1915年に建築家の横河民輔氏が東京・渋谷で興した電気計器研究所が起源。
1917年に電流計・電圧計・電力計を国産化し、1975年発表の総合制御システムCENTUMでプラント制御の収益源を築いた。売上の大半を制御事業が占め、中東・アフリカなど海外の石油・ガス設備へ制御システムを納める。
横河電機が戦後に工業計器で地歩を築けたのは、国産化を掲げつつ、不足する技術を外から取り入れる判断をためらわなかったからである。1917年に精密電気計器を国産化し、官庁から輸入品に劣らない評価を得た[2]。戦後は1955年に米フォックスボロ社、米ベンディックス社と相次いで技術提携を締結した[3][4]。輸入品と競って蓄えた技術が、導入した技術を自社の製品へ取り込む素地になった。外の技術で領域を広げる手法は、のちの米国企業との合弁で規模を増して用いられる。
1963年からの30年で横河電機は、計器を売る会社から、プラントの制御を引き受ける会社へ主力の事業を移した。1975年6月に総合制御システムCENTUMを公表し、1983年4月には北辰電機と合併した[5]。計器の販売が納入で完結するのに対し、制御システムは導入後の保守と更新まで取引が続く。1970年に保守サービスの子会社を設けていたことも、この転換と符合する[5]。制御の事業を厚くした蓄積が、1990年代の不況下で事業を絞り込む際の拠り所になった。
美川英二氏の改革の要点は、雇用の継続を前提に、原価と事業を組み替えた点にある。1993年に社長に就任した美川英二氏は、「解雇なきリストラ」をみずから指揮した[7]。解雇によらない構造改革は出向と分社化で人を減らさずに原価を下げた。米HPとの合弁解消で得た資金を制御システムへ振り向けたのも、収益を立て直す財源づくりだった。国内の雇用を守った分、成長は海外に求めるほかなく、2003年10月に蘇州の中国地域統括会社が生産を始めた[5]。
2009年以降の横河電機は、創業以来の計測器を本体から切り離し、制御の事業へ経営資源を集中させた。2010年4月に計測器事業を子会社の横河計測へ移管し、2016年4月にはKBC Advancedを買収した[5]。祖業を子会社へ移した判断は、創業の経緯より制御の顧客への価値を優先した選択である。資本の配分を変えた会社は、経営を監督する仕組みにも手を入れた。2024年の指名委員会等設置会社への移行は、事業の再編に続いて統治を改めた一手だった[5]。
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