丸紅の歴史

/> The社史の視点(Yuatka-Sugiura)

丸紅が総合商社として最も輝いていた時代は1960年代です。もともと丸紅と伊藤忠は兄弟会社(犬猿の仲)で、ともに関西を代表する繊維商社でした。終戦後に日本の繊維産業の競争力が低下する中で、伊藤忠と丸紅の2社は競うように鉄鋼部門や機械部門を買収などによって強化し、当初は丸紅が総合商社に先手を打ち、売上高の非繊維比率では伊藤忠を凌駕していました。この時代の丸紅は勢いがあり「スリーM」として、三菱商事・三井物産・丸紅が総合商社の業界を牛耳る存在として認知されていたのです。ところが、1976年のロッキード事件によって社会的に丸紅が批判されると潮目が変わります。丸紅社内はリスク回避的となり、同業の伊藤忠に売上と利益の面で抜かれてしました。総合商社の栄枯盛衰を示す事例です。

丸紅 - セグメント情報

2019年3月期(主要事業のみ抜粋)

丸紅 - 有価証券報告書


丸紅 - 創業経緯

1949年 丸紅設立

伊藤忠と丸紅は兄弟会社で、第一次世界大戦中に分離され、第二次世界大戦中に再合併するものの、1945年の敗戦直後の財閥解体によって分離された経緯からスタートしている。なお、分離時に伊藤忠と丸紅は分割すべき資産について大揉めしており、両者は犬猿の仲として知られていた。伊藤忠と丸紅は関西有数の繊維商社であったが、両者ともに繊維産業の凋落を見据えて、機械や金属部門の強化に舵を切り、総合商社化をいち早く志向した。この結果、関西の繊維商社の中で伊藤忠と丸紅という兄弟会社は、21世紀にも単独で生き残ることができた数少ない企業となった。(関西の繊維商社の名門であった兼松、日商、岩井の各社は単独存続を諦めて合併の道を歩んだ)


丸紅 - 歴史沿革

  • 1872年 紅忠が創業(繊維商社)
  • 1918年 伊藤忠兵衛商店を設立
  • 1921年 丸紅商店が伊藤忠から独立
  • 1944年 伊藤忠と丸紅が戦時合併
  • 1949年 丸紅設立(伊藤忠から分離)
  • 1949年 市川忍が丸紅社長就任
  • 1950年 東証株式上場
  • 1955年 高島屋飯田を合併(鉄鋼部門強化)
  • 1961年 非繊維部門売上1700億円達成
  • 1966年 東通を合併(鉄鋼強化)
  • 1971年 株式と土地を積極的に取得
  • 1973年 株式売却益21億円を計上
  • 1976年 ロッキード事件が発覚・強制捜査
  • 1976年 社会的な丸紅批判が発生
  • 1977年 ヴァンジャケット倒産(負債216億円)
  • 1978年 海外の穀物ターミナルを取得
  • 1995年 チャンドラアスリ操業(石油化学)
  • 1999年 最終赤字1177億円計上
  • 1999年 リストラクチャリングプランを策定
  • 2001年 丸紅株価70円台(信用不安発生)
  • 2001年 Aプラン策定(リストラ)
  • 2005年 チャンドラアスリ撤退(石油化学)
  • 2012年 シェール権益取得(12億ドル)
  • 2012年 ガビロンと買収交渉(36億ドル)
  • 2013年 ガビロンを正式買収(27億ドル)
  • 2015年 シェール関連で950億円減損
  • 2015年 ガビロンで500億円減損
  • 2020年 シェール関連で800億円減損
  • 2020年 米穀物関連で1000億円減損

  • 丸紅 - 名物経営者

    市川忍(1987年生〜1973年没)

    1949年の終戦直後に伊藤忠から分割された直後の丸紅の社長に就任し、1950年代から1960年代にかけて丸紅の経営を牽引した。設立時の丸紅の売上の大半は繊維であり、関西の繊維商社に過ぎなかったが、市川忍は丸紅の総合商社化を決断し、1955年の高島屋飯田の買収によって丸紅を機械なども扱う総合商社にいち早く変化させた。丸紅の中興の祖と言える経営者。

    丸紅 - 経営戦略

    1955年 高島屋飯田を買収

    1949年に市川忍が丸紅の社長に就任し、繊維取引が主体であった丸紅の事業の入れ替えを、伊藤忠などの同業他社に比べて早い段階で本格化する。1955年に丸紅は機械金属を取り扱う商社「高島屋飯田」の買収を決断し、非繊維部門の強化に乗り出した。市川忍は「現在のところ売上高の3分の2は繊維関係で占めていますが、これからは、その他の商品にも大いに力を入れて伸ばしていかねばならんと思っています」(1956/10/01経済展望)と語り、丸紅の総合商社化を志向。結果として、1961年の時点で丸紅の非繊維部門の売上が約1700億円、対する競合の伊藤忠は非繊維部門の売上が1306億円となり、丸紅が総合商社化の序盤戦で優位に立った。

    2013年 ガビロン買収

    2012年に丸紅はグローバルな穀物事業を強化することを決め、米国の穀物大手ガビロン社の買収交渉を開始した。当初は36億ドルでの交渉が進んでいたが、最終的に2013年に丸紅は27億ドルでガビロン社を買収し、アジアの消費市場の成長を見越して穀物事業を強化した。その後の結果については「2020年ガビロン減損」の項目を参照。

    丸紅 - 経営課題

    1976年 ロッキード事件発覚

    1976年に政財界を巻き込む航空機購入に関する汚職事件「ロッキード事件」が発覚し、企業としては丸紅と全日本空輸、政界では当時の首相であった田中角栄が痛烈な批判にあった。総合商社である丸紅はロッキードの販売代理店であり、汚職事件に加担したとされて社会的な非難を浴び、丸紅の社員の子供がイジメにあうなどの被害にあったと言われている。なお、当時の丸紅の会長であり「丸紅中興の祖」と呼ばれた檜山廣は1976年に会長を辞任し、表舞台から去った。なお、ロッキード事件発覚から約20年後の1995年に檜山廣(丸紅元会長)は実刑判決を受けている。

    2001年 株価70円台

    1976年のロッキード事件発覚により丸紅はリスクを背負った事業投資などを積極化できず、1980年代から1970年代にかけて収益の柱となる事業を産むことができないまま、同業の伊藤忠に売上と利益の両方で差をつけられてしまった。そして1990年代のバブル崩壊により、トレーディング事業が中心であった丸紅の利益率は低迷し、1999年に丸紅は1177億円の赤字を計上。2001年には株価が70円台となり、丸紅は企業存続の信用不安から商取引においてさえ不利な情勢に立った。

    2020年 ガビロン減損

    2013年に丸紅は27億ドルでガビロン社を買収したが、2010年代を通じた穀物価格の低下や、輸出穀物が貿易戦争の影響を受けたことで、ガビロンは当初見込んでいた利益を捻出することができず、2015年に丸紅はガビロン関連で500億円の減損損失を計上した。さらに、2020年にはコロナウイルスによる需要減少と穀物価格の低下を受けて、丸紅はガビロン関連で800億円の減損、そのほかの米穀物事業で200億円の減損をそれぞれ計上、2013年のガビロン買収が、結果として2020年に丸紅の業績に悪い影響を残す形となった。