{
  "title": "直近の動向と展望",
  "subsections": [
    {
      "title": "規制の隙間を突いた1,700店モデルがピークから7年で自壊した経過",
      "text": "1950年に創業者の冨永光行氏が名古屋で「丸富靴店」を開いた時点で、靴は職人が一人ひとりの足に合わせて仕立てる高級品で、価格は大卒初任給に匹敵した。冨永氏は既存の靴工場を回り、流れ作業による既製靴の量産を提案して製造原価600円・1足1,000円という当時の常識を覆す価格帯を作り、靴を耐久財から日常消耗品に切り替えた。1957年の合資会社設立、1965年の現金主義徹底、1973年の株式会社改組を経て、1975年に郊外ロードサイドへ出店軸を移した。500m2超の出店を制約する大店法のもとで、一定規模以下の小型専門店に出店余地が残された制度の隙間にマルトミは出店を集中させた。\n\n1980年前後に「靴流通センター」の全国展開を本格化し、1983年の全店オンライン化、1986年の靴小売国内シェア首位、1987年のオーナーシステム導入、1990年の名古屋証取上場と段階を踏み、1993年に1,700店超・売上高約1,717億円のピークに到達した。経営トップとして創業者の冨永光行氏が長らく指揮を執り、急成長期には資本市場からの調達を出店投資へ充てた。冨永氏は規制下で小型店量産モデルが回り続ける前提を経営判断の中心に置き、業態転換の検討を経営課題に据えなかった。\n\n1985年に郊外型おもちゃ専門店「BANBAN」へ参入し、靴で培ったロードサイド出店ノウハウを玩具へ転用してマルトミは事業領域を広げた。1995年にBANBANは268店まで広がったが、靴流通センター1,700店との合計店舗網の固定費は、売上が伸び続けなければ収益を逆転させる構造を組み上げた。1994年2月期の17期ぶり減益、大店法運用緩和による郊外SCの台頭、1994〜95年の約180店閉鎖、1998年の最終赤字を経て、1999年にマルトミは3年で380店閉鎖計画を発表し初年度に311店を閉めた。それでも店舗閉鎖による固定費削減を売上減少が常に上回り、2000年12月に手形決済資金が確保できず、負債約761億円で民事再生を申請した。\n\nマルトミの50年は、規制の隙間を突く出店戦略で量産モデルを拡大した経営が、規制環境の変化と業態間競争の同時進行で内側から自壊した事例として残る。SCの広い品揃えとディスカウント店の低価格、双方の競合軸でロードサイド小型店が劣後した状況に置かれた瞬間から、店舗網が大きいほど固定費削減速度は遅れ、売上減少速度に追いつけなかった。1986年の国内首位から7年でピークに、ピークから7年で破綻に至った時間軸は、規制環境を前提に拡大した小売モデルが規制変更時に固定費を削減する速度を持たない場合、再建策を反復しても店舗網の縮小が売上減少に追いつかない構造を抱える、という戦後日本小売史の一断面を示している。",
      "references": [
        {
          "title": "帝国データバンク",
          "year": null,
          "month": null,
          "date": null,
          "url": null,
          "quotes": []
        }
      ]
    }
  ],
  "summary": [
    {
      "label": "歴史的背景",
      "body": "1950年に創業者の冨永光行氏が名古屋で「丸富靴店」を開業し、流れ作業による既製靴の量産で製造原価600円・1足1,000円の価格帯を作った。1975年に郊外ロードサイドへ出店軸を移し、500m2超の出店を制約する大店法のもとで小型専門店に出店余地が残された制度の隙間に出店を集中させた。"
    },
    {
      "label": "経営課題",
      "body": "1986年に靴小売国内シェア首位、1993年に1,700店超・売上高約1,717億円に到達したのち、1994年2月期に17期ぶり減益となった。大店法の運用緩和で郊外SCが台頭し、マルトミの小型店はSCに対して品揃えで劣後し、ディスカウント店に対して価格でも劣後した。固定費型の多店舗モデルの脆さが業績に出た。"
    },
    {
      "label": "経営方針",
      "body": "1994〜95年に約180店を閉鎖し、1999年に3年で380店閉鎖計画を発表して初年度に311店を閉めたが、損失は拡大した。大店法運用緩和でSC出店規制が緩んだ後、ロードサイド小型店モデルは品揃えと買物環境でSCに勝てなくなり、店舗閉鎖による固定費削減を売上減少が常に上回った。"
    },
    {
      "label": "主な投資",
      "body": "1985年に玩具BANBANへ参入し、靴で培ったロードサイド出店ノウハウを玩具へ転用した。マルトミは多業態化でリスクを分散したが、靴流通センター1,700店とBANBAN268店の合計固定費は売上停滞時に収益を逆転させる構造を作った。2000年12月に手形決済資金が確保できず、負債約761億円で民事再生を申請した。"
    }
  ]
}
