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  "title": "直近の動向と展望",
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      "title": "自社全量配送の前提が崩れた市場で分業の線引きをどう引き直すか（筆者所感）",
      "text": "ヤマトホールディングスの100年を貫いたのは、法人荷主を相手にした商業貨物から出発しながら、その本流で勝てなかった会社が個人宅配という未踏の市場を独力で作り出した経営である。1919年の大和運輸創立以来、戦前の路線トラック定期便（1929年）、戦後の通運・航空・海上貨物への展開と、業態の軸は法人荷主の商業貨物にあった。ところが1960年代の長距離路線参入では先発組に主要荷主を押さえられ、小倉昌男は「5年の遅れは痛かった。新規開業の挨拶に回っても、すでに主な荷主は同業者に抑えられ、貨物が集まらないのには頭を抱えてしまった」（小倉昌男『経営学』1999）と振り返った。三番手の位置から抜け出せない焦りが、誰も手をつけない個人小口宅配へ賭ける構想を生んだ。\n\n宅急便の発明は技術ではなく仕組みの設計だった。1973年のニューヨーク視察で小倉はUPSの緻密な集配モデルを観察し、「一般個人から個人への宅配需要はせいぜい2倍止まりだろう」（小倉昌男『経営学』1999）と需要平準化を採算性の核心と見抜いた。1976年1月20日の開業初日は11個に過ぎず、10年で年間3億個へ伸ばすために運輸省と行政訴訟も辞さず全国の路線免許を取得し、街の酒屋・米屋を取扱店に組み込んで荷物の密度を引き上げた。1996年のクール宅急便で食品流通インフラへ用途を広げ、2003年の小笠原諸島サービス開始で全国網を完成、2005年11月の持株会社化で総合物流グループへ移行した。法人大口を諦めて個人小口に賭けた判断が、日本の物流業界の勢力図を塗り替えた。\n\nEC拡大は宅急便の取扱個数を押し上げる一方、配送単価の下方圧力と現場負荷の増大を同時に持ち込んだ。2017年3月期の経常利益半減と未払残業の社会問題化を受けて、ヤマトは27年ぶりの全面値上げと総量規制で需要を絞り込む側へ立ち位置を変えた。2019年就任の長尾裕社長はOne ヤマトでグループ7社をヤマト運輸に再集約、2023年6月の日本郵便との協業合意で投函サービスを委託に切り替えた。2024年4月の物流2024年問題でドライバー時間外労働が年960時間に制限され、自社全量配送の前提は崩れた。2024年12月のナカノ商会買収はコントラクト・ロジスティクスを宅急便に次ぐ柱に育てる賭けだが、2025年3月期はエクスプレス事業が営業赤字128億円・経常利益195億円とほぼ半減した。小倉昌男が築いた「自社で全量を運ぶ」型を解いて分業の線引きを引き直す作業が、個人宅配市場の創出者自身に問われている。",
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