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      "title": "安宅産業の救済で負担した1132億円の全額償却",
      "subtitle": "数期に分けて薄く落とすか、1期で捨てるか——2期分の経常利益にあたる損失をめぐる決算処理",
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          "text": "1977年、住友銀行は総合商社 安宅産業の救済で負担した1132億円を、1977年9月期決算で全額償却した。数期に分けて処理する道を選ばず、1期で落としきった判断にあたる。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "第一次石油ショックの傷が残る1975年12月、年商2兆円・負債総額1兆円の安宅産業の経営危機が表面化した。住友銀行は協和銀行とともに処理にあたり、約2000億円の救済融資のうち1132億円を負担した。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "安宅産業は1976年12月29日の合併覚書調印を経て1977年10月に伊藤忠商事へ吸収合併され、住友銀行は引き受けた1132億円を同年9月期決算で一括償却した。当時の経常利益の2期分にあたる損失を、1期の決算で消している。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "損失を繰り越さず先に出し切ったことで、翌期以降の決算は取引先の破綻と切り離して読めるようになった。1982年3月期の経常利益は1051億円と、償却額に並ぶ水準まで戻っている。"
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      "dates": {
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          "title": "大蔵省が行政指導による大口融資規制を実施"
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          "title": "業績が回復し、都市銀行の首位に復帰"
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                {
                  "text": "昭和40年代の都市銀行は、大蔵省の護送船団行政のもとで系列企業への重点融資を続けていた。重化学工業から流通までを一通り抱えるワンセット主義の系列構造のなかで、資金の出し手はつねに都市銀行だった。系列企業への集中的な融資は高度成長を支える要因になった一方、それが企業の投機的な行動につながっているという批判も高まった。第一次石油ショック後の1974年11月、大蔵省は行政指導による大口融資規制を実施している。",
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                    {
                      "fact": "系列企業への集中融資への批判が高まり、1974年11月に大蔵省が行政指導による大口融資規制を実施した",
                      "原文": "銀行の特定企業に対する集中的な融資が企業の投機的行動につながっているという批判が日増しに高まった。そこで第一次石油ショック後の四十九年十一月、大蔵省は行政指導による大口融資規制を実施した。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－銀行再編成の時代」",
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                {
                  "text": "規制が敷かれたころ、住友銀行の業績は伸びていた。1971年3月期に2351億円だった経常収益は1975年3月期に6480億円と4年で2.8倍になり、同じ期の経常利益は616億円、当期純利益は247億円である。一方、第一次石油ショックは商社業界に大きな傷跡を残しており、その傷は住友銀行が主力行を務める一社にも及んだ。",
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                      "fact": "1971年3月期の経常収益2351億円から1975年3月期は6480億円、経常利益616億円、当期純利益247億円",
                      "原文": "1975年3月期の経常収益は6480億円、経常利益は616億円、当期純利益は247億円で、1971年3月期の経常収益2351億円から4年で2.8倍になった。",
                      "source": "会社年鑑（1976年版）住友銀行・単体",
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                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「自動車－国際化の幕開け」",
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                {
                  "text": "傷がまだ癒えない1975年12月の半ば過ぎ、業界9位の安宅産業の経営危機が突然表面化した。それから1カ月もたたない1976年1月12日、伊藤忠商事との業務提携が発表されている。当時の安宅産業は年商2兆円、負債総額1兆円、取引先3万5000社、国内の取引金融機関は223行を数えた。10大商社の一角が倒産すれば連鎖倒産が広がり、信用恐慌に至りかねない規模である。",
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                      "fact": "1975年12月半ばに安宅産業の経営危機が表面化、1976年1月12日に伊藤忠商事との業務提携を発表。年商2兆円・負債総額1兆円・取引先3万5000社・国内の取引金融機関223行",
                      "原文": "それがまだ癒えない五十年十二月の半ば過ぎになって突如、業界九位の安宅産業の経営危機が表面化した。それから一ヵ月もたたない翌五十一年一月十二日、伊藤忠商事との業務提携が発表された。当時安宅の年商は二兆円、負債総額一兆円、取引先三万五〇〇〇社、国内の取引金融機関二二三行。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「自動車－国際化の幕開け」",
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                {
                  "text": "危機の直接の原因は、カナダの石油精製事業のつまずきであった。ただ、産業史は崩壊の真の原因を杜撰な経営に求め、安宅産業自身がメインバンクを持たなかったことも数え上げている。終戦処理に当たった住友銀行によると、年商のうち健全な取引は約半分で、残りは赤字取引もしくは架空取引だったという。主力行が引き受けたのは、実態の見えない帳簿であった。",
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                      "原文": "崩壊の真の原因は、杜撰な経営である。終戦処理に当たった住友銀行によると、安宅の年商のうち健全な取引は約半分で、残りは赤字取引もしくは架空取引だったという。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「自動車－国際化の幕開け」",
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              "sub_title": "約2000億円のうち1132億円",
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                {
                  "text": "経営危機の表面化からちょうど1年後の1976年12月29日、住友・協和両銀行の仲介で、安宅産業が伊藤忠商事に吸収合併されることが本決まりとなり、合併覚書に調印した。合併の実行は1977年10月で、70年の伝統を持つ安宅産業の歴史はここで閉じている。救済融資は約2000億円に上り、そのうち住友銀行の負担は1132億円であった。両行で分けた負担の過半を、住友銀行が持った。",
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                      "原文": "経営危機が表面化してからちょうど一年後の五十一年十二月二十九日、住友、協和両銀行の仲介で安宅は伊藤忠に吸収合併されることが本決まりとなり、合併覚書に調印した（合併は五十二年十月）。七〇年の伝統を誇る安宅の歴史はこうしてあっけなく閉じた。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「自動車－国際化の幕開け」",
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                      "原文": "救済融資約2000億円のうち、住友銀行の負担は1132億円に上った。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年2月25日号「編集長インタビュー 磯田一郎氏（住友銀行頭取）銀行も情報産業、顧客志向でニーズに対応」",
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              "sub_title": "1期で落としきる処理と、名を残さない形",
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                {
                  "text": "住友銀行は、1132億円を1977年9月期決算で全額償却した。数期に散らす処理を選ばず、1期で落としきっている。回収の可能性を見込んで資産に残せば、以後の各期の利益はその分だけ実態から離れる。1期で消せば、翌期からの数字は取引先の破綻と切り離して読める。銀行の信用は期ごとの決算で測られる。住友銀行は、その決算を1期だけ壊して残りを守った。",
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                      "原文": "住友銀行は安宅産業の救済で負担した1132億円を、1977年9月期決算で全額償却した。分割して数期に散らす処理も選べたが、選んでいない。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年2月25日号「編集長インタビュー 磯田一郎氏（住友銀行頭取）銀行も情報産業、顧客志向でニーズに対応」",
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                {
                  "text": "処理の進め方にも住友銀行の判断が表れている。安宅産業を取引先として残さず、伊藤忠商事へ渡して商号ごと畳んだうえで、損失だけを引き受けた。伊部恭之助最高顧問は住友の行動原理を、明治30年代の総理事 伊庭貞剛氏の言葉に求めている——「住友の資本だけでできない、社会に必要な大きな仕事があれば、名前や従来のいきさつなどにこだわらず、大いに他の資本と共にやれ」。名を残すことより、処理を終えることが先に立った。",
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                      "fact": "伊部恭之助最高顧問が住友の行動原理として引いた伊庭貞剛氏の言葉",
                      "原文": "実に明治３０年代の初め、総理事時代の住友の伊庭貞剛（いばさだたけ）翁は「住友の資本だけでできない、社会に必要な大きな仕事があれば、名前や従来のいきさつなどにこだわらず、大いに他の資本と共にやれ」と言っている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年1月15日号「特集 20世紀の企業家列伝 伊部恭之助（住友銀行最高顧問）が語る」",
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                  "text": "償却の翌春、日経ビジネスは1978年3月13日号で「ケーススタディ。住友銀行－挫折からの再出発－」を組んだ。36ページから48ページまで、13ページにわたる特集である。一つの銀行の一つの決算に、経済誌がこれだけの枠を割いた。見出しには挫折の語が立つ一方、副題は再出発に置かれている。誌面の関心は、償却そのものより次の一手にあった。",
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                      "fact": "日経ビジネスが1978年3月13日号で13ページ（36-48ページ）の特集を組んだ",
                      "原文": "日経ビジネス 1978年3月13日号は「ケーススタディ。住友銀行－挫折からの再出発－」を36ページから48ページまでの13ページにわたって掲載した。",
                      "source": "日経ビジネス 1978年3月13日号「ケーススタディ。住友銀行－挫折からの再出発－」",
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                {
                  "text": "2年後の1980年2月25日号で、日経ビジネスは磯田一郎頭取のインタビューを載せている。主題は「銀行も情報産業、顧客志向でニーズに対応」で、安宅処理の総括ではない。磯田頭取が1132億円について「まぁ、すてたんです」と一言で振り返ったのも、この誌面であった。捨てたと過去形で語れる位置に、償却から2年半で戻っている。",
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                      "fact": "磯田一郎頭取が1132億円の処理を「まぁ、すてたんです」と語り、同号の主題は銀行の情報産業化に移っていた",
                      "原文": "磯田一郎頭取は安宅産業の1132億円の処理について「まぁ、すてたんです」と語った。同号の主題は「銀行も情報産業、顧客志向でニーズに対応」に置かれている。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年2月25日号「編集長インタビュー 磯田一郎氏（住友銀行頭取）銀行も情報産業、顧客志向でニーズに対応」",
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                  "text": "数字は数年で戻った。1982年3月期の経常収益は1兆6013億円、経常利益は1051億円、当期純利益は556億円である。償却前で実数をたどれる最後の期は1975年3月期で、経常利益は616億円だった。1051億円はその1.7倍で、稼ぐ力は償却前の水準を超えている。1132億円という損失は、4年半後には1期の経常利益とほぼ並ぶ額になっている。",
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                      "原文": "1982年3月期の経常収益は1兆6013億円、経常利益は1051億円、当期純利益は556億円である。",
                      "source": "会社年鑑（1986年版）住友銀行・単体",
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                },
                {
                  "text": "商社の側では、安宅産業の合併をもって再編が終わった。1954年の三菱商事の大合同から始まった20数年の再編劇は伊藤忠商事による安宅産業の合併で区切りがつき、総合商社は9社体制に落ち着いている。住友銀行が1132億円と取引先1社の消滅と引き換えに得たのは、損失を先に出し切って翌期から通常の決算に戻すという処理の作法であった。この作法は後年の不良債権処理でも繰り返される。",
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                      "原文": "再編劇は二十九年の三菱商事の大合同から始まり、伊藤忠による安宅の合併までの二〇数年間に展開され、最終的に現在の九社体制が確立した。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「自動車－国際化の幕開け」",
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              "sub_title": "損失を確定できるのは、確定に耐える体力がある側である",
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                  "text": "1132億円は、当時の住友銀行の2期分の経常利益に相当する。住友銀行はそれを1977年9月期の1期で落としきり、損失の大きさをそのまま決算に載せた。翌期以降の数字からは、取引先の破綻が切り離される。回収を見込んで資産に残す道も、数期に分けて薄く落とす道もあった。どちらを選んでも当座の決算は整うが、帳簿と実態の差は残り続ける。磯田一郎頭取が2年半後に「まぁ、すてたんです」と一言で振り返れたのは、その差を残さなかったからである。"
                },
                {
                  "text": "ただ、この処理が成り立ったのは、1期分の損益が崩れても耐えられる体力が住友銀行にあったからでもある。同じ判断は、安宅産業の側から見れば、年商2兆円の商社が商号ごと消える過程の一部であった。1132億円を1期で捨てられる銀行と、捨てられて消える商社は、一つの処理の両側にいる。損失をいつ確定するかは、確定に耐える体力を先に持っているかどうかで決まる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1978年3月13日号「ケーススタディ。住友銀行－挫折からの再出発－」",
        "日経ビジネス 1980年2月25日号「編集長インタビュー 磯田一郎氏（住友銀行頭取）銀行も情報産業、顧客志向でニーズに対応」",
        "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「自動車－国際化の幕開け」",
        "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－銀行再編成の時代」",
        "週刊東洋経済 2000年1月15日号「特集 20世紀の企業家列伝 伊部恭之助（住友銀行最高顧問）が語る」",
        "会社年鑑（1976年版）／会社年鑑（1986年版）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
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      "title": "平和相互銀行の吸収合併と首都圏店舗網の取得",
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          "text": "1986年10月、住友銀行が首都圏に約100店舗を持つ平和相互銀行を吸収合併した経営判断。新資本金は約1266億円、預金は約24兆円となり、預金量で国内2位に立った。"
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          "text": "1985年9月のプラザ合意後の超低金利で銀行に預金が流れ込み、貸出先の拡大が急がれていた。一方で出店規制があり、大阪に本店を置く住友銀行が首都圏に店舗を積み増す道は制度に閉ざされていた。"
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          "label": "内容",
          "text": "創業家の内紛で動いた平和相互銀行の株式を仲介者を介して取得し、相互銀行という別業態を吸収合併する形で首都圏の店舗網をまとめて得た。同じ1986年1月には米ゴールドマン・サックスへ出資している。"
        },
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          "text": "合併直後に発した「倍の目標、倍のスピード」という号令は融資拡大計画となり、横並び意識の強い各行が同様の計画で追随した。店舗網の取得という目的は達したが、その速度はバブル期の融資競争と重なった。"
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          "title": "日経ビジネスが「住友銀行 土地所有層へ積極融資」を掲載"
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              "sub_title": "プラザ合意後の超低金利と、貸出先を探した銀行",
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                {
                  "text": "1985年9月のプラザ合意によるドル高修正は、円の急騰をもたらした。円高不況を乗り切るために政府が選んだのは金融緩和で、公定歩合は1986年1月から1987年2月までに5回引き下げられ、5%から2.5%へと当時の最低水準に下がった。この水準は1989年5月末まで2年3カ月にわたって維持された。低金利のもとで企業は資本市場から資金を調達し、大口定期預金などの財テクへ回す。銀行には資金が流れ込み、貸出先を探す圧力が強まった。",
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                {
                  "text": "流れ込んだ資金の行き先は不動産であった。銀行は大企業だけでなく中小企業へ、そして不動産業へ融資を広げ、1986年から1989年の不動産業向け融資は約44兆円に達した。審査は厳格な与信判断ではなく、右肩上がりの地価を前提に土地の担保があれば通る。産業史はこの時期の銀行を「独自の判断ではなくライバル行との横並び意識だけで、融資を拡大していった」と記録している。住友銀行が首都圏の店舗網を手に入れたのは、この競争が始まった年だった。",
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                      "原文": "銀行本体だけでなく、その系列のノンバンクからも不動産融資が増えた。六十-平成元年の不動産業への融資は約四四兆円にも達した。それがさらに地価を押し上げるという悪循環に陥った。銀行は独自の判断ではなくライバル行との横並び意識だけで、融資を拡大していった。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－バブル発生と崩壊の主役」",
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              "sub_title": "出店規制のもとで、支店は買うほかなかった",
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                  "text": "当時の銀行は自由に店を出せなかった。作家の堺屋太一氏は後年、1930年代から金融機関が保護状態に置かれてきたと振り返り、「出店規制で支店には膨大な利権があったため、債務超過の銀行でもその利権のために合併してくれる銀行があった。住友銀行による平和相互銀行の合併がその典型です」と述べている。大阪に本店を置き、1985年3月期の経常収益が2兆555億円に達していた住友銀行にとって、東京で店舗を一つずつ積み増す道は制度に閉ざされていた。",
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                      "source": "週刊東洋経済 2001年1月27日号「KeyPerson 知恵が価値を生み出すニューパラダイムに乗り遅れるな 作家・内閣特別顧問／堺屋太一」",
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                    {
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                      "原文": "1985年3月期の単体業績は、経常収益2兆555億円、経常利益1584億円、当期純利益750億円であった。",
                      "source": "住友銀行 会社年鑑（1986年版・単体業績）",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "相手の平和相互銀行は、「夜7時までの営業」を掲げて首都圏に100店舗を構えた相互銀行であった。1979年に創業者の小宮山英蔵氏が死去すると、実弟や長男、娘婿らの間で後継者争いが起き、外部出身の監査役らが実権を握って一族の追い出しにかかる。この混乱そのものが株式の移動と合併の余地を生んだ。都市銀行が首都圏で100店舗をまとめて得られる機会は、ほかになかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "平和相互銀行は「夜7時までの営業」を掲げ首都圏に100店舗を有する相互銀行で、1979年の創業者死去後に内紛で経営が混乱した",
                      "原文": "平和相互銀行「夜７時までの営業」を掲げ、首都圏に１００店舗を有していた相互銀行。７９年に創業者の小宮山英蔵氏が死去すると、社内で内紛が起こり経営が混乱。８６年、住友銀行に吸収合併された。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年12月3日号「座談会 平成金融バブルから日本は何を学ぶか」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "小宮山英蔵氏の死後、実弟・長男・娘婿らの後継者争いが起き、外部出身の監査役らが実権を掌握して一族の追い出しにかかった",
                      "原文": "１９７９年に平和相互銀行創業者の小宮山英蔵氏が死去すると、実弟や長男、娘婿らの間で後継者争いが勃発。外部出身の監査役らが実権を掌握し小宮山一族の追い出しにかかると、対抗策として一族は川崎定徳の佐藤茂社長に保有株を売却する。",
                      "source": "週刊東洋経済 2017年5月20日号「第1特集 最後の証言 バブル全史 証言4 土地バブルの起点」",
                      "url": null
                    }
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "内紛で動いた株式を、仲介者から引き受ける",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "追い詰められた小宮山一族は、対抗策として保有株を川崎定徳の佐藤茂社長へ売却した。佐藤氏は住友銀行から送り込まれてイトマン社長を務めていた河村良彦氏に話をつなぎ、河村氏も応じている。当時この案件に関わった弁護士の河合弘之氏は、「平和相銀の一族と株を手中にできれば、古巣の住友銀行が首都圏で勢力を拡大する布石になる、とそろばんをはじいたのだ」と後年振り返った。株式は最終的に住友銀行へ渡った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "一族が泣きついた川崎定徳の佐藤茂社長がイトマンの河村良彦社長に話をつなぎ、住友銀行が首都圏で勢力を拡大する計算が働いた",
                      "原文": "佐藤はイトマンの河村に話をつなぎ、河村も乗った。平和相銀の一族と株を手中にできれば、古巣の住友銀行が首都圏で勢力を拡大する布石になる、とそろばんをはじいたのだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年1月4日号「ひと烈風録 第23回 脱原発とバブルまみれ どっちも過激に一点突破 弁護士 河合弘之」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "一族が川崎定徳の佐藤茂社長に売却した株式は最終的に住友銀行へ渡り、平和相互銀行は吸収合併された",
                      "原文": "対抗策として一族は川崎定徳の佐藤茂社長に保有株を売却する。株式は最終的に住友銀行へと渡り、平和相互銀行は吸収合併された。",
                      "source": "週刊東洋経済 2017年5月20日号「第1特集 最後の証言 バブル全史 証言4 土地バブルの起点」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "経緯だけを見れば、この合併は自ら相手を選んで交渉した買収とは性格が異なる。創業家の争いで市場に出た株式を、仲介者を介して引き受けている。相手は債務の重い銀行であり、引き受ける側は不良資産も同時に抱え込む。それでも制度上の稀少資源である店舗網が伴うため、負債を引き受けてなお採算が立つ。堺屋氏が「その典型」と呼んだのは、こうした計算が成り立つ時代の合併であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "出店規制下では支店の利権のために債務超過の銀行でも合併を引き受ける銀行があった",
                      "原文": "１９３０年代から金融機関は完全な保護状態にあり、倒産した銀行も全部どこかの銀行に吸収合併させた。出店規制で支店には膨大な利権があったため、債務超過の銀行でもその利権のために合併してくれる銀行があった。",
                      "source": "週刊東洋経済 2001年1月27日号「KeyPerson 知恵が価値を生み出すニューパラダイムに乗り遅れるな 作家・内閣特別顧問／堺屋太一」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "預金24兆円、国内2位へ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1986年10月、住友銀行は平和相互銀行を吸収合併した。新資本金は約1266億円、預金は約24兆円となり、預金量で国内2位に立った。都市銀行が相互銀行という別の業態を丸ごと引き受ける道は、1968年6月に制定された金融機関の合併及び転換に関する法律、いわゆる合併転換法が異種金融機関どうしの合併・転換を認めたことで開かれていた。合併の年は円高不況の年でもあり、4月には前川リポートが発表されていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1986年10月、住友銀行が平和相互銀行を吸収合併し、新資本金約1266億円・預金約24兆円で国内2位となった",
                      "原文": "10(株)住友銀行,(株)平和相互銀行を吸収合併,新資本金約1266億円.預金約24兆円(国内2位)",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「創造的革新に挑む」年表",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1968年6月の合併転換法は異種金融機関の間での合併・転換を認めた",
                      "原文": "四十三年六月に制定されたのが「金融機関の合併及び転換に関する法律」、いわゆる合併転換法である。金融の効率化のためには、同じ分野の金融機関だけでなく、異種金融機関の間での合併・転換も認めるというものだ。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－銀行再編成の時代」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "拡大は国内にとどまらなかった。同じ1986年の1月、住友銀行は米ゴールドマン・サックスへ出資している。この出資について、小松康頭取は翌年に「もともとパッシブな投資だった」と述べた。日本の銀行はこの時期、米国を中心に地盤を広げ、含み益を背景に格付けを上げて預金ランキングの上位を占めるまでになっていた。プラザ合意の翌年、住友銀行は国内では合併で店舗網を、海外では出資で持ち分を得ている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "住友銀行のゴールドマン・サックスへの出資について、小松康頭取は「もともとパッシブな投資だった」と述べた",
                      "原文": "小松康頭取は「もともとパッシブな投資だった」と述べている。",
                      "source": "日本経済新聞 1987年11月21日",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "この時期の日本の銀行は米国を中心に地盤を広げ、含み益を背景に格付けを上げて預金ランキングの上位を占めた",
                      "原文": "銀行の拡大路線は国際的にも展開された。米国を中心に、日本の銀行は地盤を拡大し、米国では地方債の保証業務などで勢力を伸ばした。（中略）日本の銀行は、含み益を背景に米国で格付けを上げ、米銀をしのぐ勢いになった。預金ランキングでも上位は日本の銀行が独占し、ウォール街で幅をきかす存在になっていった。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－バブル発生と崩壊の主役」",
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "「倍の目標、倍のスピード」と、追随した各行",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合併の直後、日経ビジネスは1986年10月13日号で「住友銀行をこう見る」と題した特集を組んだ。預金量で国内2位に立った銀行がどう見えているかを、経済誌は合併の翌週に問い直している。同じ時期、住友銀行は行内へ「倍の目標、倍のスピード」という号令を発している。首都圏に店舗を得たことを、既存の営業量の延長としてではなく、目標そのものを倍に置き直す機会として扱った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "合併直後の1986年10月13日号で、日経ビジネスが住友銀行を主題にした特集を組んだ",
                      "原文": "1986年10月13日号の特集「住友銀行をこう見る」。",
                      "source": "日経ビジネス 1986年10月13日号「住友銀行をこう見る」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "平和相互銀行を合併した直後、住友銀行は「倍の目標、倍のスピード」という大号令を発した",
                      "原文": "平和相互銀行を合併した直後、住友銀行は「倍の目標、倍のスピード」という大号令を発した。住銀に限らず、金融自由化をにらむ収益至上主義が銀行をバブルの泥沼に導いた",
                      "source": "週刊東洋経済 2014年12月19日号「特集 2015年大予測 Part4 歴史は繰り返す？ 資産バブル再び」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "号令は融資拡大計画となって外へ出た。日本銀行で上位都市銀行の窓口指導を担当した元日銀職員の記録によれば、横一線から抜け出そうと平和相互銀行を買収した住友銀行が融資拡大計画を打ち出すと、横並び意識の強いなかで各行も同様の計画を立てた。「東の横綱」と称された富士銀行は大阪の大手信用組合を傘下に入れて反撃し、上位都銀の融資競争はFS戦争と呼ばれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "平和相互銀行を買収した住友銀行の融資拡大計画に、横並び意識の強い各行が同様の計画で追随した",
                      "原文": "具体的には、横一線から抜け出そうと平和相互銀行を買収した住友銀行が融資拡大計画を打ち出すが、横並び意識が強い中で各行も同様の計画を立てる。マネーサプライの急増が続く中、調整にさじを投げた日銀は各行の計画を半ば容認する。",
                      "source": "週刊東洋経済 2017年4月15日号「ブックレビュー『バブルと生きた男 ある日銀マンの記録』」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "富士銀行は大阪の大手信用組合を傘下に入れ、首都圏の店舗網を広げた住友銀行に反撃した",
                      "原文": "ＦＳ戦争はどこに行き着いたか。富士銀行は関西の大手信用組合・大阪府民信組を傘下に入れ、大阪地区の６信組の糾合を狙った。平和相互銀行を合併し、一気に首都圏の店舗網を拡大した住友銀行への反撃だったのだろう。",
                      "source": "週刊東洋経済 2017年5月20日号「第1特集 最後の証言 バブル全史 証言2 住銀と仕手集団」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "手に入れた店舗で、何を売ったか",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合併から3年後の1989年8月、日経ビジネスは「住友銀行 土地所有層へ積極融資」と題した記事を載せている。産業史が記録した1986年から1989年の不動産業向け融資約44兆円は、各行のこうした計画を足し合わせた額である。審査は厳格な与信判断ではなく、右肩上がりの地価を前提に土地の担保があれば通った。首都圏に店舗を得た銀行が、その店舗で何を売るか。当時の答えは土地担保の融資だった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1989年8月、日経ビジネスが住友銀行の土地所有層への積極融資を報じた",
                      "原文": "1989年8月14日号の企業戦略「住友銀行 土地所有層へ積極融資」。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年8月14日号「住友銀行 土地所有層へ積極融資」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1986年から1989年の不動産業向け融資は約44兆円に達し、土地の担保さえあれば融資が認められた",
                      "原文": "厳格な審査機能ではなく、右肩上がりの土地神話に基づいた土地の担保さえあれば融資は認められた。銀行本体だけでなく、その系列のノンバンクからも不動産融資が増えた。六十-平成元年の不動産業への融資は約四四兆円にも達した。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－バブル発生と崩壊の主役」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1990年8月、日経ビジネスは「住友銀行。「磯田王国」支える若き師団長たち」と題した特集を組んだ。合併を主導した磯田一郎氏は1977年の頭取就任以来、「向こう傷は問わない」という言葉とともに収益を最優先する経営で知られた。その磯田氏は同じ1990年、イトマン事件で会長を辞任している。首都圏の店舗網という目的は4年で達したが、合併とともに始まった融資の拡大は経営者の交代では止まらなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1990年8月、日経ビジネスが磯田一郎氏を軸にした住友銀行の特集を組んだ",
                      "原文": "1990年8月27日号の特集「住友銀行。「磯田王国」支える若き師団長たち」。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年8月27日号「住友銀行。「磯田王国」支える若き師団長たち」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "磯田一郎氏は1977年の頭取就任後、1990年にイトマン事件で会長を辞任するまで住友銀行の実権を握り、「向こう傷は問わない」という収益重視で知られた",
                      "原文": "磯田一郎元・住友銀行の頭取・会長。７７年の頭取就任後、９０年にイトマン事件で会長を辞任するまで同行に君臨し「住友銀行の天皇」とされた人物。「向こう傷は問わない」という収益至上主義で知られた。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年12月3日号「座談会 平成金融バブルから日本は何を学ぶか」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "制度が作った稀少性を、制度が変わる前に買う",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "首都圏の100店舗という数字が、この合併の理由をほぼ説明している。出店規制のもとでは支店の免許そのものが価値を持ち、店を一つ増やすより銀行を一つ引き受けるほうが早いという計算が成り立っていた。しかも住友銀行は交渉で相手を選んだのではなく、創業家の内紛で動いた株式を仲介者から引き受ける形で、大阪の銀行に欠けていた東京の窓口を一度に手に入れている。制度が作った稀少性を、制度が変わる前に買った判断である。"
                },
                {
                  "text": "ただし、手に入れた店舗で何を売るかまでを、この判断は決めていない。直後の「倍の目標、倍のスピード」は融資拡大計画となり、各行が追随して1986年から1989年の不動産業向け融資は約44兆円に達した。1989年に住友銀行が土地所有層への融資を広げたのも、その延長にある。店舗網を買う判断と、その店舗網で融資を倍に伸ばす判断は本来別物であったが、当時は同じ勢いのなかで続けて下された。この合併の評価が後年まで揺れるのは、二つを分けて論じてこなかったからであろう。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「創造的革新に挑む」年表",
        "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－バブル発生と崩壊の主役」",
        "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－銀行再編成の時代」",
        "日経ビジネス 1986年10月13日号「住友銀行をこう見る」",
        "日経ビジネス 1989年8月14日号「住友銀行 土地所有層へ積極融資」",
        "日経ビジネス 1990年8月27日号「住友銀行。「磯田王国」支える若き師団長たち」",
        "週刊東洋経済 2001年1月27日号「KeyPerson 知恵が価値を生み出すニューパラダイムに乗り遅れるな 作家・内閣特別顧問／堺屋太一」",
        "週刊東洋経済 2014年12月19日号「特集 2015年大予測 Part4 歴史は繰り返す？ 資産バブル再び」",
        "週刊東洋経済 2016年1月4日号「ひと烈風録 第23回 脱原発とバブルまみれ どっちも過激に一点突破 弁護士 河合弘之」",
        "週刊東洋経済 2016年12月3日号「座談会 平成金融バブルから日本は何を学ぶか」",
        "週刊東洋経済 2017年4月15日号「ブックレビュー『バブルと生きた男 ある日銀マンの記録』」",
        "週刊東洋経済 2017年5月20日号「第1特集 最後の証言 バブル全史 証言2 住銀と仕手集団」",
        "週刊東洋経済 2017年5月20日号「第1特集 最後の証言 バブル全史 証言4 土地バブルの起点」",
        "住友銀行 会社年鑑（1986年版・単体業績）",
        "日本経済新聞 1987年11月21日"
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      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
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      "title": "1995年3月期における8000億円超の不良債権償却と、都市銀行初の経常赤字の計上",
      "subtitle": "決算の悪化を避けるか、損失を1期で落とすか——償却先送りの横並びから外れた1995年3月期",
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          "text": "1995年3月期、住友銀行が8000億円を超える不良債権を償却し、都市銀行として初めて経常赤字を計上した判断。森川敏雄頭取のもとで、決算の悪化を嫌って処理を先送りする業界の横並びから外れた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "大手22行の不良債権は1994年3月末で13兆5741億円に達していたが、決算の悪化と経営責任の追及を恐れて償却は進まなかった。住友銀行自身もイトマン向け債権の不良化で磯田一郎会長が辞任し、企業文化を問われていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "単年度の決算に損失を寄せ、経常赤字を受け入れた。1977年9月期に安宅産業救済の1132億円を一括償却した先例と同じ処理にあたる。同じ誌面で森川頭取はリスク管理の立て直しを課題に挙げ、同年10月には貸し出しの判断を改める動きが報じられた。"
        },
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          "label": "含意",
          "text": "先に落としても責任の追及は続き、1998年6月には旧住専への融資紹介をめぐって約48億円の賠償を求められた。処理額も1998年度に1兆500億円へ膨らみ、1999年3月には公的資金5010億円の注入を受けた。"
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          "title": "経営3カ年計画「CHANGE, 100計画」を開始"
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          "title": "住宅金融債権管理機構が旧住専への融資紹介をめぐり約48億円の損害賠償を求めて提訴"
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          "title": "公的資金5010億円の注入を受ける（1998年度の不良債権処理額は1兆500億円）"
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        "source": "日経ビジネス 1995年3月27日号「編集長インタビュー 森川敏雄氏［住友銀行頭取］赤字決算で2つの「過去」償却 多様化乗り切るリスク管理を」",
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                {
                  "text": "バブル崩壊後の不良債権は、統計に現れてもなお処理されずに積み上がった。都市銀行・長期信用銀行・信託銀行の大手22行が抱える経営破綻先債権と6カ月以上の延滞債権は、1994年3月末で13兆5741億円に達し、貸付金に占める比率は3%に及んだ。公表された額の外にも回収の見込みが薄い債権があるとみられ、実質では30兆円とも50兆円ともいわれた。金額の大きさ以上に問題だったのは、その償却が進まないことである。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "大手22行の不良債権は1994年3月末で13兆5741億円、貸付金に占める比率は3%、実質では30兆〜50兆円ともいわれた",
                      "原文": "都市銀行、長期信用銀行、信託銀行の大手二二行の不良債権(経営破綻先債権と六ヵ月以上返済が滞っている延滞債権)は六年三月末で一三兆五七四一億円にも達したのである。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－バブル発生と崩壊の主役」",
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                      "fact": "銀行の不良債権は実質的には30兆円とも50兆円ともいわれ、最大の問題は償却の遅れにあった",
                      "原文": "銀行の不良債権は実質的には三〇兆円とも五〇兆円ともいわれる。最大の問題は、不良債権の償却が遅れたことだ。",
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                {
                  "text": "償却が遅れた理由は一つではない。不良債権を売買する市場が育たず、税制や税務の面でも対策が整っていなかった。加えて産業史は、銀行経営者が償却に伴う決算の悪化に二の足を踏んだことを挙げ、「経営責任の問題に点火することを恐れた面は否めない」と書いている。不動産不況や中南米債務問題で同じ痛手を負った米銀が償却を急いでいち早く立ち直ったのに対し、日本の銀行の速度は遅すぎた。",
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                    {
                      "fact": "償却の遅れた理由として、不良債権の流通市場の不在・税務対策の未整備に加え、決算悪化に二の足を踏む経営者の事情が挙げられた",
                      "原文": "不良債権の償却が遅れた理由には、銀行経営者が償却に伴う銀行決算の悪化に二の足を踏んだことが挙げられる。経営責任の問題に点火することを恐れた面は否めない。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－バブル発生と崩壊の主役」",
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                      "原文": "同じように不動産不況や中南米債務問題など巨額の不良債権を抱えた米銀が、償却を急ぎいち早く立ち直ったのに比べると、日本の銀行の償却のテンポは遅すぎた。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－バブル発生と崩壊の主役」",
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              "sub_title": "イトマンと、企業文化を問われた住友銀行",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "住友銀行自身も、この時期に拡大の後始末を抱えていた。系列の総合商社イトマン向けの債権が不良化し、実力者であった磯田一郎会長が辞任している。日本興業銀行や富士銀行の首脳も国会に呼び出され、産業史は当時を「不祥事のない銀行を探した方が早いといわれたほどだった」と記す。担保にしていた土地と株の値段が崩れた以上、融資の可否を支えてきた前提そのものが失われていた。",
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                      "fact": "住友銀行の磯田一郎会長が辞任し、日本興業銀行・富士銀行の首脳も国会に呼び出された",
                      "原文": "住友銀行の実力者だった磯田会長が辞任し、日本興業銀行や富士銀行といった名門銀行が不祥事に巻き込まれ、首脳が国会に呼び出された。不祥事のない銀行を探した方が早いといわれたほどだった。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－バブル発生と崩壊の主役」",
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                {
                  "text": "後任の巽外夫頭取は1992年10月のインタビューで、イトマンの合併処理が当初から頭にあったと語っている。1993年4月には経営3カ年計画「CHANGE, 100計画」が始まり、同年8月の日経ビジネスは「住友銀行。ゆがんだ企業文化を洗い流す」と題した記事を載せた。業容の拡大ではなく、審査と融資のやり方をもとに戻すことが、このときの主題であった。不良債権をどう落とすかも、その主題の一部である。",
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                    {
                      "fact": "巽外夫頭取は1992年10月のインタビューで、イトマンの合併処理が当初から頭にあったと語った",
                      "原文": "編集長インタビュー 巽外夫氏［住友銀行頭取］イトマン合併は当初から頭に（記事表題）",
                      "source": "日経ビジネス 1992年10月12日号「編集長インタビュー 巽外夫氏［住友銀行頭取］イトマン合併は当初から頭に」",
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                    {
                      "fact": "1993年4月に経営3カ年計画「CHANGE, 100計画」が始まり、同年8月には企業文化の立て直しが誌面で論じられた",
                      "原文": "住友銀行。ゆがんだ企業文化を洗い流す（記事表題）",
                      "source": "日経ビジネス 1993年8月23日号「住友銀行。ゆがんだ企業文化を洗い流す」",
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                  "text": "1995年3月期、住友銀行は8000億円を超える不良債権を償却し、都市銀行として初めて経常赤字を計上した。決算の悪化を避けて処理を先送りする銀行が並ぶなかで、単年度の決算に損失を寄せる判断であった。赤字は隠しようがなく、経営責任の議論を自ら呼び込む。産業史が償却の遅れた理由として挙げたのは、この点であった。他行と同じ速度で進めば当面の決算は保てたが、住友銀行は横並びから外れた。",
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                      "原文": "1995年3月期、住友銀行は8000億円を超える不良債権を償却し、都市銀行として初めて経常赤字を計上した。",
                      "source": "日経ビジネス 1995年3月27日号「編集長インタビュー 森川敏雄氏［住友銀行頭取］赤字決算で2つの「過去」償却 多様化乗り切るリスク管理を」",
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                {
                  "text": "記事の表題は「赤字決算で2つの『過去』償却」となっている。何と何を指すかは表題から読み取れない。ただ、複数の過去を一つの決算に寄せたことは、当時の誌面にも表れている。同行には、1977年9月期に安宅産業の救済で負担した1132億円を全額償却した先例がある。損失を薄く延ばさず1期で落とす処理を、金額を7倍に増やしたうえで繰り返している。",
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                      "原文": "編集長インタビュー 森川敏雄氏［住友銀行頭取］赤字決算で2つの「過去」償却 多様化乗り切るリスク管理を（記事表題）",
                      "source": "日経ビジネス 1995年3月27日号「編集長インタビュー 森川敏雄氏［住友銀行頭取］赤字決算で2つの「過去」償却 多様化乗り切るリスク管理を」",
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                      "source": "日経ビジネス 1980年2月25日号「編集長インタビュー 磯田一郎氏（住友銀行頭取）銀行も情報産業」",
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                {
                  "text": "森川敏雄頭取が同じ誌面で課題に挙げたのは、償却の後に何を残すかであった。記事の副題は「多様化乗り切るリスク管理を」となっている。金利の自由化は1993年に定期性預金で完了し、1994年には流動性預金にも及んだ。業務の自由化も進み、銀行は自己資本の充実だけでなくALMの導入などリスク管理の強化を迫られ、融資競争と預金獲得競争から離れて収益率を重視する経営へ切り替え始めていた。",
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                      "fact": "償却と同じインタビューで、森川敏雄頭取は多様化に対応するリスク管理を課題として挙げた",
                      "原文": "編集長インタビュー 森川敏雄氏［住友銀行頭取］赤字決算で2つの「過去」償却 多様化乗り切るリスク管理を（記事表題）",
                      "source": "日経ビジネス 1995年3月27日号「編集長インタビュー 森川敏雄氏［住友銀行頭取］赤字決算で2つの「過去」償却 多様化乗り切るリスク管理を」",
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                      "fact": "金利自由化の完了と業務自由化のなかで、銀行はALM導入などリスク管理の強化と収益率重視の経営への転換を迫られた",
                      "原文": "自己資本を充実させるだけでなく、ALMの導入などリスク管理を強化する必要に迫られた。主要銀行を中心にこれまでの融資競争、預金獲得競争から脱して、総資産利益率(ROE)を重視する経営に、戦略を切り替えはじめている。",
                      "source": "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－バブル発生と崩壊の主役」",
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                {
                  "text": "償却の影響は貸し出しの現場にも及んだ。1995年10月、日経ビジネスは住友銀行が貸し出しの判断を一変させ、リスク管理体制の構築へ進んでいると報じている。担保となる土地の値段に寄りかかって可否を決める審査は、地価の下落によってすでに機能を失っていた。落とすべき過去を落としたうえで、新しく貸す基準を作り直す。1995年3月期の決算は、その順序を先に踏んだ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1995年10月、住友銀行が貸し出し姿勢を一変させリスク管理体制の構築へ進むと報じられた",
                      "原文": "住銀、貸し出し姿勢を一変 リスク管理体制構築へ（記事表題）",
                      "source": "日経ビジネス 1995年10月2日号「住銀、貸し出し姿勢を一変 リスク管理体制構築へ」",
                      "url": null
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        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "先に落としても、責任の追及は続いた",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1998年6月、旧住専の債権回収にあたる住宅金融債権管理機構は、旧住専2社への融資紹介をめぐって住友銀行に約48億円の損害賠償を求め、提訴した。中坊公平社長は、紹介責任を問う134件のうち72件が住友銀行だったと述べている。住友銀行は「融資は旧住専の自主判断で当行に法的責任はない」と反論した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1998年6月、住宅金融債権管理機構が旧住専2社への融資紹介をめぐり住友銀行に約48億円の損害賠償を求めて提訴し、紹介責任134件のうち72件が住友銀行だった",
                      "原文": "旧住専二社（地銀生保住宅ローン、住総）に対する住友銀行の紹介責任の有無を問うため、三件について約四八億円の損害賠償を求め提訴した／ただ紹介責任の一三四件中、七二件が住友銀行だったので、やむをえない。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年8月1日号「フラッシュ 住友銀行は紹介融資の責任をとれ キーマンに聞く 住宅金融債権管理機構社長 中坊公平」",
                      "url": null
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                  ]
                },
                {
                  "text": "中坊社長の批判は、償却の早さとは別のところを突いていた。「銀行はいつも天気のいい日に傘を差し出して、雨の日には傘を取り上げる」。住専へは過剰に融資し、その後に本来貸すべき先へは貸し渋る、という見方であった。損失を他行より先に落としたことは、貸し手としての過去の当否を問う訴えから同行を外さなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "中坊公平社長は、銀行が住専へ過剰融資したうえで貸し渋る姿勢を批判した",
                      "原文": "住専へは過剰融資し、その後に本来貸すべきところへは貸し渋る。銀行はいつも天気のいい日に傘を差し出して、雨の日には傘を取り上げる",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年8月1日号「フラッシュ 住友銀行は紹介融資の責任をとれ キーマンに聞く 住宅金融債権管理機構社長 中坊公平」",
                      "url": null
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                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "業界が「ヤマは越えた」と言うまでの2年、そして公的資金5010億円",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "他行の処理が住友銀行に追いつくには、なお時間がかかった。1997年6月の週刊東洋経済は、都銀の決算を「一強八弱一脱落」と評し、多くの大手行が本体分の処理はほぼ完了したと口をそろえる一方で、不良債権の引当率が都銀全体で43%、大手20行ベースで41%にとどまることを指摘している。住友銀行も系列の住銀保証への支援を続けており、同誌は「大きな不良債権処理は終わったが、不良債権処理はまだ続く」と結んだ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1997年6月時点で不良債権の引当率は都銀全体43%・大手20行ベース41%にとどまり、住友銀行は住銀保証への支援を継続していた",
                      "原文": "しかし、不良債権の引当率は上がったとはいえ都銀全体で四三％、大手二〇行ベースで四一％にしかすぎない。／「住銀保証の支援を継続する」（住友）／大きな不良債権処理は終わったが、不良債権処理はまだ続く。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年6月14日号「特集 なお遠いバブルの清算 都銀 一強八弱一脱落の格差」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "処理額はその後さらに膨らんだ。1998年度の不良債権処理額は1兆500億円に達し、1999年3月には公的資金5010億円の注入を受けている。西川善文頭取は、債権の分類基準が変わったことを受けて引当率を厳しくしたと説明し、自己査定で見えているものについては償却・引当をほぼ終えたと述べた。そのうえで1999年度に1200億円、2000年度に1100億円、2001年度に1000億円の償却を計画に織り込んでいると語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1998年度の不良債権処理額は1兆500億円、1999年3月に公的資金5010億円の注入を受け、99〜2001年度も1000億〜1200億円の償却を計画に織り込んだ",
                      "原文": "１９９８年度には一兆五〇〇億円の不良債権を処理しましたが、これで完全に終了したのですか。／計画では９９年度が一二〇〇億円、２０００年度には一一〇〇億円、２００１年度には一〇〇〇億円くらい織り込んでいる。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年5月22日号「編集長インタビュー 西川善文 住友銀行頭取 公的資金注入の責務は果たしていく」",
                      "url": null
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                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "早く落として減らしたのは、損失ではなく時間",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "8000億円超を1期に寄せれば、経常赤字は避けられない。赤字は経営責任の議論を呼び込む——産業史が償却の遅れた理由に挙げたのは、この怖さであった。住友銀行はそれを承知で1995年3月期に落とした。安宅産業の1132億円を1977年9月期に全額償却した経験が行内に残っており、それが二度目の一括処理を支えた。他行の首脳が本体分の処理はほぼ完了したと口をそろえたのは1997年の決算であり、その差は2年に及ぶ。"
                },
                {
                  "text": "ただ、償却の早さは同行を免責しなかった。1998年6月には旧住専への融資紹介をめぐって約48億円の賠償を求められ、紹介責任を問われた134件のうち72件が住友銀行だったと名指しされた。処理額も1995年で終わらず、1998年度には1兆500億円に膨らみ、1999年3月には公的資金5010億円の注入を受けている。早く落としても損失の総額は減らない。1995年に減ったのは、新しく貸す基準を作り直すまでの時間である。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1995年3月27日号「編集長インタビュー 森川敏雄氏［住友銀行頭取］赤字決算で2つの「過去」償却 多様化乗り切るリスク管理を」",
        "日経ビジネス 1995年10月2日号「住銀、貸し出し姿勢を一変 リスク管理体制構築へ」",
        "日経ビジネス 1993年8月23日号「住友銀行。ゆがんだ企業文化を洗い流す」",
        "日経ビジネス 1992年10月12日号「編集長インタビュー 巽外夫氏［住友銀行頭取］イトマン合併は当初から頭に」",
        "日経ビジネス 1980年2月25日号「編集長インタビュー 磯田一郎氏（住友銀行頭取）銀行も情報産業」",
        "日本産業史 第4巻（日本経済新聞社、1994年）「銀行・生損保－バブル発生と崩壊の主役」",
        "週刊東洋経済 1997年6月14日号「特集 なお遠いバブルの清算 都銀 一強八弱一脱落の格差」",
        "週刊東洋経済 1998年8月1日号「フラッシュ 住友銀行は紹介融資の責任をとれ キーマンに聞く 住宅金融債権管理機構社長 中坊公平」",
        "週刊東洋経済 1999年5月22日号「編集長インタビュー 西川善文 住友銀行頭取 公的資金注入の責務は果たしていく」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
    }
  ]
}
