1900年に正田家が群馬県館林で起こした機械式製粉会社は、不況のたびに経営難に陥った競合工場を次々と合併して国内製粉シェアおよそ4割を築いた業界再編の担い手である。戦後復興期には食糧管理制度のもとで生産能力を回復させ、食生活の洋風化が1960年代から1970年代にかけての旺盛な製粉需要を押し上げた。医薬、飼料、エンジニアリングへの多角化で製粉一本足のリスクを分散し、家庭用パスタやプレミックスといった加工食品のリーディングカテゴリも確立した。1989年のカナダ買収を皮切りに海外製粉の大型買収を3件実行し、連結売上高は2001年の3,000億円台から2024年には8,500億円超へと拡大した。
転機は2019年の豪州最大手アライド・ピナクル社買収だった。翌年にコロナ禍が直撃してインストアベーカリー需要が崩れ、ウクライナ情勢に端を発する食糧インフレが追い打ちをかけ、2023年3月期には創立以来初となる親会社純損失104億円を計上した。一方で北米製粉事業は、同じ食糧インフレを販売マージンの改善機会として活用し、業績が急回復するという対照的な結果を見せた。2024年3月期の連結営業利益は単年最高水準の478億円に達し、120年を超える製粉本業の強靭さがあらためて示された。地域ごとの事業運営能力の差が、グループ全体の業績を支えた格好である。
歴史概略
1900年〜1974年創業と戦前拡張、そして戦後復興の道のり
水車粉9割の市場で起業した正田家の機械製粉
1900年、群馬県館林で正田貞一郎が設立した館林製粉は、米国から最新鋭の機械式ローラーミルを輸入して製粉業に参入した新興企業だった。当時の国内市場は伝統的な水車粉と輸入粉が消費のおよそ9割を占めており、機械式製粉はわずか1割未満にとどまる後進的な状況だった。正田家は地元の館林で営んできた米穀商や醤油醸造業で培った財務基盤をもっており、高額な機械輸入と自家発電設備の先行投資に耐えうる資本的な体力があったことが、新たな起業を実現するうえで重要な条件となった。東武鉄道の館林延伸(1907年)が製品輸送のボトルネックを解消し、全国出荷への道を開く契機となった。
1908年には経営難に陥っていた横浜の旧日清製粉を合併して社名を継承するとともに、本社機能を東京へ移し、地方の製粉会社から国内業界の再編を主導する立場へ転じた。日露戦争後に各地で乱立した製粉会社が不況のたびに経営難に陥る業界構造を利用し、合理的経営を社是として掲げたうえで、優良工場の合併吸収を繰り返す方針が確立されていった。大正年間には5工場を新設し4工場を合併することで、生産能力を1万バーレル超へと拡大させ、国内製粉業界全体の集約を実質的に主導する存在となった。業界再編を通じた規模の経済の追求が、以後の日清製粉の成長基調を決定づけた。
鶴見工場と輸出1,500万袋の頂点、そして5工場焼失
昭和初期の日清製粉は、小麦粉輸出をもう一本の成長の柱として伸ばしていった。1928年に完成した鶴見工場は能力7,000バーレルを誇り当時の国内最大規模であった。岸壁に直接本船を着岸させ、真空吸い上げ機で原料を自動受入する、いわゆる「海工場」として、輸入小麦の大量処理と品質管理を両立させた拠点である。カナダ産の下級小麦を高品質に仕立てる独自の製品化技術と鶴見工場の大型化が国際競争力の源泉となり、1933年の小麦粉輸出量は1,500万袋という過去最高水準を記録した。これは当年の国内販売量のおよそ半分に相当する規模の輸出量であり、日清製粉が世界市場でも一目置かれる存在となる局面だった。
しかし第二次世界大戦の勃発は状況を一変させた。軍の統制下で製粉業は「不急産業」として整備対象に指定され、工場の運転禁止処分が相次いで発令された。1945年の空襲では岡山、宇都宮、鶴見、水戸、鳥栖という主力の5工場が相次いで焼失し、終戦時点での残存能力はわずか4,958バーレルと、戦前最高水準の5分の1以下という水準まで落ち込んだ。皮肉なことに戦後は国策として小麦の国内供給量が戦前の実に3倍まで拡大し、製粉業への需要はむしろ急増していった。1955年3月時点の設備能力は2万6,150バーレルまで回復し、戦前最高水準をついに凌駕するところまで戻った局面にあたる。
食生活洋風化が支えた需要増と5本柱体制の出発点
1957年には鶴見と神戸の両工場へ、空気搬送方式すなわちニューマティック方式の製粉設備を国内で初めて導入し、製粉の品質と生産効率はともに向上した。パン、パスタ、プレミックスといった加工食品が普及していく食生活洋風化の波が1960年代から1970年代の製粉需要を支え、同社は1971年の神戸第二工場、1974年の千葉工場といった設備増設で対応していった。国内製粉シェアは35%前後という高い水準にあり、日清製粉は業界首位の地位を揺るぎないものとして固めた。大型港湾立地を前提とした規模の経済が業界構造をさらに寡占化させていく流れに、同社はうまく乗ることに成功した局面である。
一方で、製粉一本足に潜む経営リスクを意識した多角化路線が、1960年代から本格化していった。1961年の配合飼料事業への参入を皮切りに、1965年には日清化学(医薬品分野)、1972年には日清エンジニアリング(プラント設計分野)と専業子会社を相次いで設立し、製粉・飼料・食品・医薬・エンジニアリングという5本柱の事業体制を1970年代中に確立した。この多角化路線は、食糧管理法体制のもとで国内小麦粉価格が国際価格よりも割高に維持され、製粉部門の収益が構造的に圧迫され続けるという慢性的な課題に対する、経営側からの打ち手でもあった。単一事業への依存度を下げることが、グループの持続的な成長を支える前提条件となった。
1975年〜2019年多角化の完成と再編、北米製粉進出への道
分社・統合・再分社を繰り返した20年
1980年代後半、グループ革新計画「エヌ・アイ90」のもとで日清フーズ・日清化学の両社を本社に吸収合併し、多角化してきた事業群を一元的に管理する体制へ再編した。1988年にはカナダの製粉会社ロジャーズフーズを買収し、国内再編と海外展開を同時並行で推進する体制を整えた。医薬部門では1955年以降に自社で開発してきたビタミン合成技術を活用し、1992年には大型新薬ダイム錠(高血圧・狭心症の治療薬)を発売するなど、製粉技術の周辺応用による収益多様化を図っていった。既存の製粉技術から派生した研究開発力が、グループ全体に新たな付加価値をもたらした。事業の幅を広げつつ、中核技術の応用先を探し続ける姿勢が鮮明になった。
2001年7月には全事業を再び分社化し、持株会社「日清製粉グループ本社」と事業会社(日清製粉・日清フーズ・日清飼料・日清ファルマなど)による新しい体制へと移行した。エヌ・アイ90計画で子会社を本社へ統合したのとはちょうど逆の動きだが、「各事業会社がそれぞれの業界にベストフィットできる仕組みにする」(瀧原賢二社長、決算説明会 FY23-2Q)という事業運営の機動性向上という意図が背景にあった。製粉首位という安定した収益基盤が、事業組織の大胆な変更を可能にする土台として機能していた。業界リーダーとしての余裕が、組織改革の自由度を支えたと言ってよい。
ロジャーズフーズから中計2,000億円買収への道
1989年のカナダ・ロジャーズフーズ買収は、日本の製粉会社による初の本格的な海外製粉企業の買収事例だった。1991年のタイでの合弁会社設立、2013年のニュージーランド製粉事業の取得と、海外拠点を広げながら海外での製粉運営に関するノウハウを蓄積していった。しかし北米市場での実質的な飛躍は、2012年の米国ミラー・ミリング・カンパニー買収によってもたらされた。北米最大級の小麦粉メーカーの取得によって日清の北米製粉事業が業界上位圏へと浮上し、さらに2014年5月には米国製粉4工場を追加で取得して、規模を拡大した。長年かけて積み上げた海外展開のノウハウが実を結んだ局面だった。
大枝宏之社長(2011年から2017年まで在任)は「中計期間中でM&A投資に2,000億円程度は使う」(ダイヤモンド・オンライン 2013/9/12)と、積極投資の姿勢を業界に対してはっきり打ち出した。「製粉業界は上位4社が全体の70%のシェアを握るが、国内には90社もの製粉会社が存在する」(同前)という業界構造への認識のもとで、国内市場での集約と海外での大型買収という両面作戦から事業規模の拡大を同時に目指す方針が経営のなかで固まっていった。2019年度の製粉セグメント売上は3,067億円と10年前のおよそ1.7倍という水準に達しており、豪州買収前の海外売上高比率はすでに27%を大きく超えるところまで伸びていた。
製粉が稼いで食品・医薬が変動する構造の定着
持株会社移行後の連結業績においては、「製粉がキャッシュカウとして安定的に稼ぎ、食品・医薬が変動要因となる」という収益構造が定着した。国内製粉は小麦価格の上昇分を取引先への価格改定で転嫁するというルールが業界慣行として確立されており、業績への影響はおおむねニュートラルな形に保たれていた。2009年度から2018年度までの10年間、連結営業利益は230億円から290億円というレンジのなかに収まり続け、ミラー・ミリング買収という大型案件を経たあともなお、グループ収益全体の安定性は維持されていた。日本的な価格転嫁慣行が、製粉会社の利益を守る安全弁として機能していた構図と言える。
一方で医薬部門については、2008年に日清キョーリン製薬が杏林製薬に合併されたことで事業規模が縮小した。食品セグメントは家庭用パスタ、お好み焼粉、天ぷら粉といったリーディングカテゴリを擁しており、2009年度の売上2,237億円・営業利益104億円という水準がおおむね維持された。2019年からは中食・惣菜セグメントが独立して3区分(製粉・食品・中食)体制へ移行し、中食事業は2016年に子会社化したジョイアス・フーズなどの企業買収で積み上げた1,300億円規模の新たな成長軸として位置づけられた。家庭内調理の中食化という消費トレンドが、新たな事業領域の必要性を高めていた。
2020年〜2024年豪州最大手の買収と減損損失という経営試練
のれん427億円を積み上げた豪州買収の賭け
2019年4月、日清製粉グループはオーストラリア最大の製粉会社アライド・ピナクル社を正式に買収した。この買収によって連結のれん残高は2018年度末の50億円から2019年度末には一気に427億円へと急増し、製粉セグメントの資産規模が大きく拡大した。「米国・カナダ・豪州の三極で海外製粉網を構築する」という長年の経営構想を最終的に実現するための戦略投資であり、アジア向けの輸出拠点としての地政学的な価値と、人口増加が今後も続くと見込まれるオセアニア市場の長期的な成長性の両方が、買収の根拠として繰り返し説明されていた。日本の製粉会社としてはきわめて大胆で野心的な海外投資だった。
しかし翌年になって状況は一変した。コロナ禍が直撃した結果、買収前に事業計画の核に据えていたインストアベーカリー向けの需要が落ち込み、買収後に露顕した現地運営上の課題が業績に重くのしかかった。日本本社からの現地訪問自体も移動制限で制約され、経営管理上のコミュニケーションが十分にとれない状態が2年以上続いた。2022年10月にはアライド・ピナクル社に対する減損損失を計上した。2022年度には豪州製粉やエイコサペンタエン酸原薬事業の低迷に加え有価証券評価損が重なり、特別損失565億円が発生して創立以来初の親会社純損失104億円を計上した。のれん残高は2022年度末に75億円まで圧縮された。
食糧インフレの二つの顔、なぜ北米が豪州を救ったか
アライド・ピナクル買収後の3年間(2020年度から2022年度まで)は、国内外で同時多発的に発生したコスト上昇圧力にさらされた。ウクライナ情勢に起因する穀物や資源相場の急騰が2022年度にも継続し、豪州ではサプライチェーンの混乱と国境封鎖による人手不足がコストアップの要因として加わった。国内加工食品においては原材料コストの取引先への転嫁が遅れ、食品セグメントの営業利益は2009年度比のおよそ半分以下の水準まで落ち込んだ。エイコサペンタエン酸原薬の主要供給先であるアマリン社が在庫過多に陥ったことで、2023年度上期の下期出荷がほぼゼロになるという打撃も重なった。
一方で北米製粉事業は、同じ世界的な食糧インフレを販売マージン改善の絶好の機会として活用することに成功した。価格転嫁が業界全体で機能したことにより競合他社にも同様の業績改善の動きが広く見られ、生産性改善と原料調達強化を組み合わせた北米製粉の利益率向上が他事業での損失を力強く下支えした。2023年度の製粉セグメント利益は286億円と2022年度比で110億円の大幅な増加を記録し、連結営業利益は328億円から478億円へと単年で実に150億円もの急増となった。2023年1月に子会社化した熊本製粉の新規連結効果も加わって、グループ全社の利益水準をさらに押し上げる格好となった。
業績急回復が示す収益構造の非対称性
2023年度の連結営業利益478億円は、グループ全体の収益が製粉セグメントへ強く集中していることをあらためて意味していた。製粉セグメント利益は286億円で全体営業利益のおよそ60%を占めた一方、食品セグメントは54億円、中食・惣菜セグメントはわずか17億円と低調な水準が続いた。2024年度は営業利益464億円と高水準を維持したものの、国内製粉と国内加工食品でのコスト転嫁の遅れが新たな減益要因として浮上した。小麦粉価格改定の従来慣行は原料コストのみを反映する仕組みだったが、2025年7月の改定では人件費を含めた形での転嫁を実施する方針が公式に表明され、業界慣行変更の転換点となった。
豪州製粉の減損後の業績回復施策としては、コスト削減、主力製品での売上拡大、収益性の高い市場の選択、ブランド化という4つの柱となる施策が並行して推進され、2023年度には8億円の増益(中期経営計画の計画達成)、2024年度にも改善傾向が継続した。インドイースト事業は2022年度に工場を稼働させて以降しばらくはシェア拡大が順調に進んでいたが、現地のコストインフレが想定を超えて拡大したため業績が目標未達の状態となり、2026年度上期には2例目となる海外事業の減損損失を計上する結果となった。海外展開という戦略そのものの難しさが、あらためて露呈した形である。製粉の生産運営と現地市場の販売運営は、まったく別の技能を要することを同社は痛感した。
直近の動向と展望
中計目標570億円と国内価格転嫁慣行の変更
2022年10月の第四次中期経営計画策定時(2026年度の目標は480億円)からわずか2年後の2024年11月には、目標を570億円・自己資本利益率8%へと大きく上方修正する運びとなった。業績回復が計画を大幅に前倒しする形で達成されたためである。この間、倉敷市水島地区の新工場稼働、米国サギノー工場の日量600トン増強、熊本製粉の子会社化などと、設備投資を一気に加速させていった。2025年7月の国内小麦粉価格改定においては、人件費を価格に転嫁するという大きな慣行変更を実施している。原料コストのみを転嫁する従来方針からの明確な転換であり、価格決定力の行使という観点で業界全体への波及効果は非常に大きい。
株主還元の方針については、「これ以上キャッシュを貯める必要はない」(瀧原社長、決算説明会 FY25-2Q)という姿勢のもとで、中期経営計画5年間の営業キャッシュフローおよそ2,500億円と、政策保有株式の縮減によって得たキャッシュを、投資と還元の両面で全額使い切ることを経営方針として掲げている。11期連続の増配を維持しつつ、政策保有株式を3年間で150億円以上縮減するという具体的なコミットメントを外部に明示した。ただし株式市場が期待する投下資本利益率は、自社試算の加重平均資本コスト5%を上回る7〜8%の水準であり、資本効率の改善が引き続き経営課題として残されているのが実情である。
豪州・インドの2例連続減損と次の投資先
豪州アライド・ピナクル(2023年度第2四半期減損)に続き、2025年10月にはインドイースト事業でも減損損失を計上した。インドイーストは2022年に工場を稼働させ、年間およそ70億円の売上とおよそ10億円の利益を目標としていた事業であり、現地でのコストインフレと市場変動が想定を超えて拡大したことが主な原因である。減損による年間減価償却費の削減効果はおよそ7億円とされる。瀧原社長は「問題を一気に吐き出し、来期以降のV字回復を目指す」(週刊エコノミスト 2023/2/6)というスタンスを豪州減損以降一貫して崩していないが、海外2事業における連続減損は、投資審査プロセスの抜本的な見直しを求める声を社内外で高める結果となっている。
北米市場は引き続きグループにとって最重点の投資領域として位置づけられている。米国製粉事業では既存工場の増設に加えて、新工場の建設という選択肢も現実的に検討されており、中食・惣菜事業ではノムラフーズの冷凍食品工場の新設が発表されている。2025年10月時点での加工食品の通期計画は下方修正されており、為替や原材料費の上昇を吸収するための価格改定と、販路拡大に向けた拡販施策の両立が、当面の経営課題となっている。国内における価格転嫁慣行の変更と海外市場での成長投資という二正面作戦を、同時並行で進めていかなければならない局面に入っている。創業120年を超える老舗製粉会社にとって、次の成長戦略の輪郭が問われている。