三井金属鉱業 の歴史

創業

1892年

創業者

※三井財閥

創業地

東京都

直近売上高(2026/3)

7,585億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1874年に三井組は神岡鉱山から非鉄金属の一貫体制を築いたのか
A 1874年に三井組が神岡鉱山の払い下げを受けたのは、明治政府の殖産興業政策のもとで官需と財閥の販路を後ろ盾に、国内最大の亜鉛を産出する鉱山を財閥鉱業部門の収益の柱に据えるためである。神岡で採掘した亜鉛精鉱を、1913年に新設した大牟田の製錬工場で電気亜鉛地金まで仕上げる垂直統合を築いた。この川上から川中までを社内で握る一貫体制が、戦後の財閥解体で1950年に分離発足した三井金属鉱業へそのまま受け継がれた
Q なぜ1981年からの23年で神岡鉱山を畳みながら銅箔とTABを次の主力に育てたのか
A 1981年からの再建計画で神岡を23年かけて畳むと決めた一方、同じ期間に銅箔とTABを次の主力に育てたのは、イタイイタイ病補償と円高で神岡の国際競争力が失われ、鉱山事業だけでは会社を支えられなくなったからである。1976年に米Oak-Mitsuiを設立してプリント基板向け銅箔へ進出し、1989年には半導体向けTABテープの製造子会社を設けた。鉱山で磨いた金属の純度管理と表面処理の技術が、半導体基板の品質要求にそのまま通じた。撤退と新規育成を並行で進め、技術資産を先端材料へ移した。
Q なぜ2025年度に特別損失190億円を計上してまで自動車部品の三井金属アクトを手放したのか
A 2025年度に特別損失190億円を計上してまで三井金属アクトを手放したのは、自動車のEVシフトでドアラッチやヒンジの部品事業の先行きが細り、限られた経営資源を成長余地の大きい機能材料へ集めるためである。アクトは電子材料・触媒と並ぶ事業だったが、ROICが低く資産効率を押し下げていた。2025年度に始めた25中計では機能材料セグメントを成長の中心に据え、開発と設備投資をそこへ集中させた。神岡を畳んで以来の選択と集中が、自動車部品の切り離しにまで及んでいる。

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

1874年〜 三井財閥の鉱山事業と神岡鉱山を核とし非鉄一貫体制の形成

  1. 1874年三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得・鉱山経営を開始
  2. 1892年三井鉱山合資会社を設立
  3. 1913年大牟田亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
  4. 1928年鈴木商店経営の彦島亜鉛製煉工場を買収
  5. 1943年昭和鉱業から日比製煉工場・竹原電煉工場を買収
  6. 1950年財閥解体により神岡鉱業(三井金属鉱業)を発足
  7. 1968年日比共同製錬株式会社を設立

三井金属鉱業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

神岡払い下げから一貫製錬へ至る構造化

神岡鉱山は西暦708年の和銅年間に開坑して銅を産出したと伝えられ、奈良・平安から戦国・江戸の各時代を通じて金・銀・銅・鉛が掘り継がれてきた古い鉱山で、三井金属鉱業はみずからの源流をこの長い採掘の歴史にさかのぼって位置づけてきた。1874年に三井組は神岡鉱山の蛇腹平坑を明治政府から払い下げを受け、非鉄金属の鉱山経営に参入した。神岡鉱山は国内最大の亜鉛産出量を誇り、カナダのサリバン、オーストラリアのブロークンヒルと並ぶ世界的な鉛・亜鉛鉱山として三井財閥の鉱業部門を支える収益の柱となった。1892年には三井鉱山合資会社を設立して鉱山と炭鉱を一体運営する体制を整え、1913年には大牟田に亜鉛製錬工場を新設し、神岡で採掘した亜鉛精鉱を社内製錬所で電気亜鉛地金まで仕上げる垂直統合型の生産体制を築いた。この川上から川中の一貫モデルは、後年に継承される事業モデルの原型となった。 [1][2][3][4][5]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
    • [1]神岡鉱山は西暦708年和銅年間に開坑・銅を産出したと伝えられ、三井金属鉱業はその源流をここにさかのぼると位置づけている
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1874年(明治7年)三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を明治政府から払い下げ・鉱山経営に参入
    • [4]1892年6月 三井鉱山合資会社を設立(鉱山・炭鉱の一体運営)
    • [5]1913年8月 大牟田に亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
  • 新日本経済(1956年6月)「神岡鉱山・世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」
    • [3]神岡鉱山は国内最大級の亜鉛産出鉱山で、カナダのサリバン・オーストラリアのブロークンヒルと並ぶ世界的な鉛・亜鉛鉱山とされた

戦後の財閥解体の過程を経て、三井鉱山の金属部門は1950年5月1日に企業再建整備法によって神岡鉱業として独立し、戦後再編史の節目を迎えた。発足当初は財閥商号の使用が許されず「神岡鉱業」の商号を用いて資本金6億円で出発し、同年には東京証券取引所への上場を実現して独立企業としての歩みを開始した。翌1951年10月には資本金を12億円へ増資し、同年12月には東京研究所を設置するなどして体制を整備強化し、1952年12月に商号を三井金属鉱業へと変更した。三井財閥の一員として蓄積されてきた鉱山経営と製錬技術の高度なノウハウは、独立後の事業拡大の基礎として継承され、戦後復興期の旺盛な非鉄金属需要に応える生産体制が整えられた。資源素材産業の再編が進む戦後の日本経済の中で、三井金属鉱業は神岡鉱山という強みを武器に独立後も業界内で存在感を高めていく道筋を辿った。 [6][7][8][9][10]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
    • [6]1950年5月1日 企業再建整備法により三井鉱山の金属部門が神岡鉱業として独立発足(資本金6億円)
    • [7]発足当初は財閥商号が使えず「神岡鉱業」の商号を用い、資本金6億円で出発
    • [9]1951年10月 資本金を12億円に増資、同年12月 東京研究所を設置
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1950年10月 東京証券取引所に株式上場(発足と同年)
    • [10]1952年12月 商号を三井金属鉱業株式会社に変更
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
    • [1]神岡鉱山は西暦708年和銅年間に開坑・銅を産出したと伝えられ、三井金属鉱業はその源流をここにさかのぼると位置づけている
    • [6]1950年5月1日 企業再建整備法により三井鉱山の金属部門が神岡鉱業として独立発足(資本金6億円)
    • [7]発足当初は財閥商号が使えず「神岡鉱業」の商号を用い、資本金6億円で出発
    • [9]1951年10月 資本金を12億円に増資、同年12月 東京研究所を設置
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1874年(明治7年)三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を明治政府から払い下げ・鉱山経営に参入
    • [4]1892年6月 三井鉱山合資会社を設立(鉱山・炭鉱の一体運営)
    • [5]1913年8月 大牟田に亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
    • [8]1950年10月 東京証券取引所に株式上場(発足と同年)
    • [10]1952年12月 商号を三井金属鉱業株式会社に変更
  • 新日本経済(1956年6月)「神岡鉱山・世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」
    • [3]神岡鉱山は国内最大級の亜鉛産出鉱山で、カナダのサリバン・オーストラリアのブロークンヒルと並ぶ世界的な鉛・亜鉛鉱山とされた

海外資源と公害問題が並存する成長の矛盾

独立後の三井金属鉱業はまず直轄事業所の拡充に注力し、1953年6月の神岡鉱業所金木戸発電所完成を皮切りに、1954年1月の三池製煉所竪型蒸留亜鉛工場第一期工事、1956年6月の日比製煉所転炉脆瓦斯回収工事、1957年6月の神岡工業所フローソリッド炉と、製錬設備を相次いで近代化した。1960年代には多角化を加速し、1962年には伸銅事業部とダイカスト事業部を新設して川下加工に踏み出し、同年4月に王子金属・昭和ダイカストの両社を吸収合併した。1964年にはペルーのワンサラ鉱山の権益を取得して海外資源開発に参入し、1965年6月に三鷹工場を新設、1967年には八戸製錬を設立して亜鉛製錬を神岡・彦島・八戸の三拠点体制へ拡張した。資本金も1954年11月の24億円から1958年6月に48億円、1962年5月に72億円、1965年2月には108億円へと増え、神岡を核に製錬から加工への垂直統合を深めた。 [11][12][13][14][15][16][17]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
    • [11]1953年6月 金木戸発電所完成、1954年1月 三池製煉所竪型蒸留亜鉛工場第一期、1956年6月 日比製煉所転炉脆瓦斯回収、1957年6月 神岡工業所フローソリッド炉と製錬設備を近代化
    • [13]1962年4月 王子金属・昭和ダイカストの両社を吸収合併
    • [15]1965年6月 三鷹工場を新設
    • [17]資本金は1954年11月24億円→1958年6月48億円→1962年5月72億円→1965年2月108億円と増加
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1962年4月 伸銅事業部・ダイカスト事業部を新設
    • [14]1964年8月 ペルー・ワンサラ鉱山の権益を取得
    • [16]1967年2月 八戸製錬株式会社を設立(亜鉛製錬の拠点拡張)

一方で1972年にはイタイイタイ病の補償問題が表面化し、三井金属鉱業は無配転落という経営状況に追い込まれ、公害対策と経営再建を同時に進める難題に直面した。神岡鉱山からの排水に含まれていたカドミウムが富山県の神通川流域で長年発生していた健康被害の原因とされ、三井金属は被害者への補償に応じるという重い決断を下した。公害問題は同社の社会的信用に深い傷を残し、以降の経営判断でも環境対策が重要な制約条件として常に意識されるようになり、基幹事業である神岡鉱山の将来計画を左右する深刻な構造要素として長く経営陣の念頭に残り続けた。戦後高度成長の負の側面として記憶された公害問題は、資源企業としての三井金属の経営哲学にも深い影響を及ぼした。 [18][19]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1972年 イタイイタイ病補償が発生し無配転落
    • [19]神岡鉱山排水のカドミウムが神通川流域のイタイイタイ病の原因とされ補償に応じた

1972年のイタイイタイ病補償は、同じ年に進行した円高局面と重なって神岡鉱山の国際競争力低下を顕在化させ、長らく収益の柱であった鉱山事業が構造的な課題に直面する転換点となった。三井財閥の鉱業事業として1874年以来積み上げられてきた神岡の長年の隆盛は、環境規制の強化と為替変動という外部環境の変化で不可逆的な縮小局面へ入り、非鉄一貫体制という事業モデルの抜本的な見直しが経営陣に突きつけられる時代の到来を強く予感させる象徴的な出来事となった。経営陣は戦後の三井金属を支えてきた事業構造の持続可能性について初めて根本的な疑問を突きつけられ、以後の事業転換の必要性の議論が始まる契機となった。 [20][21]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1972年 イタイイタイ病補償(同年は円高局面と重なる)
    • [21]三井財閥の鉱業事業として1874年以来の神岡の歴史
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
    • [11]1953年6月 金木戸発電所完成、1954年1月 三池製煉所竪型蒸留亜鉛工場第一期、1956年6月 日比製煉所転炉脆瓦斯回収、1957年6月 神岡工業所フローソリッド炉と製錬設備を近代化
    • [13]1962年4月 王子金属・昭和ダイカストの両社を吸収合併
    • [15]1965年6月 三鷹工場を新設
    • [17]資本金は1954年11月24億円→1958年6月48億円→1962年5月72億円→1965年2月108億円と増加
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1962年4月 伸銅事業部・ダイカスト事業部を新設
    • [14]1964年8月 ペルー・ワンサラ鉱山の権益を取得
    • [16]1967年2月 八戸製錬株式会社を設立(亜鉛製錬の拠点拡張)
    • [18]1972年 イタイイタイ病補償が発生し無配転落
    • [19]神岡鉱山排水のカドミウムが神通川流域のイタイイタイ病の原因とされ補償に応じた
    • [20]1972年 イタイイタイ病補償(同年は円高局面と重なる)
    • [21]三井財閥の鉱業事業として1874年以来の神岡の歴史

1972年〜 神岡鉱山の段階的縮小と電子材料への事業転換

  1. 1972年イタイイタイ病補償が発生・無配転落
  2. 1976年米Oak-Mitsui, Inc.を設立・銅箔の現地生産を開始
  3. 1978年神岡鉱山で段階的に規模縮小
  4. 1980年三井金属箔および三金レアアースを吸収合併・上尾銅箔工場を設置
  5. 1990年TKR事業部・パーライト事業部を設置
  6. 2000年日鉱金属と共同でパンパシフィック・カッパーを設立
  7. 2001年3カ年の中計「MAP500」を策定・電子材料をコア事業と定義

三井金属鉱業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

円高23年が鉱山閉山へと収斂する帰結

1971年のニクソンショックによる円高の進行は国内鉱山の国際競争力を低下させる要因となり、三井金属も例外ではなかった。同社は世界有数の亜鉛産出量を記録する神岡鉱山を擁していたため、他の国内同業他社よりも数年遅れて縮小判断に至るかたちで対応が後手に回る局面が長く続いた。1978年には一時帰休を実施して規模縮小を開始し、1981年には再建計画を策定して人員削減に踏み切る経営判断が下された。1985年のプラザ合意で円高が進行すると経営状況は一段と悪化し、1986年には希望退職者の追加募集を行う形で人的リストラの規模が拡大した。この時期の縮小局面は神岡鉱山を抱える三井金属鉱業にとって創業以来の重大な経営危機であり、会社の進路を問い直す試練として社内に記憶された。 [22][23][24]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1978年 神岡鉱山で一時帰休を実施・規模縮小を開始
    • [23]1981年 再建計画を策定し人員削減に着手
    • [24]1986年 希望退職者の追加募集を実施

同年には神岡鉱山を完全子会社の神岡鉱業として分離する組織再編が実施され、鉱山事業を本体から切り離すことで機動的な縮小判断を可能にする経営体制が整えられた。以降も1994年には鉱石からの鉛精錬を中止し、1995年には人員の2割削減を柱とする神岡再建計画を策定するなど、縮小の歩みが途切れることなく続けられた。そして2001年6月には鉱石の採掘それを中止し、1874年の三井組による払い下げから約130年にわたる神岡鉱山での連続的な鉱石採掘の長い歴史についに区切りがつけられることとなった。この決定は単なる一鉱山の閉山にとどまらず、三井金属鉱業という会社の事業基盤が組み替わる過程の節目として位置づく転換点であった。 [25][26][27][28]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1986年 神岡鉱山を完全子会社・神岡鉱業として分離
    • [26]1994年 神岡鉱業で鉱石からの鉛製錬を中止
    • [27]1995年 人員約2割削減を柱とする神岡再建計画を策定
    • [28]2001年 神岡鉱山での鉱石採掘を中止(1874年以来約130年の採掘の歴史に区切り)

神岡鉱山の縮小は単なる一事業所の閉鎖ではなく、三井金属鉱業という会社の事業構造の根本的な組み替えを意味する歴史的な節目であり、資源会社としてのアイデンティティから事業モデルへの移行を不可避の経営課題として突き付ける契機となった。23年という長い時間軸で人員削減・坑道閉鎖・地域対応を順次実行した経験は、後年の経営判断の構造改革の実行手法としても社内に蓄積され、慎重さと粘り強さを特徴とする三井金属鉱業の経営スタイルを形成する重要な経験となった。視点で事業の撤退と新規事業の立ち上げを並行的に進める経営哲学は、この23年の縮小局面を通じて組織の遺伝子として定着し、以後の経営改革の意思決定の基礎として繰り返し参照された。 [29]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [29]神岡鉱山の縮小は23年に及ぶ長期の構造改革であった(1978年縮小開始~2001年採掘中止)
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1978年 神岡鉱山で一時帰休を実施・規模縮小を開始
    • [23]1981年 再建計画を策定し人員削減に着手
    • [24]1986年 希望退職者の追加募集を実施
    • [25]1986年 神岡鉱山を完全子会社・神岡鉱業として分離
    • [26]1994年 神岡鉱業で鉱石からの鉛製錬を中止
    • [27]1995年 人員約2割削減を柱とする神岡再建計画を策定
    • [28]2001年 神岡鉱山での鉱石採掘を中止(1874年以来約130年の採掘の歴史に区切り)
    • [29]神岡鉱山の縮小は23年に及ぶ長期の構造改革であった(1978年縮小開始~2001年採掘中止)

銅箔とTABが次の収益の柱となる転換

鉱山縮小と並行して三井金属鉱業は新規事業の開拓を戦略的に進め、1976年には米国でOak-Mitsui社を設立してプリント基板向け銅箔の現地生産を開始することで電子材料分野へ初めて進出した。1980年には三井金属箔を吸収合併する形で上尾銅箔工場を設置し、国内での銅箔生産体制を整備した。半導体産業の成長と並行して銅箔需要は右肩上がりに拡大し、プリント基板の微細化要求に精密に対応した高品質な銅箔が三井金属の新たな収益源として定着していく中で、鉱山時代に培った金属加工技術が新分野でも通用するとの確信が社内に広く生まれた。電子材料分野への進出はその後の会社の命運を左右する戦略となった。 [30][31]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1976年2月 米Oak-Mitsui社を設立しプリント基板向け銅箔の現地生産を開始(電子材料分野へ進出)
    • [31]1980年 三井金属箔を吸収合併し上尾銅箔工場を設置

1989年には半導体向けTABテープ(テープオートメーテッドボンディング)の製造子会社を設立し、電子材料分野への事業展開を深化させる動きを加速させた。TABテープは半導体パッケージングの高密度化に不可欠な機能部材として需要を伸ばし、銅箔と並ぶ電子材料事業の柱に成長した。鉱山経営で長年培われてきた金属の純度管理や表面処理技術が電子材料の品質要求と高い親和性を示し、資源会社としての技術資産が新分野への展開に有効に転用されていく好循環が社内で生まれることとなり、経営陣も電子材料への経営資源の集中を決断する根拠を得た。こうした技術的な連続性が事業転換の実現可能性を担保する重要な前提となった。 [32]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [32]1989年 半導体向けTABテープの製造子会社を設立

自動車部品分野でも1987年に米国でGECOM社を設立して現地生産を開始し、1995年には排ガス浄化触媒の海外生産を本格化させることで、電子材料と並ぶ第二の事業の柱として育成が進められた。2001年には中期経営計画「MAP500」を策定し、電子材料をコア事業に据える方針を社内外に宣言する形で、資源会社としての伝統的な自己定義から電子材料メーカーへの転換が経営計画上でも公式に確立されることとなった。この一連の戦略転換が後年の業績回復と成長局面への布石となり、長年の鉱山縮小と同時並行で進められた新規事業の育成が資源素材企業における事業転換の成功事例として日本の産業史に残る注目すべき事例へと変貌していく礎が築かれた。 [33][34][35]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1987年 米GECOM社を設立し自動車部品の海外生産を開始
    • [34]1995年 排ガス浄化触媒の海外生産を本格化
    • [35]2001年 中期経営計画「MAP500」を策定し電子材料をコア事業に定義
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1976年2月 米Oak-Mitsui社を設立しプリント基板向け銅箔の現地生産を開始(電子材料分野へ進出)
    • [31]1980年 三井金属箔を吸収合併し上尾銅箔工場を設置
    • [32]1989年 半導体向けTABテープの製造子会社を設立
    • [33]1987年 米GECOM社を設立し自動車部品の海外生産を開始
    • [34]1995年 排ガス浄化触媒の海外生産を本格化
    • [35]2001年 中期経営計画「MAP500」を策定し電子材料をコア事業に定義

2002年〜 電子材料メーカーへの変貌とリーマンショック後の地力回復

  1. 2003年大井製作所を完全子会社化
  2. 2006年ペルー・パルカ鉱山を操業開始
  3. 2009年最終赤字に転落
  4. 2010年三井金属アクトを設立(自動車機器事業統合)
  5. 2014年チリ・カセロネス銅鉱山が本格操業開始
  6. 2014年ダイカスト事業を分離・三井金属ダイカストを設立
  7. 2021年チリ・カセロネス銅鉱山の権益を譲渡

三井金属鉱業の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

市況依存と電子材料が交錯する二層構造

2000年代に入ると三井金属鉱業は事業ポートフォリオの再編を加速させ、2003年には大井製作所を完全子会社化して自動車部品事業のサプライチェーンを強化する動きを進めた。2006年にはペルーでパルカ鉱山の操業を開始する一方、2010年には伸銅事業を住友金属鉱山と統合ことで経営資源の選択と集中の方針を公表した。同年にはチリのカセロネス鉱山の権益を共同で取得するなど、海外資源開発でも選択的な投資戦略を継続し、資源事業の残存部分についても収益性を重視した運営が貫かれた。選択と集中の方針は経営企画部門を中心に精緻化され、国内外の事業ポートフォリオの最適配分を追求する動きが2000年代を通じて持続的に実行されることとなり、資源と電子材料のバランスを取りながらの経営が定着した。 [36][37][38][39]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [36]2003年 大井製作所を完全子会社化(自動車部品事業の強化)
    • [37]2006年 ペルー・パルカ鉱山の操業開始
    • [38]2010年 伸銅事業を住友金属鉱山と統合
    • [39]2010年 チリ・カセロネス鉱山の権益を共同取得(Caserones鉱山はチリ・アタカマ州所在)

しかし2009年3月期にはリーマンショックの影響を受けて最終赤字へと転落し、非鉄金属市況の変動が業績に与える影響の大きさが浮き彫りになる厳しい局面を経験した。事業構造として電子材料の比重を高めつつも、金属市況への構造的な依存を脱却することはできない二層構造が社内に残されていたのであり、この課題はその後も2010年代を通じて経営陣が意識し続ける長期的な論点として残存した。市況の振幅に対する耐性を高めるためのポートフォリオ再編は進められたが、金属事業の規模が大きい同社にとって完全な脱却は容易なことではなく、複数の戦略オプションの検討が長く続けられた。この試行錯誤の経験が後年の銅箔事業への集中投資につながった。

2010年代後半には銅箔事業の構造的な強みが顕在化し、プリント基板の微細化要求の高まりと高周波対応の需要拡大を背景として、MicroThinやVSPといった高付加価値品の需要が堅調に推移した。電子材料事業の収益貢献度が年々高まる中で、三井金属は資源企業としての性格から先端材料メーカーとしての性格へと比重を移し、市況変動の影響を緩和できる事業構造を獲得した。この時期の電子材料事業の着実で堅実な積み上げが、後年のAIサーバー需要による爆発的な業績拡大を可能にする土壌を形成し、2020年代後半の事業の飛躍の前提条件となった。経営陣が鉱山縮小以来取り組んできた電子材料への集中戦略は、実を結ぶ状況となった。 [40]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【事業の内容】
    • [40]MicroThin・VSP は高付加価値の銅箔製品ブランド(電子材料)
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [36]2003年 大井製作所を完全子会社化(自動車部品事業の強化)
    • [37]2006年 ペルー・パルカ鉱山の操業開始
    • [38]2010年 伸銅事業を住友金属鉱山と統合
    • [39]2010年 チリ・カセロネス鉱山の権益を共同取得(Caserones鉱山はチリ・アタカマ州所在)
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【事業の内容】
    • [40]MicroThin・VSP は高付加価値の銅箔製品ブランド(電子材料)

触媒と自動車部品が収益の第三の柱となる布陣

排ガス浄化触媒事業は2015年前後から白金・パラジウムなどPGM金属の価格変動リスクを抱えながらも、自動車業界の環境規制の強化を追い風として安定した需要を確保し続ける事業となった。三井金属鉱業は触媒メーカーとしての地位を確立し、日本・欧州・北米・インドといった主要市場で現地生産体制を整備する形で国際競争力を維持し続けた。二輪車向けの触媒についてはインド市場での堅調な販売が長く続き、GST減税に伴う個人消費の盛り上がりなど新興国需要の底堅さが同事業の収益基盤を支えていくこととなった。排ガス規制の強化を事業機会として捉え、世界各地で触媒事業を育ててきた三井金属の国際展開は、電子材料と並ぶ二本目の海外事業の柱として重要な役割を果たした。 [41]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【事業の内容】
    • [41]排ガス浄化触媒事業は白金・パラジウム(PGM)の価格変動リスクを抱える

自動車部品分野でもGECOMを中心とした米国での生産拠点が長年安定的に稼働し、ドアラッチやヒンジの機構部品を世界各地の日系・非日系自動車メーカーへと供給する事業モデルが確立された。三井金属鉱業の自動車部品事業は電子材料・触媒と並ぶ第三の収益源として2010年代を通じて成長し、銅箔の需要変動を補完する事業ポートフォリオ上の重要な役割を果たした。もっとも自動車産業のEVシフトや市場構造の変化は同事業にも深刻な影響を及ぼし、2020年代には一部事業の見直しと構造改革が進められる契機となった。三井金属アクトの株式譲渡などはこの流れの中で位置づく動きであり、自動車関連事業の選択と集中が経営課題として再び前面化した。 [42][43]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【事業の内容】
    • [42]GECOM を中核に米国でドアラッチ・ヒンジ等の機構部品を供給する自動車部品事業
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [43]三井金属アクトの株式譲渡など自動車関連事業の選択と集中が進行

2022年3月期には非鉄金属の国際市況の急速な高騰を背景として三井金属鉱業は過去最高益を達成し、閉山後にリサイクル製錬に転換した神岡鉱業も2024年3月期に売上高435億円と営業利益61億円を計上する堅調な業績を示した。並行して三井金属エンジニアリングをTOBで完全子会社化するなど、グループ経営の効率化を推進する動きも並行して進められ、2024年3月期の全社業績は売上高6,466億円・当期純利益259億円という水準にまで回復した。資源会社としての出自を持ちながら電子材料を軸とする事業構造への転換を長年進めてきた歴史が、現在の多角的で強い収益基盤を形成するに至っており、創業から150年を経ても事業の自己変革を継続中である。 [44]

  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [44]三井金属エンジニアリングをTOBで完全子会社化
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【事業の内容】
    • [41]排ガス浄化触媒事業は白金・パラジウム(PGM)の価格変動リスクを抱える
    • [42]GECOM を中核に米国でドアラッチ・ヒンジ等の機構部品を供給する自動車部品事業
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
    • [43]三井金属アクトの株式譲渡など自動車関連事業の選択と集中が進行
    • [44]三井金属エンジニアリングをTOBで完全子会社化

三井金属鉱業の沿革1874〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得・鉱山経営を開始★★★
三井鉱山合資会社を設立★★
大牟田亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
鈴木商店経営の彦島亜鉛製煉工場を買収★★
昭和鉱業から日比製煉工場・竹原電煉工場を買収★★
財閥解体により神岡鉱業(三井金属鉱業)を発足★★★
東京証券取引所に株式上場
商号を三井金属鉱業株式会社に変更
伸銅事業部・ダイガスト事業部を新設
ペルー・ワンサラ鉱山の権益取得
八戸製錬株式会社を設立
日比共同製錬株式会社を設立★★
イタイイタイ病補償が発生・無配転落★★★
米Oak-Mitsui, Inc.を設立・銅箔の現地生産を開始
神岡鉱山で段階的に規模縮小★★★
三井金属箔および三金レアアースを吸収合併・上尾銅箔工場を設置
再建計画を策定・大規模な人員削減へ
希望退職者を追加募集
米GECOM Cori.を設立・自動車部品の海外生産を開始
半導体向けTABテープの製造子会社を設立
TKR事業部・パーライト事業部を設置★★
排ガス浄化触媒の海外生産を本格化
本社を東京都品川区大崎に移転
日鉱金属と共同でパンパシフィック・カッパーを設立★★★
3カ年の中計「MAP500」を策定・電子材料をコア事業と定義★★★
槇原紘大井製作所を完全子会社化
竹林義彦ペルー・パルカ鉱山を操業開始
仙田貞雄最終赤字に転落
仙田貞雄チリのカセロネス鉱山の権益を共同取得・PPCを共同設立
仙田貞雄伸銅事業を住友金属鉱山と統合
仙田貞雄三井金属アクトを設立(自動車機器事業統合)★★
仙田貞雄ダイカスト事業を分離・三井金属ダイカストを設立★★
仙田貞雄チリ・カセロネス銅鉱山が本格操業開始★★★
納武士チリ・カセロネス銅鉱山の権益を譲渡★★★
納武士三井金属エンジニアリングをTOBにより完全子会社化
納武士過去最高益を達成
納武士東京証券取引所プライム市場へ移行
納武士日本イットリウム株式会社を完全子会社化★★
出典・参考
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
  • 新日本経済(1956年6月)「神岡鉱山・世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」
  • 三井金属鉱業 有価証券報告書【事業の内容】

免責事項およびポリシー