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          "text": "1907年2月25日、長野県西筑摩郡読書村十二兼（現・南木曽町）の農家に長男として生まれた。1928年1月に松本の歩兵第50連隊へ入営して満州に渡り、済南事件で初めて戦場に立った。戦車隊に配属されて車両の操縦から構造までを身につけ、軍用トラックの輸送力の大きさを知った。1929年11月に除隊すると、家業の農業を継がずにトラック運送で独立すると決め、親族の反対を押し切って準備を進めた。"
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          "text": "1941年1月、個人経営の田口自動車を西濃トラック運輸株式会社に改め、取締役社長に就任した。1942年3月には戦時統合で西濃地方の14社が西濃運輸株式会社にまとめられ、社長に名古屋鉄道の藍川清成氏、専務に田口利八氏が就任した。藍川清成氏の出社は年に2回ほどで、統合会社の経営は専務の田口利八氏が実質的に担った。終戦後の1946年11月1日、統合会社から分かれて、現在のセイノーホールディングスの前身にあたる水都産業を設立し、39歳で社長として再出発した。"
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          "text": "社長就任後は、1県内の営業が原則だったトラック運送で長距離路線の免許を求め、1948年11月に大垣―名古屋58キロの免許を得た。出先の集配を取扱店に任せず各地に直営の営業所を置く方針を採り、1949年早々に県外で初の直営店を名古屋に開いた。1954年9月には東京―大阪を22時間で結ぶ弾丸便を始めた。1955年1月に社名を西濃運輸へ改め、1971年11月に名古屋証券取引所市場第二部、1972年11月に東京証券取引所市場第一部へ上場した。1981年7月末、長男の田口利夫氏に社長を譲り、会長に退任した。"
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          "text": "田口利八氏が運送業を志したのは、満州に出征した軍隊生活のなかである。戦車隊で車両の扱いを覚え、軍用トラックが大量の物資を運ぶ力を目にして、民間の輸送をまだ大八車が担っていた国内との差を知った。1929年11月に除隊して郷里へ戻ると、農業では幼い弟妹を養う見通しが立たないと考え、トラック事業の準備を周囲に伏せて進めた。父や親族は、跡取りの長男が危険と見られていた自動車の仕事を職とすることに強く反対した。\n1930年2月3日に田口このゑ氏と結婚すると、翌朝に事業を始めると妻に告げ、岐阜県益田郡萩原町へ移った。郷里の村では事業が成り立たず、萩原町なら町の動きがあり、戦友の協力も得られるとの判断だった。手元の資金は550円で、実家に援助は求めなかった。1,300円の中古のフォード製トラックを頭金500円・残額月賦の条件で買い取り、同月に田口自動車を開業した。妻が電話番を務め、田口利八氏が経営と運転と修理を1人で担った。国鉄高山線や水力発電所の工事で資材輸送の注文が多く、月賦は1年足らずで完済し、1931年に2台目を加えた。\nトラックが4台に増加すると、飛騨の町の仕事量では車両を回しきれなくなった。1933年4月、名古屋を推す従業員の声を退けて、知人のいない大垣市へ本拠を移した。日本の中央にあって運輸に向き、地下水が豊富で工業の伸びが見込め、働き手も得やすいという理由で、目先の荷量より将来性を取った。1941年1月には個人経営を西濃トラック運輸株式会社に改組したが、1942年3月の戦時統合で同社は西濃地方14社の統合会社に吸収され、田口利八氏は専務に回った。\n終戦後も運輸省は統合前の形への復帰に反対し、同業者も混乱を嫌って分散に応じなかった。田口利八氏は統合会社を戦時の特例とみなし、民間の荷主へのサービスが手薄になると考えて、業界に先んじて分散を決めた。1946年11月1日、旧西濃トラック運輸と旧大垣トラック合同の人員を中心に、資本金18万円、従業員78人、車両38台で水都産業を設立した。この水都産業が、西濃運輸を経て現在のセイノーホールディングスとなる法人である。\n再出発の直後は地場の輸送だけで輸送力の3倍ほどの注文があったが、田口利八氏はそこに安住すれば事業が頭打ちになると見て、長距離輸送に経営の軸を移した。1947年秋に構想を岐阜県と運輸省へ持ち込み、1948年11月に大垣―名古屋の路線免許を得て、以後は直営の営業所を東海道に広げた。社名は1948年10月に西濃トラック運輸、1955年1月に西濃運輸へ改まった。"
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