1956年〜 富士通社内事業から忍野立地の寡占企業への飛躍
- 1956年富士通がNC装置に新規参入。稲葉清右衛門氏が社員として開発に従事
- 1972年富士通株式会社よりNC部門が分離し設立、資本金20億円
- 1972年富士通ファナック株式会社を設立。稲葉氏が実質的な経営トップに就く
- 1974年ロボットを自社開発して参入
- 1974年米国ゲティス社とのライセンス契約により、DCサーボモータの製造販売開始
- 1975年ドイツ、シーメンス社と営業、技術に亘る相互援助契約を締結
- 1985年NCシェアで70%を確保。売上高経常利益率(36.6%)で日本トップを達成
ファナックの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
十年の赤字を甘受した辛抱が生む優位の逆説
1956年、富士通の技術担当常務であった尾見半左右氏は通信機・コンピュータ・制御の三本を事業の柱とする構想、いわゆる「3C構想」を掲げており、その制御分野の技術開発責任者として当時まだ若手研究者であった稲葉清右衛門氏を指名した。稲葉氏は工作機械の動きをコンピュータによって数値制御するNC装置の基礎的な研究開発に着手し、1959年には独自の発明である「電気圧パルスモーター」を世に送り出して即座に特許を取得した。この独自の技術の発明こそがNC装置における精密な位置制御を初めて可能とする決定的な技術基盤となり、後のファナックが国内外の工作機械市場で寡占地位を築き上げていく長い旅の出発点としての技術的な足場を同社に与えることとなった。 [1][2]
- 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
- [1]1956年 富士通がNC装置に新規参入し稲葉清右衛門氏が開発に従事
- [2]尾見半左右が「3C構想」を掲げ稲葉清右衛門を制御分野の開発責任者に指名(稲葉本・本人回想)
しかし事業としてのNCは参入から約十年にわたって恒常的な赤字が続き、コンピュータ本体が1台数百万〜数千万円という単価で市場自体が未成熟であった当時の環境のもとで、富士通社内においてこの期間は半ば比喩的に「神代の時代」と呼ばれた。1965年にようやく初めての黒字転換を果たし、1972年に富士通本体からNC事業を分離する形で「富士通ファナック株式会社」が設立されて正式な独立企業としての第一歩を刻むこととなった。富士通という大企業の懐の深さがあったからこそ十年の赤字を甘受して技術開発に没頭できたという逆説的な構造こそが、独立後のファナックが競合他社に対して維持し続けた競争優位の原点として働いた。 [3][4]
- 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
- [3]1965年 参入10年目に初の黒字転換
- ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
- [4]1972年5月 富士通株式会社よりNC部門が分離し富士通ファナック株式会社を設立
- 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
- [1]1956年 富士通がNC装置に新規参入し稲葉清右衛門氏が開発に従事
- [2]尾見半左右が「3C構想」を掲げ稲葉清右衛門を制御分野の開発責任者に指名(稲葉本・本人回想)
- [3]1965年 参入10年目に初の黒字転換
- ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
- [4]1972年5月 富士通株式会社よりNC部門が分離し富士通ファナック株式会社を設立
汎用品集中と忍野立地が生んだ日本一の収益力
1972年の独立後、ファナックはNC装置・サーボモータ・ロボットを軸に事業構造を固め、1974年には自社開発の産業用ロボットを市場へ投入した。独立直後の同社を揺さぶったのが1973年秋の第一次オイルショックで、自社が発明した「電気・油圧パルスモータ」が大出力に大型の油圧源を要する点を嫌気され、ユーザーの評価が一変した。稲葉清右衛門氏は油を使わない電気パルスモータの自社開発に賭けたが騒音で実用に届かず、1974年6月に米ゲティス社とDCサーボモータの製造販売権取得契約を結び、主力モータを全面転換する決断を下した。戦略の核は工作機械には参入せず、工作機械メーカを顧客とする部品供給者に徹した点にあり、競合回避が顧客の信頼に直結した。欧州展開の基盤となったシーメンスとの関係は、1965年に富士通がパルスモータの製造権と欧州販売権を供与する形で始まり、1975年に対等の相互援助契約へ改められた。 [5][6][7][8][9]
- 有価証券報告書
- [5]1974年 ファナックが産業用ロボットを自社開発して市場投入
- [7]1974年6月 米ゲティス社とDCサーボモータの製造販売権取得契約を締結(製造販売開始は1974年7月)
- [8]1975年6月 シーメンス社と相互援助契約を締結
- 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
- [6]1973年秋の第一次オイルショックを機に電気・油圧パルスモータへのユーザー評価が一変
- [9]1965年 富士通がシーメンスにパルスモータの製造権・欧州販売権を供与(FANUC・シーメンス関係の起点)
ファナックの突出した高収益を支えた最大の経営判断は、個別顧客の仕様に合わせた特注品ではなく汎用NC装置へと経営資源を一点集中させるという選択であり、この戦略によって量産効果による徹底した原価低減と開発費の分散抑制を同時に実現する独特の事業構造が築かれた。1985年にはNC装置の国内市場における自社シェアが7割という寡占水準に到達し、売上高経常利益率36.6%という数値によって全上場企業の中で日本一の収益力を誇る異例の企業として名指しされるに至った。1980年の本社と工場の山梨県忍野村への全面移転という常識外の立地戦略は、土地取得コストの圧縮と技術者の定着を同時に実現する独自の経営モデルとして働くこととなった。 [10][11][12]
- 日経ビジネス(1985年10月28日)
- [10]1985年 全上場企業で日本一の収益力と評価された(収益力ランキング)
- [11]国内NC市場で自社シェア7割(1985年)
- ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
- [12]1980年 本社・工場を山梨県忍野村へ移転
- 有価証券報告書
- [5]1974年 ファナックが産業用ロボットを自社開発して市場投入
- [7]1974年6月 米ゲティス社とDCサーボモータの製造販売権取得契約を締結(製造販売開始は1974年7月)
- [8]1975年6月 シーメンス社と相互援助契約を締結
- 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
- [6]1973年秋の第一次オイルショックを機に電気・油圧パルスモータへのユーザー評価が一変
- [9]1965年 富士通がシーメンスにパルスモータの製造権・欧州販売権を供与(FANUC・シーメンス関係の起点)
- 日経ビジネス(1985年10月28日)
- [10]1985年 全上場企業で日本一の収益力と評価された(収益力ランキング)
- [11]国内NC市場で自社シェア7割(1985年)
- ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
- [12]1980年 本社・工場を山梨県忍野村へ移転