日本国内において紡績業を興すため、明治22年6月に兵庫県尼崎にて「有限会社尼崎紡績会社」を設立。関西の財界人が出資し、財界の有力者であった広岡信五郎が社長に就任した。
明治23年9月に尼崎において本社工場(第一工場)を竣工。煉瓦造りによる2階建ての繊維工場を新設し、綿紡績による紡糸の生産を開始した。紡績機械は英国から輸入を行い、三井物産を通じて英ブラット・ブラザーズ社の紡績機械を導入した。
1915年7月29日に大日本紡績の重役会においてレーヨン繊維への参入を決議。別会社として日本レイヨン株式会社を設立して、株式66%を大日本紡績が取得(残りの34%を外部株主が取得)。大日本紡績の本社ではなく、子会社としてレイヨンへの参入を決定した。
大日本紡績は戦後の成長分野として合成繊維への参入を決定。ビニロンに着眼して1950年10月から「ビニロン繊維」の生産を開始した。ただし、ビニロンは素材として染色が難しいため繊維用途での活用が難しく、食品包装用途の樹脂・フィルムとして用途開拓が進んだ。
このため、繊維分野において大日本紡績は合成繊維への参入で苦戦する形となり、1969年に日本レーヨンと合併(ユニチカを発足)を選択する布石となっている。
1969年10月にニチボー(大日本紡績)と日本レーヨンが合併し、合併会社として「ユニチカ」を発足した。もともと大日本紡績(ニチボー)の子会社として戦前に日本レーヨンが設立された兄弟会社であるという歴史経緯に加え、ニチボーが合成繊維事業を拡大する上で日本レーヨンとの合併を有効と判断し、ユニチカの合併発足に至った。
ユニチカの発足によって、同社は国内の繊維業界では売上高2位(1968年実績)に浮上。大手繊維メーカーが出現する大型合併として注目を集めた。
繊維事業では、合成繊維のナイロンへの設備投資を決定。
ユニチカの合併発足に合わせて、非繊維事業の強化を決定。合併10年後の売上構成について、繊維50%・非繊維50%の目標を設定し、新規事業の推進を決定した。
注力する非繊維事業としては、不動産・住宅・合成樹脂(プラスチック・フィルム)、環境プランと(焼却炉)、医療機器など多岐にわたった。
繊維事業における合理化によって余剰人員の発生が予想されたが、1969年時点でユニチカの経営陣は希望退職者の募集を見送ることを明言。余剰人員については、今後展開する予定の新規事業の推進によって吸収することを表明した。ただし、新規事業を展開する詳細について、合併の時点では定まっていなかった。
企業名 | 売上高 | 従業員数 | 主な生産品目 |
東レ | 2,320億円 | 19,000名 | ナイロン・ポリエステル・アクリル |
ユニチカ | 1,661億円 | 22,000名 | ナイロン・ポリエステル・天然繊維 |
東洋紡 | 1,617億円 | 28,000名 | ナイロン・ポリエステル・天然繊維 |
旭化成 | 1,595億円 | 17,000名 | ナイロン・アクリル |
鐘紡 | 1,572億円 | 26,000名 | ナイロン・天然繊維 |
帝人 | 1,540億円 | 16,000名 | ナイロン・ポリエステル・アクリル |
オイルショックによる繊維の販売不振により、1975年3月期にユニチカは185億円の経常赤字に転落。当時のユニチカの資本金は229億円であり、財務体質の悪化を避けるために保有資産(土地など)の売却を本格化した。
業績不振を受けて、国内3工場(名古屋工場・犬山工場・桐生工場)の閉鎖を決定。
ユニチカが株式を73%保有する寺田紡績(大阪証券取引所に株式上場)について、2012年5月に完全子会社化を実施。2011年3月期の寺田紡績の業績は、売上高28億円・営業利益0.7億円であった。ユニチカによる寺田紡績の取得原価は2.6億円(追加取得分)であり、負ののれん発生益として0.4億円を計上した。
財務体質改善(有利子負債の圧縮)のために、メインバンクの三菱UFJ銀行などから第三者割当増資による調達を実施。調達額は375億円であり、うち275億円は借入金の返済に充当
国内繊維事業の子会社である「ユニチカスピニング」について、佐賀工場の閉鎖を決定。従業員約100名については配置転換で対応
2024年11月28日にユニチカは記者会見において「繊維事業からの撤退」を決定した。ユニチカにおいて繊維事業は祖業に相当するが、採算の悪化を受けて撤退を決断した。
かねてよりユニチカの繊維事業は慢性的な低収益が続いていたが、2020年ごろまでは「高分子事業」の収益によって全社利益を確保できた。しかし、2021年度以降は高分子事業における収益が悪化し、繊維事業の赤字をカバーすることが難しくなった。このため、繊維事業からの撤退に至った。
1960年代の高度経済成長期において、ユニチカは日本の「3大紡績」の1社として認知され、東洋紡・鐘紡・ユニチカが大手紡績会社として認知されていた。しかし、鐘紡の経営破綻(2005年)と、ユニチカの繊維事業撤退(2024年)によって、現在は東洋紡のみが繊維事業を継続する趨勢となった。
2014年の時点でユニチカは取引銀行から繊維事業の撤退を進言されていたが、雇用維持などの観点から撤退判断を先延ばした経緯があった。このため、2024年までの約10年にわたって不採算の繊維事業を継続し、雇用維持を果たしたものの、ユニチカの財務体質を悪化させる要因となった。
高分子・機能資材事業における慢性的な低収益化と、繊維事業の不振により、資金繰りが悪化。2023年度末において自己資本比率19.7%・有利子負債残高921億円に達し、自力再建が難しい状況に陥った。このため、ユニチカは金融機関に対して870億円の支援を要請。三菱UFJ銀行などの取引銀行に対して430億円の債権放棄を要請した。
ユニチカは債権放棄の要請とともに、経営責任を取るために、 上埜修司社長を含めた取締役全4名が辞任。2025年に新社長に藤井実氏が就任した。
ユニチカは繊維事業の撤退によって、高分子事業(食品包装フィルム)への投資を表明。経営資源を集中することにより、財務体質の改善を含めた経営再建プランを公表した。
われわれとしては、従業員の雇用を引き継いでもらえることが、1つ重要なポイントだと考えている。また、グループ内での再配置なども考えて、雇用にも最大限配慮した形で構造改革を進めたい