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    {
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      "title": "開業時の無線方式へのNTT大容量方式の採用と、TACS方式の不採用",
      "subtitle": "実績のある規格を借りるか、規格の外へ出るか——首都圏と中部圏に参入した日本移動通信の技術選択",
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      "issue": "通信方式の選択と設備投資",
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        {
          "label": "概要",
          "text": "1988年12月に首都圏と中部圏の1都12県で開業した日本移動通信が、自動車電話・携帯電話の無線方式にNTTと同じ大容量方式を採り、英国生まれのTACS方式を採らなかった技術選択。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "通信自由化で移動電話への新規参入が相次いだが、日本で商用運用され端末と基地局の供給裏付けを持つ無線方式は、当時NTTのものだけであった。出資者のトヨタ自動車は独占時代からディーラーでNTTの自動車電話を扱っていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "NTT大容量方式で1988年12月にサービスを開始。技術情報の開示を受けるためNTTへ10億円以上を支払い、端末にも外部への許諾料が上乗せされた。第二電電系のセルラー電話8社は1989年以降にTACS方式で開業し、方式は二系統に割れた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "規格を借りる立場は商品を出す時期まで相手に左右され、小型端末では1年5カ月の遅れが生じた。日米通信摩擦がモトローラ方式の併営を持ち込み、1994年のデジタル方式を加えた三方式並行が減価償却費を押し上げた。"
        }
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            "note": "首都圏・中部圏を営業区域とする移動体通信の新規事業者。日本高速通信・トヨタ自動車・東京電力・日産自動車・中部電力などが出資"
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          "title": "日本高速通信から移動体部門を分離し日本移動通信を設立"
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          "title": "日米電気通信交渉の決着を受けモトローラ方式の首都圏導入を引き受ける"
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          "title": "モトローラ方式（TACS）の「トーキョーフォン」を1都3県で開始"
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          "title": "モトローラ方式へ3年間で400億円超の追加投資を決定"
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          "title": "NTT方式の小型端末「ミニモJ」を実用化（ムーバから1年5カ月遅れ）"
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          "title": "デジタル方式の携帯電話を開始し、抱える無線方式が三つになる"
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      "snapshot": {
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        "source": "日経ビジネス 1992年6月22日号「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」",
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            "name": "日本移動通信",
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              "sub_title": "通信自由化と、首都圏・中部圏を任された新会社",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "移動電話は長くNTTの独占下にあった。料金が高く、自動車電話は企業のトップが乗る専用車や高額所得者に用途が限られていた。携帯電話も小型化と軽量化が進まず、米国での普及ぶりと比べれば「開国前夜」と評される状態が続いた。この停滞に刺激を与えたのが通信の自由化で、長距離の中継系に続き、移動体でも各地に新電電が生まれた。日本移動通信は、その最初の一社として首都圏と中部圏を任された。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "民営化前の移動電話はNTTの独占で料金が高く、普及するに至らなかった",
                      "原文": "移動通信はすでにNTTがサービスする自動車電話があったが、一般の電話同様に独占状態にあったため、料金が高く、普及するには至らなかった。企業のトップの専用車や公用車など特別な乗用車か高額所得者用に限られていた。",
                      "source": "日本産業史 第4巻 情報・通信・サービス（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
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                {
                  "text": "会社の発足は1987年3月である。トヨタ自動車と建設省が主導した中継系新電電の日本高速通信が、移動体部門を切り出して設立した。出資者には日本高速通信のほか、トヨタ自動車・東京電力・日産自動車・中部電力などが名を連ねた。経営の最高責任者には、トヨタ自動車で相談役を務めた花井正八氏が日本高速通信と兼務で就いた。のちに社長となる塚田健雄氏がトヨタ自動車から専務として移ったのは、開業直前の1988年10月である。",
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                      "原文": "昭和六十三年十二月に関東と中部地区を営業エリアにする日本移動通信(IDO)が、日本高速通信、トヨタ自動車、東京電力、日産自動車、中部電力などを出資者に自動車電話と携帯電話のサービスを始めた。",
                      "source": "日本産業史 第4巻 情報・通信・サービス（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
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                      "原文": "経営の最高責任者には、トヨタ自動車で相談役を務めた花井正八が日本高速通信と兼務で就いた。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年4月10日号「有訓無訓 参謀に日本企業の経営はできない」",
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                      "原文": "塚田健雄氏は1988年10月にトヨタ自動車から専務として日本移動通信へ移り、1991年6月に社長へ就任した。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
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                  "text": "移動電話の事業者は、開業の前に無線方式を一つ決めねばならない。方式が決まらなければ基地局も端末も発注できず、加入者へ売る商品の形も定まらない。1980年代後半の日本で、現に商用として動き、端末と基地局の供給裏付けもある方式は、NTTの大容量方式だけであった。海外へ目を移せば英国生まれのTACS方式があり、モトローラをはじめ供給者も存在する。ただし国内での運用実績は無い。",
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                    {
                      "fact": "日本で商用運用され端末・基地局の供給裏付けがある無線方式は当時NTTのものだけで、実績が選択の決め手となった",
                      "原文": "実際に日本で商用運用され、端末も基地局も供給の裏付けがある無線方式は、NTTのものだけだった。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
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                },
                {
                  "text": "同じ問いに逆の答えを出した会社もある。第二電電と地域の電力会社が共同で出資した関西セルラー電話が、1989年に開業した。九州・中国・東北・北海道・北陸・四国・沖縄がこれに続き、8社はいずれもTACS方式を採ってNTTの規格に乗らなかった。営業区域は日本移動通信が首都圏と中部圏、セルラー各社がそれ以外と分かれた。全国を一社で覆うNTTに対し、新規参入の側は地域でも方式でも二つに割れた状態で競争へ入った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1989年以降、第二電電と地域資本が出資したセルラー電話8社が各地で開業した",
                      "原文": "次いで平成元年以降、関西を営業地域にし、第二電電、関西電力を主な出資者にする関西セルラー電話、同様に、第二電電を中心に地域電力会社や地元資本が共同出資する、九州セルラー電話、中国セルラー電話、東北セルラー電話、北海道セルラー電話、北陸セルラー電話、四国セルラー電話、沖縄セルラー電話がスタートし、全国各地にNTTの移動電話に対抗する新勢力が生まれた。",
                      "source": "日本産業史 第4巻 情報・通信・サービス（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
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                      "原文": "セルラー電話各社は英国生まれのTACS方式を採り、NTTの規格には乗らなかった。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
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              "sub_title": "実績を採る——1988年12月の開業",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1988年12月、日本移動通信は首都圏と中部圏の1都12県で自動車電話と携帯電話のサービスを開始した。採った無線方式は、NTTと同じ大容量方式である。新規参入者が独占事業者と同じ規格を選ぶのは、商品の違いを見せる面では不利に映る。それでも決め手は実績であった。基地局も端末も現に日本で動いており、供給者と価格を開業前に確かめられる。期日を守り、初期投資の見積りを外さないことが優先された。",
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                      "原文": "昭和六十三年十二月に関東と中部地区を営業エリアにする日本移動通信(IDO)が、日本高速通信、トヨタ自動車、東京電力、日産自動車、中部電力などを出資者に自動車電話と携帯電話のサービスを始めた。",
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                {
                  "text": "販売の面にも根拠があった。出資者のトヨタ自動車は、独占時代からディーラーでNTTの自動車電話を扱っている。方式が同じであれば、売り方も保守も既存の経験をそのまま生かせる。全国に販売網を持つ自動車会社が主要株主に並ぶ会社にとって、これは軽い条件ではなかった。実績のある規格を借り、販売の厚みで差をつける。1988年時点で手元にあった材料に照らせば、この組み立ては筋が通っていた。",
                  "evidences": [
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                      "原文": "加えてトヨタ自動車は独占時代からディーラーでNTTの自動車電話を扱っており、その販売経験をそのまま生かせた。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
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              "sub_title": "規格を借りる立場に付いた条件",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "借り賃は開業前から発生した。NTT方式の技術情報は原則として非公開で、日本移動通信は開示を受けるために10億円を超える金額をNTTへ支払っている。端末にも外部への許諾料が上乗せされ、調達価格は競合より高くついた。加入者一人あたりの原価は、はじめから相手より高い水準に置かれる。方式の選択は、そのまま費用構造の選択でもあった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "NTT方式の技術情報は原則非公開で、開示のためNTTへ10億円以上を支払い、端末にも許諾料が上乗せされた",
                      "原文": "NTT方式の技術情報は原則として非公開で、日本移動通信は開示を受けるために10億円を超える金額をNTTへ支払っている。端末にも外部への許諾料が上乗せされ、調達価格は競合より高くついた。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
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                },
                {
                  "text": "商品を出す時期も相手が握った。NTTが小型端末「ムーバ」を実用化したのは1991年4月で、関連技術の公開はその半年後になる。日本移動通信が同等品の「ミニモJ」を出せたのは1992年9月であった。差は1年5カ月にのぼる。端末の小型化がそのまま販売を左右した時期の1年5カ月である。規格の所有者が新しい商品を出したあとでなければ、日本移動通信は追随できなかった。",
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                      "fact": "NTTのムーバ実用化は1991年4月、技術公開は半年後で、IDOのミニモJは1992年9月と1年5カ月遅れた",
                      "原文": "NTTが1991年4月に小型端末「ムーバ」を実用化したのに対し、関連技術の公開は半年後で、同等品の「ミニモJ」を出せたのは1992年9月にずれ込んだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
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              "sub_title": "日米交渉が持ち込んだ二つ目の設備",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1989年、米モトローラが動いた。自社のTACS方式が中部圏と首都圏で使えないことを、日本市場が閉鎖的である証拠として持ち出す。主張は日米電気通信交渉の争点にまで及んだ。交渉は、日本移動通信が同方式を自社で提供することで決着する。同社の側にも、外国勢が新規参入して四社目の事業者になるよりは自社で抱えたほうが得策という計算が働いた。開業から2年の会社が、二つ目の無線設備を国家間の交渉の帰結として引き受けた。",
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                    {
                      "fact": "モトローラはTACS方式が中部・首都圏で使えないことを日本市場の閉鎖性の証拠として主張し、政治問題化した",
                      "原文": "1989年、米モトローラは自社のTACS方式が中部圏と首都圏で使えない状況を、日本市場が閉鎖的である証拠として持ち出した。日米電気通信交渉の争点となり、政治問題へ発展する。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月22日号「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "外国勢が四社目として新規参入するよりは自社で引き受けたほうが得策という計算があった",
                      "原文": "同社にとっては、外国勢が新規参入して四社目の事業者になるよりは自社で抱えたほうが得策という計算が働いている。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1991年10月、モトローラ方式による「トーキョーフォン」が東京23区を中心とする1都3県で始まった。基本料金はNTT方式より月3000円安い。それでも開始から6カ月の1992年3月末で加入は2000回線にとどまり、同じ期間にNTT方式が積んだ6000回線を下回った。設備の負担だけが先に立つ。東京23区に置いた47の無線基地局のうち、二つの方式で用地を兼用できたのは12局にすぎなかった。1基あたり2億円から3億円かかる基地局を、20局近く新たに建てている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1991年10月開始のトーキョーフォンは基本料金が月3000円安く、6カ月後の加入2000回線に対しNTT方式は6000回線だった",
                      "原文": "基本料金をNTT方式より月3000円安く設定したが、開始から6カ月の1992年3月末で加入は2000回線にとどまる。同じ期間にNTT方式が6000回線を積んだのと比べて振るわなかった。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月22日号「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "東京23区の47基地局のうち用地を兼用できたのは12局で、1基2億〜3億円の基地局を20局弱新設した",
                      "原文": "東京23区に置いた47の無線基地局のうち、二つの方式で用地を兼用できたのは12局にすぎない。1基あたり2億円から3億円かかる基地局を、20局近く新たに建てている。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月22日号「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」",
                      "url": null
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              ]
            },
            {
              "sub_title": "追加投資と、二度目の交渉",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1992年6月、モトローラからの設備拡充要求と郵政省の要請を受け、同方式へ3年間で400億円を超える追加投資を決めた。当初の見積りは二百数十億円で、負担はほぼ倍になる。1992年3月期の加入は24万回線を数えた。それでも売上高604億円に対して経常利益は12億円まで落ち、前期からの落ち込みは23億円に達した。約98億円あった累積損失の一掃時期は、1992年から1993年の見込みが1996年へ後退した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1992年6月に3年間で400億円超の追加投資を決定し、当初見積りは二百数十億円だった",
                      "原文": "1992年6月、モトローラからの設備拡充要求と郵政省の要請を受けて、同方式へ3年間で400億円を超える追加投資を決めた。当初の見積りは二百数十億円だったから、負担はほぼ倍になっている。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月22日号「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1992年3月期は売上高604億円・経常利益12億円で、累積損失約98億円の一掃時期を1996年へ先送りした",
                      "原文": "1992年3月期は売上高604億円に対して経常利益が12億円まで落ち、前期からの落ち込みは23億円に達した。約98億円あった累積損失の一掃時期は、1992年から1993年と見込んでいたものが1996年へ後退する。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月22日号「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」",
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                    }
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                },
                {
                  "text": "交渉は一度では終わらなかった。1994年春に日米の経済摩擦が再燃し、1995年9月までに無線基地局159局の増設が課される。モトローラ方式への設備投資は総額でおよそ600億円となり、当初の計画より300億円多くなった。加入者が二つ目の方式へどれだけ集まるかとは別の理屈で、設備の量が決まった。国内の競争で必要な投資と、通商交渉で求められる投資とが、同じ財務の上に重なった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1994年春の日米経済摩擦の再燃で1995年9月までに無線基地局159局の増設が課され、設備投資は総額約600億円と当初計画より300億円増えた",
                      "原文": "1994年春に日米経済摩擦が再燃し、1995年9月までに無線基地局159局の増設が課された。設備投資は総額約600億円と当初計画より300億円多くなった。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
                      "url": null
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            {
              "sub_title": "三つ目の方式と、加入者が最も伸びた年の赤字",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1994年、日本移動通信はデジタル方式の携帯電話も始めた。三つ目の無線方式である。割り当てられた電波には余裕があり、需要の面で急ぐ理由は無かった。それでも前倒しで投資したのは、同じ年にツーカーセルラー東京と東京デジタルホンがデジタル方式で参入したためであった。デジタルは盗聴に強く、同じ帯域から取れる回線数も多い。後発の二社が利点を売りに入ってくる以上、持たずに済ませる選択は残らなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1994年にデジタル方式を開始し三つ目の方式となった。割当電波に余裕があり需要面では急ぐ必要がなかったが、同年のツーカーセルラー東京・東京デジタルホンの参入で前倒しとなった",
                      "原文": "割り当てられた電波には余裕があり、需要の面では急ぐ必要がなかった。それでも前倒しで投資したのは、同じ年にツーカーセルラー東京と東京デジタルホンがデジタルで参入したためである。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1994年以降、東京デジタルホンやツーカーセルラー東京などデジタル方式の事業者がサービスを始めた",
                      "原文": "平成六年以降は携帯電話市場にデジタル方式が次々と登場する。日本テレコム系の東京デジタルホン、関西デジタルホン、東海デジタルホン、日産自動車が中心になるツーカーセルラー東京、ツーカーセルラー関西、ツーカーセルラー東海などがサービスを始める。",
                      "source": "日本産業史 第4巻 情報・通信・サービス（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "販売そのものは、この年に最も伸びた。1994年4月の端末売り切り制で市場が急拡大する。同社は法人に強いNTTドコモを避け、個人客と量販店へ販路を移した。売る商品には、価格の安いモトローラ方式を前面に立てている。新規契約の8割から9割を同方式が占めた。契約数は1994年3月末の33万6800から年末の50万1800へ、9カ月で16万5000増えている。10月には月間の販売数量で初めてドコモを上回り、同じ月に資本金を114億円から229億円へ倍額増資した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1994年4月の端末売り切り制で市場が急拡大し、通信機・家電メーカーが利用者へ直接端末を販売できるようになった",
                      "原文": "市場を活性化するのにさらに刺激を与えたのは平成六年四月に携帯電話端末の販売が自由化されたことだ。それまでは携帯電話端末は移動電話会社と契約すると電話会社の方から端末を支給することになっていたが、平成六年四月以降は、通信機メーカー、家電メーカーが直接、利用者に端末を販売することができるようになった。",
                      "source": "日本産業史 第4巻 情報・通信・サービス（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "新規契約の8〜9割がモトローラ方式で、契約数は1994年3月末33万6800から年末50万1800へ増え、10月に月間販売数量で初めてドコモを上回った",
                      "原文": "新規契約の8割から9割を同方式が占め、契約数は1994年3月末の33万6800から年末の50万1800へ9カ月で16万5000増えた。同年10月には月間の販売数量で初めてドコモを上回っている。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "それでも1994年度の中間期は、38億3300万円の経常損失を計上した。営業利益は前年同期比31%減の49億円である。三方式を並行して維持する減価償却費が増え、人件費を除いても売上高の6割が固定費という収益構造になっていた。黒字回復は早くても1997年度下期と見込まれる。同じ年度、方式を一つに絞った第二電電系のセルラー電話8社は売上高1910億円・経常利益380億円の増収増益を見込んでいた。立て直しは、1997年3月に同グループと次世代方式で全面提携するまで持ち越された。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1994年度中間期に経常損失38億3300万円、営業利益は前年同期比31%減の49億円で、黒字回復は早くても1997年度下期とされた",
                      "原文": "それでも1994年度の中間期は、38億3300万円の経常損失を計上した。営業利益は前年同期比31%減の49億円である。三つの方式を並行して維持する減価償却費が増え、人件費を除いても売上高の6割が固定費という構造になっていた。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "同年度、第二電電系のセルラー電話8社は売上高1910億円・経常利益380億円の増収増益を見込んでいた",
                      "原文": "同じ年度、第二電電系のセルラー電話8社は売上高1910億円・経常利益380億円の増収増益を見込んでいる。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1997年3月、日本移動通信は第二電電系のセルラー電話グループと次世代携帯電話で全面提携した",
                      "原文": "1997年3月、日本移動通信は第二電電系のセルラー電話グループと次世代携帯電話で全面提携し、翌年から導入する方式を共同で採用することを決めた。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年3月31日号「セルラー，IDO 提携に至った2つの理由」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "借り賃は、金額と時間の両方で支払われた",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1988年12月の開業に間に合わせるという条件のもとでは、選べる無線方式は実質的に一つであった。基地局と端末が現に動き、供給者も価格も確かめられる方式は、NTTのものしかない。出資者のトヨタ自動車には、ディーラーでNTTの自動車電話を売った経験もある。参入時点の材料に照らせば、実績を採った判断に無理は無い。狂いはその先にあった。規格の所有者が、同時に最大の競争相手でもある。この一点から、ムーバに1年5カ月遅れた「ミニモJ」のような後追いが繰り返された。"
                },
                {
                  "text": "三つの方式を抱えた結果を、1988年の選択だけに帰すのは無理がある。二つ目は日米電気通信交渉の決着が持ち込んだ。三つ目はツーカーセルラー東京と東京デジタルホンの参入が前倒しさせた。いずれも会社の外側で決まっている。自動車・電力・道路の資本が持ち寄った出資構成では、外圧を退けて一方式に絞り直す力も働きにくかったであろう。方式を一つに保った第二電電系8社は、1994年度に1910億円の売上高と380億円の経常利益を見込んだ。同じ年度、加入者が最も伸びた日本移動通信は38億3300万円の中間期経常損失を計上した。規格を持たない側が規格を借りるとき、借り賃は金額だけでは済まない。商品を出す時期の遅れとしても支払われた。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1992年6月22日号「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」",
        "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
        "日本産業史 第4巻 情報・通信・サービス（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
        "日経ビジネス 1989年4月10日号「有訓無訓 参謀に日本企業の経営はできない」",
        "日経ビジネス 1997年3月31日号「セルラー，IDO 提携に至った2つの理由」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
    },
    {
      "slug": "cellular-alliance-1997",
      "url": "/tse/ido/decisions/cellular-alliance-1997/",
      "year": 1997,
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      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "ido",
      "decision_id": "ido-cellular-alliance-1997",
      "type": "alliance",
      "tags": [
        "st-tech",
        "st-platform"
      ],
      "title": "DDIセルラーグループとの次世代携帯電話における全面提携と、CDMA方式の共同採用",
      "subtitle": "NTTと同じ方式を使い続けるか、自前で開発せずに別系統へ移るか——地域割りの事業者が選んだ相手",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
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      "decider": "塚田健雄（社長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1997年3月、日本移動通信が第二電電系のセルラー電話グループと、1998年からの次世代携帯電話で全面提携すると発表した経営判断。米クアルコムが開発したCDMA方式を共同で採用し、両陣営の営業区域を合わせて全国均一のサービスを目指した。塚田健雄社長のもとで決まっている。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1988年12月にNTTと同じ大容量方式で開業した後、日米通信摩擦の決着としてモトローラ方式が、競争の激化に応じてデジタル方式が加わり、三つの方式を並行して維持する構造になっていた。1997年3月末の累積損失は179億円、トヨタ自動車の出資比率は27.2%であった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "首都圏・中部圏を区域とする日本移動通信と、それ以外を区域とするセルラー8社が方式を揃える。CDMAは基地局の数を約3分の1に減らして同じ範囲をまかない、収容できる加入者は約1.5倍になる。米国で実用化済みの両用端末を持ち込めるため、開発の期間と費用も抑えられた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "NTTドコモが1997年4月に次世代方式としてW-CDMAを打ち出し、日本の携帯電話は方式で二系統に割れた。技術の共通化は業務の範囲にとどまらず、同年10月に塚田社長が第二電電グループとの「戦略的大同団結」に言及するなど、資本の距離を縮める話へ接続した。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "ido",
          "name": "日本移動通信",
          "role": "当事者",
          "at_deal": {
            "note": "首都圏と中部圏を営業区域とする携帯電話事業者。トヨタ自動車・東京電力などが出資し、NTT方式・モトローラ方式・デジタル方式の三方式を並行して維持していた"
          }
        },
        {
          "name": "セルラー電話グループ（第二電電系）",
          "role": "提携相手",
          "at_deal": {
            "note": "第二電電系の地域別携帯電話事業者8社。日本移動通信の区域を除く全国を営業区域とし、収益面では日本移動通信を上回っていた"
          }
        }
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      "dates": {
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        "summary": "NTTと共通の方式では対抗できないという判断のもと、次世代方式に米国発のCDMAを選び、営業区域が補完し合う第二電電系セルラー8社と共同で採用した技術提携"
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      "timeline": [
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          "year": 1987,
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          "title": "日本高速通信から分離する形で日本移動通信を設立、首都圏と中部圏を営業区域とする"
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          "title": "NTTと同じ大容量方式で自動車電話・携帯電話サービスを開始"
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          "title": "NTTの経営形態論議が決着し、通信業界で大型合併・提携が相次ぐ"
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                {
                  "text": "1997年の日本移動通信は、営業区域が首都圏と中部圏に限られる事業者であった。1987年に中継系新電電の日本高速通信から分かれて発足し、トヨタ自動車・東京電力・日産自動車・中部電力などが出資した。1988年12月の開業ではNTTと同じ大容量方式を採っている。その後、日米通信摩擦の決着でモトローラ方式が加わり、競争の激化に応じてデジタル方式も足した。1997年には無線方式を三つ抱え、そのそれぞれに基地局と端末を用意した。",
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                      "fact": "1987年に日本高速通信から分離して設立され、トヨタ自動車・東京電力・日産自動車・中部電力などが出資、首都圏と中部圏を営業区域として1988年12月にNTTと同じ大容量方式で開業した",
                      "原文": "日本移動通信は首都圏と中部圏の1都12県を営業エリアとし、NTTと同じ方式の設備で1988年12月に開業した。出資者は日本高速通信・トヨタ自動車・東京電力・日産自動車・中部電力などである。",
                      "source": "日本産業史 第4巻 情報・通信・サービス（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
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                      "原文": "テレウェイは全国展開で出遅れＩＤＣは国際電話市場の低価格化に苦しみ、ＩＤＯは日米通信摩擦の余波でデジタル化が後手にまわった。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年12月6日号「企業 目覚めたトヨタ 通信・住宅への不退転」",
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                {
                  "text": "1997年3月末で、トヨタ自動車の日本移動通信に対する出資比率は27.2%、累積損失は179億円に達していた。トヨタが資本参加した通信会社はほかにもある。長距離のテレウェイには38.3%を出資して累損646億円、国際のIDCには17.6%を出資して累損49億円を抱えた。三社に共通する低迷の理由は、NTTとの対抗上、資金面を含めすべてが中途半端な規模にとどまった点にある。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1997年3月末でトヨタの出資比率はテレウェイ38.3%・IDC17.6%・IDO27.2%、累損はそれぞれ646億円・49億円・179億円であった",
                      "原文": "トヨタの出資比率は、長距離のテレウェイが三八・三％（今期中の増減資で五割超の予定）、国際のＩＤＣ（国際デジタル通信）が一七・六％、携帯のＩＤＯ（日本移動通信）が二七・二％。それぞれ前期末で、六四六億円（今期中に一掃予定）、四九億円、一七九億円の累損を抱えている。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年12月6日号「企業 目覚めたトヨタ 通信・住宅への不退転」",
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                    {
                      "fact": "三社の低迷は、NTTとの対抗上、資金面を含めすべてが中途半端な規模にとどまったためと分析された",
                      "原文": "こうした低迷は、ＮＴＴとの対抗上、資金面を含めすべてが中途半端な規模にとどまったためだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年12月6日号「企業 目覚めたトヨタ 通信・住宅への不退転」",
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              "sub_title": "動き出した通信業界と、地域割りという弱点",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1996年12月にNTTの経営形態論議が決着すると、通信業界では大型の合併と提携が相次いだ。1997年3月には、長距離の日本テレコムと国際の日本国際通信が合併を発表する。国内・国際の双方を持つ会社が初めて生まれ、業界全体が動いた。日本テレコムの坂田浩一社長は記者会見で、一緒になることでお互いのノウハウを発揮できると判断したと語った。",
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                    {
                      "fact": "1996年12月のNTT経営形態論議の決着を受けて大型合併・提携が相次ぎ、1997年3月に日本テレコムと日本国際通信の合併が発表された",
                      "原文": "長年の懸案だったＮＴＴの経営形態論議が９６年１２月に決着したのを受けて、まるで堰を切ったかのように大型合併・提携が相次いだ。（中略）先の３月に発表された日本テレコムとＩＴＪの合併が、まさに幕開けだった。初めて国内・国際通信双方を持つ会社の誕生に業界全体が激震したのである。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月26日号「特集 業界・大異動 21世紀の業界地図 通信 KDDとDDI軸に第二次再編へ」",
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                      "fact": "日本テレコムの坂田浩一社長は記者会見で合併の理由を述べた",
                      "原文": "「一緒になることで、お互いのノウハウを発揮することができると判断した」。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月26日号「特集 業界・大異動 21世紀の業界地図 通信 KDDとDDI軸に第二次再編へ」",
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                {
                  "text": "移動体通信では、NTTドコモが全国を一社でカバーし、資金力とブランドで契約を伸ばしていた。シェアがあまりに高いため、公正取引委員会がNTTの出資引き下げをめぐって行政指導に乗り出したほどである。これに対し、地域ごとに免許を受けた事業者は、区域の外では自社のサービスを売れない。全国に拠点を持つ法人を相手にする営業では、この地域割りがそのまま不利に働いた。",
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                      "原文": "これもやはり圧倒的な資金力やブランドでシェアを伸ばす、ＮＴＴ移動通信網（ＮＴＴドコモ）に対抗する動きだ（ちなみにドコモはあまりに高すぎるシェアのため、公正取引委員会がＮＴＴの出資引き下げで行政指導に乗り出した）。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月26日号「特集 業界・大異動 21世紀の業界地図 通信 KDDとDDI軸に第二次再編へ」",
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                  "text": "1997年3月、日本移動通信は第二電電系のセルラー電話グループと、1998年からの次世代携帯電話で全面提携すると発表した。採用するのは、米クアルコムが開発したCDMA方式である。開業以来9年にわたってNTTと共通の大容量方式を主力に据えてきた事業者が、次の世代では別の系統へ移る。塚田健雄社長は、NTTと同じ方式を採用していては勝負にならないと言い切った。",
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                      "fact": "1997年3月、第二電電系のセルラー電話グループと1998年からの次世代携帯電話で全面提携し、米クアルコムが開発したCDMA方式を共同採用することを決めた",
                      "原文": "1997年3月、日本移動通信は第二電電系のセルラー電話グループと、1998年からの次世代携帯電話で全面提携した。米クアルコムが開発したCDMA方式を共同で採用する。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年3月31日号「セルラー，IDO 提携に至った2つの理由」",
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                      "原文": "ＮＴＴと同じ方式を採用していては勝負にならない。",
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                {
                  "text": "提携の効き目は、まず売り先の広がりに表れる。日本移動通信の区域は首都圏と中部圏、セルラー8社の区域はそれ以外で、二つを合わせると全国が埋まった。方式を揃えれば、どちらの区域でも同じ端末が同じように使え、全国均一のサービスを名乗れる。全国をカバーするドコモに対して地域割りの事業者が抱えていた営業上の弱点が、資本を動かさないまま消える計算になった。",
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                      "fact": "両陣営の営業区域は補完関係にあり、日本移動通信の首都圏・中部圏とセルラー8社のそれ以外を合わせると全国をカバーできた",
                      "原文": "二つの陣営は営業区域が重なっておらず、日本移動通信の首都圏・中部圏とセルラー8社のそれ以外を合わせれば全国が埋まる。方式を揃えれば全国均一のサービスとなる。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年3月31日号「セルラー，IDO 提携に至った2つの理由」",
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                      "原文": "やはり３月に発表されたのが、携帯電話のセルラー電話グループ（京セラ傘下のＤＤＩ系）と日本移動通信（ＩＤＯ、トヨタ系）が、９８年からの次世代携帯電話で全面提携したことである。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月26日号「特集 業界・大異動 21世紀の業界地図 通信 KDDとDDI軸に第二次再編へ」",
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              "sub_title": "自前で開発しないという選び方",
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                  "text": "CDMAは、同じ電波を複数の通話で使い分ける。一つの基地局が受け持てる通話が増えるため、基地局の数を約3分の1に減らしても同じ範囲をまかなえる。収容できる加入者は約1.5倍になる。基地局の用地取得と建設に費用を割いてきた事業者にとって、設備の密度を下げられることは、そのまま投資額の差になった。",
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                      "fact": "CDMAは同じ電波を複数の通話で使い分けるため、基地局の数を約3分の1に減らして同じ範囲をまかなえ、収容できる加入者は約1.5倍になる",
                      "原文": "同じ電波を複数の通話で使い分けるため、基地局の数を約3分の1に減らしても同じ範囲をまかなえ、収容できる加入者は約1.5倍になる。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年4月21日号「新方式携帯電話『CDMA』 1つの電波を複数利用 挽回狙うIDO、セルラー」",
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                  "text": "もっとも、方式の性能だけで決まったわけではない。すでに米国では、アナログ方式とCDMAの両方に対応する端末が実用化されている。それを持ち込めば、開発の期間と費用を抑えられた。第二電電の小野寺正氏は、開発期間やコストを考えると他に選択肢がなかったと語った。区域の補完、開発負担の回避、ドコモへの対抗——理由は一つではなく、どれか一つが欠けても同じ判断にはならなかったであろう。",
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                      "fact": "米国ではアナログ方式とCDMAの両方に対応する端末がすでに実用化されており、それを持ち込めば開発の期間と費用を抑えられた",
                      "原文": "すでに米国ではアナログ方式とCDMAの両方に対応する端末が実用化されており、それを持ち込めば開発期間と費用を抑えられる。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年4月21日号「新方式携帯電話『CDMA』 1つの電波を複数利用 挽回狙うIDO、セルラー」",
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                      "原文": "開発期間やコストを考えると他に選択肢がなかった。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年3月31日号「セルラー，IDO 提携に至った2つの理由」",
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          "label": "結果",
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              "sub_title": "二系統に割れた次世代方式",
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                  "text": "1997年4月、NTTドコモは次世代方式としてW-CDMAを打ち出した。日本の携帯電話は、ドコモが推す方式と、日本移動通信・セルラー陣営が採る米国方式との二系統に割れる。共同で採る新方式は、1998年4月に関西セルラー電話が先行して商用化する計画であった。方式の分岐は端末だけでなく、基地局から交換機までの設備全体に及んだ。",
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                      "fact": "NTTドコモは1997年4月に次世代方式としてW-CDMAを打ち出し、共同採用する新方式の商用化は1998年4月に関西セルラー電話が先行する計画であった",
                      "原文": "NTTドコモは1997年4月に次世代方式としてW-CDMAを打ち出した。IDO・セルラー陣営の新方式は1998年4月に関西セルラー電話が先行して商用化する計画である。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年4月21日号「新方式携帯電話『CDMA』 1つの電波を複数利用 挽回狙うIDO、セルラー」",
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                  "text": "方式の分裂は、トヨタが出資する通信会社の内側にも及んだ。1997年11月に日本高速通信との合併を決めたKDDは、次世代携帯で国産のW-CDMAを支持していた。日本移動通信とセルラーが選んだ米国方式とは、設備の面で競合する。KDDの西本正社長も、次世代への参加を決めただけでどこと組むかは分からないと答えていた。同じ資本系列にありながら、移動体の方式では足並みが揃わなかった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "KDDは次世代携帯で国産のW-CDMAを支持し、IDO・セルラーが支持する米国方式とインフラ面で競合した",
                      "原文": "もっとも携帯になると、ＫＤＤが次世代携帯で国産のドコモ方式（Ｗ－ＣＤＭＡ）を支持している。これはＩＤＯ＋セルラーが支持する米国方式（ｃｄｍａ－Ｏｎｅ）と、インフラ面で競合してしまう。ＫＤＤの西本社長も「次世代への参加を決めただけでどこと組むかわからない」と、もう一つ決めあぐねている。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年12月6日号「企業 目覚めたトヨタ 通信・住宅への不退転」",
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                  "text": "提携は業務の範囲にとどまらなかった。1997年10月、塚田健雄社長はNTTドコモを批判した。公社時代からの資本・人・技術という国民の財産を、そのまま受け継いでいるという理由である。そのうえで、自社も現状に甘えず第二電電グループと戦略的に大同団結して対抗したいと述べた。同年12月には業務提携をほんの一つのシナリオだとして、その先を否定していない。方式を共通にした二陣営の関係は、資本の話をはらみ始めた。",
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                      "fact": "塚田健雄社長は1997年10月、NTTドコモへの批判とあわせて第二電電グループとの「戦略的大同団結」に言及した",
                      "原文": "ＮＴＴドコモは公社時代からの資本、人、技術という国民の財産をそのままもらっている。（中略）我が社も現状に甘えず、ＤＤＩグループと戦略的に大同団結して対抗したい。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年10月4日号「ザ・トーク 塚田健雄・IDO社長」",
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                      "原文": "「業務提携はほんの一つのシナリオだ」と、塚田健雄・ＩＤＯ社長もその“先”までは否定していない。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年12月6日号「企業 目覚めたトヨタ 通信・住宅への不退転」",
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                {
                  "text": "ただし、親会社の側は資本の接近を急いでいなかった。トヨタ自動車の奥田碩社長は1997年4月、通信各社への出資について、第二電電などはどこかと組む話になると困っているようだと述べた。そのうえで、トヨタはある程度自由が利く立場にあり、それほど急ぐ必要はないと続けている。一方、当時の業界予測は二つの反NTT陣営への収斂であった。第二電電・テレウェイ・IDC連合と、KDD・TTネット・日本テレコム・ITJ連合である。",
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                      "原文": "ＤＤＩなどは、どこかと組むという話になると困っておられるみたいですね。幸い、トヨタはある程度自由が利く立場にいる。手を組むにしても、場合によったら外国でもいい。それほど急ぐ必要はない。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月5日号「編集長インタビュー 奥田碩 トヨタ自動車社長」",
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                      "原文": "するとその解は、長距離・国際分野をカバーする、ＤＤＩ＋テレウェイ＋ＩＤＣ連合の誕生だ。（中略）するとその解は、地域・長距離・国際までもカバーしてしまう、ＫＤＤ＋ＴＴネット＋日本テレコム＋ＩＴＪ、となる。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月26日号「特集 業界・大異動 21世紀の業界地図 通信 KDDとDDI軸に第二次再編へ」",
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                  "text": "競合の側の見方も変わった。NTTドコモの立川敬二社長は1998年9月、自社のシェアが過去に48%まで下がったことがあると振り返った。そのうえで、ライバルの日本移動通信とDDIセルラーが組めば手ごわいと認めている。方式の統一は、まだ商用サービスが始まる前から営業上の脅威と受け止められた。共同の新方式は1999年4月、cdmaOneの名で商用サービスに入った。",
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                      "原文": "当社のシェアも、過去には四八％まで下がったことがありました。ライバルのＩＤＯ（日本移動通信）やＤＤＩセルラーが組めば、これは手ごわい。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年9月26日号「編集長インタビュー 立川敬二 NTT移動通信網社長」",
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                      "原文": "1999年4月、日本移動通信とDDIセルラーグループは共同の新方式を「cdmaOne」の名でサービスに入れた。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年6月28日号「異変発生！横綱ドコモのシェアが急減 IDO、セルラー共同の新サービスcdmaOne大ヒットで猛追」",
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                  "text": "米国で実用化済みの端末を持ち込めるかどうかが、方式選びの条件になった。無線方式を三つ抱え、1997年3月末に179億円の累積損失を残した会社に、四つ目を自力で仕上げる余力はない。塚田健雄社長の「NTTと同じ方式を採用していては勝負にならない」という言葉は、独自技術への意欲を語ったものではなかったであろう。開発の負担を負わずにドコモと異なる系統へ移れる道が、一つしかなかったということである。区域が補完し合うセルラー8社という相手が同じ時期にいたことが、その道を通した。"
                },
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                  "text": "ただし、この提携が資本の接近まで進むと1997年の時点で決まっていたわけではない。トヨタ自動車の奥田碩社長は、同じ年の4月に急ぐ必要はないと語っている。同じ資本系列のKDDは、日本移動通信と反対のW-CDMAを支持した。技術の共通化が両陣営の距離を縮めたのは確かである。それでも、資本の接近が提携の設計へ最初から織り込まれていたとは考えにくい。方式を揃えた二陣営が同じ商品を全国で売るうちに、別々でいる理由が減った。順序としては、そちらに近い。"
                }
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      "references": [
        "日経ビジネス 1997年3月31日号「セルラー，IDO 提携に至った2つの理由」",
        "日経ビジネス 1997年4月21日号「新方式携帯電話『CDMA』 1つの電波を複数利用 挽回狙うIDO、セルラー」",
        "日経ビジネス 1999年6月28日号「異変発生！横綱ドコモのシェアが急減 IDO、セルラー共同の新サービスcdmaOne大ヒットで猛追」",
        "週刊東洋経済 1997年4月5日号「編集長インタビュー 奥田碩 トヨタ自動車社長」",
        "週刊東洋経済 1997年4月26日号「特集 業界・大異動 21世紀の業界地図 通信 KDDとDDI軸に第二次再編へ」",
        "週刊東洋経済 1997年10月4日号「ザ・トーク 塚田健雄・IDO社長」",
        "週刊東洋経済 1997年12月6日号「企業 目覚めたトヨタ 通信・住宅への不退転」",
        "週刊東洋経済 1998年9月26日号「編集長インタビュー 立川敬二 NTT移動通信網社長」",
        "日本産業史 第4巻 情報・通信・サービス（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」"
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              "sub_title": "違いを説明できない事業者",
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                  "text": "1999年1月、携帯電話の純増契約に占めるNTTドコモグループの比率は70.9%に達していた。同じ指標で日本移動通信は3月時点の1.8%にとどまる。売り物の違いを説明する材料が乏しかった。営業区域は首都圏と中部圏だけで、方式もドコモと同じデジタル方式（PDC）である。差をつけられるのは価格と端末の品揃えに限られた。二年前の1997年3月、第二電電系のセルラー電話グループと次世代携帯電話で全面提携した。米クアルコムのCDMA方式を共同で採ることも、すでに決めている。残るのは、それを商品として客の前へ出す仕事であった。",
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                      "source": "日経ビジネス 1999年6月28日号「異変発生！横綱ドコモのシェアが急減 IDO、セルラー共同の新サービスcdmaOne大ヒットで猛追」",
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                {
                  "text": "方式を増やすたびに設備が積み上がる会社でもあった。1989年の日米電気通信交渉は、米モトローラのTACS方式を日本移動通信が引き受けることで決着する。NTT方式とは無線設備に互換性がなく、基地局をもう一組建てる必要が生じた。1994年にはデジタル方式を加え、抱える方式は三つになった。cdmaOneは四つ目にあたる。",
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                      "source": "日経ビジネス 1992年6月22日号「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」",
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                      "source": "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
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              "sub_title": "トヨタから来た技術者への交代",
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                  "text": "経営の引き継ぎも終わっていなかった。前任の塚田健雄社長は1998年1月、健康上の理由から親会社のトヨタ自動車へ退任を申し出た。トヨタは「もう少し待ってほしい」と留任を求める一方、次期社長候補として中川哲氏を同年6月に副社長として送り込んだ。中川氏はトヨタで33年間、主に自動車エンジンの開発に携わった技術者である。最後の3年はITS（高度道路交通システム）の最高責任者を務めた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "塚田健雄社長は1998年1月に健康上の理由で退任を申し出たが、トヨタは留任を求め、次期社長候補の中川哲を同年6月に副社長として送り込んだ",
                      "原文": "前任の塚田健雄・ＩＤＯ（日本移動通信）社長は、１９９８年１月に健康上の理由から親会社のトヨタ自動車に退任を申し出ていた。が、トヨタ側は「もう少し待ってほしい」と留任を求め、一方で次期社長候補として中川を同年６月にＩＤＯに送り込んだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年11月20日号「トップの履歴書 IDO（日本移動通信）社長 中川哲 合併話は一蹴、cdmaOneに全力」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "中川氏は通信については基本的に素人であるとして、IDOがどんな商品を持っているのかというところから学び始めた。ドコモに対抗するには差別化した商品が重要だと考えていた。そこへ、1999年4月にcdmaOneのサービスを開始するという話が来る。「これだ！　と思いましたね」と振り返った。1年の勉強期間を経て1999年6月に社長へ就き、cdmaOneを「塚田さんからの最高の贈り物。これを育てるのが私の使命」と呼んだ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "中川哲は通信の素人としてIDOの商品を学び始め、差別化商品を求めていたところへcdmaOneの開始を知り、1999年6月に社長へ就任した",
                      "原文": "「通信については基本的に素人。ＩＤＯがどんな商品を持っているのかというところから勉強を始めた。ＮＴＴドコモと対抗するためには差別化した商品が重要と思っていたら、９９年４月に新携帯電話『ｃｄｍａＯｎｅ』のサービスを開始するという話になった。これだ！　と思いましたね」",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年11月20日号「トップの履歴書 IDO（日本移動通信）社長 中川哲 合併話は一蹴、cdmaOneに全力」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "中川哲はcdmaOneを「塚田さんからの最高の贈り物。これを育てるのが私の使命」と位置づけた",
                      "原文": "「結果的に絶好のタイミング。ｃｄｍａＯｎｅは（ＤＤＩセルラーと全国一貫サービスの業務提携を実現した）塚田さんからの最高の贈り物。これを育てるのが私の使命」",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年11月20日号「トップの履歴書 IDO（日本移動通信）社長 中川哲 合併話は一蹴、cdmaOneに全力」",
                      "url": null
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          ]
        },
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          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "基本性能の三点で正面から競う",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1999年4月14日、cdmaOneのサービスが始まった。DDIセルラーグループと共同で、全国を一つのサービスとして売る。首都圏・中部圏だけの事業者という弱点を、ここで消した。訴求したのは基本性能の三点である。デジタル方式より高速のデータ通信ができ、通話が途切れにくく、音質がよい。この三つをテレビ広告で正面から打ち出した。料金の安さや端末の値引きではなく、電波のつながり方そのもので競う売り方を選んだ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1999年4月14日にcdmaOneのサービスを開始し、PDC方式より高速のデータ通信・途切れにくさ・音質の三点をテレビ広告で訴求した",
                      "原文": "DDIセルラーグループと共同で全国展開する新方式で、PDC方式に比べ高速データ通信に優れ、通話が途切れにくく音質が良い点をテレビ広告で前面に出した。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年6月28日号「異変発生！横綱ドコモのシェアが急減 IDO、セルラー共同の新サービスcdmaOne大ヒットで猛追」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "発表会には野田聖子郵政大臣が出席し、「今回のｃｄｍａＯｎｅ方式は、音質もよく、データも速い、そのうえ、（従来の携帯電話のように）プッツン切れないそうですね」と述べた。続けて「国民や利用者にとっては優れたサービスでもあり、また米モトローラとＩＤＯとの“日米協調”の象徴でもあります」とも語った。日米交渉の帰結として二つ目の方式を負った会社が、10年を経て日米協調の象徴として持ち上げられた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "cdmaOne発表会で野田聖子郵政大臣は音質・データ速度・途切れにくさを挙げ、米モトローラとIDOとの「日米協調」の象徴でもあると述べた",
                      "原文": "「今回のｃｄｍａＯｎｅ方式は、音質もよく、データも速い、そのうえ、（従来の携帯電話のように）プッツン切れないそうですね」とＩＤＯを持ち上げ、一方で「国民や利用者にとっては優れたサービスでもあり、また米モトローラとＩＤＯとの“日米協調”の象徴でもあります」とも。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年4月10日号「ザ・トーク」",
                      "url": null
                    }
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                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "資本の統合より先に、ブランドを揃える",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "同じ年、退任した塚田前社長は新電電の側へ問いを残した。現在の弱いNCCに、これまでの歴史や経緯や思惑、さらにはメンツをかなぐり捨てる覚悟はあるのか。場合によっては外資に飲み込まれることもあってしかるべしと腹をくくってまで、日本に公正にして健全な競争市場を打ち立てる決意はあるのか。塚田氏は在任中から猛烈なNTT批判とDDIセルラーとの合併構想を公言しており、資本の統合を先に置く考えの持ち主であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "塚田健雄前社長は退任を前に「外資に飲み込まれることあってしかるべし」とまで書いた“遺言状”を残した",
                      "原文": "「果たして現在の弱いＮＣＣが、これまでの歴史や経緯や思惑、さらにはメンツなどをかなぐり捨てて、場合によっては外資に飲み込まれることあってしかるべし、とのハラをくくってまで日本に公正にして健全な競争市場を打ち立てるための決意ありや否や」。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月31日号「アウトルック 新生NTTの行方 IT産業興隆の決め手 ドコモ“独立”のススメ」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "後任の中川氏は、その順序を採らなかった。「塚田さんのようにまず資本の統合ありきとは考えない。大事なのはＤＤＩと共同でｃｄｍａＯｎｅの全国ブランドを作ること。これが可能なら消費者にとっては会社が一緒になろうとなるまいと関係のない話だ」と答えた。合併観測の報道が絶えないなかで、先に手をつけたのは方式の性能と共同ブランドであった。資本をどう組み替えるかは、その後ろに置かれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "中川哲社長は「まず資本の統合ありきとは考えない」と述べ、DDIと共同でcdmaOneの全国ブランドを作ることを優先した",
                      "原文": "「塚田さんのようにまず資本の統合ありきとは考えない。大事なのはＤＤＩと共同でｃｄｍａＯｎｅの全国ブランドを作ること。これが可能なら消費者にとっては会社が一緒になろうとなるまいと関係のない話だ」。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年11月20日号「トップの履歴書 IDO（日本移動通信）社長 中川哲 合併話は一蹴、cdmaOneに全力」",
                      "url": null
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
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              "sub_title": "純増シェアの反転と、変わった客層",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "数字は速く動いた。日本移動通信の純増シェアは1999年3月の1.8%から5月に7.0%へ上がる。同じ月、NTTドコモグループの純増シェアは41.9%まで落ち、1月の70.9%から3年ぶりに5割を割り込んだ。解約率も3月の2%台後半から2%台前半へ下がった。加入者の奪い合いが値引きの応酬になっていた市場で、つながりやすさと音質を理由に乗り換える客が現れた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "IDOの純増シェアは1999年3月の1.8%から5月に7.0%へ上昇し、NTTドコモグループは41.9%へ低下、解約率も2%台後半から2%台前半へ下がった",
                      "原文": "IDOの携帯電話純増シェアは1999年3月の1.8%から5月に7.0%へ上昇し、NTTドコモグループの純増シェアは同年5月に41.9%へ落ちた。解約率も3月の2%台後半から2%台前半へ低下した。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年6月28日号「異変発生！横綱ドコモのシェアが急減 IDO、セルラー共同の新サービスcdmaOne大ヒットで猛追」",
                      "url": null
                    }
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                },
                {
                  "text": "客層も変わった。従来の加入者は男女がほぼ半々だったのに対し、cdmaOneの利用者は20代から30代の男性が7割を占めた。仕事で使う層が先に動いた。もっとも、電波の質だけが数字を動かしたのではない。出だしは端末の供給不足から販売を抑えぎみに進めており、数量が伸びたのは端末と料金の選択肢が増えてからであった。性能・端末・料金の三つが揃って、はじめて数量が動いた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "従来の加入者は男女ほぼ半々だったのに対し、cdmaOneの利用者は20〜30代の男性が7割を占めた",
                      "原文": "従来の加入者は男女半々だったのに対し、cdmaOneは20〜30歳代・男性7割とビジネス利用者に寄った。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年6月28日号「異変発生！横綱ドコモのシェアが急減 IDO、セルラー共同の新サービスcdmaOne大ヒットで猛追」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "cdmaOneは出だしこそ端末の供給不足から販売を抑えぎみに進めていた",
                      "原文": "ｃｄｍａＯｎｅは出だしこそ、携帯電話端末の供給不足から抑制ぎみの販売であったが、今秋には端末メーカー六社の製品が出揃い、料金プランも一気に多様化。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年11月20日号「トップの履歴書 IDO（日本移動通信）社長 中川哲 合併話は一蹴、cdmaOneに全力」",
                      "url": null
                    }
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              ]
            },
            {
              "sub_title": "auへの統一と、13年での退場",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1999年の秋には端末メーカー6社の製品が出揃い、料金プランも一気に多様化した。年末にはドコモを凌駕する高速データ通信サービスを始めた。中川社長は同年11月の時点で「今期販売目標は一〇〇万台。が、このままいけば一五〇万台はクリアできる」と述べている。1年前まで通信を素人と語っていた社長が、販売数量の上振れを口にする。商品はそこまで育っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1999年秋に端末メーカー6社の製品が出揃って料金プランが多様化し、年末にはドコモを凌駕する高速データ通信サービスを開始、販売目標100万台に対し150万台をうかがう水準になった",
                      "原文": "今秋には端末メーカー六社の製品が出揃い、料金プランも一気に多様化。年末にはドコモを凌駕する高速データ通信サービスも開始し、中川はいま自信を深めている。「今期販売目標は一〇〇万台。が、このままいけば一五〇万台はクリアできる」。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年11月20日号「トップの履歴書 IDO（日本移動通信）社長 中川哲 合併話は一蹴、cdmaOneに全力」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "2000年7月、日本移動通信とDDIセルラーグループは携帯電話のブランドを「au」へ統一した。資本の統合より先に、呼び名が揃った。同年秋には、日立製作所がKDDIの「au」向けだけを供給するcdmaOne規格の端末最大手になっていた。同年10月1日、日本移動通信は第二電電に吸収合併されて解散し、設立から13年で法人格は消えた。cdmaOneとauは、統合後の移動体事業へそのまま引き継がれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2000年秋には「au」がcdmaOne規格の携帯電話ブランドとして定着し、日立製作所はKDDIのau向けのみを供給する最大手となっていた",
                      "原文": "日立はＫＤＤＩ「ａｕ」向けのみを販売。ｃｄｍａＯｎｅ規格の端末機供給メーカーとしては最大手だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年10月14日号「日の丸端末メーカーの次世代戦略を読む」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2000年10月1日に第二電電を存続会社としてKDDとともに合併し、日本移動通信は設立13年で解散した",
                      "原文": "2000年10月1日、第二電電を存続会社としてKDDおよび日本移動通信と合併した。",
                      "source": "KDDI 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "商品で勝つことと、会社が残ること",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "中川哲社長が就任してまず据えたのは、資本の統合ではなかった。DDIセルラーグループと共同で、cdmaOneの全国ブランドを作ることであった。「消費者にとっては会社が一緒になろうとなるまいと関係のない話だ」という言い方には、33年を自動車エンジンの開発に費やした技術者の見方がにじむ。客が買うのは商品であって資本関係ではない。その順序に立って、方式の性能とブランドの統一を先へ置いた。"
                },
                {
                  "text": "その順序は、最後まで守られなかった。ブランドを「au」へ揃えた3カ月後、日本移動通信は第二電電に吸収されて法人格を失う。純増シェアを1.8%から7.0%へ戻した翌年に、会社そのものが消えた。商品で勝つことと、会社が残ることは別の問題であった。残ったのはcdmaOneとauの二つで、四つ目の方式にたどり着くまで10年を費やした事業者の名は残らなかった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1999年6月28日号「異変発生！横綱ドコモのシェアが急減 IDO、セルラー共同の新サービスcdmaOne大ヒットで猛追」",
        "週刊東洋経済 1999年11月20日号「トップの履歴書 IDO（日本移動通信）社長 中川哲 合併話は一蹴、cdmaOneに全力」",
        "週刊東洋経済 1999年4月10日号「ザ・トーク」",
        "週刊東洋経済 1999年7月31日号「アウトルック 新生NTTの行方 IT産業興隆の決め手 ドコモ“独立”のススメ」",
        "週刊東洋経済 2000年10月14日号「日の丸端末メーカーの次世代戦略を読む」",
        "日経ビジネス 1997年3月31日号「セルラー，IDO 提携に至った2つの理由」",
        "日経ビジネス 1992年6月22日号「競争激化の時期に外圧から二重投資 日米通信摩擦に揺れるIDOの経営」",
        "日経ビジネス 1995年1月30日号「誤算の研究 日本移動通信 三重投資で収益悪化 NTT方式採用が足かせ」",
        "KDDI 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
    }
  ]
}
