1972年〜 二度の倒産を経てセンサー専業へと転換を遂げた創業期
キーエンスの業績推移:単体
- 1972年 キーエンス創業——リード電機の自動線材切断機から付加価値価格のセンサー専業へ 二度の起業に失敗した27歳・滝崎武光氏は、原価ではなく導入効果で値付ける付加価値価格をどう高収益企業の土台に据えたか
- 1974年 交流磁界センサに参入
- 1974年 リード電機を設立
- 1980年 光学センサーの販売を開始
- 1982年 センサに集中投資。切断機から事業撤退
- 1986年 商号をキーエンスに変更
二度の倒産を経た三度目の起業による自動線材切断機事業の立ち上げ
滝崎武光氏は1945年に生まれ、1964年に兵庫県立尼崎工業高校を卒業[1]した後、外資系のプラント制御機器メーカーで電子制御を学んだ[2]。独立して興した電子機器メーカーは解散に追い込まれ、続いて設立した機械関係の組み立て下請け会社も倒産[3]させた。在学中は学園紛争のただ中にあったが、「イデオロギーでは世の中は変わらない」[4](日経ビジネス 1989年5月22日号)と考え、数字で勝負できる事業家を志した。1972年3月、27歳の滝崎氏は三度目の起業として兵庫県伊丹市でリード電機を個人創業[5]し、自動制御機器と電子応用機器の開発、製造販売に着手[6]した。祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機[7]で、電子制御による小型化を武器に、古河電工や住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入[8]した。
- [1]滝崎武光氏 1945年生まれ・1964年 尼崎工業高校卒業
- 日経ビジネス(1989年5月22日)
- [2]1964年 兵庫県立尼崎工業高校卒、外資系プラント制御機器メーカーなどを経て1972年にリード電機を創業
- [3]独立して創業した電子機器メーカーは解散、続いて設立した機械関係の組み立て下請け会社も倒産
- [4]滝崎武光氏の発言「イデオロギーでは世の中は変わらない」
- [7]祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機
- [8]電子制御による小型化で古河電工・住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入
- キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [5]1972年3月 兵庫県伊丹市においてリード電機を創立
- [6]創業時の事業目的は自動制御機器・電子応用機器の開発、製造販売
祖業の自動線材切断機は電線メーカーの製造現場で使う地味な産業用機械[9]だったが、営業利益率は20%に達した[10]。1973年4月には工場自動化用の各種センサを開発[11]し、製造販売を始めた。1974年5月、滝崎氏は「産業界の合理化、省力化に対する非常に大きな需要に応えるため、株式会社組織に改組」[12](証券アナリストジャーナル 1987年12月号)し、兵庫県尼崎市にリード電機株式会社を設立[13]した。個人創業から株式会社化までは2年2カ月[14]を要した。会社を潰さず永続させるにはどうすればよいかという問いから、滝崎氏は最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求[15]へ行き着き、売上規模の拡大よりも利益率を優先する判断基準[16]を据えた。
- 日経ビジネス(1989年5月22日)
- [9]切断機は電線メーカー向けの地味な産業機械で売上の約1割
- [10]自動線材切断機(祖業)の営業利益率 20%
- [15]会社を永続させる問いから最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求へ
- [16]売上規模の拡大より利益率を最優先する判断基準(2度の失敗の教訓)
- キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [11]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
- [13]1974年5月 株式会社に改組し兵庫県尼崎市にリード電機株式会社を設立
- [14]個人創業1972年3月から株式会社化1974年5月まで2年2カ月
- [12]滝崎武光氏の発言(株式会社組織への改組の理由)
- [1]滝崎武光氏 1945年生まれ・1964年 尼崎工業高校卒業
- 日経ビジネス(1989年5月22日)
- [2]1964年 兵庫県立尼崎工業高校卒、外資系プラント制御機器メーカーなどを経て1972年にリード電機を創業
- [3]独立して創業した電子機器メーカーは解散、続いて設立した機械関係の組み立て下請け会社も倒産
- [4]滝崎武光氏の発言「イデオロギーでは世の中は変わらない」
- [7]祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機
- [8]電子制御による小型化で古河電工・住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入
- [9]切断機は電線メーカー向けの地味な産業機械で売上の約1割
- [10]自動線材切断機(祖業)の営業利益率 20%
- [15]会社を永続させる問いから最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求へ
- [16]売上規模の拡大より利益率を最優先する判断基準(2度の失敗の教訓)
- キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [5]1972年3月 兵庫県伊丹市においてリード電機を創立
- [6]創業時の事業目的は自動制御機器・電子応用機器の開発、製造販売
- [11]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
- [13]1974年5月 株式会社に改組し兵庫県尼崎市にリード電機株式会社を設立
- [14]個人創業1972年3月から株式会社化1974年5月まで2年2カ月
- [12]滝崎武光氏の発言(株式会社組織への改組の理由)
トヨタ自動車向け金属二枚送り検出器の開発とセンサー事業への本格参入
1973年、滝崎氏はプレス加工の現場で金型が破損する課題に着目[17]し、磁気を利用して非接触で金属板の二枚送りを検出する金属板二枚送り検出器[18]を開発した。数億円規模の金型を守るセンサーに8万5000円という単価[19]を付け、原価積み上げではなく顧客が得る導入効果を基準に価格を決める付加価値価格[20]の方針を据えた。製品はトヨタ自動車への採用を皮切りに、日産自動車、三菱自動車工業、本田技研工業[21]など主要自動車メーカーへ広がった。1977年時点の品揃えは、この検出器のほか微小位検出スイッチ、D.F DETECTOR、金属片通過確認スイッチ、継目検出器[22]で、いずれも金属を非接触で捉える用途に集中していた。滝崎氏は「他社にない製品なので、商社、代理店を通じてPRすると、当社製品の価値がうまく顧客に伝わらない」[23](証券アナリストジャーナル 1987年12月号)と述べ、創業時から最終ユーザーへ直接販売する体制[24]を敷いた。
- キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [17]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
- [18]金属板二枚送り検出器は磁気を利用し非接触で金属板の二枚送りを検出。プレス加工で金型を壊すことを防ぐ用途
- [24]創業時から最終ユーザーへ直接販売
- 日経ビジネス(1989年5月22日)
- [19]金属2枚送り検出器の単価 約8万5000円
- [20]原価積み上げではなく顧客が得る導入効果を基準に価格を決める付加価値価格
- [21]トヨタ採用を皮切りに日産・三菱自工・本田技研など主要自動車メーカーへ拡大
- [22]1977年時点の主な製品は微小位検出スイッチ・金属板2枚送り検出器・D.F DETECTOR・金属片通過確認スイッチ・継目検出器
- [23]滝崎武光氏の発言(代理店を通すと製品価値が顧客に伝わらない)
1982年、滝崎氏は営業利益率20%の祖業だった自動線材切断機[25]の製造・販売権を他社へ譲渡[26]した。切断機は売上の約1割を占める黒字事業[27]だったが、商品内容が異なるため開発に無駄が生じる点と、営業利益率40%のFAセンサーへ集中した方が収益力が強まる点[28]を理由に手放した。翌1983年にかけては、1社で売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注[29]も、経営の安定を損なうとして意図的に絞った。二度の業容縮小はセンサーの商品開発の幅を広げ、取引先は3万5000社に達した[30]。1981年3月期以降、同社は売上高経常利益率35%以上を保った[31]。
- 日経ビジネス(1989年5月22日)
- [25]1982年 祖業の切断機事業から撤退しセンサに集中投資
- [26]自動線材切断機の製造・販売権を他社へ譲渡
- [27]切断機は売上の約1割を占める黒字事業
- [28]売却理由は商品内容の相違による開発の無駄と、営業利益率40%のFAセンサーへの集中
- [29]1983年にかけて1社で売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注を意図的に絞る
- [30]2度の業容縮小で商品開発の幅が広がり取引先 3万5000社
- [31]1981年3月期以降 売上高経常利益率 35%以上
- キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [17]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
- [18]金属板二枚送り検出器は磁気を利用し非接触で金属板の二枚送りを検出。プレス加工で金型を壊すことを防ぐ用途
- [24]創業時から最終ユーザーへ直接販売
- 日経ビジネス(1989年5月22日)
- [19]金属2枚送り検出器の単価 約8万5000円
- [20]原価積み上げではなく顧客が得る導入効果を基準に価格を決める付加価値価格
- [21]トヨタ採用を皮切りに日産・三菱自工・本田技研など主要自動車メーカーへ拡大
- [25]1982年 祖業の切断機事業から撤退しセンサに集中投資
- [26]自動線材切断機の製造・販売権を他社へ譲渡
- [27]切断機は売上の約1割を占める黒字事業
- [28]売却理由は商品内容の相違による開発の無駄と、営業利益率40%のFAセンサーへの集中
- [29]1983年にかけて1社で売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注を意図的に絞る
- [30]2度の業容縮小で商品開発の幅が広がり取引先 3万5000社
- [31]1981年3月期以降 売上高経常利益率 35%以上
- [22]1977年時点の主な製品は微小位検出スイッチ・金属板2枚送り検出器・D.F DETECTOR・金属片通過確認スイッチ・継目検出器
- [23]滝崎武光氏の発言(代理店を通すと製品価値が顧客に伝わらない)
直販体制と標準品特化、付加価値価格という三つの経営原則の確立
創業期に定めた三つの原則が以後の経営の根幹となり、第一は代理店を介さず営業担当が顧客の製造現場へ直接足を運ぶ直販[32]、第二は個々の顧客向けの特注品ではなくニーズを集約した標準品に絞る品揃え[33]、第三は原価ではなく顧客が得る導入効果を基準とする付加価値価格[34]である。計測制御機器や自動化用測定機器の市場規模はそれぞれ数十億円程度と小さく、同社は各製品で市場を創造して高いシェアを握り、プライスリーダーの位置[35]を占めた。1983年には「電子機器、計測器の大手企業をしのぐ競争力を持ち、とくにリードスイッチを応用したレベルセンサーでは30%のシェア」[36](日経産業新聞 1983年12月1日)を得て、国産レベルセンサーで首位に立った[37]。
- [32]代理店を介さない直販(滝崎武光氏の発言で確認)
- [33]個々のユーザーのニーズに応じた製品ではなくニーズを集約化したものを製品化
- [35]計測制御機器・自動化用測定機器の市場規模は数十億円程度で各製品が市場を創造しプライスリーダーの位置
- 日経ビジネス(1995年1月16日)
- [34]原価ではなく導入効果に見合う価格を付ける付加価値価格
- 日経産業新聞(1983年12月1日)
- [36]1983年 リードスイッチ応用レベルセンサーで30%のシェア・国産レベルセンサーの先頭
- [37]1983年12月時点で国産レベルセンサーの先頭に立つ(記事見出し)
製品群の拡大は段階を追って進み、1980年4月に光電センサの分野へ参入[38]した。1983年4月には電子部品業界や家電業界向けに光ファイバー式のセンサを開発して本格進出[39]を果たし、磁気センサと光電センサという二本の主力を揃えた[40]。1985年3月にはアメリカに現地法人KEYENCE CORPORATION OF AMERICAを設立[41]し、同年9月には大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社を設立[42]した。ただし自社では具体的な生産を行わず[43]、ノウハウが鍵を握る約25%の製品だけを子会社で作り、残る75%は協力会社へ委託した。1984年11月には本社を大阪府高槻市へ移し[44]、1986年には半導体レーザーによるセンサ、1987年にはプログラマブルコントローラの販売を始めた。
- [38]1980年(昭和55年)4月 光電センサの分野へ参入
- [39]1983年(昭和58年)4月 電子部品業界・家電業界向けに初の光ファイバー式センサを開発し光電センサ分野へ本格進出
- [40]この時期に主要製品群である磁気センサと光電センサが揃う
- [43]同社は具体的生産を行わず、生産子会社を含めた外注先に生産を委託
- キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [41]1985年3月 アメリカに現地法人KEYENCE CORPORATION OF AMERICAを設立
- [42]1985年9月 大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社(現キーエンスエンジニアリング)を設立
- [44]1984年11月 本社を大阪府高槻市に移転
1986年10月、ブランドと商号の統一を図るため、社名をリード電機から株式会社キーエンスへ変更[45]した。1979年9月の東京営業所開設[46]を皮切りに営業所を全国へ広げ、より多くのユーザーへ直接営業できる販売網を整えた[47]。本社を置いていた大阪府吹田市の江坂地区[48]は、地下鉄で新幹線の新大阪駅まで5分という立地に研究開発型の若い企業が集まり、「ベンチャービジネスのメッカ」[49](日経産業新聞 1984年10月5日)と呼ばれた。1986年3月期の売上高は60億8800万円で前期から44.1%伸び[50]、売上高営業利益率は39.4%だった[51]。
- キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [45]1986年10月 ブランドと商号の統一を図るため社名を株式会社キーエンスに変更
- [48]1981年6月 本社を大阪府吹田市に移転(1984年11月に高槻市へ移転するまで吹田市が本社所在地)
- [46]1979年(昭和54年)9月 関東地方の販売拠点として東京営業所(東京都目黒区)を設置
- [47]営業所を全国的に展開し、より多くのユーザーに直接営業できる販売網を整備
- [50]1986年3月期(昭61.3期)売上高 6,088百万円・前期比44.1%増
- [51]昭61.3期の売上高営業利益率 39.4%(翌昭62.3期は34.7%へ4.7ポイント低下)
- 日経産業新聞(1984年10月5日)
- [49]江坂地区は「地下鉄で新幹線の新大阪駅までわずか5分」の立地に研究開発型の若い企業が集まり「ベンチャービジネスのメッカ」と呼ばれた
- [32]代理店を介さない直販(滝崎武光氏の発言で確認)
- [33]個々のユーザーのニーズに応じた製品ではなくニーズを集約化したものを製品化
- [35]計測制御機器・自動化用測定機器の市場規模は数十億円程度で各製品が市場を創造しプライスリーダーの位置
- [38]1980年(昭和55年)4月 光電センサの分野へ参入
- [39]1983年(昭和58年)4月 電子部品業界・家電業界向けに初の光ファイバー式センサを開発し光電センサ分野へ本格進出
- [40]この時期に主要製品群である磁気センサと光電センサが揃う
- [43]同社は具体的生産を行わず、生産子会社を含めた外注先に生産を委託
- [46]1979年(昭和54年)9月 関東地方の販売拠点として東京営業所(東京都目黒区)を設置
- [47]営業所を全国的に展開し、より多くのユーザーに直接営業できる販売網を整備
- [50]1986年3月期(昭61.3期)売上高 6,088百万円・前期比44.1%増
- [51]昭61.3期の売上高営業利益率 39.4%(翌昭62.3期は34.7%へ4.7ポイント低下)
- 日経ビジネス(1995年1月16日)
- [34]原価ではなく導入効果に見合う価格を付ける付加価値価格
- 日経産業新聞(1983年12月1日)
- [36]1983年 リードスイッチ応用レベルセンサーで30%のシェア・国産レベルセンサーの先頭
- [37]1983年12月時点で国産レベルセンサーの先頭に立つ(記事見出し)
- キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
- [41]1985年3月 アメリカに現地法人KEYENCE CORPORATION OF AMERICAを設立
- [42]1985年9月 大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社(現キーエンスエンジニアリング)を設立
- [44]1984年11月 本社を大阪府高槻市に移転
- [45]1986年10月 ブランドと商号の統一を図るため社名を株式会社キーエンスに変更
- [48]1981年6月 本社を大阪府吹田市に移転(1984年11月に高槻市へ移転するまで吹田市が本社所在地)
- 日経産業新聞(1984年10月5日)
- [49]江坂地区は「地下鉄で新幹線の新大阪駅までわずか5分」の立地に研究開発型の若い企業が集まり「ベンチャービジネスのメッカ」と呼ばれた