1874年〜 三井財閥の鉱山事業と神岡鉱山を核とし非鉄一貫体制の形成
- 1874年三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得・鉱山経営を開始
- 1892年三井鉱山合資会社を設立
- 1913年大牟田亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
- 1928年鈴木商店経営の彦島亜鉛製煉工場を買収
- 1943年昭和鉱業から日比製煉工場・竹原電煉工場を買収
- 1950年財閥解体により神岡鉱業(三井金属鉱業)を発足
- 1968年日比共同製錬株式会社を設立
三井金属鉱業の業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
神岡払い下げから一貫製錬へ至る構造化
神岡鉱山は西暦708年の和銅年間に開坑して銅を産出したと伝えられ、奈良・平安から戦国・江戸の各時代を通じて金・銀・銅・鉛が掘り継がれてきた古い鉱山で、三井金属鉱業はみずからの源流をこの長い採掘の歴史にさかのぼって位置づけてきた。1874年に三井組は神岡鉱山の蛇腹平坑を明治政府から払い下げを受け、非鉄金属の鉱山経営に参入した。神岡鉱山は国内最大の亜鉛産出量を誇り、カナダのサリバン、オーストラリアのブロークンヒルと並ぶ世界的な鉛・亜鉛鉱山として三井財閥の鉱業部門を支える収益の柱となった。1892年には三井鉱山合資会社を設立して鉱山と炭鉱を一体運営する体制を整え、1913年には大牟田に亜鉛製錬工場を新設し、神岡で採掘した亜鉛精鉱を社内製錬所で電気亜鉛地金まで仕上げる垂直統合型の生産体制を築いた。この川上から川中の一貫モデルは、後年に継承される事業モデルの原型となった。 [1][2][3][4][5]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
- [1]神岡鉱山は西暦708年和銅年間に開坑・銅を産出したと伝えられ、三井金属鉱業はその源流をここにさかのぼると位置づけている
- 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
- [2]1874年(明治7年)三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を明治政府から払い下げ・鉱山経営に参入
- [4]1892年6月 三井鉱山合資会社を設立(鉱山・炭鉱の一体運営)
- [5]1913年8月 大牟田に亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
- 新日本経済(1956年6月)「神岡鉱山・世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」
- [3]神岡鉱山は国内最大級の亜鉛産出鉱山で、カナダのサリバン・オーストラリアのブロークンヒルと並ぶ世界的な鉛・亜鉛鉱山とされた
戦後の財閥解体の過程を経て、三井鉱山の金属部門は1950年5月1日に企業再建整備法によって神岡鉱業として独立し、戦後再編史の節目を迎えた。発足当初は財閥商号の使用が許されず「神岡鉱業」の商号を用いて資本金6億円で出発し、同年には東京証券取引所への上場を実現して独立企業としての歩みを開始した。翌1951年10月には資本金を12億円へ増資し、同年12月には東京研究所を設置するなどして体制を整備強化し、1952年12月に商号を三井金属鉱業へと変更した。三井財閥の一員として蓄積されてきた鉱山経営と製錬技術の高度なノウハウは、独立後の事業拡大の基礎として継承され、戦後復興期の旺盛な非鉄金属需要に応える生産体制が整えられた。資源素材産業の再編が進む戦後の日本経済の中で、三井金属鉱業は神岡鉱山という強みを武器に独立後も業界内で存在感を高めていく道筋を辿った。 [6][7][8][9][10]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
- [6]1950年5月1日 企業再建整備法により三井鉱山の金属部門が神岡鉱業として独立発足(資本金6億円)
- [7]発足当初は財閥商号が使えず「神岡鉱業」の商号を用い、資本金6億円で出発
- [9]1951年10月 資本金を12億円に増資、同年12月 東京研究所を設置
- 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
- [8]1950年10月 東京証券取引所に株式上場(発足と同年)
- [10]1952年12月 商号を三井金属鉱業株式会社に変更
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
- [1]神岡鉱山は西暦708年和銅年間に開坑・銅を産出したと伝えられ、三井金属鉱業はその源流をここにさかのぼると位置づけている
- [6]1950年5月1日 企業再建整備法により三井鉱山の金属部門が神岡鉱業として独立発足(資本金6億円)
- [7]発足当初は財閥商号が使えず「神岡鉱業」の商号を用い、資本金6億円で出発
- [9]1951年10月 資本金を12億円に増資、同年12月 東京研究所を設置
- 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
- [2]1874年(明治7年)三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を明治政府から払い下げ・鉱山経営に参入
- [4]1892年6月 三井鉱山合資会社を設立(鉱山・炭鉱の一体運営)
- [5]1913年8月 大牟田に亜鉛製錬工場を新設・製錬に参入
- [8]1950年10月 東京証券取引所に株式上場(発足と同年)
- [10]1952年12月 商号を三井金属鉱業株式会社に変更
- 新日本経済(1956年6月)「神岡鉱山・世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」
- [3]神岡鉱山は国内最大級の亜鉛産出鉱山で、カナダのサリバン・オーストラリアのブロークンヒルと並ぶ世界的な鉛・亜鉛鉱山とされた
海外資源と公害問題が並存する成長の矛盾
独立後の三井金属鉱業はまず直轄事業所の拡充に注力し、1953年6月の神岡鉱業所金木戸発電所完成を皮切りに、1954年1月の三池製煉所竪型蒸留亜鉛工場第一期工事、1956年6月の日比製煉所転炉脆瓦斯回収工事、1957年6月の神岡工業所フローソリッド炉と、製錬設備を相次いで近代化した。1960年代には多角化を加速し、1962年には伸銅事業部とダイカスト事業部を新設して川下加工に踏み出し、同年4月に王子金属・昭和ダイカストの両社を吸収合併した。1964年にはペルーのワンサラ鉱山の権益を取得して海外資源開発に参入し、1965年6月に三鷹工場を新設、1967年には八戸製錬を設立して亜鉛製錬を神岡・彦島・八戸の三拠点体制へ拡張した。資本金も1954年11月の24億円から1958年6月に48億円、1962年5月に72億円、1965年2月には108億円へと増え、神岡を核に製錬から加工への垂直統合を深めた。 [11][12][13][14][15][16][17]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
- [11]1953年6月 金木戸発電所完成、1954年1月 三池製煉所竪型蒸留亜鉛工場第一期、1956年6月 日比製煉所転炉脆瓦斯回収、1957年6月 神岡工業所フローソリッド炉と製錬設備を近代化
- [13]1962年4月 王子金属・昭和ダイカストの両社を吸収合併
- [15]1965年6月 三鷹工場を新設
- [17]資本金は1954年11月24億円→1958年6月48億円→1962年5月72億円→1965年2月108億円と増加
- 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
- [12]1962年4月 伸銅事業部・ダイカスト事業部を新設
- [14]1964年8月 ペルー・ワンサラ鉱山の権益を取得
- [16]1967年2月 八戸製錬株式会社を設立(亜鉛製錬の拠点拡張)
一方で1972年にはイタイイタイ病の補償問題が表面化し、三井金属鉱業は無配転落という経営状況に追い込まれ、公害対策と経営再建を同時に進める難題に直面した。神岡鉱山からの排水に含まれていたカドミウムが富山県の神通川流域で長年発生していた健康被害の原因とされ、三井金属は被害者への補償に応じるという重い決断を下した。公害問題は同社の社会的信用に深い傷を残し、以降の経営判断でも環境対策が重要な制約条件として常に意識されるようになり、基幹事業である神岡鉱山の将来計画を左右する深刻な構造要素として長く経営陣の念頭に残り続けた。戦後高度成長の負の側面として記憶された公害問題は、資源企業としての三井金属の経営哲学にも深い影響を及ぼした。 [18][19]
- 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
- [18]1972年 イタイイタイ病補償が発生し無配転落
- [19]神岡鉱山排水のカドミウムが神通川流域のイタイイタイ病の原因とされ補償に応じた
1972年のイタイイタイ病補償は、同じ年に進行した円高局面と重なって神岡鉱山の国際競争力低下を顕在化させ、長らく収益の柱であった鉱山事業が構造的な課題に直面する転換点となった。三井財閥の鉱業事業として1874年以来積み上げられてきた神岡の長年の隆盛は、環境規制の強化と為替変動という外部環境の変化で不可逆的な縮小局面へ入り、非鉄一貫体制という事業モデルの抜本的な見直しが経営陣に突きつけられる時代の到来を強く予感させる象徴的な出来事となった。経営陣は戦後の三井金属を支えてきた事業構造の持続可能性について初めて根本的な疑問を突きつけられ、以後の事業転換の必要性の議論が始まる契機となった。 [20][21]
- 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
- [20]1972年 イタイイタイ病補償(同年は円高局面と重なる)
- [21]三井財閥の鉱業事業として1874年以来の神岡の歴史
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社 編、1968年)「三井金属鉱業」の項
- [11]1953年6月 金木戸発電所完成、1954年1月 三池製煉所竪型蒸留亜鉛工場第一期、1956年6月 日比製煉所転炉脆瓦斯回収、1957年6月 神岡工業所フローソリッド炉と製錬設備を近代化
- [13]1962年4月 王子金属・昭和ダイカストの両社を吸収合併
- [15]1965年6月 三鷹工場を新設
- [17]資本金は1954年11月24億円→1958年6月48億円→1962年5月72億円→1965年2月108億円と増加
- 三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】
- [12]1962年4月 伸銅事業部・ダイカスト事業部を新設
- [14]1964年8月 ペルー・ワンサラ鉱山の権益を取得
- [16]1967年2月 八戸製錬株式会社を設立(亜鉛製錬の拠点拡張)
- [18]1972年 イタイイタイ病補償が発生し無配転落
- [19]神岡鉱山排水のカドミウムが神通川流域のイタイイタイ病の原因とされ補償に応じた
- [20]1972年 イタイイタイ病補償(同年は円高局面と重なる)
- [21]三井財閥の鉱業事業として1874年以来の神岡の歴史