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  "title": "国際電信電話株式会社法の廃止と特殊会社からの離脱",
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      "text": "1998年、国際電信電話が特殊会社としての立場を手放した判断。1952年に制定された国際電信電話株式会社法は、同年5月8日公布の規制合理化法によって廃止され、12月1日に効力を生じた。1953年の設立から45年で、事業の範囲も料金も法に縛られる会社ではなくなった。"
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      "text": "1985年4月の電気通信事業法改定で制度上の独占が消え、1989年にはITJ・IDCの参入で実態の独占も崩れていた。それでも国際電信電話株式会社法だけは残り、料金の認可をはじめとする第一種電気通信事業者への規制が同社にかかり続けた。"
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      "text": "1997年の改正法に付いた付帯決議は{q1}と求めた。西本正社長はこれを引き、NTTの長距離会社が完全民営化されるのにKDDだけが特殊法人のままではいられないと語った。",
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                  "source": "週刊東洋経済 1997年8月2日号「［編集長インタビュー］西本正 国際電信電話（KDD）社長」",
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  ],
  "references": [
    "会社銀行八十年史（1955年）「日本会社史 国際電信電話」",
    "日経ビジネス 1979年11月5日号",
    "日経ビジネス 1987年6月8日号",
    "日本産業史 第4巻（情報・通信・サービス）「通信－情報通信産業の誕生」",
    "週刊東洋経済 1997年8月2日号",
    "週刊東洋経済 1997年11月22日号",
    "週刊東洋経済 1998年1月3日号",
    "週刊東洋経済 1999年1月23日号",
    "日本法令索引（国立国会図書館）「国際電信電話株式会社法 昭和27年8月7日法律第301号」"
  ],
  "authored": "2026-07",
  "last_updated": "2026-07-29"
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