計画策定の背景
ユニチカは戦前に繊維事業を祖業として発展し、戦後は合成繊維や化学素材へと事業領域を広げてきた。高度成長期以降は、繊維に加えてフィルムや樹脂、機能資材といった分野へ展開することで事業の多角化を進め、売上規模の維持と雇用の確保を両立する経営を続けてきた。これらの判断は当時の産業構造や市場環境を前提とすれば合理的であり、事業の連続性を重視した意思決定が積み重ねられてきた。
しかし1990年代以降、素材産業全体の成熟化や国際競争の激化が進む中で、低収益事業を抱えたままの事業構造が固定化し、収益力の低下が慢性化した。2014年以降の構造改革においても踏み込んだ事業撤退には至らず、赤字事業が残存したまま投資が継続された結果、資金創出力は低下し、2020年代には自助努力のみでの再建が困難な状況に陥った。こうした経緯を踏まえ、ユニチカは2024年にREVICの支援を受け、繊維事業からの撤退を含む抜本的な事業再生計画の策定に至った。
経営の基本方針
本事業再生計画において最も非連続な点は、事業構造の見直しに先立ち、取締役全員が辞任し、経営体制を総入れ替えするという判断が行われた点にある。これは、従来の経営判断や延長線上では事業再生が困難であるとの認識に立ち、意思決定の前提そのものを切り替える必要があると判断した結果であった。
新たな経営体制のもとでは、過去の事業継続を前提とした判断から離れ、収益性と持続可能性を基準に事業を再定義することを基本方針としている。採算改善が困難と判断した繊維事業については縮小・撤退を進め、フィルム・樹脂を中心とする高分子事業および機能資材事業に経営資源を集中させることで、事業ポートフォリオの単純化と収益基盤の再構築を図る。
Author’s Questions
なぜ、メインバンクは赤字事業を抱えたままユニチカの存続を許し続けたのか
ユニチカでは1990年代以降、繊維事業をはじめとする低収益・赤字事業を抱えながらも、長期にわたり企業としての存続を維持してきた。その過程では、金融機関からの継続的な支援やリファイナンスが行われ、抜本的な事業整理は先送りされてきた。こうした状況において、銀行はユニチカのどの点を評価し、どの前提に基づいて企業存続を許容してきたと整理すべきなのか
なぜ、繊維事業からの撤退はここまで遅れたのか
ユニチカにとって繊維事業は祖業であり、長年にわたり雇用や地域経済とも強く結びついてきた。一方で、1990年代以降は国際競争の激化と市場縮小により収益性の低下が明確になっていたにもかかわらず、事業の大幅な縮小や撤退は先送りされてきた。過去の構造改革や事業再編の局面において、繊維事業を継続するという判断を支えていた前提条件は何であり、それはどの時点まで有効だと考えられていたのか
1926年の日本レイヨン設立は、化学繊維の不確実性を踏まえ投資負担を分散する合理的な判断だった。だが、戦後は技術革新が進み、大日本紡績と日本レイヨンは別法人のまま設備投資を拡大し、研究と生産で重複が生じた。結果として投資効率は低下し、1969年にユニチカとして合併したが、企業文化や運営慣行の差が統合を難しくしており、そもそも過去の日本レイヨンの設立そのものが、統合後の経営難度を高める要因であった。