1957年〜 旧富士銀行の社有不動産管理会社として50年
- 1957年日本橋興業株式会社として設立
- 1957年損害保険代理店業務を開始
- 1960年阪都不動産管理株式会社(現ヒューリックビルマネジメント)を設立
- 1965年旧富士銀行の全国営業店149店の保険代理店業務を継承
- 1965年本社を日本橋富士ビルへ移転
- 2000年小舟町Fビル等15ビルを保有する株式会社フォワードビルディングを合併
- 2001年かけ橋企画株式会社(現ヒューリックビルド)設立
ヒューリックの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
銀行所有ビルの管理という閉じた事業領域からの出発
1957年3月、東京都中央区八重洲に資本金3千万円で日本橋興業株式会社が設立された。事業目的は不動産業務と保険代理店業務で、設立母体は当時の旧富士銀行である。富士銀行が全国の店舗用地・自社所有ビルを保有しつつ、賃貸と管理業務を本体ではなく関連会社に切り出す形で生まれた。設立当初の不動産事業は富士銀行の店舗ビルと社有不動産の管理が中心で、顧客は事実上1社という閉じた業務だった。同年6月には損害保険代理店業務も開始し、1965年11月には旧富士銀行の全国営業店149店の保険代理店業務を継承した。日本橋興業の収益は富士銀行の店舗網に連動する設計で、独立した不動産会社という性格はもたなかった。 [1][2][3][4]
- ヒューリック 有価証券報告書【沿革】
- [1]1957年3月に東京都中央区八重洲で資本金3千万円の日本橋興業株式会社が設立された
- [2]日本橋興業の事業目的は不動産業務と保険代理店業務で設立母体は旧富士銀行だった
- [3]1957年6月に損害保険代理店業務を開始した
- [4]1965年11月に旧富士銀行の全国営業店149店の保険代理店業務を継承した
1960年代から2000年までの40年余、日本橋興業は富士銀行の支店ビルや本店周辺の社有不動産を運営し、家賃収入と店舗管理手数料を主たる収益源とした。1960年6月には現場の管理業務を担う阪都不動産管理株式会社(現ヒューリックビルマネジメント)を設立した。本社は1965年3月に日本橋富士ビルへ移転し、富士銀行本店周辺に拠点を置く体制が長く続いた。バブル景気の不動産市場高騰期にも、業務範囲を銀行系不動産の管理に限定したため、保有物件の含み益は出ても、開発デベロッパーとして他社と競合する事業範囲には踏み込まなかった。発注者依存型の経営構造が40年にわたり安定収益を生む一方、独立した不動産会社としての成長機会は限定された。 [5][6]
- ヒューリック 有価証券報告書【沿革】
- [5]1960年6月に阪都不動産管理株式会社(現ヒューリックビルマネジメント)を設立した
- [6]1965年3月に本社を日本橋富士ビルへ移転した
2000年9月、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の3行統合によるみずほフィナンシャルグループの発足が決まり、3行系列の不動産会社の再編が日本橋興業の事業環境を変えた。同年11月には小舟町Fビルなど旧富士銀系の15ビルを保有する株式会社フォワードビルディングを合併し、保有物件を一度に15棟増やした。3行統合に伴うグループ内の不動産機能整理が、結果として日本橋興業を旧富士銀系不動産の受け皿に当てるきっかけとなった。半世紀近く銀行の店舗管理に閉じこもっていた会社が、外部の物件を取り込む経験を初めて積み始めた時期にあたる。 [7]
- ヒューリック 有価証券報告書【沿革】
- [7]2000年11月に小舟町Fビル等15ビルを保有する株式会社フォワードビルディングを合併し保有物件を15棟増やした
- ヒューリック 有価証券報告書【沿革】
- [1]1957年3月に東京都中央区八重洲で資本金3千万円の日本橋興業株式会社が設立された
- [2]日本橋興業の事業目的は不動産業務と保険代理店業務で設立母体は旧富士銀行だった
- [3]1957年6月に損害保険代理店業務を開始した
- [4]1965年11月に旧富士銀行の全国営業店149店の保険代理店業務を継承した
- [5]1960年6月に阪都不動産管理株式会社(現ヒューリックビルマネジメント)を設立した
- [6]1965年3月に本社を日本橋富士ビルへ移転した
- [7]2000年11月に小舟町Fビル等15ビルを保有する株式会社フォワードビルディングを合併し保有物件を15棟増やした
みずほFG再編が生んだ事業独立への助走
2000年代前半は、みずほFG発足に伴う旧3行系不動産会社の整理が日本橋興業の役割を再定義した時期である。富士銀行系・第一勧業銀行系・日本興業銀行系の不動産会社が並存するなかで、グループ内の不動産機能をどう束ねるかという課題があり、日本橋興業はその受け皿候補の一つとなった。みずほFG本体は不動産を非戦略事業と位置づけ、関係会社として切り出す方針を採った。日本橋興業はこの方針の下で旧富士銀系不動産会社の合併を引き受け、保有物件と運営ノウハウの集約を進めた。富士銀行の社有不動産管理という閉じた事業領域から、グループ系の独立した不動産会社への移行が、外部からの圧力で進み始めた。
2006年3月、1971年に富士銀行(現みずほ銀行)へ入行し取締役副頭取を務めた西浦三郎氏が代表取締役社長に就任した。同氏の社長就任は、銀行系不動産会社にとどまる従来路線を変える出発点となった。当時の日本橋興業は売上規模数百億円台の中堅不動産会社にすぎず、社員数も限られていた。だが旧富士銀系の出資関係と保有不動産は厚く、これを経営の独立とともに活かせば一段上の規模の会社になる素地があると西浦氏は判断した。社長就任から1年も経たない2007年1月、社名を「ヒューリック株式会社」に変更し、日本橋興業時代との連続性を意図的に切り離す経営方針を社内外に示した。 [8][9][10]
- ヒューリック 有価証券報告書【役員の状況】
- [8]2006年3月に西浦三郎氏が代表取締役社長に就任した
- 週刊東洋経済 2020年10月31日号「【特集 不動産熱狂の裏側】 INTERVIEW 不動産トップに直撃 「ニューノーマル」の処方箋」
- [9]西浦三郎氏は1971年に富士銀行(現みずほ銀行)へ入行し取締役副頭取を経て2006年に日本橋興業(現ヒューリック)社長へ就任した
- ヒューリック 有価証券報告書【沿革】
- [10]2007年1月に社名を「ヒューリック株式会社」に変更した
環境が厳しい時に頑張れる人材を採用基準として掲げた西浦氏は、銀行出身者を経営陣に集めつつも、不動産業界からの中途採用と建設会社からの転籍を強化した。みずほ銀行から派遣された執行役員と並んで、大成建設出身の不動産開発担当役員を取締役に登用するなど、銀行系の規律と不動産業界の事業感覚を併せ持つ経営チームを形成した。後に社長を継ぐ吉留学氏も大成建設出身の前田隆也氏も、2006〜2008年の人材登用方針の延長線上にある。半世紀続いた銀行所有不動産の管理会社というアイデンティティを、社名変更と人材登用で一度断ち切ることが、独立した不動産会社への移行の前提条件となった。 [11]
- ヒューリック 有価証券報告書【役員の状況】
- [11]後に社長を継ぐ前田隆也氏は大成建設出身である
- ヒューリック 有価証券報告書【役員の状況】
- [8]2006年3月に西浦三郎氏が代表取締役社長に就任した
- [11]後に社長を継ぐ前田隆也氏は大成建設出身である
- 週刊東洋経済 2020年10月31日号「【特集 不動産熱狂の裏側】 INTERVIEW 不動産トップに直撃 「ニューノーマル」の処方箋」
- [9]西浦三郎氏は1971年に富士銀行(現みずほ銀行)へ入行し取締役副頭取を経て2006年に日本橋興業(現ヒューリック)社長へ就任した
- ヒューリック 有価証券報告書【沿革】
- [10]2007年1月に社名を「ヒューリック株式会社」に変更した
「日本橋興業」から「ヒューリック」へ ── 上場直前の社名変更
2007年1月の「ヒューリック株式会社」への社名変更は、単なるリブランディングではなかった。日本橋興業という社名は富士銀行系の社内呼称として50年定着しており、銀行所有不動産の管理会社という業界内の認識と一体化していた。西浦社長は、独立した不動産会社として東証一部上場を目指すうえで、銀行子会社的なイメージから脱却する必要があると判断した。「ヒューリック(HULIC)」はHUMAN(ひと)・LIFE(生活)・CREATE(創造する)の三つの言葉を組み合わせた造語で、人々の暮らしを快適にする商品とサービスを創造するという意味を込めた社名である。社名変更は2008年11月の東証一部上場を視野に入れた経営戦略の一環で、上場準備の本格化と並行して実施された。 [12][13][14]
- ヒューリック 有価証券報告書【沿革】
- [12]2007年1月に社名を「ヒューリック株式会社」に変更した
- [14]2008年11月にヒューリックは東京証券取引所市場第一部に上場した
- [13]「ヒューリック(HULIC)」はHUMAN(ひと)・LIFE(生活)・CREATE(創造する)の3語を組み合わせた造語である
2008年11月、ヒューリックは東京証券取引所市場第一部に上場した。リーマンショック直後の不動産市況は冷え込んでいたが、旧富士銀系の安定した保有不動産ポートフォリオが投資家からの信頼を支えた。上場時の主要株主は富士火災海上保険・第一生命保険・明治安田生命保険など旧富士銀系の金融機関で、銀行系不動産会社としての出自を反映した株主構成だった。みずほFGは大株主としての立場を保ちつつ、日常の経営判断には関与しない関係を確立した。上場により資本市場からの直接調達が可能となり、合併・買収を含む数百億円規模の投資の原資が確保された。同時に上場会社としてのガバナンス基準が適用され、銀行系不動産会社時代の閉鎖的な意思決定構造は組織として開かれた。 [15][16]
- ヒューリック 有価証券報告書【沿革】
- [15]2008年11月にヒューリックは東京証券取引所市場第一部に上場した
- [16]上場時の主要株主は富士火災海上保険・第一生命保険・明治安田生命保険など旧富士銀系の金融機関だった
上場後の最初のM&Aは、2010年7月の千秋商事と芙蓉総合開発の合併、そして2012年7月の旧昭栄株式会社との合併だった。昭栄も旧富士銀系の上場不動産会社で、ヒューリックとほぼ同じ出自をもつ。両社の合併に伴う新株発行で資本金は219億51百万円へ増え、保有ビル数も増加した。みずほFGが推進してきた旧3行系不動産機能の整理が、ヒューリックを軸とした集約で結着した格好である。1957年の設立から50年、銀行所有不動産の管理会社として歩んだ歴史が、2007年の社名変更と2008年の上場、2012年の昭栄合併で一区切りとなり、独立した不動産事業会社としての新章が始まった。 [17][18][19][20]
- ヒューリック 有価証券報告書【沿革】
- [17]2010年7月に千秋商事と芙蓉総合開発を合併した
- [18]2012年7月に旧昭栄株式会社と合併した
- [19]昭栄は旧富士銀系の上場不動産会社でヒューリックとほぼ同じ出自をもつ
- [20]2012年の旧昭栄との合併に伴う新株発行により資本金は219億51百万円となった
- ヒューリック 有価証券報告書【沿革】
- [12]2007年1月に社名を「ヒューリック株式会社」に変更した
- [14]2008年11月にヒューリックは東京証券取引所市場第一部に上場した
- [15]2008年11月にヒューリックは東京証券取引所市場第一部に上場した
- [16]上場時の主要株主は富士火災海上保険・第一生命保険・明治安田生命保険など旧富士銀系の金融機関だった
- [17]2010年7月に千秋商事と芙蓉総合開発を合併した
- [18]2012年7月に旧昭栄株式会社と合併した
- [19]昭栄は旧富士銀系の上場不動産会社でヒューリックとほぼ同じ出自をもつ
- [13]「ヒューリック(HULIC)」はHUMAN(ひと)・LIFE(生活)・CREATE(創造する)の3語を組み合わせた造語である
- [20]2012年の旧昭栄との合併に伴う新株発行により資本金は219億51百万円となった