豊田佐吉氏が開発した「G型織機」の量産に着手するために、1926年に豊田自動織機が設立された。G型織機は生産性に優れた製品として世界的に注目を集め、1929年には英国プラット社に対して特許実施権を譲渡するなど、グローバルで通用する織機メーカーとなった。
1933年には織機で儲けた利益を自動車の研究開発に充当することで、自動車への参入を計画。1937年に豊田自動織機から自動車部を分離することで「トヨタ自動車」を設立した。このため、豊田自動織機はトヨタ自動車の実質的な産みの親でもある。
戦時体制により織機生産を停止。軍需生産にシフト
1950年代に入ると、繊維の需要が低迷。豊田自動織機の祖業である「織機(繊維機械)」の業績が低迷したため、1600名の余剰人員が発生した。そこで、豊田自動織機は「トヨタ自動車向けの自動車関連品」の下請け生産を開始。エンジンや車両生産に従事することで雇用を維持する方針を打ち出し、好調なトヨタ自動車と対照的な状況に追い込まれた。
織機の海外現地生産を開始するも採算が合わず。約5年で撤退へ
豊田自動織機は繊維機械の不振に対して挽回を期すため、新規事業への参入を決定。トヨタ自動車向けに展開していた「エンジン製造」のノウハウを転用して、1956年にフォークリフトに新規参入。この結果、1970年代までに「自動車」と「産業用車両(フォークリフト)」の2つの事業が育ち、祖業である繊維機械の不振をカバーした。1980年代にはデンソー向けに「カーエアコン用コンプレッサー」の製造を拡大し、トヨタに次ぐ取引先となった。
これらの経緯によって、豊田自動織機の事業展開は、祖業の織機の不振をトヨタグループで支えるという構造が作られた。
エンジン工場専門を新設
産業用車両の現地生産を開始
産業用車両の現地生産を開始
委託生産
2000年代以降、豊田自動織機は「物流・産業用車両」への本格投資を開始。グローバルな企業買収によって業容の拡大を目指し、2017年には1446億円でVanderlande Industries社を買収した。この結果、売上ベースでは「産業用車両・物流関連」の比率が増大し、トヨタおよびデンソー向けの下請け生産の比率が低下しつつある。
委託生産
リーマンショックによる需要減が影響
フォークリフト用アタッチメントを製造
車載電池の量産