塩野義製薬の歴史
1878年〜初代塩野義三郎の薬種問屋創業と塩野製薬所の建設
- 初代塩野義三郎が薬種問屋を創業[2]
- 取扱品を洋薬に転換[3]
- 大阪市北区相生町へ研究所を設立[4]
- 欧米の商社と直接取引を開始[3]
- 自家新薬第1号制酸剤「アンタチヂン」を製造・販売[3]
- 分銅マークを商標登録[3]
- 塩野製薬所を建設[2]
- 売上高
筆者所見
塩野義が問屋から製造業へ移った原動力は、自社の構想より、輸入への依存という弱みにあった。1886年に神戸の商館を通じて洋薬の取扱いに切り替え、1908年ごろには輸入新薬に頼らず自家製造に着手した[1]。洋薬の取扱量が増加するほど、品ぞろえを海外の商社に左右される度合いも高まった。欧州大戦で輸入が杜絶すると、国産化に傾注し大量生産へ移行した[1]。問屋の流通網に製造の能力を重ねた体制が、製薬会社としての出発点になった。
- [1]会社銀行八十年史(1955年)「塩野義製薬」
1918年〜塩野義商店への改組と塩野義化学の合併
- 塩野義商店に改組[2]
- 杭瀬工場を取得[2]
- 大阪市道修町に本社新社屋を建設[3]
- 塩野義製薬に商号変更[2]
- 塩野義化学を合併[2]
- 油日農場を開設[2]
筆者所見
塩野義の社名は、事業の中身から常に一歩遅れて変わった。1919年6月に塩野義商店へ改組し、1922年5月の杭瀬工場の取得で製造拠点を広げた[2]。それでも社名は問屋を思わせる「商店」を掲げ続けた。商号を塩野義製薬に改めたのは1943年7月で、1945年8月には塩野義化学を合併した[2]。卸の看板と製造の実体が一つの社名にそろうまでに、塩野製薬所の建設から30年余りを要した。
- [2]有価証券報告書(2025年6月19日)
1949年〜東京・大阪両証券取引所への株式上場
- 東京・大阪両証券取引所に株式上場[2]
- 鎮痛薬「セデス」を発売[3]
- 総合ビタミン剤「ポポンS」を発売[3]
- 基本方針を制定[3]
- ディテールマン制度を確立[3]
- サルファ剤「シノミン」を発売[3]
- 中央研究所(大阪市福島区)を建設[3]
筆者所見
1949年の上場後に塩野義の成長を引っ張ったのは、研究の成果より、売る仕組みの整備だった。1950年に鎮痛薬セデスを、1953年に総合ビタミン剤ポポンSを市場に投入した[3]。1958年にはディテールマン制度を確立した[3]。大衆薬の知名度と医療機関への営業網は、他社から導入した品目を広く販売する力として働いた。販売力に見合う自社品の不足という課題が、1961年の中央研究所の建設を促した。
- [3]塩野義製薬 公式サイト「沿革」(2026年10月)
1962年〜独創品への転換宣言と摂津・金ケ崎工場の新設
- 独創品への路線転換[6]
- 動物薬品部・植物薬品部を設置[3]
- 台湾塩野義製薬を設立[2]
- 1社提供番組「シオノギ・ミュージックフェア」の放送を開始[3]
- 摂津工場を新設[2]
- 日亜薬品工業を設立[2]
- シオノギ渋谷ビル(東京都渋谷区)を建設[3]
- 新薬研究所(大阪府豊中市)を建設[3]
- オキサセフェム系抗生物質「シオマリン」を発売[3]
- 金ケ崎工場を新設[2]
- 医科学研究所(摂津工場敷地内)を建設[3]
- オキサセフェム系抗生物質「フルマリン」を発売[3]
- シオノギ総合サービスを設立[3]
- イーライリリー社からカプセル事業を買収[3]
- 新本社ビル(大阪市道修町)を建設[3]
- セフェム系抗生物質「フロモックス」を発売[3]
- シオノギ行動憲章を制定[3]
- オオモリ薬品が発足[3]
- 武州製薬を設立[2]
筆者所見
独創品への転換は、売上の拡大を後回しにして研究所へ資源を振り向ける長期の賭けだった。1962年3月に独創品への転換を宣言し、1982年にオキサセフェム系抗生物質シオマリン、1997年にセフェム系抗生物質フロモックスを発売した[5][3]。宣言から自社創製の抗生物質が市場に出るまでに、20年を要した計算になる。感染症に研究の焦点を絞り込んだ判断が、のちのゾコーバへ至る塩野義の得意領域を形づくった。
- [5]読売新聞「塩野義製薬」(1957年10月23日)
- [3]塩野義製薬 公式サイト「沿革」(2026年10月)
1999年〜武州製薬・シオノギUSAの設立による生産と海外の体制構築
- 塩野元三氏が社長に就任[7]
- 第1次中期経営計画を開始[3]
- 海外JVのShionogi-GlaxoSmithKline Pharmaceuticals LLCを設立[3]
- シオノギUSAを設立[2]
- がん疼痛治療薬「オキシコンチン」を発売[3]
- 第2次中期経営計画を開始[3]
- 高コレステロール血症治療薬「クレストール」を発売[3]
- カルバペネム系抗生物質「フィニバックス」を発売[3]
- がん疼痛治療用散剤「オキノーム」を発売[3]
筆者所見
1999年に社長へ就任した塩野元三氏の時期の要点は、海外への足場を提携で確保した点にある。2001年に海外JVのShionogi-GlaxoSmithKline Pharmaceuticals LLCとシオノギUSAを設立した[3][2]。自前の販売網を持たず、合弁と現地法人の二本立てで米国市場に臨む体制だった。合弁に依存する海外展開の限界が、2008年に米国の販売網を一挙に得る買収の判断へつながった。
- [3]塩野義製薬 公式サイト「沿革」(2026年10月)
- [2]有価証券報告書(2025年6月19日)
2008年〜サイエルファーマ買収とゾコーバの緊急承認
- シオノギ分析センターを設立[2]
- 手代木功氏が社長に就任
- シオノギUSAホールディングス(米国)を設立[2]
- 米サイエルをTOBで買収[2]
- 武州製薬の全株式を譲渡[2]
- シオノギテクノアドバンスリサーチを設立[2]
- Shionogi Inc.がシオノギUSA及びシオノギファーマ,INC.を吸収合併[2]
- 医薬研究センターを新設[2]
- C&Oファーマシューティカル テクノロジー ホールディングス(中国)の株式取得[2]
- シオノギ Ltd.を設立[2]
- ViiVへHIV事業移転[8]
- 北京塩野義医薬科技有限公司(中国)を設立[2]
- シオノギヘルスケアを設立[2]
- シオノギヘルスケアにコンシューマーヘルスケア事業を承継[2]
- シオノギファーマを設立[2]
- Shionogi B.V.(オランダ)を設立[2]
- Shionogi B.V.がシオノギ Ltd.を吸収合併[2]
- シオノギファーマに医療用医薬品等の製造及び製造受託等を承継[2]
- シオノギファーマがシオノギファーマケミカル及びシオノギ分析センターを吸収合併[2]
- エムスリーと合弁会社ストリーム・アイを設立[2]
- UMNファーマの株式取得[2]
- Tetra Therapeutics Inc.の株式取得[2]
- 平安塩野義(香港)有限公司を設立[2]
- シオノギファーマがナガセ医薬品の株式取得[2]
- 平安塩野義(中国)有限公司を設立[2]
- Pharmiraを設立[2]
- シオノギファーマよりPharmiraに治験薬製造事業の一部を承継[2]
- シオノギファーマがナガセ医薬品を吸収合併[2]
- 東京証券取引所のプライム市場に移行[2]
- 手代木功が代表取締役会長兼社長CEOに就任[7]
- Yui Connectionを設立[2]
- ゾコーバの緊急承認取得[9]
- Qpex Biopharmaを買収[7]
- シオノギビジネスパートナーの株式一部売却[2]
- Shionogi-Apnimed Sleep Science, LLCを設立[2]
- シオノギファーマがPharmiraを吸収合併[2]
- 平安塩野義を完全子会社化[2]
- 日本たばこ産業を相手会社とする吸収分割を決定[10]
- 鳥居薬品を完全子会社化[10]
- シオノギファーマの吸収合併を決定[10]
- 田辺ファーマからALS治療薬エダラボンの事業を譲受[10]
- 鳥居薬品の吸収合併を決定[10]
- 米IntraBioを買収[11]
筆者所見
2008年以降の塩野義は、自社で売る事業と権利で稼ぐ事業を使い分けた。2008年10月にサイエルファーマの買収で米国の販売網を得た後、2012年10月にはViiV Healthcareへ合弁持分を移転し株式10%を取得した[2][8]。HIV薬を自ら売らず持分とロイヤリティで回収する選択が、研究への再投資の原資を厚くした。2022年11月には新型コロナ治療薬の緊急承認を得た[9]。2020年代の相次ぐ買収も、その原資を販売基盤へ振り向ける延長線上にある。
- [2]有価証券報告書(2025年6月19日)
- [8]塩野義製薬 ニュースリリース「ViiV Healthcare Ltdとの新たな枠組みに関するお知らせ」(2012年10月29日)
- [9]IR