明治製糖は1906年に相馬平治氏によって設立された製糖メーカーであり、日本統治下にあった台湾において製糖事業を開始した。当時は製糖業の黎明期であり、製糖需要の拡大とともに業容を拡大。大正時代には経営多角化のために「菓子・乳業」に参入して子会社「明治製菓」を設立した。さらに「明治製菓」の乳業部門が戦時中に「明治乳業」に集約されたことで、明治製糖を筆頭とする明治グループを形成した。終戦前の明治製糖はグループ全体で従業員約5,000名を要する大企業であったという。
ところが、1945年の終戦を機に、明治製糖は台湾における資産を喪失し、製糖事業のコアである拠点を失った。加えて、財閥解体によりグループ会社の株式を放出し、明治グループは資本面において解体に至った。このうち、明治製糖は、戦後に日本国内の拠点を継承して製糖業に従事したが、業績が低迷して業界再編に巻き込まれた。
1980年に明治製糖は上場廃止に至り、1984年に会社解散を決議。解散時に事業継承して発足した明糖株式会社についても、1996年に大日本製糖と経営統合を実施。単独企業としての歴史に終止符を打った。
1916年に明治製糖は国内における砂糖消費量を増大させるために、東京菓子を設立して菓子製造業に参入した。1924年に同社の商号を明治製菓に変更。戦前は「キャラメル・ビスケット・ドロップ」を中心とした菓子類の製造販売に従事した。
加えて、1920年に房総乳業を合併して乳業に参入したが、戦時中にこれらの事業を明治乳業に集約。製菓・乳業における事業分離を決定し、明治グループ内部での事業重複を解消した。
戦後の高度経済成長期にいち早く「チョコレート」の量産設備への投資を実行。同業他社よりも早い段階で投資することでブランドを確立し、チョコ菓子の領域において優位に立った。また、終戦直後には結核治療薬である「ストレプトマイシン」の製造を開始して医薬品事業に参入。
この結果、明治製菓は、社名においては「製菓」を冠していたものの、実態としては菓子事業を運営しつつ、その利益の一部を医薬品事業に投下することによって「菓子・医薬品」の2事業を育て上げた。
2009年の明治ホールディングス発足直前(2009年3月期)において、明治製菓のセグメント業績の内訳は、フード&ヘルスケア事業が売上高2977億円・営業利益30億円、薬品事業が売上高1129億円・営業利益72億円であり、不採算な食品領域を、相対的に高収益な薬品事業がカバーする状況となった。
明治乳業の創業は、1917年に三井物産によって設立された「極東乳業」の設立に相当する。1917年の設立時点では、乳製品加工工場を2箇所(静岡県三島市・北海道札幌市)、牧場を札幌市郊外に1か所保有した。
ところが1930年に極東乳業は経営不振に陥ったため、明治グループ4社(明治製糖・明治製菓など)による救済融資を決定した。
その後、戦時中の企業集約の流れを受けて、明治製糖がすでに経営していた乳業部門を分離して「明治乳業」を1940年に設立。さらに極東乳業の吸収合併を実施。明治グループの乳業部門を全て「明治乳業」に移管することで、乳業・製菓の分離を実施した。発足時における工場数は全国20箇所、牧場を3箇所(根室・札幌・神津)保有し、大手乳業メーカーとなった。
戦後は企業買収を通じて拠点を拡大。北海道にも再進出を果たし、乳業メーカーとして業容を拡大。製品面においても「牛乳」のほかに、「ヨーグルト」「アイスクリーム」などを展開し、加工食品メーカーとして業容を拡大した。
この結果、明治ホールディングスの発足直前のFY2007において、事業別の売上高は「牛乳・加工品1188億円」「ヨーグルト1023億円」「チーズ242億円」「アイスクリーム392億円」「飲料288億円」であり、牛乳を軸として売上を確保した。ただし利益面においては競争環境が厳しく、主力の牛乳でもシェア17.2%にとどまり、収益面における課題を抱えていた。
1945年の終戦により台湾の旗艦工場を失った明治製糖は、戦後を通じて経営に苦戦。1970年代を通じて慢性的な赤字を計上し、1977年3月期の時点で113億円の債務超過状態に陥った。これを受けて、1980年に明治製糖は上場廃止となり、三菱商事による再建を開始した。しかし、差別化が難しく利益の確保に至らなかった。
1984年に明治製糖は累積赤字77億円を抱え、解消の見込みが立たないことを受けて会社解散を決議した。これをもって、明治グループにおける親元に相当する「明治製糖」は消滅し、高度成長期を通じて業容を拡大した多角化事業である「明治製菓・明治乳業」と明暗が割れた。
2008年に明治製糖と明治乳業は経営統合により「明治ホールディングス」を発足することを発表した。食品業界では統合後に売上高1兆円を超える大企業の誕生となり、業界再編として注目を集めた。統合準備を経て、2009年4月に明治ホールディングスを発足し、子会社に「明治製菓・明治乳業」を擁する明治グループを集約した企業が発足した。
明治ホールディングスの発足に際しての統合比率は、明治製菓:明治乳業=1.0:1.7であり、やや明治乳業の株主に有利なものの、実質的には台頭な経営統合となった。
これはFY2008における業績において、明治製菓(売上高4140億円・経常利益96億円)に対して、明治乳業(売上高7113億円・139億円)であり、売上面では明治乳業が大きいものの、利益率の面では明治製菓が有利であり、結果として企業価値算定において、対等な統合比率に至ったものと推定される。
統合の背景は、国内における食品需要の低迷にあった。明治製菓は「菓子類・医薬品」、明治乳業は「乳製品」を手掛けていたが、いずれも国内市場が主力であり、人口の低迷とともに売上低迷に直面していた。
そこで、両社が統合することで、売上面ではブランドを活用した商品展開による拡大、利益面では小売向けの販路・流通などの合理化を図る意図でコスト削減に注力する姿勢を、それぞれ打ち出した。これらの方針について、明治ホールディングスは「統合シナジー創出」という用語で表現した。
2008年時点において明治製菓と明治乳業において、株式の持ち合いは存在したものの、保有比率は数%にとどまっており、グループ関係は存在しなかった。
ただし、明治製菓・明治乳業はともに戦前に存在した国内の大手製糖メーカー「明治製糖」の多角事業として展開された経緯が存在しており、明治製糖の系譜に存在する。
このため、資本関係は希薄なものの、明治グループとして近しい関係であり、両社が新製品の展開にあたって競合しないように展開している(例えば明治製菓が乳製品に参入しない等)ことから、暗黙的に配慮する関係性であったと推定される。
ジェネリック医薬品の製造販売において、海外展開に注力するためにMedrech Limitedの買収を決定。販売先はインド・アフリカを見据えた。
2015年1月に明治HDは、ヨーグルトおよび牛乳において、出荷価格を2%〜6%値上げする方針を発表。この結果、2016年3月期の食品事業において、値上げによる価格改定(前年度比較:営業利益プラス効果+317億円)を確保した。また、コア商品の売上拡大(同+116億円)により利益率を改善。特に、ヨーグルトにおける「プロバイオティクスヨーグルト」は、一人当たりの消費量が多く、販売が好調に推移した。
明治ファルマを通じて、KMバイオロジクスを425億円(取得原価)で買収。明治HDとしては予防医療に注力する方針を示しており、その一環として「ワクチン」の開発に従事し、創薬パイプラインを複数持つKMバイオロジクス社の買収を決定した。
なお、KMバイオロジクス社の株主は一般財団法人化学及血清療法研究所であり、同法人は血液製剤の不正問題を抱えていた。このため、収益事業(ワクチンなど)を明治ファルマへ売却することを決定した。
明治ファルマは医薬品に集中するため、非注力事業である農薬から撤退を決定。農薬事業を分割継承したMMAG社を三井化学アグロに売却した。
食品生産における集約を決定し、2027年3月に厚木市内に新工場(建築面積1.7万平方メートル・厚木市酒井地区)を新設する計画を公表。既存の神奈川向上・東北工場・戸田工場の3拠点における生産を中止し、厚木における新工場などで生産移管する方針を発表した。新工場への投資予定額は400億円であり、プレーンヨーグルト・ドリンクヨーグルトの生産に従事する予定