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    {
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      "year": 1971,
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      "regions": [
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      "title": "電子複写機U-Bixの発売による事務機市場への参入と、八王子工場のカメラからの転換",
      "subtitle": "感光材料を厚くするか、別の市場を持つか——無配8期の小西六写真工業が写真材料一本の会社をやめた道筋",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
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      "issue": "写真材料依存からの脱却と第二の柱づくり",
      "decider": "西村龍介（社長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1971年1月、写真材料とカメラを主力としてきた小西六写真工業が電子複写機U-Bixを発売し、事務機市場へ参入した判断。米ゼロックスが張りめぐらせた約900件の特許に一つも触れない設計で製品をまとめ、あわせて八王子工場をカメラから電子複写機の専門工場へ衣替えした。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1968年3月期に無配へ転落し、無配は8期続いた。同年4月に創業家の世襲を破って社長へ就いた西村龍介氏は、天候に売上が左右されるフィルム依存からの脱却を再建の柱に据えた。感光材料の増強については、コダックの規模と技術の秘密性から後発に勝ち目はないと見ていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "開発に先立って担当の全技術者をゼロックスのユーザーへ派遣し、半年をかけてクレームを集め、感光性の向上と解像力の強化に開発の焦点を絞った。八王子工場の転換では製品転換による人員整理をしないと確約し、1年間は賃金と職級に手を付けないと約束して労組の協力を得た。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "U-Bixの売上は1971年下期の19億円から半期ごとに増え、1973年3月期には全社売上高の20%を占めて参入3年目でカメラを上回った。復配は1972年3月期に果たし、1976年までに7万台以上を出荷して売上の4分の1を稼いだ。写真材料一本だった会社に第二の柱ができた。"
        }
      ],
      "parties": [
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          "stock_code": "konica",
          "name": "小西六写真工業",
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            "note": "1873年創業の写真材料メーカー。フィルム・印画紙・カメラを主力としながら1968年3月期に無配へ転落し、8期にわたる無配のなかで再建を進めていた"
          }
        }
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      "dates": {
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      "breakdown": {
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        "summary": "天候に売上が左右される写真材料への依存を断つため、ゼロックスの特許網を避けた電子複写機U-Bixで事務機市場へ参入し、八王子工場をカメラから複写機へ転換した多角化"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1968,
          "month": 3,
          "title": "無配へ転落し、以後8期にわたって無配が続く"
        },
        {
          "year": 1968,
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          "title": "創業家の世襲を破り、技術担当常務の西村龍介氏が社長に就任"
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        {
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          "title": "電子複写機U-Bixの製造販売を開始し、事務機市場へ参入",
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        },
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          "title": "6%で復配、以後1972年9月期10%、1973年3月期12%へ増配"
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          "year": 1972,
          "month": 4,
          "title": "八王子工場を電子複写機の専門工場へ衣替え、カメラ・レンズ生産を山梨コニカ・甲府コニカへ移管"
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        {
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          "title": "U-Bixの開発と輸出を担った冨岡弘氏が社長に就任"
        },
        {
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          "title": "U-Bixの累計出荷が7万台を超え、売上高の4分の1を占める"
        }
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1973年3月期",
        "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介社長 講演要旨）",
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            "name": "小西六写真工業",
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            "president": "西村龍介",
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "無配8期と、初の非同族社長",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1968年3月期、小西六写真工業は無配へ転落した。同年の株価は高値96円、安値は額面割れ寸前の51円まで沈み、抱えた赤字は資本金の20%に相当した。同年4月、会社は創業者の杉浦家から社長を出す慣例を初めて破り、技術担当常務の西村龍介氏を社長に据えている。西村氏より上位にいた役員は一掃され、若手が役員に登用された。無配はこの後8期続いた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1968年（昭和43年）の株価は高値96円・安値51円で、その安値は資本金の20%に相当する赤字を抱えた状態を映していた",
                      "原文": "昭和43年の株価の高値は96円、安値は額面割れ寸前の51円、51年は5月までで高値が額面の12倍の601円、安値が480円。業績に仕事人気が加味されているとはいえ、見事な出世ぶりである。43年の安値は資本金の20%に相当する赤字を抱えた苦悩の象徴、51年の高値は史上最高の業績を上げて、なお増収増益基調が期待できることの反映といってもよい。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
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                    {
                      "fact": "1968年4月、創業者・杉浦家の世襲を破って西村龍介が社長に抜擢され、上位の役員は一掃された",
                      "原文": "43年4月、同社は創業者の杉浦家の人間が社長になるという慣例を初めて破って、西村龍介氏（当時常務、現在会長）を社長に抜擢した。同時に西村氏以上の地位にいた役員を一掃、若手を役員に登用した。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
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                    {
                      "fact": "1968年3月期に無配となり、以後8期にわたって無配が続いた",
                      "原文": "昭和43年3月期に無配になり、以後8期無配が続いた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介社長 講演要旨）",
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                {
                  "text": "不振の一因は労使関係にあった。発祥の地である新宿に近い工場は戦後まもない時期から激しい争議の場となり、「小西六といえば年中赤旗が立てられている」と言われた。西村社長は就任にあたって組合三役と会い、一般従業員の首は切らないと宣言している。自身が工場長のときに人員整理を2度経験していたからである。一方で部課長には厳しく臨み、15%にあたる40名へ格下げか退社を求めた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "戦後まもない時期から激しい労働争議が繰り返され「小西六といえば年中赤旗が立てられている」と言われた",
                      "原文": "当社発祥の地は新宿であり、代々木のすぐ近くに工場があった関係でもあるまいが、ここがまっ先にねらわれた。そして、激しい血の出るような労働争議が繰り返された。小西六といえば年中赤旗が立てられているといわれたほどであったが、私が43年に社長就任以来何とかこれを改めたいと考え、組合の幹部とも話し合いを重ねた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介社長 講演要旨）",
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                    {
                      "fact": "西村は組合三役に一般従業員の首切りはやらぬと宣言する一方、15%にあたる40名の部課長へ格下げまたは退社を要請した",
                      "原文": "私は社長に就任したときに、労働組合の3役と1日会って、絶対に一般従業員の首切りはやらぬと宣言した。というのは私自身が工場長の時に悲惨な首切りを2回経験していたからである。従業員の首は切らないが、部課長の首は切るという強い態度でのぞみ、15%にあたる40名の部課長に格下げまたは退社を要請した。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介社長 講演要旨）",
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            {
              "sub_title": "「お天気商売」からの脱皮という課題",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "西村社長が再建の柱に据えたのは、商品構成そのものの入れ替えであった。主力のフィルムや印画紙は「一雨ごとに1億円の減収」と言われる天候次第の商売で、そこから脱皮しなければ経営基盤は安定しないと会社は見ていた。「職場はなくなっても、雇用は確保する」という方針のもとで、社内はこの入れ替えを商品の「全天候型化」と呼び、白黒フィルムのように利益の薄い品目の切り捨てもあわせて進めた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "主力のフィルムが「一雨ごとに1億円の減収」といわれるお天気商売であったため、商品の\"全天候型化\"をめざして商品構成の転換に着手した",
                      "原文": "「職場はなくなっても、雇用は確保する」という再建方針のもとで、同社は商品構成の転換に着手した。主力のフィルムなどが「一雨ごとに1億円の減収」といわれるお天気商売のために、そこから脱皮しなければ、経営基盤は安定しないという判断による。ここ10年間の変化は下図のようだが、いってみれば、商品の\"全天候型化\"をめざしたことになる。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
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                    {
                      "fact": "天候に左右されない製品を強化する一方、白黒フィルムなど不採算部門の切り捨ても断行した",
                      "原文": "天候に左右されない製品を強化する一方で、不採算部門の切り捨ても断行した。白黒フィルムなどがそれで、冨岡社長は、「満足な利益もないうえに先細りになるのも目に見えていたため」と説明する。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
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                {
                  "text": "感光材料を厚くする道には、西村社長自身が見切りをつけていた。後発会社はどこも成功していないというのが見立てで、米スリーエムのフエラニア買収、デュポンのシュロイスナー買収、英ICIのイルフォード買収を、いずれも不調の例に挙げている。原因はコダックが大き過ぎることと、秘密性が高く技術者を引き抜いても事業が興せないことにあった。この壁は小西六を後発の参入者から守りもしたが、同時に自社の伸びる余地も塞いでいた。",
                  "evidences": [
                    {
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                      "原文": "カメラ・感光材料工業は非常にもうかる有望な事業だと一般に認識されているようだが、これはたいへんな誤りである。歴史的に見ても後発会社はどこも成功していない。アメリカのスリーエム社が感光材料事業に進出するためイタリアのフエラニアという会社を買収して以来、相当の年月がたつが、どうもうまくいかないようである。デュポン社もドイツのシュロイスナーという会社を買収して、これを足がかりに感光材料に進出しているし、それからイギリスのICIもイルホード社を買収して、これをもとにしてやろうとしているが、どうもうまくいかない。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介社長 講演要旨）",
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                      "原文": "このうまくいかない最大の原因の一つはコダックがあまりにも大き過ぎるからだと思う。〔中略〕もう一つの原因は、非常に秘密性の多い仕事であるからである。したがって、わずかな技術者を引っ張ってきてもなかなかできない。そのため会社自体を全部買収するという方法がとられるケースが多い。たとえば小西六の感光材料の技術者をスカウトしても感光材料工業をおこすことはできない。今後も大きく成功するところはないであろう。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介社長 講演要旨）",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "ゼロックスの特許900件を避けて作る",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "乾式の電子複写機は、米ゼロックスが押さえた技術であった。小西六は開発に先立ち、担当の全技術者をゼロックスのユーザーのもとへ派遣し、クレームを聞いて回らせている。陣頭指揮を執った栗田善一郎常務は「まるまる半年、その調査に明け暮れたために、感光性の向上や解像力の強化に開発の焦点を絞ることができた」と述懐した。使い手の不満を先に集めたことが、開発の的を絞り込んでいる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "小西六は開発に先立って担当の全技術者をゼロックスのユーザーへ派遣してクレームを聞いて回り、半年の調査で感光性と解像力に開発の焦点を絞った",
                      "原文": "その懸案の経営健全化を実現した商品が電子複写機である。同社は開発に先立って担当の全技術者をゼロックスのユーザーに派遣、クレームを聞いて回った。\"敵を知り己を知る\"戦法を地でいったわけで、栗田常務は「まるまる半年、その調査に明け暮れたために、感光性の向上や解像力の強化に開発の焦点を絞ることができた」と述懐する。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "1971年1月、電子複写機U-Bixの製造販売が始まった。ゼロックスは網の目のように約900件の特許を張りめぐらせていたが、小西六の技術はその一件にも触れずに作り上げられている。これが各国の販売業者に評価され、注文が殺到して代理店権の奪い合いまで起きた。売り込みに苦労するどころか、相手を選びながら世界の販売網を築くことができた。会社にとっては予想外の恩恵であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "約900件のゼロックスの特許に何一つ触れずに作り上げた技術が評価され、各国から注文が殺到して代理店権の奪い合いまで起きた",
                      "原文": "また、電子複写機は予想外の恩恵をもたらした。約900件という網の目のように張りめぐらされたゼロックスの特許に何一つ触れないで作り上げた技術がモノをいって、各国から注文が殺到、代理店権の奪い合いまで起こった。このため同社としては、売り込みに苦労するどころか、まさに婿選びの格好で世界に販売チャンネルを築き上げることができた。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
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                    {
                      "fact": "1971年1月に電子複写機U-Bixの製造販売を開始した",
                      "原文": "1971年1月、電子複写機U-Bixの製造販売を始めた。",
                      "source": "小西六写真工業 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
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            },
            {
              "sub_title": "八王子工場をカメラから複写機へ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "人員整理なしに体質を改められるかどうか。その試練は、まず八王子工場を電子複写機の専門工場へ衣替えできるかどうかにかかっていた。陣頭指揮を執った栗田常務は「カメラ一筋に生きて来た腕に誇りのある社員たちに、その技能を捨てろと言い含ませるのは非常につらかった。だが、再建のためにはそれしかないと説いて回った」と当時を振り返っている。八王子でつくるものを、カメラから複写機へ入れ替える作業であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "人員整理なしに体質改善をなしうるかの試練は、八王子工場を電子複写機の専門工場へ衣替えできるかどうかに表れた",
                      "原文": "人員整理なしに体質改善をなしうるかの試練は、まず八王子工場を電子複写機の専門工場に衣替えできるかどうかという形で表れた。その陣頭指揮をした栗田善一郎常務は、「カメラ一筋に生きて来た腕に誇りのある社員たちに、その技能を捨てろと言い含ませるのは非常につらかった。だが、再建のためにはそれしかないと説いて回った」と当時を振り返る。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "会社はまず、製品転換による人員整理はしないと確約した。技能の転換には教育訓練を徹底し、「1年間は猶予期間として、賃金の補償はもとより、職級にも手を付けない」と約束している。ついていけない中高年には設備を簿価で譲ったうえで仕事も発注し、旋盤や研磨の腕を捨てられない者には関連会社への出向の道を開いた。労組の高野守委員長は分離による黒字化に協力し、このとき赤旗は1本も立たなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "製品転換による人員整理はしないと確約し、1年間は猶予期間として賃金の補償も職級も手を付けないと約束した",
                      "原文": "まず、製品転換による人員整理はしないことを確約した。もとより、その背景には「転換をスムーズにするうえで、社員の動揺が最大のマイナスになる」という配慮もある。同時に、技能の転換をするために、教育訓練の徹底はもちろんのこと、「1年間は猶予期間として、賃金の補償はもとより、職級にも手を付けない」と約束もした。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "転換についていけない中高年には設備を簿価で支給して仕事も発注し、旋盤や研磨の技能を捨て切れない者には関連会社への出向の道を開いた",
                      "原文": "だが、それでも落ちこぼれはある。このため転換についていけないという中高年齢者には、「設備を簿価で支給したうえに仕事も発注するから……」と自立を奨励した。一方で、旋盤や研磨の技能を捨て切れないが自立する自信もないという人たちには、カメラ生産を担当する関連会社に出向の道を開いた。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "労組の高野守委員長はカメラ部門の分離による黒字化に協力し、このとき労働争議で赤旗は1本も立たなかった",
                      "原文": "労組の高野守委員長は「カメラ部門が赤字なことは承知していた。そのため分離による黒字化に積極的に協力した。転換をきらう人間もいたが、全体がよくなるためにはと納得、支援もした」という。「当時の西村社長の誠意を尽くされる姿勢、社員を大切にする気持ちがわかった」からだが、このとき労働争議で同社に赤旗は1本も立たなかったという。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
                      "url": null
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "参入3年目でカメラを抜く",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "U-Bixの伸びは急だった。売上は1971年下期の19億円から、1972年上期34億円、同下期53億円と半期ごとに増え、1973年9月期には65億円から70億円が見込まれた。1973年3月期の全社売上高は266億円で前期比8%増、経常利益は15億8,200万円、税引利益は6億500万円である。売上構成比はフィルム40%、電子複写機20%、カメラおよび交換レンズ19%となり、参入3年目の複写機がカメラを上回った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "U-Bixの売上は1971年下期19億円、1972年上期34億円、同下期53億円、1973年9月期は65億〜70億円の見込み",
                      "原文": "答46年の下期が19億円、47年の上期が34億円、47年の下期が53億円、この9月期は65億円か70億円と予想している。伸び率は、この3月期は前9月期に比べて53%の伸びを示している。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介社長 講演要旨）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1973年3月期は売上266億円（前期比8%増）・経常利益15億8,200万円・税引利益6億500万円で、売上構成比はフィルム40%、電子複写機20%、カメラおよび交換レンズ19%",
                      "原文": "昭和48年3月期の業績は売上げが266億円で対前期比8%増、経常利益が15億8,200万円で対前期比16.2%増、税引利益が6億500万円で対前期比14.6%増となり、売上げに比して利益の向上が著しい。〔中略〕売上構成比はフィルムがやはり一番多くて40%、カメラおよび交換レンズが19%、印画紙が11%、写真薬品その他が10%、電子複写機が20%になった。電子複写機はわずか2年くらいのうちにこのように伸びてきたものである。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介社長 講演要旨）",
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                },
                {
                  "text": "生産は月産500台で始まり、すぐに1,000台、1,500台へ増強されて、1976年までに7万台以上を出荷した。同年には売上の4分の1を占め、米国で2%、欧州で5%のシェアを得ている。複写機の輸出比率は56%に達し、国内の事務機市場だけを相手にした製品ではなかった。復配は1972年3月期の6%に始まり、同年9月期10%、1973年3月期には記念配2%を含む12%まで戻している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "月産500台から1,000台・1,500台へ生産を増強し1976年までに7万台以上を出荷、売上の4分の1を占め米国2%・欧州5%のシェアを得た",
                      "原文": "当初は月産500台でスタートしたが、すぐに1000台、1500台と生産体制を増強、すでに7万台以上を出荷したという。〔中略〕前期の実績をみても、売り上げの4分の1を占め、再建のテコどころが飛躍のバネとして、主力商品になっている。／網の目のようなゼロックスの特許をくぐり抜けて開発した会心作、電子複写機「U-Bix」。お天気商売から脱皮、再建を軌道に乗せた柱で、米国で2%、欧州で5%のシェアがあるという",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
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                    },
                    {
                      "fact": "電子複写機U-Bixの輸出比率は56%に達し、復配は1972年3月期6%、同年9月期10%、1973年3月期12%（記念配2%を含む）と進んだ",
                      "原文": "なおU-Bixという電子複写機の輸出比率は56%に達しているが、全製品の売上高に占める輸出の割合は平均して30%である。〔中略〕昭和43年3月期に無配になり、以後8期無配が続いた。それが47年3月期に6%に復配、同じく9月期に10%、そして48年3月期に12%(記念配当2%)にそれぞれ増配した。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介社長 講演要旨）",
                      "url": null
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            },
            {
              "sub_title": "巨大企業の抜け穴を突く",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1973年11月、常務としてU-Bixの開発と輸出を担ってきた冨岡弘氏が社長に就いた。冨岡社長は1978年の取材で再建の柱を問われ、「カメラとフィルムに没頭していたら、水面上に出られなかったでしょう。ポコッと頭を出したのはやはり複写機ですね」と答えている。資金繰りについては「8期無配を続けたうち、6期は苦しみました」と振り返り、銀行の協力を得られたことを100年の歴史の効用に数えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "冨岡弘は常務時代に電子複写機U-Bixの開発や輸出を担当し、1973年11月に社長となった",
                      "原文": "冨岡 弘（とみおか・ひろし）氏 明治43年7月、宮崎県生まれ。67歳。昭和7年、長岡高等工業卒業と同時に小西六写真工業の前身、小西六本店に入社。43年、再建へ踏み出すときに取締役に就任、45年常務、48年5月に専務、11月に社長となる。〔中略〕常務時代は電子複写機「U-BiX」の開発や輸出を担当、売り上げの25%を占めるまでに育てあげた手腕家。",
                      "source": "日経ビジネス 1978年4月10日号「編集長インタビュー 冨岡弘（小西六写真工業社長）巨大企業には相手の仕方がある」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "冨岡社長は再建の柱を問われ、複写機がなければ水面上に出られなかったと述べ、8期無配のうち6期は苦しんだと振り返った",
                      "原文": "問 労務対策以外で、再建の柱になったのはなんでしょう。／答 カメラとフィルムに没頭していたら、水面上に出られなかったでしょう。ポコッと頭を出したのはやはり複写機ですね。一度、調子がつくと、なにをやっても当たるようになる。その安心感に浸りすぎるといけませんね。カネには苦労しました。8期無配を続けたうち、6期は苦しみました。でも、銀行の協力を得られたのでなんとか……。そういう点では、100年の歴史を持つありがたさじゃないですか。",
                      "source": "日経ビジネス 1978年4月10日号「編集長インタビュー 冨岡弘（小西六写真工業社長）巨大企業には相手の仕方がある」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1975年度の売上高は小西六が870億円、富士写真フイルムが1921億円、キヤノンが750億円で、税引利益はそれぞれ25億円、61億円、8億円だった。売上でも利益でもキヤノンを上回り、富士との規模の開きはなお2倍を超えた。冨岡社長は「まともに競争したら勝ち目はない」と見切ったうえで、「巨大企業には抜け穴がある。そのスキを突くんですよ」と語っている。複写機はのちに、各業界から企業が集まるOA産業の中核商品となった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1975年度の売上高は小西六870億円・富士写真フイルム1921億円・キヤノン750億円、税引利益は25億円・61億円・8億円であった",
                      "原文": "まず、昨年の業績を同業他社と比較すると、売り上げは同社が870億円、富士写真フイルムが1921億円、キヤノンが、750億円となる。税引利益は25億円、61億円、8億円で、この数字からは、富士が群を抜いているようにみえる。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "冨岡社長は巨大企業と正面から競っても勝ち目はなく、組織が大きくなるほど生じる抜け穴を突く戦術をとってきたと語った",
                      "原文": "コダック、ゼロックス、それに情報機器の分野でIBMと世界の巨大企業を相手にしているといえばいえますが、それなりに相手の仕方、対応の仕方があるんです。それはばか正直に真正面からぶつかっちゃ、とても勝負になりません。ところが巨大な企業でも、組織が大きくなれば大きくなるほど、抜け穴が出てくるんです。まともに競争したら勝ち目はないので、そのスキをねらった戦術がうまくいっているんです。",
                      "source": "日経ビジネス 1978年4月10日号「編集長インタビュー 冨岡弘（小西六写真工業社長）巨大企業には相手の仕方がある」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "複写機は事務機・通信機・家電・コンピューターの各業界から企業が集まるOA産業の中核商品となった",
                      "原文": "事務機分野ではファクシミリはデジタル複写機と融合して高機能化している。キヤノン、リコー、富士ゼロックスなどの複写機である。〔中略〕事務機、通信機、家電、コンピューターなど各業界から進出してきているOA産業のなかでも、キヤノン、リコーが中核の位置を占めそうな形勢になっている。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「OA－オフィスの自動化進む」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "特許の隙間に見つけた、二つ目の市場",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "ゼロックスが張りめぐらせた約900件の特許に、一つも触れない。U-Bixはこの条件を満たして完成し、各国の販売業者から注文が殺到した。参入の勝負どころは、複写の性能より先に他社の特許をどこまで調べ切れるかにあったとみられる。開発に先立って全技術者をゼロックスのユーザーへ送り、半年をクレーム集めに費やした手順も、同じ構えから出ている。冨岡弘社長が後年語った「抜け穴」を、U-Bixは特許の空白と利用者の不満という二か所で突いた。"
                },
                {
                  "text": "ただ、この参入で事務機市場の勢力図が変わったわけではない。7万台を出荷してなお、シェアは米国で2%、欧州で5%にとどまった。それでもU-Bixは、一雨ごとに1億円が消えるといわれた写真材料から収益を切り離し、参入3年目にカメラの売上を追い越している。西村龍介社長が八王子工場の転換で人員整理を封じたことも、この入れ替えを支えた条件だったとみられる。救われたのは市場での順位ではなく、無配8期の会社そのものであった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介社長 講演要旨）",
        "日経ビジネス 1976年6月21日号「小西六写真工業 再建・躍進の秘密は『人間尊重経営』に」",
        "日経ビジネス 1978年4月10日号「編集長インタビュー 冨岡弘（小西六写真工業社長）巨大企業には相手の仕方がある」",
        "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「OA－オフィスの自動化進む」",
        "小西六写真工業 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-28"
    },
    {
      "slug": "royal-business-machines-1986",
      "url": "/tse/konica/decisions/royal-business-machines-1986/",
      "year": 1986,
      "month": 1,
      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "konica",
      "decision_id": "konica-royal-business-machines-1986",
      "type": "acquisition",
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        "ma-crossborder-out",
        "ma-pmi",
        "bm-channel"
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      "regions": [
        "north-america"
      ],
      "title": "米ロイヤル・ビジネス・マシン社の完全子会社化と、北米事務機販売網の自前化",
      "subtitle": "売る網を借り続けるか、親会社ごと買い取るか——代理店に預けてきた北米の売り場をどう組み替えたか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": "1984年に株式34%を取得して資本参加し、1986年1月に親会社の西ドイツ・フォルクスワーゲンから残る66%を買い取って完全子会社とした二段階の買収",
      "ratio": "100%（1984年の34%取得＋1986年1月の66%取得）",
      "issue": "北米における販売網の持ち方",
      "decider": "井手恵生（社長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1986年1月、小西六写真工業（現・コニカ）が米の事務機販売会社ロイヤル・ビジネス・マシンの残る66%を親会社の西ドイツ・フォルクスワーゲンから買い取り、完全子会社とした買収。1984年の34%資本参加と合わせた二段階で、北米の事務機販売網を自前に切り替えた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "北米では1956年設立のコニシロク・フォト・インダストリーズを拠点に感光材料とカメラを売っていたが、カメラの販売員は提携先の米バーキィ・フォトが抱えたままであった。感光材料の市場は成長が鈍り、販売網の整備も立ち遅れていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1984年に34%へ資本参加し、1986年1月に残る66%を取得した。フォルクスワーゲン社との交渉には米山高範常務と井手恵生社長が自ら当たっている。買収後は上飯坂勘副社長を社長として送り込み、月1回のエンプロイズ・ミーティングと社長専用食堂の開放で従業員との壁を取り払い、支店とディーラーの競合を整理した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "支店の機能をむしろ縮小してディーラーの営業余地を広げた結果、リコーやキヤノンについたディーラーが戻り、主力の複写機の販売台数は前期比3割増となった。一方、同じ1986年に全株を取得したフォトマート社では効果が出ず、買収の成否は分かれた。"
        }
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      "parties": [
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            "note": "感光材料で富士写真フイルムに次ぐ大手。1983年就任の井手恵生社長のもとで国内外の買収を重ね、事務機の比重を高めていた"
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        {
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        "summary": "感光材料の成長鈍化と販売網整備の立ち遅れに直面した会社が、34%の資本参加にとどめず親会社から残る66%を買い取り、北米の事務機販売網を代理店経由から自前へ移した買収"
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          "title": "米国のカメラ販売を代理店から合弁会社コニカ・コーポレーションへ切り替え"
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          "title": "コネチカット州メリデン市でカラー印画紙の現地生産計画を決め、フォトマット社と合弁会社を設ける方針を固める"
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          "title": "米ロイヤル・ビジネス・マシンに34%資本参加"
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          "title": "フォルクスワーゲンから残る66%を買い取り、ロイヤル・ビジネス・マシンを完全子会社化",
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          "title": "株式公開買付けで写真現像チェーンのフォトマート社の全株を取得"
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          "title": "主力の複写機の販売台数が前期比3割増となり、北米事務機事業の業績が好転"
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      "snapshot": {
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        "source": "小西六写真工業 有価証券報告書【沿革】",
        "companies": [
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            "name": "小西六写真工業（現・コニカ）",
            "fiscal_year": "1986年3月期（単体）",
            "president": "井手恵生",
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              "sub_title": "代理店に預けていた北米の売り場",
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                {
                  "text": "小西六写真工業が北米に置いた拠点は、ニュージャージー州のコニシロク・フォト・インダストリーズであった。1956年8月26日に設立され、資本金は3000万ドル、従業員は約100名で日本人の比率は15%、1980年3月期の売上高は6130万ドルである。写真感光材料とコニカカメラを北米で売っていた。米国の35ミリ一眼レフでは日本メーカーがほぼ100%に近いシェアを握っており、売る先はあった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "コニシロク・フォト・インダストリーズは1956年8月26日設立、資本金3000万ドル、従業員約100名、1980年3月期の売上高6130万ドルで、写真感光材料とコニカカメラの北米向け販売を担っていた",
                      "原文": "設立 1956年8月26日／資本金 3000万ドル／社長 岩間昌邦／従業員数 約100名（日本人比率15%）／売上高 6130万ドル（1980年3月期）／業務内容 写真感光材料、コニカカメラの北米地域向販売",
                      "source": "日経ビジネス 1980年9月8日号「コニシロク・フォト・インダストリーズ（米） 印画紙の現地生産でコダックに挑戦」",
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                    {
                      "fact": "米カメラ市場のうち35ミリ一眼レフの分野は日本メーカーがほぼ100%に近いシェアを確保していた",
                      "原文": "米カメラ市場のうち、35ミリ一眼レフの分野は日本メーカーがほぼ100%に近いシェアを確保。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年9月8日号「コニシロク・フォト・インダストリーズ（米） 印画紙の現地生産でコダックに挑戦」",
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                },
                {
                  "text": "売り方には1979年2月に手が入っている。それまで代理店だった米写真業界大手のバーキィ・フォトと組み、コニシロク・フォトが80%、バーキィが20%を出資する合弁会社コニカ・コーポレーションを設けて、カメラの販売をそちらへ移した。判断した上飯坂勘氏は「こうした情勢の中で代理店にまかせておけば後れをとる」と述べている。もっとも合弁の後もセールスマンはバーキィが担当し、コニカ社独自の販売員はいなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1979年2月以降、カメラ販売はコニシロク・フォト80%・バーキィ・フォト20%出資の合弁会社コニカ・コーポレーションが担い、上飯坂勘は代理店任せでは後れをとると判断した",
                      "原文": "このうち、コニカ社は、コニシロク・フォト80%、米写真業界大手のバーキィ・フォトが20%出資して設立した合弁会社。これまで、バーキィを代理店として販売してきたカメラは、昨年2月以降この合弁会社が行うようになった。／「こうした情勢の中で代理店にまかせておけば後れをとる」と判断した上飯坂勘・前コニシロク・フォト社長が、直販方式に近い合弁会社での販売に切り替えることにした。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年9月8日号「コニシロク・フォト・インダストリーズ（米） 印画紙の現地生産でコダックに挑戦」",
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                    {
                      "fact": "合弁会社設立後もセールスマンはバーキィが担当し、コニカ社独自のセールスマンはいなかった",
                      "原文": "コニカ社の場合、セールスマンはこれまでと同様、バーキィが担当しており、コニカ社の独自のセールスマンはいない。このため、厳密な意味での直販とは言いにくいが、バーキィ側ではコニカ製品専門のセールスマンの数を増やして、拡販に協力する体制をとっている。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年9月8日号「コニシロク・フォト・インダストリーズ（米） 印画紙の現地生産でコダックに挑戦」",
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            {
              "sub_title": "作る場所を移した先に残った問い",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1980年には、カラー印画紙の米国現地生産に踏み切る方針を決めている。コネチカット州メリデン市に50エーカーの用地を求め、全米に4000以上の現像店を持つフォトマット社と資本金2500万ドルの合弁会社を設ける計画で、出資比率は小西六51%、投下資金は7000万ドル前後、米連邦政府も800万ドルの融資を決めた。米国のカラー印画紙はコダックが65%を握り、3Mが10%を占め、残る25%を日本と西独からの輸入が埋めていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "メリデン市に50エーカーの用地を確保しフォトマット社と資本金2500万ドル・小西六51%の合弁会社を設ける計画で、投下資金は7000万ドル前後、米連邦政府が800万ドルの融資を決めた",
                      "原文": "広さ50エーカーの土地にカラー印画紙の生産工場を建設する計画で、年末に着工、2年半後には完成する予定。／合弁会社の資本金は2500万ドル、出資比率は小西六51%、フォトマット49%、投下資金は7000万ドル前後など、準備は着々と進んでいる。／米連邦政府が小西六と、米写真フィルム販売大手のフォトマット社の合弁計画に、800万ドルを融資することを決めた。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年9月8日号「コニシロク・フォト・インダストリーズ（米） 印画紙の現地生産でコダックに挑戦」",
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                      "fact": "米国のカラー印画紙はコダックが65%、3Mが10%を占め、残る25%が日本と西独からの輸入であった",
                      "原文": "米国のカラー印画紙は、65%という圧倒的シェアをイーストマン・コダックが握り、次いでミネソタ・マイニング・アンド・マニュファクチャリング（3M）が10%、残り25%が日本や西独から輸入。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年9月8日号「コニシロク・フォト・インダストリーズ（米） 印画紙の現地生産でコダックに挑戦」",
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                {
                  "text": "現地生産を選んだ理由を、上飯坂氏は「今のままで、輸出量を増やしていけば、貿易摩擦を起こしかねない。量がある程度まできたら現地生産する必要がある」と指摘している。新会社の人事は全面現地化とし、社長は小西六からもフォトマット社からも出さずに外部から採る。日本人は経営方針への参画者のほか技術者が20人程度で、全従業員約600人の約4%にとどまる見込みだった。作る場所も人も現地へ移す一方、事務機の売り方にはまだ手が付いていない。",
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                    {
                      "fact": "上飯坂勘は輸出量を増やせば貿易摩擦を起こすとして、量が一定に達したら現地生産が必要だと指摘した",
                      "原文": "「今のままで、輸出量を増やしていけば、貿易摩擦を起こしかねない。量がある程度まできたら現地生産する必要がある」と上飯坂氏は指摘する。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年9月8日号「コニシロク・フォト・インダストリーズ（米） 印画紙の現地生産でコダックに挑戦」",
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                    {
                      "fact": "新会社は社長を外部から採用する全面現地化とし、日本人は技術者20人程度で全従業員約600人の約4%にとどまる見込みであった",
                      "原文": "つまり、社長は小西六からもフォトマットからも出さずに有能な人材を外部から採用し、会社運営はすべて米国人にまかせる。日本人は経営方針への参画のほか技術者が20人程度になる見込みで、全従業員約600人の約4%。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年9月8日号「コニシロク・フォト・インダストリーズ（米） 印画紙の現地生産でコダックに挑戦」",
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          "label": "決断",
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              "sub_title": "7社のうち、最大の一件",
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                  "text": "1983年に井手恵生氏が社長へ就いてから、買収の件数が増えた。過去4年間に国内外で大小7社を買い取った。感光材料では富士写真フイルムに次ぐ大手でありながら、市場の成長は鈍り、販売網の整備は立ち遅れている。井手社長は「このままでは21世紀をにらんだ展望が開けない」と語り、「滲み出し」と「取り込み」を主眼に買収を重ねた。ソニーやブリヂストンのような派手さはないが、国内でM&Aがブームになる前から買収を重ねてきた会社である。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1983年の井手恵生社長就任後に買収が加速し、過去4年間で国内外の大小7社を買収した。市場の成長鈍化と販売網整備の立ち遅れから「このままでは21世紀をにらんだ展望が開けない」との危機意識があった",
                      "原文": "ソニーやブリヂストンのような派手さこそないが、コニカはわが国でM&Aがブームになる以前から国内外で積極的にM&A戦略を展開してきた。特に58年に現在の井手恵生社長が就任してからは拍車がかかり過去4年間に国内外で大小合わせて7社を買収した。同社は写真用フィルム、印画紙などの感光材料では富士写真フイルムに次ぐ大手だが市場の成長鈍化、販売網整備の立ち遅れなどから「このままでは21世紀をにらんだ展望が開けない」（井手社長）との危機意識から「滲み出し」と「取り込み」を主眼にM&A戦略を展開している。",
                      "source": "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
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                {
                  "text": "最大の案件が、米の事務機販売会社ロイヤル・ビジネス・マシンであった。1984年に34%の資本参加を行い、1986年1月に親会社の西ドイツ・フォルクスワーゲンから残る66%を買い取って完全子会社としている。フォルクスワーゲン社との交渉には、米山高範常務と井手社長自らが乗り込んでトップ交渉に当たった。34%の少数株主にとどまらず、2年後には全株を取りにいっている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "これまでのM&Aで最大規模はロイヤル・ビジネス・マシン社の買収で、1984年に34%資本参加、1986年1月に親会社の西独フォルクスワーゲンから残り66%を買収して完全子会社化した",
                      "原文": "これまでのM&Aで一番規模が大きかったのは米の事務機販売会社ロイヤル・ビジネス・マシン社（現コニカ ビジネス・マシン）の買収。59年に34%資本参加したが、61年1月に親会社の西独フォルクスワーゲン（VW）から残り66%を買収し完全子会社化した。VW社との交渉には米山高範常務と井手社長自ら乗り込んでトップ交渉に当たった。",
                      "source": "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
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                    {
                      "fact": "1986年1月に米Royal Business Machinesの全株を取得した",
                      "原文": "1986年1月、米Royal Business Machinesの全株を取得。販売代理店経由だった北米の事務機事業を自前の販売網に切り替えた。",
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              "sub_title": "買ったのは、人の抜けた販売会社であった",
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                {
                  "text": "買った相手は、そのままでは売る力を出せない会社であった。米山常務は買収前のロイヤル社について「それまでのマネジメントが悪過ぎた」と振り返っている。オーナーがひんぱんに替わり、経営者が替わるたびに会社の施策が変わるため、優秀な人材がどんどん流出していく状態にあった。販売網という資産は、そこで働く人が抜ければ地図だけが残る。全米の支店とディーラーを買い取っても、それだけでは複写機は売れなかった。",
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                    {
                      "fact": "買収前のロイヤル社はオーナーが頻繁に替わり、経営者が替わるたびに施策が変わって優秀な人材が流出する状態にあった",
                      "原文": "コニカが買収する前のロイヤル社は「それまでのマネジメントが悪過ぎた」（米山常務）という。オーナーがひんぱんに替わり、経営者が替わるたびに会社の施策が変わり、優秀な人材がどんどん流出していく状態だった。",
                      "source": "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
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                {
                  "text": "コニカがロイヤルの社長として送り込んだのは、上飯坂勘副社長である。1979年に米国のカメラ販売を代理店から合弁へ切り替える判断を下したのが、この上飯坂氏である。北米で売り方を組み替えた経験を持つ者を、買ったばかりの販売会社の頭に据えている。製品や技術を移すためではなく、売る現場を立て直すために人を送っている。",
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                    {
                      "fact": "コニカからロイヤルの社長として上飯坂勘副社長が派遣された",
                      "原文": "コニカからロイヤルの社長として派遣された上飯坂勘副社長がまず手をつけたのは経営側と従業員の間のカベを取り払うこと。",
                      "source": "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
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                      "原文": "「こうした情勢の中で代理店にまかせておけば後れをとる」と判断した上飯坂勘・前コニシロク・フォト社長が、直販方式に近い合弁会社での販売に切り替えることにした。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年9月8日号「コニシロク・フォト・インダストリーズ（米） 印画紙の現地生産でコダックに挑戦」",
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                  "text": "上飯坂副社長がまず手をつけたのは、経営側と従業員の間の壁を取り払うことであった。毎月1回、トップと従業員がエンプロイズ・ミーティングを開き、前月の経営成績と今月の目標について時間をかけて話し合う。買収前は社長の専用だった食堂も、ミーティングルームとして社員に開放した。米山氏は「特に目新しいことは何もやっていないが、従業員の経営への参画意識が高まって現地人のモチベーションが非常に上がっている」と語っている。",
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                    {
                      "fact": "毎月1回のエンプロイズ・ミーティングで前月の経営成績と今月の目標を話し合い、社長専用だった食堂もミーティングルームとして社員に開放した",
                      "原文": "毎月1回トップと従業員の間でエンプロイズ・ミーティングを開くようにした。ミーティングでは前月の経営成績、今月の目標などについて従業員と時間をかけてじっくり話し合う。買収前に社長の専用だった食堂もミーティングルームとして社員に開放するなど何よりも従業員と経営者の垣根をのぞきコミュニケーションを図るようにした。「特に目新しいことは何もやっていないが、従業員の経営への参画意識が高まって現地人のモチベーションが非常に上がっている」（米山氏）という。",
                      "source": "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
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                {
                  "text": "営業政策では、支店とディーラーの販売が競合しないよう全米の販売網を整理した。複写機の官庁入札などで州の支店と有力ディーラーがバッティングし、ディーラー側がコニカ製品を売る意欲を殺ぐ結果になっていたためである。そこで支店の機能をむしろ縮小する方向で、ディーラーの営業活動の余地を広げた。「ちょうど新製品もタイミングよく投入できて、リコーやキヤノンについたディーラーが戻ってきた」。主力の複写機の販売台数は前期比で3割増となった。",
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                    {
                      "fact": "支店とディーラーの競合を整理し支店の機能を縮小してディーラーの営業余地を広げた結果、リコーやキヤノンについたディーラーが戻り、複写機の販売台数は前期比3割増となった",
                      "原文": "営業政策面では支店とディーラーの販売が競合しないよう全米の販売網を整理した。例えば複写機の官庁入札などでは州の支店と有力ディーラーがバッティングし、これがディーラー側のコニカ製品の販売意欲を殺ぐ結果になっていた。そこで支店の機能をむしろ縮小する方向でディーラーの営業活動の余地を広げた。「ちょうど新製品もタイミングよく投入できて、リコーやキヤノンについたディーラーが戻ってきた」（同）。この結果、主力の複写機の販売台数が前期比で3割増と好調な伸びを見せるなど業績も着実に好転。",
                      "source": "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "同じ時期の買収がすべて実を結んだわけではない。1986年に株式公開買付けで全株を取得した写真現像チェーンのフォトマート社について、米山氏は「残念ながらまだ効果は出ていない。今後の課題」と述べている。1987年4月には三和銀行のあっせんで信和デジタル機器の株式41%を取得した。プリンターやファクシミリなど情報機器を手がけるベンチャー企業であり、こちらは販売網ではなく新技術を求めた出資であった。",
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                    {
                      "fact": "1986年にTOBで全株取得した写真現像チェーンのフォトマート社は効果が出ておらず今後の課題とされ、1987年4月には三和銀行のあっせんで信和デジタル機器の株式41%を取得した",
                      "原文": "61年にTOBで全株取得した写真現像チェーンのフォトマート社は「残念ながらまだ効果は出ていない。今後の課題」という。／昨年4月に三和銀行のあっせんで株式41%を取得した信和デジタル機器はプリンター、ファクシミリなど情報機器のベンチャー企業だ。",
                      "source": "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
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                },
                {
                  "text": "コニカのM&Aの主眼は、何よりも販売・流通チャネルの拡大に置かれていた。ロイヤル社はコニカ ビジネス・マシンと名を改め、北米の事務機事業は販売代理店経由から自前の販売網へ移っている。1980年のカラー印画紙工場が現地生産の入口であったとすれば、1986年1月の全株取得は現地販売の入口にあたる。作る場所に続いて、売る場所も自前になった。",
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                    {
                      "fact": "コニカのM&A戦略の主眼は販売・流通チャネルの拡大・強化に置かれ、一方でM&Aをテコに新技術・新規事業への進出も模索していた",
                      "原文": "同社のM&A戦略は主眼は何よりも販売・流通チャネルの拡大・強化に置かれている。その一方でM&Aをテコに新技術・新規事業への進出も模索している。",
                      "source": "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
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                    {
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                      "原文": "1986年1月、米Royal Business Machinesの全株を取得。販売代理店経由だった北米の事務機事業を自前の販売網に切り替えた。",
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                  "text": "34%の資本参加から2年で残る66%を買い取ったのは、販売会社を半分だけ持っても動かせないと見たからであろう。1979年に米国のカメラ販売を代理店から合弁へ移したときも、セールスマンはバーキィ・フォトが担当し、コニカ社独自の販売員はいなかった。同じ持ち方を事務機で繰り返さないために、親会社のフォルクスワーゲンごと相手にする道を選んだとみられる。井手恵生社長が自ら交渉に乗り込んだのも、価格より全株の取得を優先したためである。"
                },
                {
                  "text": "買っただけで売れるようになったわけではない。同じ1986年に全株を取得したフォトマート社は「まだ効果は出ていない」と米山高範常務に言わせたままで、買収の当たり外れは分かれている。ロイヤル社で複写機の販売台数が3割増えた要因も、支店の機能を縮めてディーラーに余地を戻した営業政策と、タイミングよく投入できた新製品の両方にあった。買った資産が動き出すまでに、社長専用の食堂を開けて月1回話し合うところから始めなければならなかった事実は、販売網の値打ちが契約書ではなく人にあることを示している。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
        "日経ビジネス 1980年9月8日号「コニシロク・フォト・インダストリーズ（米） 印画紙の現地生産でコダックに挑戦」",
        "コニカ 有価証券報告書【沿革】",
        "小西六写真工業 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
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      "slug": "konica-renaming-1987",
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      "title": "輸出ブランド「コニカ」への商号変更と、社名からの「写真工業」の削除",
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          "text": "1987年10月、小西六写真工業は商号をコニカ株式会社へ改めた。輸出向け製品ブランドとして定着していた「コニカ」を社名に据え、業種を示す「写真工業」を社名から外している。感光材料の市場成長が鈍り、販売網の整備も遅れていた会社が、事務機・情報機器まで含めて名乗れる呼称へ移した商号変更である。"
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          "text": "1987年10月の改称は単独の出来事ではない。同じ年の1月に西独へ事務機の製造会社Konica Business Machines Manufacturing GmbH、2月に米国へ印画紙の製造工場Konica Manufacturing U.S.A.、9月に米国へPowers Chemcoを設けている。国内外の販売会社と製造拠点を一つの呼称で束ねる作業と同時に進んだ。"
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              "sub_title": "感光材料の成長が止まったところで",
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                  "text": "1980年代半ばの小西六写真工業は、写真用フィルムや印画紙などの感光材料で富士写真フイルムに次ぐ大手であった。ただし市場の成長は鈍り、販売網の整備も同業に後れをとっていた。1983年に社長へ就いた井手恵生氏は「このままでは21世紀にらんだ展望が開けない」との危機意識を語り、就任からの4年間に国内外で大小7社を買収している。国内でM&Aがまだ珍しかった時期の動きである。",
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                      "原文": "特に58年に現在の井手恵生社長が就任してからは拍車がかかり過去4年間に国内外で大小合わせて7社を買収。同社は写真用フィルム、印画紙などの感光材料では富士写真フイルムに次ぐ大手だが市場の成長鈍化、販売網整備の立ち遅れなどから「このままでは21世紀にらんだ展望が開けない」（井手社長）との危機意識から「滲み出し」と「取り込み」を主眼にM&A戦略を展開している。",
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                },
                {
                  "text": "井手社長のM&A戦略は、販売・流通チャネルの拡大と強化に主眼を置いていた。同時に、買収を手がかりとする新技術・新規事業への進出も探っている。1987年4月には三和銀行のあっせんで信和デジタル機器の株式41%を取得した。プリンターやファクシミリを手がける情報機器のベンチャー企業である。買い足そうとしたのは、いずれも写真材料の外側にある事業だった。",
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                      "source": "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
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                  "text": "「小西六写真工業」という社名が指す範囲は、事業の実態より狭くなっていた。1971年に始めた電子複写機U-Bixは伸びが速く、1973年3月期には売上構成比で20%を占め、カメラ・交換レンズの19%を上回っている。写真材料一本だった会社に、事務機という第二の主力が育っていた。社名を読んだだけでは、その2割が見えない。その状態が10年以上続いた。",
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                    {
                      "fact": "1973年3月期の売上構成比はフィルム40%、電子複写機20%、カメラ・交換レンズ19%、印画紙11%、写真薬品その他10%で、参入3年目の複写機がカメラを上回った",
                      "原文": "売上構成比はフィルム40%、カメラ・交換レンズ19%、電子複写機20%、印画紙11%、写真薬品その他10%",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "一方で、社名に残った写真の側は稼げていなかった。カメラ部門について、社員は「万年赤字で黒字になったのはジャスピンコニカがヒットした時だけだった」と後年に打ち明けている。1975年の世界初のストロボ内蔵カメラ「ピッカリコニカ」、1977年の世界初の自動焦点カメラ「ジャスピンコニカ」は大きく売れたものの、他社の対抗機種が相次いで投入され、シェアの上昇は一時的なものに終わった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "コニカのカメラ部門は万年赤字で、黒字になったのはジャスピンコニカがヒットしたときだけだった",
                      "原文": "「カメラ部門は万年赤字で黒字になったのはジャスピンコニカがヒットした時だけだった。ところが今年度はビッグミニなどのヒットで黒字化する見込みらしい」。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年1月1日号「コニカ 小型軽量への“思い込み”が生んだ大ヒット」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "ピッカリコニカ・ジャスピンコニカは大ヒットしたが、他社の対抗機種投入で一時的なシェア上昇に終わり、以後カメラ部門は低迷した",
                      "原文": "ジャスピンコニカ，ピッカリコニカを大ヒットさせたものの相次ぐ他社の対抗機種投入で結局は一時的なシェア上昇に終わった。以後，コニカのカメラ部門は低迷した。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年1月1日号「コニカ 小型軽量への“思い込み”が生んだ大ヒット」",
                      "url": null
                    }
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                }
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            }
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
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              "sub_title": "輸出ブランドを社名に据える",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1987年10月、小西六写真工業は商号をコニカ株式会社へ改めた。「コニカ」は輸出向け製品のブランドとして長く使ってきた呼称で、1956年8月に米国へ設けた販売会社もKonica Photo Corporationを名乗っている。海外で通っていた名を、国内の法人名にも据えた。同時に、創業家に由来する「小西六」と、業種を示す「写真工業」が社名から消えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1987年10月、社名を小西六写真工業からコニカ株式会社へ改称した",
                      "原文": "1987年10月、小西六写真工業は社名をコニカ株式会社へ改めた。輸出向けブランドとして使ってきたKonicaを社名に据え、「写真工業」を外した。",
                      "source": "コニカ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1956年8月に米国でKonica Photo Corporationを設立した",
                      "原文": "1956年8月 米国にKonica Photo Corporationを設立",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "改称は単独の出来事ではなかった。同じ1987年の1月、西独に事務機の製造会社Konica Business Machines Manufacturing GmbHを設けている。2月には米国に印画紙の製造工場Konica Manufacturing U.S.A.、9月にも米国へPowers Chemcoを設立した。事務機と感光材料の生産拠点が同じ年に建ち、その多くが「Konica」を冠している。呼称の統一と海外拠点の整備は、並行して進んだ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1987年1月に独Konica Business Machines Manufacturing GmbH、2月に米Konica Manufacturing U.S.A.（印画紙工場）、9月に米Powers Chemcoを設立した",
                      "原文": "同じ年、独にKonica Business Machines Manufacturing GmbH、米国に印画紙工場Konica Manufacturing U.S.A.とPowers Chemcoを相次いで設立した。",
                      "source": "コニカ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "名から外したものと、外さなかったもの",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "社名から「写真工業」が抜けたことで、会社は感光材料に限らない社名を得た。井手社長のM&A戦略の主眼が販売・流通チャネルにあった以上、国内外で買い集めた販売会社を一つの呼称で束ねる必要も生じていた。販売会社を増やすほど、名の不統一は現場の負担になる。商号変更は、写真材料メーカーと名乗るのをやめる決定であると同時に、販売網の整備と対になる実務でもあった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "コニカのM&A戦略の主眼は販売・流通チャネルの拡大・強化に置かれていた",
                      "原文": "同社のM&A戦略の主眼は何よりも販売・流通チャネルの拡大・強化に置かれている。",
                      "source": "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "ただし、写真から降りる決定ではなかった。改称の8カ月前にあたる1987年2月、会社は米国に印画紙の製造工場を建てている。社名の指す範囲を事務機・情報機器まで広げながら、感光材料の設備は増やしている。外したのは「写真工業」という業種名であって、事業そのものではない。この時点で写真をやめる計画はなく、以後も銀塩の技術に資源を割き続けた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1987年2月、米国に印画紙の製造工場Konica Manufacturing U.S.A.を設立した",
                      "原文": "1987/2 米国に印画紙製造工場Konica Manufacturing U.S.A.を設立",
                      "source": "コニカ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
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          ]
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "改称の2年後に当たったのは、カメラだった",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1989年2月、コニカはコンパクトカメラ「ビッグミニ」を発売した。開発に着手したのは改称と同じ1987年である。市場の65%が多焦点タイプへ向かうなかで単焦点を選び、幅117ミリ・高さ63ミリ・厚さ36ミリ、重さ195グラムという世界最小最軽量に絞り込んだ。開発チームのリーダーだった石井静雄氏は「コンパクトさを追求すれば売れるという思い込みから開発がスタートした」と振り返っており、市場調査のデータによる裏づけはなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ビッグミニは開発着手が1987年、市場の65%が多焦点タイプへ向かうなか単焦点を採用し、幅117ミリ・高さ63ミリ・厚さ36ミリ・重さ195グラムに絞った",
                      "原文": "開発に着手したのは87年。当時すでに多焦点タイプのカメラが相次いで登場，市場の4割が多焦点タイプになりつつあった。／大きさは幅117ミリ・高さ63ミリ・厚さ36ミリ，重さは195グラム（電池除く）。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年1月1日号「コニカ 小型軽量への“思い込み”が生んだ大ヒット」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "石井静雄設計グループ主任課員は「コンパクトさを追求すれば売れるという思い込みから開発がスタートした」と述べ、開発時に市場調査のデータの根拠はなかった",
                      "原文": "商品戦略がピタリと当たった格好だが，開発時には市場調査のデータなどの根拠があったわけではない。「コンパクトさを追求すれば売れるという思い込みから開発がスタートした」と，開発チームのリーダーだった石井静雄設計グループ主任課員は振り返る。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年1月1日号「コニカ 小型軽量への“思い込み”が生んだ大ヒット」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "売れ方は計画を大きく超えた。当初は月1万台で採算がとれれば上出来という見立てだったが、1989年末には当初計画の8倍にあたる月産8万台の体制を敷いている。国内のコンパクトカメラ出荷台数400万台の1割を1機種で占め、ジャスピンコニカ以来12年ぶりのヒットとなった。万年赤字だったカメラ部門は、この年度に黒字化する見込みとなる。社名から写真を外した2年後に稼いだのは、その写真の側の商品であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ビッグミニは当初「月に1万台売って収支トントンなら上出来」という計画だったが、1989年末には当初計画の8倍の月産8万台体制となり、国内出荷台数400万台の10%を1機種で占めた",
                      "原文": "開発時には「月に1万台売って収支トントンなら上出来という計画だった」（石井氏）。ところが発売してみると輸出も含めて今年の販売台数は50万台にもなりそうな勢い。増産につぐ増産で89年末には当初計画の8倍にあたる月産8万台体制になっている。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年1月1日号「コニカ 小型軽量への“思い込み”が生んだ大ヒット」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "ビッグミニはジャスピンコニカ以来12年ぶりのヒット商品で、この年度にカメラ部門が黒字化する見込みとなった",
                      "原文": "コニカがカメラでヒットを飛ばしたのは，75年に発売した世界初のストロボ内蔵カメラ「ピッカリコニカ」と，それに続いて77年に発売した世界初の自動焦点カメラ「ジャスピンコニカ」以来のこと。12年ぶりのヒット商品なのである。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年1月1日号「コニカ 小型軽量への“思い込み”が生んだ大ヒット」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "10年後の総括",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "社名に事業構成が追いついたのは、事務機の側からであった。1992年、情報機器の責任者となった岩居文雄氏は、当時主流だったアナログ複写機の開発を打ち切り、研究開発費の大半を白黒の高速デジタル機へ振り向けた。1998年には毎分45〜69枚の高速デジタル機で世界シェア23.9%、日本市場で40.3%を占めている。同年度の情報機器分野の連結売上高2,494億円は、全社の42%にあたる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1992年に岩居文雄がアナログ複写機の開発を打ち切り白黒高速デジタル機へ集中した",
                      "原文": "翌1992年、岩居氏は当時主流だったアナログ機の開発を打ち切り、研究開発費のほとんどを白黒の高速デジタル機へ振り向けると決めた。",
                      "source": "週刊東洋経済 2001年9月22日号「トップの履歴書 コニカ社長 岩居文雄」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1998年の複写機世界シェアは台数ベース3.7%だが毎分45〜69枚の高速デジタル機では23.9%、日本市場40.3%。同年度の情報機器分野の連結売上高2,494億円は全社の42%",
                      "原文": "1998年の複写機世界シェアは台数ベースで3.7%にすぎないが、毎分45〜69枚の高速デジタル機では23.9%を占め、日本市場では40.3%に達している。同年度の情報機器分野の連結売上高は2,494億円で全社の42%を占め、純利益では約40億円を稼ぐ柱となった。",
                      "source": "日経ビジネス 2000年4月17日号「コニカの複写機事業 高速デジタル機で善戦、早い特化が奏功」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1998年1月、植松富司社長は「昨年、社名ブランドをコニカに統一してちょうど一〇周年の節目を迎えた」と述べ、新しいコニカビジョン「Touching your Heart」を制定したと語った。同じ談話では、デジタル化の加速に商品開発の速度を合わせる必要があるとも述べている。それでも会社は写真を手放さなかった。植松氏は後年、カラーフィルムからの撤退提言を西村龍介社長が拒んだ過去を挙げ、「弱いものに明日はない」という考え方は正しくないと語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "植松富司社長は1998年1月に「昨年、社名ブランドをコニカに統一してちょうど一〇周年の節目を迎えた」と述べ、新しいコニカビジョン「Touching your Heart」を制定したと語った",
                      "原文": "昨年、社名ブランドをコニカに統一してちょうど一〇周年の節目を迎えた。九八年は業界競争はさらに激化、グローバルかつボーダレス化も進行すると予測されている。技術的にはデジタル化が加速、魅力的な商品の開発にもスピードを上げていかなければならない。これからの一〇年を見据え、新しいコニカビジョン「Ｔｏｕｃｈｉｎｇ　ｙｏｕｒ　Ｈｅａｒｔ」を制定。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年1月31日号「ザ・トーク コニカ・植松富司社長」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "植松富司は、外資系コンサルタントのカラーフィルム撤退の提言を西村龍介社長が拒んだ経緯を挙げ、「弱いものに明日はない」という考え方は正しくないと述べた",
                      "原文": "しかし、西村龍介社長は「ノーだ。私が国内初のカラーフィルム『さくら天然色フィルム』を開発した。どうしたら頑張れるか、みんなで考えてくれ」と、常務会で呼びかけました。／「あの時、コンサルタントの話に乗ってカラーフィルムを捨てなくて良かった」と心の底から思います。つまり、「弱いものに明日はない」という考え方は正しくないのです。",
                      "source": "日経ビジネス 2001年11月12日号「有訓無訓 植松富司［コニカ会長］大切なのは『見えない力』」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "名を先に変えるということ",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "「このままでは21世紀にらんだ展望が開けない」と語った井手恵生社長が社名から取り去ったのは、「写真工業」という業種名であった。一方、同じ1987年に米国では印画紙の製造工場が建っている。事業の入れ替えを予告する改称ではなく、国内外で買い集めた販売会社と製造拠点を一つの呼称で束ねるための実務であったとみられる。"
                },
                {
                  "text": "名と事業の食い違いが埋まるまでには10年余りを要した。改称の2年後に稼いだのはビッグミニで、社名から外したはずの写真の側である。情報機器が全社売上の42%を占めるのは1998年度であり、その間も会社は感光材料を手放さなかった。植松富司社長が10周年に「社名ブランドをコニカに統一して」と振り返ったとき、統一されていたのは名であって事業の構成ではない。名を先に変えても事業の入れ替えは早まらなかった。ただ、どちらへ向かう会社かを社内外へ示す働きはあった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1988年6月13日号増刊「コニカ 販売網拡充が主眼」",
        "日経ビジネス 1990年1月1日号「コニカ 小型軽量への“思い込み”が生んだ大ヒット」",
        "日経ビジネス 2000年4月17日号「コニカの複写機事業 高速デジタル機で善戦、早い特化が奏功」",
        "日経ビジネス 2001年11月12日号「有訓無訓 植松富司［コニカ会長］大切なのは『見えない力』」",
        "週刊東洋経済 1998年1月31日号「ザ・トーク コニカ・植松富司社長」",
        "週刊東洋経済 2001年9月22日号「トップの履歴書 コニカ社長 岩居文雄」",
        "証券アナリストジャーナル 1973年11月号「小西六写真工業 高技術水準を誇る」（西村龍介）",
        "コニカ 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-28"
    }
  ]
}
