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      "year": 1987,
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      "title": "移動体通信への参入と、全国8地域へのセルラー電話会社の分散設立、首都圏・中部圏の日本移動通信への割り当て受け入れ",
      "subtitle": "最大の市場を相手に渡してでも独立した経営を残すか——郵政省の全国二分割に第二電電はどう応じたか",
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      "issue": "移動体通信への参入形態と営業エリアの分割",
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "関西セルラー電話の設立から4年で、割り当てられた地域に8社を建てた。市外電話サービスの開業前にあった第二電電が、1987年6月に移動体通信へ参入した判断である。郵政省が全国を二分して首都圏・中部圏を日本移動通信に割り当てたことを受け入れ、残る地域に1社ずつ会社を置く形を選んだ。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "稲盛和夫会長は半導体の集積度が幾何級数的に上がることから、車のトランクに積んだ送受信機が数年で小さな端末に収まると読んでいた。同じ読みでトヨタ自動車・日本高速通信の陣営も参入を決め、東京・名古屋をめぐる一本化交渉は1986年に物別れとなった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "割り当てられた地域には全国1社をつくらず、地域ごとに法人を分けた。関西セルラー電話は第二電電と関西電力が主な出資者となり、九州・中国・東北・北陸・北海道・四国・沖縄の各社も地域電力会社や地元資本との共同出資で設立された。通信方式は日本移動通信のNTT方式に対し、米モトローラ方式（TACS方式）を採った。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "セルラー8社は当初3年の赤字を経て黒字へ転じ、1995年3月期には経常利益の合計が410億円に達した。一方、譲った首都圏・中部圏へは1991年から日産自動車との共同出資で別会社を建てたため、グループは10社を超え、資本も規格も二つの系統に分かれたまま残った。"
        }
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            "note": "1984年設立の長距離通信の新規参入者。1986年10月に専用サービスを開業し、市外電話サービスの営業開始を1987年9月に控えていた"
          }
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            "note": "トヨタ自動車・日本高速通信などが出資した移動体通信会社。郵政省の割り当てで首都圏・中部圏を営業エリアとし、1988年12月にサービスを開始した"
          }
        }
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      "dates": {
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        "summary": "半導体の集積度向上により自動車電話が携帯電話へ小型化するという読みに立った移動体通信への参入と、郵政省の全国二分割を受け入れたうえでの地域別8社の分散設立"
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          "title": "トヨタ自動車・日本高速通信の陣営との一本化交渉が物別れに終わる"
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          "title": "専用サービスの営業を開始"
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          "title": "関西セルラー電話を設立し、移動体通信事業へ参入",
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          "title": "九州セルラー電話を設立、11月に中国セルラー電話を設立"
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          "title": "沖縄セルラー電話を設立し、割り当て地域の8社がそろう"
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          "title": "日産自動車との共同出資でツーカーセルラー東京を設立し、譲った首都圏へ入る"
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          "title": "東京証券取引所市場第二部に上場。グループとして全国10地区で移動体通信を手がける"
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      "snapshot": {
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        "source": "第二電電 有価証券報告書【沿革】",
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            "name": "第二電電",
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              "sub_title": "端末が小さくなるという読み",
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                {
                  "text": "第二電電は1985年6月に第一種電気通信事業の許可を受け、1986年10月に専用サービス、1987年9月に市外電話サービスの営業を始めた長距離通信の新規参入者である。移動体通信への参入を決めたとき、その市外電話はまだ開業していない。稲盛和夫会長は半導体産業のただ中で仕事をしてきた経験から、集積回路の集積度が幾何級数的に上がることを知っており、数年で車のトランクの送受信機が小さな端末に収まると見ていた。",
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                    {
                      "fact": "第二電電は1985年6月に第一種電気通信事業の許可を受け、1986年10月に専用サービス、1987年9月に市外電話サービスの営業を開始した",
                      "原文": "昭和61年8月の同ネットワークの完成を待って、同年10月より専用サービスの営業を、62年9月に一般の市外電話サービスの営業を開始した。",
                      "source": "証券（新規上場会社紹介）1993年45巻11号「第二電電株式会社」",
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                      "fact": "稲盛和夫氏は集積回路の集積度が幾何級数的に上がることから、自動車電話が携帯電話になると確信して参入を決めた",
                      "原文": "集積回路の集積度が幾何級数的に上がっていくことを知っており、5年後位には、当時、車のトランクにあった送受信機が、必ず小さな端末の中に入り込むはずであり、自動車電話というのは携帯電話になると確信を持ち、携帯電話事業に乗り出すことを決めたのです。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
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                {
                  "text": "社内の反対は強かった。稲盛会長自身が後年の講演で、当時の第二電電はまだ始まったばかりで営業も開始していなかったため皆が反対したと述べている。市場そのものも小さい。1981年の日本の自動車電話はNTTの独占下で13万台、普及率0.1%にとどまり、米国の123万台・0.5%、英国の26万台・0.45%を下回っていた。押し切る材料は目の前の需要になく、端末が小さくなるという読みだけが手元に残る。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "参入時、第二電電はまだ営業を開始しておらず社内は反対だったが、稲盛和夫氏は皆を励まして自動車電話へ参入した",
                      "原文": "ところが、当時の第二電電はまだ始まったばかりで、営業も開始していませんでしたので、皆が反対でした。しかし、将来は必ず携帯電話の時代が来るということで、皆を励ましながら自動車電話に参入しました。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
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                    {
                      "fact": "1981年の日本の自動車電話市場は13万台・普及率0.1%で、米国は123万台・0.5%、英国は26万台・0.45%だった",
                      "原文": "1981年当時の日本の携帯電話市場はNTTの独占状態で、市場規模は台数で13万台、普及率は0.1%でした。ちなみに、当時の米国の市場規模は123万台で、普及率は0.5%、英国では26万台で、0.45%になっていました。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
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            {
              "sub_title": "一本化交渉の決裂と、郵政省による全国の二分割",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "同じ読みで自動車電話に乗り出した陣営がもう一つあった。トヨタ自動車と日本高速通信を軸とする日本移動通信である。相手も東京・名古屋での事業を望んだため両者は争い、1986年に一本化の交渉に入ったものの、交渉は物別れに終わった。相手方の関係者は「トヨタを中心にしたわが社は正統派。経団連のゲリラを自認する企業（京セラ）と一緒にやるのは困難」と語っている。事業の条件よりも、組織の性格の違いが前に出た。",
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                      "fact": "同じ理由で参入した1社が東京・名古屋での事業を望み、第二電電と争った",
                      "原文": "私共と同じような理由で乗り出してきた会社がもう1社ありました。その1社が東京、名古屋で事業したいということになり私共と争うことになったのです。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
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                    {
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                      "原文": "トヨタを中心にしたわが社は正統派。経団連のゲリラを自認する企業（京セラ）と一緒にやるのは困難。",
                      "source": "日経産業新聞 1986年8月20日",
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                {
                  "text": "決着は郵政省がつけた。全国を二つに分け、首都圏・中部圏を日本移動通信に、それ以外の地域を第二電電系のセルラー各社に割り当てた。人口も企業も集中する2大都市圏が相手に渡り、第二電電の取り分は残る全国となった。稲盛会長は当然これに抵抗した。なぜ向こうが頭のアンコを独占し、こちらは皮だけなのか。割り当ての線引きそのものに納得しなかった。",
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                    {
                      "fact": "1987年の参入に際し、郵政省は全国を二分割して首都圏・中部圏を日本移動通信に、それ以外をセルラーに割り当て、稲盛和夫氏は抵抗した",
                      "原文": "87年、ＤＤＩ（セルラー）とトヨタ系のＩＤＯが携帯電話に参入したとき、郵政省は全国を二分割し、首都圏・中部圏をＩＤＯに、それ以外のエリアをセルラーに割り当てた。もちろん、稲盛は抵抗した。何で向こうが頭のアンコを独占し、うちは皮だけなのか。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年8月5日号「［新千年紀の日本人］京セラ名誉会長 稲盛和夫」",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
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              "sub_title": "矛を収めて、経営の独立を残す",
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                {
                  "text": "稲盛会長は、ある時点で抵抗をやめた。後年の記事によれば、これ以上抵抗を続ければ郵政省が日本移動通信とセルラーの合併を持ち出してくると読み、そうなれば自分の経営ができなくなると判断したためである。1986年に一本化を拒んだ相手と、今度は行政の手で一つの会社にまとめられる。その筋道を避けるため、市場の規模を譲り、他社と相乗りせず自社の判断だけで動かせる会社を手元に残した。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "稲盛和夫氏は、抵抗を続ければ郵政省がIDOとセルラーの合併を持ち出すと読み、自分の経営ができなくなるとして抵抗をやめた",
                      "原文": "が、ある時点で矛を収めた。これ以上抵抗すれば、郵政省はＩＤＯとセルラーの合併を持ち出してくる、と読んだのだ。そうなれば「自分」の経営ができなくなってしまう。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年8月5日号「［新千年紀の日本人］京セラ名誉会長 稲盛和夫」",
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                },
                {
                  "text": "稲盛会長は講演でも、いつまでも争うわけにはいかないとして、東京・名古屋という最も有利な市場を相手に譲り、それ以外の日本各地で携帯電話事業を手がけることにしたと述べている。開業も相手が先に立った。日本移動通信は1988年12月に関東・中部でサービスを始め、第二電電系では関西セルラー電話が1989年から営業に入る。最大の市場と先行の利の両方を、第二電電は渡した形で参入した。",
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                    {
                      "fact": "稲盛和夫氏は東京・名古屋の最も有利な市場を相手に譲り、それ以外の各地で携帯電話事業を手がけると決めた",
                      "原文": "いつまでも争うわけにはいかないということで、相手の方に東京、名古屋地区の最も有利な市場を譲って、私共は、それ以外の日本の各地で携帯電話事業をすることにしました。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
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                      "原文": "昭和六十三年十二月に関東と中部地区を営業エリアにする日本移動通信(IDO)が、日本高速通信、トヨタ自動車、東京電力、日産自動車、中部電力などを出資者に自動車電話と携帯電話のサービスを始めた。次いで平成元年以降、関西を営業地域にし、第二電電、関西電力を主な出資者にする関西セルラー電話（がスタートした）。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
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              "sub_title": "全国1社にせず、地域ごとに会社を建てる",
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                {
                  "text": "割り当てを受けた地域には、1社ずつ会社を建てた。1987年6月の関西セルラー電話を最初に、同年10月に九州、11月に中国、1988年に東北・北陸・北海道、1989年に四国、1991年に沖縄と、8社を順に設立した。全国を1社で運営せず、地域ごとに出資者を集めて法人を分けた。関西セルラー電話は第二電電と関西電力が主な出資者となり、以降の各社も地域電力会社や地元資本との共同出資で設立された。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1987年6月の関西セルラー電話を最初に、九州・中国・東北・北陸・北海道・四国・沖縄と1991年6月までに8社のセルラー電話会社を設立した",
                      "原文": "1987年6月 関西セルラー電話株式会社（子会社）設立。10月 九州セルラー電話株式会社（子会社）設立。11月 中国セルラー電話株式会社（子会社）設立。1988年4月 東北セルラー電話株式会社（子会社）設立。5月 北陸セルラー電話株式会社（子会社）設立。7月 北海道セルラー電話株式会社（子会社）設立。1989年4月 四国セルラー電話株式会社（子会社）設立。1991年6月 沖縄セルラー電話株式会社（子会社）設立。",
                      "source": "第二電電 有価証券報告書【沿革】",
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                    },
                    {
                      "fact": "関西セルラー電話は第二電電と関西電力が主な出資者で、九州・中国・東北・北海道・北陸・四国・沖縄の各社も第二電電を中心に地域電力会社や地元資本が共同出資した",
                      "原文": "関西を営業地域にし、第二電電、関西電力を主な出資者にする関西セルラー電話、同様に、第二電電を中心に地域電力会社や地元資本が共同出資する、九州セルラー電話、中国セルラー電話、東北セルラー電話、北海道セルラー電話、北陸セルラー電話、四国セルラー電話、沖縄セルラー電話がスタートし、全国各地にNTTの移動電話に対抗する新勢力が生まれた。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "通信方式でも相手と別の道を採った。日本移動通信はNTT方式のシステムを採用すると決めていたが、稲盛会長は米国のモトローラ方式を選んでいる。システムをNTTに押さえられたままでは戦えないという判断による。セルラー各社が敷いた方式はTACSと呼ばれ、神田延祐社長は1993年の講演で、世界で最も普及した方式であり、セルの半径が小さく電波が届きやすいので通話品質が良好であると説明している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "日本移動通信はNTT方式のシステム採用を決めていたが、稲盛和夫氏は米国のモトローラ方式を選択した",
                      "原文": "ＩＤＯはＮＴＴ方式のシステムの採用を決めていた。が、システム＝技術を押さえられて、どうしてＮＴＴと戦えるか。稲盛は米国のモトローラ方式を選択した。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年8月5日号「［新千年紀の日本人］京セラ名誉会長 稲盛和夫」",
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                    },
                    {
                      "fact": "セルラー各社の方式はTACS方式で、神田延祐社長は世界で最も普及しセルの半径が小さく通話品質が良好と説明した",
                      "原文": "このシステムはTACS方式といい、世界で最も普及しており、セルの半径が小さく電波が届きやすいので、通話品質が良好である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1993年31巻10号「第二電電」（神田延祐）",
                      "url": null
                    }
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "子会社群が本体を上回る利益を生む",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "セルラー8社は当初3年間の赤字を経て、4年目から黒字へ転じた。1995年3月期には8社の経常利益の合計が410億円に達した。同じ期の本体は、数回の通話料金の値下げを重ねながら営業収益3778億円・営業利益359億円であり、地域別に分散した子会社群の利益が本体の利益を上回った。携帯電話の稼働台数も、1994年末の433万台から1995年7月末には582万台へ伸びている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "セルラー8社は当初3年間赤字だったが4年目以降黒字転換し、1995年3月期の経常利益は410億円となった",
                      "原文": "ここで私共のセルラー8社の経常利益の推移について述べさせて頂きますと、当初3年間は赤字を計上していましたが、4年目以降は黒字転換して、その後確実に経常利益を伸ばし、本年の3月期の経常利益は410億円となっています。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
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                    {
                      "fact": "1995年3月期の本体は営業収益3778億円・営業利益359億円で、携帯電話の稼働台数は1994年末433万台・普及率3.5%から1995年7月末582万台・4.7%へ伸びた",
                      "原文": "3月期の売上は3,778億円にまで成長しています。また、営業利益は、数回の通話料金等の値下げをしているにもかかわらず359億円となっています。昨年末の日本の総稼働台数は433万台、普及率にして3.5%となってきています。本年の7月末には、早くも総稼働台数で582万台、普及率4.7%となり。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
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                    }
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                },
                {
                  "text": "分散した会社群は、本体の売上の作られ方も変えた。1993年3月期の第二電電単体の営業収益2307億円のうち、市外電話サービスが1830億円で79.4%、専用サービスが44億円で1.9%を占めた。残る431億円・18.7%は、移動体通信を手がける関連会社への通信システムや機器の販売による附帯事業である。同期の連結営業収益は2906億円で、従業員2758人の本体の外側に、もう一つの事業の集まりができていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1993年3月期の第二電電単体の営業収益2307億円は、市外電話1830億9300万円（79.4%）・専用44億9100万円（1.9%）・関連会社への通信システム及び機器販売等の附帯事業431億2600万円（18.7%）で構成され、従業員は2758人だった",
                      "原文": "同社の平5.3期の営業収益(合計2,307億1,100万円)をサービスの種別にみると、市外通話サービスが1,830億9,300万円(構成比79.4%)、専用サービスが44億9,100万円(同1.9%)、移動体通信事業を行う関連会社への通信システム及び機器販売等の附帯事業営業収益が431億2,600万円(同18.7%)となっている。従業員数2,758人。",
                      "source": "証券（新規上場会社紹介）1993年45巻11号「第二電電株式会社」",
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                    {
                      "fact": "1992年度の営業収益は単体2307億円、連結2906億円だった",
                      "原文": "ここで当社の営業収益を見ると、単体で92年度実績が2,307億円、連結ベースでは92年度実績が2,906億円となっている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1993年31巻10号「第二電電」（神田延祐）",
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            {
              "sub_title": "譲った市場への再参入と、二つに分かれた系統",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "譲ったはずの首都圏・中部圏へも、別の枠組みで入った。1991年7月に日産自動車との共同出資でツーカーセルラー東京を、1992年2月にツーカーセルラー東海を設立した。神田社長は1993年の講演で、サービスを行っていなかった首都圏と中部圏についても両社を設立し、1994年夏ごろまでに開業する予定だと述べた。上場した1993年9月の時点で、グループは全国10地区で移動体通信を手がける構えになった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1991年7月にツーカーセルラー東京、1992年2月にツーカーセルラー東海を設立した",
                      "原文": "平成3年7月に(株)ツーカーセルラー東京、4年2月に(株)ツーカーセルラー東海を設立(ともに関連会社)し、これによって移動体通信事業においても同社グループとして全国でサービス提供が可能となった。",
                      "source": "証券（新規上場会社紹介）1993年45巻11号「第二電電株式会社」",
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                    },
                    {
                      "fact": "神田延祐社長は1993年の講演で、首都圏と中部圏に日産自動車との共同出資でツーカー2社を設立し1994年夏ごろまでに開業する予定と述べ、グループは全国10地区でセルラー事業を営むと説明した",
                      "原文": "これまでサービスを行っていなかった首都圏と中部圏についても、日産自動車(株)と共同出資で(株)ツーカーセルラー東京と(株)ツーカーセルラー東海を設立し、94年夏ごろまでにサービスを開始する予定である。DDIグループとして全国10地区に携帯・自動車電話などの移動体通信事業を行うセルラー電話会社を設立し、これを統括している。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1993年31巻10号「第二電電」（神田延祐）",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "ただし、ツーカー2社は営業地域の空白を埋めたにすぎない。セルラー8社は子会社としてTACS方式を敷き、ツーカー2社は日産自動車と組んだ関連会社で、1994年度から始まる1.5GHz帯のデジタル方式に属する。郵政省の割り当ては営業地域を分け、第二電電グループの内側には資本と規格の系統が二つ残った。地域別に建てた法人が一つにまとまるのは、2000年11月に沖縄セルラー電話を除く7社が関西セルラー電話へ合併したときである。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "セルラー各社はTACS方式（アナログ）で、ツーカー2社は日産自動車が中心となるデジタル方式の事業者として1994年度から1.5GHz帯のサービスに加わった",
                      "原文": "平成六年以降は携帯電話市場にデジタル方式が次々と登場する。日本テレコム系の東京デジタルホン、関西デジタルホン、東海デジタルホン、日産自動車が中心になるツーカーセルラー東京、ツーカーセルラー関西、ツーカーセルラー東海などがサービスを始める。これまでの自動車電話、携帯電話がアナログ系で盗聴や雑音に弱いのに対し、デジタル方式は暗号化が容易で盗聴防止が万全のほか、回線数が多く取れるなどの利点がある。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
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                    },
                    {
                      "fact": "1994年度から1.5GHz帯デジタル方式による新規事業者のサービス開始が予定され、顧客獲得競争の激化が見込まれた",
                      "原文": "もう一つは、94年度から1.5GHz帯ディジタル方式による新規事業者のサービスが開始される予定であり、顧客獲得競争の一層の激化も予想される。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1993年31巻10号「第二電電」（神田延祐）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2000年11月に沖縄セルラー電話を除くセルラー7社が関西セルラー電話を存続会社として合併し、株式会社エーユーとなった",
                      "原文": "11月には沖縄セルラー電話を除くセルラー7社が関西セルラー電話を存続会社として合併し、株式会社エーユーとなる。",
                      "source": "KDDI 有価証券報告書 第41期（2025年3月期）【沿革】",
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                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "面積を取り、人口を渡した参入",
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                {
                  "text": "取ったのは面積で、渡したのは人口である。東京・名古屋という最も有利な市場を日本移動通信に渡し、代わりに他社と相乗りしない会社を手元に残した。ただし、残った地域の埋め方まで受け身だったわけではない。関西電力をはじめ地域電力会社や地元資本を株主に迎え、8社に分けて建てた形は、割り当てへの対応であると同時に、営業をどこから起こすかの設計でもあったとみられる。全国1社で運営していれば、この株主構成は生まれなかった。"
                },
                {
                  "text": "ツーカーセルラー東京・東海の2社は日産自動車と組んだ関連会社で、方式もセルラー8社のTACSではなくデジタルだった。譲った市場へ戻る道は、資本でも規格でも本体の系統から外れている。1995年3月期に410億円を稼いだのも本体ではなく子会社群であり、稼ぐ主体は本体の外側にあった。地域別に法人を分けた形は、2000年11月にセルラー7社が関西セルラー電話を存続会社として合併するまで13年続いた。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
        "週刊東洋経済 2000年8月5日号「［新千年紀の日本人］京セラ名誉会長 稲盛和夫」",
        "証券（新規上場会社紹介）1993年45巻11号「第二電電株式会社」",
        "証券アナリストジャーナル 1993年31巻10号「第二電電」（神田延祐）",
        "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「通信－情報通信産業の誕生」",
        "日経産業新聞 1986年8月20日",
        "第二電電 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
    },
    {
      "slug": "iridium-1993",
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      "title": "日本イリジウムの設立と米イリジウム社への218億円の出資、2000年の事業廃止",
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          "text": "1993年4月、第二電電が米モトローラ主導の衛星携帯電話計画「イリジウム」の日本での受け皿として日本イリジウム株式会社を設立し、同社を通じて米イリジウム社へ218億円を出資した経営判断。米モトローラに次ぐ第2位株主となり、京セラと合わせたイリジウム関連のリスク債権は340億円に達した。米イリジウムの破綻を経て、日本イリジウムは2000年3月に事業を廃止した。"
        },
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          "text": "66機の低軌道周回衛星を打ち上げ、地球上のどこからでも一台の携帯電話で通話できるという構想を、米モトローラのクリストファー・ガルビン会長が稲盛和夫会長に持ちかけた。「通信インフラのない発展途上国の人々のためになる」として参加が決まっている。第二電電にとっては、市外電話とセルラーで築いた地上の通信網の上に、その電波が届かない場所を覆う層を重ねる話にあたる。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "稲盛会長は1995年の講演で、高度780キロメートルの低軌道を回る66個の衛星と、イリジウム・セルラー・PHSの端末を一台で切り替える端末の開発構想を説明した。1998年5月時点の事業計画は、端末1台3000ドル前後、基本料は月50ドル、2002年度に売上高500億円・経常利益50億円を見込んでいた。"
        },
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          "label": "含意",
          "text": "1998年11月の開業時、端末価格は20万円以上・重量は400グラム以上で、建物内や高層ビル密集地では使えなかった。加入は世界で3万台の水準にとどまり、1999年8月に米イリジウムが連邦破産法11条を申請。第二電電の2000年3月期は、日本イリジウムと海外事業で合計83億円の最終損失を見込む事態となった。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "ddi",
          "name": "第二電電",
          "role": "当事者",
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            "note": "市外電話で開業し、セルラー・PHSへ事業を広げていた新電電最大手。地上網の届かない海洋・砂漠・山岳や途上国を衛星で覆う構想を描いていた"
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          "title": "イリジウムが衛星携帯電話サービスを開始"
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          "year": 1999,
          "month": 8,
          "title": "米イリジウム社が米連邦破産法11条の適用を申請"
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        {
          "year": 2000,
          "month": 3,
          "title": "日本イリジウム株式会社が事業を廃止"
        }
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1993年3月期",
        "source": "証券（新規上場会社紹介）1993年45巻11号",
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              "sub_title": "モトローラが持ちかけ、日本で受けたのは第二電電だけだった",
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                {
                  "text": "1990年、米モトローラが衛星携帯電話の計画を表明した。66機の低軌道周回衛星を打ち上げ、地球上のどこからでも一台の携帯電話で通話できるという構想で、当時は「夢の携帯電話」と呼ばれている。モトローラのクリストファー・ガルビン会長は、この構想を京セラ・第二電電の稲盛和夫会長に持ちかけた。稲盛会長は「通信インフラのない発展途上国の人々のためになる」として参加を快諾している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "イリジウムは米モトローラの発案で、1990年の計画表明時は66機の低軌道周回衛星により地球上のどこからでも通話できる「究極の通信手段」を売り文句としていた",
                      "原文": "イリジウムは米モトローラが発案。計画を表明した１９９０年には「夢の携帯電話」と脚光を浴びた。六六機の低軌道周回衛星を打ち上げ、地球上のどこからでも一台の携帯電話で通話できる「究極の通信手段」が売り文句だった。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年9月4日号「［TopNews］相反 イリジウム経営破綻が語る稲盛イズムの限界」",
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                    {
                      "fact": "モトローラのクリストファー・ガルビン会長が稲盛和夫氏に構想を持ちかけ、稲盛氏が「通信インフラのない発展途上国の人々のためになる」として参加を快諾した",
                      "原文": "そもそも米モトローラのクリストファー・ガルビン会長が稲盛氏に構想を持ちかけ、「通信インフラのない発展途上国の人々のためになる」と稲盛氏が参加を快諾した同事業。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年9月4日号「［TopNews］相反 イリジウム経営破綻が語る稲盛イズムの限界」",
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                },
                {
                  "text": "モトローラは、日本の相手を最初からベンチャーに求めたわけではなかった。後に日本イリジウム社長となる安田芳治氏は「モトローラも最初日本に来たときはＮＴＴやＫＤＤを誘ったが、結局それに乗ったのはベンチャーの稲盛氏だけだった」と述べている。第二電電は1993年4月、計画の日本での受け皿として日本イリジウム株式会社を設立した。初代社長には、第二電電企画の旗揚げで人集めを担った中山一氏が就いている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "モトローラは来日当初NTTやKDDを誘ったが、計画に乗ったのは稲盛和夫氏だけであったと日本イリジウムの安田芳治社長が述べている",
                      "原文": "モトローラも最初日本に来たときはＮＴＴやＫＤＤを誘ったが、結局それに乗ったのはベンチャーの稲盛氏だけだったわけだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年5月23日号「［フラッシュ］先行することで世界標準を握る インタビュー 日本イリジウム社長 安田芳治」",
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                    {
                      "fact": "第二電電は1993年4月に子会社の日本イリジウム株式会社を設立した",
                      "原文": "1993年4月、日本イリジウム株式会社（子会社）設立。",
                      "source": "KDDI 有価証券報告書【沿革】",
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                    {
                      "fact": "中山一氏は第二電電企画の旗揚げ時に人集めを担い、市外電話事業が軌道に乗った後に日本イリジウムの社長へ就任して会社づくりと許認可準備を進めた",
                      "原文": "市外電話事業が軌道に乗ると、日本イリジウムの社長に就任する。イリジウム計画は、米国の通信機メーカー、モトローラが中心となって、世界中をカバーする携帯電話サービスを提供しようという野心的なグローバル・ベンチャーだ。その日本での受け皿が、日本イリジウムである。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年3月15日号「［ひと］ツーカーセルラー東京社長 中山 一 乱世の携帯電話でどんな手腕見せるか」",
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            {
              "sub_title": "三層で移動体通信を埋めるという構想",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "稲盛会長は1995年の日本証券アナリスト大会の記念講演で、この計画の中身を具体的に説明している。高度780キロメートルの低軌道を回る66個の衛星を使い、携帯電話の棒アンテナから直接衛星につなぐ。1998年には日本国内だけでなく世界中どこでも、一つの端末から電話ができるようになる——出資から2年半を経た時点で、稲盛会長は開業の時期まで区切って説明していた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "稲盛和夫氏は1995年の講演で、高度780キロメートルの低軌道を回る66個の衛星により1998年には世界中どこでも一つの端末から電話ができるようになると説明した",
                      "原文": "また、私共は、現在米国のモトローラ社が提唱しているイリジウム計画に参画をしています。これは、ちょうど780キロの低軌道を回る66個の衛星を使って、携帯電話の棒アンテナから直接衛星につなぎ、世界中どこへでも電話ができるものです。1998年には、日本国内だけでなく、世界中どこでも、1つの端末から電話ができるようになるわけです。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
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                {
                  "text": "講演にはもう一段の構想が続いた。イリジウムの端末とセルラーの端末、PHSの端末を、一つの端末機で切り替えるだけで使い分けられるようにするという開発計画である。狭い地域はPHS、広域はセルラー、地球全体は衛星と、三つの方式を一台に束ねる。稲盛会長は21世紀初頭に国内だけで携帯電話が5000万台に達すると見ており、衛星はその上に重ねる最上層に置かれていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "稲盛和夫氏はイリジウム・セルラー・PHSの端末を一つの端末機で切り替える製品の開発を進めていると述べ、21世紀初頭には国内だけで携帯電話が5000万台になると期待していた",
                      "原文": "私共は、21世紀初頭には、国内だけでも、この,PHS等を含めた携帯電話は5,000万台になるのではないかと、大変期待しております。／今現在進めていますのは、イリジウムの端末とセルラーの端末、またPHSの端末を、1つの端末機で切り替えるだけで、ある時には現在のPHSに、1段切り替えるとセルラー、自動車電話に、そして、もう1つ切り替えると衛星通信にできるような端末を開発しようとしています。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
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          "label": "決断",
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              "sub_title": "218億円と、第2位株主という位置",
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                {
                  "text": "第二電電の出資は、子会社の日本イリジウムを通じて米イリジウム社へ向かった。金額は218億円で、発案者である米モトローラに次ぐ第2位の株主となっている。京セラの分と合わせると、イリジウム関連のリスク債権は340億円に達した。通信網を一から敷いて事業を起こしてきた会社が、自前では建設しない通信網に資本だけを出した。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "DDIは子会社の日本イリジウムを通じて米イリジウム社に218億円を出資し米モトローラに次ぐ第2位株主で、京セラと合わせたイリジウム関連のリスク債権は340億円に達した",
                      "原文": "ＤＤＩは子会社の日本イリジウムを通じて米イリジウム社に二一八億円を出資、米モトローラに次ぐ第二位株主。京セラと合わせるとイリジウム関連のリスク債権は三四〇億円に達する。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年9月4日号「［TopNews］相反 イリジウム経営破綻が語る稲盛イズムの限界」",
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                {
                  "text": "218億円という額は、当時の第二電電の規模に照らせば軽い出資ではなかった。設立の前期にあたる1993年3月期の営業収益は2307億円、従業員は2758人である。同社はさらに携帯電話とPHSだけで年間2000億〜3000億円の先行投資を続け、連結有利子負債を1990年代後半の4年で4倍に増やしていた。衛星への出資は、この資金繰りの上に積まれていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "第二電電の1993年3月期の営業収益は2307億円、従業員数は2758人であった",
                      "原文": "1993年3月期の第二電電の営業収益は2307億円、従業員数は2758人であった。",
                      "source": "証券（新規上場会社紹介）1993年45巻11号",
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                    {
                      "fact": "DDIグループは携帯電話とPHSだけで年間2000億〜3000億円の先行投資を続け、連結有利子負債は1995年3月期の2020億円から1999年3月期に8400億円へ急増した",
                      "原文": "ＤＤＩグループは過去数年、携帯電話とＰＨＳだけでも年間二〇〇〇～三〇〇〇億円の先行投資を実施。１９９５年３月期に二〇二〇億円だった連結有利子負債は９９年３月期に八四〇〇億円まで急増し、今期中に一兆円を超えるのは確実と見られている。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月10日号「［TopNews］大転換 設備投資圧縮に転じる稲盛ＤＤＩの胸のウチ」",
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            },
            {
              "sub_title": "開業を控えた時点での事業計画",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1998年5月、同年9月の開業を控えた日本イリジウムの安田芳治社長は、事業の輪郭を数字で説明している。端末は1台3000ドルほど、基本料は月50ドル、通話料は北米から日本にかける場合で1分4.39ドル。「通話料は高い。一般用よりビジネス用途だ」として、顧客層に中小企業のオーナーや大企業、災害用を挙げた。市場についても「もともとニッチなマーケット」と自ら位置づけている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "日本イリジウムの安田芳治社長は端末1台3000ドル程度、基本料月50ドル、北米から日本への通話料1分4.39ドルとしたうえで、ビジネス用途のニッチ市場と位置づけた",
                      "原文": "基本料は月五〇ドル、通話料は北米から日本にかける場合で一分間四・三九ドル。決して安くはないが、現在ある携帯電話とはどう棲み分けていくのか。／安田　通話料は高い。一般用よりビジネス用途だ。顧客層は中小企業のオーナーや大企業、災害用などが考えられる。もともとニッチなマーケットだし、今の携帯電話が使えない場所にもスポットを当てたい。／安田　一台三〇〇〇ドルくらい。モトローラや京セラが世界で作り、ドル建てで輸入する。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年5月23日号「［フラッシュ］先行することで世界標準を握る インタビュー 日本イリジウム社長 安田芳治」",
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                {
                  "text": "収支は2002年度に売上高500億円、経常利益50億円をメドとしていた。契約については、2000年に市場全体で100万件、そのうち15万件を取り、初年度はその3割ほどをねらうと語っている。増資はもう必要なく、あとは借金で賄うとも述べた。参入の理屈も回収の道筋も、開業の4カ月前まではこうして数字の形で示されていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "安田芳治社長は2002年度に売上高500億円・経常利益50億円を収支のメドとし、契約は2000年の市場全体100万のうち15万を取り初年度はその3割をねらうとし、増資は不要で借金で賄うと述べた",
                      "原文": "安田　キャパシティは一五万～二〇万分ある。２０００年にはマーケット全体で一〇〇万はあるだろう。その中で当社は一五万取りたいし、うち初年度はその三割分くらいねらう。／安田　基本的にはもう要らないし、あとは借金で賄う。収支は２００２年度に売上高五〇〇億円、経常利益五〇億円がメドだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年5月23日号「［フラッシュ］先行することで世界標準を握る インタビュー 日本イリジウム社長 安田芳治」",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
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              "sub_title": "開業したとき、地上の携帯電話は先へ進んでいた",
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                {
                  "text": "サービスは1998年11月に始まった。だがその時点で、端末価格は20万円以上、重量は400グラム以上、通話料は最低でも1分1.48ドルかかっている。衛星電波の特性から建物内や高層ビルの密集地では使えず、期待していた国際ビジネスマンの需要を取り込めなかった。残ったのは海洋・砂漠・山岳という市場で、世界の加入台数は3万台の水準にとどまった。",
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                    {
                      "fact": "1998年11月のサービス開始時点で端末価格は20万円以上・重量400グラム以上・通話料は最低1分1.48ドルで、建物内や高層ビル密集地では使用できず、加入は世界で3万台の水準にとどまった",
                      "原文": "だが、サービスを開始した９８年１１月にはすでに時代遅れのしろものに。現在、イリジウムの端末価格は二〇万円以上、重量も四〇〇グラム以上と重く、通話料金も最低で一分一・四八ドルもする。／さらにイリジウムは衛星電波の特性により、建物内や高層ビル密集地では使用できない。このため、期待した国際ビジネスマンの需要取り込みに失敗、海洋・砂漠・山岳での利用という超ニッチ市場の製品になり下がった（現在世界の加入台数三万台レベル）。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年9月4日号「［TopNews］相反 イリジウム経営破綻が語る稲盛イズムの限界」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "1999年8月13日、米イリジウム社は日本の会社更生法にあたる米連邦破産法11条の適用を申請した。15日の社債の利払いに資金繰りが間に合わないなかでの申請で、事実上の経営破綻となった。京セラの側でも、同年5月時点で190億円を見込んでいたイリジウム関連事業の売上高が、30億円規模まで後退する見通しとなった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "米イリジウム社は1999年8月13日に米連邦破産法11条を申請し、15日の社債利払いに資金繰りが間に合わないなかでの事実上の経営破綻であった",
                      "原文": "日本の会社更生法に当たる米連邦破産法一一条を８月１３日に申請した衛星携帯電話会社の米イリジウム社。１５日の社債の利払いに資金繰りが間に合わない中での申請は事実上の経営破綻だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年9月4日号「［TopNews］相反 イリジウム経営破綻が語る稲盛イズムの限界」",
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                    {
                      "fact": "京セラのイリジウム関連事業は1999年5月時点で190億円の売上を見込んでいたが、30億円規模へ後退する見通しとなった",
                      "原文": "京セラ・グループがモトローラと推進してきた衛星携帯電話事業のイリジウムが、事実上の倒産という事態に陥ったのだ。端末などイリジウム関連事業は、今年５月時点で一九〇億円の売り上げを見込んでいたが、せいぜい三〇億円規模へと大幅な後退を余儀なくされそうだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年10月9日号「［キーパーソン］新事業の創造こそ成長復帰への道 京セラ社長 西口泰夫」",
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              "sub_title": "決算への波及と、日本イリジウムの廃止",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "破綻は第二電電の決算に直接響いた。2000年3月期は、立ち上げ途上の日本イリジウムと海外事業の最終損失が合計83億円に達し、連結純利益は前期比8割減の30億円へ落ち込む見通しとなった。1999年7月、稲盛和夫名誉会長は設備投資の圧縮と借入の抑制を明言している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "立ち上げ途上の日本イリジウムと海外事業の最終損失は合計83億円に及び、DDIの連結純益は前期比8割減の30億円に急減する見通しとなった",
                      "原文": "また、立ち上げ途上の日本イリジウム、海外事業の最終損失は合計八三億円に及び、連結純益は前期比八割減の三〇億円に急減する見通しだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月10日号「［TopNews］大転換 設備投資圧縮に転じる稲盛ＤＤＩの胸のウチ」",
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                    {
                      "fact": "稲盛和夫名誉会長は連結設備投資を公表計画より減らすと述べ、これ以上借金を増やしてはならないと語った",
                      "原文": "投資戦略についても、「今期の連結設備投資は公表計画より減らす。特にＰＨＳは半減でもかまわないと（ＤＤＩ経営陣に）強固に言っている。とにかく、これ以上借金を増やしてはならない」と語った。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月10日号「［TopNews］大転換 設備投資圧縮に転じる稲盛ＤＤＩの胸のウチ」",
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                },
                {
                  "text": "2000年3月、日本イリジウム株式会社は事業を廃止した。1993年4月の設立から7年弱で、実際にサービスを提供した期間は1年余りにとどまっている。同年10月、第二電電はKDD・日本移動通信と合併して株式会社ディーディーアイとなった。一方で稲盛名誉会長は破綻の後も米イリジウムへの再出資を考えており、日本法人を畳む判断と、構想を続けようとする意思とが同じ時期に並んでいた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "日本イリジウム株式会社は2000年3月に事業を廃止し、同年10月に第二電電はKDD・日本移動通信と合併して株式会社ディーディーアイとなった",
                      "原文": "2000年3月 日本イリジウム株式会社が事業廃止する。10月 KDD株式会社及び日本移動通信株式会社と合併し、株式会社ディーディーアイに商号変更する。",
                      "source": "KDDI 有価証券報告書【沿革】",
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                    {
                      "fact": "稲盛和夫名誉会長は米イリジウムの破綻後も同社への再出資を考えていた",
                      "原文": "だが、むしろ危険なのは稲盛和夫（いなもりかずお）・京セラ・ＤＤＩ名誉会長が米イリジウムへ再出資を考えていることだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年9月4日号「［TopNews］相反 イリジウム経営破綻が語る稲盛イズムの限界」",
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              "sub_title": "全球を一度に立ち上げる事業の時間",
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                {
                  "text": "66機の衛星を打ち上げ終えるまで、この事業は端末を1台も売れなかった。1993年の出資の時点で、地上の携帯電話がその後どこまで小型化し、値下がりするかが決まっていたわけではない。1990年の計画表明から1998年11月の開業までの8年、資金は出るだけで戻らず、回収が始まる時点の端末仕様は打ち上げの時期に縛られる。誤算の所在は、全球分の設備を先に立ち上げるほかない構造が、この8年をそのまま地上との競走にしてしまった点にあったとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "稲盛会長が1995年の講演で示したのは、PHS・セルラー・衛星を一台で切り替える三層の構想だった。その前提には、21世紀初頭に国内の携帯電話が5000万台へ伸びるという予想が置かれている。地上がそこまで広がることと、衛星の埋める隙間が残ることは、同時には成り立ちにくい。実際に残ったのは海洋・砂漠・山岳という市場で、加入は世界で3万台にとどまった。破綻の後も、稲盛名誉会長は米イリジウムへの再出資を考えていた。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 1997年3月15日号「［ひと］ツーカーセルラー東京社長 中山 一 乱世の携帯電話でどんな手腕見せるか」",
        "週刊東洋経済 1998年5月23日号「［フラッシュ］先行することで世界標準を握る インタビュー 日本イリジウム社長 安田芳治」",
        "週刊東洋経済 1999年7月10日号「［TopNews］大転換 設備投資圧縮に転じる稲盛ＤＤＩの胸のウチ」",
        "週刊東洋経済 1999年9月4日号「［TopNews］相反 イリジウム経営破綻が語る稲盛イズムの限界」",
        "週刊東洋経済 1999年10月9日号「［キーパーソン］新事業の創造こそ成長復帰への道 京セラ社長 西口泰夫」",
        "証券アナリストジャーナル 1995年33巻11号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫）",
        "証券（新規上場会社紹介）1993年45巻11号",
        "KDDI 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
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      "slug": "ddi-pocket-phs-1994",
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      "year": 1994,
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      "title": "PHS事業への参入と、地域別9社によるポケット電話会社の設立",
      "subtitle": "携帯電話を持ちながら、なぜもう一つ別系統の移動体通信を立てたのか——料金の安さで広げる筋と、面で敷く基地局",
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          "label": "概要",
          "text": "1994年7月、第二電電がディーディーアイポケット企画を設立し、同年11月にディーディーアイ東京ポケット電話へ商号変更したうえでポケット電話会社8社を設立して、PHS（簡易型携帯電話）事業へ参入した経営判断。地域別9社の体制を敷き、1995年7月に東京と札幌で開業した。"
        },
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          "label": "背景",
          "text": "第二電電は1984年、高い長距離電話料金を下げる目的で設立された会社で、1987年に参入したセルラー8社を通じて携帯電話も持っていた。PHSは車などでの高速移動中に使えない代わりに料金を安くでき、携帯電話の3分の1から4分の1の料金が見込まれていた。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "全国1社ではなく地域別9社に分け、開業の時期も地域ごとにずらした。基地局の出力を独自に高め、設置数は約7000局とNTTパーソナルの3分の1で足りた。街中に自前の足場を持たない事業者が、屋上を借りて面を作るための設計である。"
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          "label": "含意",
          "text": "DDIポケットは縮小するPHS市場でトップシェアを保った一方、面で基地局を敷く投資が先行して1000数百億円の累損が残った。1999年に稲盛和夫名誉会長がPHS設備投資の半減に言及し、2000年1月に9社は1社へ合併した。"
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      "snapshot": {
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                  "text": "第二電電は1984年、日本の長距離電話料金を下げる目的で設立された会社である。稲盛和夫会長は後年の講演で、参入の動機を「日本の長距離電話は大変高く、一般大衆の方々が大変苦しんでいるので、それを安くしたい」と説明している。国鉄系は新幹線沿いに、道路公団系は高速道路沿いに光ファイバーを敷けたが、第二電電に使える設備はなく、山の頂から頂へパラボラアンテナを立てて東名阪を結んだ。値下げで量を取る考え方は、この会社の出発点にあった。",
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                      "fact": "稲盛和夫会長は、第二電電の参入動機を高い長距離電話料金を安くしたいという点に置き、設備がないため山頂間をマイクロ波で結んで東名阪の回線を建設したと講演で述べた",
                      "原文": "第二電電を起こす際には、日本の長距離電話は大変高く、一般大衆の方々が大変苦しんでいるので、それを安くしたい、つまり、「万人によかれかし」という気持ちで乗り出したのです。（中略）残念ながら他の手段がなかったものですから、山の頂から頂へとパラポラアンテナを設置して、その間をマイクロウエーブで結ぶという方法で東名阪の長距離の回線を建設したのです。",
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                {
                  "text": "移動体通信の伸びは、その考え方を裏づけていた。稲盛会長によれば、1981年の日本の携帯電話市場はNTTの独占下で13万台・普及率0.1%にすぎなかったが、1994年の1年間だけで220万台の新規加入があり、同年末の総稼働台数は433万台に達した。1995年7月末には582万台、普及率4.7%へ伸びている。1987年に子会社を通じて参入したセルラー8社の経常利益も、1995年3月期に410億円となった。",
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                  "text": "PHSは、車などでの高速移動中に通信ができない代わりに、料金を安くできる方式である。DDI東京ポケット電話の千本倖生社長は開業前の取材に、料金は3分間40〜60円程度、月額基本料は3000円程度、新規加入料は1万円程度を想定していると答えた。携帯電話の3分の1から4分の1である。安い通信網を作れることが根拠で、これだけ安くしなければ携帯電話に対する割安感が出ないとも述べている。",
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                      "source": "日経ビジネス 1994年11月21日号「千本倖生［DDI東京ポケット電話社長］PHS、低額料金なら1年で200万台普及」",
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                {
                  "text": "同じ方式に、NTT系のNTTパーソナル、日本テレコムや電力各社が設立したアステル、JR系が相次いで参入した。これらは電話ボックスや電柱、駅といった街中の施設を持つ公益企業体で、そこに基地局を置ける。民間企業の第二電電を母体とするDDIポケットには、その足場がない。基地局はビルの屋上を一つずつ間借りして作るほかなく、オーナーや施工主との調整が先に立った。",
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                      "fact": "NTTや電力、JRなど公益企業体は電話ボックス・電柱・駅などに基地局を置けるのに対し、民間企業のDDI（第二電電）を母体とするDDIポケットはビルの屋上を間借りするしかなく、関係者との調整作業が必要だった",
                      "原文": "NTTや電力、JRなど公益企業体であるNTTパーソナルやアステルは電話ボックスや電柱、駅など街中に広がる施設に基地局を設置できるので、電波の届く範囲が狭くても問題ない。一方、DDIポケットは民間企業のDDI（第二電電）が母体。基地局はビルの屋上を間借りして作るしかない。ビルを利用するには、オーナーや施工主など多くの関係者との調整作業が必要なため、基地局の設置数が減らせる高出力でカバーエリアが広い基地局を利用するしかなかった。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年8月28日号「DDIポケット 運用停止で反NTT路線に初の試練」",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "携帯電話を持ちながら、第二の系統を立てる",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1994年7月、第二電電はディーディーアイポケット企画を設立した。11月にはこれをディーディーアイ東京ポケット電話へ商号変更し、同時にディーディーアイ北海道ポケット電話などポケット電話会社8社を設立している。翌年夏の開業を目指して10月に事業会社を立てるという段取りは、千本社長が同じ秋に語ったとおりに運んだ。セルラー8社で携帯電話をすでに持つ会社が、別系統の移動体通信をもう一つ立てた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1994年7月にディーディーアイポケット企画を設立し、11月にディーディーアイ東京ポケット電話へ商号変更するとともに、ディーディーアイ北海道ポケット電話などポケット電話会社8社を設立した",
                      "原文": "1994年7月 株式会社ディーディーアイポケット企画（子会社）設立。11月 株式会社ディーディーアイポケット企画をディーディーアイ東京ポケット電話株式会社に商号変更する。ディーディーアイ北海道ポケット電話株式会社等ポケット電話会社８社（子会社）設立。",
                      "source": "第二電電 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1994年秋の時点で、翌年夏以降のサービス開始を目指して10月に事業会社を設立する段取りが示されていた",
                      "原文": "来年夏以降のサービス開始を目指して、10月に事業会社を設立。NTT（日本電信電話）系と、日本テレコムや電力各社が設立したPHS（簡易型携帯電話）会社と競合する。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年11月21日号「千本倖生［DDI東京ポケット電話社長］PHS、低額料金なら1年で200万台普及」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "別系統を立てた理由は、価格帯の違いにあった。千本社長は、通話料が40〜50円に収まれば事業開始から1年で各社合わせて200万台、1人1台の感覚なら2000年までに6000万台の普及も可能とみていた。稲盛会長もPHSを「ポケット電話」と呼び、市内通話料は公衆電話より少し高い程度で月額基本料も安いと説明したうえで、21世紀初頭には国内だけでPHSを含む携帯電話が5000万台になると予想している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "千本倖生社長は、通話料が40〜50円に収まれば事業開始から1年で各社合わせて200万台、2000年までに6000万台の普及も可能とみていた",
                      "原文": "現在の携帯電話の普及台数は300万台弱ですが、通話料金が40〜50円に収まれば、事業開始から1年間で各社合わせて200万台ぐらい普及するでしょう。1人1台の感覚で2000年までに6000万台の普及も可能です。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年11月21日号「千本倖生［DDI東京ポケット電話社長］PHS、低額料金なら1年で200万台普及」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "稲盛和夫会長はPHSを「ポケット電話」と呼び、市内通話料は公衆電話より少し高い程度で月額基本料も安いとし、21世紀初頭に国内だけでPHSを含む携帯電話が5000万台になると予想した",
                      "原文": "更に安くて便利な携帯電話であるPHS、これを私共はポケット電話と呼んでいますが、今現在この展開を一生懸命行っています。（中略）市内における通話料は、公衆電話よりも少し高い程度の料金で通話ができ、そして、月額の基本料金も大変安いPHSが、今後大変伸びていくと思っています。私共は、21世紀初頭には、国内だけでも、このPHS等を含めた携帯電話は5,000万台になるのではないかと、大変期待しております。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫氏講演）",
                      "url": null
                    }
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                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "全国1社ではなく、地域別9社",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "体制は全国1社ではなく、東京と北海道以下の地域別9社に分けた。1987年に携帯電話へ参入したときのセルラー8社と同じ設計の反復である。免許も営業も地域単位に置き、開業の時期も地域ごとにずらした。1995年7月にはまず東京と札幌でサービスを始めている。全国を一度に敷くのではなく、需要の濃い地域から順に基地局を置く進め方であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1995年7月に東京と札幌でPHSを開業し、札幌は順調だったが首都圏では基地局の設置にトラブルが出た",
                      "原文": "7月には、東京、札幌で開業しました。札幌の方は大変順調に開業を進めましたが、首都圏においては、基地局の設置等にトラブルがあり、ユーザーの皆様方に大変ご迷惑をかけました。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫氏講演）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "基地局の設計も他社と違えた。DDIポケットが選んだ基地局の出力は500ミリワットで、NTTパーソナルの20ミリワットの25倍にあたった。20ミリワットでは電波が半径100〜200メートルしか届かないが、500ミリワットなら半径500メートルまで広がり、基地局を密に置かずに済む。当初の設置数は約7000局と、NTTパーソナルの2万局の3分の1にとどまった。街中に足場を持たない事業者に選べる形は、これしかなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "DDIポケットの基地局出力は500ミリワットでNTTパーソナルの20ミリワットを上回り、半径500メートルまで電波が届くため設置数は約7000局とNTTパーソナルの2万局の3分の1にとどまった",
                      "原文": "DDIポケットの基地局は500ミリワットと、7月から同時に参入したNTTパーソナルの20ミリワットより圧倒的に高い。（中略）20ミリワットだと電波は半径100〜200mしか届かないが、500ミリワットだと半径500mまで広がるので、基地局を密に設置する必要がない。実際、当初、DDIポケットが設置した基地局は約7000で、NTTパーソナルの2万に比べ3分の1だ。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年8月28日号「DDIポケット 運用停止で反NTT路線に初の試練」",
                      "url": null
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        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "開業直後の運用停止と、端末の値引き競争",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "開業の翌月、この設計の弱点が表に出た。DDI東京ポケット電話は1995年8月16日から20日まで、東京の一部地域でPHSの運用を停止した。1つの基地局で同時に通話できるのは3人までで、カバー範囲の広い基地局に利用者が集まれば通話しにくくなる。複数の基地局でカバーし合うためのタイミングが揃わず、起動し直したのが停止の中身であった。稲盛会長も「基地局の設置等にトラブルがあり、ユーザーの皆様方に大変ご迷惑をかけました」と述べている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "DDI東京ポケット電話は1995年8月16日から20日まで東京の一部地域でPHSの運用を停止した。1つの基地局は同時に3人しか通話できず、複数の基地局でカバーし合う同期が機能しなかったため起動し直した",
                      "原文": "DDI東京ポケット電話（東京・港区）が8月16日から20日まで、東京の一部地域でPHS（簡易型携帯電話）の運用を停止した。（中略）1つの基地局は同時に3人しか通話できないので、カバー範囲が狭い基地局より多数の利用者を抱え込むDDIポケットの方式は通話しにくくなる。（中略）しかし、基地局ごとにタイミングが異なるため、端末がどちらの基地局を選べばよいか迷ってしまった。そのため、同じタイミングになるように起動し直したのが、今回の停止措置だ。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年8月28日号「DDIポケット 運用停止で反NTT路線に初の試練」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "価格の競争は端末から始まった。DDI東京ポケット電話は1996年2月、販売店に払う販売奨励金を1台5000円から2万円へ引き上げ、3000円を切る端末が店頭に並んだ。アステル東京やNTT中央パーソナルも一部商品の増額で対抗した。山一証券経済研究所の田中宏典氏は、値下げの火付け役となったDDIポケットが年間500億円の赤字になると予測されているとしたうえで、3〜4年後には十分に黒字化するとみていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "PHSの端末価格は3000円を切る商品が出て、販売奨励金は1台5000円から1996年2月にDDI東京ポケット電話が2万円まで引き上げた。DDIポケットは年間500億円の赤字と予測されたが、3〜4年後には黒字化するとみられていた",
                      "原文": "PHSの端末価格は、3000円を切る「目玉商品」が出てきており、端末だけでの採算は度外視していることは明白だ。こうした価格が可能になっているのは、PHS各社が販売店に対して、販売奨励金を増額しているからだ。これまでは1台につき5000円だったが、今年2月からDDI東京ポケット電話が2万円まで引き上げたと言われている。（中略）注目はDDIポケットの戦略だろう。今回の端末価格の値下げ戦略の火付け役を演じたこともあって、年間500億円の赤字になると予測されている。だが、3〜4年後には十分に黒字化するとみている。",
                      "source": "日経ビジネス 1996年4月1日号「PHS価格下落も心配なし／DDIポケットは大化けも」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "先行投資の重みと、9社の一本化",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "誤算は、比べる相手が動かないという前提に置かれていた。千本社長は開業前、これだけ安くしなければ携帯電話に対する割安感が出ないと述べている。裏を返せば、携帯電話の料金が下がるほどPHSの取り分は薄くなる。しかもPHSは電波の届く範囲が狭く、基地局を面で敷き詰めるまでは使えない。加入者が増える前に設備が要る事業であり、DDIグループが携帯電話とPHSに投じた先行投資は年2000〜3000億円に達した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "DDIグループは過去数年、携帯電話とPHSだけで年間2000〜3000億円の先行投資を実施した",
                      "原文": "一方、ＤＤＩグループは過去数年、携帯電話とＰＨＳだけでも年間二〇〇〇～三〇〇〇億円の先行投資を実施。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月10日号「［TopNews］大転換 設備投資圧縮に転じる稲盛DDIの胸のウチ」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "負担は連結の財務に出た。連結有利子負債は1995年3月期の2020億円から1999年3月期に8400億円へ増え、連結自己資本比率は14.6%まで下がった。1999年3月期に黒字へ転じたPHSも翌期には再び赤字となり、130億円の最終損失が見込まれた。稲盛名誉会長は同年、「今期の連結設備投資は公表計画より減らす。特にPHSは半減でもかまわないと強固に言っている。とにかく、これ以上借金を増やしてはならない」と語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "連結有利子負債は1995年3月期2020億円から1999年3月期8400億円へ増え、連結自己資本比率は14.6%へ低下、前期黒字転換したPHSは今期再赤字で130億円の最終損失を見込み、稲盛和夫名誉会長はPHSの設備投資は半減でもかまわないと語った",
                      "原文": "投資戦略についても、「今期の連結設備投資は公表計画より減らす。特にＰＨＳは半減でもかまわないと（ＤＤＩ経営陣に）強固に言っている。とにかく、これ以上借金を増やしてはならない」と語った。（中略）このうち、前期黒字転換したＰＨＳが今期再赤字に転落、一三〇億円の最終損失を見込む。（中略）１９９５年３月期に二〇二〇億円だった連結有利子負債は９９年３月期に八四〇〇億円まで急増し（中略）連結自己資本比率も実に一四・六％まで低下した。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月10日号「［TopNews］大転換 設備投資圧縮に転じる稲盛DDIの胸のウチ」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "DDIポケットは縮小するPHS市場でトップシェアを保ったが、過去の巨額投資のツケは1000数百億円の累損として残った。2000年1月、ポケット電話9社はディーディーアイ東京ポケット電話を存続会社として合併し、ディーディーアイポケットへ商号変更している。地域別に立てた9社は5年余りで1社に戻り、参入時に敷いた体制はここで畳まれた。同年10月、第二電電はKDD・日本移動通信と合併している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "DDIポケットはPHS市場全体が縮小するなかでトップシェアを維持したが、過去の巨額投資のツケとして1000数百億円の累損が残った",
                      "原文": "ＤＤＩポケットはトップシェアを維持し、ＰＨＳ市場全体が縮小する中では健闘しているものの、過去の巨額投資のツケは大きく一千数百億円に上る累損が残る。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月10日号「［TopNews］大転換 設備投資圧縮に転じる稲盛DDIの胸のウチ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2000年1月にポケット電話9社がディーディーアイ東京ポケット電話を存続会社として合併し、ディーディーアイポケットへ商号変更した",
                      "原文": "2000年1月 ディーディーアイ東京ポケット電話株式会社、他ポケット電話会社全９社は、ディーディーアイ東京ポケット電話株式会社を存続会社として合併し、ディーディーアイポケット株式会社に商号変更する。",
                      "source": "第二電電 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "安さは、相手との差でしか成り立たない",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "安くして広げるという考え方は、長距離電話でもPHSでも変わっていない。「日本の長距離電話は大変高く、一般大衆の方々が大変苦しんでいる」と言って1984年に始めた会社が、10年後に携帯電話の3分の1から4分の1という料金でもう一つの移動体通信を立てたのは、同じ手の繰り返しであった。全国1社ではなく地域別9社に分けた形も、セルラー8社と同じ設計を方式を変えて使い直している。"
                },
                {
                  "text": "9つに分けても、基地局をビルの屋上に一つずつ借りる手間は割れなかった。セルラーの地域分割には、郵政省の割り当てと地元資本の調達という外側の理由があった。PHSにはそれがない。免許も資金も本体から出ているのに法人だけが9つあり、面を敷く作業は各社が別々に抱えた。千本社長は開業前から、携帯電話の3分の1から4分の1でなければ割安感が出ないと条件を明示している。前提が崩れたのは携帯電話側の値下げが続いたためであり、9社という形はその崩れ方を和らげなかった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1994年11月21日号「千本倖生［DDI東京ポケット電話社長］PHS、低額料金なら1年で200万台普及」",
        "日経ビジネス 1995年8月28日号「DDIポケット 運用停止で反NTT路線に初の試練」",
        "日経ビジネス 1996年4月1日号「PHS価格下落も心配なし／DDIポケットは大化けも」",
        "証券アナリストジャーナル 1995年11月号「京セラの海外展開と通信事業戦略」（稲盛和夫氏講演）",
        "週刊東洋経済 1999年7月10日号「［TopNews］大転換 設備投資圧縮に転じる稲盛DDIの胸のウチ」",
        "第二電電 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
    }
  ]
}
