ファナックの創業経緯は複雑である。事業の開始という面では、富士通の社内新規事業として「NC(Numeric Control)」へ1956年に参入したのが始まりである。会社設立という面では、1972年に富士通からNC事業を分離する形で「富士通ファナック」を設立したのが設立年にあたる。ここでは、1956年の富士通によるNCへの新規参入を創業年として扱う。
1956年に尾見半左右(富士通・役員)はコンピュータによるNC制御(x-y-z軸による空間のモーションコントロール)が重要になると考えて、部下であった稲葉氏にNCの研究を命じた。以後、稲葉清右衛門氏が富士通のNC事業の立役者となり、富士通から分離されたファナックの創業者となった。
1959年に稲葉清右衛門は工作機械の駆動機構に用いる「電気圧パルスモーター」を発明し、特許を取得することでNCにおける日本のパイオニアとなった。顧客は牧野フライスといった、日本国内の工作機械メーカーであった。以後、現在に至るまで、ファナックの主要顧客は工作機械メーカーである。
ただし、コンピュータは高額なこともあり、富士通のNC事業は参入から約10年間は赤字が続いた。このため、この時期の経営について、ファナックの社内では「神代の時代」と呼ばれていた。
1956(昭和31)年でしたか、技術担当常務だった尾見さんが「稲葉君、これからは'3C'の時代が必ず来る。君にはコントロール(制御)の開発をしてもらう」とおっしゃったのです。富士通信機が従来から手がけている通信機(Communication)分野だけでなく、新しくComputerとControl 分野に進出することを初めて知らされたわけです。当時の富士通の経営陣は、その頃からすでに“3C”時代の到来を見通していたんですね。
尾見さんの号令一下、すぐにプロジェクトチームがつくられて、コンピュータ開発チームのリーダーには同期入社で数学が得意な池田敏雄君が、コントロール開発チームリーダーには私が指名されたのですが、2人ともまだ30歳を少し過ぎたばかりでした。
池田君は電気、私は機械でしたが、どちらも生来の頑固者で、仕事上の妥協は一切ない。だから、上司とはしょっちゅう衝突して、社内ではだいぶ変わり者の技術者と見られていたようでした。ただ、私も池田君も何かに直面したとき、何が何でもやり遂げるという不屈の精神と実行力では人後に落ちないという自負を持っていたので、あるいは尾見さんはそのあたりの二人の性格を見抜いていたのかもしれません。
1972年に富士通はNC事業を分離して「富士通ファナック株式会社」を設立した。2000年から富士通がファナックの株式売却を開始するまでは、ファナックの大株主(2000年時点の保有比率は約40%)であり続けた。
1974年にファナックはロボットの自社開発を行い、最終製品の領域に参入した。従来のファナック は「NC」という数値制御部分だけを手掛けていたが、ロボットという最終製品にも参入した。
工作機械は顧客と競合することから参入せず、ロボットという市場が未開拓な領域を選択することで、顧客との競合を避けたものと推察される。
産業用ロボットは、わが国でも自動車産業をはじめ広く産業界に採用されるようになったが、現在の記憶再生式産業用ロボットの原型は、アメリカにおいて15年ほど前に誕生した。引き続いて1963年にそれが商品化されたわけであるが、その後今日に至るまでの10年余年の間にいろいろな改良が加えられて、産業界の各分野に次第にその適用範囲を拡げてきている。
産業用ロボットは、その機能、品質などが年々改善され、利用技術などの向上と相まって、その需要は次第に伸びてきている。しかしながらまだ一部を除いて一般的な傾向として試行錯誤の域を脱しているとはいいきれず、これから本格的にその伸びが期待される業種であるといえよう。
今日、産業界においては、労働人口の不足ならびに人件費の高騰に対処するため、あるいは作業環境改善およい人間福祉の工場といった見地から、省力化・自動化への要請が高まってきており、そのため特に、産業用ロボットに対する認識が高まり、きわめて大きな期待がかけられている。それに呼応して産業用ロボットに関する研究・開発ならびにその利用技術の開発がこのところ急速に進展しつつあり、ロボット産業か近い将来大きな成長を遂げることは疑いのないものとなっている。
1980年代を通じて、日本国内の製造現場に自動化された工作機械が普及し、NCの需要も増大した。ファナックは、NCにおける数値制御というソフトウェアの部分と、高度な制御を可能にするためのサーボモータの技術を磨くことで対応。さらに、特注品ではなく汎用品に特化することで、量産による値下げ効果を得て「高性能で安いNC」を供給することで国内市場を掌握した。
この結果、NCにおける国内シェア70%を確保し、三菱電機などの競合他社を圧倒した。市場をほぼ独占したことによって、ファナックは汎用品の価格決定権を掌握して収益を確保した。FY1985にファナックは売上高経常利益率36.6%という日本一の水準を達成して、注目を浴びた。
ただし、ファナックのNCは汎用品に特化しており、特注品に関しては競合他社が生き残る余地があった。また、ヤマザキマザックやDMG森精機などごく一部の工作機メーカーは、1990年代を通じてファナックと三菱電機の2社購買に改めるなど、必ずしもファナックのNCが市場を完全に独占しているわけではない。
2010年頃からiPhoneの生産台数が増加し、中国の鴻海に対してロボドリル(iPhone向けアルミ筐体の加工機)の需要が増大することが予想された。
そこで、2011年頃にファナックはロボドリルへの量産投資を決定した。茨城の筑波工場においてロボドリルの生産ラインを増強し、中国のEMSメーカー向けへの出荷体制を整えた。FY2011におけるファナックの設備投資額は457億円に及び、主な内訳は(1)本社工場におけるロボット工場の新設、(2)筑波工場におけるロボドリルの増産体制の構築、であった。
また、韓国のサムスンとの取引を拡大しており(FY2014にサムスン向け販売高939億円)、こちらもスマホ向けのロボドリルが主体であったと推察される。
この結果、2010年代を通じてファナックはアジア(主に中国・韓国)向けの売上高を拡大した。