{
  "spec_version": "6",
  "endpoint": "ceo-person",
  "stock_code": "9708",
  "company_name": "帝国ホテル",
  "content_lang": "ja",
  "meta_lang": "en",
  "canonical_url": "https://the-shashi.com/tse/9708/executives/ceo/inumaru-tetsuzo/",
  "api_url": "/api/9708/ceo/inumaru-tetsuzo.json",
  "updated": "2026-11-04",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/9708/executives/ceo/inumaru-tetsuzo/",
  "source": {
    "person": {
      "primary": [
        "有価証券報告書（役員の状況）"
      ],
      "extraction": "EDINET の XBRL から機械抽出した役員表を土台に、雑誌記事・社史・報道で経歴と出自を補完",
      "caveat": "在任区間は career の is_ceo_appointed が正本。退任年月は次の代の就任年月から決まる"
    }
  },
  "person": {
    "slug": "inumaru-tetsuzo",
    "name": "犬丸徹三",
    "kana": "いぬまる　てつぞう",
    "surname": "犬丸",
    "given_name": "徹三",
    "birthdate": "1887-06-08",
    "hometown": "石川県能美郡根上村",
    "education": "東京高等商業学校 (1910)",
    "education_source": "私の履歴書 経済人4「犬丸徹三」（日本経済新聞社、1980年）",
    "origin": "生え抜き（1919年入社）。長春・上海・ロンドン・ニューヨークのホテルで修業し、副支配人として招かれて支配人・専務を経て社長へ",
    "origin_type": "生え抜き",
    "prev_role": "専務取締役支配人",
    "milestone": "大倉家以外で初の社長",
    "founder_role": "refounder",
    "career": [
      {
        "company": "南満洲鉄道（長春ヤマトホテル）",
        "from": "1910",
        "to": "1913",
        "roles": [
          {
            "date": "1910",
            "role": "入社（ボーイ）",
            "event": "入社"
          }
        ]
      },
      {
        "company": "帝国ホテル",
        "from": "1919-01",
        "to": "1972-05",
        "roles": [
          {
            "date": "1919-01",
            "role": "副支配人",
            "event": "入社"
          },
          {
            "date": "1923-04",
            "role": "支配人"
          },
          {
            "date": "1931-09",
            "role": "取締役支配人",
            "board": "取締役"
          },
          {
            "date": "1934-09",
            "role": "常務取締役支配人",
            "board": "取締役",
            "title": "常務"
          },
          {
            "date": "1942-03",
            "role": "代表取締役常務",
            "board": "代表取締役",
            "title": "常務"
          },
          {
            "date": "1943-03",
            "role": "代表取締役専務",
            "board": "代表取締役",
            "title": "専務"
          },
          {
            "date": "1945-12",
            "role": "取締役社長",
            "board": "取締役",
            "title": "社長",
            "is_ceo_appointed": true
          },
          {
            "date": "1970-11",
            "role": "社長退任（取締役相談役へ）",
            "title": "社長",
            "event": "退任",
            "next": "取締役相談役",
            "is_ceo_retired": true,
            "retirement_basis": "history"
          },
          {
            "date": "1970-11",
            "role": "取締役相談役",
            "board": "取締役",
            "title": "相談役"
          },
          {
            "date": "1972-05",
            "role": "取締役辞任",
            "event": "退任"
          }
        ]
      }
    ],
    "references": [
      {
        "source": "私の履歴書 経済人4「犬丸徹三」（日本経済新聞社、1980年）",
        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/12285530",
        "for": [
          "birthdate",
          "hometown",
          "education",
          "career",
          "origin"
        ]
      },
      {
        "source": "帝国ホテル『帝国ホテル百年史 1890-1990』（1990年）",
        "for": [
          "career"
        ]
      }
    ],
    "sections": {
      "tenure_frames": [
        {
          "frame": "origin",
          "text": "1887年6月8日、石川県能美郡根上村の農家に生まれた。1910年7月に東京高等商業学校を卒業し、満鉄が経営する長春ヤマトホテルにボーイとして採用された。1913年に退社して上海のホテルでコックとなり、1914年に渡英してロンドンのホテルで窓ガラスふき、フロア・ポーター、コックを順に務めた。その後クラリッジス・ホテルの料理場で2年余り技術を学んだ。1917年11月に渡米し、ニューヨークのリッツ・カールトンとウォルドルフ・アストリアで働いた。"
        },
        {
          "frame": "selection",
          "text": "1919年1月、新館の料理場を設計できる人材を探していた常務兼支配人の林愛作氏に招かれて帰国し、社長の大倉喜八郎氏から副支配人の辞令を受けた。1923年4月に支配人となり、1931年9月に取締役、1934年9月に常務、1943年3月に専務へ進んだ。1945年12月8日に大倉鉱業関係の25社が制限会社に指定され、翌日に会長の大倉喜七郎氏が辞任した。大倉喜七郎氏は1922年から25年にわたり、会長または社長として経営の最高責任者を務めていた。取締役会は会長に高杉晋氏、社長に犬丸徹三氏を選んだ。"
        },
        {
          "frame": "initiatives",
          "text": "連合軍による接収は7年に及んだ。1954年12月に200室の第一新館を開業し、本館と合わせた室数を450とした。パン・アメリカン航空からの共同建設の提案は断り、1958年7月に450室の第二新館を単独で完成させた。投じた資金は第一新館が7億円、第二新館が32億円である。1961年10月には東京証券取引所市場第二部に上場した。1970年3月にはライト館に代わる777室の新本館を開業し、同年11月に社長を退任して取締役相談役となった。"
        },
        {
          "frame": "results",
          "text": null
        },
        {
          "frame": "refounding",
          "text": "1945年8月、犬丸徹三氏は外務省の依頼を受け、横浜でマッカーサー元帥と将兵の宿舎を6日の期限で設営した。翌9月、帝国ホテルは連合軍総司令部直属の将官宿舎として接収され、赤倉・川奈・志賀高原の各ホテルも相次いで接収された。同年12月8日に帝国ホテルを含む大倉鉱業関係の25社が制限会社に指定され、翌日に会長の大倉喜七郎氏が辞任した。1947年3月には大倉家が財閥家族に指定され、その持ち株は在外分を除いて持株会社整理委員会に譲渡された。客室を占領軍が使い、1922年から経営を担った大倉家も経営から離れるなかで、犬丸徹三氏は社長に就任した。\n接収は7年に及んだ。同氏は後に、進駐軍の将兵と接した7年間は、300人の従業員がそろって洋行したのと同じ効果があったと振り返っている。1947年ごろから外国資本を入れて皇居前にホテルを建てる計画が持ち込まれ、米国人から共同経営の申し入れもあったが、同氏はいずれも断った。1948年には新たに発足した日本ホテル協会の会長に就任した。\n1952年3月に接収が解除された。同氏は本館の裏手東側に新館を建てる計画を進め、線路に近い敷地の防音を東京大学と東京工業大学の博士に実験させたうえで、日本開発銀行に融資の審査を求めた。総裁の小林中氏からは計画の規模が小さいと指摘されている。第一新館は1953年9月に工費7億円で着工し、1954年12月に200室で開館して、本館と合わせた室数は450となった。\n宿泊客はなお増加を続け、パン・アメリカン航空の社長からジェット機時代に備えたホテルの共同建設を持ちかけられた。犬丸徹三氏は「ホテルは私の方でやる」と答え、450室の第二新館を単独で建てると決めた。1956年8月に地下5階の工事に着工し、総工費32億円を再び開発銀行の融資で賄って1958年7月に落成させた。これで帝国ホテルは室数900、ベッド数1,600余りのホテルになった。1953年には博多帝国ホテルを設立して自ら社長に就任し、東京以外の都市ホテルを初めて系列として経営した。1961年10月には東京証券取引所市場第二部に上場しており、接収解除から上場までに7回の増資を重ねていた。\n新本館の計画が社内の正式な記録に初めて現れたのは、1963年1月の取締役会である。1967年にライト館を取り壊し、新本館は1968年2月に着工して1970年3月に777室で開業した。建設費は当初予算の150億円から180億円へ、最終的に237億円余りへ増加し、その金利と償却の負担は経営危機を招いた。同年10月23日、犬丸徹三氏は取締役会で社長退任の意思を表明した。11月28日の取締役会は第一銀行出身の金澤辰次郎氏を社長に選び、犬丸徹三氏は取締役相談役となった。"
        }
      ]
    },
    "html_url": "https://the-shashi.com/tse/9708/executives/ceo/inumaru-tetsuzo/",
    "term_start": "1945-12",
    "term_end": "1997-06",
    "api_url": "https://the-shashi.com/api/9708/ceo/inumaru-tetsuzo.json",
    "list_api_url": "https://the-shashi.com/api/9708/ceo.json",
    "predecessor": null,
    "successor": {
      "slug": "fujii-hiroshi",
      "name": "藤居寛",
      "api_url": "https://the-shashi.com/api/9708/ceo/fujii-hiroshi.json"
    }
  }
}
