安宅産業の歴史

創業年
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上場年
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従業員数
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平均年齢
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平均年収
-万円
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安宅弥吉(安宅産業・創業者)
  • 歴史
  • 沿革
  • 業績
1909年

安宅商会を設立

貿易会社に勤務していた安宅弥吉は「安宅商会」を大阪で創業して独立を果たす。
1934年

日本製鉄の指定商として取引開始

発足したばかりの日本最大の製鉄会社「日本製鉄(八幡製鉄)」との取引を開始し、安宅産業は鉄鋼の取り扱いを開始した。以後、安宅産業は機械・鉄鋼の取り扱いに強みがある商社として業容を拡大する。
1966年

住友商事との合併を撤回

1960年代を通じて商社各社は取り扱い品目の増大を試みて、同業他社の合併が相次いだ。安宅産業のメインバンクである住友銀行は、住友商事と安宅産業の合併を模索するが、この合併話は破談となる。以後、安宅産業は単独企業として、生き残りを図る。
1973年

空前の好決算を計上

1973年3月期(半期)に安宅産業は67億円の経常利益を計上し、1972年9月期の経常利益14億円を大きく上回る増益を達成した。特に鉄鋼(指定問屋)などの取り扱いが好調であった。当時の新聞は安宅産業の好決算を「空前」と評価するなど、安宅産業は順調に業容を拡大する。
1973年

NRC総代理店契約を締結

安宅産業は中東石油を購入して、カナダ沖の石油精製基地で航空機燃料を精製し、米国東海岸の空港に売り込むプロジェクト「NRC」を稼働した。安宅産業としては、中東で算出する安い原油をメジャー(BP社)から購入することで、コスト競争力を武器にする目算だった。
1975年

NRCプロジェクトの頓挫により倒産危機へ

オイルショックにより石油価格が高騰すると、中東原油の輸入を前提としたNRCのプロジェクトの経営が行き詰まった。だが、安宅産業はNRCに対して膨大な資金を融資する契約を締結していたため、結果としてNRCの危機が安宅産業本社の経営危機につながった。この結果、たった1つのNRCというプロジェクトの判断ミスによって、安宅産業の財務状況が悪化し、同社は倒産の危機に陥る。
1977年

伊藤忠に吸収合併される(安宅産業破綻)

安宅産業は倒産の危機に瀕したものの、日本銀行などの財界筋は「総合商社の倒産は経済不況をもたらし、日本の国際的な信用を失墜させる」と判断して企業の存続が模索された。最終的に、安宅産業のメインバンクであった住友銀行が責任を取る形で、同じ住友銀行のメインバンクであり安宅産業の競合であった伊藤忠が安宅産業を吸収合併した。この過程で、安宅産業の一部の事業は伊藤忠には吸収されず、安宅産業の社員の多くがリストラの憂き目にあった。
読売新聞(1977年)
ことしの十大ニュースはまだ先の話だが、安宅産業の倒産が上位を占めることは間違いないだろう。戦後、企業倒産はたくさんあったのに、これほど世の関心を集めた例はなかった。その理由を整理してみると、①「ありうべからず倒産」であった、②倒産への過程が企業小説のように波乱に富んでいた、③その結果、安宅関連の多くの本が出版された、などが考えられる。わが国のサラリーマンは有業人口の7割を超えるといわれる。安宅の本がたくさん売れた背景には「安宅」が他人事ではない、という思いがあったに違いない。その証拠に、安宅関連の本は、これまでになく広い範囲で出版され、売れているのが大きな特徴といえる。
1977/10/24読売新聞朝刊p8「安宅倒産」
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