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    {
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      "year": 1972,
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      "decision_id": "8264-low-land-price-policy-1972",
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      "tags": [
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      "title": "商圏規模に比例させた店舗規模と、坪二十万〜三十万円の立地への出店",
      "subtitle": "一等地で高い売上を取るか、安い土地に大きな店を建てるか——規模で劣る会社の出店採算",
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      "issue": "出店基準と投資採算",
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1972年11月、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊社長は日本証券アナリスト協会の企業分析部会で、店舗の規模を商圏の大きさに比例させ、坪当り20万〜30万円の土地に出店するという投資基準を、自社独特の低地価政策として公表した。売上高で業界5〜6位にとどまっていた会社が、1店ごとの採算を作るために選んだ出店の型である。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1965年ごろの時点でダイエーと西友ストアが一歩先を行き、ジャスコ・ニチイ・ユニーは合併で規模を広げていた。1972年のダイエーの年間売上高2,800億円に対し、イトーヨーカ堂は800億円足らずで業界6位にとどまる。国内チェーンストアの資金は地価の値上がりを背景に不動産へ向かいがちで、借入れを重ねて自己資本比率を落とす同業も出ていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "衣料品の専門店を出すには坪当り200万円以上の売上が要るのに対し、イトーヨーカ堂の店舗の多くは坪当り20万〜30万円の場所にあった。店舗の規模は商圏の大きさに比例させ、過大投資を避ける。狙う客層は31歳前後のヤングファミリーで、モータリゼーションの進行を郊外立地の根拠に置いた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "地価を先に決めて、そこから1店あたりの採算を組み立てる方式である。土地を買わずリースを主力にする方針とも重なり、1974年施行の大規模小売店舗法の下でも毎年1店ずつ出店数を増やし、自己資本比率を35.9%まで高めながら売場面積で百貨店を上回る規模に達した。"
        }
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          "name": "イトーヨーカ堂",
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            "note": "東京・北千住の洋品店から総合スーパーへ移行したチェーンストア。1972年9月に東京証券取引所市場第二部へ上場"
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        "summary": "売上規模で先行するダイエー・西友ストアに並ぶ道を取らず、地価の安い立地に商圏規模と釣り合う大型店を置いて1店ごとの採算を作る出店基準"
      },
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          "title": "500坪の店舗を開店。当時として関東周辺で最も大きな店であった"
        },
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          "title": "食料品の取扱いを開始し、衣料中心の店から総合スーパーへ移行"
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          "title": "伊藤雅俊社長が企業分析部会で低地価政策と商圏比例の出店基準を説明",
          "highlight": true
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          "title": "大規模小売店舗法が施行され、大型店の出店に事前調整が必要になる"
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          "title": "総店舗数71店・総売場面積48万8,591平方メートルに到達"
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1972年2月期",
        "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」（過去5年間の業績推移）",
        "companies": [
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            "name": "イトーヨーカ堂",
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            "president": "伊藤雅俊",
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          "section": "background",
          "label": "背景",
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              "sub_title": "規模で先行された会社の位置",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1965年ごろのビッグストア業界では、ダイエーと西友ストアが一歩先を行き、イトーヨーカ堂はその後ろに付いていた。1972年になってもダイエーの年間売上高が2,800億円に達したのに対し、イトーヨーカ堂は800億円足らずで業界6位にとどまっている。ジャスコ、ニチイ、ユニーが合併によって規模を広げるなかで、伊藤雅俊社長は合併にも急拡大にも加わらなかった。規模で並ぶ道を取らない以上、1店ごとの採算で差をつけるほかなかった。",
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                      "fact": "1965年ごろはダイエー・西友ストアが先行し、1972年時点でダイエー2,800億円に対しイトーヨーカ堂は800億円足らずの業界6位であった",
                      "原文": "ビッグストア業界はこの10年余り驚異的な売り上げの伸びを示した。しかし、イトーヨーカドーはこの中では、あまり伸びなかった方である。昭和40年頃ごろは、ダイエー、西友ストアが一歩リードといったところでイトーヨーカドーはそのあとにくっついていた。しかし、現在ではトップのダイエーが、年間売り上げ2800億円の規模になっているのに、イトーヨーカドーは800億円足らずで同業界では6位にとどまっている。第2位の西友ストアに続く、ジャスコ、ニチイ、ユニーが合併で大きくなっていくなかで、伊藤氏はマイペースを守ってきた。",
                      "source": "日経ビジネス 1973年1月8日号「ビッグストア築く\"古い男\"の商人道」",
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                },
                {
                  "text": "その代わり、同社は1店も赤字の店を持たないと言われていた。当時のビッグストア業界では珍しい状態である。売上高の順位は5位前後にとどまる一方、利益の順位はダイエー、丸井に次ぐ3位にあたった。伊藤雅俊社長は自社の税引後利益率1.5%という数字を、米国の小売業が衣料品や雑貨で3〜5%を上げている事実と並べて示している。規模で追わない分、1店あたりの利益で順位を上げていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "イトーヨーカ堂は1店も赤字の店がないとされ、業界では珍しい状態であった",
                      "原文": "しかし、同社の店は、一店も赤字がないという。この業界ではめずらしいことである。",
                      "source": "日経ビジネス 1973年1月8日号「ビッグストア築く\"古い男\"の商人道」",
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                    {
                      "fact": "売上高では業界5位程度だが利益ではダイエー・丸井に次ぐ3位で、税引後利益率は1.5%、米国小売業はノンフードで3〜5%であった",
                      "原文": "利益の点では、アメリカの小売業はノンフッドつまり衣料品とか雑貨で3～5%、食料品で1.5%の利益をあげている。ところが、日本の場合は当社を例にとっても税引後で1.5%である。／業界における当社の地位は、売上げで第5位程度、利益はダイエー、丸井に次いで第3位である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」伊藤雅俊",
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              "sub_title": "商圏の上限と、不動産へ向かう資金",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "チェーンストアが成り立つ商圏の人口は、当時5万人から15万人とされていた。百貨店は都市百貨店で100万〜200万人、成立に必要な商圏でも50万人以上を要する。1970年度の調べでは、10万人商圏の売上規模は衣料が約30億円、住居インテリア関係が30億円、食品が100億円であった。売場を広げれば売れるのではなく、商圏が飲み込める額には上限がある。出店の可否は、この上限と建てる店の規模との突き合わせで決まった。",
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                    {
                      "fact": "チェーンストアの商圏人口は5万〜15万人、百貨店は50万人以上で、10万人商圏の売上は衣料約30億円・住居インテリア30億円・食品100億円であった",
                      "原文": "チェーンストアの商圏人口は普通5万～15万人である。百貨店は、都市百貨店で100万～200万人だが、百貨店が成り立つ商圏は50万人以上である。45年度調べで、10万商圏の売上げは衣料が約30億円、住居インテリア関係(雑貨)が30億円、食品が100億円である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」伊藤雅俊",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730621"
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                {
                  "text": "一方、国内のチェーンストアの資金は、店ではなく土地へ向かいがちであった。伊藤雅俊社長は、米国では店舗がリースのため資金がほとんど商品関係に投じられるのに対し、日本では不動産の値上がりが激しいので資金がそちらへ流れると述べている。過大な借入れによって自己資本比率を落とした同業も出ていた。地価の上昇を利益として当てにする経営が広がるなかで、地価そのものを費用として計算に入れるかどうかが分かれ目になった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "日本のチェーンストアは不動産投資が中心になりがちで、過大な借入れで自己資本比率を落とした同業も出ていた",
                      "原文": "過去のわが国のチェーンストアの実情はどちらかといえば不動産への投資が中心になりがちだったが、アメリカの場合などは、資金は固定資産にあまりまわらない。これはリースになっているからで、ほとんどは商品関係に投じられている。ところが日本では不動産の値上がりが非常に激しいためそちらに向かってしまう。／一部のチェーンストアでは過大な借入れをして、自己資本比率が非常に低くなり、問題になっている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」伊藤雅俊",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "坪二十万円の土地に、商圏に見合う店を建てる",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1972年11月17日、伊藤雅俊社長は日本証券アナリスト協会の企業分析部会で、自社の出店基準を数字で示した。衣料品の専門店を出す場合、坪当り200万円以上の売上がなければ経営は成り立たない。これに対しイトーヨーカ堂の店舗の多くは、坪当り20万〜30万円の場所にあった。これを自社独特の低地価政策と呼んでいる。必要な坪当り売上を引き上げるのではなく、坪当りの土地代を切り下げる。採算の帳尻を、売上側ではなく費用側で合わせていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "衣料専門店は坪当り200万円以上の売上がなければ成り立たないのに対し、イトーヨーカ堂の店舗の多くは坪当り20万〜30万円の場所にあり、伊藤社長はこれを「当社独特の低地価政策」と呼んだ",
                      "原文": "いま衣料品の専門店を出店する場合、坪当り200万円以上の売上げがないと経営は成りたたない。当社の店舗の多くは坪当り20万～30万円の場所にある。これは当社独特の低地価政策によるものである",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」伊藤雅俊",
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                },
                {
                  "text": "安い土地を選ぶだけでは、店は商圏から浮く。そこで規模の側に歯止めが置かれた。店舗面積は1960年の500坪から1966年に1,000坪、1972年には3,000坪が普通になっていたが、伊藤雅俊社長は「店舗の規模は商圏の大きさに比例させないと過大投資になりかねない」と述べ、拡大それ自体を方針とはしなかった。地価の安さで投資額を抑え、商圏の規模で売場面積を決める。二つの制約を掛け合わせた点に、1店あたりの採算があった。",
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                    {
                      "fact": "店舗規模は1960年の500坪、1966年の1,000坪、1972年の3,000坪へ拡大したが、伊藤社長は商圏の大きさに比例させないと過大投資になると述べた",
                      "原文": "第3の時代先取りであるが、35年に開店した500坪の店舗は当時としては関東周辺で最も大きな店であったが、41年には1,000坪、現在では3,000坪が普通になり、さらに拡大の傾向にある。しかし店舗の規模は商圏の大きさに比例させないと過大投資になりかねない。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」伊藤雅俊",
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            {
              "sub_title": "誰に売るか、いつ出るか",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "安い土地に大型店を置く以上、そこに客がいなければ計算は合わない。伊藤雅俊社長が想定したのは、勤めの経験を持つ女性が作る31歳前後のヤングファミリーの世帯であった。この年齢層は男女とも購買力が旺盛で、同時に商品への不満を抱く年齢でもある。「不満のあるところマーケットあり」というのが本人の持論であった。加えて、モータリゼーションが進めば郊外に広い店舗が要るとみており、変化を先取りするタイミングを投資決定の条件に挙げている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "狙う客層は31歳前後のヤングファミリーで、「不満のあるところマーケットあり」が持論であり、モータリゼーションの進行を郊外立地の根拠に置いた",
                      "原文": "ヤングファミリーの年令は31才位であるが、この年令層は男女とも消費購買力が非常に旺盛である。また、商品に不満をもつ年令でもある。不満のあるところマーケットありというのが私の持論である。／今後日本でもモータリゼーションが盛んになると郊外の広い地域に店舗が必要になってくる。このように変化の激しい現代を先取りをするタイミングがわれわれの投資決定の重要な条件となる。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」伊藤雅俊",
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                },
                {
                  "text": "土地に金をかけない方針は、ほかの設備投資にも及んだ。1971年当時、スーパー各社は大型流通センターの建設を競っていたが、イトーヨーカ堂は安易な流通センターづくりがかえってコスト高を招くとして批判的な立場を取り続けた。先に作業の標準化を進め、そのうえで費用の下がる形を考えるという順序である。伊藤雅俊社長は経営を商品経営と企業経営に分け、資金を不動産ではなく商品へ向けることを自社の型として説明していた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "スーパー各社が大型流通センターの建設に乗り出すなか、イトーヨーカ堂は安易な流通センターづくりはコスト高を招くとして批判的な立場を取っていた",
                      "原文": "スーパー各社は最近こぞって大型流通センターの建設に乗り出しているが、同社はかねて安易な流通センターづくりはかえってコスト高を招くとして批判的立場をとってきた。まずIEを導入、コスト低下につながる流通センターのユニークな構想を考え出そうというわけだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1971年12月27日号「スーパーは\"流通ソフトウエア\"で百貨店に立ち向かう」",
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                    {
                      "fact": "伊藤社長は経営を商品経営と企業経営に分け、不動産ではなく商品を中心に資金を向ける方針を掲げた",
                      "原文": "経営を商品経営と企業経営の2つに分け、企業経営とは金銭で判断する経営、商品経営とは商品を中心に考える経営である。／当社は商品中心の経営を進めている。商品経営の基本は「顧客に学ぶ」姿勢である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」伊藤雅俊",
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          "section": "outcome",
          "label": "結果",
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              "sub_title": "大店法の下でも減らなかった出店",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1974年3月に大規模小売店舗法が施行され、10大都市では売場面積3,000平方メートル以上の店舗が、商業活動調整協議会の検討を経なければ開けなくなった。それでも出店数は、1973年の6店から1974年7店、1975年8店、1976年9店、1977年10店と1店ずつ増えている。毎年二桁の出店をしていた他社が一桁に落ち込む例も出ていた。長岡喜法専務は、建設の前に地元との話し合いを済ませる方針を取ったと説明している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "大店法施行後もイトーヨーカ堂の出店は1973年6店・1974年7店・1975年8店・1976年9店・1977年10店と増え、他社には二桁から一桁へ落ちた例もあった",
                      "原文": "当社の出店状況をみると、大店法が施行された前年の48年に6店舗、施行後は49年に7店舗、50年に8店舗、51年に9店舗、52年に10店舗となっており、売場面積は前年比25～29%の割合で増えている。これでみると、大店法の影響はほとんどないようだが、他社ではそれまで毎年2ケタ出店だったのが、とたんに1ケタに落ち込んだケースもある。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1977年11月号「多角的な業務展開で躍進続く——出店をめぐる困難も克服」長岡喜法",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730677"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "出店を止めなかった結果、売場面積の順位が入れ替わった。1976年の総売場面積は約41万平方メートルに達し、三越の27万平方メートル、高島屋・大丸・松坂屋の15万〜18万平方メートルを上回った。翌1977年8月末には71店・48万8,591平方メートルに達している。売上高は1972年2月期の約498億円から1977年2月期の3,164億5,400万円へ、5年で6倍を超えた。同期の経常利益は100億6,600万円であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1976年の総売場面積は約41万平方メートルで、三越の27万平方メートル、高島屋・大丸・松坂屋の15万〜18万平方メートルを上回った",
                      "原文": "当社の総売場面積は、伝統ある三越の27万平方米、高島屋、大丸、松坂屋の15～18万平方米、伊勢丹の10万平方米を凌駕し、この数年間で約41万平方米の大きな店が建てられたのは、本当に株主の出資した資本のおかげだと考えている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1976年10月号「小売業の現点に立って」伊藤雅俊",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730665"
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                    {
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                      "原文": "上期中に開店した6店舗の売場面積は合計3万8,394で、これを合わせた総店舗数は71店舗、総売場面積は48万8,591m2となった。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1977年11月号「多角的な業務展開で躍進続く——出店をめぐる困難も克服」長岡喜法",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730677"
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                    {
                      "fact": "1977年2月期の売上高は3,164億5,400万円、経常利益は100億6,600万円であった",
                      "原文": "本年2月期(51年3月1日～52年2月28日)決算で売上高は3,164億5,400万円(前期比増加率24.7%)、経常利益は100億6,600万円(同22.9%)、税引後利益は51億5,500万円(同33.7%)となっている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1977年9月号「小売業界のリーダーめざす——成長余力の大きさが強味」伊藤雅俊",
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                {
                  "text": "安い土地を選ぶ方針は、土地を持たない方針とも重なっていた。1977年時点でイトーヨーカ堂は店舗の多くをリースで確保しており、長岡専務はその理由を、日本では土地が高く全部を買い取れば巨額の資金が要るためだと説明している。インフレへの備えでは不利になると認めたうえで、地価が落ち着いてきたので今買っても多くは期待できないと述べ、リースを主力に続けると明言した。買わずに済ませた資金は、5年で65店という出店計画へ回された。",
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                    {
                      "fact": "リースを主力とする理由について、長岡専務は土地が高く買い取ると巨額の資金が必要になるためと説明し、今後もリースを主力にすると述べた",
                      "原文": "わが国では土地が高いので、全部買い取るとなると巨額の資金が必要になる。インフレヘッジの点ではたしかにマイナスだが、最近は地価も鎮静してきたので、今買っても多くは期待できない。もうひとつ、日本の特殊事情で土地は借すが売りたくないという気風もある。／全部をリースというわけにもいかないが、今後もリースを主力にやっていきたい。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1977年11月号「多角的な業務展開で躍進続く——出店をめぐる困難も克服」長岡喜法",
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                    {
                      "fact": "今後5年間に65店を出店する計画で、毎年300億円以上の資金調達を要すると見込んでいた",
                      "原文": "こうして当社は、今後も毎年2ケタ出店を続けていき、来年を含む5年間に65店舗の出店を計画しており、すでにそれぞれの物件を用意している。／今後5年間に65店を出店するためには、毎年どうしても300億円以上の資金を調達しなければならない。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1977年11月号「多角的な業務展開で躍進続く——出店をめぐる困難も克服」長岡喜法",
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                },
                {
                  "text": "財務の数字にも表れた。上場前に13%であった自己資本比率は1977年に35.9%となり、同年7月に米国で5,000万ドルの転換社債を発行した際にはスタンダード・アンド・プアーズからA格の評価を受けている。もっとも伊藤雅俊社長自身は、この成長を自社の力に帰さなかった。1976年の講演では、流通風土の遅れと大衆消費社会の形成を挙げ、「追い風の中での経営」であったことが成功の原因ではなかったかと述べている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1977年の自己資本比率は35.9%で、同年7月に米国で発行した5,000万ドルの転換社債はスタンダード・アンド・プアーズからA格の評価を受けた",
                      "原文": "当社は本年7月、アメリカで5,000万ドルの転換社債を発行した。／代表的な格付機関である\"スタンダードアンドプアー社\"によって\"A格\"に評価されたが、実はどうなるか心配だった。当社の自己資本比率は35.9%で日本の会社としてはかなり高いが",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1977年9月号「小売業界のリーダーめざす——成長余力の大きさが強味」伊藤雅俊",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730675"
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                    {
                      "fact": "伊藤社長は成長の理由を流通風土の遅れと大衆消費社会の形成に求め、「追い風の中での経営」であったと述べた",
                      "原文": "この成功は当社の力だけではなく、流通風土が非常におくれていたことと、大衆消費社会ができつつあることによる。むしろ追い風の中での経営であり、特に小売業にとっては環境がよかったことは確かで、これが当社の成功の原因ではなかったかと思う。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1976年10月号「小売業の現点に立って」伊藤雅俊",
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                {
                  "text": "衣料品の専門店は坪当り200万円以上を売らなければ成り立たない——伊藤雅俊社長がアナリストの前でこの相場を挙げたのは、自社の店の多くが坪当り20万〜30万円の土地にあることを言うためであった。売上を積んで高い地価を吸収するのではなく、地価の低い場所を選んで吸収すべき額を減らす。規模でダイエーや西友ストアに届かない会社が1店も赤字の店を持たずに済んだのは、店ごとの採算を土地の値段の側から作っていたためだとみられる。"
                },
                {
                  "text": "安い土地を選ぶ判断は、その土地がやがて商圏になるという前提の上に立っていた。前提が動けば、同じ低地価の立地は人の来ない立地に変わる。伊藤雅俊社長自身、成長の理由を流通風土の遅れと大衆消費社会の形成に求め、「追い風の中での経営」であったと述べていた。1970年代の出店の速さを支えた条件を、自社の力と切り分けて語っていた。この型が効いたのは、地価の上昇と郊外化が同時に進んだ時期に限られる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」伊藤雅俊（日本証券アナリスト協会企業分析部会 1972年11月17日 講演要旨）",
        "証券アナリストジャーナル 1976年10月号「小売業の現点に立って」伊藤雅俊（同 1976年9月3日 講演要旨）",
        "証券アナリストジャーナル 1977年9月号「小売業界のリーダーめざす——成長余力の大きさが強味」伊藤雅俊（同 1977年7月29日 講演要旨）",
        "証券アナリストジャーナル 1977年11月号「多角的な業務展開で躍進続く——出店をめぐる困難も克服」長岡喜法（同 1977年10月21日 講演要旨）",
        "日経ビジネス 1971年12月27日号「スーパーは\"流通ソフトウエア\"で百貨店に立ち向かう」",
        "日経ビジネス 1973年1月8日号「ビッグストア築く\"古い男\"の商人道」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-27"
    },
    {
      "slug": "business-reform-1982",
      "url": "/tse/8264/decisions/business-reform-1982/",
      "year": 1982,
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      "title": "業務改革（業革）の開始と、セブン－イレブン方式の単品管理・仮説検証の本体への導入",
      "subtitle": "店を増やして伸ばすか、一品ずつの中身を作り替えるか——上場以来初の経常減益に鈴木敏文副社長が出した答え",
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          "text": "1983年2月期の上場以来初の経常減益を受け、イトーヨーカ堂が1982年から着手した社内呼称「業革」（業務改革）。当時副社長の鈴木敏文氏が主導し、子会社セブン－イレブン・ジャパンで確立した単品管理と仮説検証の手順を、総合スーパー本体の商品政策と組織へ移した。"
        },
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          "label": "背景",
          "text": "1979年の大規模小売店舗法改正で大型店の出店規制が強まり、独占していた既存店の周辺にも競合店が並んだ。店を増やして売上を伸ばす方式が使えなくなる一方、店頭には売れていた時代の仕入れ方が残り、売れない商品のロスは利益の3倍に達していた。"
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          "text": "業革会議では現場情報を出し、分析し、仮説を立て、店舗で試し、検証する。この循環を繰り返した。本部バイヤーの人数は減らし、仕入れる者と売る者が情報を共有する形に改めた。減益のさなかでも衣料のカラーサンプルや商品写真といった情報の費用は削らなかった。"
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          "text": "売れない商品のロスは利益の3倍から同額まで下がった。一方で改革に終点はなく、着手11年後の1994年2月期は再び減益に落ち、鈴木敏文社長は1998年に「半分できたかどうか」と自己採点している。量を追わない選択は、その後の出店政策そのものを縛った。"
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                  "text": "1981年2月期のイトーヨーカ堂は、経常利益229億6800万円で三越を抜き、小売業で日本一に立っていた。売上高6879億6700万円はダイエーに次ぐ業界2位で、4年で売上を倍増させながら、自己資本比率は33.33%と大手スーパーのなかで最も高い。数字のうえでは非の打ちどころがない。それでも伊藤雅俊社長は、チェーンストアの売上の伸びが「バッタリ止まってしまった」と述べ、危機感を隠さなかった。",
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                      "fact": "1981年2月期のイトーヨーカ堂は経常利益229億6800万円で三越を抜き小売業首位、売上高6879億6700万円で業界2位、自己資本比率33.33%は大手スーパー中最高だった",
                      "原文": "現に、前2月期の決算をみても、ヨーカ堂の業績は堂々たるもの。経常利益は229億6800万円と三越を抜いて小売業界日本1になったし、売上高でも6879億6700万円で、ダイエーに次ぎ業界第2位の座を確保している。4年間で売上高を倍増させる急成長を遂げたにもかかわらず、自己資本比率は33.33％と大手スーパー中最高。",
                      "source": "日経ビジネス 1981年8月10日号「イトーヨーカ堂 減退する“商人道”にトップの危機感も」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "伊藤雅俊社長は、小売業の市場環境が急激に変わりチェーンストアの売上の伸びが止まったと語っていた",
                      "原文": "最近、小売業の市場環境が急激に変わり、チェーンストアの売り上げの伸びはバッタリ止まってしまった。",
                      "source": "日経ビジネス 1981年8月10日号「イトーヨーカ堂 減退する“商人道”にトップの危機感も」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "伸びが止まった理由は、店をどれだけ開けるかにあった。1979年の大規模小売店舗法改正で大型店の出店規制は強化され、イトーヨーカ堂もかつてのような急速出店は望めなくなる。加えて、地域市場を事実上独占していた既存店の周辺へ、他社が店を構え始めた。西友ストアーと競合する店の比率は1972年の15%から1981年には22%へ上がり、ダイエーとマルエツの提携も「ヨーカ堂包囲」と呼ばれた。スーパー業界は食い合いに入っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1979年の大規模小売店舗法改正以来、大型店の出店規制が強化され、イトーヨーカ堂も急速出店を望めなくなった",
                      "原文": "消費市場は完全に安定成長時代に入り、石油ショック後も続いたスーパー各社の高成長は、明らかに頭打ちになった。54年の大規模小売店舗法改正以来、大型店の出店規制は強化され、ヨーカ堂も、かつてのような急速出店は望めなくなった。仮りに出店しても他の大手スーパーと競合するケースがふえ、かつては地域市場を“独占”していた既存店の周辺に、他社が出店してくるようになった。",
                      "source": "日経ビジネス 1981年8月10日号「イトーヨーカ堂 減退する“商人道”にトップの危機感も」",
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                    {
                      "fact": "西友ストアーと競合する店舗の比率は1972年の15%から1981年には22%へ上がり、スーパー業界は食い合いの時代に入った",
                      "原文": "同じ関東を拠点とする西友ストアーとの店舗の競合度合は、47年にはヨーカ堂全店舗のうち15％だったが、56年現在では22％にふえている。ダイエー、マルエツの提携も「ヨーカ堂包囲」に照準を定めている。スーパー業界は「食い合いの時代」に突入したのである。",
                      "source": "日経ビジネス 1981年8月10日号「イトーヨーカ堂 減退する“商人道”にトップの危機感も」",
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            },
            {
              "sub_title": "店頭に残った「売れていた時代」の仕入れ方",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "店を増やせないなら、一つの店の中身で稼ぐほかない。だが売れ筋は地域ごとに異なり、同じ地域でも環境が変われば一変する。ある店で品切れになったドレスを客が1枚注文しても、問屋の配送単位は10枚で、量販店の経営理論に従えば1枚の追加発注はコストが高くてできない。仕入れの判断は本部の理屈で決まり、売場からは動かせない。伊藤雅俊社長は自社の店舗に1店たりとも満足していないと語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "売れ筋は地域や環境で一変するが、量販店の経営理論では1枚だけの小口追加発注はコストが高くてできず、現場の商品担当者の判断が必要になっていた",
                      "原文": "たとえば、ある店で品切れとなったドレスを1人のお客が注文した。この商品の問屋からの配送単位は1回10枚。チェーンシステムによる量販店経営理論を応用すれば、1枚だけの小口追加発注はコストが高くついてできない。しかし、この商品が新たな売れ筋になると現場の商品担当者の判断が働けば話は別である。",
                      "source": "日経ビジネス 1981年8月10日号「イトーヨーカ堂 減退する“商人道”にトップの危機感も」",
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                    {
                      "fact": "伊藤雅俊社長は自社の店舗に1店たりとも満足していないと述べ、従業員が客という原点を忘れていると語った",
                      "原文": "正直に言うと、私は自社の店舗には1店たりとも満足してない。最近の小売業の従業員は、お客様という原点を忘れているんですよ。",
                      "source": "日経ビジネス 1981年8月10日号「イトーヨーカ堂 減退する“商人道”にトップの危機感も」",
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                },
                {
                  "text": "そして1983年2月期、イトーヨーカ堂は上場以来初の経常減益に落ちた。当時副社長だった鈴木敏文氏が原因に据えたのは、景気でも競合でもなく、社内に残る「売れていた時代」の価値観であった。伸びる市場を前提に組み立てた発想とやり方をそのまま続ける限り、環境が反転した先で数字は戻らない。減益は、その前提がすでに崩れていたことを損益計算書の側から示していた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "イトーヨーカ堂は1983年2月期に上場以来初の経常減益となり、その危機感を契機に業革が始まった",
                      "原文": "イトーヨーカ堂は、８３年２月期に上場以来初の経常減益となった。「業革」は、その危機感を契機として開始された。",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年2月22日号「イトーヨーカ堂の『業革』と『カイゼン』」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "鈴木敏文氏は業革の会議で、売れていた時代の価値観・発想・やり方をすべて捨てろと店長クラスに迫った",
                      "原文": "「これまでの“売れていた時代”の価値観、発想、やり方をすべて捨てろ」",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年2月22日号「イトーヨーカ堂の『業革』と『カイゼン』」",
                      "url": null
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "子会社の会議形式を親会社へ持ち込む",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1982年、イトーヨーカ堂は業務改革、社内呼称「業革」に着手した。持ち込まれたのは、子会社セブン－イレブン・ジャパンが毎週開いていたフィールドカウンセラー会議の形式である。まず店舗など現場の情報を出し、分析し、仮説を立てる。仮説は店舗で実行し、検証する。市場の変化から情報、仮説、検証へと進むこの循環を、鈴木敏文副社長は本体の会議の骨格に据えた。1997年の時点で鈴木敏文社長は、この運動を15年にわたって続けてきたと述べている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "業革会議は現場情報から仮説を立て店舗で検証する循環で、原型はセブン－イレブンのフィールドカウンセラー会議とみなされている",
                      "原文": "「業革」会議では、最初に店舗などの現場情報が出される。情報が分析され、仮説が打ち出される。そして、その仮説は、店舗の現場で実行され、検証がなされる。「市場の変化→情報→仮説→検証」、これを二〇年以上も続けている。／セブン−イレブンでは、毎週、「全体会議」といえるＦＣ（フィールドカウンセラー）会議が行われている。店舗（＝現場）に起こっている情報をダイレクトにぶつけ、その対策、仮説を打ち出す。ＦＣ会議は、イトーヨーカ堂の「業革」の原型と見なされている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年2月22日号「イトーヨーカ堂の『業革』と『カイゼン』」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "鈴木敏文社長は1997年5月の時点で、業務改革の運動を一五年にわたって続けてきたと述べた",
                      "原文": "市場の変化はバブルの間は勢いでかき消されていたが、実は一〇年以上前からジワジワと始まっていた。それに気づいていたからこそ、イトーヨーカドーグループは一五年にわたって業務改革の運動を続けてきた。これも、お客の変化についていくための実力をつけるためだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年5月24日号「単なるシェア至上主義は自滅につながる インタビュー イトーヨーカ堂社長 鈴木敏文」",
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                },
                {
                  "text": "減益の年に始めた改革でありながら、鈴木敏文副社長が守らせたのは経費を削らないという一点であった。電車で間に合うところをタクシーで行くことは禁じる。その一方、衣料の発注書に「赤」と文字だけ書いていたのを改め、カラーサンプルを付け、商品を全部写真に撮って配布させた。費用は跳ね上がる。それでも情報に対するコストだけは惜しんではいけない、と言い続けた。減益のさなかに真っ先に削られる費目を、逆に増やしている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "鈴木敏文氏は、減益を機に始めた業革で情報に対するコストだけは惜しむなと言い続け、衣料の発注書にカラーサンプルや商品写真を付けさせた",
                      "原文": "業革は以前、イトーヨーカ堂が減益になった時に始めたのですが、情報に対するコストだけは惜しんではいけないと言い続けた。電車で間に合うところへタクシーに乗って行くようなことは絶対してはいけない。しかし、衣料ならば、それまでは「赤」と文字だけで書いていたのを、きちんとカラーサンプルをつける。あるいは、全部写真を撮って配布する。これにはものすごいコストがかかるわけですが、情報化時代なのだから、情報は絶対重視すべきだと思って、やってきた。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月7日号「編集長インタビュー 鈴木敏文氏［イトーヨーカ堂社長］仮説を立て検証し変化に対応 経験頼みでは縮小均衡に陥る」",
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            {
              "sub_title": "仕入れの判断を売場へ戻す",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "組み替えたのは会議だけではない。鈴木敏文氏が置いた原則は、同じ一人の人間が仕入れて、その人間が売るのが商売の原点である、というものであった。仕入れる者と売る者は常に情報を共有していなければならない。そのために本部の商品バイヤーの数はバブル期から減らし続けた。人数が多ければ情報は共有できない。重要なポジションほど人間を減らせ、質で量は生めても量で質は良くできない、と語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "鈴木敏文氏は仕入れる者と売る者が情報を共有すべきだとして、重要なポジションほど人員を減らす方針を採り、商品バイヤーの数をバブル期から減らし続けた",
                      "原文": "私は、同じ一人の人間が仕入れて、その人間が売るというのが商売の原点だと言っているんです。商品を仕入れる者と売る者は、常に情報を共有していなければならない。／それと、人数が多かったら、情報が共有できません。だから、重要なポジションほど人数を減らす。商品のバイヤーの数は、バブルの時代からどんどん減らしています。／質で量を生むことはできても、量で質を良くすることは不可能です。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月7日号「編集長インタビュー 鈴木敏文氏［イトーヨーカ堂社長］仮説を立て検証し変化に対応 経験頼みでは縮小均衡に陥る」",
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                },
                {
                  "text": "道具は1985年12月に揃った。POSレジスターが全店へ入り、売れた商品を1品目ずつつかむ土台が本体にもできる。ただし鈴木敏文氏はPOSを単純な機械でしかないと切り捨て、商品政策が固まっていなければそのデータは実態を表さないとした。組織上も、業務改革プロジェクトは営業本部や管理本部の下ではなく、企画室と並んで社長直属に置かれている。会議で店長を怒鳴りつける鈴木敏文氏は「鬼」と呼ばれ、会社を去る者まで出た。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1985年12月にPOSレジスターを全店に導入した",
                      "原文": "昭和60年12月、POSレジスターを全店に導入。",
                      "source": "イトーヨーカ堂 有価証券報告書（第48期）【沿革】",
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                    },
                    {
                      "fact": "鈴木敏文氏はPOSを単純な機械でしかないとし、商品政策が整っていなければそのデータは実態を表さないと述べた",
                      "原文": "ＰＯＳなんて、単純な機械でしかない。ところが、ＰＯＳから出てきたデータを、どうしても使いたがるんです。しかし、マーチャンダイジングがきちんとしていなかったら、そのデータは実態を表していないんです。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月7日号「編集長インタビュー 鈴木敏文氏［イトーヨーカ堂社長］仮説を立て検証し変化に対応 経験頼みでは縮小均衡に陥る」",
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                    },
                    {
                      "fact": "1985年時点の組織図で、業務改革プロジェクトは企画室・カンパニーコミティと並んで社長直属に置かれていた",
                      "原文": "業務改革プロジェクト／企画室／カンパニーコミティ／社長／取締役会（イトーヨーカ堂組織図。営業本部・管理本部とは別に社長直属で並記）",
                      "source": "日経ビジネス 1985年8月5日号「強さの研究 イトーヨーカ堂 建て前を本音で実践する儲けの美学」",
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                    {
                      "fact": "鈴木敏文氏は業革の会議で現場のたたき上げの店長クラスを怒鳴りつけ、反発から会社を去る者まで出て「鬼」と呼ばれた",
                      "原文": "鈴木は、「業革」の会議で、現場のたたき上げの店長クラスをどなりまくった。／百戦錬磨の店長クラスにとっては、身もふたもない。オロオロするしかないような話である。鈴木に対する反発は相当に強かったし、ついには会社を去る者まで出た。「鈴木は鬼だ。いや、鬼以上だ」、と。",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年2月22日号「イトーヨーカ堂の『業革』と『カイゼン』」",
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            }
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        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "ロスの比率と、終点を持たない改革",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "業革の効き目は、売れ残りの量で測られた。伊藤雅俊社長は1992年に、1980年代初めには売れない商品のロスが利益の3倍ほど出ていたが、単品レベルで在庫管理を徹底した結果1対1まで比率が下がった、と語っている。利益の3倍を捨てていた会社が、10年で利益と同じ額まで絞った。ただし同じ場で、従来の管理手法を続けているだけならこの比率は再び上がる、とも述べている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1980年代初めに利益の3倍ほど出ていた売れ残りのロスは、単品レベルの在庫管理の徹底により1992年時点で利益と同水準まで下がった",
                      "原文": "1980年代初めは、売れない商品のロスが利益の3倍くらい発生しましたが、単品レベルで在庫管理を徹底し、今では1:1へ比率は下がっています。しかし、従来の管理手法を続けているだけでは、この比率は再び上昇すると思います。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年10月5日号「編集長インタビュー 伊藤雅俊氏［イトーヨーカ堂社長］小売業経営はプロの時代に」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "その警告は、そのまま次の数字で裏づけられる。1992年7月に開いた仙台泉店は好評だったが、それでも売れない商品が4割出て膨大なロスが発生し、一方で売れる商品は品切れになった。1994年2月期、イトーヨーカ堂は11年ぶりの減益に落ちる。前回の減益から業革を続けて、ちょうど11年である。鈴木敏文社長はこの時点で業務改革はまだ不十分だと認め、自分でも反省し今も業革を言い続けている、と述べた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1992年7月に開店した仙台泉店は好評だったが売れない商品が4割出て膨大なロスが発生し、売れる商品は品切れとなった",
                      "原文": "7月、仙台市に仙台泉店をオープンしたところ、たいへん好評でした。それでも売れない商品が4割出たんです。その中から膨大なロスが発生する。一方、売れる商品は品切れとなる。売れないものを置く、売れるものが足りない、両方とも機会損失です。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年10月5日号「編集長インタビュー 伊藤雅俊氏［イトーヨーカ堂社長］小売業経営はプロの時代に」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1994年2月期にイトーヨーカ堂は11年ぶりの減益となる見通しとなり、鈴木敏文社長は業務改革がまだ不十分だと認めた",
                      "原文": "問　イトーヨーカ堂は今期こそ11年ぶりの減益になる見通しですが、利益の水準はまだ高いし、これまで素晴らしい数字を残してきたわけですからね。／問　業務改革はまだ不十分だというわけですか。／答　そうです。だから、自分でも反省し、今も業革を言い続けているのです。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月7日号「編集長インタビュー 鈴木敏文氏［イトーヨーカ堂社長］仮説を立て検証し変化に対応 経験頼みでは縮小均衡に陥る」",
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                {
                  "text": "業革は出店政策そのものも縛った。鈴木敏文社長は1997年、シェアは商品の質を上げた結果として付いてくるものであり、店数を競うのは順序が逆だと述べている。引き合いに出したのは、セブン－イレブンの本家である米サウスランド社が8000店まで広げたあげく倒産した経緯であった。自身もセブン－イレブンで年間300店を出す計画を、店の質が伴わないとして200店で止めている。ヨーカ堂本体の出店も、質を優先して抑えてきた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "鈴木敏文社長はシェアは質の向上の結果だとし、米サウスランド社が8000店まで拡大して倒産した例を挙げ、セブン－イレブンでも年間300店の計画を200店で止めたと述べた",
                      "原文": "シェアはもちろん大切だが、飽くまで質を向上させることの結果が、シェア拡大につながるという考え方でなくてはならない。／セブン‐イレブンの本家であるアメリカのサウスランド社は、店数を競って八〇〇〇店まで拡大したあげく倒産した。／私はセブン‐イレブンを日本で出店する過程で、将来何店を目標とすると口にしたことは一度もない。常に意識してきたのは、一つ一つの店をきちんとつくっていく、ということだ。年間三〇〇店出す計画だったのを、店の質が伴っていない、として二〇〇店でやめたことさえある。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年5月24日号「単なるシェア至上主義は自滅につながる インタビュー イトーヨーカ堂社長 鈴木敏文」",
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                      "fact": "イトーヨーカ堂は商品づくりの質を上げることに集中し、質の重視から出店をセーブしてきたと鈴木敏文社長は説明した",
                      "原文": "この数年は、商品づくりの質を上げることに集中してきた。まだ満足できる水準ではないが、ある程度のメドがついた。出店スピードを上げる、というのではなく、むしろ今までは質の重視という点から出店をセーブしてきたと見てほしい。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年5月24日号「単なるシェア至上主義は自滅につながる インタビュー イトーヨーカ堂社長 鈴木敏文」",
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                  "text": "改革には終点がなかった。1998年、鈴木敏文社長は「小売業＝変化対応業」と言い続けてきた結果ヨーカ堂にもようやくその意識が浸透し、商品企画に真面目に取り組み始めたとしつつ、あるべき姿からすれば半分できたかどうかだ、と自己採点している。2003年になっても、まだ徹底してやれていない、客の変化に対応しきれていない、と語った。着手から20年を超えて、業革は運動のまま続いた。",
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                      "fact": "鈴木敏文社長は1998年、小売業は変化対応業だという意識がヨーカ堂にようやく浸透したとしつつ、あるべき姿からすれば半分できたかどうかだと述べた",
                      "原文": "私は「小売業＝変化対応業」と一つ覚えのように言ってきた。ヨーカ堂ではようやくその意識が浸透し、商品企画にまじめに取り組むようになってきた。ただ、「あるべき」姿からすれば半分できたかどうかだが。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年3月7日号「インタビュー イトーヨーカ堂社長 鈴木敏文 クビの心配をなくすのが先決だ」",
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                      "fact": "2003年時点でも鈴木敏文社長は、売れていた時代のDNAを捨てきれておらず、まだ徹底してやれていないと述べていた",
                      "原文": "イトーヨーカ堂は売れていた時代のスーパーのＤＮＡを引きずっている。そのＤＮＡを変えるのは大変だ。スーパーのＤＮＡを捨てきれていない。まだ、徹底してやれていない。お客の変化に対応しきれていない。変化への対応をいかに本気でやり続けるか、だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年2月22日号「イトーヨーカ堂の『業革』と『カイゼン』」",
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                  "text": "減益の年に会社がまずやることは経費を削ることである。鈴木敏文副社長が業革で守らせたのは、その逆であった。タクシーは禁じる。しかし衣料の発注書に「赤」と文字だけ書いていたのをやめ、カラーサンプルを付け、商品を全部写真に撮って配らせる。費用は跳ね上がる。売れ筋を本部の理屈ではなく売場の目でつかむには、その情報の費用が要る。仕入れる者と売る者を一人の人間に近づけるための投資であった。"
                },
                {
                  "text": "業革は成果を約束しなかった。売れない商品のロスは利益の3倍から同額まで下がったが、着手11年後の1994年2月期には再び減益に落ち、1992年に開いた仙台泉店では好評のさなかで売れない商品が4割出ている。鈴木敏文社長自身が1998年に半分できたかどうかだと述べ、2003年でも、まだ徹底してやれていないと語った。20年続けてなお改革と呼び続けたところに、この判断の性格が表れている。"
                }
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      "references": [
        "日経ビジネス 1981年8月10日号「イトーヨーカ堂 減退する“商人道”にトップの危機感も」",
        "日経ビジネス 1985年8月5日号「強さの研究 イトーヨーカ堂 建て前を本音で実践する儲けの美学」",
        "日経ビジネス 1992年10月5日号「編集長インタビュー 伊藤雅俊氏［イトーヨーカ堂社長］小売業経営はプロの時代に」",
        "日経ビジネス 1994年3月7日号「編集長インタビュー 鈴木敏文氏［イトーヨーカ堂社長］仮説を立て検証し変化に対応 経験頼みでは縮小均衡に陥る」",
        "週刊東洋経済 1997年5月24日号「単なるシェア至上主義は自滅につながる インタビュー イトーヨーカ堂社長 鈴木敏文」",
        "週刊東洋経済 1998年3月7日号「インタビュー イトーヨーカ堂社長 鈴木敏文 クビの心配をなくすのが先決だ」",
        "週刊東洋経済 2003年2月22日号「イトーヨーカ堂の『業革』と『カイゼン』」",
        "イトーヨーカ堂 有価証券報告書（第48期）【沿革】"
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      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-27"
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      "title": "バブル期の不動産投資とエクイティファイナンスの見送り、手元現金の積み増し",
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          "text": "1980年代後半から1990年代を通じて、イトーヨーカ堂が不動産の含み益に依存する経営を採らず、バブル期の投資話に乗らず、新株発行を伴う資金調達も見送って、手元現金を厚く保った資本・財務上の選択。1992年10月の伊藤雅俊社長のインタビューで、その考え方が対外的に示された。"
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          "text": "必要な土地しか買わず、株価が上がっていた時期にもワラント債などを発行せず、取引先への決済は現金で行い、出店ではリースを使って投資を抑えた。規律を測る指標には連結の株主資本利益率15%を掲げ、事業の幅も広げなかった。"
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          "title": "2002年2月期に営業活動から1,984億円の現金を稼ぎ、手元現金5,500億円前後・手元流動性59日を維持"
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                  "text": "バブル期の日本の小売業は、地価の上昇を前提に出店の資金を組み立てていた。土地を買って店を建て、値上がりした土地を担保にして次の借入を起こす。ダイエーはその典型で、土地から仕込む出店形態を取っていた。含み益を持たないイトーヨーカ堂は、この物差しで測れば見劣りする会社であった。伊藤雅俊社長は後年、当時は「不動産を持っていないことが、イトーヨーカ堂の弱点のように言われていました」と振り返っている。",
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                  "text": "伊藤雅俊社長の見方は、この相場観と逆であった。不動産の含みを持つ会社が高い評価を受けること自体を疑い、土地で含みを持つことは顧客の土地を奪うことにならないかと考えていた。兄からは「地主のようなことをしてはいけない」と言われ、それ以来、土地にこだわらないようにしてきたという。松下幸之助氏が土地は天下のものだと語っていたという話も引きながら、本業の商いに専念するのが小売業の仕事だとして、土地に手を出さない線を引いていた。",
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                      "原文": "私はかつて、兄から「地主のようなことをしてはいけない」と言われ、それ以来、土地にこだわらないようにしてきました。松下幸之助さんは、土地は天下のものであって、土地で儲けるようなことはしたくない、と言っていたそうです。私も、本業の商いに専念するのが私どもの仕事だと思って、土地に手を出さないようにしていました。",
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                  "text": "この見方は、バブル期に急ごしらえで出てきたものではなかった。株式を上場した1972年、伊藤雅俊社長は証券アナリスト向けの講演で、日本のチェーンストアは資金が商品ではなく不動産へ向かいがちであり、これは「チェーン経営の大きな問題点」であると述べている。同じ講演では、過大な借入で自己資本比率が非常に低くなったチェーンストアに触れ、上場前に13%だった自社の比率を、欧米の小売業並みの40〜50%へ近づける道筋も説明していた。",
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                      "fact": "1972年の講演で伊藤雅俊社長は、日本のチェーンストアの資金が不動産へ向かうことを「チェーン経営の大きな問題点」と述べた",
                      "原文": "過去のわが国のチェーンストアの実情はどちらかといえば不動産への投資が中心になりがちだったが、アメリカの場合などは、資金は固定資産にあまりまわらない。（中略）ところが日本では不動産の値上がりが非常に激しいためそちらに向かってしまう。商品中心の経営でなく、これはチェーン経営の大きな問題点である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」（伊藤雅俊 イトーヨーカ堂社長）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730621"
                    },
                    {
                      "fact": "一部のチェーンストアは過大な借入で自己資本比率が非常に低くなっており、イトーヨーカ堂は上場前13%・上場後20%から欧米小売業の40〜50%へ近づけようとしていた",
                      "原文": "一部のチェーンストアでは過大な借入れをして、自己資本比率が非常に低くなり、問題になっている。欧米の小売業の自己資本比率は40〜50%といわれている。当社の場合は、上場前は13%であったが上場後は20%となり、今後時価発行を行なえば自己資本比率は30%台になって、欧米の小売店に近づく。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」（伊藤雅俊 イトーヨーカ堂社長）",
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                },
                {
                  "text": "支払いの作法も、同じ考えで揃えていた。チェーンストアは一般に60日から90日の手形で決済していたが、イトーヨーカ堂は取引先へすべて現金で払っていた。銀行は貸してくれないもの、取引先は商品を卸してくれないものと思え——伊藤雅俊社長が母親から受け取ったこの教えは、担保を持たない洋品店時代の実感に根ざしている。借りた金は必ず返すもの、社員の給料は毎月払うものという前提に立てば、手元に現金を置く以外の道は残らなかった。",
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                    {
                      "fact": "チェーンストアが一般に60日から90日の手形で決済していたのに対し、イトーヨーカ堂はすべて現金決済であった",
                      "原文": "代金の支払にしてもチェーンストアは一般に60日〜90日の手形で決済しているが、当社はすべて現金決済である。これも質の経営に対する当社の姿勢である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」（伊藤雅俊 イトーヨーカ堂社長）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730621"
                    },
                    {
                      "fact": "伊藤雅俊氏は母親から、銀行は貸してくれないもの、取引先は卸してくれないものと思えと教わり、借りた金は必ず返し社員の給料は毎月払うという前提で経営を考えていた",
                      "原文": "お客様は来てくれないもの、取引先は商品を卸してくれないもの、銀行は貸してくれないものだと思え、という教えです。（中略）借りたカネは必ず返すもの、取引先への支払いはきちんとするもの、社員の給料は毎月払うものと考えたら、経営とはそんな生やさしいものではないことがわかる。",
                      "source": "日経ビジネス 2002年1月21日号「有訓無訓 母親に教わった商人の原点「ないない尽くし」の贈り物」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "必要なものしか買わない",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "バブルの最中、イトーヨーカ堂は不動産にも金融商品にも手を出さなかった。伊藤雅俊社長は後年、必要な坪数だけ買えば足りるところを、その土地の含みで儲けようという考え方がどの企業にもあったと述べ、「私は、それはやらなかった。必要なものしか買わなかったですね」と語っている。頼りになるのは現金しかないことが骨身に染みていたため、バブルの時も一切投資話には乗らなかったともいう。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "土地の含みで儲けようという考え方がどの企業にもあったが、伊藤雅俊社長はそれをやらず、必要なものしか買わなかったと述べている",
                      "原文": "その土地の含みで儲けようという考え方はどの企業にもあったんですよ。私は、それはやらなかった。必要なものしか買わなかったですね。",
                      "source": "日経ビジネス 2000年1月31日号「泡沫（バブル）証言編 伊藤雅俊［イトーヨーカ堂名誉会長］「含み」で儲けようとすると顧客を失う」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "伊藤雅俊氏は、頼りになるのは現金しかないことが骨身に染みていたため、バブルの時も一切投資話に乗らなかったと述べている",
                      "原文": "頼りになるのは現金しかないということが骨身に染みていましたから、バブルの時も一切投資話などには乗らなかった。",
                      "source": "日経ビジネス 2002年1月21日号「有訓無訓 母親に教わった商人の原点「ないない尽くし」の贈り物」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "調達の側でも同じ抑制が働いた。株式相場が上昇していたころ、同社は新株発行を伴う資金調達に手をつけていない。1992年10月、伊藤雅俊社長はその理由を「株価はいずれ下落すると思っていました。ワラント債でも発行していたら、株主にご損をかけたでしょうね」と説明した。1972年の上場にあたって幹事証券会社の担当者へ「あまり高い株価をつけてくれるな」と頼んだのと、同じ考え方に立っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "株式相場が上昇していたころもエクイティファイナンスを行わず、伊藤雅俊社長は株価はいずれ下落すると考えていたと説明した",
                      "原文": "問　株式相場が上昇していたころにエクイティファイナンス（新株発行を伴う資金調達）をやりませんでしたね。／答　株価はいずれ下落すると思っていました。ワラント債でも発行していたら、株主にご損をかけたでしょうね。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年10月5日号「編集長インタビュー 伊藤雅俊氏［イトーヨーカ堂社長］小売業経営はプロの時代に」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "上場時に伊藤雅俊氏は幹事証券会社の担当者へ「あまり高い株価をつけてくれるな」と頼んだ",
                      "原文": "イトーヨーカ堂が上場した時、私は幹事証券会社の担当者に「あまり高い株価をつけてくれるな」と頼みました。「上場する企業の社長から株価を下げてくれと言われたのは初めて」とあきれられましたが、使い道のないカネを持っていてもしょうがないでしょう。",
                      "source": "日経ビジネス 2002年1月21日号「有訓無訓 母親に教わった商人の原点「ないない尽くし」の贈り物」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "一業専念という物差し",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "含みを追わない代わりに、伊藤雅俊社長は事業の幅も広げなかった。1992年10月のインタビューでは、多角化は保護の行き届いた途上国の企業がすることだと言い切り、上位企業でも利益を上げにくい時代に何でもやる器用なことはできないと述べている。同社が売る商品の平均価格は食品が250円、住居関連が700円、衣料が2000円で、中産階級を相手に日銭商売を続けてきた会社であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "伊藤雅俊社長は多角化を「保護の行き届いた途上国の企業がすること」と述べ、何でもやる器用なことはできないとした",
                      "原文": "多角化は保護の行き届いた途上国の企業がすることなんです。（中略）上位企業でも利益を上げにくい時代に、何でもやる器用なことはできません。トライアスロンのような多種競技で万能な人はいますけど、一つひとつのスコアはいいでしょうか。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年10月5日号「編集長インタビュー 伊藤雅俊氏［イトーヨーカ堂社長］小売業経営はプロの時代に」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "同社の商品の平均価格は食品250円、住居関連700円、衣料2000円で、中産階級を相手にした日銭商売であった",
                      "原文": "わが社が売っている商品の平均価格は食品が250円、住居関連が700円、衣料が2000円で、中産階級の人々を相手に日銭商売を続けてきました。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年10月5日号「編集長インタビュー 伊藤雅俊氏［イトーヨーカ堂社長］小売業経営はプロの時代に」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "規律を測る指標には、株主資本利益率を据えていた。同じインタビューで示された目標は連結ベースで15%、前期の実績は12%程度である。必要な投資は行うという前提で投資利益率の基準を満たすには、売上代金の回収から取引先への支払いまでに生じる回転差資金を使い、出店はリースで抑える循環が要った。なお同じ1992年、同社は総会屋への利益供与事件に直面し、伊藤雅俊社長は引責辞任している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "伊藤雅俊社長は株主資本利益率を重視し、連結ベースで15%を目標に掲げ、前期の実績は12%程度であった",
                      "原文": "問　そういう厳しさの中で、収益力を保たなければならない。伊藤さんは株主資本利益率（ROE）を重視していますよね。／答　ROEは連結ベースで15%が目標ですが、前期は12%くらいでした。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年10月5日号「編集長インタビュー 伊藤雅俊氏［イトーヨーカ堂社長］小売業経営はプロの時代に」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "投資利益率の基準を満たすため、回転差資金を活用し、出店はリースの活用で最小限に抑える経営循環を採っていた",
                      "原文": "同社の場合、必要な投資は必ず行うというディシプリンがある。ＲＯＩ基準達成には、必然的にキャッシュフローを重視せざるをえない。（中略）売り上げてから取引先への代金支払いの期間に生じる余裕資金（回転差資金）の活用、そして店舗投資をどう調整するかだ。（中略）支出の最大項目である出店はリースの活用によって最小限にとどめるというのがイトーヨーカ堂の経営循環だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年10月18日号「特集 バブルからの生還（第2部）ＣＦ（キャッシュフロー）で分かる本当の実力」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "伊藤雅俊氏は総会屋事件で社長を引責辞任した",
                      "原文": "伊藤名誉会長には、総会屋事件で社長を引責辞任したこと、また、伊藤家が事件に深くかかわっていたことが心の傷となっている。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年5月1日号「独り勝ちイトーヨーカ堂の死角「鈴木カリスマ経営」後の大いなる不安」",
                      "url": null
                    }
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "批判された手元現金が効いた",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "厚い手元現金は、当時から批判の的であった。米国式の経営から見れば過大なほどの現金を抱えていたため、資金効率が悪いという指摘を受けている。それでも伊藤雅俊名誉会長は、会社と従業員を守る義務があり、万一に備えておくのが経営者の役目だとして方針を変えなかった。日経平均株価が最高値をつけた1989年の年末には、静岡銀行の平野繁太郎相談役から「キャッシュというのは大切なんですよ。それでいいんですよ」と言われている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "イトーヨーカ堂は米国式の経営から見れば過大なほどの現金を持ち、資金効率が悪いという批判を受けたが、伊藤雅俊氏は会社と従業員を守る義務があるとして方針を変えなかった",
                      "原文": "ただし、米国式の経営から見れば、イトーヨーカ堂は過大なくらいにキャッシュを持つようにしていました。資金効率が悪くなるという批判もいただきました。ですが、私は会社や従業員を守る義務があります。万一に備えておくのが経営者の役目だと思ってキャッシュを厚めに持っていました。",
                      "source": "日経ビジネス 2000年1月31日号「泡沫（バブル）証言編 伊藤雅俊［イトーヨーカ堂名誉会長］「含み」で儲けようとすると顧客を失う」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "日経平均株価が最高値をつけたころ、静岡銀行の平野繁太郎相談役はイトーヨーカ堂が現金を豊富に持つ方針を是認した",
                      "原文": "私は静岡銀行の平野繁太郎さん（当時相談役）に会って会社の現状について説明しました。ちょうど日経平均株価が最高値をつけ、バブル経済の絶頂のころでした。（中略）平野さんは、イトーヨーカ堂がキャッシュを豊富に持つようにしていることについて、「伊藤さん、キャッシュというのは大切なんですよ。それでいいんですよ」と言ってくれました。",
                      "source": "日経ビジネス 2000年1月31日号「泡沫（バブル）証言編 伊藤雅俊［イトーヨーカ堂名誉会長］「含み」で儲けようとすると顧客を失う」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "差が数字で見えたのは、10年後であった。2002年2月期、イトーヨーカ堂は523億円の純利益に対し、営業活動から1,984億円の現金を稼ぎ、期末の手元現金を5,500億円前後に保っている。同じ期のダイエーは2,963億円の赤字を計上し、子会社株式の売却などで返済資金を捻出して、手元現金は1,456億円まで減った。短期の支払い能力を示す手元流動性は、イトーヨーカ堂の59日に対しダイエーは21日であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2002年2月期、イトーヨーカ堂は純利益523億円・営業キャッシュフロー1,984億円で、手元現金は5,500億円前後を維持した",
                      "原文": "２００２年２月期、ヨーカ堂は五二三億円の純利益を稼ぎ出した。（中略）ヨーカ堂は、営業活動から一九八四億円のキャッシュを稼ぎ出したことがわかる。（中略）ヨーカ堂が、一定して五五〇〇億円前後のキャッシュポジション（現金および現金同等物の期末残高）を維持している。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年6月1日号「特集 決算書に強くなる キャッシュフロー「虎の巻」イトーヨーカ堂・ダイエー比較でマスターする」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "同じ期のダイエーは2,963億円の赤字で手元現金は1,456億円まで低下し、手元流動性はイトーヨーカ堂59日に対しダイエー21日であった",
                      "原文": "ダイエーの場合、０２年２月期決算は、二四〇〇億円を超す巨額のリストラ費用が響き、二九六三億円の赤字に沈んだ。（中略）ダイエーは二六四〇億円ものキャッシュが流出、キャッシュポジションは一四五六億円まで低下してしまった。（中略）手元流動性を計算すると、ヨーカ堂が五九日であるのに対し、ダイエーは二一日しかない。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年6月1日号「特集 決算書に強くなる キャッシュフロー「虎の巻」イトーヨーカ堂・ダイエー比較でマスターする」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "含みを持たないという費用",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "必要なものしか買わなかった、という伊藤雅俊氏の一言は、バブル期の経営としては地味に響く。しかし1972年の講演で、日本のチェーンストアの資金が商品ではなく不動産へ流れることを「チェーン経営の大きな問題点」と名指していた人物が、20年後に同じ理由で投資話を断っている。含みを持たない財務は、好況のあいだは弱点と呼ばれ、資金効率の悪さとしても批判された。それを20年変えなかったところに、この判断の芯がある。"
                },
                {
                  "text": "現金を厚く持つこと自体が競争力になったわけではない。2002年2月期に5,500億円規模の手元現金を保てたのは、営業活動から1,984億円を稼ぐ本業があったからで、順序は逆にならない。伊藤雅俊氏が掲げた連結15%という株主資本利益率の目標も、前期の実績は12%程度にとどまっていた。含みを追わない財務が、地価の反転したときに会社を守る側で働いたことは数字に表れている。それが成長を生む側でも同じだけ働いたかどうかは、この時期の計数からは読み取りにくい。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1972年12月号「スーパーチェーン業界とイトーヨーカ堂」（伊藤雅俊 イトーヨーカ堂社長）",
        "日経ビジネス 1992年10月5日号「編集長インタビュー 伊藤雅俊氏［イトーヨーカ堂社長］小売業経営はプロの時代に」",
        "週刊東洋経済 1997年10月18日号「特集 バブルからの生還（第2部）ＣＦ（キャッシュフロー）で分かる本当の実力」",
        "週刊東洋経済 1999年5月1日号「独り勝ちイトーヨーカ堂の死角「鈴木カリスマ経営」後の大いなる不安」",
        "日経ビジネス 2000年1月31日号「泡沫（バブル）証言編 伊藤雅俊［イトーヨーカ堂名誉会長］「含み」で儲けようとすると顧客を失う」",
        "日経ビジネス 2002年1月21日号「有訓無訓 母親に教わった商人の原点「ないない尽くし」の贈り物」",
        "週刊東洋経済 2002年6月1日号「特集 決算書に強くなる キャッシュフロー「虎の巻」イトーヨーカ堂・ダイエー比較でマスターする」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-27"
    }
  ]
}
