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ソフトバンクの歴史

1981年
創業経緯

財界人からの期待を受けて日本ソフトバンクを創業

孫正義は起業にあたってシャープの役員であった佐々木正から様々な支援を受けており、当時は無名であったソフトバンクは佐々木氏の個人的な援助によって事業をスタートさせた。1976年に孫正義は、シャープの佐々木正氏を通じて、ポータブル翻訳機の権利をシャープに約1億円で売却しており、この出来事を通じて孫正義はシャープの佐々木正氏との信頼関係を構築していた。なお、佐々木氏は、ソフトバンクが創業期に第一勧銀から融資を受ける際、プライベートで個人保証をするなど、リスクをとって孫正義を支えている。

創業期のソフトバンクの主力事業は、パソコンソフトウェアの卸売業である。1980年代前半には日本でもパソコンが徐々に普及しつつあったが、ソフトウェアは無数の中小企業によって生産されたが、日本国内にはソフトウェアの卸売業は存在せず、ソフトメーカーは販売先に悩み、販売店はどこが有力なソフトメーカーなのかを判別できずに苦労していた。このため、メーカーおよび販売店は、ともにソフトウェアの販売拡大に難渋していた。

そこで、ソフトウェアの流通問題を解決するために、ソフトバンクでビジネスを行うことを決定した。

孫正義
孫正義
(ソフトバンク創業者)

私が自分で事業を始めたのは、私独自の商売のやり方というものを持っていたからです。特にハイテクのベンチャービジネスについては、未開拓の分野です。自分で考えて、考えながら行動しなければなりません。そのためには、自分の会社を持たなければできません。しかし自分の会社をやっていくということは、日本のビジネス世界のアウトサイダーになることです。その道は険しいものです。しかし、それが人生です。

1992/5DHB(2016/11DHBR「ソフトバンクビジネス創造期」)
1981年
意思決定

家電量販店の上新電機と提携し、ソフトメーカーを囲い込む

、孫正義は販売面で1981年に家電量販店のトップ企業である上新電機と提携し、ソフトバンクが独占的にパソコンソフトを納入する権利を獲得する。なお、設立間もないソフトバンクが上新電機と提携できた理由は、シャープの佐々木正氏が孫正義という人物を信用していたことが上新電機にも伝わったからであった。また、ソフトバンクはソフトメーカーであるハドソンと独占契約を締結し、有力ソフトメーカーと有力販売点の2つを掌握した。

強力な販売店と、ヒット作を生み出す有力メーカーを掌握したことで、ソフトバンクはソフト卸業界で一気に頭角を現した。1986年までにソフトバンクは、小売業の加盟店7000店を掌握し、ソフトウェア卸でシェアNo.1を確保する。また、ソフトバンクはパソコンソフトの出版事業にも参入し、卸売業を支える事業に育るとともに、同業のアスキー(西和彦社長)を牽制した。

この結果、1980年代を通じてソフトバンクは、ソフトウェアの卸売業として急成長を遂げ、設立7年目の1988年度には売上高190億円、利益13億円を計上した。なお、創業期のソフトバンクには、まだ若い孫正義の経営を支えるため、シャープの佐々木正氏の紹介により、大森康彦(当時50代・元セコム副社長)がソフトバンクの社長および会長を歴任し、孫正義を支えた。ただし、大森康彦は「孫社長の発想はいいものがある。かれはこれまで僕の経営のやりかたを見てきたわけだし、経験を積んでいけば立派にやっていけると思う。僕はもう必要ない」(1989/4/5日経産業新聞p9)と言い残し、1989年にソフトバンクの会長を退任した。

1992年
業績悪化

ソフト卸業界の競争激化により収益性が悪化

1980年代後半に入るとソフトウェア業界では、有力なメーカーの顔ぶれが固定化し、メーカーは販売店との直接取引を志向するようになった。この結果、ソフトバンクが立脚していたソフトウェア卸という業態の先行きが怪しくなり、1990年代初頭に日本ソフトバンクの利益率が低下する。1992年3月期にソフトバンクは売上高438億円に対して、経常利益1億円という赤字すれすれの決算を計上するなど、苦戦が続いた。

1990年に孫正義は「2年後に上場する」という目標を立て、本社を東京高輪(NSビル)移転するものの、業績不振により上場は延期となった。ソフトバンクは家賃を節約するために、高輪から日本橋に移転するなど、経営方針は迷走する。なお、1996年にはソフトウェア卸業界2位だった「ソフトウェアジャパン」が経営破綻し、1997年には孫正義のライバルであった西和彦が率いる「アスキー」が債務超過に陥るなど、ソフト界隈のキラ星が相次いで脱落していた。

1994年
意思決定

ジフデービス社の展示場部門を買収し、ネットベンチャー投資を本格化

孫正義は「ソフトウェア」だけではなく「ネットワーク」に着目し、1991年よりコンピューターのネットワーク機器の販売に着手する。これによって業績を立て直し、1994年にソフトバンクは株式上場を果たした。

さらに、上場によって獲得した2000億円の資金を使って、海外の有望企業を買収する道を選択する。1994年にソフトバンクは米国のジフデービス社の展示場部門を約200億円で買収し、国内のシフトウェア卸の売上比率を徐々に低下させた。ちなみに、ソフトバンクは、モルガン・スタンレーに買収の顧問料として10億円を支払った。

ジフデービスの買収によって、孫正義は米国のベンチャー企業「ヤフー」に投資するチャンスを得るなど、ネットベンチャーへの投資を加速させる。この結果、1990年代を通じてソフトバンクはソフトウェア会社から、様々なネット企業の株式を保有する「投資会社」に変貌する。

孫正義
孫正義
(ソフトバンク創業者)

PC業界やPCソフト業界はこれまでに三段階の発展を経てきました。第一段階はゲームソフトビジネスの段階でした。PCは主にゲーム用として、遊びに使われていました。第二の発展段階は、ワープロや表計算ソフトなど、オフィスビジネスに応用された段階でした。そして第三の発展段階がいまやってきたところで、つまり、会社のネットワーク化の段階です。

私はコンピューターネットワーキングにあらゆる努力を傾け、すべての投資を注ぎ込んできました。コンピュータネットワーキングでナンバーワンになることが私の夢です。というのは、この領域は、今後とてつもない成長が見込まれるからです。

1992/5DHB(2016/11DHBR「ソフトバンクビジネス創造期」)
(MEMO)
2000年代以降のソフトバンクの歴史は、気が向いたら書きます

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