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  "title": "常磐興産の歴史概略",
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      "start_year": 1884,
      "end_year": 1944,
      "main_title": "首都に最も近い炭田を開いた二社が、戦時下に一つの会社へ束ねられるまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "常磐炭田の二大会社、磐城炭礦社と入山採炭",
          "text": "常磐炭田は福島県の浜通りから茨城県北部にかけて広がる炭田で、九州の筑豊や北海道の石狩と比べれば規模は小さい。ただ一点だけ、他のどの炭田も持たない条件があった。東京にいちばん近い。この立地が、明治期にこの土地へ資本を呼び込んだ。1884年10月に磐城炭礦社が設立され、1893年11月に磐城炭礦株式会社へ改称する。1895年5月には入山採炭株式会社が創立された。『会社銀行八十年史』は前者を浅野総一郎氏が、後者を白井遠平氏が創立したものと記し、両社をそろって「常磐炭田の開拓者」であり「この炭田の二大会社」と位置づけている。\n\n創立の年については資料が割れる。『会社銀行八十年史』は磐城炭礦の前身を「明治十六年一月」すなわち1883年1月の創立と書き、同社の公式沿革は1884年10月とする。1年の差は、発起の時点を取るか登記の時点を取るかの違いから生じたものであろう。どちらを取るにせよ、この二社が別々に坑を開き、別々に採炭の技術を蓄えた60年が先にある。首都に近いという地の利は、裏を返せば同じ市場を二社で奪い合う条件でもあった。競い合っていた両社が一つに合流するのは1944年であり、合流させたのは経営判断ではなく戦争だった。",
          "references": [
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              "title": "有価証券報告書",
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              "title": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「常磐炭礦」",
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                "fact": "1884年10月に磐城炭礦社が設立され、1893年11月に磐城炭礦株式会社へ改称した",
                "source": "常磐興産 公式サイト「沿革」",
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                "fact": "磐城炭礦は浅野総一郎氏、入山採炭は白井遠平氏がそれぞれ創立したもので、両社は常磐炭田の開拓者かつ二大会社であった",
                "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「常磐炭礦」",
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                "fact": "磐城炭礦社の設立は浅野総一郎氏の提案を受けた渋沢栄一氏ほかを発起人とするもので、渋沢栄一氏が会長に就任した（明治26年11月まで在任）。会社の公式沿革も1884年10月の発起人を「浅野総一郎、渋沢栄一、他」と記す",
                "source": "公益財団法人渋沢栄一記念財団「渋沢栄一ゆかりの地」磐城炭礦株式会社",
                "url": "https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/yukarinochi/topic/J-0351.html",
                "genbun": "『会社銀行八十年史』は前者を浅野総一郎氏が、後者を白井遠平氏が創立したものと記し、両社をそろって「常磐炭田の開拓者」であり「この炭田の二大会社」と位置づけている。"
              },
              {
                "fact": "入山採炭は1895年創立時の初代社長が盛岡昌純氏で、白井遠平氏が社長に就任したのは1896年。白井遠平氏・川崎八右衛門氏らが発起人であった",
                "source": "常磐炭田の歴史 年表（いわきヘリテージツーリズム協議会）",
                "url": "https://www.i-heritage.jp/history.html",
                "genbun": "『会社銀行八十年史』は前者を浅野総一郎氏が、後者を白井遠平氏が創立したものと記し、両社をそろって「常磐炭田の開拓者」であり「この炭田の二大会社」と位置づけている。"
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            ],
            [
              {
                "fact": "会社銀行八十年史は「明治十六年一月浅野総一郎氏によつて創立された常磐炭砿」と記す（社名は磐城炭礦ではなく合併後の「常磐炭砿」と書かれている）。公式沿革は1884年10月の磐城炭礦社設立とする",
                "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「常磐炭礦」",
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                "fact": "浅野総一郎の伝記系資料も「明治16年（1883）磐城炭鉱会社を設立した」と1883年創立説を採る。1883年説は会社銀行八十年史の単独記述ではなく、浅野側の伝記に共通する系統である",
                "source": "社史と伝記にみる日本の実業家 ― 人物データと文献案内 ―（神奈川県立川崎図書館, 2020年）",
                "url": "https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/uploads/2020/12/002asano.pdf",
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              {
                "fact": "渋沢栄一伝記資料系では磐城炭礦会社の設立を1884年8月とし、公式沿革の1884年10月とも1か月以上ずれる。すなわち1883年1月・1884年8月・1884年10月の三説が併存する",
                "source": "公益財団法人渋沢栄一記念財団「渋沢栄一ゆかりの地」磐城炭礦株式会社",
                "url": "https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/yukarinochi/topic/J-0351.html",
                "genbun": "1年の差は、発起の時点を取るか登記の時点を取るかの違いから生じたものであろう。"
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        },
        {
          "title": "1944年、戦時統合が常磐炭礦を生む",
          "text": "1944年3月、磐城炭礦株式会社と入山採炭株式会社が合併し、常磐炭礦株式会社が発足した。資本金3,150万円、本店は東京都中央区銀座に置いている。産炭地は福島県と茨城県にあるが、本店は東京から動かさなかった。同年9月には両社の子会社であった神ノ山炭礦株式会社と中郷無煙炭礦株式会社を吸収合併し、系列の炭礦もまとめて一社の下に入れている。『会社銀行八十年史』はこの一連の統合をもって、同社が「名実ともに常磐炭田の代表的炭砿となつた」と記した。二社が60年かけて競った結果ではない。戦時下の増産要請が、同じ市場を奪い合ってきた両社を一社にまとめた。\n\n束ねたところで、出炭は増えなかった。同書は戦争末期の常磐炭礦について「極度の資材難と労務給源の枯渇に悩みながら、創設以来の懸案である排水計画と坑道の整備を行いつつ増産に努めた」と書き、終戦とともに出炭が著しく減ったと続ける。創設以来の懸案が排水だったという一行は、後の展開に効いてくる。掘り進むほど坑内に水が出て、その水を汲み上げる費用が採算を削る。しかも常磐炭田の湧水は温かった。地表へ汲み上げれば、それは温泉である。会社が半世紀にわたって費用として処理し続けたその湯が、のちに主力商品へ変わる。",
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              "title": "有価証券報告書",
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              "title": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「常磐炭礦」",
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              "title": "常磐興産 公式サイト「沿革」",
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                "fact": "1944年3月、磐城炭礦と入山採炭が合併して常磐炭礦株式会社を東京都中央区銀座に設立、資本金3,150万円",
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                "fact": "戦争末期の常磐炭礦は資材難と労務不足のなか、創設以来の懸案であった排水計画と坑道整備を進めながら増産に努め、終戦とともに著しく減産した",
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    {
      "start_year": 1945,
      "end_year": 1969,
      "main_title": "傾斜生産の主役として復興を支え、エネルギー革命によって主力を失うまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "戦後復興が石炭に与えた特権的な地位",
          "text": "敗戦直後の炭鉱は壊滅的だった。『日本産業史』によれば、1945年11月の全国出炭は55万4,000トンと戦時中の約1割に落ち込んでいる。これを引き上げるために採られたのが傾斜生産方式で、炭鉱向けの鋼材割当を増やし、その見返りに鉄鋼向けの配炭を増やすという相互増配の仕組みだった。復興金融金庫からは設備328億円・運転145億円の計473億円が炭鉱に流れ、これは1948年度末の復金融資残高の36%にあたる。復興に配る資材と資金は、まず石炭へ回された。常磐炭礦もその配分を受ける側にいた。\n\n常磐炭礦の回復は速かった。『会社銀行八十年史』は出炭を1945年度の67万トンから1949年度に140万トン、1952年度には180万トンへ引き上げたと記録する。1949年5月には東京証券取引所へ上場し、同年12月に資本金を1億円へ増額した。産出したのは国鉄・セメント・暖房用に広く売れる一般炭で、1953年末には茨城砿業所で払面250メートルから280メートルに及ぶ国内初のロング採炭を行っている。1949年11月の鹿島坑を皮切りに選炭場を6か所築き、鹿島坑では6,700カロリーの商品炭を出すまでになった。技術の面でこの会社は先頭にいた。",
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              "title": "有価証券報告書",
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              "title": "日本産業史 第2巻（日本経済新聞社、1994年）「石炭－増産から合理化へ」",
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              "title": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「売れる営業に変わろう！ スパリゾートハワイアンズ」",
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                "source": "日本産業史 第2巻（日本経済新聞社、1994年）「石炭－増産から合理化へ」",
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                "source": "日本産業史 第2巻（日本経済新聞社、1994年）「石炭－増産から合理化へ」",
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                "fact": "常磐炭礦の出炭は1945年度67万トンから1949年度140万トン、1952年度180万トンへ増加した",
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                "fact": "有報【沿革】は「1949年５月　東京証券取引所市場第一部に上場」と記すが、東証の市場第二部開設（＝第一部・第二部の区分開始）は1961年であり、1949年時点に「市場第一部」は存在しない。会社の公式沿革は「1949年　東京証券取引所に上場」「1970年5月　東京証券取引所　一部に上場（当時社名「常磐炭礦株式会社」）」と2件に分けて記載しており、有報表記は遡及的な圧縮である。本文が「東京証券取引所へ上場」とのみ書くのは有報・公式沿革の双方と矛盾せず適切",
                "source": "常磐興産 公式サイト「沿革」",
                "url": "https://www.joban-kosan.com/history/",
                "genbun": "1949年5月には東京証券取引所へ上場し、同年12月に資本金を1億円へ増額した。"
              },
              {
                "fact": "1953年末に茨城砿業所で払面250〜280メートルに及ぶ国内初のロング採炭を実施し、選炭場6か所の建設で鹿島坑では6,700カロリーの商品炭を出した。1949年12月に資本金を1億円へ増額した",
                "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「常磐炭礦」",
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        {
          "title": "深部採掘が生んだ湧出温泉という負債",
          "text": "常磐炭礦は常磐炭田で最も深いところを掘った。最深部は海面下638メートルに達し、炭質は深部へ行くほど良くなる一方で、揚炭と排水に使う電力の需要が増えた。同社は1954年6月に既設の平発電所へ5,000キロワットの火力発電機を1基増設して合計出力1万6,000キロワットとし、その燃料に3,500カロリー級の裾物炭を使った。低品位燃料を使う発電装置としては国内で最初のものだったという。深く掘るための電気を、深く掘って出た売り物にならない石炭で起こす。坑から出たものを坑の次の工程へ回すこの段取りは、以後もこの会社に繰り返し現れる。\n\n深部採掘には代償があった。坑内に大量の温泉が湧き、その排水に費用がかかる。石炭を掘るための会社にとって、温水は処理すべき厄介物にすぎない。週刊東洋経済は2002年の記事で、この温泉を炭鉱にとっての「負の財産」と表現している。1960年代に入ると石炭そのものの立場が変わった。エネルギー政策は石炭中心から石油と電力へ比重を移し、高い炭価への批判のなかで業界は本格的な合理化を迫られる。掘るほど水が出る深い坑は、斜陽産業のなかでも条件の悪い部類に入った。閉山は時間の問題であり、残るのはそこで働く1,000人余りの行き先だった。",
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              "title": "有価証券報告書",
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              "title": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「常磐炭礦」",
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                "source": "嶋﨑尚子「石炭産業の終焉過程における常磐炭砿KK閉山タイミング」早稲田大学大学院文学研究科紀要 第56輯第1分冊（2011年）33-46頁",
                "url": "https://waseda.repo.nii.ac.jp/record/2126/files/BungakuKenkyukaKiyo1_56_Shimazaki.pdf",
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                "source": "嶋﨑尚子「石炭産業の終焉過程における常磐炭砿KK閉山タイミング」早稲田大学大学院文学研究科紀要 第56輯第1分冊（2011年）33-46頁",
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                "fact": "常磐炭砿茨城砿業所（中郷砿・神の山砿）は1971年に閉山し、1971年8月の中郷砿出水事故により閉山が前倒しされた。1966年まで常磐炭田の炭鉱数は小康状態で、閉山が加速したのは第3次石炭政策の1967年以降である",
                "source": "平将志「石炭産業の終焉過程における自治体による諸対策―常磐炭砿茨城砿業所の閉山を事例として」（大原社会問題研究所雑誌 №765, 2022年7月）",
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          "text": "1970年5月に新常磐炭礦株式会社を設立し、同年7月、常磐炭礦は石炭生産部門をこの新会社へ営業譲渡した。新会社は同月に常磐炭礦株式会社と商号を変え、譲渡した側は常磐興産株式会社と名を改めて再発足する。同時に常磐湯本温泉観光株式会社を合併し、ハワイアンセンターを本体の事業として取り込んだ。社名を交換した結果、石炭を掘る常磐炭礦と、それ以外を営む常磐興産が並び立った。祖業を続ける会社に元の社名を渡し、自らは別の名で残るという整理の仕方に、事業の主従がすでに入れ替わっていたことが表れている。\n\n石炭との縁が完全に切れるまでには、さらに15年かかった。1985年3月に常磐炭礦が茨城地区で終掘し、同年9月、常磐興産は常磐炭礦を合併している。1883年あるいは1884年に始まった採炭は、ここで100年あまりの歴史を終えた。分離から合併までの15年は、閉山にともなう債務と鉱害の処理を進める期間にあたる。切り離した事業を最後に引き取るという順序を踏んだ以上、1970年の分離は責任から逃げるための仕組みではなかった。祖業を畳む費用は、レジャーで稼いだ側が引き受けている。石炭を掘った100年に区切りがつくまで、分離からさらに15年を要した。",
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                "fact": "開業後14年間は炭鉱会社が国から受けていた助成金の返済を優先したため新規投資が凍結され、入場者数は1983年に約98万人まで落ち込んだ",
                "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「売れる営業に変わろう！ スパリゾートハワイアンズ」",
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                "fact": "1990年3月にスプリングパークを開業し、常磐ハワイアンセンターをスパリゾートハワイアンズへ改称した",
                "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「売れる営業に変わろう！ スパリゾートハワイアンズ」",
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                "source": "常磐興産 公式サイト「沿革」",
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                "fact": "改称の新名称のたたき台を作成した坂本征夫氏（2002年時点で常磐興産の執行役員・57歳、ハワイアンズ開業2年目に入社し30余年同施設に携わる）は、35年の在社で喧々囂々の議論をしたのはこのときだけだと述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「売れる営業に変わろう！ スパリゾートハワイアンズ」",
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                "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「売れる営業に変わろう！ スパリゾートハワイアンズ」",
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                "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「売れる営業に変わろう！ スパリゾートハワイアンズ」",
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          "title": "広げすぎた事業を畳み、本社をいわきへ戻す",
          "text": "石炭から離れた同社は、レジャー以外にも手を広げていた。1975年に常磐紙業、1982年に常磐コンクリート工業、1989年に常磐興産倉庫、1992年にバキューム・コンクリートを合併し、1978年にいわき紙器、1990年に常磐プラスチック工業、1991年にホテルクレスト札幌、1996年にジェイ・アイ・ピーを設立している。紙器・コンクリート・倉庫・プラスチック・札幌のホテルと並べてみると、事業どうしの関連は薄い。共通するのは、炭鉱時代の設備と人員と土地に行き先を与えるという一点であり、成長を狙って選んだ領域ではなかった。\n\n2000年代に入ると、同社はこれらを一つずつ手放した。2002年8月にPC事業部門を常磐興産ピーシーへ吸収分割し、同年10月には包装事業部門を新設分割して常磐パッケージを設立した。2006年2月に開発事業部門を株式会社JKリアルエステートへ吸収分割し、2008年10月には常磐パッケージの全株式を譲渡して、傘下のいわき紙器・ジェイ・アイ・ピー・常磐プラスチック工業3社も連結から外れている。建設・土木部門の子会社は2007年に解散が決まった。週刊東洋経済は同年、この部門が前期に10億円近い営業赤字を出していたと伝えている。畳む順序は、赤字の大きいものからではなく、観光との距離が遠いものからだった。\n\n事業の整理と並行して、本社も動いた。1986年11月に東京都中央区東日本橋へ移していた本店を、2003年8月に福島県いわき市へ戻している。本店は1944年の設立時から銀座にあり、1953年11月には自社ビルを建てて移っていた。産炭地から遠い場所に本店を置き続けたのは、石炭が復興の主役だった時代の名残でもある。整理を終えた会社の実体は、いわきの施設1か所にほぼ集約されていた。連結売上高は2006年3月期の461億円から2009年3月期に543億円まで伸びたのち、包装事業の譲渡を反映して2010年3月期は347億円へ落ちた。数字の上では縮小だが、残ったのは観光と、それを支える港運・製作の各社である。",
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          "title": "震災で失った1年と、取り戻した3年",
          "text": "2011年3月11日の東日本大震災で、スパリゾートハワイアンズは休業した。週刊東洋経済は同年4月の時点で「３月１２日以降、パークやホテルを休館している。今も再開のメドは立たない」と伝えている。被害を広げたのは1か月後に襲った震度6弱の直下型地震で、5月時点の同誌は、修繕後の再開が10月中の見通しであると記した。原発事故による風評も重なる。施設は福島第一原発から50キロメートル離れていたが、いわき市の一部が30キロメートル圏にかかっていた。地元客に支えられてきた立地が、このときは弱点として働いている。\n\n休業中、同社はダンシングチームによる全国きずなキャラバンを回した。2011年10月に施設の一部営業を再開し、2012年2月、新ホテル「モノリスタワー」の開業に合わせてグランドオープンにこぎつけている。連結売上高は2011年3月期332億円から2012年3月期296億円へ落ち込んだのち、2013年3月期468億円、2014年3月期544億円へ戻した。週刊東洋経済は2013年11月、2013年4〜9月期の営業利益が震災前の水準をクリアしたと伝え、宿泊客数が上半期で過去最高を記録したことを併せて報じている。同年には震災後の資本増強で発行した優先株式の消却も進んだ。",
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              {
                "fact": "観光事業への経営資源の集中を基本方針に掲げ、計画的な施設増強と改修、有利子負債の計画的な圧縮を課題としていた",
                "source": "有価証券報告書",
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                "fact": "感染症による赤字から黒字化した2022年度を転換期として「経営計画2023」を策定し、2024年3月期は売上高14,881百万円・営業利益1,323百万円と計画目標（14,500／870）を上回った。2025年3月期の業績予想は売上高15,600百万円",
                "source": "有価証券報告書",
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        },
        {
          "title": "2025年、市場から降りるという選択",
          "text": "2024年9月、Ontario合同会社による公開買付けが発表された。米フォートレス・インベストメント・グループの傘下で非公開化する方針で、買付けは同年11月に第1回が成立し、12月の第2回とあわせて約88%の株式が取得された。2025年2月19日、常磐興産の株式は東京証券取引所スタンダード市場で上場廃止となった。1949年5月の上場から75年余りが経っている。同社は上場廃止を告知するページで、掲載しているIR資料が上場廃止までの公開情報であると断っている。証券コード9675は、この日をもって使われなくなった。会社そのものは存続し、スパリゾートハワイアンズの営業も続いている。市場から消えたのは株式であって、事業ではない。\n\n非公開化は、経営に行き詰まった末の身売りではない。最終年度の業績は計画を上回っており、翌期も増収を見込んでいた。この会社が上場を続ける意味は、資本市場から設備資金を調達できることにある。だが売上高が震災前の6割に届かないまま施設が更新期に入った企業にとって、投資の回収にかかる年数は、四半期ごとに説明を求められる市場が待てる長さを超える。設備投資は2020年3月期の7億円から2024年3月期には1億円へ縮み、減価償却費の8分の1にとどまっていた。買付者に示された事業計画では、更新投資を実行すると2027年3月期と2029年3月期のフリーキャッシュフローがマイナスに落ちる見通しだった。老朽化した装置を数年がかりで入れ替えるなら、資金の出し手を一つに絞るほうが速い。坑から出たもので次を作ってきた会社が、施設を作り直す段では、坑の外から資金を入れる側に回った。\n\n2024年6月に社長へ就いた関根一志氏と同じ名が、2002年の週刊東洋経済に出てくる。当時の肩書はスパリゾートハワイアンズ企画部のマネージャーで、同一の人物であろう。関根氏は記事のなかで「シャッターを開けると、同じお客さんが毎日、オープンを待っていることも頻繁にある」と地元客との距離を語り、これだけ足を運ぶ人がいるならファンを大事にするのが得策だと述べている。会社の名は炭礦から興産へ、施設の名はハワイアンセンターからハワイアンズへ変わり、株式の持ち主は市場からファンドへ移った。そのあいだ変わらなかったのは、坑内から湧き続ける温泉と、それを目当てに通う近隣の客である。",
          "references": [
            {
              "title": "有価証券報告書",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 2011年4月12日号「苦闘する日本経済 出口見えぬレジャー界」",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 2011年5月24日号「特集 東北復興 地場産業は回復するか？」",
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                "fact": "2024年9月にOntario合同会社による公開買付けが発表され、米フォートレス・インベストメント・グループ傘下での非公開化方針が示された",
                "source": "常磐興産 公式サイト「沿革」",
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                "fact": "公開買付けは二段階で行われ、第1回（買付価格1,650円）は2024年9月10日開始・11月5日成立、第2回は2024年11月13日〜12月10日の買付期間で12月10日に成立し、あわせて約88%を取得した",
                "source": "「米フォートレス、「スパリゾートハワイアンズ」運営の常磐興産への2回目TOBが成立」（2024年12月11日, 日本M&Aセンター）",
                "url": "https://www.nihon-ma.co.jp/news/20241211_9675-4/",
                "genbun": "買付けは同年11月に第1回が成立し、12月の第2回とあわせて約88%の株式が取得された。"
              },
              {
                "fact": "2025年2月19日をもって東京証券取引所スタンダード市場で上場廃止となった。1949年5月の上場からは75年9か月にあたる",
                "source": "常磐興産 公式サイト「IR資料（ライブラリー）」",
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                "fact": "4桁の証券コードを全国の証券取引所で統一したのは1960年10月1日実施の決定によるもので、管理機関である証券コード協議会の設置も1960年8月である。1949年に4桁の証券コードが付されることはありえない。加えて9675はサービス業に割り当てられた番台で、1949年当時の同社は社名も業種も炭鉱業（常磐炭礦株式会社）であり、9675は1970年の常磐興産への商号変更・業態転換以降の付番と整合する",
                "source": "レファレンス協同データベース事例「株式取引に用いられる\"銘柄コード\"、\"証券コード\"について知りたい」（国立国会図書館, 回答館 北海道立図書館, 2016年12月15日登録）",
                "url": "https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000203223",
                "genbun": "証券コード9675は、この日をもって使われなくなった。"
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                "fact": "観光事業の設備投資額は2020年3月期の747百万円から2024年3月期には129百万円へ縮み、同期の減価償却費1,066百万円の8分の1にとどまった",
                "source": "有価証券報告書",
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                "genbun": "設備投資は2020年3月期の7億円から2024年3月期には1億円へ縮み、減価償却費の8分の1にとどまっていた。"
              },
              {
                "fact": "買付者に示された前提事業計画では、フリー・キャッシュ・フローが2027年3月期に▲389百万円、2029年3月期に▲1,073百万円と2期にわたりマイナスとなる見通しだった",
                "source": "常磐興産「Ｏｎｔａｒｉｏ合同会社による当社株式に対する公開買付けに関する意見表明のお知らせ」（2024年9月9日）",
                "url": "https://www.joban-kosan.com/news/240909_6.pdf",
                "genbun": "買付者に示された事業計画では、更新投資を実行すると2027年3月期と2029年3月期のフリーキャッシュフローがマイナスに落ちる見通しだった。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2024年6月に取締役社長へ就任した関根一志氏は、2002年時点でスパリゾートハワイアンズ企画部マネージャーとして取材に応じ、毎日開店を待つ常連客の存在とファンを重視する営業方針を述べていた",
                "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「売れる営業に変わろう！ スパリゾートハワイアンズ」",
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              },
              {
                "fact": "関根一志氏は常務取締役から昇格して2024年6月27日の株主総会・取締役会をもって代表取締役社長に就任し、前社長の西沢順一氏は代表権のある会長に就いた。2024年6月27日提出の第106期有価証券報告書の【表紙】も代表者を「代表取締役社長 関根 一志」と記載しており、2002年の同名・同社・同施設所属の企画部マネージャーと同一人物とみて整合する",
                "source": "河北新報「＜企業人事＞新社長に関根氏、会長に西沢氏 常磐興産」（2024年4月11日, 河北新報社）",
                "url": "https://kahoku.news/articles/20240410khn000069.html",
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      ]
    }
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  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "qa": [
      {
        "q": "なぜ1966年に、炭鉱会社が坑内に湧く湯でハワイを作ったのか",
        "a": "元手は、それまで費用でしかなかったものである。常磐炭礦は常磐炭田で最も深い海面下638メートルまで掘っており、深部ほど温泉が湧いて排水に金がかかる。週刊東洋経済はこの湯を炭鉱にとっての「負の財産」と呼んでいる。1964年9月に常磐湯本温泉観光株式会社を設立し、1966年1月に常磐ハワイアンセンターを開いた。1,000人余りの炭鉱労働者を受け入れ、合理化で減る雇用の受け皿にもなった。『日本産業史』が挙げるとおり、斜陽の石炭鉱業から観光へ出た会社はほかにもあった。常磐炭礦だけが進出先の資産を買わずに済んだ。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "常磐炭田で最深度海面下638メートルを採掘しており、深部ほど湧出温泉が増えて排水費用がかさんだ",
            "source": "会社銀行八十年史（1955年）第2篇 日本会社史「常磐炭礦」",
            "url": null,
            "genbun": "常磐炭礦は常磐炭田で最も深い海面下638メートルまで掘っており、深部ほど温泉が湧いて排水に金がかかる。"
          },
          {
            "fact": "坑内に湧く温泉は炭鉱にとって「負の財産」であった",
            "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「売れる営業に変わろう！ スパリゾートハワイアンズ」",
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            "genbun": "週刊東洋経済はこの湯を炭鉱にとっての「負の財産」と呼んでいる。"
          },
          {
            "fact": "1964年9月に常磐湯本温泉観光株式会社を設立し、1966年1月に常磐ハワイアンセンターを開業した",
            "source": "有価証券報告書",
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            "genbun": "1964年9月に常磐湯本温泉観光株式会社を設立し、1966年1月に常磐ハワイアンセンターを開いた。"
          },
          {
            "fact": "開業にあたり1,000人余りの炭鉱労働者を受け入れた。常磐炭礦の大規模な閉山は1971年4月で、1966年は合理化による人員整理の時期にあたる",
            "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「売れる営業に変わろう！ スパリゾートハワイアンズ」",
            "url": null,
            "genbun": "1,000人余りの炭鉱労働者を受け入れ、合理化で減る雇用の受け皿にもなった。"
          },
          {
            "fact": "日本産業史は、北海道炭砿のように斜陽化した石炭鉱業の支柱を求めて観光事業へ乗り出す動きがあったと記している",
            "source": "日本産業史 第2巻（日本経済新聞社、1994年）「レジャー産業－陽を浴びて花盛り」",
            "url": null,
            "genbun": "『日本産業史』が挙げるとおり、斜陽の石炭鉱業から観光へ出た会社はほかにもあった。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ1970年に石炭を切り離したあとも、石炭の借りを返し続けたのか",
        "a": "分離は債務の免除ではなかった。1970年5月に新常磐炭礦株式会社を設立し、同年7月に石炭生産部門をそこへ営業譲渡した。新会社が常磐炭礦の名を継ぎ、譲渡側は常磐興産と名を改めた。社名の交換である。だが炭鉱会社が国から受けていた助成金の返済は残り、その優先によってハワイアンセンターへの新規投資は開業後14年間凍結される。入場者数は1970年の155万人から1983年には約98万人まで落ちた。1985年3月に茨城地区で終掘すると、同年9月には常磐炭礦を合併し直した。切り離した祖業の後始末は、最後まで本体に残った。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "1970年5月設立の新常磐炭礦株式会社へ石炭生産部門を営業譲渡し、同社は同年7月に常磐炭礦株式会社へ商号変更、譲渡側は常磐興産株式会社へ改称した",
            "source": "有価証券報告書",
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            "genbun": "1970年5月に新常磐炭礦株式会社を設立し、同年7月に石炭生産部門をそこへ営業譲渡した。"
          },
          {
            "fact": "炭鉱会社が国から受けていた助成金の返済を優先したため開業後14年間は新規投資が凍結され、入場者数は1970年の155万人から1983年に約98万人まで落ち込んだ",
            "source": "週刊東洋経済 2002年10月12日号「売れる営業に変わろう！ スパリゾートハワイアンズ」",
            "url": null,
            "genbun": "だが炭鉱会社が国から受けていた助成金の返済は残り、その優先によってハワイアンセンターへの新規投資は開業後14年間凍結される。"
          },
          {
            "fact": "1985年3月に常磐炭礦が茨城地区で終掘し、同年9月に常磐興産が常磐炭礦を合併した",
            "source": "有価証券報告書",
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            "genbun": "1985年3月に茨城地区で終掘すると、同年9月には常磐炭礦を合併し直した。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ2024年に、業績が計画を上回るまま上場をやめたのか",
        "a": "数字が悪かったからではない。最終年度の2024年3月期は売上高148億円・営業利益13億円で、「経営計画2023」の目標を上回った。制約は別のところにあった。1966年に開いた施設は50年を越えて更新期に入り、有価証券報告書は計画的な施設増強と改修、有利子負債の圧縮を課題に挙げている。一方で売上高は震災前のピークである2009年3月期の543億円に遠く届かない。2024年9月に公開買付けが発表され、2025年2月19日に東京証券取引所スタンダード市場で上場廃止となった。直す資金の出どころが、市場の外へ移った。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "2024年3月期は売上高14,881百万円・営業利益1,323百万円で、経営計画2023の目標（14,500百万円／870百万円）を上回った。2025年3月期の業績予想は売上高15,600百万円",
            "source": "有価証券報告書",
            "url": null,
            "genbun": "最終年度の2024年3月期は売上高148億円・営業利益13億円で、「経営計画2023」の目標を上回った。"
          },
          {
            "fact": "観光事業への経営資源の集中を基本方針に掲げ、計画的な施設増強と改修、有利子負債の計画的な圧縮を課題としていた",
            "source": "有価証券報告書",
            "url": null,
            "genbun": "1966年に開いた施設は50年を越えて更新期に入り、有価証券報告書は計画的な施設増強と改修、有利子負債の圧縮を課題に挙げている。"
          },
          {
            "fact": "2024年9月にOntario合同会社による公開買付けが発表され、2025年2月19日に東京証券取引所スタンダード市場で上場廃止となった",
            "source": "常磐興産 公式サイト「沿革」",
            "url": null,
            "genbun": "2024年9月に公開買付けが発表され、2025年2月19日に東京証券取引所スタンダード市場で上場廃止となった。"
          }
        ]
      }
    ]
  }
}
