スズキ の歴史

創業

1909年

創業者

鈴木道雄

創業地

静岡県浜松市

直近売上高(2025/3)

58,430億円

長期業績と転換点(1996/3〜2025/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1952年に、織機メーカーのスズキはバイク・自動車へ業態を変えたのか
A 戦後の綿紡績業が朝鮮戦争特需の終焉で縮み、織機市場そのものが細っていくなか、本業のままでは食えなくなると見たためである。鈴木道雄は1952年に原動機付自転車パワーフリー号を投入し、1954年に鈴木自動車工業へ改称して稼ぎ口を移した。この転業には各界の名士や銀行団から反対や翻意の忠告が寄せられたが、それを押し切った。本田技研やヤマハ発動機を生んだ浜松の独立系メーカーの地で、外から止められても業態を変えて生き残る経営が、ここで形をとった。
Q なぜ1982年に、大手が見送ったインド政府系合弁にスズキは賭けたのか
A 年間10万台規模のインド乗用車市場は、トヨタやルノーなど大手の投資基準には小さすぎたが、国内乗用車で下位の後発スズキには見合う大きさだったためである。1979年のアルトで磨いた、装備を削って安く仕上げる引き算の設計は、所得の低いインドが求める国民車の要件とそのまま重なった。鈴木修は大手が関心を示さない途上国市場にこそ後発の商機があると判断し、1982年にマルチ・ウドヨグ社へ出資して合弁契約を結んだ。1983年12月発売のマルチ800が当たり、以後40年の主力収益源となった
Q なぜ2025年に、利益を溜め込んできた独立系のスズキが累進配当を制度化したのか
A インド四輪の好調で稼いだ資金が厚く積み上がる一方、資本効率を高めよという株式市場からの要求が強まり、溜め込んだ利益を株主へ回す約束を仕組みとして示す必要が生じたためである。スズキは2025年2月の中期経営計画「By Your Side」で、たとえ減益でも減配しない累進配当を基本に置き、自己資本配当率(DOE)3.0%を目安として2030年度までに累計6,000億円の配当を掲げた。業績の振れで額が動く配当性向ではなく、純資産に対する比率(DOE)で還元を縛ることで、稼ぎの上下に左右されない下限を株主に確約した。

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1909年〜 織機屋から軽自動車への大転換、アルトの誕生

  1. 1909年鈴木式織機製作所を創業
  2. 1920年鈴木式織機株式会社として改組設立
  3. 1952年二輪車に参入・パワーフリー号を発売
  4. 1954年商号を鈴木自動車工業株式会社に変更
  5. 1955年軽四輪乗用車を発売(国内軽自動車の先鞭)
  6. 1961年繊維機械部門を子会社に分離
  7. 1981年GM・いすゞ・スズキの3社が業務提携

スズキの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

織機メーカーが生き延びた戦後の転身

1909年10月、静岡県浜名郡出身の鈴木道雄氏が浜松市に鈴木式織機製作所を開業し、国産織機の製造販売を事業の中核に据えた。創業当初から独自の改良を重ねた木製織機は品質で市場の評価を得て、1920年3月には資本金50万円の鈴木式織機株式会社へ組織改組して事業を広げた。以後は綿織機・サロン織機・毛織機など各種の繊維機械を一貫生産し、業界三大メーカーの一つに数えられ、なかでもサロン織機は東南アジア方面へ盛んに輸出した。1937年には自動車事業への進出も構想したが、戦時統制と原材料不足で実行に至らず、戦時下は軍需関連の機械製造に軸を置いた。ダイヤモンド誌は当時を振り返って「当社は、社名に見る通り、織機を製作する会社である」「紡績会社の復興需要に加え、東南洋への輸出が旺盛を極めたからである」(ダイヤモンド 1953/06/01)と記し、織機専業時代の繁忙を伝えている。 [1][2][3][4][5]

  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [1]1909年10月 鈴木道雄が浜松で鈴木式織機製作所を創業
    • [2]1920年3月 資本金50万円で鈴木式織機株式会社へ改組設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]1920年3月の株式会社改組時の資本金50万円
    • [4]綿織機・サロン織機・毛織機など繊維機械を一貫生産し業界三大メーカーの一つ、サロン織機を東南アジアへ輸出
  • ダイヤモンド(1953年6月1日)
    • [5]ダイヤモンド誌1953/06/01 織機専業時代の記述

戦後、国内の綿紡績業は朝鮮戦争特需の終焉で衰退に転じ、1950年代を通じて織機市場そのものが縮んだ。鈴木道雄氏は1952年に原動機付自転車「パワーフリー号」の製造販売を開始し、翌1953年には大型化した「ダイヤモンドフリー号」(60cc)が大好評を博して自動車事業への手応えを固め、1954年に鈴木自動車工業株式会社へ社名を変更して事業の重心を織機から自動車へ移した。バイク事業への転身は社内外から異論が出て、社史は「当社がモーター・バイクの製作に転換したことが知れると、各界の名士および銀行団から好意的な翻意の忠告、ないしは反対を受けた」と伝える。1955年10月に軽自動車「スズライトSS」を投入して軽四輪の先駆けとなり、1957年2月には鈴木道雄氏が社長を退いて鈴木俊三氏が後任社長に就いた。浜松の独立系メーカーの集積地を本拠にした独自の生存戦略が形をとった。 [6][7][8][9][10][11]

  • 有価証券報告書
    • [6]1952年6月 原動機付自転車パワーフリー号の製造販売開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]1953年 ダイヤモンドフリー号(60cc)を生産し大好評を得た
    • [11]1957年2月の道雄退任後の後任社長が鈴木俊三である点
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [8]1954年6月 鈴木自動車工業株式会社へ社名変更
    • [9]1955年10月 軽四輪乗用車スズライトSSを発売し軽四輪の先駆けに
    • [10]1957年2月 鈴木道雄が社長を退任し後任に鈴木俊三が就任
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [1]1909年10月 鈴木道雄が浜松で鈴木式織機製作所を創業
    • [2]1920年3月 資本金50万円で鈴木式織機株式会社へ改組設立
    • [8]1954年6月 鈴木自動車工業株式会社へ社名変更
    • [9]1955年10月 軽四輪乗用車スズライトSSを発売し軽四輪の先駆けに
    • [10]1957年2月 鈴木道雄が社長を退任し後任に鈴木俊三が就任
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]1920年3月の株式会社改組時の資本金50万円
    • [4]綿織機・サロン織機・毛織機など繊維機械を一貫生産し業界三大メーカーの一つ、サロン織機を東南アジアへ輸出
    • [7]1953年 ダイヤモンドフリー号(60cc)を生産し大好評を得た
    • [11]1957年2月の道雄退任後の後任社長が鈴木俊三である点
  • ダイヤモンド(1953年6月1日)
    • [5]ダイヤモンド誌1953/06/01 織機専業時代の記述
  • 有価証券報告書
    • [6]1952年6月 原動機付自転車パワーフリー号の製造販売開始

引き算の設計が47万円のアルトを生んだ逆説

1964年から1965年にかけての軽四輪市場では本田技研の参入が重くのしかかり、経済展望は「鈴木の四輪社部門は、1964年度に10%の減産となった」「先行きは後進の本田が鈴木を追い越すだろう」(経済展望 1960/10/01)と警告した。1967年1月には「四輪専用工場建設のため、静岡県磐田市岩井原に33万㎡の用地を確保、造成工事を進めていたが、このほど完了」(日経新聞 1967/01/29)と報じられた磐田工場が稼働を迎え、同年7月から月産1万台体制を整えた。1973年の石油危機では社内でエンジン小型化論が出たが、鈴木修氏は「石油枯渇が将来の大きな問題になろうとしているときに、なぜそんなことをいいだすのか」(週刊東洋経済 1973/05/05)と小型車再進出案を反駁した。 [12][13][14][15]

  • 経済展望(1960年10月1日)
    • [12]経済展望1960/10/01 本田の攻勢・鈴木四輪部門1964年度10%減産の記述
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [13]1967年 磐田工場が稼働(磐田工場は1967年8月建設)
  • 日本経済新聞(1967年1月29日)
    • [14]日経新聞1967/01/29 磐田市岩井原33万㎡用地造成完了の記述
  • 週刊東洋経済(1973年5月5日)
    • [15]週刊東洋経済1973/05/05 鈴木修の小型車再進出反駁の発言

1978年6月、鈴木修氏は鈴木道雄氏の娘婿として鈴木自動車工業の社長に就任し、以後40年超の長期政権の基礎を築いた。突破口を軽自動車の「二台目需要」に見出し、徹底したコスト削減と設計の簡素化を軸とする「引き算の設計」を掲げた。1979年5月、スズキは新型軽商用車「アルト」を47万円という当時として破格の価格で投入した。読売新聞は「価格は軽自動車として初めて50万円を割る47万円」「コミュニティ・カーの要素を備えた第1号」(読売 1979/05/12)と報じ、プレジデント誌は「アルトのヒットの理由はなにか。その最大のものは『47万円』という値段の安さである」「ひとり鈴木自動車のみは『軽(と二輪の)専門メーカー』を旗印にして、この痩せ細る市場にしがみついた」(プレジデント 1979/11)と評価した。主婦層の二台目需要を掘り起こしたアルトは、以後のスズキの生存戦略の基本型となった。 [16][17][18][19][20]

  • 有価証券報告書
    • [16]1978年6月 鈴木修が鈴木自動車工業の社長に就任
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [17]1979年5月 軽自動車アルトを発売
  • 読売新聞(1979年5月12日)
    • [18]アルト発売価格47万円
    • [19]読売1979/05/12 アルトの価格・コミュニティカー第1号の記述
  • プレジデント(1979年11月)
    • [20]プレジデント1979/11 アルトのヒット理由の評価
  • 経済展望(1960年10月1日)
    • [12]経済展望1960/10/01 本田の攻勢・鈴木四輪部門1964年度10%減産の記述
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [13]1967年 磐田工場が稼働(磐田工場は1967年8月建設)
    • [17]1979年5月 軽自動車アルトを発売
  • 日本経済新聞(1967年1月29日)
    • [14]日経新聞1967/01/29 磐田市岩井原33万㎡用地造成完了の記述
  • 週刊東洋経済(1973年5月5日)
    • [15]週刊東洋経済1973/05/05 鈴木修の小型車再進出反駁の発言
  • 有価証券報告書
    • [16]1978年6月 鈴木修が鈴木自動車工業の社長に就任
  • 読売新聞(1979年5月12日)
    • [18]アルト発売価格47万円
    • [19]読売1979/05/12 アルトの価格・コミュニティカー第1号の記述
  • プレジデント(1979年11月)
    • [20]プレジデント1979/11 アルトのヒット理由の評価

1982年〜 GM提携から決別、インドでの独自成長路線

  1. 1982年インド国営企業マルチに出資
  2. 1990年スズキ株式会社へ社名変更
  3. 1991年ハンガリーにMagyar Suzuki Corporationを設立
  4. 1996年マルチ問題(インド政府と対立)
  5. 2000年GMがスズキへ追加出資
  6. 2002年マルチ社を子会社化・増産投資
  7. 2002年PT Indomobil Suzuki Internationalを子会社化

スズキの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

インド合弁が40年の成長エンジンになった決断

1981年8月、スズキは米GMとの資本業務提携を締結し、GMがスズキの発行済み株式5.3%を取得した。小型車の技術力を持つスズキと、小型車のラインアップが手薄なGMの補完関係を狙った提携で、2000年代まで20年以上にわたって続いた。スズキにとって決定的だったのは1982年4月にインド政府系の国営企業マルチ・ウドヨグ社と調印した合弁会社設立契約である。国民車量産というインド政府の国家戦略と、徹底した低価格小型車開発を武器とするスズキの技術力が結びついた。当時のインドは乗用車市場の年間販売台数が10万台程度の小さな市場だったが、鈴木修社長の経営陣はこの新興市場の潜在力を早くから見抜き、GMに加えてインドという二つの資本関係を同時に抱える形でグローバル戦略の柱を築いた。 [21][22]

  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [21]1981年8月 スズキと米GMが資本業務提携を締結(GM出資比率5.3%)
    • [22]1982年4月 インド政府とスズキ四輪車の合弁生産で基本合意(マルチ・ウドヨグ)

1983年12月に初代「マルチ800」の現地生産と販売が始まると、小型・低価格・高品質の組み合わせはインド国内で爆発的な支持を集めた。マルチ・ウドヨグは1990年代から2000年代を通じてインド乗用車市場の半数を超えるシェアを維持し続け、2007年にはマルチ・スズキ・インディアへ社名を変更してスズキの連結子会社として再編された。以後のスズキの業績を牽引する最大の収益源として働く体制が整った。1982年の合弁契約から40年超にわたってインド市場がスズキの事業の成長エンジンであり続けた歴史は、戦後日本の自動車産業における新興国戦略の代表事例として広く知られている。 [23][24]

  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [23]1983年12月 初代マルチ800の現地生産・販売開始
    • [24]2007年 マルチ・スズキ・インディアへ社名変更・連結子会社化(マルチは2002年5月子会社化)
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [21]1981年8月 スズキと米GMが資本業務提携を締結(GM出資比率5.3%)
    • [22]1982年4月 インド政府とスズキ四輪車の合弁生産で基本合意(マルチ・ウドヨグ)
    • [23]1983年12月 初代マルチ800の現地生産・販売開始
    • [24]2007年 マルチ・スズキ・インディアへ社名変更・連結子会社化(マルチは2002年5月子会社化)

GM破綻が追い込んだ資本関係の解消

2000年代に入るとGM本体の北米事業は経営危機に直面し、2005年のGM危機の本格化を受けてスズキとの資本提携も見直し局面に入った。2006年3月にはGMが保有するスズキ株式の大半を売却して保有比率を3.7%まで引き下げ、資本提携の解消過程が進んだ。2008年9月のリーマンショックを経て、2009年6月にGMが連邦破産法第11条の適用を申請すると、スズキはGMとの資本関係を解消した。独立系自動車メーカーとしての立ち位置に戻り、20年超続いた外国資本との提携の時代を閉じた。提携時代にスズキが学んだのは、海外大資本との関係を維持したまま自主独立の経営路線を守るには、相手側の経営事情に振り回される構造的リスクが常について回るという現実である。 [25]

  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [25]GMとの資本提携解消(提携先GMの2008年経営破綻を受け解消)

GMとの提携解消とほぼ同時期、2009年12月にスズキは独フォルクスワーゲンとの包括的な業務提携と相互株式持ち合いを締結し、環境技術分野での共同開発と新興国戦略での協力を柱とする新しいパートナーシップを立ち上げた。しかし両社の事業文化と経営スタイルの違いはわずか1年半で深刻な対立を生み、2011年秋にはスズキがフォルクスワーゲンに対し提携解消と保有株式の買戻しを要求する事態に進んだ。独立系メーカーとしての経営の独立性を重視するスズキと、グループ全体の管理を徹底するフォルクスワーゲン側の経営手法、この両者の根深い価値観の衝突が、以後の国際仲裁闘争の遠因になった。 [26][27]

  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [26]2009年12月 スズキが独フォルクスワーゲンと包括的提携・相互株式持ち合いを締結
    • [27]2011年秋 スズキがVWへ提携解消と株式買戻しを要求(VW包括契約は2011年11月解除)
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [25]GMとの資本提携解消(提携先GMの2008年経営破綻を受け解消)
    • [26]2009年12月 スズキが独フォルクスワーゲンと包括的提携・相互株式持ち合いを締結
    • [27]2011年秋 スズキがVWへ提携解消と株式買戻しを要求(VW包括契約は2011年11月解除)

2009年〜 仲裁勝訴とトヨタ提携、インド軸の新たな成長

  1. 2009年フォルクスワーゲンと包括提携を締結(失敗)
  2. 2011年米国四輪車市場から撤退
  3. 2014年Suzuki Motor Gujarat Private Ltd.を設立
  4. 2015年フォルクスワーゲンから株式を買い戻し
  5. 2017年トヨタ自動車と業務提携に向けた覚書を締結
  6. 2018年浜松工場を新設
  7. 2019年トヨタ自動車と資本提携

スズキの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

VW紛争4,602億円で独立性を守った裁定

2011年11月、スズキはフォルクスワーゲンとの包括的な業務提携の解消と保有株式の全面的な買戻しを要求し、両社の関係は正式な対立局面へ移った。フォルクスワーゲン側はスズキに対し、イタリア系商用車メーカー、フィアット・パワートレイン・テクノロジーズからのディーゼルエンジン調達を「競合他社との提携」にあたると主張して契約違反を問題視し、スズキ側は約束された技術供与の実質的な不実施を理由に契約違反を主張し合う法的紛争へ発展した。両社は国際商業会議所の国際仲裁裁判所に事案の審理を委託し、以後3年以上にわたる長期の仲裁手続きが進んだ。 [28]

  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [28]2011年11月 スズキがVWとの包括提携解消・保有株式の全面買戻しを要求

2015年8月、国際商業会議所の仲裁裁判所はスズキ側の主張を認める形でフォルクスワーゲンによる保有株式の全面売却を命令し、紛争対象となった株式の時価総額は約4,602億円に達した。スズキは独立系メーカーとしての経営の独立性を法廷闘争で守り抜き、以後の国際的な業界再編の局面でも独自路線を維持する道筋をつけた。仲裁勝訴の翌2016年には、新型アルトやスペーシアの販売好調とマルチ・スズキの成長で業績は過去最高水準に達し、独立性を死守した経営判断が業績面でも正しかったことを示した。GMとVWという二つの大資本との提携終了を経て、スズキは自前の軽自動車・二輪・インド事業の組み合わせで生き延びる道を選び切った。 [29][30]

  • 有価証券報告書
    • [29]2015年8月 国際商業会議所仲裁裁判所がVWの保有株式全面売却を命令
    • [30]VW仲裁裁定の対象株式の時価総額 約4,602億円
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [28]2011年11月 スズキがVWとの包括提携解消・保有株式の全面買戻しを要求
  • 有価証券報告書
    • [29]2015年8月 国際商業会議所仲裁裁判所がVWの保有株式全面売却を命令
    • [30]VW仲裁裁定の対象株式の時価総額 約4,602億円

インド200万台体制とトヨタ提携の意味

鈴木修会長は自動運転の進展により情報産業に主導権を奪われかねないとの見方を示し、自動運転・ハイブリッド車・電気自動車といった広範な技術領域に同時に取り組む必要性を強調しており、単独での技術投資の限界を率直に認めていた。週刊東洋経済も2016年10月の記事で、自動車産業を取り巻く急速な環境変化が両社を生煮えの提携へと駆り立てたとし、なかでもスズキが強い危機感を抱いていたと背景を分析している。2019年8月、スズキはトヨタ自動車との業務資本提携を調印し、トヨタがスズキ株式の4.94%を、スズキがトヨタ株式の0.2%を相互取得する形で新しい長期パートナーシップを結んだ。インド市場での協力深化と電動化・自動運転の共同開発を柱に据えた。 [31][32]

  • 週刊東洋経済(2016年10月22日)
    • [31]週刊東洋経済2016/10の記事 両社を生煮えの提携へ駆り立てた環境変化・スズキの危機感の分析
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [32]2019年8月 スズキがトヨタ自動車と業務資本提携を調印(トヨタがスズキ株4.94%、スズキがトヨタ株0.2%を相互取得)

インド市場では2021年から、マルチ・スズキの年間生産能力を200万台体制へ引き上げる設備投資計画が発表され、グジャラート州のスズキモーター・グジャラート工場での能力拡大と、ハリヤナ州マネサール工場・グルガオン工場での能力増強が並行して進んだ。鈴木俊宏社長は「共闘・協調・競争」(日経ビジネス 2021/12/06)と提携の哲学を整理し、インド戦略については海外進出は不可欠であり、世界に目を向けて海外で活躍できる人財を育てることが重要だと語っている。1982年のマルチ合弁契約から40年を経て、インド市場はスズキの未来をも決める成長エンジンとしての位置を得た。 [33][34][35][36]

  • 有価証券報告書
    • [33]2021年からマルチ・スズキ年産能力を200万台体制へ引き上げる設備投資計画
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [34]グジャラート州スズキモーター・グジャラート工場・ハリヤナ州マネサール工場・グルガオン工場での能力拡大
    • [36]1982年のマルチ合弁契約から40年(インド合弁の起点)
    • [35]鈴木俊宏社長の提携哲学「共闘・協調・競争」(日経ビジネス 2021/12/06)
  • 週刊東洋経済(2016年10月22日)
    • [31]週刊東洋経済2016/10の記事 両社を生煮えの提携へ駆り立てた環境変化・スズキの危機感の分析
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
    • [32]2019年8月 スズキがトヨタ自動車と業務資本提携を調印(トヨタがスズキ株4.94%、スズキがトヨタ株0.2%を相互取得)
    • [34]グジャラート州スズキモーター・グジャラート工場・ハリヤナ州マネサール工場・グルガオン工場での能力拡大
    • [36]1982年のマルチ合弁契約から40年(インド合弁の起点)
  • 有価証券報告書
    • [33]2021年からマルチ・スズキ年産能力を200万台体制へ引き上げる設備投資計画
    • [35]鈴木俊宏社長の提携哲学「共闘・協調・競争」(日経ビジネス 2021/12/06)

スズキの沿革1909〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
鈴木式織機製作所を創業★★★
鈴木式織機株式会社として改組設立★★
高塚工場を新設
東京証券取引所に株式上場
労働争議が発生・生産停止へ
二輪車に参入・パワーフリー号を発売★★
商号を鈴木自動車工業株式会社に変更★★
軽四輪乗用車を発売(国内軽自動車の先鞭)★★
創業者の鈴木道雄氏が社長退任
繊維機械部門を子会社に分離★★
国内生産拠点を増設★★
米国直営販売会社U.S. Suzuki Motor Corp.を設立★★
船外機部門に進出★★
排ガス規制により販売不振へ
四輪車初の海外生産を開始(パキスタン)★★
鈴木修鈴木修氏が社長就任
鈴木修軽自動車「アルト」を発売★★
鈴木修GM・いすゞ・スズキの3社が業務提携★★★
鈴木修インド国営企業マルチに出資★★
鈴木修スズキ株式会社へ社名変更★★
鈴木修ハンガリーにMagyar Suzuki Corporationを設立★★
鈴木修中国での現地生産を開始
鈴木修相良エンジン工場を稼働
鈴木修マルチ問題(インド政府と対立)★★
鈴木修GMがスズキへ追加出資★★
鈴木修マルチ社を子会社化・増産投資★★★
鈴木修PT Indomobil Suzuki Internationalを子会社化★★
鈴木修インドMaruti Udyog Ltd.がムンバイ証券取引所等に上場
鈴木修小型車「スイフト」を発売★★
鈴木修小野専務が急逝(後継候補)★★
鈴木修GMとの提携を解消★★
鈴木修フォルクスワーゲンと包括提携を締結(失敗)★★★
鈴木修米国四輪車市場から撤退
鈴木修Suzuki Motor Gujarat Private Ltd.を設立★★
鈴木俊宏フォルクスワーゲンから株式を買い戻し
鈴木俊宏トヨタ自動車と業務提携に向けた覚書を締結★★
鈴木俊宏浜松工場を新設★★★
鈴木俊宏トヨタ自動車と資本提携★★
鈴木俊宏東京証券取引所プライム市場へ移行
鈴木俊宏インドで新工場を計画★★
鈴木俊宏鈴木修相談役が逝去★★
出典・参考
  • スズキ 有価証券報告書 第159期(2024年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • ダイヤモンド(1953年6月1日)
  • 有価証券報告書
  • 経済展望(1960年10月1日)
  • 日本経済新聞(1967年1月29日)
  • 週刊東洋経済(1973年5月5日)
  • 読売新聞(1979年5月12日)
  • プレジデント(1979年11月)
  • 週刊東洋経済(2016年10月22日)
  • 日経ビジネス(2020年1月10日)

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