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    {
      "slug": "roadside-shift-1975",
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      "year": 1975,
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      "title": "都心100店のうち60店の閉鎖と、駐車場付き郊外ロードサイド店への転換",
      "subtitle": "地下街と商店街に残るか、国道沿いへ出るか——名古屋の人の流れが変わるなかで冨永光行社長が選んだ立地",
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      "issue": "立地戦略と店舗網の組み替え",
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      "highlights": [
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          "label": "概要",
          "text": "1975年、名古屋市内の商店街と地下街に100店を構えていた靴のマルトミが、都心の60店を5年かけて閉じ、駐車場を備えた郊外ロードサイドへ80店を出す立地転換に踏み切った経営判断。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1970年代後半、都心部からの人口流出で既存店の売上が低迷した。路面電車の廃止で繁華街の通行量が細る一方、自家用車で動く郊外の商圏が広がりつつあった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "都心店を残したまま郊外へ足すのではなく、100店のうち60店を閉じて郊外へ振り替えた。1979年には岐阜に「靴流通センター」1号店を出し、地名を冠した小型・駐車場付きの店舗形式を定めた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "大型店の出店を抑える大店法の下で、規制対象にならない小型店を郊外に並べる型を先に押さえた。総店舗数は1984年2月期の204店から1987年2月期の775店へ増えた一方、同じ規制環境への依存も深まった。"
        }
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          "name": "靴のマルトミ",
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            "note": "名古屋市内の商店街・地下街を中心に約100店を構える靴の小売チェーン。既製靴の低価格販売と現金取引を原則とする"
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        "summary": "都心からの人口流出と自家用車の普及に対応し、店舗網の主軸を地下街・商店街から郊外ロードサイドへ移した立地転換"
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          "title": "冨永光行氏が名古屋で靴の販売を始める（1足600円で作らせ1000円で販売）"
        },
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          "title": "合資会社靴のマルトミを設立、名古屋駅地下街サンロード店を開店"
        },
        {
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          "title": "株式会社靴のマルトミへ改組"
        },
        {
          "year": 1975,
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          "title": "都心100店のうち60店を閉鎖し、郊外ロードサイドへ出店方針を転換",
          "highlight": true
        },
        {
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          "title": "郊外型靴専門店「靴流通センター」1号店を岐阜に出店"
        },
        {
          "year": 1983,
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          "title": "全店舗にオンラインシステムを導入"
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      "snapshot": {
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            "name": "靴のマルトミ",
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          "label": "背景",
          "subsections": [
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              "sub_title": "1000円の既製靴と、名古屋の都心店網",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "靴のマルトミの出発点は、1950年11月に冨永光行氏が名古屋の闇市で靴を売り始めたところにある。当時の革靴は職人が客の足を測って仕立てる注文品で、大卒の初任給が3000円ほどの時代に1足3000円した。冨永氏は靴工場を回り、流れ作業で作ればもっと安くできると持ちかけ、1足600円で作らせた靴を1000円で売った。注文靴の相場からみて極端な安値で、靴を特別な買い物から日常の消耗品へ置き換える売り方であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1950年11月創業。大卒初任給3000円の時代に革靴は1足3000円で、冨永氏は工場に1足600円で作らせ1000円で販売した",
                      "原文": "大卒の給料が3000円の時代に、革靴は1足3000円もしていました。完全な消耗品なのに、これではなかなか庶民が気安くはけるようになりません。そこで、私は、靴の工場を回り、1足600円で作ってくれるよう頼みました。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
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                },
                {
                  "text": "名古屋一の靴屋になると決めた冨永氏は、1957年に開いたばかりの名古屋駅地下街へ第1号店を構え、栄などの繁華街と合わせて4店を出した。同じ年に合資会社靴のマルトミを設立している。1965年には4店舗で従業員の不正が見つかり、掛け売りを禁じて現金取引に徹する原則をここで定めた。1973年2月に株式会社へ改組したころ、商店街と地下街を中心とする店舗網は100店に達していた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "完成間もない名古屋駅地下街に第1号店を開き、栄など繁華街と合わせて4店を出した。1965年に従業員の不正が発覚し4店舗の従業員全員を解雇した",
                      "原文": "完成したばかりの名古屋駅地下街に第1号店を開店、栄など大繁華街に合計4店の大規模店を出しました。これがすべて大当たり。売上高でたちまち名古屋一の靴屋になりました。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
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                      "fact": "1957年3月に合資会社靴のマルトミを設立、1965年に掛け売りを禁止、1973年2月に株式会社靴のマルトミへ改組",
                      "原文": "1957年3月 合資会社靴のマルトミを設立、名駅地下街サンロード店を開店。1965年 掛け売りを禁止。1973年 株式会社靴のマルトミを設立。",
                      "source": "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
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            },
            {
              "sub_title": "都心から人が出ていった1970年代後半",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "店舗網が100店に届いたころ、名古屋の都心では客足の前提が崩れ始めていた。冨永氏が1970年代後半に直面したのは、街の中心部からの人口流出に伴う売上の低迷であった。都心部では路面電車の廃止が繁華街の通行量を細らせ、地下街や商店街の店は駅と職場を往復する人の動線に依存する度合いを強めた。一等地の家賃を払いながら来店客の総量が減る立地に、100店の大半が置かれていた。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1970年代後半、街の中心部からの人口流出により売上が低迷した",
                      "原文": "しかし、逆風にも見舞われた。70年代後半になって直面したのが街の中心部からの人口流出に伴う売り上げの低迷だった。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                    {
                      "fact": "都心部の路面電車廃止による繁華街の衰退と、ロードサイドの発展による郊外商圏の拡大が同時に進んだ",
                      "原文": "都心部における路面電車の廃止による繁華街の衰退や、ロードサイドの発展による郊外商圏の拡大を受けて、全100店のうち60店を閉店し、郊外店を主軸に置く方針を決めた。",
                      "source": "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
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                {
                  "text": "入れ替わりに伸びたのが、自家用車で動く郊外の商圏であった。国道沿いには広い駐車場を備えた店が並び、買い物は歩いて回るものから車で乗りつけるものへ変わった。靴は一足を選ぶのに試し履きの時間がかかり、家族連れが車で来て並んだ商品を見比べる売場との相性は悪くない。都心の一等地に家賃を払い続けるか、地価の安い郊外で売場と駐車場を確保するか。マルトミの選択肢はこの二つに絞られていた。",
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                      "fact": "1970年代後半、ロードサイドの発展により郊外商圏が拡大した",
                      "原文": "ロードサイドの発展による郊外商圏の拡大を受けて、全100店のうち60店を閉店し、郊外店を主軸に置く方針を決めた。",
                      "source": "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "100店のうち60店を閉じる",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1975年、冨永氏は100店に届いた店舗網のうち60店を閉じると決めた。閉店は一度きりではなく、以後5年をかけて都心の60店を順に整理し、その間に郊外へ80店を出した。既存店を保ったまま郊外へ足すのではなく、都心で回収した資金と人員を郊外へ振り替える方法をとっている。売上の落ちた店を抱えたまま新規出店の資金を工面する道を選ばなかった点に、この判断の性格が表れている。",
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                      "fact": "店舗が100店に達した1975年から5年間で60店舗を閉鎖し、郊外に80店舗を出店した",
                      "原文": "店舗が100店に達した75年から5年間で60店舗を閉鎖し、郊外に80店舗を出店。79年には「靴流通センター」1号店を岐阜に出店した。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                {
                  "text": "短期間に60店を閉じて80店を出す入れ替えを支えたのは、創業期に定めた現金取引の原則であった。1965年の不正発覚を機に掛け売りを禁じて以来、マルトミは売掛金を持たない商売を続けていた。日々の売上が現金で入る一方、閉店した店の敷金と什器は回収に回せる。仕入先への支払いと新店の投資を同じ資金の流れで賄える体質が、都心と郊外の同時進行を成り立たせた。",
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                      "原文": "1965年 従業員の不正が発覚。1965年 掛け売りを禁止。",
                      "source": "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
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              "sub_title": "「靴流通センター」という郊外店の型",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "郊外へ移した店舗が一つの形式に固まったのは1979年であった。この年、岐阜に「靴流通センター」の1号店を出している。出店地の地名を冠した店名を掲げ、幹線道路沿いに広い駐車場と平屋の売場を置く。以後の出店はこの型を反復する作業となり、1980年前後から名古屋圏を越えて全国へ広がった。単店の投資額を抑えた設計は、出店の速度をそのまま店舗数の伸びに変えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1979年、郊外型靴専門店「靴流通センター」の1号店を岐阜に出店した",
                      "原文": "79年には「靴流通センター」1号店を岐阜に出店した。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                    {
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                      "原文": "79年現在の主力である郊外型靴専門店、靴流通センターを始める。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "出店の設計思想は商圏人口に置かれた。マルトミは人口10万人を「靴流通センター」1店の商圏とみなし、日本の人口から逆算した店舗数を出店余地の上限としていた。加えて、1974年に施行された大規模小売店舗法は大型店の出店を抑えており、規制の対象にならない小型店には郊外に出る余地が残されていた。マルトミが選んだ小型・多店舗の型は、この規制環境と正面から噛み合っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "マルトミは人口10万人を「靴流通センター」1店の商圏と設定していた",
                      "原文": "マルトミは人口10万人を「靴流通センター」の商圏としており、日本の人口から算出すれば店舗数ではほぼ飽和状態にある。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                    {
                      "fact": "大店法の規制下で大型店の出店が抑制される一方、規制対象にならない小型郊外専門店には出店余地が残された",
                      "原文": "大店法の規制対象にならない小型店舗を郊外ロードサイドに大量出店し、駐車場を備えて車利用客を取り込む。",
                      "source": "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
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              "sub_title": "店舗数と利益の伸び、そして分散した市場",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "郊外への切り替えは店舗数の伸びに表れた。総店舗数は1984年2月期の204店から1985年2月期344店、1986年2月期534店と増え、1987年2月期には775店に達した。経常利益も1984年2月期の2億6600万円から1989年2月期の24億4800万円へ伸びている。1983年10月には全店舗にオンラインシステムを入れ、在庫と販売の数字を本部で束ねる仕組みを整えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "総店舗数は1984年2月期204店から1987年2月期775店・1989年2月期869店へ増え、経常利益は同期間に2億6600万円から24億4800万円へ拡大した",
                      "原文": "総店舗数は84年2月期204、85年2月期344、86年2月期534、87年2月期775、88年2月期798、89年2月期869。経常利益は84年2月期の2億6600万円から89年2月期の24億4800万円へ拡大した。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "1983年10月、全店舗にオンラインシステムを導入した",
                      "原文": "1983年10月 全店舗にオンラインシステムを導入。",
                      "source": "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "規模の面では1986年に靴販売金額の国内シェア首位に立った。ただしその値は4.47%で、2位のチヨダの4.25%とわずかな差にとどまる。靴の小売は首位でも20分の1しか取れない分散した市場であった。1989年2月期の売上高は767億3400万円、従業員は1294人。売場を増やせば売上が伸びる構造の裏で、同じ型を模倣する競合が現れたとき何が残るのかという問いは、この時点では前面に出ていなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1986年に靴販売金額で国内シェア1位（4.47%）となり、2位のチヨダ（4.25%）と接戦であった",
                      "原文": "靴販売金額で国内シェア1位(4.47%)を確保。2位のチヨダ(シェア4.25%)と接戦。",
                      "source": "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
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                    {
                      "fact": "1989年2月期の売上高は767億3400万円、従業員は1294人であった",
                      "原文": "売上高 767億3400万円（89年2月期）、従業員 1294人。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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              "sub_title": "立地を選び直した会社が、次に受け取ったもの",
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                {
                  "text": "この決断の核心は、売れなくなった店を閉じたことよりも、稼いでいる本拠地を先に手放した点にあるとみることができる。1975年当時の60店は不良資産の山ではなく、名古屋一と呼ばれた店舗網そのものであった。人口の移動と自家用車の普及という、店側からは制御できない変化を読み、まだ体力のあるうちに立地の前提を書き換えた判断であったとみられる。閉店を縮小ではなく資源の振り替えとして扱ったところに、後年の大量閉店との性格の違いがうかがえる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、新しい立地には新しい前提がついてきた。郊外の小型店が安定して客を集められたのは、大店法が大型店の出店を抑えていたためでもある。マルトミが手にしたのは自由な競争の場ではなく、別の制度に守られた場所であった。1990年代に規制の運用が緩み、郊外に総合的な商業施設が現れたとき、この選択は改めて問い直される。立地を選ぶという判断が、どこまで自社の力で、どこから制度の産物だったのか——その線引きは、当時の成功のなかでは見えにくかったとみられる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
        "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
        "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-22"
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    {
      "slug": "owner-system-1987",
      "url": "/tse/9863/decisions/owner-system-1987/",
      "year": 1987,
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      "stock_code": "9863",
      "decision_id": "9863-owner-system-1987",
      "type": "reorganization",
      "tags": [
        "bm-model-shift",
        "gv-labor",
        "cp-listing"
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      "title": "直営店を独立採算の販売委託店へ切り替えた「オーナーシステム」の導入",
      "subtitle": "雇われ店長のままか、店の経営者になるか——粗利の75%を渡して冨永光行社長が引き出そうとしたもの",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": "店舗・什器・商品を靴のマルトミが所有したまま、店舗の運営をオーナーへ委託する販売委託方式（直営店でもフランチャイズ店でもない）",
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      "issue": "店舗運営の仕組みと出店速度",
      "decider": "冨永光行（社長）",
      "highlights": [
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          "label": "概要",
          "text": "1987年3月、靴のマルトミが直営店を順次「独立採算制オーナーシステム」の販売委託店へ切り替え、店舗の粗利益の75%を毎月オーナーへ支払う仕組みを敷いた経営判断。1990年の名古屋証券取引所第2部上場まで、この仕組みが出店の速度を支えた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "総店舗数は1987年2月期に775店へ達した一方、1店舗当たりの売上高は7900万円程度で沈滞していた。人件費の増加と同業との競争で、店数を増やしても利益が伸びにくくなっていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "店舗・什器・商品はマルトミが所有したまま、店の経営者であるオーナーが販売を請け負う。粗利益の75%が販売手数料としてオーナーに渡り、家賃・光熱費・人件費を差し引いた残りがオーナーの収入になる。本部に入るのは売上の約1割にとどまる。"
        },
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          "label": "含意",
          "text": "1店舗当たりの経常利益は導入前の131万円から1989年2月期に282万円へ増えた。一方でオーナーの労働時間は本部の管理外に置かれ、同業のチヨダは9割以上を直営に保つ道を選んだ。"
        }
      ],
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            "note": "郊外型靴専門店「靴流通センター」を主力とする小売チェーン。総店舗数775店（1987年2月期）"
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1989年2月期",
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                {
                  "text": "1975年に郊外へ移した店舗網は、1979年に「靴流通センター」の型が定まってから増える速度を上げた。総店舗数は1984年2月期の204店から1986年2月期に534店となり、1987年2月までの1年間だけで253店が増えて775店に達した。年に250店を出す規模は、当時の靴小売では突出していた。冨永光行氏はこの時期まで拡大そのものを目標に置き、店の数を積み上げる経営を続けていた。",
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                      "fact": "1987年2月までの1年間の出店数が253店とピークに達し、総店舗数は798店規模となった",
                      "原文": "87年2月までの1年間で店舗数が253とピークに達し、総店舗数798になった。富永社長はそれまでひたすら拡大を指向してきたが、将来の株式上場もにらんで増収増益を図る方策を考えた。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                      "原文": "総店舗数は84年2月期204、85年2月期344、86年2月期534、87年2月期775。",
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                {
                  "text": "ところが1店舗当たりの数字は動かなかった。1店当たりの売上高は1987年2月期まで7900万円程度で沈滞し、店を増やしても1店の生産性は横ばいのままであった。人口10万人を1店の商圏とする設計から逆算すれば、日本の人口に対する店舗数はほぼ飽和に近づいていた。出店の余地が細り、既存店の数字も伸びない。二つの制約が同時に迫っていた。",
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                {
                  "text": "冨永氏が制度の見直しを考えた直接の理由は人件費であった。「人件費増と過当競争で思うように儲からなくなったとき考えた。家内と2人でやっていた時は儲かってしょうがなかったのに」と本人が語っている。週休2日制や労働時間の規制も、数百店の従業員を直接雇う会社には重い条件であった。店をまるごと貸して経営者になってもらえば、社の従業員ではなくなる。発想はそこから出ている。",
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                      "原文": "「人件費増と過当競争で思うように儲からなくなったとき考えた。家内と2人でやっていた時は儲かってしょうがなかったのに――。じゃあ末端を全部切り離してはどうか。店ぐるみ貸してやるのも社長は自分でやれば。そうすればうちの従業員ではなくなるわけだから、週休2日制や労働時間の問題からも解放される」",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                },
                {
                  "text": "もう一つの理由は、店長の働き方そのものにあった。決められた数字を達成すれば済む雇われ店長では、売上が自分の収入に直結しない。冨永氏が自ら闇市から店を積み上げてきた商売のやり方を、各店の責任者にそのまま移せないか。1986年9月に株式上場を目標として掲げた同社にとって、店数ではなく1店の収益で増収増益を示す必要も生じていた。制度の設計はこの二つの要請を同時に満たす方向へ向かった。",
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                      "fact": "冨永社長は将来の株式上場もにらんで増収増益を図る方策を検討した",
                      "原文": "富永社長はそれまでひたすら拡大を指向してきたが、将来の株式上場もにらんで増収増益を図る方策を考えた。",
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          "label": "決断",
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              "sub_title": "粗利の75%を店に渡す",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1987年3月、マルトミは「独立採算制オーナーシステム」を採り入れた。店舗も什器も商品もマルトミが所有したまま、店の経営者であるオーナーが販売を請け負う販売委託の方式で、直営店でもフランチャイズ店でもない。土地や建物をオーナーが用意する必要がない点が通常のフランチャイズと異なる。従来の店長を、雇用関係の外にいる独立した経営者へ置き換える仕組みであった。",
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                      "fact": "店舗・什器・商品はマルトミの所有のまま、店舗の経営者であるオーナーが販売を請け負う販売委託店で、直営店でもフランチャイズ店でもない",
                      "原文": "同システムにより運営されている店舗は全体の62%にあたる546店舗。これらは直営店でもフランチャイズ店でもない。店舗や什器、商品はマルトミの所有だが、店舗の“経営者”であるオーナーが販売を請け負う販売委託店である。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                },
                {
                  "text": "金の流れは単純であった。各店の粗利益の75%が販売手数料として毎月オーナーへ支払われ、そこから家賃・光熱費・人件費を差し引いた残りがオーナーの収入になる。本部が吸い上げる粗利の25%は、粗利益率が約35%であるため売上の約8.75%にあたり、これにノウハウ料の1%強を加えた売上の約1割が本部に入る。価格の決定権は本部が持ち、値札を付けた商品を各店へ配送した。売上を伸ばして効率よく運営すれば、その差はそのままオーナーの手取りへ返る。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "粗利益の75%が販売手数料としてオーナーに支払われ、本部が受け取るのは粗利の25%（売上の約8.75%）とノウハウ料1%強を合わせた売上の約10%であった",
                      "原文": "各店舗における粗利益の75%が販売手数料として毎月オーナーに支払われ、その中から家賃や光熱費、人件費を差し引いた残りがオーナーの収入になる。本部が吸い上げる粗利の25%は粗利益率が約35%なので売り上げの約8.75%になる。そのほかにノウハウ料として売り上げの1%強を徴収しており、合計すると本部に入るのは売り上げの約10%ということになる。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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              "sub_title": "300人が手を挙げた",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1987年初頭に構想を社員へ示したときの反響は、冨永氏の想定を超えた。「300人近くが手を挙げましたねえ。しかし全部はできませんから少し待てと止めたくらい」と本人が振り返っている。オーナーの約5分の4は当時の社員であった。ノルマを達成すれば済んでいた店長の立場から、売上が自分の収入に直結する立場へ移った社員たちは、接客の態度まで変えたという。",
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                      "原文": "87年初頭にオーナーシステムの構想を社員に示した時の反響は大きかった。「300人近くが手を挙げましたねえ。しかし全部はできませんから少し待てと止めたくらい」（富永社長）。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                {
                  "text": "切り替えの速度も速かった。1989年4月20日の時点で、地名を冠した「靴流通センター」564店を主力に、玩具や輸入商品を扱う郊外型店舗を含めて合計883店を数え、うち546店にあたる62%がオーナーシステムで運営されていた。冨永氏は1割の直営店を残し、残る9割を順次オーナーシステム店へ移す計画を掲げた。社が直接雇う従業員は1989年2月期で1294人にとどまり、店舗数に対して極端に少ない人数で全国の売場が回っていた。",
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                      "fact": "1989年4月20日時点で「靴流通センター」564店を主力に合計883店、うち546店（62%）がオーナーシステムで運営されていた",
                      "原文": "郊外の幹線道路に沿って出店する「○○靴流通センター」（○○は地名）564店を主力に、玩具や新興工業経済群（NIES）からの輸入商品を販売する郊外型店舗など合計883店（4月20日現在）を抱える。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                      "fact": "冨永社長は1割の直営店を残し、残る9割をオーナーシステム店へ順次移行させる計画を掲げた",
                      "原文": "逆に富永社長は社員教育の場として1割の直営店を残し、あとの9割はオーナーシステム店に順次移行させていく計画だ。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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          "section": "outcome",
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              "sub_title": "1店の利益は2倍に、労働時間は管理の外に",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "制度の効果は1店当たりの数字に表れた。1店舗の売上高は1987年2月期の7900万円程度から2年後の1989年2月期に8830万円へ増え、1店舗当たりの経常利益は131万円から282万円へ、115%の増加となった。全社の経常利益も1984年2月期の2億6600万円から1989年2月期の24億4800万円へ伸びている。1988年には全店舗へのPOS導入を決め、1990年1月には名古屋証券取引所第2部への株式上場を果たした。",
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                    {
                      "fact": "1店舗当たり売上高は7900万円程度から8830万円へ、1店舗当たり経常利益は131万円から282万円（115%増）へ増加した",
                      "原文": "1店舗当たりの売り上げは87年2月期まで7900万円程度で沈滞していた。2年後の89年2月期は8830万円に増え、1店舗当たりの経常利益は131万円から115%増の282万円に膨れ上がった。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                      "原文": "1988年 全店舗にPOS導入を決定。1990年 名古屋証券取引所に株式上場。",
                      "source": "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
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                {
                  "text": "一方で、増えた収入は長い労働時間と引き換えでもあった。1店舗当たりの平均売上高から経費を差し引いたオーナーの年収は約560万円と算出され、店長時代の2〜2.5倍にあたる。ただしマルトミ本部は労務管理を一切行わず、正月から1日も休んでいないオーナーもいた。同業のチヨダ靴店は「人材の柔軟な活用を図るため」として9割以上を直営に保ち、この方式を言葉少なに批判している。不採算店のオーナーをどう扱うかという問題も残された。",
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                      "原文": "オーナーシステム店1店舗あたりの平均売上高から平均の家賃と経費を差し引いてオーナーの年収を算出すると約560万円になる。「店長時代から比べれば収入は2〜2.5倍になっているはず。立地などで不利な条件の店にはノウハウ料の免除などで調整している」（大黒生営業本部次長）",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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                      "原文": "「オーナーシステムには売り上げや利益を伸ばすための即効性はあると思うんですが…」。ライバルのチヨダ靴店は言葉少なにマルトミを批判する。同社は「人材の柔軟な活用を図るため」9割以上を直営にしている。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
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              "sub_title": "意欲を制度で買うということ",
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                  "text": "この判断の中心にあるのは、店の数を増やす力から、1店の稼ぐ力へ経営の目盛りを付け替えたことであるとみられる。粗利の75%という配分は、本部の取り分をあえて売上の1割に抑える設計でもあり、増えた分はほぼ店に残る。冨永氏が闇市で靴を売っていたころの働き方を各店に再現しようとした試みであり、成果は1店当たり経常利益の倍増となって現れた。人を雇って管理する代わりに、意欲そのものを制度で引き出す道を選んだ経営判断であったとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "ただし、この仕組みが持ちこたえる条件は、店が売れ続けることに置かれていた。売上が伸びる限りオーナーの手取りは増え、本部は労務も休日も抱えずに済む。売上が落ちれば、その減少はまずオーナーの収入から差し引かれる。1994年に不採算180店の閉鎖が決まったとき、閉じられたのはほとんどが直営店であり、余った人員にはオーナーになる道が示された。効率のよい仕組みが、環境が変わったときに誰の側へ負担を寄せるのか——その問いは、制度を作った時点では表に出ていなかったとみられる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1989年6月5日号「独立採算制で店長に喝!」",
        "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
        "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
        "会社四季報（東洋経済新報社）1989年2月期業績"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-22"
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      "slug": "store-closures-1994",
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      "title": "不採算180店の一括閉鎖と、3年で380店を閉じる経営改善計画",
      "subtitle": "出店を止めて耐えるか、業態を作り替えるか——16期連続増収増益の翌期に冨永光行社長が選んだ縮小",
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          "text": "1994年2月、総店舗数1850店の約10%にあたる不採算180店を1年で閉じると発表し、社長自身の役員報酬と賞与も1年間全額を返上した経営判断。1999年3月には3年で380店を閉じる経営改善計画へ広がった。"
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        {
          "label": "背景",
          "text": "1993年2月期まで16期連続の増収増益を続けたが、直前の3年だけで874店を新規出店する一方、不採算店の整理は後回しになっていた。1994年2月期は既存店の売上減で営業利益が前期比5割減の30億円弱に落ちた。"
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          "label": "内容",
          "text": "閉鎖対象のほとんどは直営店で、年300店近く出していた新規出店を50店ほどへ絞った。余剰となる約180人は配置転換とオーナーシステムのオーナー化で受け止める方針を示した。"
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          "text": "閉店による固定費の削減を売上の減少が上回り、1998年2月期に最終赤字へ転落した。1999年3月の改善計画は初年度に311店を閉じたが損失は拡大し、2000年12月に民事再生法の適用を申請した。"
        }
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                  "text": "靴のマルトミは1993年2月期の決算まで、16期にわたって連続で増収増益を記録した。郊外の幹線道路沿いに小型の「靴流通センター」を並べる型は出店の速度をそのまま業績に変え、直前の3年だけで874店を新規に出している。1993年には店舗数が1700を超え、経常利益は過去最高となった。年に300店近くを出す拡大が続く限り、既存店の弱さは全社の数字に埋もれていた。",
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                },
                {
                  "text": "1994年2月期でその流れが止まった。長引く不況で個人消費が低迷し、消費者の低価格志向が重なって既存店の売上が減った。売上高は前期比10%増の1700億円を確保したものの、中間期に見込んだ1804億円を半年で100億円ほど下回っている。営業利益は前期比5割減の30億円弱、経常利益は6割減の24億円程度まで落ちた。増収を保ちながら利益だけが半減する期であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1994年2月期は既存店の売上減で営業利益が前期比5割減の30億円弱、経常利益は6割減の24億円程度へ落ち、売上高は中間期予想の1804億円を100億円下回った",
                      "原文": "特に既存店の売上高が著しく減少しました。その結果、営業利益が前期比5割減の30億円弱、経常利益は6割減の24億円程度まで落ち込みました。／売上高こそ前期比10%増の1700億円を確保しましたが、これも、中間期時点では1804億円を予想しておりましたから、半年で100億円ほど予想を下回った勘定になります。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
                      "url": null
                    }
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                }
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            },
            {
              "sub_title": "車の流れが変わった国道沿い",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "冨永光行氏は整理の遅れを自ら認めている。「本来なら新規出店する傍ら、店舗のスクラップ・アンド・ビルドも同時並行して進めていれば、いくら不況とはいえ、これほど急な業績低下に悩むことはなかった」。行けドンドンの経営のなかで、嫌なことを後回しにしてきた——本人はそう振り返り、責任を感じると述べた。不採算店を洗い出すと180店ほどあり、それは総店舗数1850店の約1割にあたった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "冨永社長は新規出店と並行したスクラップ・アンド・ビルドを怠ったことが急激な業績低下を招いたと述べた",
                      "原文": "本来なら新規出店する傍ら、店舗のスクラップ・アンド・ビルドも同時並行して進めていれば、いくら不況とはいえ、これほど急な業績低下に悩むことはなかったはずです。つい、つい、行け行けドンドンになっていって、嫌なことを後回しにしていたようです。この点は、強く責任を感じています。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "店舗の側でも前提が崩れていた。冨永氏は閉鎖対象にロードサイド店が多い理由を「10年前にはなかった国道のバイパスができて、車の流れが変わってしまった」と説明している。加えて大店法の運用が緩み、郊外型ショッピングセンターが相次いで開業した。靴売場を含む総合的な施設が現れると、単独立地の小型店は品揃えでも集客でも見劣りした。冨永氏は「ロードサイド店同士が品質、価格、サービスで厳しい競争をする時代に入った」と語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "閉鎖対象にロードサイド店が多い理由は国道のバイパス開通で車の流れが変わったことにあり、ロードサイド店同士の競争が激化していた",
                      "原文": "確かに、今回、閉鎖する店の中にはロードサイド店も多い。ですが、これは10年前にはなかった国道のバイパスができて、車の流れが変わってしまったことが大きな原因なのです。／ロードサイド店が限界に差し掛かっているのではなくて、ロードサイド店同士が品質、価格、サービスで厳しい競争をする時代に入ったということです。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "大店法の運用緩和により郊外型ショッピングセンターが相次いで開業し、単独立地の小型専門店が集客力で劣後した",
                      "原文": "大店法の運用が段階的に緩和され、郊外型ショッピングセンターが次々と開業した。単独立地の小型靴専門店は、品揃え・集客力・利便性のすべてでSCに劣後した。",
                      "source": "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "1年で180店を閉じる",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1994年2月、マルトミは1995年2月期までに180店を閉じると発表した。段階的な縮小ではなく、1年で一括して整理する方針であった。冨永氏は「ぐずぐずしているのが大嫌いなんです。やるなら一度に全部やっちゃおうと思い、来年2月までの約1年間でこれらを順次、閉鎖することにしたんです」と述べている。あわせて、2月21日から始まる新事業年度の1年間、自身の役員報酬と賞与を一切受け取らないと決めた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1995年2月期までに180店舗の閉鎖を決め、社長自身の役員報酬・賞与も1年間全額をカットした",
                      "原文": "1995年2月期までに180店舗の閉鎖を決めた。社長自身の役員報酬、賞与も1年間全額カットする。／私の性格はハッキリしています。ぐずぐずしているのが大嫌いなんです。やるなら一度に全部やっちゃおうと思い、来年2月までの約1年間でこれらを順次、閉鎖することにしたんです。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
                      "url": null
                    }
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                },
                {
                  "text": "閉店と同時に、出店の速度も落とした。年300店近くを出していた新規出店を50店ほどへ絞り、1850店という母数からみればほぼ新設をやめるに等しい水準へ引き下げている。閉鎖対象のほとんどは直営店であった。今後は直営を50店程度に抑え、残りは1987年に始めたオーナーシステムの店へ移す構想も示された。閉店で余る約180人には、配置転換のほかオーナーになる道を用意した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "年300店近い新規出店を50店ほどへ縮小し、閉鎖対象のほとんどを直営店とし、今後は直営50店程度に抑えて残りをオーナーシステム店へ移す方針を示した",
                      "原文": "この3年間は年に300店近く出店してまいりましたが、それを50店ほどに縮小します。／今回、閉鎖する店舗のほとんどは直営店です。今後は直営店を50店舗程度に抑え、後は全部オーナーシステムの店舗にしようと考えています。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "閉鎖で余る約180人には配置転換のほかオーナーシステムのオーナーになる道を示した",
                      "原文": "問題となるのは、これだけ多くの店を一度に閉めるとなると、余剰人員が出てくることです。配置転換などで対応しても、約180人は余る。その人たちには、後で詳しくお話ししますが、私が開発したオーナーシステムのオーナーになってもらいたいと考えています。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "株主6000人と、社長室の「忍」「耐」",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "発表の反響は株式市場に出た。ある大手紙が「靴のマルトミが希望退職募る」との見出しを掲げ、雇用調整を進める会社として報じられた。名古屋証券取引所第2部の1日の出来高は1銘柄当たり平均1万株ほどであったところ、マルトミ株は連日6万〜10万株が売買された。株主は6000人を超え、その大半は最小単位の100株を持つ勤め人であった。冨永氏は「株主にはご迷惑をおかけした」と述べ、業績を戻した時点で自身の進退を含めて責任にけじめをつける考えを示した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "閉鎖発表後、株主6000人超の大半を占める個人が売りに動き、名証2部で平均の10倍近い出来高となった",
                      "原文": "それが、私がリストラを発表して以来、当社の株が連日6万〜10万株も取引されています。名古屋証券取引所第2部の1日の出来高は、平均で1銘柄当たり約1万株ですから、当社株の出来高は10倍近くある。これは明らかに、個人株主が狼狽（ろうばい）売りをしているせいです。／当社の株主は6000人を超えていますが、その大半は最小単位である100株を保有しているサラリーマンやOLです。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "冨永氏は白紙に墨で「忍」「耐」の2文字を大きく書き、社長室に飾ったという。「今は店舗を拡大したい気持ちをグッと抑えて、あえて成長を目指さず、企業体質の強化に取り組む」。2年で業績を元に戻す自信があると語りながら、当面は出店を止めて体質を作り直す方針であった。人員については、優秀な社員を集めるには不況期こそ好機であるとし、閉店で辞める社員が出ても経営者として責任は感じないとも述べている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "冨永社長は「忍」「耐」の書を社長室に掲げ、成長を目指さず企業体質の強化に取り組む方針を示した",
                      "原文": "そういう時代の到来に備え、今は辛抱のしどころです。業績悪化と店舗閉鎖を発表した後、私は白紙に墨で「忍」と「耐」の2文字を大きく書いて社長室に飾りました。今は店舗を拡大したい気持ちをグッと抑えて、あえて成長を目指さず、企業体質の強化に取り組む。まさに忍耐です。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
                      "url": null
                    }
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "閉めるほど売上が減る",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2年で業績を戻すという見通しは実現しなかった。売上高は1995年2月期1680億円、1996年2月期1717億円、1997年2月期1702億円と横ばいで推移する一方、当期純利益は1995年2月期の3億1000万円から1997年2月期には1億2000万円まで縮んだ。閉店で固定費を削っても、失った店の売上がそれを上回って減る。1998年2月期の売上高は1561億円に落ち、当期純損失5億円で最終赤字に転じた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "売上高は1995年2月期1680億円・1996年2月期1717億円・1997年2月期1702億円で推移し、当期純利益は3億1000万円から1億2000万円へ縮小、1998年2月期は売上1561億円・当期純損失5億円となった",
                      "原文": "1995年2月期 売上高1680億円・当期純利益3.1億円、1996年2月期 売上高1717億円・当期純利益4.6億円、1997年2月期 売上高1702億円・当期純利益1.2億円、1998年2月期 売上高1561億円・当期純利益△5.0億円。",
                      "source": "会社四季報（東洋経済新報社）1995年2月期〜1998年2月期業績",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1998年2月期に最終赤字へ転落した",
                      "原文": "1998年 最終赤字転落。",
                      "source": "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1999年3月、マルトミは3年間で不採算380店を閉じて黒字化を目指す経営改善計画を発表した。初年度にあたる2000年2月期には311店を閉鎖したが、損失はかえって拡大した。同期の売上高は1211億円、当期純損失は87億3000万円に達している。メインバンクからの役員派遣や業態の切り替えも試みたものの、売上の減少と信用不安を止められず、2000年12月に民事再生法の適用を申請した。負債総額は約761億円であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1999年3月に3年で不採算380店を閉じる経営改善計画を発表し、初年度に311店を閉鎖したが、2000年12月に民事再生法の適用を申請した（負債総額約761億円）",
                      "原文": "99年3月発表の経営改善計画では今後3年で不採算店舗380店の閉鎖を掲げていたが、2000年同期実績は311店舗を閉鎖したものの損失は拡大した。",
                      "source": "株式会社帝国データバンク 倒産速報（2000年12月20日）",
                      "url": "https://www.tdb.co.jp/report/bankruptcy/flash/316/"
                    },
                    {
                      "fact": "2000年2月期の売上高は1211億円、当期純損失は87億3000万円であった",
                      "原文": "2000年2月期 売上高1211億円・当期純利益△87.3億円。",
                      "source": "会社四季報（東洋経済新報社）2000年2月期業績",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "何を閉じ、何を作り直すのか",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1994年の判断は、決断の速さという点では際立っていた。不採算店を洗い出して1年で一括して閉じ、出店を6分の1に絞り、社長自身の報酬も返上する。前年まで16期連続で増収増益を続けた会社が、翌期の減益を見た時点でここまで手を打った例はそう多くないとみられる。ただ、閉じた対象は店であって、店の作り方ではなかった。冨永氏が語った「ロードサイド店同士の競争」という認識は、競争の場が郊外の総合商業施設へ移りつつあることまでは射程に入れていなかったようにみえる。"
                },
                {
                  "text": "閉店で固定費を削るほど売上がそれ以上に減る循環は、1999年の380店計画でも変わらなかった。縮小は既存の形を保ったまま規模を落とす方法であり、業態そのものを作り替える作業とは異なる。低価格・小型・多店舗という三点は、大店法の下では強みとして噛み合っていた。その前提が失われたあと、三点のどれを捨てて何に置き換えるかという問いに、店舗数の調整だけで答えられたのかどうか——マルトミの6年間は、縮小と転換の距離を示す事例として読めるように思われる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1994年3月14日号「後手後手の不採算店整理 180店閉鎖へ今は忍耐」",
        "靴のマルトミ 有価証券報告書【沿革】",
        "株式会社帝国データバンク 倒産速報（2000年12月20日）",
        "会社四季報（東洋経済新報社）1995年2月期〜2000年2月期業績"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-22"
    }
  ]
}
