ファーストリテイリング(ユニクロ)の歴史

斜陽化した商店街から脱出し、カジュアルウェア「ユニクロ」の全国展開で成長。2010年以降は海外を中心に展開し、グローバル企業に転身
創業年
-
上場年
-
従業員数
-
単体1589名
平均年齢
-
単体1589名
平均年収
-万円
単体1589名
  • 沿革
  • 要点
  • 業績
  • 経営者
1949年
柳井家が宇部商店街に紳士服店を開業
山口県宇部で手広く土木業などを営んでいた柳井家は、商店街における紳士服販売業に参入した。当時は法人化されておらず、個人経営であった。
1963年
小郡商事を設立
個人経営の紳士服店を法人化するために小郡商事を設立。のちのファーストリテイリングの母体となった。
1968年
宇部興産がリストラを実施
小郡商事が店を構える宇部新川駅前の商店街は、宇部興産の最寄りの商店街として企業城下町として発展していた。だが、宇部興産の主力事業であった石炭採掘事業が輸入原油によるエネルギー革命によって競争力を失うと、1960年代後半に宇部における炭鉱の閉鎖と人員の大規模な削減を決断した。
柳井正の発言
私は1949年に、山口県宇部市という炭鉱の町に生まれました。石炭の産出地ですから、戦後復興期に大変栄えていた記憶があります。しかし、石炭から石油へとエネルギー革命が起こり、炭鉱は閉山、人口は減少していきました。...(中略)...産業の衰退に伴い、あれほど賑わっていた商店街も多くの店舗が閉店していきました。現在では他の多くの商店街と同じようにシャッター通りとなっていて、われわれの店があった場所も更地になっています。本当に寂しい限りです。過去の話ですが、これが私の原点です
2016/06商業界「店は客のためにあり、店員とともに栄える」
1984年
広島市内にユニクロ1号店を開業
柳井正は斜陽化しつつある宇部新川駅前の商店街からの脱出を図るため、広島にカジュアルウェアのユニクロ1号店を新規出店した。広島随一の繁華街に出店し、若者の集客を図る。
1989年
GAPがSPAを宣言
1980年代を通じて急成長しつつあった米国発祥のGAPは、生産地として中国の現地メーカーと委託契約を締結することで「安くて品質の良いアパレル」を製造することに成功した。1987年にGAPは自らのグローバルなビジネスモデルを「SPA」と宣言する。
1991年
GAPのビジネスモデルを参考にし、社名をファーストリテイリングに変更
1980年代に柳井正はGAPが中国での生産によって「品質が良い安いアパレル」を実現していることに影響され、自らもグローバルでの調達体制を構築することを目論む。そして柳井正は自らの「グローバル調達体制」というビジネスモデルを体現するために、社名を小郡商事からファーストリテイリングに変更した。当時、日本国内にSPAを標榜するアパレルメーカーはなく、ファーストリテイリングが国内企業としては最先発となった。
?年
日本長期信用銀行がファストリテイングに融資を実施
ファーストリテイリングは中国での調達体制と、国内の郊外でのカジュアルウェアの販売というビジネスモデルを編み出したものの、スケールさせるための資金が不足していた。地方銀行が融資に足踏みをする中、日本長期信用銀行はファーストリテイリングへの融資を決断。これによって、ファーストリテイリングはユニクロの全国展開のための原資を獲得する。
1994年
ユニクロ国内直営店舗100店突破
ファーストリテイリングは出店効率を高めるために、創業の地である山口県宇部市を中心に、西日本のロードサイドにユニクロの集中出店を実施。さらに、ロードサイドにおける店舗需要の高い中部地区に照準を定めるなど、ユニクロを郊外型店舗として増大させる。この結果、1994年にはユニクロ国内100店舗を達成する。
1994年
広島証券取引所に株式上場
業容の拡大によってファーストリテイリングは広島証券取引所への株式上場を果たす。その後もファーストリテイングは全国のロードサイドへの出店攻勢を続けた。
1998年
東京原宿に出店し、都心進出を図る
1990年代までのユニクロはロードサイドのアパレルブランドであり、国内における知名度は小さかった。そこで、1998年にファーストリテイリングは東京原宿にユニクロを出店することを決断した。なお、出店にあたってはフリースを目玉商品に据えた。
2000年
フリース旋風により売上高営業利益率20%を達成
1998年の原宿出店による都心進出に際してユニクロのフリースが「安くて品質が良い」という評判を生み、ファーストリテイリングの業績を底上げした。この結果、2000年には売上高2289億円、営業利益606億円、営業利益率26%を達成し、アパレル業界では驚異的な水準を記録した。この成功により、ユニクロは日本を代表するアパレルブランドとして認知され、ファーストリテイリングの採用するSPAというビジネスモデルも市民権を得た
2001年
ロンドン進出
日本におけるユニクロの成功を受けて、ファーストリテイリングは海外展開を志向。ロンドンへの出店を決めて18ヶ月で21店舗を新設する計画を立てた。
2003年
イギリス15店舗閉鎖
イギリスにおけるユニクロの経営成果は芳しくなかった。現地法人の社長(イギリスの百貨店出身の現地人)が保守的で社内統制が不十分だったり、あまりの急拡大に店舗運営が追いつかず混乱を招いたという。加えて、当時のイギリスの店舗では店員への教育が不十分で、店内は汚かったと言われている。結果として、2003年6月までにファーストリテイリングはイギリスの郊外店を中心に13店舗を閉鎖して5店舗のみの営業継続を決めた。
2006年
ニューヨークに旗艦店を新設
ファーストリテイリングは海外における店舗展開を再度本格化させるために、ニューヨークにユニクロの旗艦店を新設した。以後、ファーストリテイリングは2010年代を通じてグローバル展開を積極化させ、同社の売上高の伸びを海外事業が牽引する形となった。
2017年
有明本部を稼働し、システム投資を本格化
2010年代を通じてアパレル業界ではZOZOTOWNなどのネット通販会社が急成長を遂げた。そこで、ファーストリテイリングもネット通販の需要を取り込むために、2017年に有明本部を稼働してシステムへの本格投資を決断した。
沿革はちょいとお待ちを...そんなに一気にデータをクレンジングできないです(涙)
セグメント業績
国内ユニクロ事業
売上収益
8068億円
セグメント利益
1046億円
海外ユニクロ事業
売上収益
8439億円
セグメント利益
504億円
ジーユー事業
売上収益
2460億円
セグメント利益
215億円
グローバルブランド事業
売上収益
1096億円
セグメント利益
-132億円
2020年8月期
Loading...
画像は準備中です
柳井正(ファーストリテイリング・代表取締役会長兼社長)
1949年山口県宇部市生まれ、1972年小郡商事取締役(現ファーストリテイリング)、1984年小郡商事代表取締役社長、2002年ファーストリテイリング代表取締役会長、2005年ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長

ファーストリテイリング(ユニクロ)の歴史

斜陽化した商店街から脱出し、カジュアルウェア「ユニクロ」の全国展開で成長。2010年以降は海外を中心に展開し、グローバル企業に転身
1949年
柳井家が宇部商店街に紳士服店を開業
山口県宇部で手広く土木業などを営んでいた柳井家は、商店街における紳士服販売業に参入した。当時は法人化されておらず、個人経営であった。
1963年
小郡商事を設立
個人経営の紳士服店を法人化するために小郡商事を設立。のちのファーストリテイリングの母体となった。
1968年
宇部興産がリストラを実施
小郡商事が店を構える宇部新川駅前の商店街は、宇部興産の最寄りの商店街として企業城下町として発展していた。だが、宇部興産の主力事業であった石炭採掘事業が輸入原油によるエネルギー革命によって競争力を失うと、1960年代後半に宇部における炭鉱の閉鎖と人員の大規模な削減を決断した。
柳井正の発言
私は1949年に、山口県宇部市という炭鉱の町に生まれました。石炭の産出地ですから、戦後復興期に大変栄えていた記憶があります。しかし、石炭から石油へとエネルギー革命が起こり、炭鉱は閉山、人口は減少していきました。...(中略)...産業の衰退に伴い、あれほど賑わっていた商店街も多くの店舗が閉店していきました。現在では他の多くの商店街と同じようにシャッター通りとなっていて、われわれの店があった場所も更地になっています。本当に寂しい限りです。過去の話ですが、これが私の原点です
2016/06商業界「店は客のためにあり、店員とともに栄える」
1984年
広島市内にユニクロ1号店を開業
柳井正は斜陽化しつつある宇部新川駅前の商店街からの脱出を図るため、広島にカジュアルウェアのユニクロ1号店を新規出店した。広島随一の繁華街に出店し、若者の集客を図る。
1989年
GAPがSPAを宣言
1980年代を通じて急成長しつつあった米国発祥のGAPは、生産地として中国の現地メーカーと委託契約を締結することで「安くて品質の良いアパレル」を製造することに成功した。1987年にGAPは自らのグローバルなビジネスモデルを「SPA」と宣言する。
1991年
GAPのビジネスモデルを参考にし、社名をファーストリテイリングに変更
1980年代に柳井正はGAPが中国での生産によって「品質が良い安いアパレル」を実現していることに影響され、自らもグローバルでの調達体制を構築することを目論む。そして柳井正は自らの「グローバル調達体制」というビジネスモデルを体現するために、社名を小郡商事からファーストリテイリングに変更した。当時、日本国内にSPAを標榜するアパレルメーカーはなく、ファーストリテイリングが国内企業としては最先発となった。
?年
日本長期信用銀行がファストリテイングに融資を実施
ファーストリテイリングは中国での調達体制と、国内の郊外でのカジュアルウェアの販売というビジネスモデルを編み出したものの、スケールさせるための資金が不足していた。地方銀行が融資に足踏みをする中、日本長期信用銀行はファーストリテイリングへの融資を決断。これによって、ファーストリテイリングはユニクロの全国展開のための原資を獲得する。
1994年
ユニクロ国内直営店舗100店突破
ファーストリテイリングは出店効率を高めるために、創業の地である山口県宇部市を中心に、西日本のロードサイドにユニクロの集中出店を実施。さらに、ロードサイドにおける店舗需要の高い中部地区に照準を定めるなど、ユニクロを郊外型店舗として増大させる。この結果、1994年にはユニクロ国内100店舗を達成する。
1994年
広島証券取引所に株式上場
業容の拡大によってファーストリテイリングは広島証券取引所への株式上場を果たす。その後もファーストリテイングは全国のロードサイドへの出店攻勢を続けた。
1998年
東京原宿に出店し、都心進出を図る
1990年代までのユニクロはロードサイドのアパレルブランドであり、国内における知名度は小さかった。そこで、1998年にファーストリテイリングは東京原宿にユニクロを出店することを決断した。なお、出店にあたってはフリースを目玉商品に据えた。
2000年
フリース旋風により売上高営業利益率20%を達成
1998年の原宿出店による都心進出に際してユニクロのフリースが「安くて品質が良い」という評判を生み、ファーストリテイリングの業績を底上げした。この結果、2000年には売上高2289億円、営業利益606億円、営業利益率26%を達成し、アパレル業界では驚異的な水準を記録した。この成功により、ユニクロは日本を代表するアパレルブランドとして認知され、ファーストリテイリングの採用するSPAというビジネスモデルも市民権を得た
2001年
ロンドン進出
日本におけるユニクロの成功を受けて、ファーストリテイリングは海外展開を志向。ロンドンへの出店を決めて18ヶ月で21店舗を新設する計画を立てた。
2003年
イギリス15店舗閉鎖
イギリスにおけるユニクロの経営成果は芳しくなかった。現地法人の社長(イギリスの百貨店出身の現地人)が保守的で社内統制が不十分だったり、あまりの急拡大に店舗運営が追いつかず混乱を招いたという。加えて、当時のイギリスの店舗では店員への教育が不十分で、店内は汚かったと言われている。結果として、2003年6月までにファーストリテイリングはイギリスの郊外店を中心に13店舗を閉鎖して5店舗のみの営業継続を決めた。
2006年
ニューヨークに旗艦店を新設
ファーストリテイリングは海外における店舗展開を再度本格化させるために、ニューヨークにユニクロの旗艦店を新設した。以後、ファーストリテイリングは2010年代を通じてグローバル展開を積極化させ、同社の売上高の伸びを海外事業が牽引する形となった。
2017年
有明本部を稼働し、システム投資を本格化
2010年代を通じてアパレル業界ではZOZOTOWNなどのネット通販会社が急成長を遂げた。そこで、ファーストリテイリングもネット通販の需要を取り込むために、2017年に有明本部を稼働してシステムへの本格投資を決断した。
創業年
-
上場年
-
従業員数
-
単体1589名
平均年齢
-
単体1589名
平均年収
-万円
単体1589名
画像は準備中です
柳井正(ファーストリテイリング・代表取締役会長兼社長)
1949年山口県宇部市生まれ、1972年小郡商事取締役(現ファーストリテイリング)、1984年小郡商事代表取締役社長、2002年ファーストリテイリング代表取締役会長、2005年ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長
沿革はちょいとお待ちを...そんなに一気にデータをクレンジングできないです(涙)
セグメント業績
国内ユニクロ事業
売上収益
8068億円
セグメント利益
1046億円
海外ユニクロ事業
売上収益
8439億円
セグメント利益
504億円
ジーユー事業
売上収益
2460億円
セグメント利益
215億円
グローバルブランド事業
売上収益
1096億円
セグメント利益
-132億円
2020年8月期
Loading...