1958
12月

チッソが日窒電子化学を設立・シリコンウエハーの製造

三菱マテリアルにおけるシリコンウエハーの系譜(旧チッソ)

三菱マテリアルにおけるシリコンウエハー事業は、1958年にチッソ(新日本窒素)がシリコンウエハーの製造のために「日窒電子化学」を設立したことに始まる。

チッソ子会社で量産に成功・シェア90%を確保

1950年代は半導体の材料がゲルマニウムからシリコンウエハーに転換する時期にあたり、ソニーから依頼を受けて参入を決定。この結果、前田一博氏(チッソ・当時技術者)を中心に、千葉県の野田工場においてシリコンウエハーの量産に成功した。

この結果、世界においてもシリコンウエハー製造におけるパイオニアとなり、1966年の時点でシリコンウエハーの国内生産シェア90%を確保していた。

漁業補償問題により、三菱金属に事業売却

ところが、1970年代前半に親会社のチッソは、水俣病による漁業補償問題に直面し、莫大な損害賠償(約210億円)を支払う必要に直面。子会社で遂行していたシリコンウエハー事業は将来性が高かったが、1974年2月に三菱金属(現・三菱マテリアル)に約34億円で売却を実施。以後、三菱マリテリアにおいて、旧チッソのシリコンウエハー事業を継続した。

設備投資競争に出遅れ・国内3位に転落

1970年代を通じて、親会社の三菱金属は国内の非鉄金属鉱山の閉鎖問題に揺れ動いた結果、成長事業であるシリコンウエハーへの量産投資の競争に出遅れ、国内では信越化学(信越半導体)および大阪チタニウム(住友金属工業)の台頭を許した。

この結果、1986年度の時点で、シリコンウエハー業界における国内販売シェアは、1位が信越化学(信越半導体・36.9%)、2位大阪チタニウム(18.1%)、同率3位コマツ(小松電子金属・16.1%)、同率3位三菱金属(日本シリコン・16.1%)という序列となった。

このため、2002年のSUMCOの発足は、シリコンウエハーのパイオニアであったにもかかわらず、設備投資競争で劣勢に立たされた三菱マテリアル(旧チッソ)と、同じく2位に甘んじていた大阪チタニウム(1998年に住友金属工業と合併)が、1位の信越化学(子会社の信越半導体)に追随する目的があった。

1958年
12月
チッソが日窒電子化学を設立(シリコンウハー製造)
1958年
12月
シリコンウエハーの生産で国内シェア1位
生産量シェア 90 %
1974年
2月
三菱金属がチッソから日窒電子化学を買収
取得額 34 億円
1986年
12月
シリコンウエハーの生産で国内シェア3位まで転落
生産量シェア 16 %
1958
12月

大阪チタニウムがシリコンウエハーの製造開始

住友金属工業におけるシリコンウエハーの系譜(旧大阪チタニウム)

住友金属工業におけるシリコンウエハー製造の系譜は、1962年1月に大阪チタニウムがシリコンウエハーの製造したことに始まる。

大阪チタニウムは、チタンなどを製造する特殊金属メーカーであったが、半導体需要の拡大を見据えてシリコンウエハーに着眼。チッソ(三菱マテリアル)と比較して後発参入ではあったが、1970年代以降の積極投資で業容を拡大。1990年代までに売上高の70%をシリコンウエハーが占める形となり「チタン」から「シリコンウエハー」に業態転換を果たし、インテルなどの大手企業にも納入していた。

大阪チタニウムと住友金属工業の関係性は、1952年に住友金属から出資を受け入れたことで資本関係が生まれ、1973年における九州電子金属の合弁発足(伊万里工場および佐賀工場におけるシリコンウエハーの量産)によって深まった。大規模な設備投資が必要なウエハー製造に対して、住友金属工業と共同で佐賀県に工場を新設。大手企業との共同投資により、シリコンウエハーの量産体制を構築し、先発の旧チッソ(三菱マテリアル)を凌駕した。

住友との関連が深まったことを受けて、1993年には大阪チタニウムは商号を「住友シチックス」に変更。その後、1998年に住友金属工業と合併し、同社のシリコンウエハーの製造部門となった。

1962年
1月
大阪チタニウムがシリコンウエハーの製造開始(尼崎工場)
1993年
1月
大阪チタニウムが住友シチックスに商号変更
1998年
10月
住友金属工業と住友シチックスが合併
1999
7月

株式会社シリコン・ユナイテッド・マニュファクチュアリングを設立

300mmウエハーへの投資

1997年頃からシリコンウエハーの口径が200mmから、大口径の300mmに移行する趨勢となり、半導体および製造装置メーカーについて各社とも300mmウエハーの対応に焦点が集まった。300mmウエハーは表面積が大きいため、1枚から取得可能なチップの多く生産性が高かったが、300mmに対応するために研究開発費および生産ラインの立ち上げに巨額投資が必要となった。

このため半導体関連業種において、300mmウエハー対応のための投資体力を確保することを意図して、業界再編が一部で頻発した。

住友金属工業と三菱マテリアルの共同出資でSUMCOを共同設立

1999年7月に住友金属工業・三菱マテリアル・三菱マテリアルシリコンの3社の共同出資により、株式会社シリコンユナイテッドマニュファクチャリング(現SUMCO)を設立した。この結果、国内のシリコンウエハー業界では、信越化学工業(信越半導体)とSUMCOの2強となった。

1999年におけるSUMCOの発足は、実質的に住友金属工業と三菱マテリアルの2社におけるシリコンウエハーの事業統合を見据えたものであったが、1999年の時点では次世代の300mmウエハーの量産準備のために新会社を設立した。300mmウエハーの生産準備を開始し、米沢および伊万里の国内2拠点での生産を計画。競合の信越半導体に対抗するため、月産20万枚の生産体制を目指した。

1999年
7月
株式会社シリコン・ユナイテッド・マニュファクチュアリングを設立
2001年10月
伊万里工場で300mmウエハーの製造開始

2001年10月に米沢工場および伊万里工場の2拠点にて、300mmウエハーの新ラインを稼働して生産を開始した。

決算
SUMCOの業績
2002年1月期(単体)
売上高
102
億円
当期純利益
-3
億円
従業員数
416
2002年1月
事業統合により商号を三菱住友シリコン株式会社に変更

住友金属工業・三菱マテリアルのシリコンウエハー事業を統合

2002年に住友金属工業と三菱マテリアルのシリコンウエハー事業を「シリコン・ユナイテッド・マニュファクチュアリング(1999年設立)」に統合することで、SUMCOに事業を集約した。事業集約に伴い、商号を「三菱住友シリコン」に変更した。

日本および北米で生産

SUMCOの発足によって、国内および北米で生産する体制となった。300mmウエハーの生産は国内が中心であり、前世代にあたる8inch(300mm以下)のウエハーを生産する国内・北米の拠点については、それぞれ統合・再編が必要な状況に直面した。

2001年
4月
住友金属工業と三菱マテリアルのシリコンウエハ事業の集約決定
2002年
1月
商号を三菱住友シリコン株式会社に変更
決算
SUMCOの業績
2002年1月期(単体)
売上高
102
億円
当期純利益
-3
億円
従業員数
416
2003年11月
拠点再編・野田工場での生産停止を決定
2005年8月
商号を株式会社SUMCOに変更
2005年11月
東京証券取引所第1部に株式上場
2006年10月
コマツ電子をTOBにより買収
1960年
4月
小松製作所が小松電子金属を設立
2006年
10月
コマツ電子をTOBにより買収(51%)
取得による支出 538 億円
2008年
5月
SUMCO TECHXIV(旧コマツ電子)を完全子会社化
取得による支出 413 億円
2006年10月
米国拠点の閉鎖(8inch)

旧三菱マテリアルによる米国における事業再編を決定。不採算だった米国における2工場(300mmウエハーに非対応)の閉鎖を決定

2003年
11月
米国における生産縮小を決定
2006年
10月
SUMCO Oregon Corporationを清算
2007年
1月
SUMCO USA Corporationを清算
2010年
6月
シンシナティ工場を閉鎖
決算
SUMCOの業績
2007年1月期(連結)
売上高
3193
億円
当期純利益
720
億円
従業員数
8864
営業CF
831
億円
投資CF
-1014
億円
財務CF
248
億円
2010年1月
最終赤字に転落
2011年2月
尼崎工場を閉鎖
2012年2月
事業再生計画を策定
2013年3月
SUMCOソーラー株式会社を清算
2013年7月
生野工場を閉鎖
2023年3月
高純度シリコン株式会社を取得

三菱マテリアルの多結晶シリコン事業(高純度シリコン株式会社)を取得。シリコンウエハーの原材料を統合し、川上に進出

決算
SUMCOの業績
2023年12月期(連結)
売上高
4259
億円
当期純利益
638
億円
従業員数
9847
営業CF
963
億円
投資CF
-2476
億円
財務CF
434
億円
2023年6月
佐賀県吉野ヶ里に新工場を計画
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