
- 神岡鉱山で段階的に規模縮小
- 1978年3月期に経常損失82億円を計上・無配[5]
- 台湾銅箔股份有限公司を設立[4]
- 三井金属箔・三金レアアースを吸収合併・上尾銅箔工場を新設[1]
- 再建計画を策定・大規模な人員削減へ
- 1981年3月期に経常損失43億9,801万円を計上[6]
- 全社事業部制に移行[4]
- 地熱蒸気・熱水の供給事業会社、奥会津地熱を設立[1]
- 三池製錬を設立[4]
- 希望退職者を追加募集
- 神岡鉱業所・彦島製煉所を分離し神岡鉱業・彦島製錬を設立[1]
- GECOM Cori.を設立・自動車部品の海外生産を開始[1]
- Mitsui Copper Foil (Malaysia)を設立[4]
- 半導体向けTABテープの製造子会社を設立[1]
転換期
1990年〜パンパシフィック・カッパー設立とMAP500による電子材料への集中
- 呼称を「三井金属」に統一・新シンボルを導入[4]
- TKR事業部・パーライト事業部を設置[1]
- 亜鉛粉製造拠点Mitsui/ZCA Zinc Powdersを設立[1]
- 排ガス浄化触媒の海外生産を本格化[1]
- 銅箔の加工物流拠点、三井銅箔(香港)を設立[1]
- Mitsui Components Europeを設立[4]
- 本社を移転[1]
- ターゲット材製造拠点、台湾特格股份有限公司を設立[1]
- 日鉱金属と共同でパンパシフィック・カッパーを設立[7]
- 神岡鉱山を止め電子材料へ
- 銅箔の加工物流拠点、三井銅箔(広東)を設立[1]
- 住友金属鉱山と共同出資でエム・エスジンクを設立[4]
- 台湾微電股份有限公司を設立[4]
- 自動車部品製造拠点、広東三井汽車配件を設立[1]
- 大井製作所を完全子会社化[1]
- Mitsui Kinzoku Components Indiaを設立[4]
- 三井金属韓国を設立[4]
- 中国商社、三井金属貿易(上海)を設立[1]
- ペルー・パルカ鉱山を操業開始[1]
- コーポレート機能拠点、三井金属(上海)企業管理を設立[1]
2009年〜カセロネス銅鉱山の権益取得と三井金属への改称
- 最終赤字に転落
- チリのカセロネス鉱山の権益を共同取得・PPCを共同設立
- 伸銅事業を住友金属鉱山と統合[1]
- 三井金属アクトを設立(自動車機器事業統合)[7]
- 自動車部品の販売拠点、Automotive Components Technology Indiaを設立[1]
- 排ガス浄化触媒の製造・販売拠点、PT.Mitsui Kinzoku Catalysts Jakartaを設立[1]
- 排ガス浄化触媒の製造・販売拠点、Mitsui Kinzoku Catalysts (Thailand)を設立[1]
- ダイカスト事業を分離・三井金属ダイカストを設立[7]
- チリ・カセロネス銅鉱山が本格操業開始[7]
- 三井華陽汽車配件の経営権を譲渡[1]
- 北米の市場調査拠点、Mitsui Kinzoku USAを設立[1]
- 電気銅等の製錬・精製受託会社、日比製煉を設立[1]
- チリ・カセロネス銅鉱山の権益を譲渡[1]
- 三井金属エンジニアリングをTOBにより完全子会社化[1]
- 過去最高益を達成
- パーライト事業を分離し三井金属パーライトを設立[1]
- 三井金属ダイカストが神岡部品工業を吸収合併[1]
- 日本イットリウムを完全子会社化[1]
- 日本結晶光学の全株式を譲渡[1]
- ヒデショウの株主提案を定時株主総会で否決[8]
- 政策保有株式の売却益を計上[8]
- 池信省爾氏が代表取締役副社長に就任[8]
- 三井金属アクトの全株式譲渡を決定[8]
- ヒデショウの株主提案を定時株主総会で否決[8]
- 商号を三井金属に変更[9]
- 納武士氏が社長を退任[8]
- ヒデショウの株主提案を定時株主総会で否決[8]