帝人の歴史
沿革
1918年に秦逸三氏と久村清太氏が山形県米沢市に設立した帝国人造絹糸が起源。
1957年に英ICIとの技術提携でポリエステル「テトロン」へ参入し、2000年には蘭アコーディスからアラミド繊維事業を買収した。アラミドでデュポンと世界を二分する位置を得た、国内最古の化繊会社である。
1918年〜帝国人絹の設立とポリエステル参入による合成繊維メーカーへの転身
- 帝国人絹を設立
- 広島工場を新設[3]
- 鈴木商店から独立
- 岩国工場が操業を開始しレーヨンの生産を拡大[4]
- 三原工場の新設[4]
- 帝人製機を設立[4]
- 大屋晋三氏が社長就任
- 帝人織布(現 帝人フロンティアニッティング)を設立[4]
- 帝人化成を設立[4]
- 東京・大阪・名古屋証券取引所に上場[4]
- 帝人商事を設立[4]
- アセテートに参入[3]
- ポリエステルに参入[5]
- 松山工場で「テトロン」の生産を開始[4]
- 帝人化成がポリカーボネート樹脂の生産を開始[4]
- ナイロンに参入
- 帝人に商号変更
- 三原工場でナイロンの生産を開始[4]
- 子会社を設立[4]
- 未来事業本部を発足[5]
- 徳山工場を新設[4]
- 愛媛工場を新設[4]
- 岐阜工場を新設
- メタ系アラミド繊維「コーネックス」生産開始[6]
- レーヨン生産から撤退[4]
- インドネシアにP.T.Teijin Indonesia Fiber Corporationを設立[4]
- 合繊不況下の2600人削減
1979年〜新薬「ベニロン」の発売とナイロン事業のデュポン合弁移管
- 新薬「ベニロン」を発売[4]
- 帝人医薬が医療用膜型酸素濃縮器「マイルドサンソ」を発売[4]
- 帝人システムテクノロジーを設立[4]
- 帝人医薬を吸収合併[4]
- 宇都宮工場を新設[4]
- 松山工場でパラ系アラミド繊維「テクノーラ」の生産を開始[4]
- 岩国工場で医薬品の生産開始
- PENフィルム「テオネックス」を事業化[10]
- タイに「テトロン」繊維生産販売会社Teijin (Thailand)を設立[10]
- 米国デュポン社とポリエステルフィルムの合弁会社を欧州と米国に設立[4]
- 英国に帝人MRC研究所を設立[10]
- 企業理念と行動指針を発表[11]
- 中国に南通帝人有限公司を設立[4]
- ナイロンをデュポン合弁に移管
- インドネシアに「テトロン」フィルムの製造販売会社を設立[10]
- 医薬品の全国自社販売を開始[10]
- シンガポールにTeijin Polycarbonate Singaporeを設立[12]
- アドバイザリーボードを導入[13]
- 東邦レーヨンに資本参加
- アコーディス社のアラミド繊維事業を買収
筆者所見
東レとの差を詰めた要因は、繊維の規模ではなく、市場に評価される仕組みにあった。1980年3月期の経常利益は東レの半分以下だったが、1999年には株価で9年半ぶりに東レを逆転した[7][8][9]。その20年で帝人が積み上げたのは、繊維の外で稼ぐ医薬事業と、社長の業績を社外の目にさらす統治である。1999年のアドバイザリーボードは、解任勧告もありうる仕組みで社長自身を評価の対象に置いた[9]。株価の逆転は、量で届かない差を説明責任で埋めた結果と言える。
- [7]日経ビジネス 1980年10月20日号「ケーススタディ 帝人」
- [8]帝人 単体業績(会社年鑑・1980年3月期)
- [9]日経ビジネス 1999年11月1日号「編集長インタビュー 安居祥策氏[帝人社長]」
2001年〜長島徹社長の選定と杏林製薬買収の撤回
- 帝人システムテクノロジーとインフォコムが合併し新生インフォコムが発足[10]
- フィルムをデュポン合弁に移管
- 帝人商事が日商岩井アパレルと合併しNI帝人商事に商号変更[15]
- 経営諮問委員会で長島徹氏を選出[16]
- アセテート事業を撤収[10]
- 衣料繊維事業を帝人ファイバーに移管[14]
- 医薬医療事業を帝人ファーマに移管[14]
- 中国にTEIJIN POLYCARBONATE CHINAを設立[15]
- 杏林製薬の買収を撤回
- 帝人テクノプロダクツに産業繊維事業を移管[15]
- 帝人製機をナブテスコに移管[15]
- アコーディス社から米国のPAN系炭素繊維事業を買収[10]
- 帝人ファーマが韓国YUYU INC.と酸素濃縮器販売の合弁会社を設立[10]
- 東邦テナックスを株式交換により完全子会社化[15]
- 御殿場に複合材料開発センターを開設[10]
- ジーエイチクラフトを子会社化[10]
- 岩国事業所内に先端技術開発センターを開設[15]
- 米国のBraden Partners L.P.を買収[15]
- 帝人ファーマが米国で高尿酸血症治療剤「ULORIC」の販売を開始[10]
- インドネシアのPT. Teijin Indonesia Fiberの全保有株式を譲渡[15]
筆者所見
2000年代の帝人は、事業を分社して外に出し、どの事業に資本を残すかを測れる状態をつくった。2002年に衣料繊維を帝人ファイバー、医薬医療を帝人ファーマへ移管し、2003年には帝人製機をナブテスコへ移した[14][15]。分社は撤退にも追加投資にも使える単位となり、2007年に東邦テナックスを完全子会社化した[15]。長島徹氏の選出を社外委員の審査に委ねたのも、判断を社長一人に預けない同じ発想による。事業を切り分ける手法が、2010年代の売買の前提になった。
- [14]有価証券報告書 第159期(2025年6月25日)
- [15]有価証券報告書 第153期(2019年6月20日)
2011年〜CSP HD買収とフィルム事業譲渡による事業ポートフォリオの組み替え
- フェブリクの創製発売
- 米国に複合材料用途開発センターを開設[18]
- NI帝人商事が帝人フロンティアとして営業を開始[4]
- 持株会社体制へ移行[6]
- 帝人化成を吸収合併[15]
- 最終赤字に転落
- 日本とインドネシアのポリエステルフィルム事業の持分をデュポン社から買取[4]
- CSP HDを買収[4]
- Braden Partnersの全保有持分を譲渡し北米在宅医療事業から撤収[4]
- ポリエステルフィルムを事業譲渡
- 東邦テナックスを吸収合併[4]
- 帝人フィルムソリューションなどの全保有株式を譲渡[4]
- ジャパン・ティッシュ・エンジニアリングを公開買付けにより子会社化[4]
- 武田薬品から4製品の販売権を買収[4]
- 東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場へ移行[4]
- アクセリードと合弁会社Axcelead Tokyo West Partnersを設立[4]
- 森山直彦氏が代表取締役に就任[17]
- インフォコムの売却に関する基本契約を決議[17]
- インフォコムの全保有株式を譲渡[4]
- 北米の自動車向け複合材料事業で減損損失を計上[17]
- 帝人ファーマで糖尿病薬の販売権の減損損失を計上[17]
- 北米自動車事業の株式譲渡を実行[17]
- デュポン帝人アドバンスドペーパー株式の譲渡を決議[17]
- トワロン事業で減損損失を計上[17]
- 医薬事業の構造改革で減損損失を計上[17]
筆者所見
2011年以降の帝人の組み替えは、売った事業より、買った事業の処理に時間を費やした15年だった。2017年にCSP HDを買収したが、2024年に北米の自動車向け複合材料事業で減損損失を計上し、2025年に北米自動車事業を譲渡した[4][17]。買収で素材の出口を押さえる発想は、自動車需要の変動を読み切れなかった。対照的にフェブリクは、少人数の創薬から収益源を得た数少ない例である。その医薬にも、2026年に構造改革の減損損失が及んだ[17]。
- [4]有価証券報告書(2025年6月25日)
- [17]臨時報告書