ミュージシャンを中心とした芸能界と関係があった糸井重里は、個人事務所として「有限会社東京糸井重里事務所」を設立し、コピーライターを商売に据えた。
当時は、あくまでも糸井氏の個人事務所であり、物販を主体とする事業会社ではなかった。
ミュージシャンを中心とした芸能界と関係があった糸井重里は、個人事務所として「有限会社東京糸井重里事務所」を設立し、コピーライターを商売に据えた。
当時は、あくまでも糸井氏の個人事務所であり、物販を主体とする事業会社ではなかった。
1980年前後に、日本国内では大企業の広告宣伝費が大幅に増加し、TVCMやチラシ広告などで、いかにして顧客の興味を惹くかが重要になりつつあった。このため、コピーライターという職業が脚光を浴びた。
この時流に乗って、糸井重里は、西武百貨店における「不思議、大好き。」や「おいしい生活」を手がけて成功に導いたことによって、コピーライターの第一人者として認知されるようになった。
1998年当時、windows98が発売されてインターネットエクスプローラー(通称IE)が標準装備されたことから、PCを通じてブラウザ(IE)を起動してインターネットにアクセスできるようになった。
このため、個人や法人がホームページを作成するのが局所的なブームとなり、糸井氏もホームページの立ち上げを決めた。ただ、当時はHTMLやサーバーの情報は流通しておらず、技術面のハードル高かった。
そこで、糸井氏は、かねてより交流のあった任天堂の岩田聡氏(のちの任天堂社長)にホームページの作成を相談した。岩田氏は、LANケーブルの敷設や、PC(Mac)の導入など、技術面を整備することで、糸井氏はホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」を自社制作した。このため、任天堂の岩田聡氏は、ほぼ日の「電脳部長」を自称しており、ほぼ日と任天堂の良好な関係が続くきっかけにもなった。
当時は、ブログが普及しておらず、毎日更新されるコンテンツには相応の技術力が必要であったことらから、一般の人々にとっては「毎日更新して情報発信する」という類似サイトの立ち上げが容易ではなかった。このため、「ほぼ日刊イトイ新聞」によって面白いコンテンツが毎日発信されることによって、他にめぼしいコンテンツが少なかったこともあり、膨大なトラフィク(固定ユーザー)を集めることに成功した。
なお、日本で毎日更新のホームページが一般化するのは、動的サイトである「ブログ」が登場してからであり、日本では2005年以降に普及した。このことを考えると「ほぼ日刊イトイ新聞」は、毎日更新系のwebサイトにおいては、数年にわたって独走状態であったと言える。
このため、「ほぼ日刊イトイ新聞」の立ち上げに関して、のちに任天堂の岩田氏は「神がかり的なタイミング」だったと回想している。
1990年代後半に日本国内ではEC(インターネット通販)がブームとなり、楽天やアマゾンなどがインターネット企業として認知され、人々がインターネットで物を買うことに対して徐々に抵抗感が薄れつつあった。
そこで、ほぼ日でもECサイトの運営を開始。さまざまな商品を取り扱う中で、読者アンケートの結果「手帳」を企画販売することを決定した。
すでに「ほぼ日刊イトイ新聞」で膨大なトラフィックを確保しており、手帳も順調に販売を伸ばした。加えて、手帳は毎年買い換えるという特色があったため、一過性のブームに左右されないという事業上のメリットがあり、ほぼ日は「手帳のインターネット通販」を軸に企業として成長を遂げるきっかけとなった。
手帳による事業の拡大を受けて、株式会社に組織変更した
小売業である西武系のロフトとの取引を開始。「ほぼ日手帳」について、従来のインターネット通販に加え、リアル店舗における販売を増加させた。
2021年の現在もほぼ日の大口取引先の一つがロフトであり、全社売上高の10%以上を同社に依存している。
糸井重里は「ほぼ日」の社内の組織体制や、在庫管理、各種システムを整備して、会社としての体制を強化するために、元マッキンゼー出身の篠田真貴子氏を直々にスカウトした。
以後、上場会社としての体裁を整えるために、組織改革、データ分析、定量的な事業開発、システム改革(ERP導入)などを実施している。
特にデータ分析(アクセス解析)について、従来は、ほとんどが社員の主観によって行われており、これを定量的に落とし込むことで精度を向上させていったという。
上場企業を目指すために、社名を「東京糸井重里事務所」から「ほぼ日」に変更し、ブランド名と社名を一致させた。
ジャスダックに株式を上場した。コピーライター出身の創業者が、手帳を主力とする事業会社を上場してという点で、経済界でも大きな話題になった。
なお、上場のための準備を主導した篠田氏(CFO)は、上場後の経営が軌道に乗ったのを見届ける形で、2018年にCFOを退任して、同社から退職した。
ほぼ日手帳に次ぐ事業を育てるため、株式上場以降は新規事業の開発を重視した。
2020年からは「ほぼ日学校」への投資を本格化している。
ほぼ日はインターネットの黎明期に基盤システムが内製化によって構築され、2005年までに決済部分など、重要なシステムの基盤が完成した。以後は、システム部門は離職者ない状況で属人的に運用されていたという。
しかし、Perlなどの言語で書かれたシステムの老朽化を避けることはできず、システム開発者の1人が「10年」を区切りに退職したことから、ほぼ日では属人化を避けたシステム基盤の更新を決定した。
2021年には、PythonやNode.jsによってリプレイスする方針を計画しており、バックエンドのエンジニアを募集していた。
この時点の情報によれば、ほぼ日のエンジニアの構成は、社員3名・業務委託1名・運用2名であり、リプレイスに当たってはエンジニアの頭数が十分に確保できていなかったと推察される。
なお、実際のリプレイスは難航すると推察される。Perlを考古学する必要があり、さらにオブジェクト指向による実装がなされていないとしたら(2000年代前半はオブジェクト指向は普及途上にあった)、複雑な業務ドメインを全て把握した上でのリプレイスになるため、非常に困難な作業になると予想される。