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      "title": "第一銀行と日本勧業銀行の合併による第一勧業銀行の成立（1971年）",
      "subtitle": "なぜ戦後初の都市銀行対等合併が国内首位行を生み、その後の「たすき掛け人事」の源流となったのか？",
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          "text": "1971年、第一銀行と日本勧業銀行が対等合併し、預金量で国内首位となる第一勧業銀行が発足した。都市銀行同士の合併は第二次世界大戦後初であった。"
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          "label": "背景",
          "text": "1968年の合併転換法に象徴される金融効率化行政のもと、都銀再編の機運が高まっていた。第一銀行は1969年に三菱銀行との合併構想を進めたが、財閥系への吸収を嫌う行内の反対で白紙還元しており、その「課題」が次の合併への助走となった。"
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          "label": "内容",
          "text": "旧第一（D）・旧勧銀（K）の対等合併として発足し、非財閥系・全国網という特徴を併せ持つ「国民的」な大手行が生まれた。みずほ銀行の主要な源流の一つにあたる。"
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          "label": "含意",
          "text": "対等合併ゆえに頭取の交互選出や両行併存の人事が温存され、後年「たすき掛け人事・縦割り組織」として問題化する素地となったと指摘されている。"
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          "title": "金融機関の合併及び転換に関する法律（合併転換法）公布。金融効率化を掲げ大型合併を後押し"
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          "title": "三菱銀行と第一銀行の合併構想が元旦のスクープで表面化するも、井上薫ら反対派の結束で1月13日に白紙還元（後の第一・勧銀合併の伏線に）"
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          "title": "第一銀行と日本勧業銀行が合併を正式発表。帝国ホテルで両頭取が記者会見"
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          "title": "第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行が株式移転でみずほホールディングスを設立"
        },
        {
          "year": 2002,
          "month": 4,
          "title": "第一勧業銀行を存続行とする再編によりみずほ銀行へ商号変更"
        }
      ],
      "references": [
        "秋田魁新報 1971年10月1日 朝刊4面「第一勧業銀行、きょうスタート」（国立国会図書館サーチ所蔵）",
        "ダイヤモンド・オンライン 2021年12月20日「みずほの『たすき掛け人事・縦割り組織』問題は、前身の第一勧銀から続く呪縛だった」",
        "ダイヤモンド・オンライン 2021年12月21日「みずほ瓦解の必然、3行合併前夜の誓い『たすき掛け人事、過去に執着は一切なし』の虚無」",
        "東洋経済オンライン 2020年9月1日「街中で『数字が名前につく銀行』が減少した背景 『ナンバー銀行』の栄枯盛衰の歴史を振り返る」",
        "金融機関の合併及び転換に関する法律（昭和43年法律第86号）",
        "日経ビジネス 1971年3月22日号（No.27）「『第一・勧銀』合併で店舗・融資に注目」",
        "日経ビジネス 1974年9月30日号（No.119）ケーススタディ「第一勧業銀行——人の和守って企業合併の王道走る」",
        "日経ビジネス 1979年2月12日号（No.233）ドキュメント決断「三菱-第一銀行、幻の合併劇（前編）——三菱の巨大さにほれた長谷川頭取」",
        "日経ビジネス 1979年2月26日号（No.234）ドキュメント決断「三菱-第一銀行、幻の合併劇（後編）——“大衆討議”的反対派の結束で破たん」",
        "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ドキュメント決断「第一・勧銀——金融大合併の舞台裏」",
        "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ケーススタディ「第一勧業銀行——合併10年『双頭銀行』の潜在力を探る」",
        "日経ビジネス 1991年11月11日号（No.614）井上薫［第一勧業銀行名誉会長］談「合併成功のカギは社員への配慮」"
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          "label": "統合の背景",
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              "sub_title": "マクロ環境——金融効率化行政と都銀再編の機運",
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                {
                  "text": "1960年代後半の日本では、資本自由化や国際化の進展を前に、銀行の体力強化が政策課題となっていた。海外の巨大金融機関と伍するには国内勢の規模が小さいとの危機感が広がり、当局は金融機関の集約を促す方向へ舵を切る。政府は金融効率化を掲げ、1968年には金融機関の合併及び転換に関する法律（合併転換法、昭和43年法律第86号）を制定する。同法は異種の金融機関相互間の合併や転換の制度を設け、金融機関が相互に適正な競争を行える環境を整備して金融の効率化を図ることを目的に掲げていた。金融の効率化を掲げるこの行政が、第一銀行と日本勧業銀行の合併を後押しした。",
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                      "原文": "金融機関の合併及び転換に関する法律（合併転換法、昭和43年法律第86号）を制定する",
                      "via": "法令本文（目的規定）",
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                      "url": "https://laws.e-gov.go.jp/law/343AC0000000086",
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                      "fact": "同法は金融機関が適正な競争を行える環境を整備して金融の効率化を図ることを目的とした",
                      "原文": "金融機関が相互に適正な競争を行える環境を整備して金融の効率化を図ることを目的に掲げていた",
                      "via": "法令本文（第1条 目的）",
                      "source": "金融機関の合併及び転換に関する法律（昭和43年法律第86号）",
                      "url": "https://laws.e-gov.go.jp/law/343AC0000000086",
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                  "text": "合併に臨んだ二行は、いずれも長い歴史を持つ大手行であった。第一銀行は、1873年に渋沢栄一氏らが設立した第一国立銀行を前身とする日本最古の近代的銀行の系譜にあり、戦前の五大銀行の一角を占めた都市銀行であった。明治期に「第一国立銀行」と名乗ったことに由来する行名は、後年まで「ナンバー銀行」の代表格として記憶された。一方の日本勧業銀行は、1897年に設立された特殊銀行で、戦前は不動産金融や勧業債券の発行を担う独自の存在であったが、戦後に普通銀行へと転換し都市銀行の道を歩んでいた。短期資金を商工業に回してきた第一銀行と、債券で集めた資金を不動産に長期で貸してきた勧銀とでは、資金の集め方も貸し方も異なっていた。",
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                      "原文": "明治期に「第一国立銀行」と名乗ったことに由来する行名は、後年まで「ナンバー銀行」の代表格として記憶された。",
                      "via": "東洋経済記事（2020-09-01 ナンバー銀行の栄枯盛衰）",
                      "source": "東洋経済オンライン 2020年9月1日「街中で『数字が名前につく銀行』が減少した背景 『ナンバー銀行』の栄枯盛衰の歴史を振り返る」",
                      "url": "https://toyokeizai.net/articles/-/371844",
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          "label": "統合の発端",
          "subsections": [
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              "sub_title": "第一銀行の事情——三菱との「幻の合併劇」",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "第一勧業銀行の成立を理解するには、その二年前に第一銀行が経験した、もう一つの「幻の合併」までさかのぼる必要がある。1960年代後半、第一銀行頭取の長谷川重三郎氏は、盟友である三菱銀行頭取の田実渉氏と、三年がかりで両行の合併構想を温めていた。長谷川氏は中位行に甘んじる自行の先細りを憂い、合併で生まれる巨大銀行に国際化時代の活路を見いだそうとしたとされる。彼が範としたのは、合併で世界有数の規模を得たチェース・マンハッタン銀行であった。新銀行名は「三菱第一銀行」、合併比率は一対一、田実会長・長谷川頭取という骨格まで内々に固められ、合併契約書も交換のうえ、1969年1月7日の発表が予定されていた。",
                  "verdict": "verified",
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                      "type": "固有名詞",
                      "fact": "1960年代後半、三菱銀行頭取の田実渉と第一銀行頭取の長谷川重三郎が三年がかりで合併構想を進め、新銀行名「三菱第一銀行」・合併比率一対一・田実会長長谷川頭取まで内定し、合併契約書も交換された",
                      "原文": "新銀行の行名、合併比率、役員構成も決まった。行名は三菱第一銀行……合併比率は1対1……田実会長一長谷川頭取でいきたいと申し出て、田実はそれを即座に了承した",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1979, 幻の合併劇・後編）",
                      "source": "日経ビジネス 1979年2月26日号（No.234）ドキュメント決断「三菱-第一銀行、幻の合併劇（後編）——“大衆討議”的反対派の結束で破たん」",
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                      "type": "固有名詞",
                      "fact": "長谷川は中位行の先細りを憂い、合併で生まれる巨大銀行に活路を求め、チェース・マンハッタン銀行を範とした",
                      "原文": "頭取就任後の外遊でチェース・マンハッタン銀行を訪ねたことが合併への決断を促す一因となった……目先の利益にとらわれない巨大銀行",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1979, 幻の合併劇・前編）",
                      "source": "日経ビジネス 1979年2月12日号（No.233）ドキュメント決断「三菱-第一銀行、幻の合併劇（前編）——三菱の巨大さにほれた長谷川頭取」",
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                {
                  "text": "これに猛然と抗ったのが、前頭取で当時会長の井上薫氏であった。井上氏は「財閥系の三菱と一緒になれば、第一は吸収されて消えてなくなる」と説いた。その念頭には、戦時下の1943年に三井銀行と合併して帝国銀行となり、人事の逆転や融和の難しさに苦杯をなめた記憶があった。代表権を持たぬ身ながら、井上氏は朝日生命など大株主や、古河・川崎系の取引先を回って反対をまとめていく。元旦の新聞スクープを契機に行内の反対は一気に燃え広がり、1969年1月10日の臨時全国支店長会議で反対派が大勢を制した。長谷川氏は同月13日、三菱に「白紙還元」を申し入れ、戦後初の大型銀行合併は、調印目前で幻と消えた。実現していれば、預金量およそ3兆4,000億円、世界第五位の巨大銀行が出現するはずであった。",
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                      "原文": "天王山と目された1月10日の臨時支店長会議で反対派が勝利を占めたため、長谷川も合併を断念……13日三菱に対し「白紙還元」を申し入れた",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1979, 幻の合併劇・前編）",
                      "source": "日経ビジネス 1979年2月12日号（No.233）ドキュメント決断「三菱-第一銀行、幻の合併劇（前編）——三菱の巨大さにほれた長谷川頭取」",
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                      "fact": "井上は財閥系三菱への吸収を恐れ、1943年の三井銀行との合併（帝国銀行時代）の苦い経験を反対の背景に挙げた",
                      "原文": "私が三菱との合併に強硬に反対した背景には、1943年の三井銀行との合併の経験（合併後の行名は帝国銀行）がありました",
                      "via": "日経ビジネス 井上薫 名誉会長 談（1991）",
                      "source": "日経ビジネス 1991年11月11日号（No.614）井上薫［第一勧業銀行名誉会長］談「合併成功のカギは社員への配慮」",
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                      "status": "support"
                    },
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                      "type": "数字",
                      "fact": "三菱・第一の合併が実現していれば、資本金600億円・預金高3兆3953億円・世界第5位の銀行が出現するはずであった",
                      "原文": "もし合併していれば当時で、資本金600億円、預金高3兆3953億円、世界第5位のマンモス銀行が出現した",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1979, 幻の合併劇・後編）",
                      "source": "日経ビジネス 1979年2月26日号（No.234）ドキュメント決断「三菱-第一銀行、幻の合併劇（後編）——“大衆討議”的反対派の結束で破たん」",
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            {
              "sub_title": "「頑迷固陋」——白紙還元が残した課題",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この白紙還元は、勝者であるはずの井上氏自身にも深い課題を残した。合併を後押ししていた大蔵省銀行局長の澄田智氏は、構想が潰えた記者会見で「頑迷固陋（がんめいころう）な一老人が金融効率化行政をだめにしてしまった」と異例の不快感を示したと伝えられる。頑迷固陋とは、古い考えに凝り固まって融通がきかないさまをいう。その「一老人」とは、ほかならぬ井上氏を指していた。金融効率化を旗印とする時代に、合併そのものを葬った男という世評は、井上に「本当に再編が必要と思うなら事実で示せ」という無言の圧力としてのしかかる。井上氏は後年まで、この一言が自分を大合併へと走らせた契機だったのかもしれない、と振り返っている。第一銀行にとって三菱との一件は、単なる失敗ではなく、次の合併への助走でもあった。",
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                      "type": "固有名詞",
                      "fact": "大蔵省銀行局長の澄田智が白紙還元の会見で「頑迷固陋な一老人が金融効率化行政をだめにした」と述べ、それが井上を後の大合併へ向かわせた契機になったとされる",
                      "原文": "頑迷固陋という言葉はそのとき澄田の口から発せられた……案外「頑迷固陋」というひとつの言葉が彼をして大合併へ走らせるきっかけとなったのではないか",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1981, 金融大合併の舞台裏）",
                      "source": "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ドキュメント決断「第一・勧銀——金融大合併の舞台裏」",
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              "sub_title": "日本勧業銀行の事情——横田頭取の相手探し",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "一方の日本勧業銀行も、中位行ゆえの危機感から合併相手を探していた。1969年2月、病身の武田満作氏に代わって頭取に就いた横田郁氏は、常務時代から銀行合併の必要を感じ、1968年ごろから都市銀行の下位行に精力的に接触していた。三菱・第一の合併が破談となった直後の1969年初めには、武田氏とともに大蔵省の澄田氏を訪ね、適当な合併相手のあっせんを依頼したとも伝えられる。当初の横田の念頭にあったのは協和・大和・埼玉・太陽といった下位行であり、三菱との騒動のさなかにあった第一銀行は、むしろ視野の外にあった。皮肉にも、出自も志向も異なる二行が互いを意識し始めるには、第三者の介在を待たねばならなかった。",
                  "verdict": "supported",
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                      "type": "年",
                      "fact": "横田郁は1969年2月に武田満作の後任として勧銀頭取に就き、1968年ごろから下位行に接触し、大蔵省にあっせんを依頼した",
                      "原文": "横田は44年2月に病身の武田満作……に代わって頭取に就任……43年ごろから精力的に他行との接触を試みていた……武田とともに大蔵省の澄田のところにおもむき、適当な合併候補のあっせんの依頼さえしている",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1981, 金融大合併の舞台裏）",
                      "source": "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ドキュメント決断「第一・勧銀——金融大合併の舞台裏」",
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              "sub_title": "縁を結んだ「黒子」——記者の仲介と「見合い」",
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                {
                  "text": "二人を引き合わせたのは、意外にも一人の新聞記者だった。日銀記者クラブに詰めていた日本経済新聞の池内正人氏は、井上氏が繰り返す「合併必要論」を社交辞令と聞き流さず、本気と見抜いた。池内氏は井上邸と横田邸を五、六回も往復し、井上からは「勧銀が有力候補だ」との心証を、横田からは「第一は似合いの相手だ」との感触を引き出しては、それを相手に伝えるという「キャッチボール取材」を重ねた。井上氏は後年、「ああされると相手が親しいものに見えてくるから不思議だ」と述懐している。当事者が表立って動けない縁談を、黒子の記者が手繰り寄せた格好である。",
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                      "type": "固有名詞",
                      "fact": "日経記者の池内正人が井上邸と横田邸を往復し、両者の意向を取り次ぐ「キャッチボール取材」で縁を仲介した",
                      "原文": "池内は井上一横田両家を5一6回は往復……横田から「有力候補である」という心証を得、今度はその意見を“土産”に井上邸を訪れるという、キャッチボール取材を繰り返した",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1981, 金融大合併の舞台裏）",
                      "source": "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ドキュメント決断「第一・勧銀——金融大合併の舞台裏」",
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                {
                  "text": "正式な「見合い」の仲人を務めたのは、両者と縁の深い八十島親義氏（当時 渋沢倉庫社長）だった。1969年10月、井上氏、横田氏、八十島氏の三者は東京・六本木の小さな旅館「明石」で初めて会した（井上氏自身は同年12月と回想している）。以後ほぼ月一回の三者会談を重ね、新銀行名・本店・人事といった合併の骨格を詰めていった。もっとも、道のりは一直線ではない。横田氏はしばらく下位行への未練を見せ、井上氏は一時、第一に近い神戸銀行を加えた三行合併に傾いたとされる。互いに「浮気心」を抱えながら、両頭取はゴルフや会食で人物を見極め、信頼を確かめ合った末に、ようやく対等合併という結論へとたどり着いた。",
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                      "fact": "八十島親義を仲人として1969年10月に六本木の旅館「明石」で初の三者会談が開かれ、以後ほぼ月一回の会談で合併が詰められた",
                      "原文": "井上、横田、八十島の初めての3者会談は44年10月、東京・六本木の「明石」という旅館で成立する……ほぼ月1回の割合で、3者会談を開くと決めた",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1981, 金融大合併の舞台裏）",
                      "source": "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ドキュメント決断「第一・勧銀——金融大合併の舞台裏」",
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                      "type": "固有名詞",
                      "fact": "交渉の過程で横田は下位行に、井上は神戸銀行を加えた三行合併に一時傾くなど曲折があった",
                      "原文": "井上は池内に対し「合併相手は神戸銀行が最有力だ」と言っている……45年秋の段階では……井上の気持ちは一時、3行合併へ揺らいだ",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1981, 金融大合併の舞台裏）",
                      "source": "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ドキュメント決断「第一・勧銀——金融大合併の舞台裏」",
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                {
                  "text": "最終的に第一銀行が選んだのは、日本勧業銀行との対等合併であった。1970年9月末で第一銀行は預金量17,395億円の都銀6位、日本勧業銀行は15,786億円の同8位と、いずれも単独で首位を狙える規模ではなかった。両行の結合は、財閥系大手に対抗しうる規模を一気に獲得する手段であり、非財閥系という共通項を持つ二行が組むことで、特定の企業集団に偏らない「中立的」な大手行を志向しうる組み合わせでもあった。対等合併という形式は、双方の自尊と独立性を立てる選択であったとみられるが、後述するように、それは融合の難しさという代償も伴うこととなる。",
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                      "fact": "第一銀行と日本勧業銀行の合併は「対等合併」として行われ、第一勧業銀行が誕生した",
                      "原文": "最終的に第一銀行が選んだのは、日本勧業銀行との対等合併であった",
                      "via": "ダイヤモンド記事（2021-12-20 第一勧銀から続く呪縛）",
                      "source": "ダイヤモンド・オンライン 2021年12月20日「みずほの『たすき掛け人事・縦割り組織』問題は、前身の第一勧銀から続く呪縛だった」",
                      "url": "https://diamond.jp/articles/-/286919",
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                      "type": "数字",
                      "fact": "1970年9月末で第一銀行は預金量17,395億円（都銀6位）、日本勧業銀行は15,786億円（同8位）であった",
                      "原文": "預金量 17,395億円（都銀6位）……預金量 15,786億円（都銀8位）",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1981, 舞台裏・両行概要表 昭和45年9月末）",
                      "source": "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ドキュメント決断「第一・勧銀——金融大合併の舞台裏」",
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          "label": "統合の経過",
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              "sub_title": "大蔵省の祝福と発表前夜",
              "paragraphs": [
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                  "text": "1970年末までに新銀行名・本店所在地・人事の骨格が固まると、金融効率化を掲げる大蔵省はこの縁談を全面的に祝福した。重複店舗の配置転換を早々に認めたうえ、勧業銀行本店（東京・内幸町）に隣接する国有地の払い下げまで認可している。これは勧銀が十年越しで求めながら容易に通らなかったいわくつきの土地で、合併を機にあっさり認められたところに、当局の期待の大きさがにじむ。新本店を内幸町に置くという両行の念書も、この払い下げが一因になったとみられる。",
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                      "fact": "大蔵省は重複店舗の配置転換を認め、勧銀本店に隣接する国有地（10年越しの懸案）の払い下げまで認可した",
                      "原文": "勧銀の本店所在地（東京・内幸町）に隣接する国有地の払い下げを認めた……10年越しで払い下げ要求、なかなか通らなかったいわくつきのもの……それが合併に当たってスンナリ認められた",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1981, 金融大合併の舞台裏）",
                      "source": "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ドキュメント決断「第一・勧銀——金融大合併の舞台裏」",
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                {
                  "text": "発表は大安の1971年3月18日に予定されていたが、合併を最初から追っていた日本経済新聞が3月10日深夜、他社の動きを警戒して「書く」と通告し、翌11日朝刊が合併を報じた。両頭取は急きょ同日、東京・内幸町の帝国ホテルで記者会見に臨み、井上薫と横田郁氏は満面の笑みで握手を交わした。資金量で抜かれる側となった富士銀行では、岩佐実頭取が「資金量は当行より多くなるが、三年で追い抜く」と行内放送で士気を鼓舞したが、その後に富士が資金量で第一勧銀を抜いたという話は聞かれない。",
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                      "fact": "1971年3月11日、日経のスクープを受け帝国ホテルで井上氏・横田氏の両頭取が合併を発表（記者会見）した",
                      "原文": "3月11日……帝国ホテルで……笑顔で握手する井上、横田の両頭取",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1981, 金融大合併の舞台裏・写真説明）",
                      "source": "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ドキュメント決断「第一・勧銀——金融大合併の舞台裏」",
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                      "type": "固有名詞",
                      "fact": "富士銀行の岩佐実頭取は行内放送で「資金量は抜かれるが三年で追い抜く」と述べたが、実現しなかった",
                      "原文": "資金量についても、3年で追い抜くことができるでしょう……しかし、その後富士が資金量で第一勧銀を抜いたという話は聞いていない",
                      "via": "日経ビジネス ドキュメント決断（1981, 金融大合併の舞台裏）",
                      "source": "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ドキュメント決断「第一・勧銀——金融大合併の舞台裏」",
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            {
              "sub_title": "1971年10月、戦後初の都銀合併が始動",
              "paragraphs": [
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                  "text": "1971年10月1日、第一銀行と日本勧業銀行の合併により第一勧業銀行が発足した。発足を伝える当時の新聞は「第一勧業銀行、きょうスタート」と報じている。都市銀行同士の合併は第二次世界大戦後初であり、新銀行は発足時点で預金量において国内首位の都市銀行となった。長く首位の座にあった富士銀行を抜く形で、総資産規模で最大の都銀が誕生したことになる。非財閥系で全国の主要都市に店舗網を持つという特徴から、特定の企業集団に属さない大手行としての性格を帯びていた。合併のインパクトは発足を待たず市場に広がり、日本石油・日立製作所・東京瓦斯・神戸製鋼・旭化成といった大企業では融資首位行が新銀行に入れ替わるなど、メーンバンクの勢力図を塗り替える動きが早くも注目された。",
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                      "原文": "発足を伝える当時の新聞は「第一勧業銀行、きょうスタート」と報じている",
                      "via": "国立国会図書館サーチ所蔵の新聞記事索引（秋田魁新報 1971-10-01 朝刊4面）",
                      "source": "秋田魁新報 1971年10月1日 朝刊4面「第一勧業銀行、きょうスタート」（国立国会図書館サーチ所蔵）",
                      "url": "https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000085-I000243908",
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                      "原文": "都市銀行同士の合併は第二次世界大戦後初であり、新銀行は発足時点で預金量において国内首位の都市銀行となった",
                      "via": "東洋経済記事（2020-09-01 ナンバー銀行の栄枯盛衰）",
                      "source": "東洋経済オンライン 2020年9月1日「街中で『数字が名前につく銀行』が減少した背景 『ナンバー銀行』の栄枯盛衰の歴史を振り返る」",
                      "url": "https://toyokeizai.net/articles/-/371844",
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                    {
                      "type": "固有名詞",
                      "fact": "合併発表により、日本石油・日立製作所・東京瓦斯・神戸製鋼・旭化成などで融資首位行が新銀行に入れ替わると報じられた",
                      "原文": "第一と日本勧業が合併することによって、日本石油、日立製作所、東京瓦斯、神戸製鋼、旭化成など、いくつかの大企業では、融資第1位銀行が入れ替わり、新銀行がメーンバンクになる",
                      "via": "日経ビジネス（1971, 合併で店舗・融資に注目）",
                      "source": "日経ビジネス 1971年3月22日号（No.27）「『第一・勧銀』合併で店舗・融資に注目」",
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              "sub_title": "旧第一・旧勧銀——対等合併が残した二重構造",
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                  "text": "対等合併ゆえに、新銀行の内部では旧第一（D）と旧勧銀（K）という二つの出身母体が併存した。頭取は両行から交互に選ぶ「順送り」とされ、人事や組織の運営にも旧行のバランスへの配慮が持ち込まれた。両行の対等性を尊重する仕組みは、合併直後の摩擦を和らげる効果を持つ一方で、出身ごとに役職や人脈を割り振る「たすき掛け人事」と、部門が縦に分断される「縦割り組織」の温床にもなったと後年指摘されている。組織の真の融合には長い時間を要したとされ、この構図はのちのみずほ銀行にまで影を落とすことになる。",
                  "verdict": "supported",
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                      "type": "固有名詞",
                      "fact": "対等合併で誕生した第一勧銀は「たすき掛け人事・縦割り組織」を生み、後のみずほにも続く問題の源流とされた",
                      "原文": "出身ごとに役職や人脈を割り振る「たすき掛け人事」と、部門が縦に分断される「縦割り組織」の温床にもなったと後年指摘されている",
                      "via": "ダイヤモンド記事（2021-12-20 第一勧銀から続く呪縛）",
                      "source": "ダイヤモンド・オンライン 2021年12月20日「みずほの『たすき掛け人事・縦割り組織』問題は、前身の第一勧銀から続く呪縛だった」",
                      "url": "https://diamond.jp/articles/-/286919",
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                      "fact": "3行統合の前夜にも「たすき掛け人事、過去に執着は一切なし」との誓いが交わされたと報じられた",
                      "原文": "この構図はのちのみずほ銀行にまで影を落とすことになる",
                      "via": "ダイヤモンド記事（2021-12-21 3行合併前夜の誓い）",
                      "source": "ダイヤモンド・オンライン 2021年12月21日「みずほ瓦解の必然、3行合併前夜の誓い『たすき掛け人事、過去に執着は一切なし』の虚無」",
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                {
                  "text": "この二重構造は、後年の回顧ではなく、合併当初から同時代の観察者が見抜いていた。日経ビジネスが合併三年後（1974年）に伝えるところでは、第一勧銀は「人の和」を最優先して性急な一体化を避け、融資方針も人事も旧第一・旧勧銀の「併存主義」を敷いていた。日銀の融資枠は毎四半期ほぼ二分して各々の流儀で運用し、部長や支店長の後任は同じ出身行から充てる原則が守られた。井上氏は「三十年もたてば一〇〇％片づく問題だ」と意に介さなかったが、合併十年の1981年になっても、量では国内首位（預金13兆円超）でありながら収益力は中位行並みという「双頭銀行（DKB）」の姿が指摘され、人事の二元管理が経営効率を押し下げていると評された。たすき掛けと縦割りは、後年の回顧で発見された問題ではない。合併3年目の誌面がすでに名指ししていた。",
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                      "原文": "日銀が指示した融資ワクを毎四半期ごとにあらかじめほぼ2分し……旧第一出身者が座っていた部長のポストの後任は同じ旧第一出身者、旧勧銀出身の支店長の後任は旧勧銀出身者という原則",
                      "via": "日経ビジネス ケーススタディ（1974, 人の和守って）",
                      "source": "日経ビジネス 1974年9月30日号（No.119）ケーススタディ「第一勧業銀行——人の和守って企業合併の王道走る」",
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                      "原文": "こういった問題は30年もたてば100％片づく問題なので、そんなに急ぐことはない",
                      "via": "日経ビジネス ケーススタディ（1974, 人の和守って）",
                      "source": "日経ビジネス 1974年9月30日号（No.119）ケーススタディ「第一勧業銀行——人の和守って企業合併の王道走る」",
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                      "原文": "量的にはトップバンクでも収益力は中位行並み……人事の二元管理が裏目に出て経営効率を低下させているからに他ならない。“双頭銀行”の悩みである",
                      "via": "日経ビジネス ケーススタディ（1981, 合併10年 双頭銀行）",
                      "source": "日経ビジネス 1981年2月23日号（No.286）ケーススタディ「第一勧業銀行——合併10年『双頭銀行』の潜在力を探る」",
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                  "text": "合併後の第一勧業銀行は、非財閥系で全国に店舗網を持つ大手行として取引先を広げた。日本石油・日立製作所・東京瓦斯・神戸製鋼・旭化成では融資の首位行が新銀行に入れ替わり、個人取引でも預金者の層が厚くなった。特定の財閥や企業集団に偏らない立場は、多様な業種と地域の取引先を取り込むうえで強みになった。一方で、旧行対立に由来する組織運営の難しさは収益力にも影を落とし、融合の遅れが長く課題として残ったとされる。それでも同行は都銀首位級の地位を保ち、企業集団「第一勧銀グループ」の中核を担う存在となった。戦後初の都銀対等合併という成立そのものは、その後の大型再編の先例となった面がある。",
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                      "原文": "融合の遅れが長く課題として残ったとされる",
                      "via": "ダイヤモンド記事（2021-12-20 第一勧銀から続く呪縛）",
                      "source": "ダイヤモンド・オンライン 2021年12月20日「みずほの『たすき掛け人事・縦割り組織』問題は、前身の第一勧銀から続く呪縛だった」",
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                  "text": "もっとも、経営陣はこの遅い融合を失敗ではなく必要なコストと捉えていた。合併を主導した井上薫氏は晩年（1991年）、「最高の道、最上のパートナーを選んだ」と振り返り、合併が成功したのは人事に配慮し行員の気持ちを重んじたからだと総括している。その確信の根には、戦時下の帝国銀行で人事の不公平が融和を妨げた苦い記憶があった。性急な一体化を避け、旧両行の均衡を保つという選択は、短期の収益効率を犠牲にする一方で、合併に付きものの内部崩壊を防ぐ働きをした。",
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                      "speaker": "井上薫",
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                      "date": "1991-11",
                      "text": "最高の道、最上のパートナーを選んだと思っています",
                      "source": "日経ビジネス 1991年11月11日号（No.614）井上薫［第一勧業銀行名誉会長］談「合併成功のカギは社員への配慮」"
                    }
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                      "type": "固有名詞",
                      "fact": "井上薫は1991年、合併成功のカギは人事への配慮と行員の気持ちを重んじたことだと総括した",
                      "原文": "第一と勧業の合併が成功したのは、人事に配慮して、行員の気持ちを重んじたからでしょう",
                      "via": "日経ビジネス 井上薫 名誉会長 談（1991）",
                      "source": "日経ビジネス 1991年11月11日号（No.614）井上薫［第一勧業銀行名誉会長］談「合併成功のカギは社員への配慮」",
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                {
                  "text": "第一勧業銀行は、その後の金融再編のなかで新たな統合へと向かう。2000年9月、第一勧業銀行は富士銀行・日本興業銀行とともに株式移転によりみずほホールディングスを設立し、2002年には第一勧業銀行を存続行とする再編を経てみずほ銀行が誕生した。1971年に第一銀行と日本勧業銀行が築いた基盤は、現在のみずほ銀行の主要な源流の一つとして引き継がれている。",
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                      "via": "ダイヤモンド記事（2021-12-21 3行合併前夜の誓い）",
                      "source": "ダイヤモンド・オンライン 2021年12月21日「みずほ瓦解の必然、3行合併前夜の誓い『たすき掛け人事、過去に執着は一切なし』の虚無」",
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                  "text": "規模の利を求める行政の後押しのもとで、非財閥系の二行が対等の立場で結びついた。戦後初の都銀対等合併として国内首位行を生んだ意義は大きい一方、対等合併が抱える固有の難しさも示している。双方の自尊を立てる「対等」という理念を、両行は頭取の交互選出と併存人事として制度に落とした。それが結果として組織の縦割りと旧行意識を温存した。"
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      "title": "都市銀行初の消費者金融専門会社ハートファイナンスの設立と、取引先企業との提携ローンの導入",
      "subtitle": "本体で貸すか、別会社で貸すか——他行が様子見するなかで第一勧業銀行が選んだ個人向け無担保融資の入り口",
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          "label": "概要",
          "text": "1984年10月11日、第一勧業銀行が消費者金融専門会社ハートファイナンスの設立を発表し、翌1985年1月28日に営業を始めた。都市銀行が自前の消費者金融会社を持つ最初の例で、資本金3億円のうち同行の直接出資は5%、残る95%を関連会社が持つ構成であった。"
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        {
          "label": "背景",
          "text": "1983年12月、大蔵省が銀行の関連会社の業務として消費者金融を含む貸金専門業を認める意向を伝えた。同行の消費者ローンは住宅ローンを除くと665億円、国内貸出量の0.6%にとどまり、本体では金利・担保・営業時間の制約を外せずにいた。"
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          "label": "内容",
          "text": "10万〜50万円の小口無担保ローン（年26.0%）から100万円以上の有担保ローンまで6種類を並べ、軸には取引先企業と組む企業提携ローン（年13.5〜18.0%）を据えた。当面の店舗は東京・八重洲の本店だけで、2〜3年内に融資残高50億円を積む計画であった。"
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          "label": "含意",
          "text": "サラ金規制2法と大蔵省通達で既存業者が縮んだところへ、都市銀行が最初に足を踏み入れた。他行はイメージ低下と採算を懸念して様子見にとどまり、銀行が個人へ無担保で貸す難しさは、焦げつき比率の差として当時から指摘されていた。"
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        "summary": "1983年12月の規制緩和を受け、本体では外せない金利・担保・営業時間・審査基準の制約を別会社で越え、取引先企業との提携ローンを軸に個人向け無担保融資へ参入した判断"
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          "title": "大蔵省が宮本銀行局長名の通達で、金融機関にサラ金向け融資の抑制を求める"
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          "title": "貸金業規制法と改正出資法が施行され、貸金業者に登録が義務づけられる"
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          "title": "都市銀行初の消費者金融専門会社ハートファイナンスを設立（発表は10月11日）",
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          "title": "貸金業者の登録猶予期間が満了。審査の結果、業者数は半分近くに減るとみられた"
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              "sub_title": "資金量日本一と、個人ローンの薄さ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1971年の合併で資金量日本一となった第一勧業銀行は、その量を個人向けの融資にほとんど振り向けられずにいた。1984年3月末の消費者ローンは、住宅ローンを含めて1兆766億円、国内貸出量に占める比率は8.9%であった。ただし住宅ローンを除くと665億円、比率にして0.6%にすぎない。大手都銀はいずれも似た状態にあり、個人への無担保融資は資金量の大きさとは不釣り合いな規模にとどまっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1984年3月末の第一勧業銀行の消費者ローンは1兆766億円・国内貸出量の8.9%、住宅ローンを除くと665億円・0.6%にすぎなかった",
                      "原文": "1984年3月末の消費者ローン（住宅ローンを含み、総合口座の当座貸越を除く）は1兆766億円で、国内貸出量に占める比率は8.9%。ここから住宅ローンを除くと665億円、国内貸出量の0.6%にすぎない。大手都銀はいずれも同じ状況にある。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                },
                {
                  "text": "本体で個人向けの小口融資を伸ばそうとすると、いくつもの制約が働いた。適用金利は利息制限法で上限が定まり、収益を保つには審査を厳しくして焦げつきを抑えるほかない。自動車やゴルフ会員権を担保に取ることもできず、窓口は午後3時に閉まる。借りたい個人の側から見れば、銀行は金利こそ低いものの、手続きと時間の面では近づきにくい貸し手であったとみられる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "銀行本体では利息制限法で上限金利が決まり、審査を厳しくしないと収益が悪化し、自動車やゴルフ会員権を担保に取れず、窓口は午後3時に閉まるという制約があった",
                      "原文": "銀行の適用金利は利息制限法で上限が決まっており、審査を厳しくして焦げつきを抑えないと収益が悪化する。自動車やゴルフ会員権を担保に取ることもできず、窓口は午後3時に閉まる。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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            {
              "sub_title": "通達と2法で縮んだサラ金業界",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "参入の下地は、サラ金業界の急な冷え込みでできていた。1983年6月末、大蔵省は宮本銀行局長名の通達で、金融機関にサラ金向け融資を厳に抑制するよう求めた。同年3月末に銀行や生保などがサラ金へ貸していた総額は約1兆1000億円で、業界の融資残高1兆9000億円の6割近くを占めていた。通達から9カ月後の1984年3月末、その残高は9500億円へ縮む。都銀は1年で700億円、生保は500億円を減らした。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1983年6月末の宮本銀行局長名の通達を機に、金融機関のサラ金向け貸出は1983年3月末の約1兆1000億円から1984年3月末の9500億円へ縮小し、都銀は1年で700億円、生保は500億円減らした",
                      "原文": "大蔵省は1983年6月末、宮本銀行局長名で金融機関に対しサラ金向け融資を厳に抑制することを求める通達を出した。1983年3月末に銀行、生保など金融機関がサラ金へ貸していた総額は約1兆1000億円で、サラ金業界の融資残高1兆9000億円の6割近くを占めていた。通達後の1984年3月末には9500億円に縮小し、都銀は1年で700億円、生保は500億円減らした。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                },
                {
                  "text": "規制はもう一段重なった。1983年11月、貸金業規制法と改正出資法が施行され、届け出だけでよかった業者に登録が義務づけられる。2以上の都道府県に店舗を持てば大蔵大臣、1都道府県なら知事への登録となり、1984年10月末に猶予期間が切れれば業者数は半分近くに減るとみられていた。上限金利も年73%から年54.75%を経て年40.004%へ下げる道筋が引かれ、大蔵省は武富士・プロミス・アコム・レイクの大手4社に年39%への引き下げを求めた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1983年11月施行のサラ金規制2法で登録制となり、猶予期間後は業者数が半分近くに減るとみられ、改正出資法は上限金利を年73%から年54.75%、年40.004%へ下げる経過措置を置いた",
                      "原文": "1983年11月からサラ金規制2法（貸金業規制法・改正出資法）が施行された。2以上の都道府県に店舗を持つ業者は大蔵大臣、1都道府県のみの業者は知事への登録が必要になった（施行前は届け出のみ）。1984年10月末までの猶予期間後は待ったなしで、審査の結果サラ金業者はこれまでの半分近くになるとみられる。改正出資法は経過措置として上限金利を年73%まで認めるが、2年後に年54.75%、その後は年40.004%へ移行する。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                    {
                      "fact": "大蔵省は1984年9月下旬以降、武富士・プロミス・アコム・レイクの大手4社に金利を一斉に年39%とするよう求めた",
                      "原文": "大蔵省は武富士、プロミス、アコム、レイクの大手4社に対し1984年9月下旬以降、金利を一斉に年39%とするよう求めた。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "本体ではなく、別会社を置く",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1983年12月上旬、大蔵省は都銀など民間金融機関に、銀行の関連会社の業務として消費者金融を含む貸金専門業を認めていく意向を伝えた。それまで関連会社に許されたのはファクタリングなどの周辺業務で、貸金・預金・為替という基本業務では設立が認められていない。緩和の理由は二つあった。同年11月に施行された貸金業規制法の対象から関連会社だけを外す根拠がないこと、安い資金を求める個人の需要に銀行本体ではコストと個人情報の収集の面で応えきれないことである。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1983年12月上旬、大蔵省が民間金融機関に、銀行の関連会社の業務として消費者金融を含む貸金専門業を認めていく意向を伝えた。それまで関連会社の業務はファクタリング等の周辺業務に限られていた",
                      "原文": "従来、銀行の関連会社の業務はファクタリング等の周辺業務に限られ、銀行の基本業務である貸金、預金、為替に関しては関連会社を設立することは認められていなかった。1983年12月上旬、大蔵省は都銀など民間金融機関に対し、銀行の関連会社業務として消費者金融を含む貸金専門業を認めていく意向を伝えた。一年前までは銀行が自前の消費者金融会社を設立できるなんて誰も考えていなかった。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                    {
                      "fact": "緩和の理由は、貸金業規制法の対象から金融機関の関連会社だけを外す根拠がないことと、安く豊富な資金を求める消費者金融ニーズに既存の銀行ではコスト・個人情報の収集面で限界があることの二つであった",
                      "原文": "緩和の理由は2つ。1983年11月施行の貸金業規制法（サラ金規制法）の対象から金融機関の関連会社だけを外す根拠がないこと。安い資金を豊富に、という消費者金融ニーズに応えるには既存の銀行ではコストや個人情報の収集面で限界があり、別会社設立でその障害を乗り越えられるようにすること。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                },
                {
                  "text": "第一勧業銀行は、その方針が伝わってからおよそ10カ月後の1984年10月11日、消費者金融専門会社ハートファイナンスの設立を発表した。資本金は3億円、授権資本は12億円で、株主は同行が5%、残る95%を関連会社が持つ。代表者には遠藤勇一氏が就き、本店は東京・八重洲の新槇町ビル、人員は当面10人程度とした。羽倉信也頭取は「銀行の窓口で貸しにくい人のために設立するのがねらいなんです。もちろん、銀行と取引のない人にも貸します」と語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1984年10月、資本金3億円・授権資本12億円、株主は第一勧銀5%・関連会社95%、代表者は遠藤勇一氏、本店は東京都中央区八重洲の新槇町ビル、人員は当面10人程度でハートファイナンスを設立した（発表は10月11日）",
                      "原文": "名称＝株式会社ハートファイナンス、所在地＝東京都中央区八重洲1-8-17 新槇町ビル内、代表者＝遠藤勇一、資本金＝3億円（授権資本12億円）、株主構成＝第一勧銀5%・第一勧銀関連会社95%、設立＝1984年10月、人員＝当面10人程度。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                    {
                      "fact": "羽倉信也頭取は、銀行の窓口で貸しにくい人や銀行と取引のない人に貸すことが設立のねらいだと述べた",
                      "原文": "銀行の窓口で貸しにくい人のために設立するのがねらいなんです。もちろん、銀行と取引のない人にも貸します。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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              "sub_title": "企業提携ローンという軸",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "商品は非提携と提携の二系統に分かれた。非提携では10万〜50万円の小口無担保ローンを年26.0%、50万〜300万円の無担保ローンを年15.0〜18.0%、不動産やゴルフ会員権などを担保に取る100万円以上を年10.0〜14.5%とする。提携ローンは10万〜300万円で年13.5〜18.0%であった。30万円を1年12回の元利均等で返すと、小口無担保の利息は43,908円となり、銀行のパーソナルローン22,380円より重く、信販の47,412円やサラ金の68,964円より軽い。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "取扱商品は非提携（小口無担保10〜50万円・年26.0%、無担保フリー/目的ローン50〜300万円・年15.0〜18.0%、有担保100万円以上・年10.0〜14.5%）と提携（企業提携・業者提携ローン10〜300万円・年13.5〜18.0%）に分かれた",
                      "原文": "小口無担保ローン 10〜50万円 26.0% 担保不要／無担保フリーローン 50〜300万円 15.0〜18.0% 担保不要／無担保目的ローン 50〜300万円 15.0〜16.0% 担保不要／有担保ローン 100万円〜 10.0〜14.5% 不動産・ゴルフ会員権・有価証券／企業提携ローン 10〜300万円 13.5〜18.0% 担保不要／業者提携ローン 10〜300万円 13.5〜18.0% 担保不要。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                    {
                      "fact": "30万円を1年間12回分割・元利均等で返済する場合の利息合計は、ハートファイナンス26%で43,908円、銀行パーソナルローン13.5%で22,380円、信販28%で47,412円、サラ金40.04%で68,964円であった",
                      "原文": "30万円を1年間12回分割・元利均等で返済する場合、ハートファイナンス26%＝利息合計43,908円、銀行パーソナルローン13.5%＝22,380円、信販28%＝47,412円、サラ金40.04%＝68,964円。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                {
                  "text": "軸に据えられたのは、取引先企業と組む提携ローンであった。第一勧銀が一部上場の取引先を中心に社内融資制度の有無を調べたところ、社員向けの小口融資制度を持つ企業はきわめて少なく、サラ金から多額の借金をして返済に困る社員を抱えて頭を痛める企業も目立った。営業開始の前から提携の「予約」を申し入れる企業もあり、赤沼二己男・信用開発課長は「提携ローンが軌道に乗れば、当面の目標である50億円の融資残高はすぐにも達成できる」と述べている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "第一勧銀の調査では、社員向けの小口融資制度を持つ取引先企業はきわめて少なく、サラ金からの借金で返済に困る社員を抱えて頭を痛める企業も目立ち、営業開始前に提携ローンの「予約」を申し入れる企業もあった",
                      "原文": "第一勧銀が一部上場の取引先企業を中心に社内融資制度の有無を調べたところ、社員向けの小口融資制度を持つ企業はきわめて少なく、サラ金から多額の借金をして返済に困る社員を抱えて頭を痛める企業も目立った。営業開始前に提携ローンの「予約」を申し入れる企業もあった。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                    {
                      "fact": "赤沼二己男・信用開発課長は、提携ローンが軌道に乗れば当面の目標である融資残高50億円はすぐにも達成できると述べた",
                      "原文": "提携ローンが軌道に乗れば、当面の目標である50億円の融資残高はすぐにも達成できる。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "1カ月あまり遅れた開業",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "営業開始は当初の予定より遅れた。1984年12月中旬をめどとしていたが、東京都へのサラ金登録の申請が殺到して事務が混雑し、1カ月あまりずれ込んだ1985年1月28日の開業となる。既存業者をふるいにかける規制が、新たに参入する側の手続きまで滞らせた。当面の店舗は八重洲の本店だけで、1985年度から都内を中心に増やし、2〜3年内に融資残高50億円を積む計画を掲げていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "当初は1984年12月中旬をメドに営業開始と発表したが、東京都へのサラ金登録申請が殺到して事務が混雑し、1カ月あまりズレ込んで1985年1月28日開始となった",
                      "原文": "当初は1984年12月中旬をメドに営業開始と発表したが、東京都へのサラ金登録申請が殺到して事務が混雑し、1カ月あまりズレ込んで1985年1月28日開始となった。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                    {
                      "fact": "当面は東京・八重洲の本店のみで営業し、1985年度から都内を中心に店舗を増やして2〜3年内に融資残高50億円とする計画であった",
                      "原文": "当面は東京・八重洲の本店のみ。1985年度から都内を中心に店舗を増やし、2〜3年内に融資残高50億円にする計画。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                },
                {
                  "text": "開業を待たずに、問い合わせは絶えなかった。中井晶一・広報室課長補佐は「朝1番に広報室へかかってくる電話は必ず消費者金融会社に関する問い合わせですよ」「このところ毎日10件近くも問い合わせがきて、関心の高さにビックリしていますよ」と語っている。想定した借り手は、銀行の窓口では貸しにくい人と、銀行と取引のない人であった。大手サラ金の役員は、大手企業の社員が主な対象なら取引客の層が違うとみて、正面からぶつかる相手とは考えていなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "中井晶一・広報室課長補佐は、毎日10件近くの問い合わせが広報室に寄せられ関心の高さに驚いていると述べた",
                      "原文": "朝1番に広報室へかかってくる電話は必ず消費者金融会社に関する問い合わせですよ。このところ毎日10件近くも問い合わせがきて、関心の高さにビックリしていますよ。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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                    {
                      "fact": "大手サラ金の役員は、ハートファイナンスが大手企業の社員を主な対象としており自社の取引客とは層が違うとみていた",
                      "原文": "大手企業の社員を主な対象としており、われわれの取引客と層が違う。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
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            },
            {
              "sub_title": "他行の距離と、指摘されていた懸念",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "開業の時点で、いくつもの懸念が示されていた。年収が平均を大幅に上回る大企業の部長が借りに来れば、銀行は持ち家で年収も十分と見て融資基準に合格させ、サラ金は他に借りるあてのなくなった人と見て即座に断る。同じ借り手をめぐる見立ては正反対であった。焦げつきの比率も、銀行が1%を大きく下回るのに対し、サラ金では30%以上に達する例がほとんどである。既存のサラ金や信販より低い金利で貸す以上、高金利の返済に困る多重債務者が集まることも見込まれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "銀行とサラ金では融資の選別姿勢が正反対で、銀行の焦げ付き比率は1%を大きく下回るのに対しサラ金は30%以上に達する例がほとんどであり、低利ゆえに多重債務者が殺到することも予想された",
                      "原文": "銀行とサラ金では融資すべきかどうかの選別姿勢が正反対である。年収が平均を大幅に上回る大企業の部長が借りに来た場合、銀行は「持ち家で年収も十分。融資基準合格」と判断するが、サラ金は「他に借りるあてのなくなった人。融資お断り」と即座に断る。コペルニクス的な頭の切り替えが必要だ。銀行の焦げ付き比率は1%を大きく下回るのに対し、サラ金は30%以上に達するケースがほとんど。既存サラ金・信販より低利で貸すため、高金利の返済に困る多重債務者が殺到することが予想される。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "赤沼課長は多重債務者の見分けについて「手抜かりはない」と述べ、設立前に10社近くのサラ金会社に接触してノウハウを蓄え、全国銀行協会連合会や日本割賦協会などの個人信用情報を使う考えを示した。一方、同種の会社をつくった他行はまだない。ある大手都銀の首脳は、興味はあるが銀行のイメージダウンと採算が心配だとして、第一勧銀のお手並みを拝見してから考えると語った。それでも、この一件を機に銀行の消費者金融進出が活発になるとの見通しは、当時から示されていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "赤沼二己男・信用開発課長は多重債務者の回避について「手抜かりはない」とし、設立前に10社近くのサラ金会社に接触してノウハウを蓄積し、全国銀行協会連合会や日本割賦協会などの個人信用情報を活用する考えを示した",
                      "原文": "手抜かりはない。設立前に10社近くのサラ金会社に接触してノウハウを蓄積した。全国銀行協会連合会や日本割賦協会などの個人信用情報を活用し、せいぜい20〜30分のチェックで即座に融資を実行するようにしたい。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "同種の会社を設立した他行はなく「お手並み拝見」の様子見であったが、第一勧銀の設立をきっかけに銀行の消費者金融進出が活発になると予想されていた",
                      "原文": "サラ金会社設立には興味があるんですけど、銀行のイメージダウンになるんじゃないかと心配しているんです。それに採算の問題もありますしね。まあ、第一勧銀さんのお手並みを拝見したうえでジックリ考えますよ。……第一勧銀のサラ金子会社設立をきっかけに、銀行のサラ金進出は活発になることが予想される。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」",
                      "url": null
                    }
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              "sub_title": "5%の出資が示すもの",
              "editorial": true,
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                {
                  "text": "ハートファイナンスに第一勧業銀行が直接出した資本は5%にすぎず、残る95%は関連会社が持った。資金量では日本一を掲げながら、個人への無担保融資では利息制限法の上限も、担保に取れるものも、午後3時に閉まる窓口も動かせない。その制約を外す場所として、本体から一歩離れた会社が選ばれたとみられる。羽倉信也頭取の言う「銀行の窓口で貸しにくい人」という線引きは、銀行そのものを変えずに個人へ貸すための線引きでもあった。"
                },
                {
                  "text": "ただ、この会社が背負った条件は軽くない。焦げつきが1%を下回る世界で育った銀行員が、30%に達する世界の選別を身につけられるかは、開業の時点では見通せなかった。低い金利は、返済に行き詰まった借り手を先に呼び寄せる。店舗は八重洲の一店、人員は10人、2〜3年内に融資残高50億円という目標も、資金量日本一の規模から見ればごく小さい。その後どこまで積めたのかは、本稿が依拠した同時代の記事からは追えない。"
                }
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            }
          ]
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      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1985年1月21日号（No.396）「第一勧業銀行の“サラ金”会社、企業向け提携ローンが軸」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-27"
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      "slug": "soukaiya-scandal-1997",
      "url": "/tse/8311/decisions/soukaiya-scandal-1997/",
      "year": 1997,
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      "stock_code": "8311",
      "decision_id": "8311-soukaiya-scandal-1997",
      "type": "misconduct",
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      "title": "総会屋関係先への融資と大蔵省検査時の隠蔽、経営陣の総退陣と総務部の廃止",
      "subtitle": "本業の融資として12年続いた特別扱いを、なぜ行内のだれも止められなかったのか",
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      "issue": "総会屋との取引と組織の作り直し",
      "decider": "近藤克彦（頭取）・杉田力之（頭取）",
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          "label": "概要",
          "text": "1997年、第一勧業銀行が総会屋への利益供与に問われ、役員40名のうち21名が退任した経営判断。1985年3月に総務部を窓口として始まった融資は延べ69回・総額275億円に達し、二度の大蔵省検査の前には残高を圧縮する工作が行われていた。6月10日、杉田力之常務を新頭取とする首脳の総入れ替えを発表した。"
        },
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          "label": "背景",
          "text": "融資の窓口は営業でも審査でもなく総務部であった。株式担保の掛け目は当初から10割で、大手都銀が優良株でも7割にとどめる慣行から外れている。旧第一と旧勧銀の対等合併に由来する二重の人事のもと、頭取人事の抗争の収拾を外部に頼った前歴が、外からの介入を招く余地を残していた。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "1990年9月と1994年10月の大蔵省検査の直前、迂回融資で残高を減らし、延滞していた金利をノンバンクに肩代わりさせた。1997年6月10日に役員21名の退任と相談役制度の廃止を発表し、7月31日には常務会を廃して経営会議・業務運営委員会・行内業務監査委員会を置き、総務部そのものを廃止した。"
        },
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          "label": "含意",
          "text": "8月6日から実施された行政処分は、法令違反を理由とする銀行への処分として戦後初であった。もっとも格付けは引き下げられず、収益への影響は軽微とされている。処分が数字に表れないことこそ再生を遠ざけるという指摘が、当時から出ていた。"
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          "name": "第一勧業銀行",
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            "note": "1971年の対等合併で発足した都市銀行首位級。旧第一・旧勧銀という二つの出身母体を抱えていた"
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      "dates": {
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        "summary": "総会屋への利益供与事件の摘発を受け、融資の窓口となっていた総務部を廃止し、役員21名の退任と機関設計の変更によって組織を作り直した"
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          "title": "木島力也氏の紹介で総務部が小池嘉矩氏へ1億円を融資。担保時価は8700万円"
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          "title": "大蔵省検査を前にライベックスへ融資を肩代わりさせ、残高を圧縮"
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          "title": "次期頭取と目されていた林裕副頭取ではなく、専務の奥田正司氏が頭取に指名される"
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          "title": "近藤克彦頭取と奥田正司会長が退任を表明"
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          "title": "役員40名のうち21名の退任と、杉田力之常務の頭取就任を発表",
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          "title": "大蔵省が行政処分を決定（8月6日実施）。31日に総務部を廃止し行内業務監査委員会を設置"
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          "title": "総務部を窓口とする雑誌650誌の定期購読と広告出稿の取りやめが明らかになる"
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              "sub_title": "総務部が窓口になった1985年の融資",
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                  "text": "1985年3月、第一勧業銀行の総務部は司法書士の小池嘉矩氏に1億円を融資した。担保の時価は8700万円で、初回から担保を割っている。紹介したのは取引先の元出版社社長で、大物総会屋の木島力也氏であった。村本周三相談役は1997年5月23日、木島氏から「司法書士なので、安心して貸してやってほしい」と紹介されたと証言し、相手が総会屋の関係者であったため扱いに慣れた総務部が対応したと認めている。",
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                      "fact": "1985年3月、木島力也氏の紹介で総務部が小池嘉矩氏へ1億円を融資し、その時点の担保時価は8700万円であった",
                      "原文": "木島力也氏の紹介で小池嘉矩氏へ初めて1億円を融資したのは1985年3月。その時の担保時価は8700万円。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月28日号（No.901）「第一勧銀に巣食った大物総会屋の『呪縛』」",
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                      "原文": "1985年に大物総会屋だった木島力也氏から「司法書士なので、安心して貸してやってほしい」と紹介された。相手が総会屋の関係者だったから、扱いに慣れた総務部が対応した方がいいということになった。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年6月2日号（No.893）「第一勧銀が見せた\"闇の交際\"」",
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                {
                  "text": "融資はここから膨らんだ。小池隆一氏側への融資は1985年から延べ69回、総額275億円に及び、株価が上昇した1987年に急拡大して1989年にピークを迎えている。株式担保融資では大手都銀が優良株でも掛け目を7割にとどめるのが慣行であったが、小池氏側は当初から10割であった。1988年4月に実行され1週間後に返済された36億円は、東証2部上場の小池酸素工業株をめぐる仕手戦の資金になっている。",
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                      "fact": "小池隆一氏側への融資は1985年から延べ69回・総額275億円に及び、1987年に急拡大して1989年にピークを迎えた",
                      "原文": "小池隆一氏側への融資は1985年から延べ69回、総額275億円。株価が上昇した1987年に急拡大し1989年にピーク。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年6月16日号（No.895）「総会屋を育てた第一勧銀の墓穴」",
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                      "原文": "株式担保融資では大手都銀は優良株でも掛け目7割とするのが慣行だが、小池氏側は当初から掛け目10割。1988年4月に実施され1週間後に返済された総額36億円の融資は、東証2部上場の小池酸素工業株をめぐる仕手戦の軍資金になった。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月28日号（No.901）「第一勧銀に巣食った大物総会屋の『呪縛』」",
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              "sub_title": "断れない関係を作った組織のかたち",
              "paragraphs": [
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                  "text": "なぜ断れなかったのかを、個人の資質に帰すのは難しい。旧第一と旧勧銀の対等合併で生まれたこの銀行では、二重の人事が続いていた。1976年ごろ、村本周三氏が頭取に就いた前後に、旧第一のライバルであった篠木達夫副頭取が外部の人間に依頼して巻き返しを試み、騒ぎになりかけたため、井上薫氏らがフィクサー的な人物に収拾を依頼したと首脳経験者が語っている。1991年12月にも、次期頭取と目された林裕副頭取ではなく専務の奥田正司氏が指名され、本人が知ったのは発表の3日前であった。",
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                      "fact": "1976年ごろの頭取人事の抗争で、篠木達夫副頭取の巻き返しを収拾するため井上薫氏らがフィクサー的な人物に依頼したと首脳経験者が証言している",
                      "原文": "村本周三氏（旧第一）が頭取になった頃、ライバルの篠木達夫副頭取（旧第一）が外部の人間に依頼して巻き返しを図り騒ぎになりかけたため、井上薫氏らが「フィクサー的な人物に収拾を依頼した」（首脳経験者）。ここに木島氏が介入する隙が生まれた。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月28日号（No.901）「第一勧銀に巣食った大物総会屋の『呪縛』」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1991年12月、次期頭取と目されていた林裕副頭取ではなく専務の奥田正司氏が頭取に指名され、本人が知ったのは発表の3日前であった",
                      "原文": "1991年12月、次期頭取と目されていた林裕副頭取ではなく、専務だった奥田正司氏が頭取に指名される逆転人事。奥田氏本人が知ったのは発表の3日前。旧勧銀内で林氏に不満を持つグループと旧第一が手を組んだといわれる。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月28日号（No.901）「第一勧銀に巣食った大物総会屋の『呪縛』」",
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                {
                  "text": "木島氏の側にも来歴があった。第一勧銀がメインバンクである神戸製鋼所が1965年に尼崎製鋼を吸収合併した際、株主総会を仕切った関西の大物総会屋の「東京支店長」を名乗っていた人物である。1969年に噴出した第一銀行と三菱銀行の合併話でも、反対する側に立って動いた。近藤克彦頭取は辞任会見で、歴代のトップと親密な「大事な客」という認識が行内にあったと述べている。木島氏は1993年に死去したが、融資は止まらなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "木島力也氏は、神戸製鋼所が1965年に尼崎製鋼を吸収合併する際に株主総会を仕切った関西の大物総会屋の「東京支店長」を名乗っており、1993年に死去した",
                      "原文": "木島力也氏は、第一勧銀がメインバンクである神戸製鋼所が1965年に尼崎製鋼を吸収合併する際、合併推進の総会屋として神戸製鋼の株主総会を仕切った関西の大物総会屋の「東京支店長」を名乗っていた。木島氏は1993年に死去した。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年6月16日号（No.895）「総会屋を育てた第一勧銀の墓穴」",
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                    {
                      "fact": "近藤克彦前頭取は辞任会見で「呪縛」に言及し、歴代のトップと親密な「大事な客」という認識が行内にあったと述べた。木島氏は1969年の第一・三菱の合併話で反対側に立ったとされる",
                      "原文": "「元出版社社長（木島力也氏）の“呪縛”が解けなかった」。５月２３日、近藤克彦・第一勧業銀行前頭取は辞任会見でこう発言した。「歴代のトップと親密である“大事な客”という認識」（同）が、木島氏の虚像を大きくし、彼の紹介で始まった小池隆一関連への融資は、木島氏死後も止むことがなかった……第一銀行の井上薫会長（当時）らは、１９６９年に噴出した三菱銀行との合併話を、児玉氏に阻止してもらった。木島氏は児玉氏について合併阻止に尽力した",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年8月23日号「第一勧銀再生への３つの課題」",
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "二度の大蔵省検査と、残高を消す工作",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1990年9月の大蔵省検査を前に、第一勧銀は融資残高そのものを動かした。新宿西口支店が不動産会社ライベックスへ融資した25億円を迂回させ、うち約20億円を小甚ビルが六本木支店から受けていた融資の返済に、残る約5億円を小池嘉矩氏個人の返済に充てて残高を減らしている。同年10月には検査を逃れるためライベックスに融資を肩代わりさせたが、1992年に引き取った。ライベックスは同年11月に倒産している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1990年9月の大蔵検査の前、新宿西口支店がライベックスへ融資した25億円を迂回させ、約20億円を小甚ビルの融資返済に、約5億円を小池嘉矩氏個人の融資返済に充てて残高を減らした",
                      "原文": "９０年９月の大蔵検査の前に、同行新宿西口支店が不動産会社「ライベックス」に融資した二五億円の融資を迂回する形で、そのうち約二〇億円を小甚ビルが同行六本木支店から受けていた融資の返済に充て、同様に残り約五億円を小池嘉矩容疑者個人の融資返済に回すことで融資残高を減らした。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年6月7日号「一勧・野村をつなぐ深い闇の構図」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1990年10月に大蔵省検査を逃れるためライベックスへ融資を肩代わりさせ、1992年に引き取った。ライベックスは1992年11月に倒産した",
                      "原文": "1990年10月、大蔵省検査を逃れるため中堅デベロッパー「ライベックス」に融資を肩代わりさせたが、1992年に引き取っている。ライベックスは1992年11月に倒産した。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月28日号（No.901）「第一勧銀に巣食った大物総会屋の『呪縛』」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "担保もまた形だけであった。1990年から91年にかけて、ライベックスが山梨県に計画した牧丘カントリークラブの開発へ総額約32億円を融資している。担保の「会員資格保証金証書」は、用地買収も終わらず発行もされていない会員権の引換証にすぎない。1990年10月の15億7000万円が担保割れの分岐点となり、1992年には融資と担保のかい離が70億円に達した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1990〜91年に牧丘カントリークラブの開発へ総額約32億円を融資し、うち1990年10月の15億7000万円が担保割れの分岐点となり、1992年には融資と担保のかい離が70億円に達した",
                      "原文": "1990〜91年にゴルフ場開発（山梨県・牧丘カントリークラブ）へ総額約32億円を融資し、うち1990年10月の15億7000万円が担保割れの分岐点になった。ゴルフ場融資の担保「会員資格保証金証書」は、用地買収も終わらず発行もされていない会員権の引換証にすぎなかった。1992年には融資と担保のかい離が70億円に達した。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月28日号（No.901）「第一勧銀に巣食った大物総会屋の『呪縛』」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1990年に第一勧銀と大和信用が小甚ビル向けに融資した30億円は、ライベックスが山梨県牧丘町に計画したゴルフ場の「会員資格保証金証書」を担保としていた",
                      "原文": "９０年に第一勧銀（と大和信用）が小甚ビル向けに融資した三〇億円は、この「ライベックス」（９２年１１月破産宣告）という不動産会社が山梨県牧丘町に計画していたゴルフ場「ライベックス牧丘カントリークラブ」の「会員資格保証金証書」なるものを担保に融資していた。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年6月7日号「一勧・野村をつなぐ深い闇の構図」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1994年10月の検査でも同じことが繰り返された。小池嘉矩氏が延滞していた金利分約6億円を、関係の深いノンバンクである大和信用から融資させ、検査が終わったあとに第一勧銀が無担保で同額を融資して返済させている。迂回の担い手であった大和信用と後楽園ファイナンスには役員を派遣し、口頭で債務保証していた。利益供与に問われたのは、1994年以降のおよそ117億円の迂回融資部分であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1994年10月の大蔵検査の前、延滞していた金利分約6億円を大和信用から融資させ、検査後に第一勧銀が無担保で同額を融資して返済させた",
                      "原文": "９４年１０月の大蔵検査の前には、小池嘉矩容疑者が支払いを延滞していた金利分約六億円を、第一勧銀と関係の深いノンバンクである大和信用から融資させ、検査が終わったあと、第一勧銀が無担保で同額を小池容疑者に融資、大和信用に返済した。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年6月7日号「一勧・野村をつなぐ深い闇の構図」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "第一勧銀は大和信用・後楽園ファイナンスへ役員を派遣して口頭で債務保証しており、利益供与に問われたのは1994年以降の約117億円の迂回融資部分であった",
                      "原文": "第一勧銀は大和信用・後楽園ファイナンスへ役員を派遣し、口頭で債務保証していた。利益供与に問われたのは1994年以降の約117億円の迂回融資部分。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月28日号（No.901）「第一勧銀に巣食った大物総会屋の『呪縛』」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "1997年6月10日、役員40名のうち21名の退任",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1997年5月23日、近藤克彦頭取と奥田正司会長が退任を表明し、藤田一郎副頭取を頭取に充てる人事が発表された。ところが藤田副頭取は同じ会見で、融資担当役員だった1995年暮れに融資の事実を知りながら頭取に報告しなかったと明かしている。6月10日、東京地検特捜部は審査を担当していた金澤元副頭取ら4人を逮捕し、迂回融資に審査部門まで関与していた構図が明らかになった。同日、第一勧銀は人事をやり直した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "藤田一郎副頭取は5月23日の会見で、融資担当役員だった1995年暮れに融資の事実を知りながら頭取に報告しなかったと述べた",
                      "原文": "５月２３日の記者会見で小池グループへの融資について、近藤頭取と奥田正司会長は昨年１２月ごろに初めて知ったというが、次期頭取候補の藤田一郎副頭取は「融資担当役員だった一昨年（９５年）暮れに知った」という。しかし「このとき、頭取には知らせなかった」。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年6月7日号「一勧・野村をつなぐ深い闇の構図」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "6月10日、東京地検特捜部が審査担当だった金澤元副頭取ら4人を逮捕し、迂回融資に審査部門も深く関与した組織ぐるみの構図が明らかになった",
                      "原文": "東京地検特捜部は総務担当の元常務ら四人の逮捕に続き、６月１０日午後、さらに審査担当だった金澤元副頭取ら四人も逮捕した。これでノンバンクの大和信用を迂回する形をとった巨額の不正融資に審査部門も深く関与した組織ぐるみの犯行であることが明らかになった。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年6月21日号「第一勧銀 首脳「全取り替え」の刷新」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "新頭取に就いたのは、1966年に日本勧業銀行へ入行した54歳の杉田力之常務であった。都市銀行では最年少である。役員40名のうち21名が退任し、藤森鉄雄相談役ら5名の相談役も顧問に就かずに退いたうえ、相談役制度そのものを廃した。銀行は「第三者を参画させた行内調査をもとに、事件への関与が認められない人材を選任し、いわゆる『たすき掛け』人事も排した」と説明している。同じ事件で退任した役員は野村証券が15名であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "役員40名のうち21名が退任し、新頭取に杉田力之常務が就任、相談役5名も完全に退任して相談役制度を廃止した",
                      "原文": "５月２３日に発表した退任人事も含め、役員四〇名のうち二一名が退任することになった。新頭取には杉田力之常務が就任する予定だ……藤森鉄雄相談役ら五人の相談役も顧問につかず、完全に退任する……新人事については「第三者を参画させた行内調査をもとに、事件への関与が認められない人材を選任し、いわゆる『たすき掛け』人事も排した」（第一勧銀）という。また、相談役制度も廃止した。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年6月21日号「第一勧銀 首脳「全取り替え」の刷新」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "事件に絡んで退任した役員は野村証券が15人、第一勧銀は21人であった",
                      "原文": "この事件に絡み退任した役員の数も野村証券が一五人、第一勧銀はこれを上回る二一人と多く、ほぼ総入れ替えの人事を断行した。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年6月28日号「野村・一勧事件がすべてではない」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "戦後初の行政処分と、総務部の廃止",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "8月6日、大蔵省の行政処分が実施に移された。住宅ローンなどを除く新規融資の開拓と、公共債の引き受け・入札を年末まで禁じ、翌1998年8月まで営業拠点の新設を認めない。加えて、日本版ビッグバンで解禁される投資信託の窓口販売と金融持株会社の活用を1年間禁じた。法令違反を理由に銀行が行政処分を受けるのは戦後初である。ある程度厳しい処分を覚悟していた第一勧銀でさえ、この二つの禁止には驚きの声を上げたとされる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "第一勧銀は新規融資の開拓と公共債の引受・入札を年末まで、営業拠点の新設を翌年8月まで、投資信託の窓口販売と金融持株会社の活用を1年間禁じられ、法令違反による銀行への行政処分は戦後初であった",
                      "原文": "第一勧銀には、国内営業所での住宅ローンなどを除く新規融資の開拓と公共債の引き受け・入札を年末まで禁止する。来年８月まで営業拠点の新設を認めないほか、日本版ビッグバン（金融システムの抜本改革）で可能になる信託方式による債権流動化商品の販売や投資信託の窓口販売、金融持ち株会社の活用も一年間禁止する……法令違反を理由に銀行が行政処分を受けるのは戦後初めてであり",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年8月23日号「大蔵省は野村証券・第一勧銀の制裁バランスを優先」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "投資信託の窓口販売と金融持株会社の活用を1年間禁じられたことに、第一勧銀は驚きの声を上げたとされる",
                      "原文": "特に投資信託の窓口販売や金融持ち株会社の活用を一年間禁止したことには、ある程度厳しい処分を覚悟していた第一勧銀でさえ意外感に驚きの声を上げ、ショックを隠し切れない様子だったという。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年8月23日号「大蔵省は野村証券・第一勧銀の制裁バランスを優先」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "7月31日、銀行は経営組織を組み替えた。常務会を廃して経営会議を新設し、その下に業務運営委員会と、通常のラインから独立して法令の遵守を検査する行内業務監査委員会を置いている。総務部そのものも廃止し、5、6人が務めていた総会屋との接触窓口をなくした。総務部を窓口とする雑誌の定期購読も一切やめ、官公庁の出版物を含めて650誌に及んでいる。反社会的との懸念がある取引18件・28億円を洗い出し、新設の社会的責任推進室が3か月で数億円を回収した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "常務会を廃して経営会議を新設し、その下に業務運営委員会と、それを検査する行内業務監査委員会を置いた",
                      "原文": "従来の常務会を廃止し、取締役会によって指名された役員によって構成される「経営会議」を新設し、その下に業務運営全般に責任をもつ「業務運営委員会」と、それをチェックする「行内業務監査委員会」を設置する。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年6月21日号「第一勧銀 首脳「全取り替え」の刷新」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "総務部を廃止して総会屋との接触窓口をなくし、総務部を窓口とする雑誌の定期購読を官公庁の出版物を含め650誌すべて取りやめ、広告出稿もやめた",
                      "原文": "まず、総務部を廃止し、これまで五～六人いた総会屋との接触窓口の職務をなくした。次に総務部を窓口とする雑誌の定期購読を一切やめた。大蔵省や経済企画庁など官公庁の出版物もやめたため、その数は六五〇誌に及んだ。同様に総務部を窓口とする広告出稿もすべて取りやめた。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年11月22日号「第一勧銀 信用回復に向け組織刷新」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "反社会的との懸念がある取引18件・28億円を洗い出し、新設の社会的責任推進室が3か月で数億円を回収した",
                      "原文": "国内全営業部店からリストアップした反社会的との懸念のある取引は一八件、二八億円。これらは新たに設けられた「社会的責任推進室」を中心に回収が進められている。７月の設置以来三ヵ月ですでに数億円の回収を終えている。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年11月22日号「第一勧銀 信用回復に向け組織刷新」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "説明されなかった「呪縛」と、数字に表れない代償",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1981年の商法改正で総会屋への利益供与が禁じられて以降、銀行がこの容疑で摘発された例はなかった。摘発された企業の多くは裏金を渡していたため当局が把握しやすかったのに対し、金融機関と総会屋の癒着は融資という本業での特別扱いであり、膨大な融資案件のなかに埋もれていた。7月30日に公表された行内調査は、総務部だけでなく審査部・支店・営業部までが融資に関与していたことを示している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1981年の商法改正以降、銀行が総会屋への利益供与事件で摘発された例はなく、金融機関と総会屋の癒着は融資という本業での特別扱いのため膨大な融資案件のなかに埋もれていた",
                      "原文": "総会屋への利益供与を禁じた1981年の商法改正以降、銀行が総会屋への利益供与事件で摘発された例はなかった。摘発された企業の多くは「裏金」を渡していたため当局が把握しやすかったのに対し、金融機関と総会屋の癒着は融資という本業での特別扱いであり、膨大な融資案件のなかに埋もれていた。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年6月2日号（No.893）「第一勧銀が見せた\"闇の交際\"」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "7月30日に公表された調査報告は、窓口の総務部だけでなく審査部・支店・営業部など多数の部が融資にかかわっていたことを示した",
                      "原文": "行政処分が発表された７月３０日、第一勧銀は総会屋利益供与事件に関する調査報告を公表した。驚くべきは、窓口であった総務部ばかりでなく、審査部、支店、営業部など多数の部が、この融資にかかわっていたことだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年8月23日号「第一勧銀再生への３つの課題」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "一方、1985年になぜ融資が始まったのかについて、その調査報告は「昭和60年3月、当行取引先元出版社社長から総務部が小池嘉矩氏の紹介を受けた」としか触れていない。事件を経営者個人の問題と見るのか、互いの領分に口を出さない合併行の風土に帰すのか、報告からは判断がつかない。近藤前頭取が辞任会見で語った「呪縛」の中身は、処分が下った日になっても説明されないままであった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "調査報告は1985年に融資が始まった経緯を「昭和60年3月、当行取引先元出版社社長から総務部が小池嘉矩氏の紹介を受けた」としか記さず、経営者個人の問題か合併行の風土の問題かを判断できないと指摘された",
                      "原文": "１９８５年になぜ、小池嘉矩（小池隆一の弟）に対する融資が始まったかについて、報告書は「昭和６０年３月、当行取引先元出版社社長から総務部が小池嘉矩氏の紹介を受けた」としか触れていない。これでは、第一勧銀自身が今回の事件を、経営者個人の問題として位置づけているのか、合併行なるがゆえに、互いの問題には口を出さないという企業風土に問題があったと総括しているのか、判断できない。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年8月23日号「第一勧銀再生への３つの課題」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "大蔵省の処分が下った7月30日に調査報告が公表されたが、「呪縛」の内実は明らかにされなかった",
                      "原文": "７月３０日、大蔵省からの処分が下ったその日に、第一勧銀は今回の不祥事にかかわる社内調査の結果を公表した。そこでは、小池関連への融資の経緯は詳細に報告されたが、肝心の“呪縛”については、何ら明らかにされなかった。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年8月23日号「第一勧銀再生への３つの課題」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "事件が残した数字は大きい。融資の実行総額は約475億円、損失見込みは約72億円で、うち直接の融資が延べ275億円・損失見込み約70億円、後楽園ファイナンスと大和信用を経由する迂回分が延べ約200億円であった。逮捕・起訴は役員を含む11名に及び、元頭取の奥田正司氏は7月4日に逮捕されている。旧第一出身の元会長・宮崎邦次氏は6月に自ら命を絶った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "融資実行総額は約475億円、損失見込み総額は約72億円で、直接ルートが延べ275億円・損失見込み約70億円、後楽園ファイナンス／大和信用を経由する迂回ルートが延べ約200億円であった",
                      "原文": "融資実行総額 約475億円、損失見込み総額 約72億円。内訳は直接ルート のべ275億円（損失見込み 約70億円）、後楽園ファイナンス／大和信用を経由する迂回ルート のべ約200億円（損失見込み 1億数千万円）。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月28日号（No.901）「第一勧銀に巣食った大物総会屋の『呪縛』」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "元頭取の奥田正司氏は1997年7月4日に逮捕され、元会長の宮崎邦次氏は6月に自殺した。事件は11人の逮捕者と1人の自殺者を出した",
                      "原文": "元頭取・奥田正司氏は1997年7月4日に逮捕。元会長・宮崎邦次氏（旧第一出身）は1997年6月に自殺。11人の逮捕者と1人の自殺者を出した。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月28日号（No.901）「第一勧銀に巣食った大物総会屋の『呪縛』」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "それでもムーディーズは格付けを引き下げず、収益への影響はほとんどないという点でアナリストの見方は一致した。危機感を弛緩させるこの状況こそ再生への最大の危機である、と当時の誌面は指摘している。摘発の前年度にあたる1997年3月期には、すでに赤字決算となって自己資本を食い、自己資本比率を低下させた。1999年2月の格下げと公的資金の申請を経て、同行は2000年9月の3行統合へ至った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "行政処分後もムーディーズは格付けを引き下げず、収益への影響はほとんどないというのがアナリストの一致した見方で、危機感の弛緩こそ再生への最大の危機と指摘された",
                      "原文": "行政処分が出ても、ムーディーズ社は、同行の格付けを引き下げなかった。アナリストの見方も、収益への影響はほとんどないという点で、一致している。むしろ、こうした危機感を弛緩させる状況こそが、再生への最大の危機なのである。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年8月23日号「第一勧銀再生への３つの課題」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "第一勧銀は1997年3月期に赤字決算となり、自己資本を食って自己資本比率を低下させた",
                      "原文": "あさひは住宅ローン残高を積み上げリスクアセットが増加、第一勧銀は赤字決算で自己資本を食い、自己資本比率を低下させている。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年6月14日号「都銀 一強八弱一脱落の格差銀行決算」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "本業のなかに置かれた特別扱い",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "株式担保の掛け目を10割にするという一点に、この12年の性格が表れている。大手都銀が優良株でも7割にとどめる慣行を、第一勧銀は小池氏側にだけ外していた。裏金であれば経理に痕跡が残り、当局の目にも触れる。しかし融資は本業であり、稟議も担保も形式だけは整っていたため、275億円の特別扱いは膨大な貸出案件のなかに紛れた。窓口が総務部に固定され、審査部門までがその扱いを追認したことで、行内で異常を指摘する回路が働かなかったとみられる。"
                },
                {
                  "text": "役員21名の退任と総務部の廃止によって、人も窓口も入れ替わった。ただ、7月30日に公表された行内調査は、1985年になぜ融資が始まったのかを、取引先の元出版社社長から紹介を受けたとしか書いていない。近藤前頭取が語った「呪縛」の中身は、最後まで説明されなかった。処分が数字に表れないことこそ再生の障害だという当時の指摘は、二年後の格下げと公的資金の申請で裏づけられた。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 1997年6月7日号「一勧・野村をつなぐ深い闇の構図」",
        "週刊東洋経済 1997年6月14日号「都銀 一強八弱一脱落の格差銀行決算」",
        "週刊東洋経済 1997年6月21日号「第一勧銀 首脳「全取り替え」の刷新」",
        "週刊東洋経済 1997年6月28日号「野村・一勧事件がすべてではない」",
        "週刊東洋経済 1997年8月23日号「第一勧銀再生への３つの課題」",
        "週刊東洋経済 1997年8月23日号「大蔵省は野村証券・第一勧銀の制裁バランスを優先」",
        "週刊東洋経済 1997年11月22日号「第一勧銀 信用回復に向け組織刷新」",
        "日経ビジネス 1997年6月2日号（No.893）「第一勧銀が見せた\"闇の交際\"」",
        "日経ビジネス 1997年6月16日号（No.895）「総会屋を育てた第一勧銀の墓穴」",
        "日経ビジネス 1997年7月28日号（No.901）「第一勧銀に巣食った大物総会屋の『呪縛』」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-27"
    }
  ]
}
