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SCREENホールティングスの歴史

1868年

京都市内にて「石田旭山印刷所」を創業

石田才次郎は銅版印刷のための「石田旭山印刷所」を個人創業。京都の名所図絵をカラーで再現できる銅版であり、色彩の再現技術を磨く

1943年

大日本スクリーン製造所を設立

写真技術を研究開発するために、石田旭山印刷所の社内ベンチャーという形で「大日本スクリーン製造所」を設立。研究開発型企業としてスタートし、ガラススクリーンや写真製版機械の生産を開始した。

1962年

大阪証券取引所第二部に株式上場

1963年

カラーテレビ向けシャドーマスクの開発

白黒テレビは日本国内で普及したものの、カラーテレビは普及率はごくわずかであった。そこで、ソニーはカラーテレビの開発を決め、重要部品であるシャドーマスクの開発を大日本スクリーンとともに推し進めた。この結果、大日本スクリーンはシャドーマスクの開発に成功し、ソニーのカラーテレビの販売拡大とともに業容を拡大する。

石田徳次郎の発言(大日本スクリーン・当時社長)
石田徳次郎の発言(大日本スクリーン・当時社長)

きっかけは、当時の井深社長(筆者注:ソニー共同創業者)が講演かなんかで京都にこられて、話をしたことなんです。ソニーさんは当時、手で針金を巻いて、それを溶接するという作り方でしたから月2000台が限度というんですね。それなら私どもが・・・ということで、早速サンプルを作って差し上げたんですが、これは本当に大喜びされて、井深社長が飛んでこられましたよ。それでウチが上場する時、10万株を持っていただいたんです。

1979/7/2日経ビジネス「編集長インタビュー」
筆者によるエンジニアリングmemo
筆者によるエンジニアリングmemo

大日本スクリーンの技術は、機械と化学の融合に特色がある。元々、銅版印刷を通じて「細い線を引く」ための機械技術が土台として存在しており、そこから派生する形で化学薬品によって銅版を腐食させて線を引く技術(エッジング加工)を蓄積し、結果として「機械と化学」に関する知見を併せ持つに至った。当時は、機械と化学はそれぞれ別分野の企業が専門にすることが多く、大日本スクリーンのように横断的に技術の知見を持つ企業は珍しかった。このため、シャドーマスクの開発では「金属表面処理(化学)」と「機械」の知見を持つ大日本スクリーンが開発を主導する形となった。

1975年

半導体製造装置(ウエハー洗浄装置)の開発

(参入経緯は調査中)

1994年

売上高で電子工業向け機器が、印刷関連機器を上回る

半導体洗浄装置の販売拡大により、写真印刷関連機器の売り上げを凌駕。業態転換を達成する

2007年

半導体洗浄装置で世界シェア50%

バッチ式ウエハー専用装置で世界シェア50.8%を確保

2014年

持株会社化により社名を「SCREENホールディングス」に変更

大日本スクリーン製造からSCREENホールディングスへと、実質的に商号が変更された

2020年

半導体洗浄装置で世界シェア71%

バッチ式洗浄装置で世界シェア71%、牧葉式洗浄装置で世界シェア45%(1位)を確保

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