{
  "title": "直近の動向と展望",
  "subsections": [
    {
      "title": "連邦型で温存した販売モデルをグループ一体経営にどう束ねるか（筆者所感）",
      "text": "T&Dホールディングスの源流をたどると、明治期の生保乱立に対する業界粛正方針への二つの応答が組み合わさっている。1902年7月の3社合併で発足した大同生命は、農商務省商工局初代保険課長矢野恒太（のちの第一生命創立者）の業界粛正・整理の方針を最も早く受け止めた事例の一つで、初代社長には朝日生命社長で加島銀行を率いた広岡久右衛門が就いた。1893年5月に名古屋市で創立された名古屋生命保険を起源とする太陽生命は、1908年7月に本社を東京に移し太陽生命保険へ改称、地方の小規模生保から全国展開を目指す生保へ進路を取った。両社とも戦後の悪性インフレを受けて1947〜48年に相互組織化を選び、戦時・戦後の資本毀損を契約者保護の枠組みへ切り替えた。\n\n戦後成長期には大同が法人、太陽が家計という棲み分けを固めた。大同は1953年6月に従業員出身の三木助九郎が広岡家オーナー経営から内部登用型へ社長交代し、1961〜62年の集団扱い定期保険発売と企業保険部・企業年金部設置で企業市場特化に踏み込み、契約の80.7%を企業から集める中堅生保となった。1971年4月の米AIU社との業務提携による業界初の生損保セット商品、1987年7月の業界初のCIシステム導入と、提携・決済・ブランドのインフラ整備を重ねた。太陽生命は1968年5月の「ひまわり保険」を皮切りに単品商いから多品種販売へ転じ、1974年9月の「けんこうひまわり保険」、1983年4月の「ひまわり年金プラン」、1987年の「ひまわり終身プラン」で個人市場を面で押さえた。大手の終身型・外交員モデルとは異なる販売経路の組み合わせで、両社は中堅層のなかで対照的な独自路線を歩んだ。\n\n1997年以降の日産生命破綻を皮切りとする生保危機は、中堅単独での存続を難しくした。2004年4月の共同株式移転で大同・太陽・T&Dフィナンシャル生命の3社がT&Dホールディングスを設立し東証一部に上場、選ばれたのは販売基盤を分けて経営資源だけを束ねる連邦型で、明治以来の販売モデルを温存しつつ持株会社化の合意を成立させた。2021年3月期に親会社純利益1,623億円のピークを記録したが、2023年3月期には純損失1,321億円と発足以降最大の赤字に転落、2年で約3,000億円の利益振れが連結数字に表れた。2024年就任の森山昌彦は「グループ一体経営を強化する」（日経ESG 2025/1/9）と表明し、3社が分離して積み上げた体制からグループ横断の連携へ進路を改めた。運用とリスク管理の共通化をどこまで重ねられるかが、統合から20年を経た中堅生保連合の主題である。",
      "references": [
        {
          "title": "有価証券報告書",
          "year": null,
          "month": null,
          "date": null,
          "url": null,
          "quotes": []
        },
        {
          "title": "日経ESG",
          "year": 2025,
          "month": 1,
          "date": 9,
          "url": null,
          "quotes": []
        },
        {
          "title": "日刊工業新聞",
          "year": 2025,
          "month": null,
          "date": null,
          "url": null,
          "quotes": []
        }
      ]
    }
  ]
}
