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      "extraction": "EDINET の XBRL から機械抽出した役員表を土台に、雑誌記事・社史・報道で経歴と出自を補完",
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    "name": "小倉康臣",
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    "given_name": "康臣",
    "birthdate": "1889-11-29",
    "hometown": "東京都",
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    "education_source": "あゆみ 大和運輸の四十年（大和運輸創業四十周年記念出版、小倉康臣著、1959）「少年時代」",
    "origin": "創業家（1919年創業）。挽き車の八百屋で資金を蓄え、トラック運送の大和運輸を創立して専務・社長として率いた",
    "origin_type": "創業家",
    "milestone": "大和運輸（現ヤマトホールディングス）の創業者",
    "career_note": "創立時の名は小倉八三郎。1930年2月に康臣と改名した",
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    "references": [
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        "source": "あゆみ 大和運輸の四十年（大和運輸創業四十周年記念出版、小倉康臣著、1959）",
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          "career"
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          "career"
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        "source": "ヤマトホールディングス Integrated Report 2023（英文）",
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          "kana"
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          "text": "1889年11月29日、東京・数寄屋橋近くで原料紙問屋「川善」を営む家に、8人兄姉の末子として生まれた。商工中学を病気で中途退学し、牧場の研究生、横浜の麻真田会社の事務員、酒屋の店員を経て、1914年5月に24歳で挽き車の八百屋を始めた。八百屋は事業資金を得る手段と位置づけ、10年で1万円を蓄える計画を5年目に達成した。1919年11月29日に大和運輸を創立し、専務として経営を担った創業者である。"
        },
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          "text": "大和運輸の創立時、義兄の谷村端四郎氏が社長に就任し、小倉康臣氏（当時の名は八三郎）は専務に就任した。谷村端四郎氏は1929年8月に会長へ移り、1932年2月に会長を退任したが、大和運輸はその後も社長を空席としたまま専務制を維持した。小倉康臣氏の改名は1930年2月である。戦後の1947年3月、大和運輸は社長制を復活させ、小倉康臣氏が社長に就任した。"
        },
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          "frame": "initiatives",
          "text": "戦時下の1940年4月末、鉄道省の意向を受けて日本通運と覚書を交わし、大和運輸の全株式を日本通運へ譲渡した。戦後は日本通運と交渉し、1948年4月に全株式を旧株主のもとへ戻した。同じ時期に定期路線を復活させ、1949年には汐留・秋葉原・飯田町の3駅で通運事業を始めた。1971年3月30日、専務の小倉昌男氏に社長を譲り、取締役相談役に就任した。",
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          "text": "小倉康臣氏は数寄屋橋近くの原料紙問屋に生まれたが、家族と使用人を差別する商家の気風になじめず、18歳で家を出た。姉の嫁ぎ先の炭屋で配達に追われながら夜学に通い、牧場の研究生を経て、横浜の麻真田会社に事務員として入った。工員の総監督として食費や能率給の改善を経営者に迫ったところ、危険思想の持ち主とみなされて即日退職となり、以後は人に雇われないと心に決めた。\n独立の資金を得る手段に選んだのが八百屋である。酒屋の店員を60日余り務めたのち、1914年5月25日、得意先を回っていた青物屋の車を20円余りで譲り受け、手元に残った2円65銭で挽き車の八百屋を始めた。10年で1万円を蓄える計画を立てて毎日2円ずつ郵便局に預け、麻布市兵衛町に店舗の万両屋を構えて、5年目に目標額に達した。\n次の事業に求めた条件は、労働を中心とすることと、近代的な仕事であることだった。伯父が重役を務める市街自動車会社や、友人が勤める瓦斯電気工業を通じて自動車に関心を持ち、修理や分解の現場を見て回った。1919年10月1日に東京で初めての交通整理が始まり、牛馬車が銀座の大通りから締め出されると、小倉康臣氏は自動車の時代の到来を確信し、トラック輸送を生涯の事業に定めた。\n友人の矢島氏が持ち込んだトラック会社の設立計画を取得し、資本金10万円、4分の1払い込みの2万5,000円で、友人や親戚から出資を集めた。1919年11月29日、自らの30歳の誕生日に創立総会を開いて大和運輸を創立し、社長に義兄の谷村端四郎氏を迎え、自らは専務として経営を担った。12月20日ごろに京橋の豊玉河岸で営業を始めた時点の陣容は、フォードの1トン車3台とデンビーの2トン車1台、従業員17人で、払い込んだ資本はほぼ設備に消えていた。\n開業から半年ほどで第一次世界大戦後の不況に見舞われ、1922年10月の決算で初めて5分の配当を出すまで、3年近く赤字が続いた。部品の仕入先への3,000円の未払いは10カ月の無利子据え置きを自ら申し入れ、高尾山麓のバスの権利を約5,000円で売却して返済した。1923年4月からは三越へ箱型車4台を月極めで出し、月々の固定収入を確保した。\n1927年、ロンドンの万国自動車運輸会議に出席した折にカーター・パターソン社の積み合わせ定期便を見学し、集荷から配達までを一貫させる仕組みを日本で先に始めると決めた。デパートが無料配達の区域を関東一円へ広げたことを足場に、1929年に本格的な定期便を始めた。「定期」の語が法規上の問題になると、社内で協議して大和便と名づけた。",
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