1954年〜 財閥解体からの再出発と事業投資型商社への転換
- 1954年不二商事・東京貿易・東西交易の3社を吸収合併し総合商社として新発足
- 1954年東京証券取引所に株式を上場
- 1968年ブルネイLNG開発に参画・事業投資に参入
- 1968年MITSUBISHI DEVELOPMENT PTY LTDを設立
- 1968年商品本部制を導入・事業投資を本格化
- 1974年TRI PETCH ISUZU SALES COMPANYを設立
- 1981年サウディ石油化学合弁に調印
三菱商事の業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
戦前二大商社の解体と母体集約という前史
1870年に岩崎弥太郎氏が九十九商会を興し、1881年に石炭を郵便汽船三菱会社(後の日本郵船)を通じて輸出して本格的に貿易業へ踏み込んだことが、三菱グループの商事活動の源となった。1893年の三菱合資会社への改組で商事部門は三菱合資営業部となり、1918年4月に資本金1500万円で旧三菱商事が設立され、同年5月に営業部の事業を継承して発足した。本店に総務・石炭・金属・雑貨・船舶の五部門を置き、内地販売よりも対外輸出入や外国間取引に重点を置いた商社は、昭和10年代には三井物産と並ぶ二大貿易商社として海外で取引を広げた。 [1][2][3]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [1]1870年 岩崎弥太郎が九十九商会を設立し、1881年に石炭を郵便汽船三菱会社(後の日本郵船)経由で輸出して本格的に貿易業へ進出した(三菱グループの商事活動の源)
- [2]1893年 三菱社を改組して三菱合資会社が再発足し商事部門は三菱合資営業部に/1918年4月 資本金1500万円で旧三菱商事を設立し同年5月に営業部の事業を継承して発足
- [3]設立当初は本店に総務・石炭・金属・雑貨・船舶の五部門を置き対外輸出入・外国間取引に重点/昭和10年代には三井物産と並ぶ二大貿易商社
太平洋戦争の敗戦を受けて旧三菱商事は1947年7月に占領軍の覚書で解体を命じられ、同年11月に解散して清算に入り、長年積み上げた商権とのれんは散逸した。1950年4月、旧三菱商事が発起人となって第二会社の光和実業を設立し、継承した債権債務を処理しながら不動産業などを営み、1952年8月に三菱商事の商号へ復帰した。同じ頃、解散時に分派した多くの商事会社も漸次整理統合され、不二商事・東京貿易・東西交易の三社に集約された。この光和実業と三社が、1954年の大合同で再発足する三菱商事の母体となった。 [4][5][6]
- 三菱商事 有価証券報告書【沿革】
- [4]1947年7月 占領軍の覚書により旧三菱商事は解体を命じられ同年11月解散・清算に入った
- [5]1950年4月 旧三菱商事が発起人となり第二会社・光和実業を設立、1952年8月に三菱商事の商号へ復帰
- [6]旧三菱商事解散時の分派商社は整理統合され1952年には不二商事・東京貿易・東西交易の三社になっていた
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [1]1870年 岩崎弥太郎が九十九商会を設立し、1881年に石炭を郵便汽船三菱会社(後の日本郵船)経由で輸出して本格的に貿易業へ進出した(三菱グループの商事活動の源)
- [2]1893年 三菱社を改組して三菱合資会社が再発足し商事部門は三菱合資営業部に/1918年4月 資本金1500万円で旧三菱商事を設立し同年5月に営業部の事業を継承して発足
- [3]設立当初は本店に総務・石炭・金属・雑貨・船舶の五部門を置き対外輸出入・外国間取引に重点/昭和10年代には三井物産と並ぶ二大貿易商社
- 三菱商事 有価証券報告書【沿革】
- [4]1947年7月 占領軍の覚書により旧三菱商事は解体を命じられ同年11月解散・清算に入った
- [5]1950年4月 旧三菱商事が発起人となり第二会社・光和実業を設立、1952年8月に三菱商事の商号へ復帰
- [6]旧三菱商事解散時の分派商社は整理統合され1952年には不二商事・東京貿易・東西交易の三社になっていた
四社合同というゼロからの再出発の構造
1947年にGHQの財閥解体方針で旧三菱商事は解散を命じられ、長年蓄積した商権やのれんは事実上消滅し、経営上の根本的な危機に直面した。1954年7月、和光実業・不二商事・東京貿易・東西交易の四つの後継商社が合同して三菱商事株式会社を創立し、戦後の商社再編において特筆される復活を遂げた。四社合同は、のれん消滅後の商権復活を目指した戦後日本の商社再編の象徴的な事例である。三村庸平元会長は後年「文字通りゼロからのスタートだった」(日経ビジネス 1988/01/04)と語っており、前例のない挑戦を重ねた再出発であったことは社史にも繰り返し記録されている。 [7][8][9]
- 三菱商事 有価証券報告書【沿革】
- [7]1947年 GHQの財閥解体方針で(旧)三菱商事が解散指令を受けた
- [8]1954年7月 三菱商事が総合商社として新発足
- [9]合同・吸収合併された商社のうち不二商事・東京貿易・東西交易の3社は一次資料と一致
再発足した三菱商事は、大手総合商社が戦前から続く繊維取引に偏重するなかで、鉄鋼・非鉄・機械を主軸とする商品構成を当初から選び取った。この構成は三菱商事単独の戦略というよりも、三菱グループ全体の重工業・化学を中心とした事業構成を反映したものであり、財閥の事業構造がそのまま商社の取引構造に投影される形で定着した。繊維偏重からの脱却に長く苦闘した同業他社と異なり、非繊維比率の高い商品取引構成を初期条件として保有し得た事実は、1960年代以降に資源・エネルギー分野へ乗り出す基盤となった。事業投資型商社への本格的な転換の下地も、ここで形成された。
- 三菱商事 有価証券報告書【沿革】
- [7]1947年 GHQの財閥解体方針で(旧)三菱商事が解散指令を受けた
- [8]1954年7月 三菱商事が総合商社として新発足
- [9]合同・吸収合併された商社のうち不二商事・東京貿易・東西交易の3社は一次資料と一致
販売力が権益を呼び込む資源投資の原型
1968年、藤野忠次郎社長は「トレーディング・アンド・ディベロップメント」という経営概念を掲げ、事業モデルをトレーディング中心から事業投資中心へ切り替える方針を発表した。同年11月にはブルネイLNG開発への参画を取締役会で決定し、シェル45%・三菱商事45%・ブルネイ政府10%という出資比率で開発会社を設立した。商品取引に加えて開発そのものに参画し、長期の権益を直接握るという関与形態を、日本の総合商社として選択した転機となった。三菱商事の投資額は単体で約421億円に達した。戦後の日本商社における資源投資の出発点として、以降数十年にわたる海外プロジェクト参画方式の原型を形づくった。 [10][11]
- 三菱商事 有価証券報告書【沿革】
- [10]1968年 事業投資を本格化(商品本部制を導入)する経営方針への転換
- [11]1968年11月 ブルネイLNG開発への参画を決定
世界的な石油メジャーであるシェルと対等の権益比率を確保できた背景には、日本国内の大手ガス会社や電力会社への強固な販路を三菱商事が長年保有していたという構造的事実があった。技術力ではなく販売力が権益確保の根拠となった点は、日本の総合商社が海外資源開発に参画する際に共通する構造的特徴を示している。ブルネイLNG事業は、年間約200億円規模の安定配当を三菱商事にもたらした(有価証券報告書)。この継続的な収益が次の資源投資の原資となる好循環を形成し、豪州原料炭やチリ銅山といった後続案件へ連なる典型例となった。 [12]
- 三菱商事 有価証券報告書【沿革】
- [12]後続案件として豪州原料炭・チリ銅山へ連なる(豪州資源・チリ銅山開発の存在)
- 三菱商事 有価証券報告書【沿革】
- [10]1968年 事業投資を本格化(商品本部制を導入)する経営方針への転換
- [11]1968年11月 ブルネイLNG開発への参画を決定
- [12]後続案件として豪州原料炭・チリ銅山へ連なる(豪州資源・チリ銅山開発の存在)