{
  "spec_version": "3",
  "endpoint": "decision",
  "stock_code": "9861",
  "company_name": "吉野家ホールディングス",
  "content_lang": "ja",
  "meta_lang": "en",
  "canonical_url": "https://the-shashi.com/tse/9861/decisions/bse-beef-suspension-2004/",
  "api_url": "/api/9861/decisions/bse-beef-suspension-2004.json",
  "updated": "2026-08-25",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/9861/decisions/bse-beef-suspension-2004/",
  "slug": "bse-beef-suspension-2004",
  "url": "/tse/9861/decisions/bse-beef-suspension-2004/",
  "year": 2004,
  "month": 2,
  "schema_version": "1.0",
  "decision_id": "9861-bse-beef-suspension-2004",
  "type": "transformation",
  "tags": [
    "tr-crisis",
    "bm-core-shift",
    "pf-diversify-related"
  ],
  "regions": [
    "north-america"
  ],
  "title": "米国産牛肉の輸入停止にともなう牛丼販売の休止と、代替牛肉の不採用",
  "subtitle": "看板を守るために売り物を手放すか——牛丼のない2年半をどう営んだか",
  "seo": {
    "title": "吉野家の牛丼販売休止（2004年）｜BSEで950日間の中断",
    "description": "2003年12月の米国産牛肉の輸入停止を受け、吉野家は2004年2月11日に牛丼の販売を休止した。代替の牛肉は採らず、950日後の2006年9月18日に牛丼を再開した。"
  },
  "status": "implemented",
  "status_label": "実施",
  "scheme": null,
  "ratio": null,
  "issue": "調達危機と業態の組み替え",
  "decider": {
    "name": "安部修仁（社長）",
    "ceo": "abe-shuji"
  },
  "highlights": [
    {
      "label": "概要",
      "text": "2003年12月の米国産牛肉の輸入停止を受け、吉野家ディー・アンド・シーは2004年2月11日に牛丼の販売を休止した。他社が豪州産や中国産で牛丼を続けるなかでも代替の牛肉は採らず、豚丼やカレー丼を組み合わせた品揃えで店を開け続け、950日後の2006年9月18日に牛丼を再開した経営判断である。"
    },
    {
      "label": "背景",
      "text": "同社は牛肉の99％を米国産に頼り、1店あたり1日800人の客数と16％を超える営業利益率を単品経営で実現していた。輸入停止の直前は相場高で在庫を1カ月分に絞っており、卸価格は5〜6割上がった。"
    },
    {
      "label": "内容",
      "text": "牛丼の在庫が切れても全店の営業を続ける方針を先に決め、カレー丼を代替の中心に据えて973店を9グループに分け、店ごとに異なるメニューで営業した。2004年8月からは4品に統一したメニュー・ミックスへ切り替え、調理機器を1000店舗分入れ替えた。"
    },
    {
      "label": "含意",
      "text": "牛丼という一品に価値を集約してきた会社が、その一品を売らない期間を2年半にわたって経営した。単品では1500店で飽和するとみていた店舗網に、複数のメニューで回る型が加わった一方、客数はピークの水準へは戻らなかった。"
    }
  ],
  "parties": [
    {
      "stock_code": "9861",
      "name": "吉野家ディー・アンド・シー",
      "role": "当事者",
      "at_deal": {
        "note": "売上高約1000億円・国内973店。米国、台湾、中国にも出店し、牛肉の99％を米国産に依存していた"
      }
    }
  ],
  "dates": {
    "reported": "2003-12",
    "announced": "2004-02",
    "agreed": null,
    "closed": "2006-09",
    "terminated": null
  },
  "breakdown": {
    "reason_type": "external",
    "summary": "政府の輸入停止措置で主原料を絶たれた際に、代替産地への切り替えではなく販売休止と品揃えの組み替えを選んだ判断"
  },
  "timeline": [
    {
      "year": 2001,
      "month": 8,
      "title": "牛丼並盛を400円から280円へ値下げ（低価格を軸とする単品経営の完成）"
    },
    {
      "year": 2003,
      "month": 12,
      "title": "米国でBSE感染牛が確認され、日本政府が米国産牛肉の輸入を停止"
    },
    {
      "year": 2004,
      "month": 2,
      "title": "牛丼の販売を休止し、代替メニューでの営業へ切り替え",
      "highlight": true
    },
    {
      "year": 2004,
      "month": 6,
      "title": "讃岐うどんチェーンの株式会社はなまるの株式を取得"
    },
    {
      "year": 2005,
      "month": 12,
      "title": "米国産牛肉の輸入が再開されるが、脊柱の混入により約1カ月で再停止"
    },
    {
      "year": 2006,
      "month": 9,
      "title": "950日ぶりに牛丼の販売を再開（当初は日数限定、12月から毎日販売）"
    },
    {
      "year": 2007,
      "month": 10,
      "title": "純粋持株会社制へ移行し、吉野家ホールディングスへ商号変更"
    }
  ],
  "snapshot": {
    "fiscal_year": "2006年2月期",
    "source": "吉野家ディー・アンド・シー 有価証券報告書（2006年2月期・連結）",
    "companies": [
      {
        "stock_code": "9861",
        "name": "吉野家ディー・アンド・シー",
        "fiscal_year": "2006年2月期（連結）",
        "president": "安部修仁",
        "hq": "東京都",
        "sales": {
          "num": 1224,
          "unit": "億円"
        },
        "segments": [],
        "operating_profit": null,
        "ordinary_profit": {
          "num": 22,
          "unit": "億円"
        },
        "net_profit": {
          "num": -4,
          "unit": "億円",
          "note": "牛丼を販売できない2期目"
        },
        "equity_ratio": null,
        "roe": null,
        "employees": null,
        "avg_salary": null
      }
    ]
  },
  "report": [
    {
      "section": "background",
      "label": "背景",
      "subsections": [
        {
          "sub_title": "米国産に特化して得た収益力",
          "paragraphs": [
            {
              "text": "2003年の吉野家ディー・アンド・シーは、売上高およそ1000億円、国内973店を数え、米国や台湾、中国にも店を構えていた。稼ぐ力の源は牛丼一品への特化にあり、1店あたり1日の平均客数は800人、営業利益率は16％を超えた。安部修仁社長はこの水準を、価格の安い米国産牛肉に絞り込んだ結果として説明している。危険を避けて調達先を分散していれば営業利益率は10％を割り、客数も1店500〜600人がせいぜいであったという見立てであった。同社が使う牛肉の99％は米国産であった。"
            },
            {
              "text": "米国産が使えない事態への備えがなかったわけではない。同社は2001年ごろから代替の牛肉を試し続け、他国産では品質のばらつきが大きいという結論に達していた。国産牛肉や豪州産を用いた実験も行ったが、それで牛丼を出せるのは全国の1割程度の店舗にとどまる。調達できなければ牛丼の提供を休止するという方針は、危機の前から社内にあった。商社から国際的な食肉調達の専門家を招き、2年をかけて豪州で開発を進めてもいたが、米国産に1〜2割混ぜる範囲でなければ費用が合わなかった。"
            }
          ]
        },
        {
          "sub_title": "在庫が薄いときに来た輸入停止",
          "paragraphs": [
            {
              "text": "2003年12月、米国ワシントン州でBSEに感染した牛が確認され、日本政府は同月24日に米国産牛肉の輸入停止措置を発動した。日本の牛肉自給率はおよそ39％で、米国は輸入量の約25％を占める。措置は価格へ即座に響いた。牛丼に使う胸部のバラ肉（ショートプレート）の大手卸売業者間の取引価格は、問題が起きる直前の1キログラム595円から623円が、年明けには925円から1038円へと5〜6割上がっている。"
            },
            {
              "text": "間の悪さも重なった。2003年夏以降の相場高を受けて、同社は牛肉の在庫を1カ月分まで薄く絞り込んでいた。輸入停止の当初、在庫は1月20日で切れる見通しであった。そこで年末年始に123店を休業させ、深夜早朝の営業も174店で取りやめて消費を抑え、在庫を1月いっぱいまで引き延ばしている。安部修仁社長は後年のインタビューで、公認会計士の指導のもとで在庫を現金に置き換えてきた結果、最も在庫が薄い時期にBSEが起きたという副社長経験者の指摘を受けている。"
            }
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "section": "origin",
      "label": "決断",
      "subsections": [
        {
          "sub_title": "牛丼をやめても、店は開け続ける",
          "paragraphs": [
            {
              "text": "2004年2月11日、吉野家の店頭から牛丼が消えた。安部修仁社長が輸入停止の直後に決めていたのは、牛丼の在庫が切れても全店の営業を続けるという一点であった。一定の期間は普通のどんぶりチェーンとして営む、という設計である。代替の中心にはカレー丼を置いたが、材料は100店分しか調達できない。そこで国内973店を9グループに分け、それぞれ違うメニューで営業した。輸入停止が3カ月から半年続けば厨房の作業や道具、店舗への設備投資を充実させる第2段階へ、1年を超えれば第3段階へ移る想定も立てていた。"
            },
            {
              "text": "この決め方を支えたのは財務の余力であった。同社は無借金で自己資金も厚く、安部修仁社長は当時、この先2〜3年は何もしなくても社員の給料を払い続ける資金があると語っている。24年前の会社更生法申請と並べて語られた危機ではあったが、資金繰りの心配はほとんどなかった。安部修仁社長がむしろ懸念したのは社員の気持ちが割れることで、1980年に会社が倒れた原因を大量出店でも乾燥肉でもなく内部の分裂に見ていたためである。"
            }
          ]
        },
        {
          "sub_title": "代替の牛肉を採らない",
          "paragraphs": [
            {
              "text": "すき家を営むゼンショーは豪州産で、松屋フーズは中国産で牛丼を続けた。そのなかで安部修仁社長は米国産以外の牛肉を使わなかった。理由として挙げたのは数量と味である。吉野家の牛丼は1店で1日500食以上を繰り返し加熱してはじめてタレとタマネギと肉の味が均質に出る仕組みで、素材の特質からタレやタマネギの仕様まで米国産に合わせて設計されていた。牛肉というパーツだけを差し替えても、常連客の期待には応えられないという判断であった。"
            },
            {
              "text": "一部の店だけで牛丼を出す案も採らなかった。国産や豪州産を使った実験で牛丼を提供できるのは全国の1割ほどの店舗にすぎず、100店で出したところで意味は乏しく、提供する店としない店を分ける手間を考えれば、牛丼抜きの営業を成立させて続けるほうがよいと安部修仁社長は判断した。他国産の牛肉を求める客に対しては見解が違うと答えるほかない、とも述べている。看板商品を一時的に捨てる代わりに、常連客に対する味の約束を守る選択であった。"
            }
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "section": "outcome",
      "label": "結果",
      "subsections": [
        {
          "sub_title": "客数の急落と、メニュー・ミックスへの組み替え",
          "paragraphs": [
            {
              "text": "客足は戻らなかった。2004年10月の既存店売上高は前年同月比37.8％減とBSE発生後で最大の落ち込みとなり、1店1日800人であった客数は同年6月に400人台まで沈んだ。2005年2月期の当期損益は、期初に32億円の黒字を見込んでいたものが6月末に19億円の赤字、10月には25億円の赤字へと2度下方修正された。前期に120億円あった営業利益は、12億円の営業赤字へ転じている。豚丼やカレー丼を次々に投入した当初は注文をさばききれず、廃棄率も上がった。"
            },
            {
              "text": "立て直しは品揃えの整理から進んだ。2004年8月、豚丼を含む4品を「MM4」と呼んで全国で統一し、そのための調理機器を1000店舗分入れ替える。のちに6品の「MM6」へ広げ、不振の商品を差し替えながら、1店1日の客数を520〜530人まで戻した。単月の損益は同年9月から黒字に転じ、2006年2月期の第4四半期には牛丼抜きで営業利益率5％の目安を満たす見通しとなった。安部修仁社長は、牛丼単品なら1500店で飽和していたかもしれないところに、複数のメニューで回る型が3000店の可能性を開いたと述べている。"
            }
          ]
        },
        {
          "sub_title": "950日ぶりの再開と、休止期間が残したもの",
          "paragraphs": [
            {
              "text": "輸入は2005年12月に再開されたものの、除去が義務づけられていた脊柱が混入し、約1カ月で再び停止された。2006年2月に予定していた再開は流れ、牛丼の販売が戻ったのは同年9月18日である。休止から950日が経っていた。当初は1日限りの販売で、10月以降は月の1日から5日までの限定、毎日の販売が実現したのは12月であった。価格は並盛380円で、休止前の280円より100円高い。調達が細るなかでの再開であった。"
            },
            {
              "text": "牛丼を売れない2年半のあいだに、会社の形も変わった。2004年6月には讃岐うどんチェーンの株式会社はなまるを傘下に収め、2007年10月には純粋持株会社制へ移行して商号を吉野家ホールディングスへ改め、事業会社の株式会社吉野家を新設分割で設立した。牛丼の吉野家に京樽やはなまるを並べる連結経営へ移り、安部修仁氏は持株会社の社長に専念する。米国産にこだわる方針は、2009年末に始まる牛丼3社の値下げ競争でも維持され、そこでは価格差による客離れを招くことになる。"
            }
          ]
        },
        {
          "sub_title": "守った味と、戻らなかった客数",
          "editorial": true,
          "paragraphs": [
            {
              "text": "この判断の中心にあったのは、牛丼を素材の組み合わせではなく一つの設計とみる考え方であった。肉の産地を替えればタレもタマネギも作り直しになり、量が減れば加熱による味の均質さも保てない。ゆえに代替の牛肉を採らず、売り物のない2年半を選んだ。常連客に対する約束を守るという意味では筋の通った判断であり、再開の日に全国で完売が続いたことも、その支持を示している。一方で、豪州産や中国産で牛丼を続けた同業との差は客数と業績に表れ、この期間に開いた差は簡単には埋まらなかった。"
            },
            {
              "text": "残ったものは牛丼だけではない。牛丼を売れない期間に組み上げたメニュー・ミックスと、それに合わせて入れ替えた厨房の設備は、単品では飽和するとみられていた店舗網に別の広がりをもたらした。ただし1店1日800人という水準へ客数が戻ることはなく、牛丼店の総数が増えた市場では、以前の型をそのまま復元する道も残されていなかった。一品に価値を集約する経営は、その一品を失ったときに何を守り、何を作り替えるのか——2004年からの2年半は、その問いに一つの答えを出した期間であったとみることができる。"
            }
          ]
        }
      ]
    }
  ],
  "references": [
    "週刊東洋経済 2004年1月17日号",
    "週刊東洋経済 2004年1月24日号",
    "週刊東洋経済 2004年11月13日号",
    "週刊東洋経済 2006年2月18日号",
    "週刊東洋経済 2006年9月16日号",
    "週刊東洋経済 2014年8月9日号",
    "吉野家ホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
    "吉野家ディー・アンド・シー 有価証券報告書（2006年2月期・連結）"
  ],
  "authored": "2026-07",
  "last_updated": "2026-07-22"
}
