日本水産の創業者は田村市郎氏(1866年・山口県生まれ)である。父親は久原庄三郎氏であり、山口県で酒蔵を営む裕福な家系にあった。親族には戦前に大手財閥として知られた久原財閥(日産コンツェルンの)創始者がおり、事業家の一族でもあった。
このため、日本水産の創業期は資金繰りで苦労することはあまりなく、戦前に日産財閥の水産部門として経営されることの布石となっている。
日本水産の創業者である田村市郎氏は、久原家に生まれたものの、母方の家業である田村商店を受け継いだことから、田村姓を名乗るようになった。そして、田村商店においてスケソウダラの搾油事業に従事した経験から漁業に関心を抱き、近代船舶である「トロール船(動力船舶による曳網漁業)」の将来性に着画した。
そこで、田村氏は、父である久原庄三郎氏から100万円の支援を受け、トロール船による漁業への参入を決めた。
1911年に田村市郎氏は田村汽船漁業部(現・ニッスイ)を山口県下関にて個人創業した。国産の船舶では生産効率が低かったことから、創業の時点でイギリスのスミス造船所にトロールを発注。久原家の資金力を生かした事業展開を行い、優秀な外国船舶の購入を実現。当時はトロール船による漁業編参入が相次いだが、ニッスイは潤沢な資金力によって創業時点で優位性を発揮した。
1917年には「7隻を保有する田村汽船漁業部」と「18隻を保有する共同漁業」が合同して事業規模を拡大した。この時に、共同漁業による田村汽船の吸収の形式をとったが、これは知名度が高い共同漁業の名前を生かすための施策であった。当時の共同漁業は経営不振に陥っており、番頭に相当する人物が急逝していたこともあり、田村汽船が救済する形であった。
1950年代から1960年代にかけて、加工食品の市場が拡大。ニッスイも加工食品に着眼し、1952年には水産加工品である魚肉ソーセージの製造、1958年には冷凍食品の製造にそれぞれ本格着手した。いずれも水産加工品や冷蔵設備を生かした展開であった。
そして加工食品を含めた陸上部門を本格展開するために、1959年にニッスイ(鈴木九平・当時社長)は「体質改善5カ年計画」を策定。食品工場と冷蔵倉庫を中心として陸上部門に110億円の投資を計画した。
ただし、海上部門でも233億円、子会社関係で63億円の投資を計画しており、陸上部門への傾斜投資ではなかった。
陸上部門への投資の内容は、食品工場の新設などであり、1962年には消費地である首都圏に八王子工場を新設した。この結果、生産量を増大させ、1963年頃の時点でニッスイの陸上部門(加工食品・冷蔵倉庫など)は、売上高300億円・利益額5〜6億円の規模に到達したという。
1960年代にニッスイは加工食品の参入領域を拡大するために、水産加工とは無縁の領域にあたる「マヨネーズ」および「即席麺」に後発参入した。いずれも市場が拡大しており、競合が群雄割拠する成長領域であった。
ところが、マヨネーズでは「キューピー・味の素」が市場を確保し、即席麺では「日清食品・東洋水産」がシェアを確保した。これらの領域で勝ち抜いた企業は、単品生産によって生産コストを下げたうえで、マーケティングへの投資や販路を掌握しており、ニッスイなどの追随する大手企業を寄せ付けなかった。
この結果、ニッスイはマヨネーズ、即席麺においては競争劣位となり事業撤退を決定。ニッスイの加工食品の事業展開は、水産の強みを生かすことができた「魚肉ソーセージ」と「冷凍食品」の2つが牽引する形となり、一方で競合優位性が発揮できなかった領域では頓挫した。
最近の国民生活の向上に伴い増して、同時に家庭の主婦を台所から解放するためには、どうしても料理の手間のいらない、また安くて栄養のあるという食品が要求されるわけであります。そういう意味から、私どもでやっている缶詰とかソーセージとか冷凍食品というものが非常に伸びてきておるわけです。
こういうことを考えまして、私どもでは1957年度から陸上における食品の加工という問題を手掛けてきたわけであります。
1965年にニッスイ(中井春雄・当時社長)は「5カ年計画」を策定し、部門別に累計250億円の投資計画(実際には316億円を投資)を発表した。
設備投資の予算配分は、海上部門(漁船・船舶)に対して90%、陸上部門(食品加工)に対して10%の投資を決め、陸上部門ではなく海上部門への傾斜投資の姿勢を鮮明に打ち出した。また陸上部門も魚に関連する領域に限定した。このため、1965年の設備投資計画をもって、ニッスイは漁業中心の水産会社として事業を拡大する方向性を明確にした。
ニッスイの目的は、競争の激しい加工食品ではなく、祖業であり強みを持つ海上部門に注力し、大型船の竣工などの設備投資による合理化を目論んだ。これは1960年代後半を通じて、水産事業における生産効率が改善して利益額が上昇したためであり、ニッスイは合理化による利益拡大の成功体験を積んだことによる。
まず第一に海上、陸上両部門とも魚および魚に関連した事業に限定するという大原則は、今後とも固守してこの不況と対決していきたいと思います。と申しますのは、将来の安定したわが国産業界を考えてみますと、あらゆる事業は必然的に専門化に進むものと考えられるからであります。魚に関しては日本といわず世界のどの会社にも負けないぐらい実力と競争力をもっていきたいと考えております。
1970年代を通じて希少資源として魚が捉えられるようになり、1977年には米国およびソ連において200海里規制が制定された。
この規制により、従来の日本企業は海外における遠洋漁業を自由に行えた時代は消滅し、日本の沿岸漁業に限られる形となった。すなわち、日本水産などの水産会社は、主力事業であった「遠洋漁業」を失うことを意味した。結果として日本の大手水産メーカーは苦境に立たされ、厳しい時代に突入した。
1977年の200海里規制を受けて、日本水産は水産部門の縮小を最小限に抑える道を模索した。規制に抵触する母船式の遠洋漁業(捕鯨・スケソウダラ・サケ・カニ)については段階的に撤退する一方で、200海里規制の厳しくない南米地域(チリ、アルゼンチン)に進出した。このため、水産部門(漁労)の大規模な縮小は実施せず、トロール船への投資を引き続き継続した。
ただし、漁労部門への投資継続の方針の成果は芳しくなく、1990年3月期に経常赤字に転落する布石となっている。
200海里規制によって日本企業による遠洋漁業が困難になる中で、ニッスイは漁業規制が緩い南米地域への進出を志向。チリとアルゼンチンは、外国資本でも現地子会社を通じて漁労が許可されており、ニッスイはチリ・アルゼンチンの2カ国に漁労拠点を新設して対応した。
スケソウダラの産地であるベーリング海は米国の管轄であったが、利益率の低い加工事業については外国資本に任せる道を選択。1985年にニッスイは「ユニシー社」の株式を取得し、陸上工場におけるスケソウダラの加工事業に本格参入した。
200海里規制の進行で海上部門が不振へ
2000年代を通じてニッスイは企業買収を通じて海外展開を本格化。特に注力したのが、北米における家庭用冷食事業であり、2001年に老舗ブランドを取得。そのうえで、2005年に業務用水産加工品の冷食メーカーであるKING & PRINCE社を161億円で買収し、冷食の現地展開を図った。
2000年代を通じてニッスイは水産事業においてもグローバル展開を本格化。ブラジルやチリなど、合弁方式による進出が認められた南美地域において、養殖事業のための子会社を設立。サーモンなどの養殖事業に参入した。
ニッスイは冷凍食品の生産拠点を集約して、新工場の新設による生産性改善のために、合弁会社を通じた設備投資を決定。2004年に八戸缶詰とニッスイは、それぞれ50%を主旨して合弁会社「ハチカン」を設立。2008年には投資額は60億円にて、八戸市内に冷凍食品工場を新設した。
ハチカンの冷凍食品工場は、ニッスイにおける冷凍食品の主要な生産拠点として稼働。
2008年3月期から2022年3月期までの約14年間において、ニッスイは特別損失を継続的に計上した。海外とは関係のない「災害による損失(東日本大震災の影響など)」も含まれるが、特別損失の多くは海外事業の失敗に起因するもので占められた。
FY2007〜FY2008における特別損失の対象は、キングアンドプリンス社(北米・冷食ブランド)の業績不振による「のれん減損(67億円)」と、サルモネス・アンタルティカ社(チリ・養殖業)における病疫による養殖魚への被害が主なものであった。
FY2011〜FY2012における特別損失の対象は、アルゼンチン漁労事業からの撤退、インドネシアでのエビ養殖の損失、ブラジル・ネチューノ社からの事業撤退が主要因であった。このうち、ネチューノ社関連の損失が大きく、同社関連の事業撤退損は83億円に及んだ。
FY2021における特別損失の対象は、アラスカにおけるダッチハーバー工場における減損損失(減損50億円)が主要因であった。
ニッスイはグローバル展開において、各地域で「漁労・加工・冷食・養殖」といった具合に個別の事業を展開している。水産加工品を取り扱うという点では一貫しているが、取り扱い地域や品目に一貫性はなく、各事業における相乗効果も薄い。
そもそも水産事業においては、資源を保有する国が利権を保持しており、何らかの理由(利益率が低い作業の外部委託など)で日本企業の進出が許されている側面もある。したがって、水産事業において、海外展開によって利益を確保することは、根本的に困難を伴う。
このため、ニッスイのグローバル展開は「小粒な事業の集合体」であり、競合比において優位性を持ち得ない。ニッスイは地域別のセグメント利益率を開示していないが、海外が中心の「水産事業」において、売上高に対するセグメント利益率は5%前後(FY2022)であり、競争優位性を見出すことは難しい。
ニッスイにおける食品加工の事業展開が中途半端な理由は、1960年代にその遠因がある。先発企業が存在する市場に参入しようとして痛い目を被り、結果として食品事業への投資がストップしてしまった。この間、冷食領域ではニチレイなどの競合企業が業容を拡大し、ニッスイは「最後の成長市場」であった冷食でもシェアを確保できない状況に陥ってしまった。