ファナック の歴史

創業

1972年

創業者

稲葉清右衛門

創業地

東京都日野市

直近売上高(2026/3)

8,578億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜファナックは十年の赤字に耐えてNC開発を続けられたのか
A 数値制御(NC)装置は参入から約十年間赤字が続き、富士通社内で「神代の時代」と呼ばれた。それでも開発を貫けたのは、母体である富士通の体力がその赤字を吸収できたからである。1956年、富士通常務の尾見半左右氏が掲げた「3C構想」の制御担当として、稲葉清右衛門氏がNC研究に着手した。事業は1965年にようやく初の黒字へ転換し、競合が耐えられない長期投資を大企業の懐が支えた構図が、1972年の独立後にファナックが保った優位の源泉となった
Q なぜオイルショックで自社発明の電気・油圧パルスモータを捨ててDCサーボへ全面転換したのか
A 1973年秋の第一次オイルショックを境に、自社が発明した電気・油圧パルスモータが大型の油圧源を要する点を顧客に嫌気され、評価が一変したためである。稲葉清右衛門氏は油を使わない電気パルスモータの自社開発に賭けたが騒音で実用に届かず、1974年6月に米ゲティス社とDCサーボモータの製造販売権取得契約を結んで主力モータを入れ替えた。この転換がなければ国内シェアは競合と逆転していたと稲葉氏自身が述懐しており、存亡を賭けた決断が後の寡占を守った
Q なぜ2019年に独立以来初の非創業家トップへ移行したのか
A 創業家による技術と経営の一体支配が、創業者の高齢と退場で続けられなくなったためである。稲葉清右衛門氏は1995年に会長へ退き、2003年に子息の稲葉善治氏が社長を継いだが、2013年のロボドリル失速を機に稲葉清右衛門氏が取締役を退任した。2019年には生え抜きの山口賢治氏が社長に就き、1972年の独立以来初めて非創業家の経営体制が始動した。翌2020年に稲葉清右衛門氏が95歳で逝去し、創業者がNCの基礎研究から牽引した時代が幕を閉じた

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1956年〜 富士通社内事業から忍野立地の寡占企業への飛躍

  1. 1956年富士通がNC装置に新規参入。稲葉清右衛門氏が社員として開発に従事
  2. 1972年富士通株式会社よりNC部門が分離し設立、資本金20億円
  3. 1972年富士通ファナック株式会社を設立。稲葉氏が実質的な経営トップに就く
  4. 1974年ロボットを自社開発して参入
  5. 1974年米国ゲティス社とのライセンス契約により、DCサーボモータの製造販売開始
  6. 1975年ドイツ、シーメンス社と営業、技術に亘る相互援助契約を締結
  7. 1985年NCシェアで70%を確保。売上高経常利益率(36.6%)で日本トップを達成

ファナックの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

十年の赤字を甘受した辛抱が生む優位の逆説

1956年、富士通の技術担当常務であった尾見半左右氏は通信機・コンピュータ・制御の三本を事業の柱とする構想、いわゆる「3C構想」を掲げており、その制御分野の技術開発責任者として当時まだ若手研究者であった稲葉清右衛門氏を指名した。稲葉氏は工作機械の動きをコンピュータによって数値制御するNC装置の基礎的な研究開発に着手し、1959年には独自の発明である「電気圧パルスモーター」を世に送り出して即座に特許を取得した。この独自の技術の発明こそがNC装置における精密な位置制御を初めて可能とする決定的な技術基盤となり、後のファナックが国内外の工作機械市場で寡占地位を築き上げていく長い旅の出発点としての技術的な足場を同社に与えることとなった。 [1][2]

  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [1]1956年 富士通がNC装置に新規参入し稲葉清右衛門氏が開発に従事
    • [2]尾見半左右が「3C構想」を掲げ稲葉清右衛門を制御分野の開発責任者に指名(稲葉本・本人回想)

しかし事業としてのNCは参入から約十年にわたって恒常的な赤字が続き、コンピュータ本体が1台数百万〜数千万円という単価で市場自体が未成熟であった当時の環境のもとで、富士通社内においてこの期間は半ば比喩的に「神代の時代」と呼ばれた。1965年にようやく初めての黒字転換を果たし、1972年に富士通本体からNC事業を分離する形で「富士通ファナック株式会社」が設立されて正式な独立企業としての第一歩を刻むこととなった。富士通という大企業の懐の深さがあったからこそ十年の赤字を甘受して技術開発に没頭できたという逆説的な構造こそが、独立後のファナックが競合他社に対して維持し続けた競争優位の原点として働いた。 [3][4]

  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [3]1965年 参入10年目に初の黒字転換
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [4]1972年5月 富士通株式会社よりNC部門が分離し富士通ファナック株式会社を設立
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [1]1956年 富士通がNC装置に新規参入し稲葉清右衛門氏が開発に従事
    • [2]尾見半左右が「3C構想」を掲げ稲葉清右衛門を制御分野の開発責任者に指名(稲葉本・本人回想)
    • [3]1965年 参入10年目に初の黒字転換
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [4]1972年5月 富士通株式会社よりNC部門が分離し富士通ファナック株式会社を設立

汎用品集中と忍野立地が生んだ日本一の収益力

1972年の独立後、ファナックはNC装置・サーボモータ・ロボットを軸に事業構造を固め、1974年には自社開発の産業用ロボットを市場へ投入した。独立直後の同社を揺さぶったのが1973年秋の第一次オイルショックで、自社が発明した「電気・油圧パルスモータ」が大出力に大型の油圧源を要する点を嫌気され、ユーザーの評価が一変した。稲葉清右衛門氏は油を使わない電気パルスモータの自社開発に賭けたが騒音で実用に届かず、1974年6月に米ゲティス社とDCサーボモータの製造販売権取得契約を結び、主力モータを全面転換する決断を下した。戦略の核は工作機械には参入せず、工作機械メーカを顧客とする部品供給者に徹した点にあり、競合回避が顧客の信頼に直結した。欧州展開の基盤となったシーメンスとの関係は、1965年に富士通がパルスモータの製造権と欧州販売権を供与する形で始まり、1975年に対等の相互援助契約へ改められた。 [5][6][7][8][9]

  • 有価証券報告書
    • [5]1974年 ファナックが産業用ロボットを自社開発して市場投入
    • [7]1974年6月 米ゲティス社とDCサーボモータの製造販売権取得契約を締結(製造販売開始は1974年7月)
    • [8]1975年6月 シーメンス社と相互援助契約を締結
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [6]1973年秋の第一次オイルショックを機に電気・油圧パルスモータへのユーザー評価が一変
    • [9]1965年 富士通がシーメンスにパルスモータの製造権・欧州販売権を供与(FANUC・シーメンス関係の起点)

ファナックの突出した高収益を支えた最大の経営判断は、個別顧客の仕様に合わせた特注品ではなく汎用NC装置へと経営資源を一点集中させるという選択であり、この戦略によって量産効果による徹底した原価低減と開発費の分散抑制を同時に実現する独特の事業構造が築かれた。1985年にはNC装置の国内市場における自社シェアが7割という寡占水準に到達し、売上高経常利益率36.6%という数値によって全上場企業の中で日本一の収益力を誇る異例の企業として名指しされるに至った。1980年の本社と工場の山梨県忍野村への全面移転という常識外の立地戦略は、土地取得コストの圧縮と技術者の定着を同時に実現する独自の経営モデルとして働くこととなった。 [10][11][12]

  • 日経ビジネス(1985年10月28日)
    • [10]1985年 全上場企業で日本一の収益力と評価された(収益力ランキング)
    • [11]国内NC市場で自社シェア7割(1985年)
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [12]1980年 本社・工場を山梨県忍野村へ移転
  • 有価証券報告書
    • [5]1974年 ファナックが産業用ロボットを自社開発して市場投入
    • [7]1974年6月 米ゲティス社とDCサーボモータの製造販売権取得契約を締結(製造販売開始は1974年7月)
    • [8]1975年6月 シーメンス社と相互援助契約を締結
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [6]1973年秋の第一次オイルショックを機に電気・油圧パルスモータへのユーザー評価が一変
    • [9]1965年 富士通がシーメンスにパルスモータの製造権・欧州販売権を供与(FANUC・シーメンス関係の起点)
  • 日経ビジネス(1985年10月28日)
    • [10]1985年 全上場企業で日本一の収益力と評価された(収益力ランキング)
    • [11]国内NC市場で自社シェア7割(1985年)
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [12]1980年 本社・工場を山梨県忍野村へ移転

1986年〜 グローバル拠点拡充と親会社富士通からの完全独立

  1. 1986年米ゼネラル エレクトリック社との共同出資でGE Fanuc Automation Corporationを設立、Americas・Europe子会社を順次設立
  2. 1986年本社地区にロボット組立専用工場を建設
  3. 1986年台湾に現地法人TAIWAN FANUC CORPORATIONを設立
  4. 1988年商品開発研究所を本社地区に移転
  5. 1989年茨城県に筑波工場を建設
  6. 1992年GMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを全額出資子会社化しFANUC Robotics Corporationに改称、米州・欧州法人も子会社化
  7. 2009年ゼネラル エレクトリック社と合弁解消、米欧CNC会社再編、FANUC FA America CorporationとFANUC FA Europe S.A.発足

ファナックの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

富士通の持株段階売却が示した自立の完成

1982年に商号を正式に「ファナック株式会社」へと変更し、翌1983年には東京証券取引所第一部への上場を果たして富士通グループ内の子会社から公開独立企業へと脱皮する制度整備をひとまず完了させた。親会社であった富士通は2000年の時点でもなおファナック株式の約四割を保有する筆頭株主であり続けていたが、同年からは段階的な売却プログラムを開始して保有比率を1割前後の水準にまで引き下げていくことを数年かけて実行した。この一連の持株戻しによって、ファナックは名実ともに富士通グループの子会社としての性格を脱して独立した経営体制への歴史的な移行を自らの手で完成させるに至り、以後は独立企業として国内外の機関投資家と向き合う段階へと移行していくこととなった。 [13][14][15][16]

  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [13]1982年7月 富士通ファナック株式会社をファナック株式会社に商号変更
    • [14]1983年9月 東京証券取引所市場第一部に上場
  • 有価証券報告書
    • [15]親会社富士通は2000年時点でファナック株式の約4割を保有する筆頭株主
    • [16]2000年から富士通が段階売却を開始し保有比率を約4割から約1割へ引き下げた

創業者の稲葉清右衛門氏は1995年に代表取締役会長へと退き、2003年には子息の稲葉善治氏が代表取締役社長に就任したことによって親子二代にわたる創業家経営の継承が制度としても実質としても確立された。2006年には名誉会長も加わる形での「経営会議」という新たな枠組みを発足させて稲葉家による経営判断の一元的な仕組みを制度化し、同族経営の機動力という強みと、上場企業として整備されたガバナンスの要請を高い次元で併せ持つ独自の統治構造が形作られた。2009年のリーマンショックでは世界的な需要蒸発によって減益となったが、汎用NC装置の寡占的な市場地位そのものは国内外を問わず揺らぐことなく維持され、高収益体質は一過性の景気変動を超えて強靱な姿のまま温存されていくこととなった。 [17][18]

  • 有価証券報告書
    • [17]1995年 稲葉清右衛門氏が代表取締役会長に就任
    • [18]2003年 稲葉善治氏(稲葉清右衛門氏の子息)が代表取締役社長に就任
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [13]1982年7月 富士通ファナック株式会社をファナック株式会社に商号変更
    • [14]1983年9月 東京証券取引所市場第一部に上場
  • 有価証券報告書
    • [15]親会社富士通は2000年時点でファナック株式の約4割を保有する筆頭株主
    • [16]2000年から富士通が段階売却を開始し保有比率を約4割から約1割へ引き下げた
    • [17]1995年 稲葉清右衛門氏が代表取締役会長に就任
    • [18]2003年 稲葉善治氏(稲葉清右衛門氏の子息)が代表取締役社長に就任

自動化工場が支えた三拠点集中生産の独自構造

ファナックは山梨県忍野村の本社工場を中核とする一極集中型の生産体制を骨格として維持しつつも、1989年に茨城県に筑波工場を、1991年に鹿児島県に隼人工場をそれぞれ新設することによって国内における生産能力を拡大させた。1994年には中国に北京ファナック有限公司を設立して中国製造業向けNC装置の供給体制を競合他社に先駆けて早期に構築しており、グローバルな需要の広がりに対して現地生産と現地サービス拠点を一体で立ち上げた。拠点の計画的な拡大においても忍野村を中心とする集約型の設計思想は一貫して堅持されており、地理的な分散と運営の集中を巧みに併せ持つ独自の生産哲学が、同社の長期にわたる高い利益率の基盤として働くこととなった。 [19][20][21]

  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [19]1989年 茨城県に筑波工場を新設
    • [20]1991年 鹿児島県に隼人工場を新設
  • 有価証券報告書
    • [21]1994年 中国に北京ファナック有限公司を設立

国内の生産拠点は忍野・筑波・隼人の三拠点を基本的な構成としており、いずれも都市部から意図的に距離を置いた立地を選択している点が他の電機大手の拠点戦略と決定的に異なる独自の特徴として際立つものとなった。この独自の立地戦略は広大な土地取得コストの低減に加えて、長期にわたって定着する技術者の確保と独自技術の秘密保持の両面からも経営上の合理性を強く持つものとして社内外で繰り返し説明されている。ファナックの工場はロボット自身が新たなロボットを製造する「自動化工場」として世界的に広く知られ、製造工程におけるロボット活用の徹底が同社の高い労働生産性とコスト競争力の重要な源泉となった。 [22]

  • 有価証券報告書
    • [22]国内生産拠点は忍野・筑波・隼人の三拠点を基本構成とする
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [19]1989年 茨城県に筑波工場を新設
    • [20]1991年 鹿児島県に隼人工場を新設
  • 有価証券報告書
    • [21]1994年 中国に北京ファナック有限公司を設立
    • [22]国内生産拠点は忍野・筑波・隼人の三拠点を基本構成とする

2011年〜 iPhoneロボドリル特需と創業者退場後の揺らぎ

  1. 2011年中国EMS向けロボドリルの増産を決定。年間457億円の設備投資
  2. 2012年欧州のFANUC Robotics・FA・ROBOMACHINEの3法人を統合、FANUC Europe Corporationが発足
  3. 2013年米州のFANUC Robotics・FAの2法人を統合、FANUC America Corporationが発足
  4. 2015年配当性向を30%から60%へ倍増、SR部を新設し株主還元・情報開示を転換
  5. 2016年栃木県に壬生工場を建設
  6. 2019年スマホ向けロボドリルの特需が終了。6割減益へ
  7. 2020年稲葉清右衛門氏が95歳で逝去

ファナックの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

汎用NC寡占の上に立つ特注連動型の二面構造

2010年頃、米アップルのiPhoneのアルミニウム筐体を高精度で切削加工するための小型の工作機械として、ファナック製の「ロボドリル」に対する需要が世界的な規模で爆発的に急増するという新たな現象が始まった。ファナックは2011年頃にロボドリルの量産投資を経営会議で決定し、年間で457億円という当時としては異例の水準の設備投資を集中的に投じて茨城県の筑波工場の生産ラインを増強した。韓国サムスン電子のスマートフォン生産向けにも同様のロボドリル需要が並行して急激に発生しており、2014年度にはサムスン向けの販売高だけで単独で939億円という水準にまで達する異例の商況を経験した。この特需は本業の寡占的な収益構造を一段と押し上げる効果を発揮した。 [23]

しかし新興商材のロボドリルは特定顧客の特定製品に需要が極端に集中する性格を強く持っており、アップルやサムスンのスマートフォンの製品サイクルに同社の業績全体が左右されるという新たな構造上の脆弱性が次第に形成されていくこととなった。2013年にはロボドリルの需要が突然失速して創業者の稲葉清右衛門氏が取締役を退任し、同時に取締役12名が一斉に降格するという当時としては異例の経営的な動揺が発生した。2015年には再び好調によって増収を記録したが、FY19(2020年3月期)にはiPhone向け需要の減退によって当期純利益が前年の1,542億円から734億円へと半減する厳しい結果を記録するに至り、汎用NCの安定収益と特定製品連動型の変動収益という二面構造が対外的にも決算上にも表面化となった。 [24]

創業者稲葉清右衛門の退場と新体制への静かな移行

2019年には稲葉家以外の経営者としてファナック生え抜きの山口賢治氏が代表取締役社長に新たに就任し、1972年の独立以来初めての非創業家経営者による経営体制が正式に始動した。翌2020年には創業者の稲葉清右衛門氏が95歳という高齢で逝去し、1956年のNCの基礎研究開発開始から数えて64年の歳月にわたってファナックの技術開発と経営判断の両面を事実上牽引し続けた創業者の時代がここに幕を閉じることとなった。創業家主導の経営の時代から普通の上場企業としての普通の経営陣主導の体制への移行は、ガバナンス上の透明性と取締役会の機能を同時に一段引き上げる契機として、内外の機関投資家を含む市場から一定の評価を受けている。 [25][26]

2016年には栃木県に新たに壬生工場を、2018年には筑波地区にロボット専用工場をそれぞれ新設するなど、生産能力の計画的で着実な拡充は山口体制のもとでも従来の路線として一貫して継続された。ファナックの事業構造は汎用NC装置の寡占による安定収益と、ロボドリルおよび産業用ロボットの需要変動による業績のボラティリティという二面性を依然として抱え続けており、工作機械の頭脳として世界市場における地位それ自体は微動だにしないが、スマートフォン市場の成熟化と共に次なる成長のドライバーとなる新たな需要源をどこに求めるかが、2020年代前半を通じて経営陣に対して繰り返し突きつけられていく最大の中長期的な戦略課題として浮かび上がってきた。 [27][28]

  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [27]2016年 栃木県に壬生工場を新設
    • [28]2018年 筑波地区にロボット工場を新設
  • 有価証券報告書
    • [25]2019年 山口賢治氏が代表取締役社長に就任(非創業家として独立以来初)
    • [26]2020年 創業者の稲葉清右衛門氏が95歳で逝去
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [27]2016年 栃木県に壬生工場を新設
    • [28]2018年 筑波地区にロボット工場を新設

ファナックの沿革1956〜2020年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
富士通がNC装置に新規参入。稲葉清右衛門氏が社員として開発に従事★★★
参入10年目に初の黒字転換
富士通ファナック株式会社を設立。稲葉氏が実質的な経営トップに就く★★
富士通株式会社よりNC部門が分離し設立、資本金20億円★★★
米ゲティス社とライセンス契約を締結。DCサーボモータに参入
ロボットを自社開発して参入★★
米国ゲティス社とのライセンス契約により、DCサーボモータの製造販売開始★★
シーメンス社と営業・技術に関する相互援助契約を締結
ドイツ、シーメンス社と営業、技術に亘る相互援助契約を締結★★
ドイツに現地法人を設立
東京証券取引所第2部に株式上場
ドイツに現地法人FANUC SERVICE GmbH(後のFANUC FA Europe S.A.)を設立
東京証券取引所市場第二部に上場
米国に現地法人を設立
日野地区に商品開発研究所を新設
米国に現地法人FANUC AMERICA CORPORATIONを設立★★
韓国貨泉機工社との共同出資により合弁会社KOREA FANUC CORPORATIONを設立
本社および工場を山梨県忍野村に移転
本社地区(山梨県忍野村)にロボットおよびNC工作機械製造工場を建設移転★★
ファナックパートロニクス株式会社を子会社化
商号をファナック株式会社に変更
米国ゼネラル モーターズ社との共同出資によりGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立★★
富士通ファナック株式会社をファナック株式会社に社名変更★★
本社地区にモータ工場を建設
東京証券取引所第1部に株式上場
東京証券取引所市場第一部に上場
本社地区に本館、CNC工場、産機工場、次世代技術研究所を建設★★
東京都日野市より山梨県忍野村へ本店を移転★★
電動射出成形機を開発★★
NCシェアで70%を確保。売上高経常利益率(36.6%)で日本トップを達成★★★
本社地区にロボット組立専用工場を建設
米ゼネラル エレクトリック社との共同出資でGE Fanuc Automation Corporationを設立、Americas・Europe子会社を順次設立★★
台湾に現地法人TAIWAN FANUC CORPORATIONを設立
商品開発研究所を本社地区に移転
茨城県に筑波工場を新設
本社地区にレーザ研究所を開設
茨城県に筑波工場を建設★★
鹿児島県に隼人工場を新設
鹿児島県に隼人工場を建設
合弁会社 FANUC INDIA PRIVATE LIMITEDを設立
GMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを全額出資子会社化しFANUC Robotics Corporationに改称、米州・欧州法人も子会社化★★
合弁会社BEIJING-FANUC Mechatronics CO., LTD.を設立
中国に合弁会社を設立。北京ファナック有限公司を設立
稲葉清右衛門氏が代表取締役会長に就任
合弁会社SHANGHAI-FANUC Robotics CO., LTD.を設立
KOREA FANUC CORPORATIONを子会社化
ファナックサーボ株式会社を子会社化
富士通がファナック株式の売却を開始(約40%→約10%)
ファナック企業年金基金を設立
FANUC INDIA PRIVATE LIMITEDを子会社化
本社地区に新ロボショット工場を建設
稲葉善治稲葉善治氏が代表取締役社長に就任
稲葉善治欧州のロボマシン体制を再編し、サービス統括のFANUC EUROPE GmbHとセールスのFANUC ROBOMACHINE EUROPE GmbHを設立
稲葉善治GE Fanuc Automation Europe S.A.を再編し、CNC事業会社としてFanuc GE CNC Europe S.A.を設立
稲葉善治名古屋支社を開設
稲葉善治本社地区に新サーボ工場を建設
稲葉善治名誉会長を含めた意思決定機関「経営会議」を発足。小山成昭会長が辞任
稲葉善治本社地区に新CNC工場を建設
稲葉善治リーマンショックの影響で大幅減益。高収益はキープ
稲葉善治ゼネラル エレクトリック社と合弁解消、米欧CNC会社再編、FANUC FA America CorporationとFANUC FA Europe S.A.発足★★
稲葉善治FANUC FA Europe S.A.がFANUC EUROPE GmbHを吸収合併
稲葉善治中国EMS向けロボドリルの増産を決定。年間457億円の設備投資★★★
稲葉善治本社地区に新ロボカット工場を建設
稲葉善治本社地区に新ロボット工場を建設
稲葉善治欧州のFANUC Robotics・FA・ROBOMACHINEの3法人を統合、FANUC Europe Corporationが発足★★
稲葉善治ファナック健康保険組合を設立
稲葉善治筑波地区に新ロボドリル工場を建設
稲葉善治ロボドリルが失速
稲葉善治稲葉清右衛門氏が取締役を退任。取締役12名が降格
稲葉善治米州のFANUC Robotics・FAの2法人を統合、FANUC America Corporationが発足★★
稲葉善治ロボドリルが好調。大幅増収へ
稲葉善治配当性向を30%から60%へ倍増、SR部を新設し株主還元・情報開示を転換★★★
山口賢治栃木県に壬生工場を新設
山口賢治栃木県に壬生工場を建設★★
山口賢治壬生地区に新レーザ工場を建設
山口賢治筑波地区にロボット工場を新設
山口賢治筑波地区に新ロボット工場を建設
山口賢治新会社SHANGHAI-FANUC ROBOMACHINEがSHANGHAI-FANUC Roboticsからロボマシン部門を継承、連結子会社化
山口賢治スマホ向けロボドリルの特需が終了。6割減益へ★★
山口賢治山口賢治氏が代表取締役社長に就任
山口賢治稲葉清右衛門氏が95歳で逝去★★
出典・参考

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