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  "title": "伊勢丹の歴史概略",
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      "start_year": 1886,
      "end_year": 1933,
      "main_title": "神田の呉服店から、新宿への移転という賭け",
      "subsections": [
        {
          "title": "伊勢屋丹治呉服店と「帯と模様の伊勢丹」",
          "text": "伊勢丹は明治19年（1886年）、東京神田の伊勢屋丹治呉服店として始まった。創始者の小菅丹治氏は神奈川県に生まれ、上京して伊勢庄呉服店に入り、のちに神田佐久間町の米穀商・伊勢屋の養子となって分家し、神田旅籠町に呉服店を開いた。社名は養家の屋号「伊勢屋」の伊勢と、自身の名の丹治から一字ずつを取ったものである。社章の枠の丸は太陽と人間的な円満を、枠内の「伊」は店名の頭文字を表す。同じ百貨店の系譜のなかで、越後屋（三越の前身）が1673年、大丸が1717年の創業であるのに対し、伊勢丹の出発は明治に入ってからで、200年以上遅い。\n\n後発の店が名を上げた足場は、品揃えの絞り込みにあった。積極的な販売政策と斬新な宣伝を重ねた結果、伊勢丹は「帯と模様の伊勢丹」という評判を得る。呉服の全般ではなく帯と柄で覚えられた店だった点は、後年に「ファッションの伊勢丹」と呼ばれる性格の最初の形にあたる。大正5年に初代が没し、二代目小菅丹治氏が襲名して翌6年に合名会社へ改組し、百貨店化へ向かった。創業から30年で個人商店から会社組織へ移り、扱う品目を広げる段に入っている。すべてを揃える老舗と正面から競うのではなく、覚えてもらえる一点を作る売り方だった。この一点への絞り込みは、のちの伊勢丹が繰り返す手法にあたる。",
          "references": [
            {
              "title": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
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              "title": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「概説」",
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            {
              "title": "有価証券報告書（株式会社伊勢丹・第123期）【沿革】",
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                "fact": "明治19年創業の伊勢丹呉服店に始まる。創始者の小菅丹治は神奈川県に生まれ、上京して伊勢庄呉服店に入り、神田佐久間町の米穀商・伊勢屋の養子となって分家し神田旅籠町に呉服店を開設した",
                "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
                "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3043712",
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                "fact": "「現在の伊勢丹の名称は、伊勢屋の「伊勢」と丹治の「丹」を配して店名としたもので、また社章の枠の丸は太陽を表わすとともに人間的な円満さを意味し、枠内の伊は店名の頭文字を採つたものである」",
                "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
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                "fact": "呉服店起源の系譜はいとう呉服店（松坂屋の前身）1611年、越後屋（三越の前身）1673年、大丸1717年、高島屋1831年",
                "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「概説」",
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                "fact": "「爾来忠実服業の精神のもとに積極的な販売政策と斬新的な宣伝方策をもつて、漸次店礎の確立強化に努めた結果、「帯と模様の伊勢丹」の名声を得るに至り」",
                "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
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                "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
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        {
          "title": "関東大震災による壊滅と、神田という立地の限界",
          "text": "大正12年の関東大震災で、伊勢丹は壊滅状態に陥った。翌13年4月に復興再建して百貨店形態の店舗を開いたが、この店は地の利が悪かった。『会社銀行八十年史』はその評価を明記しており、伊勢丹は再建した直後から次の進出地を探し始めている。同じ震災で本店を焼失した三越は、被災地に開いた応急マーケットをそのまま新宿・銀座の支店に育てた。両社は同じ災害から反対の結論を引き出している。三越は東京の各所に店を増やす方向へ、伊勢丹は神田を捨てて一箇所に賭ける方向へ進んだ。片方は東京に面を取り、片方は一点に賭けた。どちらが正しいとも当時は言えなかったであろう。\n\n探していた土地は、新宿のもと三福の地で見つかった。借地権買収の交渉が成立したことを受け、伊勢丹は昭和5年9月に株式組織へ改組し、資本金50万円で新発足した。会社の形を変えた理由が新店舗の用地取得だった点に、この時期の判断の順序が出ている。組織を整えてから出店先を探したのではなく、出店先が決まったから株式会社にしている。1930年の新宿は、震災後の郊外電車の発達によって人の流れが変わりつつある途中にあった。すでに確立した商業地ではない場所へ、会社の全額を賭ける判断だった。借地権の買収という形をとったのは、自前の土地を買う資力が震災後の伊勢丹に無かったためとも読める。",
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              "title": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
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            {
              "title": "有価証券報告書（株式会社伊勢丹・第123期）【沿革】",
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                "fact": "「しかし十二年の関東大震災により壊滅状態に陥り、翌十三年四月復興再建したが地の利が悪く、このため鋭意発展への進出地を物色中」",
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                "fact": "三越は関東大震災の応急策として市内各地にマーケットを開設し、これがのちに新宿・銀座両支店を開設する機縁となった",
                "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「三越」",
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        {
          "title": "神田店の閉店と、新宿へ本社を移した1933年",
          "text": "昭和8年9月、新宿の本館が竣工すると同時に神田店を廃止し、本社を新宿へ移して営業を始めた。創業から47年を過ごした土地を、新店舗の開業と引き換えに手放している。二店を並べて様子を見る形は採らず、神田を閉じることで新宿へ資源を集めた。後年の伊勢丹が新宿本店に売上と粗利の過半を集める構造は、この一度の移転で決まっている。震災で壊れた店を再建し、その再建した店を9年で閉じるという二段の判断があってはじめて、新宿の伊勢丹が成立した。創業の地を残したまま新店を試す余裕は、震災で壊滅した会社に無かったとも読める。退路を断つ形の移転だった。\n\n移転の判断が正しかったかどうかは、その後の増床の速さに表れている。昭和10年6月に隣接のほてい屋を買収し、同年12月に資本金を400万円へ増やして11年3月に増築工事を終え、営業面積は1万余坪に達した。新宿へ移ってからわずか3年で、売場は本館竣工時の規模を大きく超えている。12年7月には第三期の増築へ着手したが、日華事変の進展にともなう商業部門の統制強化を受け、13年4月に4階までで工事を中止した。拡大の速度は会社の判断ではなく、外の事情で止められた。隣接する競合を買い取って売場に変える手法は、のちの岩田屋の子会社化にも通じる。",
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              "title": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
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                "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
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                "fact": "昭和8年9月に神田店を閉店し、新宿に新店舗を開店した",
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    {
      "start_year": 1934,
      "end_year": 1971,
      "main_title": "進駐軍の接収から、東京山の手随一の百貨店へ",
      "subsections": [
        {
          "title": "本店3階以上の接収と、10年ぶりの全館新装",
          "text": "終戦にともない、伊勢丹は本店の3階以上を進駐軍に接収された。売場の大半を使えない状態のまま、昭和23年5月に資本金を2,000万円へ増資し、同年12月には池袋駅東口に支店建設地を購入している。使える売場が限られる時期に、次の店の土地を買っていた。27年3月に本店隣接地1,700余坪を買収し、同年2月には立川市曙町に立川店を開いた。接収が解けたのは28年4月で、10年ぶりの解除を受けて同年10月に全館の新装開店にこぎつけた。上層階を取られた店で、伊勢丹は残った下層階だけで商いを続けた。使える面積が戻らないうちに次の土地を確保する判断は、戦後の混乱期としては早い動きにあたる。\n\n全館を取り戻してからの動きは速い。昭和29年6月に本店隣接地へ老舗街売場を開き、同年9月に本店駐車場を整備し、30年2月には本店西側の増築工事へ着手した。完成すれば1万6,000余坪となり、東京山の手随一の百貨店が出現すると『会社銀行八十年史』は書いている。資本金は数次の増資を経て28年12月に2億円、30年5月期の売上高は40億7,000万円だった。同じ時期の三越は資本金18億6,000万円、1954年の年間総売上高248億円である。伊勢丹の40億7,000万円は5月期の数字で通年ではないため単純な比較はできないが、規模の差は大きく、伊勢丹はまだ東京の一角の店にとどまっていた。",
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            {
              "title": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
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            {
              "title": "有価証券報告書（株式会社伊勢丹・第123期）【沿革】",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 1998年7月11日号「小柴和正 伊勢丹社長・日本百貨店協会会長 百貨店に淘汰の時代が来る」",
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                "fact": "終戦にともない本店3階以上を進駐軍に接収された。昭和23年5月に2,000万円へ増資、同年12月に池袋駅東口へ支店建設地を購入、27年3月に本店隣接地1,700余坪を買収、28年4月に10年ぶりの接収解除、同年10月に全館新装開店した",
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                "fact": "昭和27年2月に立川店を開店した",
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                "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
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                "fact": "三越の資本金は昭和29年12月に18億6,000万円、昭和29年の年間総売上高は248億円だった",
                "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「三越」",
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          ]
        },
        {
          "title": "株式の登録・上場と、中央線沿線という商圏",
          "text": "株式は昭和25年3月に東京証券取引所の店頭市場へ登録し、36年10月に市場第一部へ上場した。三越が1949年5月の東証開設と同時に上場したのに対し、伊勢丹の一部上場は12年後にあたる。43年9月には新宿店の新館を開設した。この新館が、35年後にメンズ館として同社の代表的な売場になる建物である。35年4月には新宿店の西側にパーキングビルを設けており、鉄道で来る客だけでなく車で来る客も想定に入れていた。上場の時期が三越より12年遅れたことは、この時期の両社の規模差をそのまま表している。新館の開設は、増床ではなく既存の建物の使い方を変える投資の先例にもなった。\n\n店を置いた場所には一貫性がある。46年11月に吉祥寺店、49年4月に松戸店、56年4月に浦和店、そして59年4月に新潟伊勢丹を開いた。のちに小柴和正社長は「何といっても新宿を起点とする中央線沿線が当社の一番の商圏です」と述べ、関東圏以外への出店は考えないと明言している。新宿という一点を選んだ1933年の判断が、以後半世紀の出店範囲を規定していた。三越が全国に支店網を敷いて信用を広げたのに対し、伊勢丹は商圏を絞って一つの商圏での密度を高めた。同じ業種で正反対の広げ方が並んでいる。",
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              "title": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
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              "title": "週刊東洋経済 1998年7月11日号「小柴和正 伊勢丹社長・日本百貨店協会会長 百貨店に淘汰の時代が来る」",
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                "source": "週刊東洋経済 1998年7月11日号「小柴和正 伊勢丹社長・日本百貨店協会会長 百貨店に淘汰の時代が来る」",
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      "start_year": 1972,
      "end_year": 1998,
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        {
          "title": "シンガポールから中国へ広げた海外の店",
          "text": "昭和47年1月、伊勢丹は海外第一号店としてシンガポール伊勢丹を開いた。国内の商圏を関東に絞る一方で、最初の店外進出は東南アジアへ向かっている。以後の出店先は平成2年10月のクアラルンプール、4年4月のバンコク、5年6月の上海華亭、5年12月の天津、9年6月の上海梅龍鎮、17年9月の済南と続き、19年5月に成都、20年2月に瀋陽へ及んだ。国内では中央線沿線を出ないと述べていた会社が、海外では20年をかけて東南アジアから中国内陸まで店を置いている。国内と海外で、出店の判断基準が別に立てられていた。\n\n国内側でも、この時期に売場の性格を変える投資が続いた。昭和60年9月に新宿へパークシティイセタン1、63年11月に同2を完成させ、平成元年2月には決算期を11月期から3月期へ変更している。61年11月には創業百周年を迎えた。9年9月にはジェイアール京都伊勢丹を開き、関東の外にも店を持った。ただし小柴社長はこれを例外と位置づけ、関東圏以外への出店は今後もないと述べている。京都の店は駅ビルへの参画であり、自前で商圏を開く出店とは別の形をとっていた。駅ビルへの参画は、自前で商圏を開く出店とは資本と危険の負い方が違う。関東を出ないという方針と京都への出店は、この違いによって両立していた。",
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                "fact": "昭和47年1月にシンガポール伊勢丹（海外第一号店）、平成2年10月にクアラルンプール、4年4月にバンコク、5年6月に上海華亭、5年12月に天津、9年6月に上海梅龍鎮、17年9月に済南、19年5月に成都、20年2月に瀋陽の各伊勢丹を開店した",
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          "text": "昭和62年6月、伊勢丹は新クレジットシステム「アイカード」を導入した。自社カードで顧客を把握する仕組みは、のちに同社の情報システムの土台になる。小柴社長は1998年の時点で、百貨店の売上には品切れによる機会ロスが1割ほどあると述べ、店頭管理の精度を上げるだけで売上は上がるはずだと語った。同社が情報化投資に力を入れた理由は、新しい売り方の発明ではなく、すでに来ている客に売り逃していた分を取り戻すことにあった。カードで顧客を識別できれば、誰がいつ何を買ったかが単品の水準で残る。伊勢丹が後年に他社へ提供した商品情報システムは、この蓄積の上に立っている。\n\n低収益の理由についても、同社の見立ては明確だった。小柴社長は百貨店として売上高経常利益率3%は欲しいと述べつつ、これが突破できない壁になっていると認めている。1997年度の伊勢丹の経常利益率は2.9%だった。原因は委託仕入れによる粗利配分の低さにあり、返品リスクをアパレル側が持つ以上、リスクのないところに利益はないという理解である。買い取り比率は売上4,320億円の5%程度で、10%にすれば432億円分の在庫負担が生じるため急には増やせないと述べた。粗利率の改善は、意思ではなく在庫を持つ体力の問題として語られている。",
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        {
          "title": "「本業以外には手を出すな」と、淘汰の予告",
          "text": "1998年5月に日本百貨店協会会長へ就いた小柴和正氏は、業界の見通しを率直に語った。オーバーストアは誰の目にも明らかで、百貨店は過当競争にあり、今後は淘汰される企業が出る、吸収合併もありうると述べている。同じ質問に対して自社の再編は考えていないとも答えており、「自分のところで精一杯ですよ」という言葉が続く。10年後に三越との統合で持株会社を作る伊勢丹が、この時点では業界再編を他社の問題として語っていた。協会が百貨店113社の経営トップに実施したアンケートでは、景気回復は翌年春以降になるという答えと、回復の見通しが立たないという答えを合わせて全体の3分の2を占めた。業界全体が同じ底を見ていた。\n\n本業以外への投資について、小柴氏は自社の失敗を具体的に挙げた。1970年代前半の好景気時に絵画を買い集め、その在庫処分に10年以上かかり、バブル期にも同じことを繰り返してその在庫がまだ残っている、という内容である。「本業以外には手を出すな」という社訓を作るかという話をしたとも述べた。同じ時期、三越は「拡百貨店」を掲げてホテル・スポーツ・輸入車販売とゴルフ場開発へ広げ、1997年に446億円の特別損失を計上している。両社は同じ誘惑に触れ、深さが違った。小柴氏は「同じことを繰り返すんですね」とも述べており、再発を経営者自身が認めた記録になっている。\n\n本業以外の投資が完全に無傷だったわけではない。1989年に提携した米高級百貨店バーニーズは経営が悪化し、伊勢丹との訴訟にまで至った。1998年に債権者委員会主導の再建計画が基本合意に達したことで、伊勢丹は追加の損失計上を回避し、訴訟も取り下げられ、再建後の株式5%を保有する形で決着している。海外の名門ブランドと組む判断そのものは、当時の百貨店として不自然ではない。誤算は相手の経営が持たなかったことにあり、伊勢丹はその処理を自社主導ではなく債権者に委ねる形で切り上げた。提携から決着までに9年を要している。",
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                "source": "週刊東洋経済 1998年7月11日号「小柴和正 伊勢丹社長・日本百貨店協会会長 百貨店に淘汰の時代が来る」",
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                "source": "週刊東洋経済 1998年7月11日号「小柴和正 伊勢丹社長・日本百貨店協会会長 百貨店に淘汰の時代が来る」",
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                "fact": "三越の坂倉芳明は「拡・百貨店」の多角化路線を掲げてホテル・スポーツ・輸入車販売へ手を広げ、1997年秋にゴルフ場開発の失敗が表面化して446億円の特別損失を計上した",
                "source": "週刊東洋経済 2005年7月16日号「４店閉鎖、１０００人削減の波紋 “三越な人々”のかくも長き戦略不在」",
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                "fact": "1989年に提携した米高級百貨店バーニーズは経営悪化から伊勢丹との訴訟に発展し、1998年に債権者委員会主導の再建計画が基本合意。追加損失の計上を回避し訴訟も取り下げられ、再建後の株式5%を保有することとなった",
                "source": "週刊東洋経済 1998年7月11日号「小柴和正 伊勢丹社長・日本百貨店協会会長 百貨店に淘汰の時代が来る」",
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    {
      "start_year": 1999,
      "end_year": 2008,
      "main_title": "「勝ち組」への到達と、三越を迎えた統合",
      "subsections": [
        {
          "title": "支店を新宿の縮小版にする試みの中止",
          "text": "1999年、伊勢丹は支店を新宿伊勢丹のイメージで作り直す試みをやめた。武藤信一社長は理由をこう説明している。「世界一のファッションデパート＝新宿の伊勢丹」は世界的にも類のない店で、来る客のファッションテイストが優れ、しかも大量の人数が一箇所に集まる。その縮小版を地方で作るのは無理であり、それなら生活にかかわるすべての品を買ってもらえる地域一番店になろう、と決めた。同じ時期の三越は地方店が「日本橋本店に右にならえの店舗ばかり」と自社の専務に評されており、伊勢丹はその方向を先に手放した。\n\n本店に依存する構造そのものは残った。新宿本店は単体売上高の57%を占め、社内でも「新宿本店は非常にいいが、他の支店はだらしない」と言われてきたことを武藤氏は認めている。1997年度の約6割からは、わずかに下がった程度にとどまる。伊勢丹の答えは、本店依存を薄めることではなく、本店を強くしたうえで支店には別の役割を与えることだった。本部主導の売場「ユニット」を支店へ広げ、業務のフローとシステムを統一し、静岡伊勢丹・新潟伊勢丹・小倉伊勢丹・岩田屋といった子会社へも移した。本店を薄めるのではなく、本店を強くしたうえで支店に別の役割を与える形である。",
          "references": [
            {
              "title": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 2006年4月29日号「目先の売り上げは要らない 「勝ち組」伊勢丹の本気 新宿戦争“戦闘態勢”」",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 2007年8月11日号「百貨店三越・伊勢丹 経営統合交渉の見えない終着点」",
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                "fact": "「支店を新宿伊勢丹のイメージで具現化しようと延々やってきましたが、この試みは９９年にやめました」「その縮小版を地方でつくるのは無理なわけで、それなら生活にかかわるすべての品を買ってもらえる、地域一番店になろう、と決めました」（武藤信一社長）",
                "source": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
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                "source": "週刊東洋経済 1999年3月27日号「三越 老舗「のれん」の虚像 “三井発祥”企業の凋落」",
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        {
          "title": "メンズ館と、ブランドの壁を取り払った売場",
          "text": "2003年9月、伊勢丹は新宿本店の新館を全面改装してメンズ館を開いた。当時は増床のない改装は成功しないと言われ、メンズ市場も冷え込んでいたため、そこに資金を投じることへの批判もあった。武藤信一社長が重視したのは売上ではなく、店に入ってもどの百貨店か分からない状況のなかで、伊勢丹が今後どういう百貨店になるかを決めることだった。改装では館ごとロゴと什器を統一し、ブランドごとの仕切りを取り払った。男性客が隣の売場へ入りにくいという不満に応えるための措置である。増床せずに中身だけを入れ替える改装で、伊勢丹は自社の輪郭を決め直した。\n\nブランドの壁の撤去は、取引先との交渉を要した。世界のブランドホルダーは当初は猛烈に嫌がり、「ダメだったらすぐ戻してくれるか。一筆書いてくれ」と求めた相手もいた。結果は数字で出ている。開業から2年後、メンズ館の来店者の53%を男性が占め、東京地区の百貨店の紳士服部門でメンズ館のシェアは25%程度に達した。2005年度の売上高は410億円で前期比5%増の見込みとされ、実績の伸びは10%強に達した。男性向けの売上が女性の代理購買で成り立っていた状態を、実際に使う本人が自分で買う場に変えたことが効いた。開業から2年で、館の性格は数字の上でも入れ替わっていた。\n\n顧客の絞り込みも同時に進んだ。アイカードでは年間買い上げ100万円以上に10%、20万円以上に7%の優待率を適用し、その合計30万人がアイカードの買い物2,400億円のうち1,900億円を占めていた。武藤氏は広域にチラシをまいて一時的に客を集めるより、何度も足を運ぶ客の要望に応えるほうがよいと述べている。2006年2月に公表した「10年ビジョン」では、10年間で2,000億円の投資を掲げ、まず新宿本店本館の改装に150億円を投じるため、当面2年の売上の伸びをゼロと置いた。好調な時期に売上を捨てる計画だった。",
          "references": [
            {
              "title": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
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                "source": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
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                "source": "週刊東洋経済 2006年4月29日号「目先の売り上げは要らない 「勝ち組」伊勢丹の本気 新宿戦争“戦闘態勢”」",
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                "fact": "メンズ館開業2年後の来店者は53%が男性。東京地区の百貨店の紳士服部門でメンズ館のシェアは25%程度、2005年度の売上高は410億円で前期比5%増の見込みだった。2006年4月の報道では前期の売上の伸びは10%強に達したとされる",
                "source": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
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                "source": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
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                "fact": "アイカードは年間買い上げ100万円以上で10%、20万円以上で7%の優待率。10%の顧客約3万人と7%の27万人の計30万人で、アイカードでの買い物2,400億円のうち1,900億円（75%超）を占めた",
                "source": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
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                "source": "週刊東洋経済 2006年4月29日号「目先の売り上げは要らない 「勝ち組」伊勢丹の本気 新宿戦争“戦闘態勢”」",
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        {
          "title": "岩田屋の子会社化から、三越を迎えた統合へ",
          "text": "2005年2月、伊勢丹は株式の公開買付により岩田屋を連結子会社とした。1998年に小柴和正氏が関東圏以外への出店はないと述べてから7年で、九州の百貨店を傘下に入れている。自前の出店ではなく既存店の買収という形をとった点で、当時の発言と矛盾はしない。同じ時期に北海道の丸井今井へは資本参加ではなく業務支援を選び、武藤氏は出資よりシステムを共同開発して経費を下げるほうが意味があると述べた。相手ごとに関与の深さを変える形で、伊勢丹の商品情報システムは他社へ広がった。買収した先へも、本部主導の売場と業務のフローを移している。\n\n2007年8月に三越との経営統合交渉が表面化したとき、伊勢丹側の反応は冷静だった。幹部は報道の出どころに戸惑いを見せ、別の幹部は自社の手法は説明するが強要はしないと述べて、名鉄百貨店や東急百貨店と結んだ業務提携と同じ水準を示唆した。伊勢丹にとってシステム統合は情報提供料を得られる事業であり、経営統合まで進む必要は薄い。連結売上高では業界5位ながら新宿本店の収益力は国内随一で、事を急ぐ理由がなかった。統合を申し入れたのは三越の側である。三越の店舗網と収益力をどう値踏みするかが、伊勢丹側の判断の分かれ目だったであろう。\n\n伊勢丹にも弱みはあった。苦戦する地方店は多く、本店依存は断ち切れていない。それでも統合に応じた理由の一つは、合計売上高1.5兆円を超える国内最大の百貨店グループになることであろう。武藤信一社長は「私どもはリストラをしたことがない。リストラありきで考える企業ではない」と述べており、三越が繰り返した閉店と早期退職とは対照的な立場から交渉に臨んだ。2007年8月に合意、11月の臨時株主総会で承認を経て、2008年4月1日に共同株式移転で株式会社三越伊勢丹ホールディングスが設立され、伊勢丹は完全子会社となって1961年からの上場を終えた。会社としての伊勢丹は2011年4月に三越と合併し、株式会社三越伊勢丹となった。",
          "references": [
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              "title": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
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                "source": "週刊東洋経済 2007年8月11日号「百貨店三越・伊勢丹 経営統合交渉の見えない終着点」",
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                "fact": "「私どもはリストラをしたことがない。リストラありきで考える企業ではない」（武藤信一社長）",
                "source": "週刊東洋経済 2007年9月8日号「経営統合にかけた起死回生策 低迷招いた三越「空白」の１０年」",
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                "fact": "「確かに伊勢丹にも弱みはある。苦戦する地方店も多く、過度な本店依存体質を断ち切れていない」",
                "source": "週刊東洋経済 2007年8月11日号「百貨店三越・伊勢丹 経営統合交渉の見えない終着点」",
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                "fact": "2007年11月の臨時株主総会での承認を経て、2008年4月1日に三越との共同株式移転で株式会社三越伊勢丹ホールディングスを設立し完全子会社となった。2011年4月1日に三越と伊勢丹が合併し株式会社三越伊勢丹となった",
                "source": "有価証券報告書（三越伊勢丹ホールディングス）【沿革】",
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    }
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  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "qa": [
      {
        "q": "なぜ伊勢丹は1933年に、震災後に再建した神田店を閉じて新宿へ移ったのか",
        "a": "伊勢丹が震災後に再建した神田店を9年で閉じたのは、その店の立地が悪く、次の進出地を探し続けていたからである。『会社銀行八十年史』は「翌十三年四月復興再建したが地の利が悪く」と記す。新宿もと三福の地で借地権買収が成立すると、伊勢丹は昭和5年9月に株式組織へ改組して資本金50万円で新発足した。会社の形を変えた理由が新店舗の用地取得だった点に、この判断の順序が出ている。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "「しかし十二年の関東大震災により壊滅状態に陥り、翌十三年四月復興再建したが地の利が悪く、このため鋭意発展への進出地を物色中」",
            "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
            "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3043712",
            "genbun": "『会社銀行八十年史』は「翌十三年四月復興再建したが地の利が悪く」と記す。"
          },
          {
            "fact": "「たまたま新宿もと三福の地に借地権買収の交渉が成立したので、昭和五年九月株式組織に改組し、資本金五十万円をもつて新発足した」",
            "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
            "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3043712",
            "genbun": "新宿もと三福の地で借地権買収が成立すると、伊勢丹は昭和5年9月に株式組織へ改組して資本金50万円で新発足した。"
          },
          {
            "fact": "昭和8年9月、本館の竣工とともに神田店を閉店し、本社を新宿へ移転して営業を開始した",
            "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955年）2篇 日本会社史 47_百貨店「伊勢丹」",
            "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3043712",
            "genbun": "伊勢丹が震災後に再建した神田店を9年で閉じたのは、その店の立地が悪く、次の進出地を探し続けていたからである。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ伊勢丹は1999年に支店を新宿本店の縮小版にする試みをやめたのか",
        "a": "支店を新宿本店の縮小版にする試みを1999年に打ち切ったのは、その縮小版が成立しないと判断したからである。武藤信一社長は新宿本店を「世界一のファッションデパート」と位置づけ、来店客のファッションテイストが優れ大量の人数が一箇所に集まる店だと述べた。その条件を地方で再現することはできない。そこで支店には、生活にかかわるすべての品を買える地域一番店という別の役割を与えた。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "「支店を新宿伊勢丹のイメージで具現化しようと延々やってきましたが、この試みは９９年にやめました」（武藤信一社長）",
            "source": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
            "url": null,
            "genbun": "支店を新宿本店の縮小版にする試みを1999年に打ち切ったのは、その縮小版が成立しないと判断したからである。"
          },
          {
            "fact": "「「世界一のファッションデパート＝新宿の伊勢丹」というのは、まさしく世界的にも類がない店。来るお客様もファッションテイストに優れていて、しかも大量の人数が１カ所に集まるわけです」（武藤信一社長）",
            "source": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
            "url": null,
            "genbun": "武藤信一社長は新宿本店を「世界一のファッションデパート」と位置づけ、来店客のファッションテイストが優れ大量の人数が一箇所に集まる店だと述べた。"
          },
          {
            "fact": "「その縮小版を地方でつくるのは無理なわけで、それなら生活にかかわるすべての品を買ってもらえる、地域一番店になろう、と決めました」（武藤信一社長）",
            "source": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
            "url": null,
            "genbun": "そこで支店には、生活にかかわるすべての品を買える地域一番店という別の役割を与えた。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ伊勢丹は2003年に冷え込んだメンズ市場へ増床なしの改装で投じたのか",
        "a": "冷え込んだメンズ市場へ増床なしの改装で投じたのは、売上より先に自社の輪郭を決める必要があったからである。武藤信一社長は、店に入ってもどの百貨店か分からない状況のなかで伊勢丹が今後どういう百貨店になるかを決めることが最も重要だったと述べた。結果は数字で出た。開業2年後の来店者は53%が男性、東京地区の百貨店の紳士服部門でメンズ館のシェアは25%程度に達した。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "「われわれにとっていちばん重要だったのは、店に入るとどの百貨店かわからない中、伊勢丹が今後どういう百貨店になるか、しっかりとアイデンティティを決めること」（武藤信一社長）",
            "source": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
            "url": null,
            "genbun": "武藤信一社長は、店に入ってもどの百貨店か分からない状況のなかで伊勢丹が今後どういう百貨店になるかを決めることが最も重要だったと述べた。"
          },
          {
            "fact": "メンズ館開業2年後の来店者は53%が男性。東京地区の百貨店の紳士服部門でメンズ館のシェアは25%程度に達した",
            "source": "週刊東洋経済 2005年12月24日号「伊勢丹社長 武藤信一 なぜ「メンズ館」は大成功を収めたか」",
            "url": null,
            "genbun": "開業2年後の来店者は53%が男性、東京地区の百貨店の紳士服部門でメンズ館のシェアは25%程度に達した。"
          },
          {
            "fact": "「当時は「（面積が一定で）増床なき改装は成功しない」と言われていました。メンズ市場も非常に冷え込んでいたから、そこにカネを投下することがいいのかと批判もされた」（武藤信一社長）",
            "source": "週刊東洋経済 2006年4月29日号「目先の売り上げは要らない 「勝ち組」伊勢丹の本気 新宿戦争“戦闘態勢”」",
            "url": null,
            "genbun": "冷え込んだメンズ市場へ増床なしの改装で投じたのは、売上より先に自社の輪郭を決める必要があったからである。"
          }
        ]
      }
    ]
  }
}
