三菱商事の歴史

The社史の視点(Yuatka-Sugiura)

三菱商事の歴史的な強みは、電力やガス会社といった大口顧客との太いパイプを有していることに尽きます。高度経済成長期には、電力会社に対して、海外産の原料炭(燃料)の取引を仲介するとともに、三菱重工のタービンを納入することによって、総合商社として業容を拡大しました。1970年代以降はブルネイのLNGやオーストラリアの原料炭などの資源開発投資にも乗り出し、単なる仲介からリスクを背負う投資事業に軸足をシフトします。今でも三菱商事の稼ぎ頭は資源事業で、事業内容は「仲介→投資」へと変遷していますが、東京電力などのインフラ企業が主要顧客であることは一貫しています。

三菱商事 - セグメント情報

2019年3月期(主要事業のみ抜粋)

三菱商事 - 有価証券報告書


三菱商事 - 創業経緯

1918年 三菱商事の再発足

三菱商事の歴史は、第一次世界大戦後に三菱財閥が貿易事業を行うために三菱商事を設立したことに始まるが、第二次世界大戦直後に旧三菱商事は財閥解体の指定によって消滅した。終戦後、三菱商事は複数の会社に分割されたが、1952年に再合同を果たして三菱商事を再び設立。同業の三井物産も財閥解体の指定を受けたが、その後の合併がなかなか進まなかったのに対し、三菱商事は素早く再合同を果たしたことで総合商社として有利に競争を進めることになる。三菱商事は三菱電機や三菱重工といった、重工メーカーの販売役として高度経済成長期に業容を拡大する。主な顧客は、東京ガスや東京電力などのインフラ会社であった。


三菱商事 - 歴史沿革

  • 1918年 三菱商事の発足
  • 1947年 GHQより解散司令
  • 1952年 三菱商事の再発足
  • 1952年 東証に株式上場
  • 1968年 商品本部制に移行
  • 1968年 ブルネイLNGに投資決定
  • 1968年 北洋商会を子会社化(食品卸)
  • 1974年 タイにいすゞ輸入販売代理店を設立
  • 1981年 サウディ石油化学合弁契約に調印
  • 1983年 商社冬の時代論争
  • 1986年 K-PLAN策定(売上競争脱却)
  • 1988年 チリ銅鉱山開発に参画
  • 1990年 アリステックケミカルを8.8億ドルで買収
  • 1993年 太田副社長退任(財テク縮小)
  • 1990年 アリステックケミカルに5億ドル融資
  • 2000年 アリステックケミカルを売却損
  • 2000年 純利益55億円に低迷
  • 2001年 BHPビリトンと豪州石炭合弁会社を設立
  • 2003年 日商岩井とメタルワンを共同設立
  • 2008年 純利益4,627億円
  • 2008年 丸の内キャピタル設立(投資ファンド)
  • 2011年 チリAAS社の株式取得(約4200億円投資)
  • 2011年 三菱自動車の株式1400億円引受
  • 2015年 チリ銅事業2711億円の減損(AAS社)
  • 2015年 豪州LNG事業403億円減損(MIMI社)
  • 2017年 ローソンを子会社化(TOB1440億円投資)
  • 2019年 千代田化工を救済(第三者割700億円投資)

  • 三菱商事 - 名物経営者

    藤野忠次郎(1901年生〜1985年没)

    三菱商事の元社長。高度経済成長期の三菱商事はトレーディングが事業の主体であったが、1968年に藤野忠次郎はリスクをとって事業投資に乗り出す方針を決断し、シェルと共同でブルネイのLNG開発に参画することを決めた。当時の三菱商事としては巨額投資であり、失敗すれば三菱商事が潰れるというリスクがあったが、ブルネイLNGの開発は成功裏に終わり、三菱商事はトレーディングからインベストメントに事業の軸足をシフトするきっかけとなった。

    三菱商事 - 経営戦略

    イラスト:三菱商事の中興の祖・藤野忠次郎(1960年代にブルネイLNGへの投資を決断した経営者)


    1952年 三菱商事の再合同

    1952年に旧三菱商事から解体された複数の企業が再合同する形で、三菱商事が再発足した。この発足により、各部門の連携が容易になり、総合商社として事業を進める上で有利な材料となった。1950年代から1960年代にかけての三菱商事は、三菱グループの重厚部門(三菱重工・三菱電機)の各社が製造した製品を、電力会社や海外に輸出するトレーディング業務によって業容を拡大した。機械部門の強化により、総合商社としての地歩を固める。有力な重工メーカーを持たない三井物産や、有力な機械メーカーを持たない住友商事(住友重機械という会社はあるが総合機械メーカーではなく造船系に強みのあるメーカーだった)比べて、三菱重工という強力な後ろ盾を持つ三菱商事が有利となり、総合商社として業容を拡大した。

    1968年 ブルネイLNG共同投資

    1968年に三菱商事は、米国の石油企業シェルとの共同で、ブルネイにおけるLNGの資源開発事業に投資する方針を決断した。当時はLNGは注目されないマイナーな資源であったが、シェルと三菱商事は環境性能良いLNGが脚光を浴びることを予測し、LNGの開発を決断した。ブルネイLNGの開発にあたって、三菱商事は東京ガスなどの大口顧客との交渉をまとめ上げ、日本国内にLNGの受け入れ基地を準備する。その後、1973年にオイルショックによって石油価格が高騰すると、代替としてのLNGの価格も高騰し、結果として三菱商事はブルネイLNGの投資によって巨額の利益(受取配当金)を手にした。ブルネイLNGの投資の成功により、三菱商事が三井物産の利益を凌駕する。

    2000年 ローソンと業務提携

    1990年代を通じてコンビニ業界はセブンイレブンを筆頭として、下位企業がしのぎを削っていた。だが、バブル崩壊によってコンビニ各社の親会社のスーパーが経営危機に陥る事例が多発し、親会社がコンビニ事業を相次いで手放した。この過程で、ダイエー系のローソンは三菱商事へ、西友系のファミリーマートは伊藤忠へ、それぞれ株式が売却された結果として、総合商社がコンビニ事業の経営を担うようになる。三菱商事としては三菱食品などの食品問屋との相乗効果を目論むが、コンビニ業界ではセブンイレブンの独走が続き、ローソンとファミリーマートは総合商社という強力な後ろ盾があるのにも関わらず、コンビニ事業では首位を取ることができないまま現在に至る。

    2001年 豪州石炭事業に投資

    2001年に三菱商事はオーストラリアの石炭事業を強化する方針を決めて、名門BHPビリトンとの合弁会社を立ち上げた。2001年当時は資源価格が低迷しており、資源各社も相次いでリストラをした直後であり先行きが不透明であったが、2000年代を通じた中国経済の成長によっって資源価格が高騰すると、豪州の石炭事業は三菱商事の稼ぎ頭となる。この結果、2008年に三菱商事は純利益4,627億円を計上し、事業の主力を「資源開発」にシフトすることに成功する。ただし、2010年代に資源価格が低迷すると総合商社の資源バブルが崩壊し、競争力のないヤマで相次いで減損損失を計上する勝者が続出した。だが、三菱商事は歴史的な経緯から良質な鉱区(=コスト競争力あり)を多く保持しており、資源バブル崩壊後の2010年代を通じて「金属事業」で収益を確保し続けている。

    三菱商事 - 経営課題

    1979年 窓際族の払拭

    1970年代を通じて三菱商事はブルネイLNGの開発成功により潤沢な利益を確保したが、その代償として「窓際社員」が発生するなど社内の組織に気の緩みが生じつつあった。そこで1970年代後半に三菱商事は人事制度にテコ入れを行い、年功序列を壊しつつも終身雇用は継続する方針を決めた。当時の田部社長は「窓際で遊ぶ人を作らず、全員が働くことを考えているんだ」(1979/5/7日経ビジネス)と語るなど、この時から窓際社員の払拭に乗り出す。だが、その後も三菱商事の組織は「全員稼働」とは程遠い状況が続き、バブル崩壊直後に人員を整理するという道へ突き進む。

    1982年 商社冬の時代?

    1970年代を通じて、オイルショックなどの外部環境の変化によって石油を中心に資源価格が高騰したことによって、LNGなどの代替エネルギーの権益を握る三菱商事の業績が好調となった。だが、1980年代初頭までに資源価格が下落すると、従来のようにLNG権益で莫大な利益を確保することが難しくなった。総合商社業界では三井物産がイランにおける石油化学コンビナートの投資(IJPC)で大損害を被るなど、総合商社のグローバルにおける資源開発の歯車が狂い始めていた。このため、1982年3月22日号の日経ビジネスは表紙特集記事で「総合商社冬の時代・1社ずつ消えていく?」と問題提起するなど、総合商社の事業が転機に差し掛かったという論説が盛んになった。

    1983年 K-PLANの遂行

    1980年代を通じてメーカーが自ら販売部門を強化する動きが顕著となり、総合商社は従来ようなトレーディングで収益を確保することが困難となる。1985年にはプラザ合意が日米欧の先進国政府で締結されて円高ドル安が確定的となると、メーカーの海外進出の動きも顕著になる。そこで、1986年に三菱商事は従来のような売上偏重のKPIではなく、収益を第一に掲げたリストラプランを策定した。当時の近藤社長の肝いりプロジェクトとして「K-Plan」として遂行され、三菱商事が総合商社の中でバブル崩壊後の痛手を最小限に収める重要な要因となった。

    2000年 米社売却損380億円

    1990年に三菱商事は米国の化学会社USX(USスチールの化学部門)のポリプロピレン事業を営むありアリステックケミカルをLBOによって約8.8億ドルで買収した。同時は円高ドル安が進行しており、米国企業の買収は日本企業にとって割安となり、三菱商事も買収を決断する。当時は大型買収として注目を浴びた。だが、アリステックケミカルはUSスチールが過去に様々な会社を買収して成立した経緯もあり、生産効率の良い工場は持ち合わせておらず業績は低迷し続けた。2000年に三菱商事は米SUNOCOにアリステックケミカルを売却し、同年に売却損380億円を計上し、巨額買収は失敗に終わる。

    2015年 チリ銅山開発で巨額減損

    2000年代を通じた資源価格の高騰によって、三菱商事の豪州石炭事業が好調に推移し、三菱商事は資源開発事業が前者利益の大半を稼ぐようになった。2011年に三菱商事はチリの銅鉱山の開発投資を決断し、4200億円で権益を持つASS社の株式の一部を取得し、資源事業の強化を図った。だが、2010年代半ばに資源価格が暴落したため、三菱商事は当初の利益を捻出できないと判断し、2015年にASS社の株式に関して2,711億円の減損を計上した。同業の他社も資源価格の下落によって減損を計上しており「総合商社冬の時代」とも言われた。

    三菱商事 - 競合企業 | 同業他社

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