1889年に尼崎紡績会社として兵庫県尼崎に設立され、大日本紡績を経て1969年に日本レイヨンとの合併でユニチカが発足した。ビニロン・ナイロン・PETフィルムなど多方面に展開したが、合併後は繊維事業の低収益と固定費負担に苦しみ、1977年には三和銀行が経営に介入した。1971年の資産売却に始まる53年間の段階的縮小を経て、2024年に祖業の繊維事業からの撤退とREVICへの金融支援要請に至った。
歴史概略
第1期: 紡績業の拡大と化学繊維への進出(1889〜1968)
尼崎紡績の設立と大日本紡績への発展
1889年6月、関西財界の有力者を発起人として尼崎に有限会社尼崎紡績会社が設立された。初代社長には広岡信五郎が就任し、英国プラット社の紡績機を据え付けた第一工場が1890年に竣工した。大阪市街に近接し武庫川水系の水利に恵まれた立地が選ばれ、輸入綿糸の国産代替を経営方針の中核に据えた紡績専業でのスタートであった。
1909年に綿布生産を開始して製品構成を拡大し、1918年に大日本紡績株式会社に商号を変更した。1926年には子会社として日本レイヨンを設立し、出資比率66%でレーヨン事業に参入した。本体の綿紡績事業への損益波及を防ぐ法人分離であり、不確実性の高い化学繊維への参入手法として資本配分上の折衷案であった。1933年には羊毛紡績を開始し、天然繊維と化学繊維の双方に事業基盤を構築した。
ビニロンへの挑戦と合成繊維時代の選択
1950年10月、大日本紡績はビニロン繊維の量産を開始した。石灰石やカーバイドなど国内調達可能な原料を起点とする製造プロセスが特徴であり、外貨支出を最小限に抑えて生産できる合成繊維であった。ナイロンなど海外技術に依存する素材を避け、原料調達の自律性を優先した選択であった。
しかしビニロンは染色性や風合いの面でナイロン・ポリエステルに及ばず、衣料用途での汎用性は限定的であった。1950年代後半以降、ナイロンとポリエステルが衣料繊維の主流に定着するにつれ、大日本紡績が想定した繊維事業としての大規模な市場形成は実現しなかった。一方でビニロンの素材特性はフィルムや樹脂といった非繊維領域での応用可能性を示し、後の高分子事業への展開の伏線となった。1964年には商号をニチボーに変更した。
第2期: 合併後の低収益と縮小の連鎖(1969〜2023)
ユニチカ発足と構造的課題の顕在化
1969年10月、ニチボーと日本レイヨンが合併しユニチカ株式会社が発足した。統合後の売上高は1,661億円で東レに次ぐ業界2位の規模であったが、従業員数22,000名に対して1人あたり売上高は約755万円にとどまり、東レの約1,221万円、帝人の約963万円を大きく下回った。合成繊維ではナイロンを軸とした設備投資の拡大が掲げられたが、旧ニチボーと旧日本レイヨンでは事業慣行や管理手法が異なり、投資配分を巡る内部調整が長期にわたって続いた。
非繊維分野への事業拡張も同時に計画に含まれ、不動産・住宅・合成樹脂・医療機器と投下資本は複数方面に分散した。1971年度には100億円規模の資産売却益を計上したが一過性の収益であり、本業の収益改善には至らなかった。1975年3月期に経常赤字185億円を計上し、名古屋・犬山・桐生の3工場閉鎖に踏み切った。
三和銀行の介入とPETフィルムへの参入
1977年、主力銀行の三和銀行がユニチカに対する経営関与を明確に強化した。融資回収リスクの管理を目的とし、経営体制や事業計画に対する意見表明と収益改善策の進捗確認が制度化された。同年にはビニロン事業とレーヨン事業を子会社に分離し、不採算領域を本体から切り離す対応が取られた。銀行関与のもとで事業の見直しと不採算領域の整理が進められたが、経営の自律性は制約を受けた。
1980年前後、ユニチカはPETフィルムの本格量産に踏み切った。既存のナイロンフィルム製造ラインの改造と二軸延伸技術の転用により、新規設備への投下資本を抑えながら食品包装用フィルムの生産体制を構築した。繊維のように市場全体が縮小傾向にある領域ではなく、需要拡大が見込まれる産業用素材への参入であった。1982年には医療機器事業にも参入し、1985年には活性炭繊維の生産を開始した。
段階的縮小の半世紀
1983年に1,600名の人員削減を実施し、1989年には子会社4社の吸収合併で組織再編を図った。1990年代にはインドネシアとタイに現地法人を設立して海外展開を試みたが、2009年にはナイロン長繊維から撤退し150名の希望退職を募集した。2010年以降は保険・プラント・不動産事業を連続して売却し、事業ポートフォリオの縮小が加速した。
2014年には取引銀行から繊維事業の撤退を打診されていたとされるが、判断は先送りされた。同年7月に第三者割当増資を実施し、8月に佐賀工場の閉鎖を決定した。高分子事業が一定の利益を確保していた間は繊維事業の赤字を全社損益のなかで吸収する構図が維持されたが、2021年度以降は高分子事業の利益率も低下に転じ、繊維事業を補填する余力が急速に縮小していった。
第3期: 繊維撤退と再建の模索(2024〜現在)
祖業からの撤退とREVIC支援
2024年11月28日、ユニチカは記者会見を開き祖業である繊維事業からの撤退を正式に発表した。撤退対象は衣料用繊維・不織布・産業繊維の一部であり、売上高の約4割に相当する事業規模であった。同時にREVICおよび取引銀行に対し総額870億円規模の金融支援を要請し、うち約430億円については債権放棄を求める内容であった。取締役全員の辞任も発表された。
1969年のユニチカ発足以来、繊維事業の収益性低迷は約55年間にわたって続いたが、撤退判断は段階的に先送りされてきた。資産売却・工場閉鎖・人員削減は繰り返し実施されたが、事業ポートフォリオ全体を再構成する判断には踏み込まれなかった。PETフィルムを中心とする高分子事業への集中が再建の軸となるが、自己資本比率の低下と有利子負債の重さが再成長への制約として残されている。
尼崎紡績の設立は、大阪紡績の好業績が後続企業の参入リスク認知を引き下げた装置産業の典型的構図を示している。設備投下により一定品質の綿糸を量産できるという産業構造のもとでは、技術蓄積よりも資本調達力が参入可否を決定づけた。この構造は紡績各社の設備増強を促し、後年の供給過剰と価格競争の遠因を形成した。参入時点での合理性が長期的な産業構造の安定を保証しない点を、この創業期の判断は端的に示している。