スズキ の歴史

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創業 1909年
創業者 鈴木道雄
創業地 静岡県浜松市
創業 1909年10月、鈴木道雄氏が静岡県浜松市で個人経営の鈴木式織機製作所を創業した
1909年10月、鈴木道雄氏が静岡県浜松市で個人経営の鈴木式織機製作所を創業した。足踏織機と木鉄混製動力織機から始め、1920年3月に資本金50万円の株式会社へ改組し、綿織機からサロン織機まで繊維機械を一貫生産する業界三大メーカーの一つに数えられた。朝鮮戦争特需の終焉で織機の注文が細ると、1952年に原動機付自転車パワーフリー号を投入し、1954年6月に鈴木自動車工業へ改称する。1955年10月には2ストローク360ccの国産初の軽四輪スズライトを発売した。1961年4月に繊維機械部門を鈴木式織機として分離し、創業事業と袂を分かっている。商号をスズキへ改めたのは1990年10月である。
決断 軽自動車で減らした原価を、そのままインドの国民車へ持ち出した。1979年5月に発
軽自動車で減らした原価を、そのままインドの国民車へ持ち出した。1979年5月に発売した軽四輪アルトは装備を省いて47万円に収め、1980年度の軽四輪国内シェアを36.7%へ押し上げた。翌1981年8月にはGMの出資を5.3%で受け入れて軽と二輪へ事業を絞り、規模を競う場から降りている。1982年4月にインド政府と四輪車の合弁生産で基本合意し、1983年12月にマルチ800の現地生産が始まった。1997年8月に政府側の取締役会が独自候補の社長任命を決議すると、合弁契約違反として国際仲裁へ持ち込み、1998年に社長人事の承認権を取り戻している。規模を追わず単価の低い市場を選んだことが、2002年にマルチを54.2%で子会社化するまでの20年、大手が来ない時間を与えた。
現況 売上の4割強を、インド一国が生んでいる。2026年3月期の売上高6兆2,930億
売上の4割強を、インド一国が生んでいる。2026年3月期の売上高6兆2,930億円のうちインドが2兆6,785億円、日本は1兆5,980億円である。事業別では四輪が5兆7,064億円で全体の9割を占め、二輪は4,545億円、マリンは1,195億円にとどまる。営業利益6,229億円のうち5,476億円も四輪が出した。マルチ・スズキは2021年から年間生産能力を200万台へ引き上げる設備投資を進めている。一方で国内では燃費測定と完成検査で二度の不正が発覚し、約200万台のリコールに伴う関連費用813億円を2019年3月期に特別損失として計上し、工場と検査設備へ5年で1,700億円を投じると決めた。一国と一事業へ寄せた収益が、その国の需要と自国の法令順守の両方に業績を委ねる構造を作った。
競合 二輪と四輪を両方持つ会社の中で、スズキだけが四輪へ寄り切っている。二輪事業の売上
二輪と四輪を両方持つ会社の中で、スズキだけが四輪へ寄り切っている。二輪事業の売上は4,545億円で、連結の7%にすぎない。二輪で世界首位に立つホンダや二輪と船外機を主力とするヤマハ発動機とは、同じ浜松の独立系メーカーでも収益の出所が違う。資本の受け方も分かれた。GMの出資は2000年に20%まで上がったが、2008年にGM自身の経営危機で解消される。続くフォルクスワーゲンとの提携は1年9カ月で解け、2019年に結んだトヨタとの提携も出資は5%である。二割を超える出資を一度も受けなかったことが、GMとVWの二度の提携が切れたあとも、商品と生産の決定権を手元に残した。
長期業績の推移 1949〜2026年
スズキ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
1997年3月期〜2026年3月期

第1章 1909-1936 (気が向いたら執筆します!) 鈴木道雄の鈴木式織機製作所と、大正・昭和初期の織機メーカー

第2章 1937-1951 (気が向いたら執筆します!) 戦時の軍需生産と高塚工場、戦後の上場と労働争議

第3章 1952-1977 (気が向いたら執筆します!) 二輪・軽四輪への参入と鈴木自動車工業、米国販売と船外機

第4章 1978-1996 (気が向いたら執筆します!) 鈴木修体制とアルト、GM提携とインド・マルチへの出資、ハンガリー進出

第5章 1997-2008 (気が向いたら執筆します!) マルチ人事をめぐるインド政府との対立と子会社化、GM提携の解消

第6章 2009-2026 (気が向いたら執筆します!) フォルクスワーゲン提携の失敗と米国撤退、完成検査不正からトヨタとの資本提携

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歴史年表 1909〜2024年

スズキの沿革1909〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1909〜1936年鈴木道雄の鈴木式織機製作所と、大正・昭和初期の織機メーカー鈴木式織機製作所を創業★
鈴木式織機として改組設立★
1937〜1951年戦時の軍需生産と高塚工場、戦後の上場と労働争議高塚工場を新設★
東京証券取引所に株式上場★
労働争議が発生・生産停止へ★
1952〜1977年二輪・軽四輪への参入と鈴木自動車工業、米国販売と船外機二輪車に参入・パワーフリー号を発売★★
商号を鈴木自動車工業に変更★
軽四輪乗用車を発売(国内軽自動車の先鞭)★★
創業者の鈴木道雄氏が社長退任★
繊維機械部門を子会社に分離★
国内生産拠点を増設★
米国直営販売会社U.S. Suzuki Motor Corp.を設立★
船外機部門に参入★
排ガス規制により販売不振へ★
四輪車初の海外生産を開始(パキスタン)★
1978〜1996年鈴木修体制とアルト、GM提携とインド・マルチへの出資、ハンガリー進出鈴木修鈴木修氏が社長就任★
鈴木修軽自動車「アルト」を発売★★
鈴木修3社連合に加わりながら、小規模な経営体制を保ち続ける選択

1981年8月、鈴木自動車工業(現スズキ)が米ゼネラルモーターズ(GM)と資本・業務提携を締結し、GMの資本参加を受け入れてGM向け小型乗用車の開発・供給を担う関係を築いた経営判断。GMが資本参加するいすゞ自動車を含む3社の協力枠組みとして報じられた。規模拡大を競う大手を追わず、軽四輪と二輪に特化した"中小企業"として独立と機動力を保つ道を選んだ。

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★★★
鈴木修インド国営企業マルチに出資★★
鈴木修スズキに商号変更★
鈴木修ハンガリーにMagyar Suzuki Corporationを設立★
鈴木修現地生産を開始★
鈴木修相良エンジン工場を稼働★
1997〜2008年マルチ人事をめぐるインド政府との対立と子会社化、GM提携の解消鈴木修合弁の社長人事を巡るインド政府との対立と、国際仲裁への持ち込み

1997年、スズキとインド政府が50%ずつ出資する合弁会社マルチ・ウドヨグで、社長(マネージング・ディレクター)人事を巡り両者が対立した経営判断。政府側が握る取締役会が独自候補R.S.S.L.N.バスカルドゥの社長任命を決議し、スズキは合弁契約違反として国際仲裁に持ち込んだ。1998年に和解し、社長人事にはスズキの承認を要することを政府が認めた。

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★★★
GMがスズキへ追加出資★★
マルチ社を子会社化・増産投資★★
小型車「スイフト」を発売★
GMとの提携を解消★
2009〜2026年フォルクスワーゲン提携の失敗と米国撤退、完成検査不正からトヨタとの資本提携独最大手との資本提携と、一年九カ月で終わった蜜月の終幕

2009年12月、スズキが独フォルクスワーゲン(VW)と資本提携および業務提携についての包括契約に調印した経営判断。2006年にGMから買い戻していた金庫株19.9%を第三者割当でVWへ譲渡し、環境技術の供与を期待した。しかし経営の自主独立をめぐる齟齬が埋まらず、2011年9月に解消を表明、同年11月に契約を解除した。提携期間は1年9カ月にとどまる。

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★★
米国四輪車市場から撤退★
Suzuki Motor Gujarat Private Ltd.を設立★
鈴木俊宏フォルクスワーゲンから株式を買い戻し★
鈴木俊宏二度にわたる測定データの偽装の発覚と、再発防止に投じた一七〇〇億円

2016年の燃費測定不正と2018年の完成検査不正という二度の法令違反を受け、スズキが約200万台のリコールと5年間で1700億円の設備投資に踏み切った経営判断。2019年4月公表の外部調査報告書は、検査人員や時間の不足に加え、無駄を排する"小少軽短美"の方針が現場で誤解されたことを原因に挙げた。鈴木修会長は2016年に責任を取ってCEO職を辞している。

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★★★
鈴木俊宏浜松工場を新設★
鈴木俊宏トヨタ自動車と資本提携★★
鈴木俊宏東京証券取引所プライム市場へ移行★
鈴木俊宏新工場を計画★
鈴木俊宏鈴木修相談役が逝去★
出典・参考

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