1907年、岩崎俊弥が板ガラス国産化のため旭硝子を設立、1909年尼崎工場で日本初の工業生産にこぎつけた。1944年戦時統制で三菱化成へ統合され旭硝子の名は消えたが、1950年の財閥解体で三分割・旧名で再発足、同年上場した。1981年グラバーベル買収で欧州・北米・アジアの三極体制を組み、2009年にはスマホ向け化学強化ガラスで電子部材へ重心を移した。さらに2016年以降はバイオCDMOを買収で積み上げ、2018年に社名をAGCへ変更しガラスとライフサイエンスの二軸経営を打ち出した。しかし2024年12月期にCDMOで1,248億円の減損を計上、2025年に米コロラド撤退とシングルユース絞り込みを決め、2026年利益目標を2,000億円から1,800億円へ下方修正、ポートフォリオ再点検を迫られている。
歴史概略
1907年〜1949年板ガラスの国産化から戦時統合を経て再発足するまでの創業期
輸入依存を断つために三菱が送り込んだ岩崎俊弥と尼崎工場
一九〇七年九月、岩崎俊弥は三菱財閥の支援を受けて旭硝子株式会社を設立した。当時の日本は窓用板ガラスをほぼ全量を海外からの輸入に頼っており、国内で工業的に生産できる技術を持つ企業はまだどこにも存在しない状況であった。岩崎は英国留学でベルギー式の手吹き円筒法という当時の先端技術を学び、現地から技師を招いたうえで兵庫県尼崎の尼崎工場を立ち上げ、一九〇九年一月に日本で初めての板ガラスの工業生産にこぎつけたのである。輸入品との価格競争を覚悟したうえで、まず国産化そのものを目的に据えた事業設計であり、民族資本企業による輸入依存脱却への挑戦という色合いが強く打ち出された創業案件であったと言ってよい。
国産化は、後工程や原材料の内製化へと連鎖していく流れへとつながった。一九一四年に北九州の牧山工場を設置して西日本に生産拠点を広げ、一九一六年にはガラス溶解窯の構造材である耐火煉瓦の自社生産を始めてセラミックス事業へと参入し、同年には横浜の鶴見工場も置いている。翌一九一七年にはガラスの主原料であるソーダ灰の製造にも踏み込み、原料から最終製品までを自社で手掛ける一貫生産体制を築き上げた。後のセラミックス・化学品の事業群は、すべてガラスを作るための副資材内製から派生したものであり、創業期の自前主義が後年の多角化戦略の原点となる遺伝子を形づくったと位置づけることができる局面である。
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戦時統合で消滅した社名と一九五〇年の旭硝子としての再発足
一九三九年には兵庫県に伊保工場を新設して国内の生産能力を大きく積み上げた直後の一九四四年、戦時統制下の企業集約政策により旭硝子は日本化成工業と合併して三菱化成工業株式会社と改称した。創業から三十七年で旭硝子の名はいったん表舞台から消えることとなり、会社はガラス・セラミックス・化学品を併せ持つ巨大な戦時統合体の一部となった格好である。軍需資材としてのガラスと化学品が同じ法人の中で運用されるという、戦時経済に特有の編成のかたちがここで成立した局面であり、戦後の再建期に生産技術と人材が広くこの統合体の内部に温存されていったことが、後の多角化の素地ともなっていった。
戦後、財閥解体と過度経済力集中排除法のもとで三菱化成工業は一九五〇年に三分割され、ガラス部門は旧名の旭硝子として再発足して同年のうちに株式上場にもこぎつけている。再出発時点における事業はガラスとセラミックス・ソーダ灰など創業期の延長線上にあったものの、戦時期に同居していた化学品分野の知見と技術者が失われずに残されたことで、一九六四年のフッ素化学品への参入や一九六五年以降のアジアでのクロールアルカリ展開へと引き継がれていく結果となった。社名がいったん消えて再び戻ってきたという経験は、後年にブランドを大きく掛け替える判断を下すうえでの心理的な抵抗を薄くする役割をも果たしたと評価できる。
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1950年〜1999年高度成長期の多角化とグラバーベル買収による欧米アジア三極体制の構築
テレビと自動車に乗ったガラス事業の拡張と東南アジア展開の起点
一九五四年にブラウン管用ガラス、一九五六年に自動車ガラスの生産を順次開始し、家電とモータリゼーションという戦後日本の二大成長産業に同時に乗ることに成功した。建築用の板ガラス一本だった事業構成に、テレビと自動車という新しい需要先を組み込んでいくことで、ガラス会社の収益源を住宅市場の景気変動から切り離そうとする戦略的な狙いがはっきりと背景にあった局面である。同じ一九五六年にはインドでもガラス生産を開始しており、戦後の日本民間企業による海外直接投資の事例としては極めて早い時期のものとして位置づけられる動きであり、戦後のガラス事業多角化と海外展開が揃った重要な出発点となった。
一九六〇年代以降は、東南アジア地域への本格的な展開が続いていくこととなった。一九六四年にはタイ旭硝子、翌一九六五年にはタイ旭苛性曹達を設立してアジア化学品事業の起点を作り、一九七二年にはインドネシアのPT Asahimas Flat Glass、一九七四年にはタイ安全硝子と、板ガラス・化学品・自動車ガラスの三事業をアジア各国に並行して植え付けていった格好である。国内でも一九五九年に千葉、一九七〇年に愛知、一九七二年に相模、一九七四年に鹿島と工場を相次いで設置し、内需の拡大とアジア展開を二輪で回していく生産配置が完成した局面であった。一九六四年に開始したフッ素化学品は後のパフォーマンスケミカルズ事業の起点となっていく重要な事業である。
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グラバーベル買収が引き金になった欧米アジアの三極体制完成
一九八一年、同社はベルギーの板ガラス大手グラバーベル社を買収して欧州市場へと本格的に参入するという大きな決断を下した。一九八〇年代前半の日本企業による海外製造業M&Aとしては極めて早い時期の事例であり、その後のAGCの欧州事業(現AGC Glass Europe)の中核となっていく大型案件となった。一九八五年には米国にAPテクノグラス社を設立して北米の自動車ガラス生産を開始し、続く一九八八年には米国の板ガラス会社AFGインダストリーズ社に資本参加することで北米の板ガラス市場へも進出した。一九九一年にはベルギーのスプリンテックス社へ資本参加して欧州自動車ガラス事業を補強するなど、三極体制を支える動きが連続した節目となる時期である。
続けて一九九二年には中国で大連フロート硝子社を設立、一九九五年には秦皇島で自動車ガラスの生産を開始するなど、中国市場にも早い時期から拠点を置くという動きを積極的に進めていった。こうして一九八一年から約十五年をかけて、日本・欧州・北米・アジアの四地域に板ガラスと自動車ガラスの両方を持つ三極構造が完成する格好となった。並行して一九八五年には合成石英ガラス、一九九五年にはTFT液晶用の無アルカリガラス、一九九九年には英国ICIのフッ素樹脂事業買収と、半導体・液晶・フッ素化学という高機能領域へ事業の重心を移し始め、汎用ガラスの地理的拡大と高機能素材への深掘りが同じ時期に並走した重要な局面となった。
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2000年〜2020年カンパニー制導入とライフサイエンスへの事業転換によるグローバル経営の構築
カンパニー制導入とAGCブランドへの統一によるグローバル一体経営
二〇〇二年、同社は地域別・事業別に分かれていた従来の組織を再編してカンパニー制を導入し、グローバル一体経営の体制へと明確に移行していくこととなった。一九八一年以降に積み上げてきた日本・欧州・北米・アジアの三極体制を、地域ごとの連邦的な運営から事業横断でのグローバル統治へと組み替えようという試みの表れである。二〇〇〇年には台湾の旭硝子ファインテクノ台湾、二〇〇四年には韓国の旭硝子ファインテクノ韓国でTFT液晶用ガラス基板の生産を立ち上げるなど、ディスプレイ事業の主戦場が日本からアジア各地へと急速に移る局面と重なっていた時期であり、組織の刷新と生産拠点の地理的な分散が同時進行した大きな節目の時期となった。
二〇〇七年にはグループブランドを「AGC」に統一し、続く二〇〇九年にはスマートフォン・タブレット向けカバーガラスとなる化学強化用特殊ガラスの生産を新たに開始するとともに、同年には旧北九州工場における自動車ガラス事業からの撤退を決めるなど、既存事業の入れ替えを積極的に進めていく方針を明確に打ち出した。電子用ガラスという新しい成長軸を取り込みつつ、海外売上比率の高まりに見合うブランドへと表札を掛け替えていく一連の流れが、後の二〇一八年の社名変更へとほぼ一直線に続いていく格好となり、グローバルブランドとしての自己定義がこの時期に次第に形づくられていった重要な局面となっていった。さらにはディスプレイ需要拡大の波にも乗る形となっていった。
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バイオCDMOへの本格参入と社名変更による二軸経営体制の確立
二〇一六年、同社はドイツのバイオミーバ社を買収することでバイオ医薬品開発製造受託(CDMO)事業を新たに開始し、翌二〇一七年にはデンマーク・米国に拠点を持つCMC Biologics社を取得することによって欧州・北米のCDMO三極体制を一気に組み上げるという大胆な動きに打って出た。同じ二〇一七年にはタイのVinythai Public Companyの過半数株式も取得して、東南アジアのクロールアルカリ事業を強化するという動きも並行して進めている格好である。創業以来続いてきたガラス・化学品とは性格の大きく異なるバイオ事業を、買収によってわずか一年程度で手元に持ち込むことに成功した局面であり、ライフサイエンスを新しい柱として据えていく戦略転換の起点となった重要な時期である。
二〇一八年、同社は社名を旭硝子からAGCへと変更し、一九〇七年以来百十一年間にわたって続いてきた創業時からの名を自ら捨てるという大きな決断を下した格好である。同年には米国のPark Electrochemical社のエレクトロニクス事業、翌二〇一九年にはスペインのMalgrat Pharma Chemicals、米国TaconicのAdvanced Dielectric部門、そして二〇二〇年にはイタリアのMolecular Medicine社と、電子部材と医薬CDMOの両方向での買収案件が連続的に実行されていった格好である。コア事業の安定収益で戦略事業への投資を支えるという二軸経営の構図が、平井良典CEOの言葉にも集約される形でこの時期に明確なかたちを取り、事業ポートフォリオの最適化という方針が対外的に繰り返し強く掲げられていく節目となった、同社の歴史のなかでも極めて重要な時期であったと言ってよい。
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直近の動向と展望
ライフサイエンス事業の減損と事業ポートフォリオの再点検
二〇二四年十二月期、同社はバイオ医薬品CDMO事業に係るのれん・有形固定資産の減損一千二百四十八億円に加えてロシア事業譲渡損三百六十五億円を計上し、親会社所有者帰属の当期純利益は九百四十億円の赤字という大きな打撃を受けることとなった。FY2024 2Qには通期営業利益見通しを一千五百億円から一千三百億円へと下方修正し、続くFY2025 2Qでも二〇二五年通期を一千五百億円から一千二百億円へと再度下方修正している。二〇一六年から買収で積み上げてきたバイオCDMOの三極体制が、事業構造そのものの見直しを迫る局面に至った格好であり、ウクライナ侵攻後の地政学リスクを受けてロシアの建築用・自動車用ガラス事業も同年に譲渡して同国から撤退している。
会社側はFY2024決算の発表時に、二〇二六年の営業利益目標を従来の二千億円から一千八百億円へと引き下げ、ROEの低位での推移とPBRが一倍を下回っている状態を最大の経営課題として明示する方針に転じた。資産規模の大きい低収益事業がROCEを引き下げているという自己評価のもとで、ディスプレイ事業の生産能力の二割削減を二〇二四年末までに完了させる方針を示し、株主還元についても連結配当性向四十パーセント目安からDOE三パーセント程度目安へと変更するなど、構造改革と資本政策の刷新を同時に加速する局面を迎えている。素材事業の長期的な強みを守りつつ、ポートフォリオの再点検を徹底する方針を打ち出した重要な節目となった動きである。
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コロラド撤退とシングルユース集中、化学品再編で組み立て直す成長の柱
FY2025 2Qでは米国コロラド拠点(ボルダーおよびロングモント)からの撤退と事業譲渡の検討を正式に決定し、バイオ医薬品CDMO事業においては大型のステンレス培養槽から撤退することでシングルユースバッグ技術への集中方針を明確に打ち出すこととなった。二〇一六年買収のCMC Biologicsを起点とする設備の一部を畳み、自社の強みの定義そのものを絞り直すという極めて踏み込んだ経営判断の表れである。続くFY2025 3Qでは化学品セグメントを二〇二六年から「インテグレイテッドケミカルズ」と「エッセンシャル東南アジア」の二SBU体制に再編する方針を発表し、日本のケミカルチェーンの全体最適化と東南アジア事業の独立運営という両面に踏み込んでいく姿勢を明確にしていった。
FY2025通期は売上二兆五百八十八億円・営業利益一千二百七十五億円・当期純利益六百九十二億円で着地し、ROEは四・七パーセントへと改善する格好となった。二〇二六年の見通しは売上二兆二千億円・営業利益一千五百億円・当期純利益七百七十億円・ROE五・二パーセントで、ライフサイエンスの赤字幅縮小(マイナス二百二十三億円からマイナス五十億円の見込み)を業績回復の柱に据えている。二〇二五年で大規模な能力拡大投資を一段落させ、二〇二六年の設備投資を二千五百十三億円から一千九百億円へと圧縮する方針も同時に示した格好である。素材を軸に事業の組み合わせを繰り返し作り替えてきた同社の構図は、ここでも形を変えながら続いている。
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