日東紡績の歴史

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1923
4月

日東紡績株式会社を設立

1923年に旧郡山絹糸紡績が福島精練製糸を買収。同時に商号を変更することで日東紡績株式会社を設立した。両社ともに福島県内に拠点を置く繊維メーカーであり、買収後は日東紡績の「郡山工場および福島工場」として稼働。日東紡績は福島県内に拠点を置く紡績メーカーとして発足した。

日東紡績の初代社長として、片倉三平氏が就任。片倉社長は綿紡績に限らず、当時最先端であった化学繊維(レーヨン・スフ)や、ガラス繊維への参入を主導するなど、日東紡における経営の多角化に寄与した。

1898年
2月
郡山絹糸紡績株式会社を設立
1918年
4月
福島精練製糸株式会社を設立
1918年
4月
福島精練製糸が郡山絹糸紡績を買収・商号を日東紡績株式会社に変更
1936
11月

富久山工場を新設

1937
10月

名古屋紡績を合併

1937年に名古屋紡績株式会社(郡山絹糸工場・郡山工場・名古屋工場・新潟工場)を合併。同社は名古屋に工場を擁しつつも、郡山にも2工場を保有していた。これを受けて、旧名古屋紡績郡山絹糸工場を「郡山第2工場」、旧名古屋紡績郡山工場を「郡山第3工場」として運営し、福島県内における生産拠点を拡充した。

1937
3月

レーヨンの量産開始

1932年
化学繊維「スフ」の研究開始
1937年
3月
レーヨンステーブル工場を新設(富久山)
1938
12月

グラスファイバー研究所を発足

1938年
12月
グラスファイバー研究所を発足
1939年
4月
グラスファイバーの生産開始
1939
11月

ロックウールの生産開始(建材用途)

1940

スフの生産技術を他社公開

1942
1月

泊紡績を合併

1944
2月

トヨタ自動車から2工場を取得

トヨタ自動車(旧中央紡績)から和歌山県内の2工場(海南工場・広工場)を取得

回顧参拾年(日東紡績回顧参拾年編集委員会), 1953年
1949
5月

東京証券取引所に株式上場

1950
10月

綿紡績工場を新設(静岡)

1956
10月

合繊紡績の生産開始(郡山)

1957
4月

グラスファイバーの生産開始(福島)

1962
4月

建材の生産開始

1962年
4月
不燃吸音天井板ミネラートン工場を新設(千葉)
1962年
4月
メラミン化粧板工場を新設(鈴鹿)
1965年
9月
日東紡建材株式会社を設立
1965

片倉三平氏が会長を退任

1965
3月

最終赤字に転落・経営再建へ

-

1969
8月

グラスファイバー織物工場を新設

1969

ガラスクロスを発売

プリント配線板向けのガラスクロスの生産を開始。電子材料の用途を開拓

1986

米IIC社を買収・診断薬に参入

ライフサイエンスに参入するために、米International Immunology Corporation(IIC社)を買収。日東紡は免疫系体外診断薬の事業展開を開始し、ライフサイエンス事業に新規参入した。

1986
6月

レーヨン・化繊から事業撤退

1987
12月

診断用医薬品製造所を新設

1990
9月

郡山工場を閉鎖(合繊紡績)

1991
11月

和歌山工場で綿紡績生産を中止

和歌山工場における繊維生産(綿紡績)を中止。生産品目を建材に転換し、和歌山工場を生産子会社「ニットーボー和歌山」として分離

1993
9月

富久山事業所で綿紡績の生産終了

富久山事業所での綿紡績の生産を終了。医薬品製造に転換

1995
2月

静岡工場を閉鎖

1995年2月に静岡工場(綿紡績)を閉鎖。跡地をジャスコが入居するショッピングセンターとして開発した(2003年に土地を売却)

1998

Tガラスを開発

半導体パッケージ基板向けの部材「Tガラス」を開発

1998
1月

泊工場で綿紡績の生産終了

泊工場での綿紡績の生産を終了。ニットービバレッジ株式会社(2023年1月に売却)を設立して飲料生産に転換

1998

NEガラスを開発

高付加価値のスペシャルガラス「NEガラス」を開発。データセンターや、スマホ向けアンテナPKG用途で活用

1998

フラットファイバーを発売

スマホ筐体や自動車向けのグラスファイバー「フラットファイバー」を発売

2000
11月

ザ・モール郡山を開業

日東紡は郡山第2工場(郡山駅前に立地)の跡地について、商業施設としての再開発を決定。2000年11月に「ザ・モール郡山」を開業し、中核テナントとして西友が入居した

日経流通新聞:西友、郡山に大型SC、日東紡の工場跡地――98年秋メド。 ,1996/1/30
2005
7月

建材におけるアスベスト利用を公表

ロックウールについて過去に販売した製品でアスベストの利用があったことを公表した

2008
12月

早期退職者を募集

2008年12月に日東紡は早期退職者の募集を実施。約560名が退職に応じた

日東紡:事業環境の急変に即応する諸施策の実施ならびに平成21年3月期業績予想の修正に関するお知らせ ,2008/12/25
2010
3月

建材事業部の廃止

建材事業からの段階的撤退

バブル崩壊後の住宅着工件数の減少を受けて、日東紡績の建材事業の採算が悪化。構造改革のためにメラミン化粧板について、2001年10月に住友ベークライトとの合弁会社に移管。その後は合弁会社を通じて事業を継続したが、収益性の改善には至らなかった。

リーマンショックによる建材事業の不振

2008年のリーマンショックによる住宅需要が減少すると、建材事業における販売が低迷した。日東紡の全事業の業績が低迷し、2009年3月期には91億円の最終赤字に転落(主に早期退職者に対する特別退職加算金による影響)した。

そこで、2008年に日東紡は建材事業の縮小を決定。断熱材・内装建材・エンジニアリングのうち、内装建材の縮小を決め、天井材およびメラミン化粧板が整理対象となった。

2008年に住友ベークライトとの合弁を解消し、メラミン化粧板から撤退、2009年には建材商社の日東紡マテリアルを野原産業に売却。2010年3月には天井材(不燃吸音天井板)から撤退し、内装建材からの事業撤退を完了した。

建材事業部門の廃止

2010年に日東紡は中期経営計画(FY2010-FY2012)を策定。リーマンショックにより連結業績が悪化したことを受けて、組織改変を含めた改革を実施した。

このうち、建材事業部については廃止を決定して環境事業部として再編。同事業部では「グリーンビジネス」「断熱材」「エンジニアリング・工事」「スペシャリティケミカル等」を遂行する組織として位置づけた。

2001年
10月
住友ベークライトと合弁会社を設立・メラミン化粧板事業を移管
2008年
8月
メラミン化粧板から撤退(住友ベークライトとの合弁解消)
2009年
10月
日東紡マテリアルを売却
2010年
3月
不燃吸音天井板から撤退
2010年
建材事業部を廃止(環境事業部に改変)
2018
3月

原繊材事業の好調と低迷

スマホ向けの原繊材事業が好調

2015年3月期に日東紡は増益を達成。原繊材事業における「フラットファイバー」の販売が好調で、主にスマートフォンの普及による「筐体向け」の用途で販売を拡大。2018年3月期には過去最大となるセグメント利益65億円(原繊材事業)を計上した。

原繊材事業の赤字転落

2017年度をピークに原繊材事業の収益性が低下。2022年度までの5期連続でセグメントベースで減益となり、2023年3月期にはセグメント赤字16億円に転落した。

2019

米国の診断薬メーカー2社を買収

2019
5月

中国現地法人を売却

2019
6月

Baotek社を買収(台湾)

2020

IgG4測定試薬を発売

2021
7月

台湾にグラスファイバー量産工場を竣工

機能材事業におけるスペシャルガラス「グラスファイバー(NEヤーン)」の量産のために、2021年に台湾に工場を新設。投資額は約120億円

2024
5月

中期経営計画(2024-2027年度)を策定

2024年5月に日東紡は中期経営計画(FY2024-FY2027)を策定。事業ポートフォリオにおいて、スペシャルガラス(台湾における工場新設)およびライフサイエンスへの投資を推進する一方、不採算事業の改善を明言。飲料事業の譲渡に加え、繊維事業の構造改革、固定資産の売却(ゴルフ練習場跡地など)を決定した。

2025 (c) Yutaka Sugiura, Author
売上
日東紡績:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
932億円
売上高:2024/3
利益
日東紡績:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
7.7%
利益率:2024/3
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