横河電機 の歴史

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創業 1915年
創業者 横河民輔
創業地 東京都渋谷区
創業 1915年、横河民輔氏が東京・渋谷で電気計器研究所を個人創業した。帝国劇場や三越
1915年、横河民輔氏が東京・渋谷で電気計器研究所を個人創業した。帝国劇場や三越本店を設計した工学博士の建築家で、1903年の横河工務所、1907年の横河橋梁製作所に続く三つ目の事業にあたる。精密電気計器がウエスチングハウスやシーメンスからの輸入に依存していた時代に国産化を狙い、計器の開発は甥の横河一郎氏や青木晋氏ら20代の技術者へ託した。1917年に電流計・電圧計・電力計の国産化を実現し、1920年12月に株式会社横河電機製作所として法人化する。このとき民輔氏は株式を持たず、横河一郎氏を約30%の筆頭株主に据えて、所有と運営を最初から分けている。
決断 創業の商売だった計測器事業を、二度にわたって本体の外へ出した。1963年に米ヒュ
創業の商売だった計測器事業を、二度にわたって本体の外へ出した。1963年に米ヒューレット・パッカードと51対49で横河ヒューレット・パッカードを設立し、電子計測器事業を1980年に売上465億円・経常利益率13%超の事業へ育てたが、1999年7月に36年続いた合弁を解消して日本HP持分を売却した。1973年のオイルショックで石油産業向けが売上の83%を占める構造を突かれた経験から、1975年の総合制御システムCENTUM発表以来続けてきたプラント制御への集約を強め、2010年には残った計測器事業を子会社の横河計測へ移管して本体を制御専業にした。祖業を二度外へ出したことが、計器の販売台数ではなくプラントの運転そのものへ稼ぎを結び付けた。
現況 本体から外した測定器事業のほうが、残した制御より高い利益率で稼いでいる。2026
本体から外した測定器事業のほうが、残した制御より高い利益率で稼いでいる。2026年3月期の売上高6,048億円のうち制御が5,655億円を占め、営業利益752億円・利益率13.3%だった。これに対し2010年に子会社へ移した測定器事業は売上340億円ながら営業利益78億円・利益率22.9%と、制御を9ポイント上回る。売り先は日本1,612億円に次いで中東・アフリカが1,160億円で、欧州・CISと中国がそれぞれ672億円で続く。2015年には、1993年に解雇をしない構造改革を選んだ会社が1,105名の希望退職を募集し、166億円を事業構造改善費用として特別損失に計上した。本体を制御へ絞った結果、業績を決めるのは自社の製品ではなく、石油・ガス会社が設備投資を出すかどうかになった。
競合 領域を増やした同業に首位を明け渡し、絞ることで規模を取り戻した。1977年、工業
領域を増やした同業に首位を明け渡し、絞ることで規模を取り戻した。1977年、工業計器の売上構成比を44.6%まで下げて電子機器と空調制御を伸ばした山武ハネウエルに経常利益で抜かれ、工業計器が8割弱を占めていた横河電機は業界首位を譲った。米ハネウエルとの提携で空調制御まで広げた相手に対し、横河電機は領域を増やさず、1999年の合弁解消と2010年の計測器分社で制御専業へ進んでいる。2026年3月期の売上高6,048億円は、現在アズビルとなったその同業の2,989億円の2倍にあたる。ただし残した制御の需要は新設ではなく更新が主流で、計装率も1980年代後半の2%から1995年に1.5%へ下がった。領域を減らした選択は規模の差を逆にしたが、その先の需要を石油・ガスの設備投資という一つの循環へ集めることにもなった。
長期業績の推移 1949〜2026年
横河電機:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

第1章 1915年〜 計測器メーカーとしての基盤構築と戦後の業態転換

1915年〜建築家が技術で築いた電気計器国産化の出発点

横河電機の創業者は帝国劇場や三越本店、東京株式取引所といった当時の代表的な建築の設計で知られた工学博士・横河民輔であり、1903年に横河工務所を設立した建築家でありながら技術そのものを軸とした事業展開を志向した独特の経歴を持つ経営者であった。横河民輔は建築事業に加えて自らの技術志向を実現するために1907年に横河橋梁製作所を創業しており、1915年には電気計器の国産化を目的として東京渋谷に電気計器研究所を個人で創業し、甥の横河一郎や青木晋ら20代の若い技術者たちに計器開発を託す体制でスタートを切った。当時の日本では精密電気計器がウエスチングハウスやシーメンスなど欧米製品からの輸入に依存している状況であり、横河民輔の国産化への挑戦は産業インフラの基礎となる計測技術の独立という国家的意義を持つ事業となった。

  • 横河電機100年史(横河電機, 2015)
    • [1]創業者は工学博士・横河民輔(帝国劇場・三越本店・東京株式取引所を設計)
    • [3]横河民輔は1907年に横河橋梁製作所を創業
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]横河民輔は工学博士で、1903年に横河工務所を設立し、帝国劇場・三越本店・東京株式取引所などの建築設計を手がけた
    • [5]創業当時の精密電気計器はウエスチングハウス・シーメンスなど舶来品が万能の時代で、横河民輔はこの輸入依存からの脱却を目指した
  • 横河電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1915年に東京渋谷で電気計器研究所を個人創業し、甥の横河一郎・青木晋ら若手技術者に計器開発を託した

1917年には精密電気計器の国産化を実現するという技術的成果を達成し、通信省や海軍省から輸入品に劣らない高い評価を得たことで創業期の最大の技術的な壁を早期に乗り越えた。1920年12月には株式会社横河電機製作所として正式に法人化し、甥の横河一郎が筆頭株主として約30%の株式を保有する形で株式構造が整備され、創業者の横河民輔自身は株式を保有せずに経営をあえて次世代に委ねる巧みな設計とされた以後の横河電機は横河家による同族経営のもとで計測器の専業メーカーとして発展を遂げていくこととなり、大正期から昭和初期にかけて、日本の電気産業勃興期を支える計測機器の主要サプライヤーとして官公庁・電力会社・通信事業者への納入実績を積み上げた。

  • 横河電機100年史(横河電機, 2015)
    • [6]1917年に精密電気計器(電流計・電圧計・電力計)の国産化を実現し、通信省・海軍省から輸入品に劣らない評価を得た
    • [8]法人化時に甥の横河一郎が筆頭株主として約30%を保有、創業者の横河民輔は株式を保有しなかった
  • 横河電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [7]1920年12月に株式会社横河電機製作所として法人化(資本金50万円)
参考文献[1]-[8]
  • 横河電機100年史(横河電機, 2015)
    • [1]創業者は工学博士・横河民輔(帝国劇場・三越本店・東京株式取引所を設計)
    • [3]横河民輔は1907年に横河橋梁製作所を創業
    • [6]1917年に精密電気計器(電流計・電圧計・電力計)の国産化を実現し、通信省・海軍省から輸入品に劣らない評価を得た
    • [8]法人化時に甥の横河一郎が筆頭株主として約30%を保有、創業者の横河民輔は株式を保有しなかった
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2]横河民輔は工学博士で、1903年に横河工務所を設立し、帝国劇場・三越本店・東京株式取引所などの建築設計を手がけた
    • [5]創業当時の精密電気計器はウエスチングハウス・シーメンスなど舶来品が万能の時代で、横河民輔はこの輸入依存からの脱却を目指した
  • 横河電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1915年に東京渋谷で電気計器研究所を個人創業し、甥の横河一郎・青木晋ら若手技術者に計器開発を託した
    • [7]1920年12月に株式会社横河電機製作所として法人化(資本金50万円)

1950年〜軍需喪失とフォックスボロ提携が切り拓いた民需転換

戦時中の横河電機は陸軍指定工場として高射砲算定器や航空計器の生産に従事する軍需メーカーとなり、従業員数は1.2万名という水準にまで拡大したが、終戦によって軍需を喪失し存続の危機に直面した。5つあった工場のうち4工場を閉鎖して武蔵野本社に集約する事業縮小を断行し、1万名以上の従業員を解雇して1200名体制で再出発するという壮絶な縮小再建を経験した戦後の計測器市場では石油化学や鉄鋼といった戦後日本の復興を支える装置産業向けに需要が移行しており、横河電機は従来の電気計器中心の製品構成から工業用計測器への本格転換を進めることで、戦後の新しい産業構造に対応した企業へと脱皮を図った。

  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「横河電機製作所」(経済春秋社, 1968年)
    • [9]陸軍指定工場として高射砲算定器・航空計器を生産する軍需メーカーであった
  • 横河電機100年史(横河電機, 2015)
    • [10]終戦時の従業員は約1.2万名、戦後は4工場を閉鎖し武蔵野本社に集約、約1万名以上を解雇し1200名体制で再出発

終戦後の混乱を脱した横河電機は、戦前からの計器技術を装置産業向けの工業計測へ振り向ける道を探り、1950年10月にはオートメーション用計器の先駆となる電子管式自動平衡計器を日本で初めて完成させた生産工程を自動で連続制御するこの計器は、戦後復興のなかで合理化と近代化を急ぐ石油や化学、鉄鋼といった装置産業の需要にかなうものであり、横河電機が単品の電気計器メーカーから工業用計測器メーカーへと主力を移していく技術的な足場となった。輸入技術に頼らず自前で計器を仕上げてきた創業以来の開発の積み重ねが、戦後の新しい産業構造に対応する製品の土台を支えた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [11]1950年10月にオートメーション用計器の先駆である電子管式自動平衡計器を日本で初めて完成した

1955年には米フォックスボロ社との技術援助契約を正式に締結し、石油精製プラント向け制御機器の世界的メーカーであるフォックスボロから空気圧式の工業計器技術を導入する道を切り拓くことに成功し、同年9月には米ベンディックス社とも粘度計の技術提携を締結したこの技術提携によって横河電機は石油化学プラント向けの計測・制御技術の基盤を獲得することができ、戦後の石油産業の急速な成長という時代の追い風を活用して業容を拡張した。1957年には米国にYokogawa Electric Works, Inc.を設立して海外事業展開の足がかりを築き、1962年4月には米ボルトロン・プロダクツ社との合弁でアクローム・エレクトロニクス社を設立するなど、次の時代の事業転換に向けた技術的・組織的な基盤を整えた。

  • 横河電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [12]1955年6月に米The Foxboro Companyと工業計器に関する技術援助契約を締結し空気圧制御技術を導入
    • [14]1957年10月に米国でYokogawa Electric Works, Inc.を設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [13]1955年9月に米ベンディックス社と粘度計の技術提携を結んだ
    • [15]1962年4月に米ボルトロン・プロダクツ社との合弁でアクローム・エレクトロニクス社を設立した
参考文献[9]-[15]
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「横河電機製作所」(経済春秋社, 1968年)
    • [9]陸軍指定工場として高射砲算定器・航空計器を生産する軍需メーカーであった
  • 横河電機100年史(横河電機, 2015)
    • [10]終戦時の従業員は約1.2万名、戦後は4工場を閉鎖し武蔵野本社に集約、約1万名以上を解雇し1200名体制で再出発
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [11]1950年10月にオートメーション用計器の先駆である電子管式自動平衡計器を日本で初めて完成した
    • [13]1955年9月に米ベンディックス社と粘度計の技術提携を結んだ
    • [15]1962年4月に米ボルトロン・プロダクツ社との合弁でアクローム・エレクトロニクス社を設立した
  • 横河電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
    • [12]1955年6月に米The Foxboro Companyと工業計器に関する技術援助契約を締結し空気圧制御技術を導入
    • [14]1957年10月に米国でYokogawa Electric Works, Inc.を設立

第2章 1963-1992 (気が向いたら執筆します!) 横河ヒューレットパッカードの設立とCENTUM、北辰電機との合併と横河電機への改称

第3章 1993-2008 (気が向いたら執筆します!) 美川英二の「解雇なきリストラ」とHP合弁の解消、国内15工場の閉鎖と中国統括会社

第4章 2009-2026 (気が向いたら執筆します!) 最終赤字と計測器事業の分離、希望退職とKBC買収、AG2023からGS2028へ

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歴史年表 1920〜2024年

横河電機の沿革1920〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1915〜1962年計測器メーカーとしての基盤構築と戦後の業態転換横河電機製作所を設立
吉祥寺工場を新設(武蔵野本社)
吉祥寺工場が竣工
従業員約1万名を削減★★
東京証券取引所に株式上場
横河時介The Foxboro Companyと技術援助契約を締結★★
横河時介Yokokawa Electric Works, Inc.を設立
1963〜1992年横河ヒューレットパッカードの設立とCENTUM、北辰電機との合併と横河電機への改称山崎巌横河ヒューレットパッカードを設立★★
松井憲紀保守サービスの子会社3社を設立
横河正三販売低迷・人員削減は回避
横河正三Yokogawa Electric Singapore Pte. Ltd.を設立
横河正三甲府工場を新設
横河正三総合制御システムCENTUMを公表
横河正三GEと合弁で横河メディカルシステムを設立★★
横河正三Electrofactを買収
横河正三北辰電機と合併★★
横河正三横河電機に商号変更
横河正三生産拠点統合計画を完了
山中卓統合生産制御システム(CENTUM CS)を発表
1993〜2008年美川英二の「解雇なきリストラ」とHP合弁の解消、国内15工場の閉鎖と中国統括会社美川英二人員整理に頼らずに進めた収益構造の立て直しと、雇用を守る経営路線の選択

1990年代、設備投資不況で業績が悪化した横河電機が、雇用は守るという温情主義の公約を掲げたまま、出向専門の第2人事部・間接部門の分社化・『新幹線発想』による30%コスト削減で構造改革を進めた経営判断。1993年に就任した美川英二社長が、解雇に頼らずに人員を動かすリストラを陣頭指揮した。

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★★★
美川英二小峰工場を新設
美川英二横河エムアンドシーを設立
内田勲36年続いた合弁の清算と、持分売却による単独経営への移行

1999年、横河電機が米ヒューレット・パッカード(HP)との36年に及ぶ合弁を解消し、日本ヒューレット・パッカード株の保有分25%すべてを約600億円でHPへ売却した経営判断。日本HPは米HPの全額出資会社となり、横河は電子計測器という収益源を事実上失う一方、制御システムへの集中に向けた投資財源を得た。

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★★★
内田勲国内生産子会社5社を統合
内田勲安藤電気の株式33%を取得
内田勲国内グループ15工場を閉鎖★★
内田勲中国地域統括会社「横河電機(蘇州)有限公司」の本社・工場が竣工、生産開始
2009〜2026年最終赤字と計測器事業の分離、希望退職とKBC買収、AG2023からGS2028へ海堀周造最終赤字に転落
海堀周造計測器事業を子会社の横河計測に移管
西島剛志横河ソリューションサービスを発足
西島剛志希望退職者を募集★★
西島剛志YOKOKAWAコーポレートガバナンス・ガイドラインを制定
西島剛志KBC Advancedを買収★★
奈良寿中期経営計画AG2023を策定
奈良寿監査役会の廃止と独立社外取締役8名への増員、業務執行の決定の執行役への委譲

2024年6月18日開催の第148回定時株主総会における定款一部変更の承認をもって、監査役会設置会社から指名委員会等設置会社へ移った。経営の監督と業務執行を明確に分離することで、取締役会の監督機能の強化と執行役の権限・責任の明確化を図り、業務執行および意思決定の品質の向上とスピードアップを実現することを目的とする。 移行前の取締役会は独立社外取締役5名を含む8名で、監査は常勤監査役2名と独立社外監査役3名の計5名からなる監査役会が担っていた。移行後は取締役11名のうち独立社外取締役が8名を占め、監査役会は監査委員会に置き換わった。

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奈良寿中期経営計画GS2028を策定
出典・参考 4件
出典・参考
  • 横河電機 有価証券報告書 第149期(2025年3月期)【沿革】
  • 横河電機100年史(横河電機, 2015)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「横河電機製作所」(経済春秋社, 1968年)

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