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オープンハウスの歴史

1987年

建築基準法の改正(都心部の木造三階建ての解禁)

日本政府は建築基準法を改正し、準防火地域における木造三階建て住宅の建設を可能とする法整備を行なった。従来は都心部などの住宅未収地区における木造住宅の建設には制限があったが、建築基準法の改正によって東京都心部でも「3階建て木造住宅」が建設可能となり、都心部でも「安価な戸建」を所有できる時代に突入した。ただし、この時期はバブル絶頂期で、都心部の土地価格が高騰し、庶民が都心部に土地を取得するのが難しかったことから、都心部の戸建て市場はメジャーな存在ではなかった。

1997年

オープンハウスを新設し、渋谷に本社を設置

不動産会社に勤務していた荒井正昭は独立を決め、オープンハウスを創業した。創業直後に「センチュリー21」に加盟し、東京渋谷を拠点として住宅の仲介会社として業容を拡大する。

2001年

新築一戸建ての住宅販売を開始

オープンハウスの祖業は住宅の流通事業(仲介)であったが、2001年に新築戸建ての住宅販売を開始。戸建て販売に特色のある企業に転換する。折しも、バブル崩壊によって東京都心部の土地が値下がりしたことから、世帯年収がある程度ある家庭が「都心部に戸建てを建てる」ことが、現実的に可能となった。

2002年

世田谷営業センターを新設。以後、城南地区の営業網を強化

オープンハウスは東京都心部における戸建て販売を強化するために、世田谷に営業センターを新設。以後、オープンハウスは東京の城南地区(世田谷区・目黒区・品川区など)における営業網を強化し、都心部における事業基盤の確立を図る。以後、オープンハウスは東京都心部に緻密な営業網を形成した。

2009年

リーマンショック直後にも関わらず目黒で住宅販売が好調

2008年にリーマンショックが発生したことで日本経済は不況に陥るが、オープンハウスは東京目黒において住宅販売が好調に推移した。東京都心部においては夫婦共働きによって世帯年収が上昇したことで都心部における戸建に対する需要が堅調に推移し、オープンハウスは月額12~14万円というローンを設定することで不況にも関わらず販売を拡大することに成功する。

荒井正昭(オープンハウス・創業者)の発言
荒井正昭(オープンハウス・創業者)の発言

リーマン直後の2008年10月に、目黒で不動産を販売したところ飛ぶように売れました。史上最大の金融危機と騒がれている最中にもかかわらずです。それで確信して積極展開を図りました。リーマン前だったら家賃が月に20万円の家に住んでいる人が買う場合、住宅ローンも月20万円が相場でしたが、リーマン後はそれが6~7割、つまり12~14万円の支払いだったら買うだろうと考え、そうした物件をどんどん作って販売しました。競合他社は当時、そうした考えはなかったのです。

ITmedia ビジネスオンライン「なぜオープンハウスの都心戸建のて住宅は飛ぶように売れるのか? (2/4)」
2013年

東証一部に株式上場

都心回帰という追い風を受け、東京都心部を地盤とするオープンハウスにとって強烈な追い風となった。この結果、2013年にオープンハウスは株式上場を果たす。2013年9月期にオープンハウスは売上高969億円、経常利益91億円という高収益も達成する。

2020年

時価総額4500億円

日本全体における都心回帰という追い風を受け、都心部における戸建て住宅に特化したオープンハウスは2010年代を通じて順調に業容を拡大。2020年には時価総額4500億円を達成し、急成長の不動産会社として注目を浴びる。

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