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  "stock_code": "yamanouchi-seiyaku",
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    {
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      "year": 1985,
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      "title": "自社創製のH2ブロッカー「ガスター」の発売と、米メルク社への技術輸出",
      "subtitle": "導入した特許で稼ぐか、自社で創った化合物を格上へ渡すか——「世界150位」と書かれた中堅企業の選択",
      "status": "implemented",
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      "issue": "新薬開発と技術の出入り",
      "decider": "森岡茂夫（社長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1985年、山之内製薬が自社で創製したH2ブロッカーの消化性潰瘍薬ガスターを発売し、あわせて米メルク社へ技術輸出した経営判断。森岡茂夫社長のもとで、導入した特許で稼ぐ会社から、自社の化合物を海外へ渡す会社へ立場を移した。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "戦後の山之内製薬は米ロシュ社・西独ベーリンガー社から導入した薬で伸び、三共とは特許を争ってもいた。1980年代、H2ブロッカーの登場で消化性潰瘍の治療の主役が手術から薬へ移り、この市場を素通りできなくなった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "先行品タガメットの特許を読むところから開発を始め、効果に対する副作用の割合が低い第二世代として1985年に発売。自前の欧米販売網を持たないまま、万有製薬を買収して日本にも進出していた米メルク社へ導出した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "「世界150位」と書かれた中堅企業が、格上の多国籍企業へ薬を渡す側に回った。ガスターは1996年3月期に主要5品目で年商1600億円を支える柱となる一方、1999年にはPPI剤へ主軸が移り、頂点にいた期間は14年で区切られた。"
        }
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      "parties": [
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          "name": "山之内製薬",
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            "note": "医療用医薬品を主力とする中堅製薬会社。戦後は米ロシュ社・西独ベーリンガー社から導入した薬で伸びた"
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        {
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            "note": "かつての競合である万有製薬を買収して日本市場にも進出していた多国籍企業。日経ビジネスは山之内製薬を資本力・技術力・実績のいずれでも格下と書いた"
          }
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      "dates": {
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        "summary": "H2受容体を塞ぐという新しい機序の登場に対し、導入ではなく自社創製で応じ、売る側の力は米メルク社への導出で補った"
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          "title": "米ロシュ社と技術提携し、スルファ剤サイアジンを発売"
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          "title": "西独ベーリンガー社と提携し抗生物質パラキシンを発売（三共のクロロマイセチンと特許係争）"
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        {
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          "title": "自社創製のH2ブロッカー「ガスター」を発売し、米メルク社へ導出",
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          "title": "森岡茂夫社長がガスターを「これほど育つとは思わなかった」と述懐"
        },
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          "title": "一人当たり経常利益1530万円で大手8社の首位、主要5品目で年商1600億円"
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          "month": 8,
          "title": "消化性潰瘍薬の主軸がH2ブロッカーからPPI剤へ移る"
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        "source": "山之内製薬 有価証券報告書（単体）",
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            "stock_code": "yamanouchi-seiyaku",
            "name": "山之内製薬",
            "fiscal_year": "1986年3月期（単体）",
            "president": "森岡茂夫",
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              "sub_title": "導入した特許で伸びた会社",
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                {
                  "text": "戦後の山之内製薬が伸びた道筋は、当時の日本の製薬業に共通するものであった。会社銀行八十年史は「薬種問屋的形態から発達したわが国製薬業は、海外からの新薬輸入販売、技術特許を買つての国産化という経路をとつている」と書いている。山之内製薬も1950年に米ロシュ社と提携してスルファ剤サイアジンを、1954年8月には西独ベーリンガー社と提携して抗生物質パラキシンを発売した。化合物は提携先が持ち、国産化と販売を日本側が担う分業である。",
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                    {
                      "fact": "戦後日本の製薬業は海外からの新薬輸入販売と技術特許を買っての国産化という経路をとっていた",
                      "原文": "薬種問屋的形態から発達したわが国製薬業は、海外からの新薬輸入販売、技術特許を買つての国産化という経路をとつているので、各種の特許係争が起りがちである。",
                      "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史 24 医薬品 概説",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3043712"
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                    {
                      "fact": "山之内製薬は1950年に米ロシュ社、1954年8月に西独ベーリンガー社と技術提携して新薬を発売した",
                      "原文": "まず二十五年米国ロシュ社と技術提携をなし、最新スルファ剤サイアジンを発売するに至り、治療医薬に貴重な貢献をなした。さらに二十九年八月には、西独ベーリンガー社と技術提携して、抗生物質クロラムフェニコール(商品名パラキシン)を発売するに至り、三十年三月その工場を蓮根工場内に建設した。",
                      "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史 24 医薬品「山之内製薬」",
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                },
                {
                  "text": "この経路は係争も呼んだ。パラキシンは、米パークデヴィス社と提携する三共のクロロマイセチンと同じ抗生物質であり、両社は特許をめぐって争った。八十年史は「各種の特許係争が起りがちである」と、この構図を業界全体の性格として記している。導入する側にいる限り、何を売るかも、どこで売るかも、化合物を持ってくる相手との契約が決める。1955年6月期の総売上高は8億5600万円で、規模の面でも先発の大手には遠かった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "三共が米パークデヴィス社と提携するクロロマイセチンに対し、山之内・藤沢はベーリンガー社と提携のパラキシンで特許係争となった",
                      "原文": "三共が米国パークデヴィス社と提携しているクロロマイセチンに対する山之内、藤沢の西独ベーリンガー社と提携のパラキシンがある。",
                      "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史 24 医薬品 概説",
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                    {
                      "fact": "1955年6月期の総売上高は8億5600万円だった",
                      "原文": "なお三十年六月期の総売上高は八億五千六百万円を示した。資本金は、三十年五月に二億円となつた。",
                      "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史 24 医薬品「山之内製薬」",
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            {
              "sub_title": "H2ブロッカーという新しい機序",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1980年代、消化性潰瘍の治療の主役は手術から薬へ移った。それまでの薬は「分泌された胃酸を中和する」ものであった。これに対し英スミスクライン社のタガメットは「H2受容体と呼ばれる胃壁の胃酸分泌部分にフタをしてしまう仕組み」で、酸そのものを出させない。効かせる相手が、分泌されたあとの酸から、酸を出す胃壁の側へ移ったことになる。",
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                    {
                      "fact": "従来の消化性潰瘍薬は胃酸を中和するもので、タガメットはH2受容体を塞いで胃酸分泌そのものを抑えた",
                      "原文": "「分泌された胃酸を中和する」／「H2受容体と呼ばれる胃壁の胃酸分泌部分にフタをしてしまう仕組み」",
                      "source": "日経ビジネス 1985年12月19日号「特集・医薬品市場」",
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                },
                {
                  "text": "医療現場の受け止め方は、新薬の常識を超えていた。日経ビジネスは「世界中の医者の熱狂的な反響はもはや伝説的」と書き、「それまでのどんな治療方法よりも治癒率が高いため、薬を飲むだけで治ってしまい、消化器外科医が失業するという話すらあった」と伝えている。胃を切らずに治る薬が世界の医療機関に行き渡る以上、日本の製薬各社にとってこの分野は、導入するにせよ自ら創るにせよ、素通りできない市場となった。",
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                    {
                      "fact": "先行品タガメットは世界の医師から伝説的と評される反響を受け、消化器外科医が失業するという話まで出た",
                      "原文": "「世界中の医者の熱狂的な反響はもはや伝説的」「それまでのどんな治療方法よりも治癒率が高いため、薬を飲むだけで治ってしまい、消化器外科医が失業するという話すらあった」",
                      "source": "日経ビジネス 1985年12月19日号「特集・医薬品市場」",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
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              "sub_title": "先行品の特許から出発した自社創製",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "山之内製薬のガスターは、先行品の特許を読むところから始まった仕事であった。日経ビジネスは「タガメットの特許を見てから」と書き、「モノマネ商品」という同時代の評も併せて載せている。後発であることを、同社も市場も隠していない。ただし、出来上がった薬には先行品と違う点があった。「効果に対する副作用の割合が低い」ことであり、この第二世代のH2ブロッカーを、山之内製薬は1985年に発売した。",
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                    {
                      "fact": "ガスターは先行品タガメットの特許を見てから開発され「モノマネ商品」と評されたが、効果に対する副作用の割合は低かった",
                      "原文": "「タガメットの特許を見てから」／「モノマネ商品」／「効果に対する副作用の割合が低い」",
                      "source": "日経ビジネス 1985年12月19日号「特集・医薬品市場」",
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                {
                  "text": "導入品との最大の違いは、権利の所在にあった。ロシュ社やベーリンガー社から導入した薬で稼ぐ限り、利益の一部は特許料として提携先へ渡り、売れる地域も契約が決める。自社で創った化合物であれば、その制約は消える。三共とパラキシンの特許を争ってから30年、山之内製薬は、化合物を持ってくる相手に条件を決められる立場から外れた。後発の第二世代という位置づけは変わらないが、権利の側では初めて自社の名で立っていた。",
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                      "fact": "1954年に西独ベーリンガー社から導入したパラキシンでは三共と特許係争になり、その約30年後にガスターを自社創製した",
                      "原文": "三共が米国パークデヴィス社と提携しているクロロマイセチンに対する山之内、藤沢の西独ベーリンガー社と提携のパラキシンがある。",
                      "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史 24 医薬品 概説",
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              "sub_title": "米メルク社への導出",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1985年、山之内製薬はガスターを米メルク社へ導出した。メルクは「かつて山之内のライバルであった万有製薬を買収し、日本市場にも進出しているこの巨大企業」であり、日経ビジネスは山之内製薬を「資本力、技術力、過去の実績など何をとっても格下とみられる」側と書いている。誌面はこの取引を「\"世界150位\"の中堅企業、山之内が技術輸出をおこなったわけだ」とまとめた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "山之内製薬は万有製薬を買収して日本にも進出していた米メルク社へガスターを技術輸出した",
                      "原文": "かつて山之内のライバルであった万有製薬を買収し、日本市場にも進出しているこの巨大企業多国籍企業に、資本力、技術力、過去の実績など何をとっても格下とみられる。\"世界150位\"の中堅企業、山之内が技術輸出をおこなったわけだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年12月19日号「特集・医薬品市場」",
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                {
                  "text": "導出は、格の差を認めたうえでの選択であった。相手の販売網に乗せれば、発売の時期も普及の速さも相手の力に委ねることになる。それでも、世界有数の製薬会社が自社の化合物を買うという事実そのものが、薬の値打ちを外から証明した。森岡茂夫社長はガスターを「世界に通用する一流の商品」と語っている。導入する側から導出する側へ、山之内製薬の立場はここで入れ替わった。",
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                      "fact": "森岡茂夫社長はガスターを「世界に通用する一流の商品」と評した",
                      "原文": "ガスターは、まさに「世界に通用する一流の商品」（森岡社長）であるようにみえる",
                      "source": "日経ビジネス 1985年12月19日号「特集・医薬品市場」",
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          "section": "outcome",
          "label": "結果",
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            {
              "sub_title": "予想を超えた育ち方",
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                {
                  "text": "ガスターは、経営者の見立てを超えて伸びた。発売から7年後の1992年3月、森岡茂夫社長は「いい薬だという自負はあったが、これほど育つとは思わなかった」と述べ、結果は「神のみぞ知る」と続けている。同じ紙面で語ったのは、次の目標であった。「国内だけでなく、海外でも、新薬を切れ目なく発売できるようにしたい」。一品の当たりを、続けて出す体制の話へ移している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "森岡茂夫社長はガスターについて「これほど育つとは思わなかった」と述べ、海外でも新薬を切れ目なく出したいと語った",
                      "原文": "いい薬だという自負はあったが、これほど育つとは思わなかった。まさに結果は『神のみぞ知る』ですな／国内だけでなく、海外でも、新薬を切れ目なく発売できるようにしたい",
                      "source": "日経産業新聞 1992年3月3日「医薬・バイオこれに賭ける」",
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                {
                  "text": "収益の効率にも表れた。1996年3月期の一人当たり経常利益は1530万円で、三共の1272万円、第一製薬の1107万円を上回り、大手8社の首位に立っている。藤沢薬品は412万円、田辺製薬は210万円で、山之内製薬の7分の1以下にとどまった。週刊東洋経済は同社を「胃炎・潰瘍剤ガスターを中心に主要五品目で年商一六〇〇億円を計上」と書いている。規模ではなく効率で頂点にいた会社であった。",
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                    {
                      "fact": "1996年3月期の一人当たり経常利益は山之内製薬1530万円で大手8社首位、藤沢薬品412万円・田辺製薬210万円を大きく上回った",
                      "原文": "一人当たり経常利益をみるとさらに顕著で、山之内製薬、三共、第一製薬がそれぞれ一五三〇万円、一二七二万円、一一〇七万円を誇るのに対し、エーザイ以下は一ケタ違う。下位の藤沢薬品、塩野義製薬は四一二万円、三二九万円。田辺製薬に至っては山之内製薬の七分の一以下の二一〇万円しかない。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界 業界に合併ムードは漂うが」",
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                      "原文": "山之内製薬も発売年次こそ古いが、アイルランドでも生産する胃炎・潰瘍剤ガスターを中心に主要五品目で年商一六〇〇億円を計上。開発新薬のストックもたくさんある。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界 業界に合併ムードは漂うが」",
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              "sub_title": "頂点の期間を区切ったPPI剤",
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                  "text": "この地位は、薬の世代交代とともに動いた。1999年8月の週刊東洋経済は「これまで、国内の消化性潰瘍薬市場は、山之内製薬『ガスター』を頂点とする『Ｈ２ブロッカー』剤が主流だった。が、欧米ではピロリ除菌需要もあり、効き目が強いＰＰＩ剤に主軸が移っている」と伝えた。胃潰瘍の原因がヘリコバクター・ピロリ菌にあると分かり、抗生物質で菌を除く治療が広まれば、酸を抑え続ける薬の位置は下がる。",
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                      "fact": "ガスターを頂点とするH2ブロッカーから、ピロリ除菌需要もあってPPI剤へ主軸が移った",
                      "原文": "これまで、国内の消化性潰瘍薬市場は、山之内製薬「ガスター」を頂点とする「Ｈ２ブロッカー」剤が主流だった。が、欧米ではピロリ除菌需要もあり、効き目が強いＰＰＩ剤に主軸が移っている。日本でも地殻変動が起きそうだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年8月14日号「細菌胃潰瘍よサヨウナラ！？「ピロリ」除菌法上陸で3000億円市場激震」",
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                {
                  "text": "消化性潰瘍薬は「国内では抗ガン剤さえ上回る三〇〇〇億円市場」であり、ガスターはその頂点を発売から14年占めたことになる。タガメットの特許から出発した薬が、今度は次の機序に追い越される側へ回った。1985年に自社で創った薬を世に出した判断の値打ちは、ガスター一品の寿命ではなく、次の化合物を自前で出せる会社になったかどうかで測られることになる。",
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                      "原文": "何しろ、胃潰瘍などの消化性潰瘍薬は、国内では抗ガン剤さえ上回る三〇〇〇億円市場。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年8月14日号「細菌胃潰瘍よサヨウナラ！？「ピロリ」除菌法上陸で3000億円市場激震」",
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                  "text": "1954年に西独ベーリンガー社から導入したパラキシンは、三共が米パークデヴィス社から導入したクロロマイセチンと特許を争った。争っていた二社のどちらも、化合物そのものは海外の提携先から受け取っている。その30年後、山之内製薬は自社で創った化合物を米メルク社へ渡す側に回った。「資本力、技術力、過去の実績など何をとっても格下」と書かれた相手に、売る権利を与えたことになる。導入で伸びた会社が、導入という型そのものを裏返した一件とみることができる。"
                },
                {
                  "text": "ただ、ガスターは先行品の特許を読んでから作られた第二世代であり、当時から「モノマネ商品」の評がついていた。独創の一撃で世界に出たわけではない。頂点にいられた期間も、PPI剤へ主軸が移るまでの14年に区切られる。森岡茂夫社長自身、7年後に「これほど育つとは思わなかった」と語っており、育ち方を読み切って導出したわけでもなかった。それでも、次に要るものは「新薬を切れ目なく発売できる」体制だと同じ場で述べた点に、一度の当たりを続く仕組みへ変えようとする意識がうかがえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1985年12月19日号「特集・医薬品市場」",
        "日経産業新聞 1992年3月3日「医薬・バイオこれに賭ける」",
        "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史 24 医薬品「山之内製薬」／同 概説",
        "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界 業界に合併ムードは漂うが」",
        "週刊東洋経済 1999年8月14日号「細菌胃潰瘍よサヨウナラ！？「ピロリ」除菌法上陸で3000億円市場激震」"
      ],
      "authored": "2026-07",
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      "title": "筑波研究センターの開設と、バイオテクノロジーを用いた医薬品への投資",
      "subtitle": "導入した特許で国産化を続けるか、自社創製に資金を積むか——研究以外に残るものが無い会社は、どこまで研究に賭けられたか",
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          "text": "1989年3月、山之内製薬は茨城県つくば市に筑波研究センターを完成させ、研究の拠点を新たに構えた。有価証券報告書の沿革に建設が記された施設として、工場以外では唯一のものにあたる。"
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          "text": "日本の製薬業は海外からの新薬輸入販売と技術特許を買っての国産化という経路をとってきた。山之内製薬も米ロシュ社・西独ベーリンガー社との提携で伸びた会社であり、1985年のガスターで初めて自社創製の薬を海外へ渡す側に回っていた。"
        },
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          "text": "売上の99%を医療用医薬品が占め、新薬の承認時期で業績が振れる収益構造のもと、研究の拠点に資金を向けた。バイオテクノロジーを用いた医薬品の開発もこの時期の主題の一つで、1992年には野口照久副社長が誌面でその成果を語っている。"
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                  "text": "「薬種問屋的形態から発達したわが国製薬業は、海外からの新薬輸入販売、技術特許を買つての国産化という経路をとつている」。1955年の『会社銀行八十年史』は、日本の製薬業をこう説明している。山之内製薬もその経路を歩んだ一社であり、1950年に米ロシュ社と提携してスルファ剤サイアジンを、1954年には西独ベーリンガー社と提携して抗生物質パラキシンを発売した。パラキシンは、米パークデヴィス社と組んだ三共のクロロマイセチンとの間で特許係争を招いている。",
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                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界 業界に合併ムードは漂うが」",
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                  "text": "1989年3月、山之内製薬は茨城県つくば市に筑波研究センターを完成させた。有価証券報告書の沿革が建設として挙げるのは、1968年の焼津工場、1974年の高萩工場、1987年の西根工場と、この筑波研究センターだけである。製剤と合成の工場が並ぶその列に研究の施設が加わったのは、82年の社歴で筑波が初めてであった。会社の記録の側でも、工場と同じ重さの建設として扱われている。",
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                      "原文": "1968年11月 焼津工場(製剤工場) 完成。／1974年11月 高萩工場(合成工場) 完成。／1987年５月 西根工場(製剤工場) 完成。／1989年３月 筑波研究センター完成。",
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                },
                {
                  "text": "なぜこの時期に研究の拠点へ資金を回したのか。森岡茂夫氏は、会長となった1993年にこう語っている。「\"ジリ貧\"の悪循環を断つには独創技術の開発しかない。本当の独自技術の勝負を問われる時代はすぐそこに迫っている。わが国の企業にとって残された時間は刻々と減っていく。リスクは大きい。しかし、1990年代に来る医薬品の黄金時代に企業繁栄を約束するには、今、どうしても独創的な研究開発へ翔ばざる得ないのだ」。導入か創製かを比べたうえでの選択ではなく、創製のほかに道が無いという認識であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "森岡茂夫は「ジリ貧の悪循環を断つには独創技術の開発しかない」と述べ、リスクを認めたうえで独創的な研究開発への傾斜を語った",
                      "原文": "”ジリ貧”の悪循環を断つには独創技術の開発しかない。本当の独自技術の勝負を問われる時代はすぐそこに迫っている。わが国の企業にとって残された時間は刻々と減っていく。リスクは大きい。しかし、1990年代に来る医薬品の黄金時代に企業繁栄を約束するには、今、どうしても独創的な研究開発へ翔ばざる得ないのだ",
                      "source": "日経ビジネス 1993年8月2日号「編集長インタビュー 森岡茂夫［山之内製薬会長］倫理性を人事評価の対象に」",
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            {
              "sub_title": "バイオテクノロジーと、業績の振れを抑える手",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "バイオテクノロジーを用いた医薬品の開発は、この時期の山之内製薬が抱えた主題の一つであった。1992年8月、副社長の野口照久氏が「バイオ型医薬開発結実へ」と題して日経ビジネスの誌面に登場している。研究の担当役員が、成果を語る立場で経済誌に出るところまで来ていた。もっとも、物質の発見から新薬の発売までには10年以上かかる。1989年に構えた拠点が答えを出すのは、早くても1990年代の終わりであった。",
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                    {
                      "fact": "1992年8月、山之内製薬の野口照久副社長がバイオ型医薬の開発について日経ビジネスの誌面に登場した",
                      "原文": "野口照久［山之内製薬副社長］バイオ型医薬開発結実へ",
                      "source": "日経ビジネス 1992年8月31日号「野口照久［山之内製薬副社長］バイオ型医薬開発結実へ」",
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                      "fact": "医薬品業界では物質発見から新薬発売まで10年以上かかる",
                      "原文": "物質発見から新薬発売まで一〇年以上かかる製薬業界で、はやさを強調する経営者が出てきた。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年6月10日号「トップの履歴書 山之内製薬社長 竹中登一「はやい」がキーワード、行動的な研究者」",
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                },
                {
                  "text": "答えが出るまでの十年をどう持ちこたえるかという課題も、同時に残っていた。筑波研究センターの完成から一カ月後の1989年4月、山之内製薬は米シャクリーを傘下に収めて栄養補助食品事業へ入る。「栄養補助食品のように一年を通じて平均して売れる商品を持つことで業績を安定させるのが永年の課題だった」と日経産業新聞は伝えている。十年先を見た投資と、来期の変動を抑える手が、同じ春に並んで打たれた。",
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                    {
                      "fact": "1989年4月、山之内製薬は米シャクリーを傘下に収め、業績を安定させるため栄養補助食品事業に参入した",
                      "原文": "栄養補助食品のように一年を通じて平均して売れる商品を持つことで業績を安定させるのが永年の課題だった",
                      "source": "日経産業新聞 1989年4月14日",
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              "sub_title": "1990年代の収益と、残った規模の差",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1992年3月期の連結売上高は3575億円、経常利益は676億円であった。1996年3月期には従業員一人当たり売上高7462万円、一人当たり経常利益1530万円をあげ、いずれも大手8社の首位に立っている。最下位の田辺製薬の一人当たり経常利益210万円は、山之内製薬の7分の1に届かない。ガスターを中心とする主要5品目で年商1600億円を計上し、開発新薬のストックも厚いと評された。",
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                    {
                      "fact": "山之内製薬の1992年3月期の連結売上高は3575億円、経常利益は676億円",
                      "原文": "1992年3月期の連結売上高3575億円、経常利益676億円、当期純利益328億円。",
                      "source": "山之内製薬 会社年鑑（連結業績）",
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                    {
                      "fact": "1996年3月期の一人当たり売上高7462万円・一人当たり経常利益1530万円で大手8社の首位に立ち、主要5品目で年商1600億円を計上した",
                      "原文": "一人当たり売上高では、トップの山之内製薬の七四六二万円（９６年３月期実績、以下同じ）は、最下位の田辺製薬の三八九七万円と比べるとほぼ倍もある。一人当たり経常利益をみるとさらに顕著で、山之内製薬、三共、第一製薬がそれぞれ一五三〇万円、一二七二万円、一一〇七万円を誇るのに対し、エーザイ以下は一ケタ違う。（中略）山之内製薬も発売年次こそ古いが、アイルランドでも生産する胃炎・潰瘍剤ガスターを中心に主要五品目で年商一六〇〇億円を計上。開発新薬のストックもたくさんある。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界 業界に合併ムードは漂うが」",
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                  "text": "それでも、世界の競合との規模の差は縮まらなかった。チバガイギー社とサンド社の合併で生まれたノバルティスファーマ社の研究開発費2000億円に対し、国内首位の武田薬品は629億円、三共は495億円にとどまる。一人当たりの効率で国内の頂点に立ったところで、開発に投じる絶対額では、武田薬品ですら3倍を超える差をつけられていた。研究に資金を積むという1989年の選択は、この差を埋めるには足りなかった。",
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                      "原文": "世界の製薬会社をみれば会社規模はケタ違いに大きい。チバガイギー社とサンド社が合併したノバルティスファーマ社が研究開発費二〇〇〇億円を誇るのに対し、武田薬品は六二九億円、三共が四九五億円と遠く及ばない。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界 業界に合併ムードは漂うが」",
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              "paragraphs": [
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                  "text": "筑波研究センターが完成した1989年に開発部長の職にあったのが、竹中登一氏であった。1964年に岐阜大学農学部を出て入社し、中央研究所の研究員から主任研究員、開発部第一室長を経て開発部長に就き、1990年に中央研究所副所長、1993年に取締役創薬研究本部長、1997年に研究開発担当の常務を務めた。共同論文を含めて論文は100本を超え、医学博士の学位と筑波大学基礎医学系客員教授の肩書きを持つ研究者であった。",
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                      "fact": "竹中登一は1964年に入社して中央研究所研究員から開発部長・中央研究所副所長・創薬研究本部長を歴任し、2000年4月に社長へ就いた",
                      "原文": "６４年３月岐阜大学農学部獣医学科卒業／４月山之内製薬入社、中央研究所研究員／７７年 中央研究所主任研究員／８６年 開発部第一室長／８９年 開発部長／９０年 中央研究所副所長／９３年 取締役創薬研究本部長／９７年 常務取締役研究開発担当／９９年 専務取締役経営企画・国際事業担当／２０００年４月 社長就任",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年6月10日号「トップの履歴書 山之内製薬社長 竹中登一「はやい」がキーワード、行動的な研究者」",
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                {
                  "text": "2000年4月に社長へ就いたとき、業績は好調であった。前期の単独は最高益、連結も最高益に近づき、同年5月には高コレステロール治療薬を発売している。武田薬品と三共に業績で差をつけられている現状から、五年以内に先頭グループへ入ることを目標に掲げた。竹中氏は「研究者でも常に複数のアプローチや課題を持つこと。一つがダメになっても他の攻め方、やり方があるはず」と語っている。研究に積んだ資金が返したのは、薬だけではなかった。",
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                      "原文": "業績は好調だ。前期は単独は最高益、連結も最高益に近づいてきた。今期もわずかながら更新を狙う。今年５月、期待の新薬、高コレステロール治療薬を発売した。（中略）今は国内最大手の武田薬品、三共とは業績に差があるが、五年以内に先頭グループに仲間入りするのが目標だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年6月10日号「トップの履歴書 山之内製薬社長 竹中登一「はやい」がキーワード、行動的な研究者」",
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                {
                  "text": "「\"ジリ貧\"の悪循環を断つには独創技術の開発しかない」という森岡茂夫氏の言葉は、複数の道を比べて選んだ結果ではなく、道が一つしか無いという認識を示している。売上の99%を医療用医薬品が占め、新薬の承認時期がそのまま業績の振れになる会社にとって、研究への支出を絞ることは事業そのものを細らせることを意味した。筑波研究センターは、ガスターという一度きりの成功を続けられる形に変えるための拠点だったとみられる。"
                },
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                }
              ]
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          ]
        }
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      "references": [
        "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史 24_医薬品 概説",
        "アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】",
        "日経ビジネス 1985年12月19日号「特集・医薬品市場」",
        "日経ビジネス 1992年8月31日号「野口照久［山之内製薬副社長］バイオ型医薬開発結実へ」",
        "日経ビジネス 1993年8月2日号「編集長インタビュー 森岡茂夫［山之内製薬会長］倫理性を人事評価の対象に」",
        "日経産業新聞 1989年4月14日",
        "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界 業界に合併ムードは漂うが」",
        "週刊東洋経済 2000年6月10日号「トップの履歴書 山之内製薬社長 竹中登一「はやい」がキーワード、行動的な研究者」",
        "山之内製薬 会社年鑑（連結業績）"
      ],
      "authored": "2026-07",
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    {
      "slug": "europe-network-1991",
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      "year": 1991,
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          "text": "1986年4月にアイルランドへ山之内アイルランドCo., Ltd.を設立し、1991年4月に欧州の生産販売網が完成したと報じられるまで、生産から販売までを自前で築いた経営判断。国内の製薬メーカーとして初の海外生産拠点にあたる。"
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          "section": "background",
          "label": "背景",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "技術を買う側として結ばれてきた海外との関係",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "日本の製薬業は、薬種問屋から出た会社が海外の新薬を輸入して売り、特許を買って国産化するという経路をたどってきた。山之内製薬もその道筋の上にあり、1950年に米ロシュ社と提携してスルファ剤サイアジンを、1954年8月には西独ベーリンガー社と提携して抗生物質パラキシンを発売している。パラキシンは、米パークデヴィス社と組んだ三共のクロロマイセチンとの間で特許係争になった。海外との関係は、技術を買う側として、また相手の特許に縛られる側として結ばれていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "日本の製薬業は海外からの新薬輸入販売と技術特許の購入による国産化という経路をとり、特許係争が起こりがちだった",
                      "原文": "薬種問屋的形態から発達したわが国製薬業は、海外からの新薬輸入販売、技術特許を買つての国産化という経路をとつているので、各種の特許係争が起りがちである。（中略）三共が米国パークデヴィス社と提携しているクロロマイセチンに対する山之内、藤沢の西独ベーリンガー社と提携のパラキシンがある。",
                      "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「医薬品 概説」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3043712"
                    },
                    {
                      "fact": "1950年に米ロシュ社と提携してサイアジンを、1954年8月に西独ベーリンガー社と提携してパラキシンを発売した",
                      "原文": "まず二十五年米国ロシュ社と技術提携をなし、最新スルファ剤サイアジンを発売するに至り、治療医薬に貴重な貢献をなした。さらに二十九年八月には、西独ベーリンガー社と技術提携して、抗生物質クロラムフェニコール(商品名パラキシン)を発売するに至り",
                      "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「山之内製薬」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3043712"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1985年に自社で創製したH2ブロッカーのガスターを米メルク社へ技術輸出したときも、欧米で薬を売るのは相手の営業であり、山之内製薬の名は現地に残らなかった。収益の構造も一方に寄っていた。1989年の時点で、病院・開業医向けの医療用医薬品が売上の99%を占め、厚生省の認可手続きや臨床試験の進み方によって新薬の出る年と出ない年ができ、売上の振れが大きくなっていた。一品の当たり外れが会社全体の業績を左右する形であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1985年発売のガスターを米メルク社へ技術輸出し、「世界150位」の中堅企業による技術輸出と報じられた",
                      "原文": "かつて山之内のライバルであった万有製薬を買収し、日本市場にも進出しているこの巨大企業多国籍企業に、資本力、技術力、過去の実績など何をとっても格下とみられる。\"世界150位\"の中堅企業、山之内が技術輸出をおこなったわけだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年12月19日号「特集・医薬品市場」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1989年時点で医療用医薬品が売上比率99%を占め、新薬の発売時期により売上の変動が大きかった",
                      "原文": "病院・開業医向けの医療用医薬品の比重が売上比率99％と他社に比べて高い。どうしても厚生省の認可手続きや、臨床実験の推移によって新薬の発売が集中する年と、新薬が発売できない年ができ、売り上げの変動が大きくなってしまう。",
                      "source": "日経産業新聞 1989年4月14日",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "アイルランドに生産拠点を置く",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1986年4月、山之内製薬はアイルランドに山之内アイルランドCo., Ltd.を設立した。有価証券報告書の沿革では、焼津工場・高萩工場・西根工場という国内の設備が並ぶ列に、この海外の一行が挟まっている。国内の製薬メーカーが海外に生産拠点を置いた例はこれが初めてで、週刊東洋経済はのちに「８６年アイルランドに国内メーカー初の海外生産拠点を設立するなど、海外展開では業界のパイオニアだ」と書いている。ガスターを発売した翌年にあたる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1986年4月にアイルランドへ山之内アイルランドCo., Ltd.を設立した",
                      "原文": "1986年４月　アイルランドに山之内アイルランドCo.,Ltd. を設立。",
                      "source": "アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "山之内アイルランドは国内メーカー初の海外生産拠点であり、同社は海外展開のパイオニアと評された",
                      "原文": "第三位の山之内製薬は、８６年アイルランドに国内メーカー初の海外生産拠点を設立するなど、海外展開では業界のパイオニアだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年1月3日号「特集 2000年に勝つ会社、負ける会社／医薬品 海外販売で格差が鮮明化」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "海外に自前の生産拠点を構えるのは、山之内製薬にとって二度目にあたる。日華事変のあと、奉天に満洲山之内製薬、上海に上海山之内製薬を設立して現地生産を始め、北京・マニラ・広東・シンガポール・台北には営業所を開設していた。ただし1955年に編まれた同社の記録では、戦後の記述が福岡支店・札幌支店の開設から始まり、外地の拠点は一つも現れない。40年余りを隔てて選ばれた先は、承認制度も医師の処方習慣も国ごとに異なる欧州であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "日華事変後に奉天・上海で現地生産を始め、北京・マニラ・広東・シンガポール・台北に営業所を開設したが、1955年時点の記録の戦後の記述には外地拠点が現れない",
                      "原文": "この間、日華事変勃発後、満洲山之内製薬を奉天に、上海山之内製薬を上海に創立し、それぞれ医薬品の現地生産を開始した。また北京、マニラ、広東、シンガポール、台北には営業所を開設した。／【戰後】二十年十一月山内健二社長は会長に、専務松島武夫氏が社長に就任した。二十一年には国内販売網を拡充して福岡支店、札幌支店を開設した。",
                      "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「山之内製薬」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3043712"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "導出ではなく、自社の名で売る網へ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1991年4月8日号の日経ビジネスは、「山之内製薬。欧州の生産販売網が完成 新薬テコに、攻勢強める」という見出しを掲げている。アイルランドへの設立から5年で、生産と販売の両方を含む網が欧州に整ったと報じられ、次は新薬を軸に攻勢を強めると伝えられた。記事の本文は残っておらず、置いた販売会社の数も、売上の規模も辿れない。それでも、網が完成した時点が1991年4月であったこと、その先が新薬に置かれていたことは、この見出しから読み取れる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1991年4月8日号の日経ビジネスが、山之内製薬の欧州の生産販売網の完成と新薬を軸とした攻勢を報じた",
                      "原文": "山之内製薬。欧州の生産販売網が完成 新薬テコに、攻勢強める",
                      "source": "日経ビジネス 1991年4月8日号「山之内製薬。欧州の生産販売網が完成 新薬テコに、攻勢強める」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "何のための網であったかは、翌年の社長の言葉に表れている。森岡茂夫社長は1992年3月の日経産業新聞で「国内だけでなく、海外でも、新薬を切れ目なく発売できるようにしたい」と述べた。同じ紙面でガスターについては「いい薬だという自負はあったが、これほど育つとは思わなかった」とも語っている。一品がどこまで育つかは読み切れない。読み切れないからこそ、次の薬を続けて出せる売り場を先に持っておく必要があった、とみられる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "森岡茂夫は1992年3月に「国内だけでなく、海外でも、新薬を切れ目なく発売できるようにしたい」と述べ、ガスターの成長は読み切れなかったと振り返った",
                      "原文": "いい薬だという自負はあったが、これほど育つとは思わなかった。まさに結果は『神のみぞ知る』ですな／国内だけでなく、海外でも、新薬を切れ目なく発売できるようにしたい",
                      "source": "日経産業新聞 1992年3月3日「医薬・バイオこれに賭ける」",
                      "url": null
                    }
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                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "アイルランドが作った主力品と、続いた新薬",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "アイルランドの拠点は、実際に主力品を作った。1997年4月の週刊東洋経済は「山之内製薬も発売年次こそ古いが、アイルランドでも生産する胃炎・潰瘍剤ガスターを中心に主要五品目で年商一六〇〇億円を計上」と書いている。同じ記事によれば、1996年3月期の一人当たり売上高は山之内製薬の7462万円が大手8社の首位で、最下位の田辺製薬3897万円のほぼ倍にあたる。一人当たり経常利益も1530万円で首位を占めた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "アイルランドでも生産するガスターを中心に主要5品目で年商1600億円を計上していた",
                      "原文": "山之内製薬も発売年次こそ古いが、アイルランドでも生産する胃炎・潰瘍剤ガスターを中心に主要五品目で年商一六〇〇億円を計上。開発新薬のストックもたくさんある。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界 業界に合併ムードは漂うが」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1996年3月期の一人当たり売上高7462万円・一人当たり経常利益1530万円で、いずれも大手8社の首位だった",
                      "原文": "一人当たり売上高では、トップの山之内製薬の七四六二万円（９６年３月期実績、以下同じ）は、最下位の田辺製薬の三八九七万円と比べるとほぼ倍もある。一人当たり経常利益をみるとさらに顕著で、山之内製薬、三共、第一製薬がそれぞれ一五三〇万円、一二七二万円、一一〇七万円を誇る",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界 業界に合併ムードは漂うが」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1998年1月、週刊東洋経済は同社を「海外展開では業界のパイオニア」と位置づけ、「抗潰瘍剤ガスターに続き、排尿障害改善剤ハルナールの欧州展開も順調に進んでいる」と伝えた。欧州で売る品目は、一つから二つへ移っている。森岡茂夫社長が1992年に語った「切れ目なく」が、欧州では品目の入れ替わりとして現れた。連結の売上高は1992年3月期の3575億円から1998年3月期の4774億円へ、経常利益は676億円から1004億円へ増えている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1998年1月時点でガスターに続きハルナールの欧州展開が順調に進んでいた",
                      "原文": "抗潰瘍剤ガスターに続き、排尿障害改善剤ハルナールの欧州展開も順調に進んでいる。この三社は、国内でも業績を維持するだけの製品群を誇り、今後も業界をリードしていく存在となる。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年1月3日号「特集 2000年に勝つ会社、負ける会社／医薬品 海外販売で格差が鮮明化」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "連結売上高は1992年3月期3575億円から1998年3月期4774億円へ、経常利益は676億円から1004億円へ増えた",
                      "原文": "1992年3月期の連結売上高3575億円・経常利益676億円に対し、1998年3月期は連結売上高4774億円・経常利益1004億円であった。",
                      "source": "山之内製薬 会社年鑑（連結業績）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "国内の薬価が下がった期に効いた海外",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この体制の意味は、1990年代の終わりに国内側の事情から鮮明になった。厚生省は4200億円にのぼる医療費削減策を進め、1998年4月にも薬価の大幅引き下げが予定されていた。1997年9月中間期の大手8社の総売上は1兆2690億円で、前年同期比189億円の増収であったが、内訳を見ると輸出が332億円増え、輸出を除いた国内は1997年4月の薬価改定が響いて減収であった。国内で減った分を、海外で埋めた半期であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1997年9月中間期の大手8社の総売上は1兆2690億円・前年同期比189億円の増収で、輸出が332億円増加した一方、国内は薬価改定が響いて減収だった",
                      "原文": "医薬品の場合、国内は厚生省が四二〇〇億円に上る医療費削減策を推進中で、１９９８年４月にも薬価の大幅引き下げが予定されるなど先行きは厳しい。（中略）製薬大手八社（武田薬品工業、三共、山之内製薬、エーザイ、第一製薬、塩野義製薬、藤沢薬品工業、田辺製薬）の総売り上げは一兆二六九〇億円、前年同期と比べて一八九億円増収だが、輸出が三三二億円増加。逆に輸出を除いた国内は９７年４月の薬価改定が響き減収となった。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年1月3日号「特集 2000年に勝つ会社、負ける会社／医薬品 海外販売で格差が鮮明化」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "同じ記事は「2000年までのスパンで考えると、海外でどれだけ売り上げを伸ばせるかが重要なファクターとなる」と述べ、海外販売に実績のある武田薬品工業・三共・山之内製薬の3社が「断然有利だ」と書いた。アイルランドへ工場を置いてから12年、欧州の網が完成してから7年が経っている。1986年の判断が薬価の引き下げまで見越したものであったかは、残された資料からは分からない。ただ、値段を国が決める国内市場の外側に売り場を持っていたことは、この時期の数字に表れている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2000年までは海外売上の伸びが重要な要素となり、海外販売に実績のある武田薬品・三共・山之内製薬の3社が有利とされた",
                      "原文": "こうした状況下、２０００年までのスパンで考えると、海外でどれだけ売り上げを伸ばせるかが重要なファクターとなる。（中略）海外売り上げを拡大するには、国際的に通用する画期的な薬が必要不可欠となる。そうなると大手八社でも、海外販売に実績のある武田薬品、三共、山之内製薬のトップ３が断然有利だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年1月3日号「特集 2000年に勝つ会社、負ける会社／医薬品 海外販売で格差が鮮明化」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "売る薬より先に、売る場所を用意した",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "ガスターを米メルク社へ渡したのと同じ時期に、山之内製薬はアイルランドに工場を建てている。売れる薬が一品しかない会社が、その一品を海外では他社に預けながら、欧州には自前の生産と販売を敷いた。順序としては、売り場のほうが品揃えより先に立っている。森岡茂夫社長が「国内だけでなく、海外でも、新薬を切れ目なく発売できるようにしたい」と述べたのは網の完成した翌年であり、売る仕組みを先に用意してから中身を埋める考え方であったとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "網がすぐに利益を生んだと示す数字は、手元に残っていない。完成を報じた1991年の記事は本文が失われ、当時どれだけの販売会社を置き、どれだけ売ったのかは辿れない。欧州で品目が並んだ確かな記録は、ガスターに続いてハルナールが進んだと書かれた1998年まで下る。アイルランドの設立からは12年である。国内の薬価が下がり、輸出だけが増収を支えた期にようやく効いた点を見れば、拠点を先に置く判断が報われるまでには、それだけの時間がかかったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「山之内製薬」",
        "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「医薬品 概説」",
        "アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】",
        "日経ビジネス 1985年12月19日号「特集・医薬品市場」",
        "日経産業新聞 1989年4月14日",
        "日経ビジネス 1991年4月8日号「山之内製薬。欧州の生産販売網が完成 新薬テコに、攻勢強める」",
        "日経産業新聞 1992年3月3日「医薬・バイオこれに賭ける」",
        "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界 業界に合併ムードは漂うが」",
        "週刊東洋経済 1998年1月3日号「特集 2000年に勝つ会社、負ける会社／医薬品 海外販売で格差が鮮明化」",
        "山之内製薬 会社年鑑（連結業績）"
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      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
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