結果

ユニチカの長期業績

1950年〜2024年
売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
1,183億円
売上高:2024/3
売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結
-4.6%
利益率:2024/3
CF

キャッシュフローの長期推移

連結優先
営業CF
単位:億円
投資CF
単位:億円
財務CF
単位:億円
PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
セグメント売上高
2024/3 | 連結
高分子事業
食品用フイルムなど
510億円
機能資材事業
活性炭繊維・ガラス繊維・不織布など
342億円
繊維事業
事業撤退を決定
330億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
営業利益
2024/3 | 連結
高分子事業
6億円
機能資材事業
販売不振で赤字
-24億円
繊維事業
衣料分野の販売不振
-5億円
1889年6月
尼崎紡績会社を設立

日本国内において紡績業を興すため、明治22年6月に兵庫県尼崎にて「有限会社尼崎紡績会社」を設立。関西の財界人が出資し、財界の有力者であった広岡信五郎が社長に就任した。

明治23年9月に尼崎において本社工場(第一工場)を竣工。煉瓦造りによる2階建ての繊維工場を新設し、綿紡績による紡糸の生産を開始した。紡績機械は英国から輸入を行い、三井物産を通じて英ブラット・ブラザーズ社の紡績機械を導入した。

1889年
6月
尼崎紡績会社を設立
1890年
12月
綿糸の生産開始
1893年
7月
株式会社に組織変更
出所
参考文献
ニチボー75年史, 1966年
1909年5月
綿布の生産開始
1918年6月
大日本紡績株式会社に商号変更

1918年に尼崎紡績と摂津紡績がが合併。合併後に商号を大日本紡績株式会社に変更

1926年6月
日本レイヨンを設立

1915年7月29日に大日本紡績の重役会においてレーヨン繊維への参入を決議。別会社として日本レイヨン株式会社を設立して、株式66%を大日本紡績が取得(残りの34%を外部株主が取得)。大日本紡績の本社ではなく、子会社としてレイヨンへの参入を決定した。

1926年
6月
レーヨン繊維の生産開始
1955年
10月
ナイロン繊維の生産開始
1958年
12月
ナイロン樹脂の生産開始
1964年
2月
ポリエステル繊維の生産開始
出所
参考文献
ニチボー75年史, 1966年
1933年9月
羊毛紡績を開始
1949年5月
東京証券取引所に株式上場
1950年10月
ビニロン繊維の生産開始

大日本紡績は戦後の成長分野として合成繊維への参入を決定。ビニロンに着眼して1950年10月から「ビニロン繊維」の生産を開始した。ただし、ビニロンは素材として染色が難しいため繊維用途での活用が難しく、食品包装用途の樹脂・フィルムとして用途開拓が進んだ。

このため、繊維分野において大日本紡績は合成繊維への参入で苦戦する形となり、1969年に日本レーヨンと合併(ユニチカを発足)を選択する布石となっている。

1964年4月
商号をニチボー株式会社に変更

大日本紡績からニチボーに商号変更

1969年10月
住宅・不動産事業に進出
1969
10月

ニチボーと日本レイヨンが合併・ユニチカを発足

兄弟会社の合併

1969年10月にニチボー(大日本紡績)と日本レーヨンが合併し、合併会社として「ユニチカ」を発足した。もともと大日本紡績(ニチボー)の子会社として戦前に日本レーヨンが設立された兄弟会社であるという歴史経緯に加え、ニチボーが合成繊維事業を拡大する上で日本レーヨンとの合併を有効と判断し、ユニチカの合併発足に至った。

ユニチカの発足によって、同社は国内の繊維業界では売上高2位(1968年実績)に浮上。大手繊維メーカーが出現する大型合併として注目を集めた。

ナイロンに積極投資

繊維事業では、合成繊維のナイロンへの設備投資を決定。

非繊維事業にも注力

ユニチカの合併発足に合わせて、非繊維事業の強化を決定。合併10年後の売上構成について、繊維50%・非繊維50%の目標を設定し、新規事業の推進を決定した。

注力する非繊維事業としては、不動産・住宅・合成樹脂(プラスチック・フィルム)、環境プランと(焼却炉)、医療機器など多岐にわたった。

余剰人員は新規事業で吸収

繊維事業における合理化によって余剰人員の発生が予想されたが、1969年時点でユニチカの経営陣は希望退職者の募集を見送ることを明言。余剰人員については、今後展開する予定の新規事業の推進によって吸収することを表明した。ただし、新規事業を展開する詳細について、合併の時点では定まっていなかった。

国内繊維会社の概況(1968年度)
企業名 売上高 従業員数 主な生産品目
東レ 2,320億円 19,000名 ナイロン・ポリエステル・アクリル
ユニチカ 1,661億円 22,000名 ナイロン・ポリエステル・天然繊維
東洋紡 1,617億円 28,000名 ナイロン・ポリエステル・天然繊維
旭化成 1,595億円 17,000名 ナイロン・アクリル
鐘紡 1,572億円 26,000名 ナイロン・天然繊維
帝人 1,540億円 16,000名 ナイロン・ポリエステル・アクリル
出所:野田経済(1080) | 1969/7
出所
参考文献
野田経済, 1969/7
週刊日本経済:伸びるかユニチカ, 1969/10
1975年3月
経常赤字に転落

オイルショックによる繊維の販売不振により、1975年3月期にユニチカは185億円の経常赤字に転落。当時のユニチカの資本金は229億円であり、財務体質の悪化を避けるために保有資産(土地など)の売却を本格化した。

出所
参考文献
日経ビジネス:ユニチカ・限界に来た'花見酒経済'の縮図, 1975/9/29
1975年4月
国内3工場を閉鎖

業績不振を受けて、国内3工場(名古屋工場・犬山工場・桐生工場)の閉鎖を決定。

決算
ユニチカの業績
1976年3月期(単体)
売上高
2697
億円
当期純利益
1
億円
出所
参考文献
日経ビジネス:ユニチカ・限界に来た'花見酒経済'の縮図, 1975/9/29
1977年6月
ビニロン事業およびレーヨン事業を子会社分離
決算
ユニチカの業績
1978年3月期(単体)
売上高
1842
億円
当期純利益
-9
億円
1982年9月
医療機器事業に参入
1982年
9月
抗血栓症カテーテルの生産開始
決算
ユニチカの業績
1983年3月期(単体)
売上高
2463
億円
当期純利益
-43
億円
1983年4月
合理化を発表
1984年
4月
羊毛事業を子会社分離
決算
ユニチカの業績
1984年3月期(単体)
売上高
2821
億円
当期純利益
1
億円
出所
参考文献
日経新聞:ユニチカ、経営再建へ1600人を合理化――羊毛事業は来年分離, 1983/4/15
1985年6月
活性炭繊維の生産開始
1989年10月
子会社4社を吸収合併
1995年11月
インドネシアに現地法人を設立
1997年4月
タイに現地法人を設立
2009年
ナイロン長繊維から撤退
決算
ユニチカの業績
2010年3月期(連結)
売上高
1822
億円
当期純利益
30
億円
従業員数
5037
営業CF
142
億円
投資CF
-26
億円
財務CF
-11
億円
2009年3月
希望退職者を募集
決算
ユニチカの業績
2009年3月期(連結)
売上高
2095
億円
当期純利益
-139
億円
従業員数
5437
営業CF
49
億円
投資CF
-74
億円
財務CF
-5
億円
2010年3月
不採算事業の売却
2010年
3月
保険事業を譲渡
2011年
4月
環境プラント事業を譲渡
2015年
2月
ユニチカ京都ファミリーセンターを譲渡
2015年
3月
メディカル事業・健康保険事業を譲渡
2016年
4月
ユニチカエステートを譲渡
決算
ユニチカの業績
2010年3月期(連結)
売上高
1822
億円
当期純利益
30
億円
従業員数
5037
営業CF
142
億円
投資CF
-26
億円
財務CF
-11
億円
2012年5月
寺田紡績を完全子会社化

ユニチカが株式を73%保有する寺田紡績(大阪証券取引所に株式上場)について、2012年5月に完全子会社化を実施。2011年3月期の寺田紡績の業績は、売上高28億円・営業利益0.7億円であった。ユニチカによる寺田紡績の取得原価は2.6億円(追加取得分)であり、負ののれん発生益として0.4億円を計上した。

決算
ユニチカの業績
2013年3月期(連結)
売上高
1601
億円
当期純利益
-108
億円
従業員数
4534
営業CF
160
億円
投資CF
-44
億円
財務CF
-74
億円
2014年7月
第三者割当増資を実施

財務体質改善(有利子負債の圧縮)のために、メインバンクの三菱UFJ銀行などから第三者割当増資による調達を実施。調達額は375億円であり、うち275億円は借入金の返済に充当

決算
ユニチカの業績
2015年3月期(連結)
売上高
1591
億円
当期純利益
-270
億円
従業員数
4458
営業CF
60
億円
投資CF
-1
億円
財務CF
58
億円
2014年8月
佐賀工場の閉鎖決定

国内繊維事業の子会社である「ユニチカスピニング」について、佐賀工場の閉鎖を決定。従業員約100名については配置転換で対応

決算
ユニチカの業績
2015年3月期(連結)
売上高
1591
億円
当期純利益
-270
億円
従業員数
4458
営業CF
60
億円
投資CF
-1
億円
財務CF
58
億円
出所
参考文献
日経新聞:紡績子会社の佐賀工場閉鎖, 2014/8/27
2024
11月

繊維事業から撤退・取締役全員が辞任

全事業で採算悪化・祖業の繊維事業から撤退

2024年11月28日にユニチカは記者会見において「繊維事業からの撤退」を決定した。ユニチカにおいて繊維事業は祖業に相当するが、採算の悪化を受けて撤退を決断した。

かねてよりユニチカの繊維事業は慢性的な低収益が続いていたが、2020年ごろまでは「高分子事業」の収益によって全社利益を確保できた。しかし、2021年度以降は高分子事業における収益が悪化し、繊維事業の赤字をカバーすることが難しくなった。このため、繊維事業からの撤退に至った。

三大紡績の1社だったが繊維撤退へ

1960年代の高度経済成長期において、ユニチカは日本の「3大紡績」の1社として認知され、東洋紡・鐘紡・ユニチカが大手紡績会社として認知されていた。しかし、鐘紡の経営破綻(2005年)と、ユニチカの繊維事業撤退(2024年)によって、現在は東洋紡のみが繊維事業を継続する趨勢となった。

債務超過回避のため債権放棄を要請・取締役全4名が辞任

2014年の時点でユニチカは取引銀行から繊維事業の撤退を進言されていたが、雇用維持などの観点から撤退判断を先延ばした経緯があった。このため、2024年までの約10年にわたって不採算の繊維事業を継続し、雇用維持を果たしたものの、ユニチカの財務体質を悪化させる要因となった。

高分子・機能資材事業における慢性的な低収益化と、繊維事業の不振により、資金繰りが悪化。2023年度末において自己資本比率19.7%・有利子負債残高921億円に達し、自力再建が難しい状況に陥った。このため、ユニチカは金融機関に対して870億円の支援を要請。三菱UFJ銀行などの取引銀行に対して430億円の債権放棄を要請した。

ユニチカは債権放棄の要請とともに、経営責任を取るために、 上埜修司社長を含めた取締役全4名が辞任。2025年に新社長に藤井実氏が就任した。

再建プランは食品包装フィルムへの集中投資

ユニチカは繊維事業の撤退によって、高分子事業(食品包装フィルム)への投資を表明。経営資源を集中することにより、財務体質の改善を含めた経営再建プランを公表した。

証言
上埜氏(ユニチカ社長)

われわれとしては、従業員の雇用を引き継いでもらえることが、1つ重要なポイントだと考えている。また、グループ内での再配置なども考えて、雇用にも最大限配慮した形で構造改革を進めたい

出所
参考文献
日経新聞:ユニチカ、繊維撤退で870億円金融支援要請 社長ら辞任へ, 2024/11/28
内容の正確性、完全性および適時性を保証しません