ファナック の歴史

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創業 1972年
創業者 稲葉清右衛門
創業地 東京都日野市
創業 1956年、富士通信機製造の常務・尾見半左右氏が通信機にコンピュータと制御を加え
1956年、富士通信機製造の常務・尾見半左右氏が通信機にコンピュータと制御を加える"3C構想"を掲げ、制御の責任者に機械技術者の稲葉清右衛門氏を指名した。川崎工場の実験室で数名から始まったNC研究は約十年赤字が続き、通信機事業の収益がその損失を吸収した。1965年に初の黒字へ転じ、1972年5月にNC部門が富士通から分離して富士通ファナックとなる。資本金20億円・人員約630名で発足し、1982年に社名をファナックへ改めた。十年の赤字を許した親会社の懐が、競合の入れない時間差をそのまま参入障壁に変えた。
決断 値引きで数を取らず、利益率を先に決めてから商品を設計してきた。1973年秋のオイ
値引きで数を取らず、利益率を先に決めてから商品を設計してきた。1973年秋のオイルショックを境に、自社が発明した電気・油圧パルスモータへの評価は一変した。米ゲティス社と提携してDCサーボへ全面的に切り替え、続けて産業用ロボットを自社開発することで、顧客である工作機械メーカーとぶつからない最終製品を手に入れた。1985年には利益率35%を商品開発の前提に据えた。まず市場調査をもとに優位に立てる価格を決め、そこから逆算して製造原価をはじき出す。技術は自力で開発するより外部から調達できるものは調達すべきだという考えを貫いて自前主義への固執を捨て、付加価値に占める人件費の比率も30%以下に抑えた。先に決めた利益率は、原価と人件費を律する規律があってはじめて成り立つものである。
現況 利益率四割の会社ではなくなった。2025年3月期の連結売上高7,971億円はロボ
利益率四割の会社ではなくなった。2025年3月期の連結売上高7,971億円はロボットが41%、CNCとサーボのFAが24%、ロボマシンが17%、保守サービスが17%で、単一セグメントのまま四部門が並ぶ。営業利益率は2015年3月期の40.8%から19.9%へ下がった。ロボドリルの生産能力を倍増させたスマートフォン特需のように、生産財ゆえ需要の振れがそのまま業績へ出る。売上の86%は海外が占める。2015年には沈黙をやめて株主還元と対話へ舵を切り、連結配当性向60%を基本方針に据えた。目減りした収益力を、無借金で積み上げた手元資金の配当で補う会社へ性格を変えている。
競合 同じロボットとCNCを売っていても、優劣は地域ごとに分かれる。1975年に相互援
同じロボットとCNCを売っていても、優劣は地域ごとに分かれる。1975年に相互援助契約を締結した独シーメンスは欧州で優位にあり、ファナック自身もCNCの欧州シェアはまだ低いと決算説明会で認めている。国内ではモータへ絞り込んだ安川電機や、FA機器を抱える三菱電機と競う。米国はロボットのシェアが世界でいちばん高い市場だと自ら語る一方、中国では性能より価格を求める領域でローカルメーカーが伸び、そこは元から棲み分ける領域だと線を引く。価格で追わず、顧客が使い続ける限り保守を続ける生涯保守を、競合が追随しにくい特長として前に出している。
長期業績の推移 1976〜2026年
ファナック:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
1997年3月期〜2026年3月期

第1章 1956年〜 富士通の制御部門から分社し、汎用NCの寡占と利益率35%を掲げた高収益経営へ

1956年〜十年の赤字を通信機事業の収益が吸収したNC研究

1956年、富士通信機製造の技術担当常務であった尾見半左右氏は、通信機にコンピュータと制御を加える"3C構想"を掲げ、制御分野の責任者に機械技術者の稲葉清右衛門氏を指名した。米国MITがまとめたNC工作機械の技術報告を年初の自動制御研究会で耳にしたことが、稲葉氏が開発の対象をNCへ絞り込む契機となった。茨城県出身の同氏は1925年生まれで、1946年に東京大学工学部を出ている。研究は富士通川崎工場の片隅に設けた小部屋で、電気担当と機械担当を合わせても数名という陣容から動き出し、1959年に電気・油圧パルスモータを完成させて自前のNC技術を確立するに至った。

  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [1]1956年 尾見半左右氏が3C構想の制御分野責任者に稲葉清右衛門氏を指名
    • [2]1956年初め 自動制御研究会でMITのNC工作機械の技術報告を聴き開発テーマをNCへ
    • [4]富士通川崎工場の小さな実験室で電気・機械の数名の技術者によりNC研究が発足
    • [5]1959年 電気・油圧パルスモータを開発し独自のNC技術を確立
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
    • [3]稲葉清右衛門氏 大正14年(1925年)3月茨城県生まれ、昭和21年(1946年)9月東京大学工学部卒

事業としてのNCは参入から約10年にわたって赤字が続き、富士通の通信機事業の収益がその損失を吸収した。稲葉氏は当時の社長であった岡田完二郎氏から『利益なくして企業は成り立たない』と叩き込まれ、技術より先に利益から発想する経営観をこの時期に得た。NC部門が初めて黒字を出したのは1965年で、以後は汎用NC装置の需要拡大に乗って富士通社内でも利益率の高い部門へ育ち、1969年にはNC装置の累計出荷が2275台に上った。外部からの借金を当てにせず、自前の資金で回せる企業体質をつくるという方針は、それ以前の赤字続きの時期に固まったものである。稲葉氏はこの十年について、技術者である自分がもっとも厳しく鍛え上げられた歳月だったと書き残している。

  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [6]NC参入から約10年の赤字を富士通の通信機事業の収益が吸収
    • [8]1965年 NC部門が初の黒字転換、汎用NC需要の拡大で高収益部門に成長
    • [9]NC装置の出荷 1969年に累計2275台
    • [10]借入に頼らず自己資金でまかなう企業体質づくりの方針
    • [11]稲葉清右衛門氏が1955年から1965年を最も厳しく鍛えられた期間と記述
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
    • [7]岡田完二郎社長の「利益なくして企業は成り立たない」の教え

1972年4月14日、富士通の取締役会がNC部門の分離独立を決め、翌5月に資本金20億円の富士通ファナック株式会社が発足した。発足時の本社は川崎市に置かれ、人員は約630名だった。新会社の専務には富士通計算制御部長の稲葉清右衛門氏が就任し、事実上の責任者となった。稲葉氏は損益分岐点比率を30%以下に抑えるよう社内へ指示し、これを企業体質センサーと呼んだ。1976年5月にはドイツへ現地法人FANUC SERVICE GmbHを設け、同年11月に東京証券取引所市場第二部へ上場した。

  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [12]1972年4月14日 富士通取締役会がNC部門の分離独立を決定
    • [15]新会社の専務に富士通計算制御部長の稲葉清右衛門氏が就任
    • [16]損益分岐点比率30%以下の指示と企業体質センサーの呼称
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [13]1972年5月 富士通株式会社よりNC部門が分離し設立、資本金20億円
    • [17]1976年5月 ドイツに現地法人FANUC SERVICE GmbHを設立
    • [18]1976年11月 東京証券取引所市場第二部に上場
  • 日刊工業新聞 1972年4月15日
    • [14]発足時の本社は川崎市、人員は約630名
参考文献[1]-[18]
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [1]1956年 尾見半左右氏が3C構想の制御分野責任者に稲葉清右衛門氏を指名
    • [2]1956年初め 自動制御研究会でMITのNC工作機械の技術報告を聴き開発テーマをNCへ
    • [4]富士通川崎工場の小さな実験室で電気・機械の数名の技術者によりNC研究が発足
    • [5]1959年 電気・油圧パルスモータを開発し独自のNC技術を確立
    • [6]NC参入から約10年の赤字を富士通の通信機事業の収益が吸収
    • [8]1965年 NC部門が初の黒字転換、汎用NC需要の拡大で高収益部門に成長
    • [9]NC装置の出荷 1969年に累計2275台
    • [10]借入に頼らず自己資金でまかなう企業体質づくりの方針
    • [11]稲葉清右衛門氏が1955年から1965年を最も厳しく鍛えられた期間と記述
    • [12]1972年4月14日 富士通取締役会がNC部門の分離独立を決定
    • [15]新会社の専務に富士通計算制御部長の稲葉清右衛門氏が就任
    • [16]損益分岐点比率30%以下の指示と企業体質センサーの呼称
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
    • [3]稲葉清右衛門氏 大正14年(1925年)3月茨城県生まれ、昭和21年(1946年)9月東京大学工学部卒
    • [7]岡田完二郎社長の「利益なくして企業は成り立たない」の教え
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [13]1972年5月 富士通株式会社よりNC部門が分離し設立、資本金20億円
    • [17]1976年5月 ドイツに現地法人FANUC SERVICE GmbHを設立
    • [18]1976年11月 東京証券取引所市場第二部に上場
  • 日刊工業新聞 1972年4月15日
    • [14]発足時の本社は川崎市、人員は約630名

1973年〜顧客と競合しない最終製品としての産業用ロボット参入

1973年秋の第一次オイルショックののち、大出力に大型の油圧源を要する電気・油圧パルスモータへのユーザーの評価が一変した。稲葉氏は米ゲティス社と提携し、主力を油圧式から油を使わないDCサーボモータへ切り替えた。1974年7月、ゲティス社とのライセンス契約によりDCサーボモータの製造販売を開始した。1975年5月には稲葉氏が社長に就任し、主力のNC装置は国内シェア約75%、世界シェア約50%を占めた。同年6月にはドイツのシーメンス社と営業・技術にわたる相互援助契約を結び、欧州での協力の足場とした。

  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [19]1973年秋の第一次オイルショックで電気・油圧パルスモータの評価が一変
    • [20]オイルショックを機にゲティス社と提携しDCサーボモータへ転換
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [21]1974年7月 米国ゲティス社とのライセンス契約によりDCサーボモータの製造販売開始
    • [24]1975年6月 ドイツ・シーメンス社と営業、技術に亘る相互援助契約を締結
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
    • [22]1975年5月 稲葉清右衛門氏が社長に就任
    • [23]主力NC装置の国内シェア約75%・世界シェア約50%

NC装置は工作機械に組み込まれて売られる部品で、その主な買い手は工作機械メーカーだった。同じ工作機械を自ら手がければ顧客と正面から競合するため、稲葉社長は事業をNC・サーボ・機械を統合した商品に限る"憲法"を掲げ、その枠内で顧客と競わない最終製品を探した。製造部門でも作業員の単純作業をロボットへ置き換える構想を持っていた。1974年に産業用ロボットの自社開発へ着手し、NCを制御装置、サーボモータを関節の動力に転用して1977年に最終製品市場へ参入した。1977年10月には日野地区へ商品開発研究所を新設し、同年11月に米国へ現地法人FANUC AMERICA CORPORATIONを設立した。

  • 日経ビジネス 1985年10月28日号
    • [25]NC装置は工作機械に組み込まれる部品で主な買い手は工作機械メーカー
    • [26]事業をNC・サーボ・機械を束ねた商品に限る稲葉清右衛門氏の「憲法」
    • [28]1974年 産業用ロボットの自社開発着手、1977年 最終製品市場へ参入
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [27]製造部門で作業員の単純作業をロボットへ置き換える構想
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [29]1977年10月 日野地区に商品開発研究所を新設
    • [30]1977年11月 米国に現地法人FANUC AMERICA CORPORATIONを設立

1978年5月には韓国の貨泉機工社との共同出資で合弁会社KOREA FANUC CORPORATIONを設立した。1980年12月、ファナックは本社地区を山梨県忍野村に定め、ロボットおよびNC工作機械の製造工場を建設して移転した。1981年12月に米ゼネラルモーターズからロボットの開発・製造・販売を担う合弁の申し込みを受け、1982年6月にGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立した。1982年7月には富士通ファナック株式会社をファナック株式会社へ社名変更し、1983年9月に東京証券取引所市場第一部へ上場した。1984年10月には東京都日野市から山梨県忍野村へ本店を移した。

  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [31]1978年5月 韓国貨泉機工社との共同出資により合弁会社KOREA FANUC CORPORATIONを設立
    • [32]1980年12月 本社地区(山梨県忍野村)にロボットおよびNC工作機械製造工場を建設移転
    • [34]1982年6月 米国ゼネラルモーターズ社との共同出資によりGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立
    • [35]1982年7月 富士通ファナック株式会社をファナック株式会社に社名変更
    • [36]1983年9月 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [37]1984年10月 東京都日野市より山梨県忍野村へ本店を移転
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [33]1981年12月 GMからロボットの開発・製造・販売を担う合弁の申し込み
参考文献[19]-[37]
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [19]1973年秋の第一次オイルショックで電気・油圧パルスモータの評価が一変
    • [20]オイルショックを機にゲティス社と提携しDCサーボモータへ転換
    • [27]製造部門で作業員の単純作業をロボットへ置き換える構想
    • [33]1981年12月 GMからロボットの開発・製造・販売を担う合弁の申し込み
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [21]1974年7月 米国ゲティス社とのライセンス契約によりDCサーボモータの製造販売開始
    • [24]1975年6月 ドイツ・シーメンス社と営業、技術に亘る相互援助契約を締結
    • [29]1977年10月 日野地区に商品開発研究所を新設
    • [30]1977年11月 米国に現地法人FANUC AMERICA CORPORATIONを設立
    • [31]1978年5月 韓国貨泉機工社との共同出資により合弁会社KOREA FANUC CORPORATIONを設立
    • [32]1980年12月 本社地区(山梨県忍野村)にロボットおよびNC工作機械製造工場を建設移転
    • [34]1982年6月 米国ゼネラルモーターズ社との共同出資によりGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立
    • [35]1982年7月 富士通ファナック株式会社をファナック株式会社に社名変更
    • [36]1983年9月 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [37]1984年10月 東京都日野市より山梨県忍野村へ本店を移転
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
    • [22]1975年5月 稲葉清右衛門氏が社長に就任
    • [23]主力NC装置の国内シェア約75%・世界シェア約50%
  • 日経ビジネス 1985年10月28日号
    • [25]NC装置は工作機械に組み込まれる部品で主な買い手は工作機械メーカー
    • [26]事業をNC・サーボ・機械を束ねた商品に限る稲葉清右衛門氏の「憲法」
    • [28]1974年 産業用ロボットの自社開発着手、1977年 最終製品市場へ参入

第2章 1986-1994 (気が向いたら執筆します!) GEとの合弁GE Fanucと隼人工場、GMFanucの子会社化と北京合弁

第3章 1995-2008 (気が向いたら執筆します!) 稲葉清右衛門会長と富士通の株式売却、稲葉善治社長と経営会議の発足

第4章 2009-2014 (気が向いたら執筆します!) リーマンショックとGE合弁の解消、EMS向けロボドリルの大増産と創業者の退任

第5章 2015-2026 (気が向いたら執筆します!) 配当性向60%とSR部による株主還元の転換、山口賢治体制とスマホ特需の終了

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歴史年表 1956〜2020年

ファナックの沿革1956〜2020年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1956〜1985年富士通の制御部門から分社し、汎用NCの寡占と利益率35%を掲げた高収益経営へ富士通がNC装置に新規参入。稲葉清右衛門氏が社員として開発に従事★★
参入10年目に初の黒字転換★
高羅芳光親会社の制御部門を切り出して立てたNC専業メーカーの創業

1972年5月、富士通株式会社からNC(数値制御装置)部門が分離する形で、資本金20億円の富士通ファナック株式会社が神奈川県川崎市の富士通本社地区で発足した。原点は1956年、富士通信機の技術担当常務・尾見半左右氏が掲げた"3C構想"の制御分野で、機械技術者の稲葉清右衛門氏がNC研究の責任者に指名されたことにある。約10年の赤字を通信機事業の収益が吸収し、1965年の黒字転換を経て高収益部門に育ったNC部門が、独立採算の新会社として切り出された。

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★★★
高羅芳光ゲティス社とライセンス契約を締結。DCサーボモータに参入★
高羅芳光NC装置の部品供給から自社開発の最終製品へ広げる立ち位置の転換

1970年代半ば、ファナックは工作機械を動かすNC(数値制御)装置を工作機械メーカーへ納める部品メーカーだった。社長・稲葉清右衛門氏は、顧客と競合しない最終製品として産業用ロボットに目をつけ、1974年に自社開発へ着手、1977年に最終製品市場へ参入した。NCを制御装置、サーボモーターを関節の動力に転用した判断である。

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★★★
稲葉清右衛門シーメンス社と営業・技術に関する相互援助契約を締結★
稲葉清右衛門東京証券取引所第2部に株式上場★
稲葉清右衛門商号をファナックに変更★
稲葉清右衛門ゼネラル モーターズ社との共同出資によりGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立★★
稲葉清右衛門電動射出成形機を開発★★
稲葉清右衛門NC装置の圧倒的シェアを、規模ではなく収益性の追求に振り向けた経営

1980年代半ば、ファナックはNC(数値制御)装置で国内シェア約75%・世界約50%を握り、売上高経常利益率が3割半ばに達する日本トップ級の超高収益企業となっていた。社長・稲葉清右衛門氏が"利益率35%"を経営の基本に据え、高シェアと高利益を同時に追う経営を貫いた結果である。

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★★★
1986〜1994年GEとの合弁GE Fanucと隼人工場、GMFanucの子会社化と北京合弁稲葉清右衛門ゼネラル エレクトリックとの共同出資でGE Fanuc Automation Corporationを設立★★
稲葉清右衛門隼人工場を新設★
稲葉清右衛門GMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを全額出資子会社化★
稲葉清右衛門合弁会社BEIJING-FANUC Mechatronics CO., LTD.を設立★
1995〜2008年稲葉清右衛門会長と富士通の株式売却、稲葉善治社長と経営会議の発足野澤量一郎稲葉清右衛門氏が代表取締役会長に就任★
野澤量一郎合弁会社SHANGHAI-FANUC Robotics CO., LTD.を設立★
小山成昭富士通がファナック株式の売却を開始(約40%→約10%)★
稲葉善治稲葉善治氏が代表取締役社長に就任★
稲葉善治名誉会長を含めた意思決定機関「経営会議」を発足。小山成昭会長が辞任★
2009〜2014年リーマンショックとGE合弁の解消、EMS向けロボドリルの大増産と創業者の退任稲葉善治リーマンショックの影響で大幅減益。高収益はキープ★
稲葉善治ゼネラル エレクトリックとの合弁を解消★★
稲葉善治短期の大口需要に生産能力を合わせ、月産2,500台を5,000台へ引き上げた設備投資

筑波工場のロボドリル(小型マシニングセンタ)の生産能力を、2012年末までに月産5,000台へ引き上げる設備投資に踏み切った。2011年度の下期に月産2,500台を達成したうえでの倍増計画である。 2012年3月期の連結設備投資総額は457億19百万円で、前期の98億00百万円の4.7倍にあたる。翌2013年3月期も450億91百万円を投じ、筑波地区に新しいロボドリル工場を建設した。

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★★★
稲葉善治稲葉清右衛門氏が取締役を退任。取締役12名が降格★
2015〜2026年配当性向60%とSR部による株主還元の転換、山口賢治体制とスマホ特需の終了稲葉善治専任部署の設置を伴う、株主還元と情報開示に対する方針の転換

2015年4月27日、ファナックが連結配当性向を従来の30%から60%へ引き上げ、今後5年間の平均総還元性向(配当と自己株取得の合計)を純利益の80%以内とする株主還元方針を開示した経営判断。先立つ3月には株主対話の窓口となるSR(シェアホルダー・リレーションズ)部の新設を発表し、情報開示に消極的であった従来の方針を転換した。稲葉善治社長が主導した。

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★★★
山口賢治山口賢治氏が代表取締役社長に就任★
山口賢治スマホ向けロボドリルの特需が終了。6割減益へ★
山口賢治稲葉清右衛門氏が95歳で逝去★
出典・参考 5件
出典・参考
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
  • 日経ビジネス 1985年10月28日号
  • 日刊工業新聞 1972年4月15日
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)

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