ヒューリックの歴史

創業年
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上場年
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従業員数
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平均年齢
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平均年収
-万円
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  • 歴史
  • 沿革
  • 業績
1957年

富士銀行が日本橋興業を設立

日本政府は金融機関に対して不動産の所有を制限したため、日本を代表する都市銀行であった富士銀行(現在のみずほ銀行)は不動産事業を分離するために日本橋興業(現ヒューリック)を設立した。日本橋興業は富士銀行に対して銀行店舗を賃貸することで不動産収入を確保する。
2006年

西浦三郎が社長就任

みずほ銀行の副頭取であった西浦三郎が日本橋興業の社長に就任。以後、2015年に社長を退任するまでヒューリックの経営に携わる。
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東京都心部の駅前一等地を即決購入する体制を構築

従来のヒューリックは銀行店舗や店舗跡地の不動産を賃貸する不動産会社に過ぎなかったが、西浦三郎は東京都心部の駅前一等地を購入することでヒューリックの業容を拡大を目論む。ヒューリックは金融機関からの2000億円という潤沢な融資枠を武器に、物件を2日で購入するかを決定するスピードを武器にし、東京都心部の地下鉄駅前の不動産を積極的に購入することで業容の拡大を目論む。この結果、ヒューリックには一等地の物件売却に関する情報が寄せられるようになり、不動産売買という情報の仕入れ面も優位に立つ。
西浦三郎の発言
新規で買っている物件は東京の中央5区(千代田、港、中央、新宿、渋谷区)が中心です。オフィスビルと商業ビルは、新宿、渋谷、青山1丁目の駅から徒歩3分以内、それ以外は1分以内が立地の目安です。中規模ビルがほとんどで、大型ビルは基本的にやりません。大型ビルの坪4万円以上の家賃を負担できるテナント企業は限られているからです。大手企業の多くは本社ビルを持っていますし、財閥系企業はグループ不動産会社のビルに入ります。オフィス需要の急拡大が見込めないのに、当社のような会社が大きいビルをつくっちゃいけないんです。
2014年4月29日号経営者「編集長インタビュー・西浦三郎・ヒューリック社長」
2007年

社名を日本橋興業からヒューリックに変更

日本橋興業は社名を「ヒューリック」に変更し、事業の積極展開に舵を切る
2008年

株式上場

東京証券取引所第一部に株式上場を果たす
2011年

昭栄を吸収合併

ヒューリックは経営不振に陥った上場企業・昭栄(証券コード3003)を合併。昭栄の祖業は繊維事業(生糸)であったが、繊維産業の衰退を受けて不動産賃貸事業に転換していた。なお、昭栄は千代田区神田などの都心部一等地に不動産を多く保有しており、2000年ごろには村上ファンドがTOBを仕掛けたこともあった。
2015年

過去最高益を達成

2000年代から2010年代にかけて、東京都心部では都営大江戸線、メトロ南北線(目黒〜溜池山王)、メトロ副都心線(渋谷〜池袋)といった地下鉄路線が相次いで開業し、都心部における駅近の範囲が増大した。この結果、都心部の交通利便性が向上して、東京都心部へのオフィス・マンションの集積が進んだことから都心部における資産価値が向上し、ヒューリックにとって強烈な追い風となった。この結果、2015年にヒューリックは当期利益336億円を計上し、過去最高益を記録。ヒューリックは、三菱地所・住友不動産・三井不動産などの財閥系不動産会社と同列の「大手不動産会社」として認知されるようになった。
2016年

西浦三郎が会長就任

ヒューリック成長の立役者である西浦三郎が社長を退任し、会長に就任した
2019年

9期連続増益

東京都心部の一等地の地下鉄駅前に土地を確保したことでヒューリックは2011年から2019年にかけて9期連続の増益(当期利益)を達成。2018年の時点でヒューリックが保有する全物件のうち70%が東京23区に位置しており、東京への集中投資が結実した。
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