{
  "title": "青山商事の歴史概略",
  "sections": [
    {
      "start_year": 1964,
      "end_year": 1986,
      "main_title": "専売公社を辞めた四人が府中市で始めた洋服屋と郊外立地への転換",
      "subsections": [
        {
          "title": "日本一の洋服屋を誓った四人と紳士服への一本化",
          "text": "青山商事は1964年5月、広島県府中市で設立された。府中市は福山市から内陸へ20キロほど入った人口約4万7000人の町で、縫製と家具を特産とする工業地帯にあたる。創業したのは日本専売公社で経理を担当していた青山五郎氏と、その弟、妻の弟2人の4人である。青山氏は病気で進学を断念した経緯があり、30歳になったら独立して商売をやろうと考えていた。衣料品を選んだのは、創業メンバーの1人が紳士服関連業界にいたためだった。設立当初は青山氏の自宅1階を洋服屋に充て、紳士服・婦人服・呉服に加えて広島県特産の食料品を東京の百貨店やストアへ卸してもいた。\n\n創業の日、4人はささやかな祝いの席で「日本一の洋服屋」にする道筋を話し合った。青山氏はこのとき弟たちに、経済界に入らない、ゴルフをしない、自家用車に乗らない、という三つの約束をしている。平均的な物の見方しかできない場所に身を置けば同業者と同じ発想しか出てこない、という判断だった。創業時の店は10坪ほどで、1965年3月期の年商は婦人服・呉服を含めて2300万円にとどまる。1967年10月、採算の合わなかった食料品と特産品の部門から撤退し、紳士服販売に一本化した。三つの約束のうち、自家用車に乗らないという項目だけは後に崩れている。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1964年5月に広島県府中市で青山商事株式会社を設立し、紳士既製服の小売を主に食料品・広島県特産品販売を行った",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "青山商事は1964年5月、広島県府中市で設立された"
              },
              {
                "fact": "府中市は福山市から約20km内陸の人口約4万7000人の都市で、リョービ・北川鉄工に次ぐ3番目の上場会社となった",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "福山市から内陸へ20キロほど入った人口約4万7000人の町で、縫製と家具を特産とする工業地帯にあたる"
              },
              {
                "fact": "青山五郎氏は日本専売公社の経理担当社員で、自身と弟、家内の弟2人の4人で青山商事を創業した",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "日本専売公社で経理を担当していた青山五郎氏と、その弟、妻の弟2人の4人である"
              },
              {
                "fact": "青山五郎氏は病気で進学できず「30歳になったら、独立して商売をやろう。商売なら東大に行かなくても一流になれる」と考えていた",
                "source": "日経ビジネス 1993年6月28日号 編集長インタビュー「企業はスピードが最も重要 10年後には売上高1兆円に」",
                "url": null,
                "genbun": "青山氏は病気で進学を断念した経緯があり、30歳になったら独立して商売をやろうと考えていた"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "創業の日（昭和39年5月6日）に4人で「日本一の洋服屋」にする方法を話し合い、経済界に入らない・ゴルフをしない・自家用車に乗らないの三つの約束をした",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "青山氏はこのとき弟たちに、経済界に入らない、ゴルフをしない、自家用車に乗らない、という三つの約束をしている"
              },
              {
                "fact": "創業時の紳士服の店は10坪程度で、初年度（昭和40年3月決算）の年商は婦人服・呉服等すべてで2300万円だった",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "創業時の店は10坪ほどで、1965年3月期の年商は婦人服・呉服を含めて2300万円にとどまる"
              },
              {
                "fact": "1967年10月に食料品・特産品部門から撤退し紳士服販売の営業に特化した",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "1967年10月、採算の合わなかった食料品と特産品の部門から撤退し、紳士服販売に一本化した"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "地元を離れた青山商事が米国視察から掴んだ郊外立地",
          "text": "紳士服に絞った後の出店先は、量販店が作り始めていたショッピングセンターだった。7店を出したが、1972年ごろから客の買い方が変わる。衝動買いで回転していたショッピングセンターに、目的を持って買いに来る客が増え、売れ行きが鈍った。創業6年目の1970年には、府中市長を務めていた兄・春雄氏の再選挙で地元の名士である北川鉄工所社長と対立し、選挙に敗れて同社の職域販売指定店から外れている。青山商事は府中市外に出て商売をせざるをえなくなり、福山市や尼崎市のショッピングセンターへ出店した。\n\n1972年、青山氏は同業者とともに米国の流通業を視察し、サンフランシスコから100キロほど離れた平原に立つショッピングセンターを見る。周囲に住宅がないのに客が自家用車で集まる光景の理由を確かめるため、もう一度単独で渡米した。帰国後は自社の店で2000人にアンケートを実施している。背広をどこで買うかという問いへの回答は、品揃えの豊富な店が36％、買い物に立地のよい所が26％で、両者を合わせた62％が郊外店を要求する数字と読んだ。多様なサイズと柄を並べるには150坪が必要で、その広さは都心では確保できない。\n\n郊外立地の紳士服専門店「洋服の青山」1号店は、1974年4月に広島県東広島市西条の田んぼの中で開いた。物販店として日本で最初の郊外店にあたり、自動車ディーラーの郊外店が1975年、外食産業が1977年、量販店ユニーが1978年と続く。当初は店の前の国道2号線を長距離トラックばかりが走り、自家用車が通らなかったため、場所を知らせる宣伝から始めている。郊外店は宣伝費がかかる反面、買う目的を持った客しか来ないため販売員が少なくて済み、地価も家賃も安く上がった。紳士服業界が郊外へ動き出すのは1983年ごろで、それまでの約9年間、この業態を採ったのは青山商事だけだった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1967年10月に紳士服一本に絞った後、量販店が作り始めたショッピングセンターに7店舗出店した。1972年頃から衝動買いの買い物形態が変わりショッピングセンターが衰退した",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "紳士服に絞った後の出店先は、量販店が作り始めていたショッピングセンターだった。7店を出したが、1972年ごろから客の買い方が変わる"
              },
              {
                "fact": "創業6年目の1970年、府中市長だった兄・青山春雄氏の2期目の選挙で北川鉄工所社長の北川実夫氏と対立し敗北。北川鉄工所内の職域販売指定店を外され、市外に出て商売をせざるをえなくなった",
                "source": "日経ビジネス 1994年1月31日号「青山五郎氏 公取委にも譲らぬ負けん気 常識排し価格破壊へ闘志新た」",
                "url": null,
                "genbun": "府中市長を務めていた兄・春雄氏の再選挙で地元の名士である北川鉄工所社長と対立し、選挙に敗れて同社の職域販売指定店から外れている"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1972年に業界関係者とアメリカ西海岸のショッピングセンターを視察し、その後単独で再渡米して調査した",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "1972年、青山氏は同業者とともに米国の流通業を視察し、サンフランシスコから100キロほど離れた平原に立つショッピングセンターを見る"
              },
              {
                "fact": "自社の店で2000人にアンケートを実施し、背広を買う店の条件は1位が品揃いの豊富な店36%、2位が買い物に立地のいい所26%で、合計62%を郊外店の必要性を示す数字と判断した。品揃えには最低150坪が必要と考えた",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "背広をどこで買うかという問いへの回答は、品揃えの豊富な店が36％、買い物に立地のよい所が26％で、両者を合わせた62％が郊外店を要求する数字と読んだ"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1974年4月に郊外立地の紳士服専門店「洋服の青山」1号店（西条店）を開店し、以後の出店はほとんど郊外型店舗となった",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "郊外立地の紳士服専門店「洋服の青山」1号店は、1974年4月に広島県東広島市西条の田んぼの中で開いた"
              },
              {
                "fact": "郊外1号店は広島県・西条の田んぼの中に1974年4月開店。青山五郎氏の略歴でも「74年4月 広島県東広島市に郊外型ロードサイド店の1号店を出店」と記載",
                "source": "日経ビジネス 1994年1月31日号「青山五郎氏 公取委にも譲らぬ負けん気」／同 1993年6月28日号 編集長インタビュー",
                "url": null,
                "genbun": "1974年4月に広島県東広島市西条の田んぼの中で開いた"
              },
              {
                "fact": "物販店で最初に郊外店舗を出したのが青山商事で、ディーラーは1975年、外食産業は1977年、量販店ユニーは1978年に続いた。紳士服業界の郊外進出は1983年頃からで、それまでは青山商事だけだった",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "物販店として日本で最初の郊外店にあたり、自動車ディーラーの郊外店が1975年、外食産業が1977年、量販店ユニーが1978年と続く"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "完全買取仕入が生んだ粗利五割と広告費の好循環",
          "text": "当時の洋服店はメーカーとの委託仕入で、売れ残りは返品するのが慣行だった。青山商事は売れ残りのリスクを自社で負う完全買取仕入を選ぶ。返品分の金利を負担せずに済むメーカーは納入価格を下げられ、青山商事は仕入原価を落とせる。紳士服業界の平均粗利率が36％のところ、青山商事は50％前後を23年間保った。粗利が厚い分を宣伝費に投じると売上が伸び、仕入ロットがまとまってさらに安く仕入れられる。委託で返品された商品をメーカーから仕入れる場合は前年の4割引きで買え、洋服は型がほとんど変わらないため新品との違いは素人には分からなかった。青山五郎社長はこれを好循環と呼び、他社より約10％安く売れる根拠に挙げている。\n\n郊外店は幹線道路沿いに150坪、駐車場40台分という規格で、商圏50万人・年商5億円・経常利益4000万〜5000万円を単位に置いた。広告宣伝費は売上高の17％に達し、郊外立地の同業アオキファッションの6％を大きく上回る。1984年10月に開いた静岡県袋井店は、事前の大量広告で開店初日に来店1800人・売上3000万円を記録した。仕入れはグンゼ産業など国内メーカーへの直接委託によるオリジナルブランドで、1つの柄につき3000着を発注し、出来上がった製品は全量を買い取っている。\n\n数字の扱いも独特だった。1982年ごろから各店にPOSを入れ、1983年7月には全店のPOSレジを大型コンピューターと直結する。1982年からは電通と組んで商圏住民の意識調査を実施し、開店後に売上が落ちた高知店では県民性まで踏み込んで商品構成と接客を組み替えた。福山店では、買わずに帰った客の理由を縫製・広告・色柄・ブランド・接客のどれかに分類してカードに書かせる売り逃し分析を始めている。1984年3月期の売上高は128億7615万円、経常利益は7億3031万円、店舗数は39店だった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "紳士服業界の平均粗利が36%に対し青山商事は50%程度で、これを23年間保った。完全買取と委託形式の差から上代で約1万円、25%の純利益に該当する差が生じ、結果として他社より約10%安く売れた",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "紳士服業界の平均粗利率が36％のところ、青山商事は50％前後を23年間保った"
              },
              {
                "fact": "青山五郎社長は「郊外店舗は目的買いの客が多いので店員が少なくて済み粗利益率が上がる。その分で広告・宣伝を集中的に展開でき、宣伝をすれば売り上げが増え、大量仕入れが可能になり仕入れ価格を安くできる。これが粗利益率をさらに高める。この好循環です」と述べた",
                "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「郊外出店ズバリ、紳士服で群抜く成長の青山商事」",
                "url": null,
                "genbun": "青山五郎社長はこれを好循環と呼び、他社より約10％安く売れる根拠に挙げている"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "単位150坪・商圏50万人・年商5億円・経常利益4000〜5000万円という店を出してきた",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "郊外店は幹線道路沿いに150坪、駐車場40台分という規格で、商圏50万人・年商5億円・経常利益4000万〜5000万円を単位に置いた"
              },
              {
                "fact": "広告宣伝費は売上高の17%相当で、同業アオキファッションの6%を大きく上回った。1984年10月27日開店の静岡県袋井店は初日来店客1800人・売上3000万円",
                "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「郊外出店ズバリ、紳士服で群抜く成長の青山商事」",
                "url": null,
                "genbun": "広告宣伝費は売上高の17％に達し、郊外立地の同業アオキファッションの6％を大きく上回る。1984年10月に開いた静岡県袋井店は、事前の大量広告で開店初日に来店1800人・売上3000万円を記録した"
              },
              {
                "fact": "多くはグンゼ産業などのメーカーに直接委託製造させたオリジナルブランドで、1つの柄の注文は3000着ほど、返品はしない",
                "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「郊外出店ズバリ、紳士服で群抜く成長の青山商事」",
                "url": null,
                "genbun": "仕入れはグンゼ産業など国内メーカーへの直接委託によるオリジナルブランドで、1つの柄につき3000着を発注し、出来上がった製品は全量を買い取っている"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1983年7月に全店にPOSレジを設置し大型コンピューターと直結したPOSシステムを導入",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "1983年7月には全店のPOSレジを大型コンピューターと直結する"
              },
              {
                "fact": "1982年から電通とタイアップし商圏住民の意識調査（プロジェクト名ブルースカイ）を実施。高知店は初年度売上7億円が数年で5億円に低下し、調査結果から商品構成・接客を関東スタイルへ転換した。福山店では売り逃し分析を実施",
                "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「郊外出店ズバリ、紳士服で群抜く成長の青山商事」",
                "url": null,
                "genbun": "1982年からは電通と組んで商圏住民の意識調査を実施し、開店後に売上が落ちた高知店では県民性まで踏み込んで商品構成と接客を組み替えた"
              },
              {
                "fact": "1984年3月期の売上高128億7615万円、経常利益7億3031万円、店舗数39店",
                "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「郊外出店ズバリ、紳士服で群抜く成長の青山商事」",
                "url": null,
                "genbun": "1984年3月期の売上高は128億7615万円、経常利益は7億3031万円、店舗数は39店だった"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1987,
      "end_year": 1995,
      "main_title": "株式上場で全国四百店へ広がった増殖モデルと価格破壊の旗手の失速",
      "subsections": [
        {
          "title": "上場を機に商圏を縮めた点から面への出店転換",
          "text": "1987年11月、青山商事は大阪証券取引所市場第二部と広島証券取引所に株式を上場した。上場を控えた1987年3月期は既存店を前年比6％減とみる控えめな計画を立てたが、実際には6.6％伸び、経費は12.6％安く済んでいる。1987年11月時点の店舗数は118店で、重衣料が売上の81.6％を占めた。全国のスーツ年間販売量800万着のうち40万着を売り、重衣料では首位に立っていた。売上高は当初計画の320億円から340億円へ上方修正している。上場に際しては社内機構を整え、1店当たりの人員を減らす少数精鋭の運営へ改めた。\n\n上場後の出店は加速する。1987年度に29店を開き1988年3月期末で127店に達し、九州では1987年7月末の15店が1988年3月末に31店へ倍増した。同時に商圏の設計を組み替えている。全国の郊外紳士服店が900店近くに増えて、車で30分・人口50万人という従来の商圏では隙間から客を奪われるため、車で15分・人口20万人の商圏に100坪前後の店を多数置く方式に移した。青山五郎社長はこれを、拠点の全国展開から点を面に広げるローラー展開への移行と説明している。1989年10月には東京事務所を開いた。\n\n商圏を縮めた効果は費用に表れた。広告費は売上高の20％から1988年3月期に12％まで下がり、1986年度からは利益重視の運営に移っている。人の面では1987年度からパートタイマーを増やし、30人弱だった人数を1988年3月末に319人、繁忙期には470人まで広げた。売上高は1986年度274億円から1987年度365億円へ、経常利益は16億円から46億円へ伸び、売上高経常利益率は12％を超えている。本社機構は1990年8月に府中市から福山市の新本社ビルへ移り、同年12月に東京証券取引所市場第二部へ上場した。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1987年11月に大阪証券取引所市場第二部、広島証券取引所に株式上場",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "1987年11月、青山商事は大阪証券取引所市場第二部と広島証券取引所に株式を上場した"
              },
              {
                "fact": "1987年11月時点で118店舗、重衣料が全売上高の81.6%・軽衣料17.5%。全国のスーツ年間販売量800万着のうち40万着（約5%）を販売し重衣料では1位。通期売上高予測を320億円から340億円へ上方修正",
                "source": "証券アナリストジャーナル 1987年25巻12号「青山商事」（青山五郎社長 講演要旨・1987年11月30日 大阪）",
                "url": null,
                "genbun": "1987年11月時点の店舗数は118店で、重衣料が売上の81.6％を占めた。全国のスーツ年間販売量800万着のうち40万着を売り、重衣料では首位に立っていた"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1987年度に29店舗をオープンし1988年3月期末で全127店。九州は1987年7月末15店舗から1988年3月末31店舗へ倍増",
                "source": "日経ビジネス 1988年5月23日号「消費の変化がチャンス生む 青山商事」",
                "url": null,
                "genbun": "1987年度に29店を開き1988年3月期末で127店に達し、九州では1987年7月末の15店が1988年3月末に31店へ倍増した"
              },
              {
                "fact": "全国で900店近い紳士服郊外店がひしめき、従来の車で30分・人口50万人の商圏では隙間が大きいため、車で15分・20万人商圏に100坪前後の店を多数出す戦略へ移行した",
                "source": "日経ビジネス 1988年5月23日号「消費の変化がチャンス生む 青山商事」",
                "url": null,
                "genbun": "車で30分・人口50万人という従来の商圏では隙間から客を奪われるため、車で15分・人口20万人の商圏に100坪前後の店を多数置く方式に移した"
              },
              {
                "fact": "青山五郎社長は「これまでは営業の基盤を作るために拠点の全国展開を進めてきた。今後は展開を点から面に広げるローラー展開に移る」と述べた",
                "source": "日経ビジネス 1988年5月23日号「消費の変化がチャンス生む 青山商事」",
                "url": null,
                "genbun": "青山五郎社長はこれを、拠点の全国展開から点を面に広げるローラー展開への移行と説明している"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "商圏縮小の結果、広告費は従来の売上の20%から1988年3月期には12%へ減少。1986年度から利益重視の経営体制へ移行。パートタイマーは30名弱から3月末319名、ピーク時470名へ",
                "source": "日経ビジネス 1988年5月23日号「消費の変化がチャンス生む 青山商事」",
                "url": null,
                "genbun": "広告費は売上高の20％から1988年3月期に12％まで下がり、1986年度からは利益重視の運営に移っている"
              },
              {
                "fact": "売上高は1986年度274億円から1987年度365億円（推定）へ、経常利益は16億円から46億円へ増加し、売上高経常利益率は12%を上回った",
                "source": "日経ビジネス 1988年5月23日号「消費の変化がチャンス生む 青山商事」",
                "url": null,
                "genbun": "売上高は1986年度274億円から1987年度365億円へ、経常利益は16億円から46億円へ伸び、売上高経常利益率は12％を超えている"
              },
              {
                "fact": "1990年8月に広島県福山市王子町へ本社ビルを新築し本社機構を府中市から福山市へ移転、1990年12月に東京証券取引所市場第二部へ上場",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "本社機構は1990年8月に府中市から福山市の新本社ビルへ移り、同年12月に東京証券取引所市場第二部へ上場した"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "賃料が下がった銀座への出店と公正取引委員会との対決",
          "text": "1992年9月、青山商事は東京・大阪両証券取引所の市場第一部銘柄に指定された。翌10月、東京・銀座2丁目に都心部初の「洋服の青山」銀座店を開く。バブル全盛なら保証金だけで4億3000万円、賃借料は坪当たり月15万円という物件が、賃料の下落で坪6万円まで下がっていた。銀座店は開店1カ月で平均的な郊外店の年商の85％にあたる3億円を売り、平日でも1日1000人、土日は2000人が購入している。青山五郎社長は郊外型紳士服店が全国2000店で飽和に近づいたとみて、都心部への集中出店を打ち出した。\n\n安さの源泉は川上へ遡っていた。最低1万着という発注量を背景に、約30社のアパレルへスーツだけで年118万着を作らせ、1986年ごろからは毛織メーカーからアパレルが生地を仕入れる段階で青山商事が直接価格交渉に入っている。一部の取引先には中国など人件費の安い国での生産を促し、中国製スーツは全体の10％に達した。取引アパレルの粗利益率は百貨店向けの30〜40％に対し12〜15％にとどまる。1992年12月末のチェーンは全店直営で417店、店舗網はこの年に全都道府県へ届き、紳士スーツ市場で11％の首位シェアを占めた。\n\n1993年、青山五郎社長は既存店750店に米国流通業と組むカジュアル1000店、海外1000店を積み上げ、2003年に売上高1兆円という構想を語っている。その一方で摩擦も増えた。1993年春にはオンワード樫山から取引停止の通告を受けたが、樫山製スーツを百貨店価格の半額と銘打って売り、一方的な取引停止は不当だと押し通す。同年11月、公正取引委員会は不当な二重価格表示があるとして大手紳士服チェーン4社に排除命令を出した。アオキインターナショナル、コナカ、大三が受け入れるなか、青山商事だけが不服を申し立て、受諾は4カ月後の1994年3月まで延びた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1992年9月に東京証券取引所、大阪証券取引所の市場第一部銘柄に指定",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "1992年9月、青山商事は東京・大阪両証券取引所の市場第一部銘柄に指定された"
              },
              {
                "fact": "1992年10月8日に東京・銀座2丁目へ都心部初の洋服の青山銀座店を開店。バブル全盛なら保証金4億3000万円・賃借料坪月15万円のところ、実際は保証金約3億円・坪6万円。開店1カ月で郊外店の年商の85%にあたる3億円を売り上げ、平日1000人・土日2000人が購入",
                "source": "日経ビジネス 1992年12月14日号「青山商事。飽和の郊外紳士服店 都心出店が大当たり」",
                "url": null,
                "genbun": "銀座店は開店1カ月で平均的な郊外店の年商の85％にあたる3億円を売り、平日でも1日1000人、土日は2000人が購入している"
              },
              {
                "fact": "青山五郎社長は「郊外型紳士服店は、もう全国で2000店に達し、飽和状態に近くなっている。一方、都心部は専門店の郊外へのシフトもあり供給が足りず、大きな市場ができている」と述べ、東京23区内や大阪市内への集中出店を掲げた",
                "source": "日経ビジネス 1992年12月14日号「青山商事。飽和の郊外紳士服店 都心出店が大当たり」",
                "url": null,
                "genbun": "青山五郎社長は郊外型紳士服店が全国2000店で飽和に近づいたとみて、都心部への集中出店を打ち出した"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "発注量は最低1万着で、約30社のアパレルにスーツだけで年約118万着を生産させた。1986年頃から毛織メーカーからの生地仕入れ段階で青山商事が直接価格交渉を行い、中国製スーツは全体の10%に達した",
                "source": "日経ビジネス 1992年12月14日号「青山商事。飽和の郊外紳士服店 都心出店が大当たり」",
                "url": null,
                "genbun": "最低1万着という発注量を背景に、約30社のアパレルへスーツだけで年118万着を作らせ、1986年ごろからは毛織メーカーからアパレルが生地を仕入れる段階で青山商事が直接価格交渉に入っている"
              },
              {
                "fact": "取引先アパレルの粗利益率は百貨店向けなら納入価格の30〜40%だが青山商事向けは12〜15%程度",
                "source": "日経ビジネス 1992年12月14日号「青山商事。飽和の郊外紳士服店 都心出店が大当たり」",
                "url": null,
                "genbun": "取引アパレルの粗利益率は百貨店向けの30〜40％に対し12〜15％にとどまる"
              },
              {
                "fact": "1992年12月末時点でチェーンは417店ですべて直営店。店舗網は1992年に業界で唯一全都道府県に広がり、紳士スーツ市場でシェアトップの11%を占めた",
                "source": "日経ビジネス 1992年12月14日号「青山商事。飽和の郊外紳士服店 都心出店が大当たり」",
                "url": null,
                "genbun": "1992年12月末のチェーンは全店直営で417店、店舗網はこの年に全都道府県へ届き、紳士スーツ市場で11％の首位シェアを占めた"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "青山五郎社長は既存タイプの店の上限を750店とし、カジュアル1000店（1店2億8000万円で2800億円）、海外1000店程度を加え、2003年に3部門合わせて売上高1兆円にする構想を語った",
                "source": "日経ビジネス 1993年6月28日号 編集長インタビュー「企業はスピードが最も重要 10年後には売上高1兆円に」",
                "url": null,
                "genbun": "1993年、青山五郎社長は既存店750店に米国流通業と組むカジュアル1000店、海外1000店を積み上げ、2003年に売上高1兆円という構想を語っている"
              },
              {
                "fact": "1993年春にオンワード樫山から取引停止の通告を受けた後、樫山製スーツを百貨店価格の半額と銘打って販売。樫山側の警告書に対し「一方的な取引停止は不当だ」として強行突破した",
                "source": "日経ビジネス 1994年1月31日号「青山五郎氏 公取委にも譲らぬ負けん気 常識排し価格破壊へ闘志新た」",
                "url": null,
                "genbun": "1993年春にはオンワード樫山から取引停止の通告を受けたが、樫山製スーツを百貨店価格の半額と銘打って売り、一方的な取引停止は不当だと押し通す"
              },
              {
                "fact": "1993年11月に公正取引委員会が青山商事・アオキインターナショナル・コナカ・大三の4社へ不当な二重価格表示を理由に排除命令。3社は受け入れたが青山商事のみ不服申立てを行い、1994年3月に受託した",
                "source": "日経ビジネス 1994年1月31日号「青山五郎氏 公取委にも譲らぬ負けん気」／同 1995年6月12日号「青山商事、失地回復に苦闘」",
                "url": null,
                "genbun": "同年11月、公正取引委員会は不当な二重価格表示があるとして大手紳士服チェーン4社に排除命令を出した。アオキインターナショナル、コナカ、大三が受け入れるなか、青山商事だけが不服を申し立て、受諾は4カ月後の1994年3月まで延びた"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "新店効果が途切れて表面化した急成長の歪み",
          "text": "増殖モデルは新店の利益で次の出店費用を賄う仕組みに支えられていた。1994年春までの新店は開店の土日2日間だけで6000万〜7000万円を売り、1店で年間4億円超の売上と1億円近い経常利益を稼ぐ。標準店の出店費用約1億5000万円のうち3分の2を新店自身が生み出し、過去3年間で212店の出店を可能にした。ところが1994年秋以降、開店後の土日の売上は2000万円、年間でも3億円程度に落ちる。出店費用は本社の負担に変わり、増殖の連鎖が切れた。1993年12月末の店舗数は514店に達し、1993年9月中間期の売上高は前年同期比38.7％増と伸びていた最中の反転だった。\n\n品質と組織にも歪みが出た。出店数に調達が追いつかず品質の劣る商品が紛れ込み、クリーニングで型崩れするといった苦情が安かろう悪かろうという評価を定着させる。取引アパレルからは、納入価格をあと2000円上げてくれれば安定した品質で作れる、という声が出ていた。1994年春には新入社員を1200人採用したが売上が減り、売上高人件費率は11.04％から12.64％へ上がる。1995年3月期は上場以来初の減収減益となり、既存店売上高は前年比14％減、東京23区内の都心店は1店当たり6億8600万円から3億8200万円へ1年で44％落ちた。\n\n1995年3月30日、青山商事は東京のホテルで緊急記者会見を開いた。オウム真理教の顧問弁護士が社長の息子ではないかという噂で株価が急落したためだったが、記者の質問はデリバティブ取引の内容に集まる。青山五郎社長ら5人の幹部は担当者も資料もないとして詳細を答えられず、翌日に中南米債投資の通貨スワップに関する文書を配った。管理部門を束ねていた伊藤寛治元常務が同年1月に健康上の理由で退いた直後で、危機対応そのものが働かなかった。立て直しは、1994年10月に始めたカジュアル専門店「キャラジャ」と、1995年3月に東京・八重洲へ開いた高級志向の実験店に託された。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1994年春まで新店は開店の土日だけで6000万〜7000万円、1店で年間4億円超の売上と1億円近い経常利益を稼いだ。150坪標準店の出店費用約1億5000万円の3分の2を新店の利益が賄い、過去3年間で212店の出店を可能にした",
                "source": "日経ビジネス 1995年6月12日号「青山商事、失地回復に苦闘。ヒト、モノに急成長の歪み」",
                "url": null,
                "genbun": "標準店の出店費用約1億5000万円のうち3分の2を新店自身が生み出し、過去3年間で212店の出店を可能にした"
              },
              {
                "fact": "1994年秋以降は開店後の土日で2000万円、年間で3億円程度しか売上を見込めなくなり、出店費用が本社の負担となった",
                "source": "日経ビジネス 1995年6月12日号「青山商事、失地回復に苦闘。ヒト、モノに急成長の歪み」",
                "url": null,
                "genbun": "ところが1994年秋以降、開店後の土日の売上は2000万円、年間でも3億円程度に落ちる。出店費用は本社の負担に変わり、増殖の連鎖が切れた"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1994年春に新入社員を1200人採用したが売上高が減少し、売上高人件費率は11.04%から12.64%へ上昇した",
                "source": "日経ビジネス 1995年6月12日号「青山商事、失地回復に苦闘。ヒト、モノに急成長の歪み」",
                "url": null,
                "genbun": "1994年春には新入社員を1200人採用したが売上が減り、売上高人件費率は11.04％から12.64％へ上がる"
              },
              {
                "fact": "1995年3月期に上場以来初の減収減益。既存店売上高は前年比14%減、東京23区内の都心店は1店当たり売上高が1994年3月期6億8600万円から1995年3月期3億8200万円へ44%減少",
                "source": "日経ビジネス 1995年6月12日号「青山商事、失地回復に苦闘。ヒト、モノに急成長の歪み」",
                "url": null,
                "genbun": "1995年3月期は上場以来初の減収減益となり、既存店売上高は前年比14％減、東京23区内の都心店は1店当たり6億8600万円から3億8200万円へ1年で44％落ちた"
              },
              {
                "fact": "出店数が多すぎて調達が間に合わず品質の悪い商品を仕入れ、クリーニングで型崩れするなどの苦情が「安かろう悪かろう」の印象を定着させた。取引先社長は「納入価格をあと2000円上げてくれれば、文句のない、安定した品質で作れる」と述べた",
                "source": "日経ビジネス 1995年6月12日号「青山商事、失地回復に苦闘。ヒト、モノに急成長の歪み」",
                "url": null,
                "genbun": "取引アパレルからは、納入価格をあと2000円上げてくれれば安定した品質で作れる、という声が出ていた"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1995年3月30日に東京・赤坂のホテルで緊急記者会見を実施。オウム真理教の青山吉伸顧問弁護士が社長の息子ではないかとの噂で株価が急落したため。質問はデリバティブ取引に集中し、幹部5人は「担当者がいないし、資料がないので投資内容の詳しいことは分からない」と答えるにとどまり、翌日に「中南米債への投資に関する通貨スワップ」の文書を配布した",
                "source": "日経ビジネス 1995年6月12日号「青山商事、失地回復に苦闘。ヒト、モノに急成長の歪み」",
                "url": null,
                "genbun": "1995年3月30日、青山商事は東京のホテルで緊急記者会見を開いた"
              },
              {
                "fact": "広島総合銀行出身で1984年入社の伊藤寛治氏は経理・人事を束ねる管理本部長として資金運用の詳細まで把握していたが、1995年1月に健康上の理由で取締役相談役へ退いた。取引先幹部は「伊藤さんがいれば、あんな会見はしなかった」と述べた",
                "source": "日経ビジネス 1995年6月12日号「青山商事、失地回復に苦闘。ヒト、モノに急成長の歪み」",
                "url": null,
                "genbun": "管理部門を束ねていた伊藤寛治元常務が同年1月に健康上の理由で退いた直後で、危機対応そのものが働かなかった"
              },
              {
                "fact": "1994年10月にカジュアル専門店「キャラジャ」1号店（姫路太子店）を開店。1995年3月に東京・八重洲へ高級志向の実験店を開いた",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】／日経ビジネス 1995年6月12日号",
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                "genbun": "立て直しは、1994年10月に始めたカジュアル専門店「キャラジャ」と、1995年3月に東京・八重洲へ開いた高級志向の実験店に託された"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1996,
      "end_year": 2014,
      "main_title": "外債損失と創業者の退場を経てツープライス業態に活路を求めた時期",
      "subsections": [
        {
          "title": "特別目的会社を通じた外債投資と七十四億円の特別損失",
          "text": "1997年6月、青山五郎氏は代表取締役会長へ移り、創業に参画した妻の弟である宮前省三氏が社長を継いだ。1964年の創業から33年、青山商事は創業者が日々の店舗指示まで握る運営から離れる。この時期の外部評価は分かれていた。1997年の流通企業分析では、1平方メートル当たり売上高と1人当たり売上高がともに悪化した企業として名指しされる一方、1998年の決算分析では、多角化で財務体質を悪化させたアオキとの対比で、無借金で紳士服関連に専念している点が評価されている。宮前氏は1992年時点で専門商品本部長を務め、スーツの仕入れを他チェーンより3000〜4000円安く抑えていると語っていた。\n\nその評価は同じ年の秋に揺らぐ。1998年9月16日、ロシア投資の失敗で200億円の損を抱えているという噂が流れて株価はストップ安をつけた。2日後、青山商事は保有外債の投資内容と含み損を自ら公開する。タックスヘイブンに設けた特別目的会社を通じ、ロシアなどカントリーリスクの高い国のドル建て国債を組み合わせて買う仕組みで、有価証券報告書の科目明細には実際の国債銘柄ではなく特別目的会社が発行したファンド名が載るため、投資の中身は外から見えなかった。4ファンドの簿価427億円に対し時価は227億円だった。\n\n1999年3月期の中間決算で、青山商事は外債の解約損失を中心に74億円の特別損失を計上し、中間純利益は5600万円に落ちた。会社側は、当初デリバティブで運用した際に生じた損失の後に中身を入れ替えたと説明したが、その入れ替え時に解約損か評価損として処理すべき約70億円が先送りされていたとみられている。当時の会計基準では外国債に市場価格がないことを理由に評価損も含み損も開示義務がなく、公開自体が市場への配慮によるものだった。本業とは別の場所で、価格破壊で積み上げた手元資金が損なわれた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1997年6月に青山五郎社長が代表取締役会長へ、宮前省三専務が代表取締役社長へ就任。宮前氏は青山五郎氏の妻の弟で1964年の創業に参画した",
                "source": "日本経済新聞 2017年12月「宮前省三氏が死去 青山商事会長」",
                "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24489780R11C17A2AC8Z00/",
                "genbun": "1997年6月、青山五郎氏は代表取締役会長へ移り、創業に参画した妻の弟である宮前省三氏が社長を継いだ"
              },
              {
                "fact": "1997年の流通企業分析で、1平方メートル当たり売上高と1人当たり売上高の両方が悪化した企業として青山商事が名指しされた",
                "source": "週刊東洋経済 1997年9月27日号「特集 小売りが危ない 厳選6指標が語る流通企業の窮迫度」",
                "url": null,
                "genbun": "1平方メートル当たり売上高と1人当たり売上高がともに悪化した企業として名指しされる"
              },
              {
                "fact": "1998年の決算分析で「青山が無借金経営で紳士服関連に専念しているのに対し、アオキはやれキッズ関連だ、今度はブライダル関連だと多角化しすぎ、財務体質も悪化した」として二強対決の決着が総括された",
                "source": "週刊東洋経済 1998年6月20日号「特集 緊急分析！98年度迷走決算」",
                "url": null,
                "genbun": "多角化で財務体質を悪化させたアオキとの対比で、無借金で紳士服関連に専念している点が評価されている"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1998年9月16日にロシア投資の失敗で200億円の損を抱えているとの噂で株価がストップ安。2日後の9月18日に青山商事が保有外債の投資内容と含み損を公開した",
                "source": "週刊東洋経済 1998年12月19日号「青山商事に見る損失隠し SPCを活用した損失先送りのテクニックとは」",
                "url": null,
                "genbun": "1998年9月16日、ロシア投資の失敗で200億円の損を抱えているという噂が流れて株価はストップ安をつけた。2日後、青山商事は保有外債の投資内容と含み損を自ら公開する"
              },
              {
                "fact": "タックスヘイブンに設立したSPCを通じてロシア等のドル建て国債を購入し、SPCが発行した4つのファンドを青山商事が買う仕組み。簿価は4ファンドで427億円、時価評価は227億円で差額は約200億円",
                "source": "週刊東洋経済 1998年12月19日号「青山商事に見る損失隠し SPCを活用した損失先送りのテクニックとは」",
                "url": null,
                "genbun": "4ファンドの簿価427億円に対し時価は227億円だった"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1999年3月期中間決算の中間純利益はわずか5600万円で、主因は外債の解約損失による74億円の特別損失",
                "source": "週刊東洋経済 1998年12月19日号「青山商事に見る損失隠し SPCを活用した損失先送りのテクニックとは」",
                "url": null,
                "genbun": "1999年3月期の中間決算で、青山商事は外債の解約損失を中心に74億円の特別損失を計上し、中間純利益は5600万円に落ちた"
              },
              {
                "fact": "デリバティブ運用時に発生した約70億円の損失は、ファンドの中身を国債へ入れ替える際に解約損か評価損で計上すべきものであり、損失の先送りにあたると指摘された。外国債は市場価格がないという理由で評価損・含み損の開示義務がなく、公開は市場への配慮によるものだった",
                "source": "週刊東洋経済 1998年12月19日号「青山商事に見る損失隠し SPCを活用した損失先送りのテクニックとは」",
                "url": null,
                "genbun": "その入れ替え時に解約損か評価損として処理すべき約70億円が先送りされていたとみられている"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "日本橋に開いたザ・スーツカンパニーと調達の作り直し",
          "text": "2000年11月、青山商事は東京・日本橋に新業態「ザ・スーツカンパニー」1号店を開いた。価格を1万9000円と2万8000円の2つに絞り、スーツは身長160センチから190センチまで別に並べ、店員から客に近づく接客をなくしている。郊外店の中心価格は3万5000円だがバーゲンが繰り返され平均売価は2万5000円前後まで落ちていたのに対し、新業態は均一価格でバーゲンを設けなかった。1999年8月には青山キャピタルを設立してカード事業へ入っており、本業の外にも収益源を求め始めていた。\n\n新業態の背景には郊外店の低迷があった。既存郊外店の不振は3〜4年続き、2000年度の既存店売上は最大手の青山商事でも前年比で二桁の落ち込みとなる。1999年度の販管費率は42.6％と高く、人口の少ない郊外へ客を引くために売上の1割近い広告宣伝費を投じる構造が残っていた。商品回転率も郊外店は年2回転程度にとどまる。ザ・スーツカンパニーは都心立地で年10回転以上をねらい、生地は商社を介さずイタリアのメーカーから直接仕入れ、縫製は中国の取引先2社に絞って専属技術者を送り込んだ。店頭ではワイシャツ棚をコンビニの冷蔵庫と同じ構造に改め、バックヤードから補充できるようにしている。\n\nツープライス業態の先駆けは、1999年10月に東京・日比谷へ1号店を出した京都のオンリーで、大手各社が新業態に取り組んだのはその成功に刺激された面が大きい。ザ・スーツカンパニー1号店となった日本橋の店では、以前に「洋服の青山」として同じ発想の実験を行い、十分な成果が出ないまま終わっていた。当時の担当者が新業態の統括を務めており、同じ発想でも従来と別の切り口でゼロから作り直したためここまで徹底できた、と説明している。アオキインターナショナルとはるやま商事も相次いで同種の店を出し、価格競争は再燃した。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2000年11月に「ザ・スーツカンパニー」1号店（日本橋店）を開店",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2000年11月、青山商事は東京・日本橋に新業態「ザ・スーツカンパニー」1号店を開いた"
              },
              {
                "fact": "価格は1万9000円と2万8000円の2つのみ、スーツは160〜190cmの身長別に陳列、店員からのアプローチなし。郊外店の中心価格は3万5000円だがバーゲン多発で平均売価は2万5000円前後、新業態は均一価格でバーゲンなし",
                "source": "週刊東洋経済 2001年1月27日号「特集『価格創造』への挑戦 安売りモデルを脱却できるか」",
                "url": null,
                "genbun": "価格を1万9000円と2万8000円の2つに絞り、スーツは身長160センチから190センチまで別に並べ、店員から客に近づく接客をなくしている"
              },
              {
                "fact": "1999年8月に株式会社青山キャピタルを出資比率100%で設立しカード事業へ進出",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "1999年8月には青山キャピタルを設立してカード事業へ入っており"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "既存郊外店の低迷が3〜4年続き、当期の既存店売上は最大手の青山でも前年比二桁の落ち込み。1999年度の販管費率は42.6%と高止まりし、郊外店は対売上で10%近い広告宣伝費を投入していた",
                "source": "週刊東洋経済 2001年1月27日号「特集『価格創造』への挑戦 安売りモデルを脱却できるか」",
                "url": null,
                "genbun": "既存郊外店の不振は3〜4年続き、2000年度の既存店売上は最大手の青山商事でも前年比で二桁の落ち込みとなる。1999年度の販管費率は42.6％と高く"
              },
              {
                "fact": "郊外店の商品回転率は年2回転程度、新業態は都心出店により年10回転以上をねらった。生地は商社を介さず自社直接仕入れ、縫製は人件費の安い中国で従来からの取引先を2社に絞り込み専属技術者を派遣した",
                "source": "週刊東洋経済 2001年1月27日号「特集『価格創造』への挑戦 安売りモデルを脱却できるか」",
                "url": null,
                "genbun": "ザ・スーツカンパニーは都心立地で年10回転以上をねらい、生地は商社を介さずイタリアのメーカーから直接仕入れ、縫製は中国の取引先2社に絞って専属技術者を送り込んだ"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "ツープライスショップの先駆者は京都のオンリーで、1999年10月に東京・日比谷に1号店を出店。大手各社の新業態はオンリーの成功に刺激された側面が大きい",
                "source": "週刊東洋経済 2001年1月27日号「特集『価格創造』への挑戦 安売りモデルを脱却できるか」",
                "url": null,
                "genbun": "ツープライス業態の先駆けは、1999年10月に東京・日比谷へ1号店を出した京都のオンリーで、大手各社が新業態に取り組んだのはその成功に刺激された面が大きい"
              },
              {
                "fact": "ザ・スーツ・カンパニー1号店となった日本橋店では以前「洋服の青山」として同じコンセプトの実験を行ったが十分な成果が上がらなかった。当時の担当者である藤井満典氏が新業態を統括し「あのときと発想は同じ。しかし今回は、従来とはまったく別の切り口で、ゼロからスタートしたためにここまで徹底した店作りができた」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2001年1月27日号「特集『価格創造』への挑戦 安売りモデルを脱却できるか」",
                "url": null,
                "genbun": "ザ・スーツカンパニー1号店となった日本橋の店では、以前に「洋服の青山」として同じ発想の実験を行い、十分な成果が出ないまま終わっていた"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "青山理体制で進めたカード事業と新業態の積み増し",
          "text": "2005年6月、青山理氏が3代目社長に就いた。創業者の長男で、1995年には商品副本部長の常務として品質評価の改善に取り組んでいた人物である。前年の2004年10月には輸入生地を使う「ユニバーサル ランゲージ」1号店を渋谷に開き、2005年10月にはキャラジャ事業を会社分割で切り出している。連結売上高は2006年3月期の2027億円から2008年3月期の2146億円まで伸びたのち、2011年3月期には1932億円まで下がった。創業者の青山五郎氏は2008年1月15日に77歳で亡くなっている。\n\n2000年代後半の紳士服業界は、地価下落を受けた都心の陣取り合戦に入った。青山商事は全国約720店の「洋服の青山」を持つ最大手だったが、首都圏の店舗数ではアオキやコナカと拮抗しており、2009年には東京・神奈川・千葉・埼玉での出店強化を打ち出す。翌春に稼働する千葉の物流センターが店内の在庫スペースを肩代わりするため、標準的な郊外型店で必要だった約100平方メートルの倉庫を省いた小型店が出せるようになった。メンズスーツ市場は2007年に2700億円前後と、1997年からほぼ半分に縮んでいた。\n\n2010年代前半は本業以外の事業を増やした時期にあたる。2010年12月に住金物産との合弁でイーグルリテイリングを設け「アメリカンイーグルアウトフィッターズ」のFCに入り、2011年7月には物語コーポレーションのFCとして「焼肉きんぐ」などを扱うglobを設立した。スーツの平均単価は1990年代初頭の約4万円から下がり続けて2010年ごろに底を打ち、2013年春夏物で5年ぶりに2万5000円を超える。2014年4月には約750店の「洋服の青山」に対し売り場を5分の1に抑え、レディス比率を4割に上げた新業態「ネクストブルー」1号店をららテラス武蔵小杉に開いた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2005年6月に青山理氏（創業者の長男）が3代目社長に就任。2006年3月期有価証券報告書の代表者は「代表取締役社長兼執行役員社長 青山理」",
                "source": "青山商事 有価証券報告書（第42期）表紙／日本経済新聞 2025年1月27日「『洋服の青山』の青山商事、社長に遠藤泰三執行役員 創業一族以外で初」",
                "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC276RI0X20C25A1000000/",
                "genbun": "2005年6月、青山理氏が3代目社長に就いた"
              },
              {
                "fact": "1995年時点で青山理氏は商品副本部長の常務として「なかなかうちの品質の良さが理解してもらえない」と述べていた",
                "source": "日経ビジネス 1995年6月12日号「青山商事、失地回復に苦闘」",
                "url": null,
                "genbun": "1995年には商品副本部長の常務として品質評価の改善に取り組んでいた人物である"
              },
              {
                "fact": "創業者の青山五郎氏は2008年1月15日に肺炎のため77歳で死去",
                "source": "日刊工業新聞 2008年1月16日「【おくやみ】青山五郎氏（青山商事会長・創業者）死去」",
                "url": "https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00001954",
                "genbun": "創業者の青山五郎氏は2008年1月15日に77歳で亡くなっている"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "青山商事は紳士服業界最大手で全国約720店の「洋服の青山」を持つが首都圏店舗数ではAOKIやコナカと拮抗。東京・神奈川・千葉・埼玉の出店を中期的に強化すると表明し、2010年春に千葉の新物流センターが稼働予定。郊外型標準店（約500㎡）で必要な約100㎡の倉庫スペースを代替し小型店の出店が可能になる",
                "source": "週刊東洋経済 2009年5月2日号「スペシャルリポート02 都心の出店攻勢で火花 激化する紳士服戦争」",
                "url": null,
                "genbun": "青山商事は全国約720店の「洋服の青山」を持つ最大手だったが、首都圏の店舗数ではアオキやコナカと拮抗しており、2009年には東京・神奈川・千葉・埼玉での出店強化を打ち出す"
              },
              {
                "fact": "2007年のメンズスーツ市場規模は2700億円前後で1997年からほぼ半減した",
                "source": "週刊東洋経済 2009年5月2日号「スペシャルリポート02 都心の出店攻勢で火花 激化する紳士服戦争」",
                "url": null,
                "genbun": "メンズスーツ市場は2007年に2700億円前後と、1997年からほぼ半分に縮んでいた"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2010年12月に住金物産との合弁でイーグルリテイリングを設立し「アメリカンイーグルアウトフィッターズ」のFCとなり、2011年7月に物語コーポレーションのFCとして「焼肉きんぐ」等のフードサービス事業を行うglobを設立",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2010年12月に住金物産との合弁でイーグルリテイリングを設け「アメリカンイーグルアウトフィッターズ」のFCに入り、2011年7月には物語コーポレーションのFCとして「焼肉きんぐ」などを扱うglobを設立した"
              },
              {
                "fact": "青山商事とAOKIのスーツ単価は1990年代初頭のピーク時に約4万円で、1990年代から低下が続き2010年ごろに底打ち。青山商事の2013年春夏物スーツ平均単価は5年ぶりに2万5000円を突破した",
                "source": "週刊東洋経済 2014年1月18日号「価格を読む 紳士スーツ じわり進む単価上昇」",
                "url": null,
                "genbun": "スーツの平均単価は1990年代初頭の約4万円から下がり続けて2010年ごろに底を打ち、2013年春夏物で5年ぶりに2万5000円を超える"
              },
              {
                "fact": "2014年4月に新業態「ネクストブルー」1号店をららテラス武蔵小杉へ出店。主力の洋服の青山は47都道府県に約750店舗で、ネクストブルーは売り場が約5分の1、レディス構成比を4割へ倍以上に引き上げた",
                "source": "週刊東洋経済 2014年4月26日号「特集 小売激変 PART2 曲がり角迎えた専門店のビジネスモデル」",
                "url": null,
                "genbun": "2014年4月には約750店の「洋服の青山」に対し売り場を5分の1に抑え、レディス比率を4割に上げた新業態「ネクストブルー」1号店をららテラス武蔵小杉に開いた"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 2015,
      "end_year": 2026,
      "main_title": "靴修理事業の買収と創業以来初の希望退職を経たスーツ依存からの脱却",
      "subsections": [
        {
          "title": "創業五十周年に踏み切ったミスターミニット買収",
          "text": "2014年度、青山商事は創業50周年を機に新しい経営理念と中期経営計画「CHALLENGE 2017」を掲げ、アメリカンイーグル事業・海外事業・M&Aによる事業領域の拡大を打ち出した。実行は早く、2015年12月に靴修理と鍵複製を軸とする総合リペアサービスのミニット・アジア・パシフィックの全株式を取得している。同社は「ミスターミニット」の名で日本・オーストラリア・ニュージーランドを中心に500店超を持ち、2015年3月期の売上高は113億円だった。連結売上高は2016年3月期に2402億円へ増え、総合リペアサービス事業が新しいセグメントとして加わる。\n\n業態の幅も広げた。2016年2月にカスタムオーダー店「ユニバーサル ランゲージ メジャーズ」1号店を渋谷神南に、レディース専門店「ホワイト ザ・スーツカンパニー」1号店を新宿に開き、同年4月には雑貨・インテリアのWTWをバルスから買い取っている。株主還元も厚くした。中期経営計画「CHALLENGE 2017」の3年間で約215億円の自己株式取得を含む総還元性向130％を実施し、2018年11月には自己株式500万株を消却する。連結売上高は2018年3月期の2528億円が過去の最高で、この期の営業利益は202億円だった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "創業50周年を機に新経営理念と中期経営計画「CHALLENGE 2017」を発表し、アメリカンイーグル事業・海外事業・M&Aによる事業領域拡大を掲げた。自己株式取得139億円を実施",
                "source": "青山商事 2015年3月期 決算・中期経営計画説明会資料",
                "url": null,
                "genbun": "青山商事は創業50周年を機に新しい経営理念と中期経営計画「CHALLENGE 2017」を掲げ、アメリカンイーグル事業・海外事業・M&Aによる事業領域の拡大を打ち出した"
              },
              {
                "fact": "2015年12月に靴修理・鍵複製等の総合リペアサービスを提供するミニット・アジア・パシフィック株式会社の全株式を取得し100%出資の連結子会社とした",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2015年12月に靴修理と鍵複製を軸とする総合リペアサービスのミニット・アジア・パシフィックの全株式を取得している"
              },
              {
                "fact": "ミニット・アジア・パシフィックは「ミスターミニット」ブランドでアジア太平洋地域にグループ全体で500以上の店舗を持ち、2015年3月期の売上高は113億円",
                "source": "日本M&Aセンター M&Aニュース 2015年11月27日「青山商事、靴修理『ミスター・ミニット』運営のミニット・アジア・パシフィックを完全子会社化」",
                "url": "https://www.nihon-ma.co.jp/news/20151127_8219/",
                "genbun": "同社は「ミスターミニット」の名で日本・オーストラリア・ニュージーランドを中心に500店超を持ち、2015年3月期の売上高は113億円だった"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2016年2月にカスタムオーダー店「ユニバーサル ランゲージ メジャーズ」1号店（渋谷神南店）、レディース専門店「ホワイト ザ・スーツカンパニー」1号店（新宿店）を開店。2016年4月に株式会社WTWの全株式を株式会社バルスより取得",
                "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2016年2月にカスタムオーダー店「ユニバーサル ランゲージ メジャーズ」1号店を渋谷神南に、レディース専門店「ホワイト ザ・スーツカンパニー」1号店を新宿に開き、同年4月には雑貨・インテリアのWTWをバルスから買い取っている"
              },
              {
                "fact": "中期経営計画「CHALLENGE 2017」で3年間に約215億円の自己株式取得を含む総還元性向130%を実施予定。2018年11月に自己株式500万株を消却し総還元性向100%方針を継続",
                "source": "青山商事 2018年3月期・2020年3月期 決算説明会資料",
                "url": null,
                "genbun": "中期経営計画「CHALLENGE 2017」の3年間で約215億円の自己株式取得を含む総還元性向130％を実施し、2018年11月には自己株式500万株を消却する"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "スーツ市場の縮小が招いた本業の失速と大型減損",
          "text": "スーツの需要そのものが細っていた。1世帯当たりのスーツ年間支出額は1991年の1.9万円から2000年に1万円、2017年には5217円とピークの約4分の1まで落ちる。少子高齢化による労働人口の減少、2005年に始まったクールビズ、団塊世代の退職が重なり、ユニクロの感動ジャケットやZOZO・オンワード樫山の格安オーダーが競合に加わった。2018年11月、青山商事とアオキホールディングス、はるやまホールディングスが発表した2019年3月期の中間決算はいずれも最終赤字となる。青山商事の既存店売上高は2018年4月から12月までの累計で前年同期比4.1ポイント減だった。\n\n会社はスーツ以外の収益源を探した。2015年に買収したミスターミニットは人材育成の投資が先行して赤字が続いたが、印鑑作製や時計修理を加え駅構内などへ出店し、2019年度の黒字化を見込んでいた。当時の売上高は7割強がスーツ関連で、2027年度までに売上高の4割を他事業で稼ぐ目標を掲げる。それでも本業の落ち込みは止まらず、2020年3月期の連結売上高は2177億円、営業利益は8億円まで縮み、日本事業ののれん減損54億円などを計上して親会社株主に帰属する当期純損失は169億円となった。中期経営計画「CHALLENGE Ⅱ 2020」は取り下げられた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1世帯当たりスーツ年間支出額は1991年1.9万円、2000年1万円、2017年5217円でピークの約4分の1。要因は少子高齢化による労働人口減少とカジュアル化、2005年開始のクールビズ、団塊世代の退職",
                "source": "週刊東洋経済 2019年2月9日号「産業リポート 苦悩するスーツ量販店 大手4社苦渋の生き残り策」",
                "url": null,
                "genbun": "1世帯当たりのスーツ年間支出額は1991年の1.9万円から2000年に1万円、2017年には5217円とピークの約4分の1まで落ちる"
              },
              {
                "fact": "青山商事・AOKIホールディングス・はるやまホールディングスが2018年11月に発表した2019年3月期中間決算はいずれも最終赤字。青山商事の既存店売上高は2018年4月から12月までの累計で前年同期比4.1ポイント減少",
                "source": "週刊東洋経済 2019年2月9日号「産業リポート 苦悩するスーツ量販店 大手4社苦渋の生き残り策」",
                "url": null,
                "genbun": "2018年11月、青山商事とアオキホールディングス、はるやまホールディングスが発表した2019年3月期の中間決算はいずれも最終赤字となる。青山商事の既存店売上高は2018年4月から12月までの累計で前年同期比4.1ポイント減だった"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2015年買収のミスターミニットは人材育成投資が先行し赤字が続くが2019年度に黒字化する見通し。青山商事は売上高の7割強がスーツ関連で、2027年度までに売上高の4割を他事業で稼ぐ目標を掲げた",
                "source": "週刊東洋経済 2019年2月9日号「産業リポート 苦悩するスーツ量販店 大手4社苦渋の生き残り策」",
                "url": null,
                "genbun": "当時の売上高は7割強がスーツ関連で、2027年度までに売上高の4割を他事業で稼ぐ目標を掲げる"
              },
              {
                "fact": "コロナ影響で中期経営計画「CHALLENGE Ⅱ 2020」との乖離が拡大し同計画を取り下げ、日本事業ののれん減損54億円等を計上。株主還元方針も新中計策定まで未定とした",
                "source": "青山商事 2021年3月期 決算説明会資料",
                "url": null,
                "genbun": "日本事業ののれん減損54億円などを計上して親会社株主に帰属する当期純損失は169億円となった。中期経営計画「CHALLENGE Ⅱ 2020」は取り下げられた"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "構造改革Aoyama Reborn 2023と創業家以外からの社長選出",
          "text": "2021年3月期はテレワークの普及と出張の減少が直撃し、連結売上高は1614億円、営業損失144億円、当期純損失389億円となった。青山商事は不採算店舗の統廃合、希望退職、リーバイス事業からの撤退を進め、減損106億円と希望退職関連損失42億円を計上する。2020年末に発表した希望退職は創業以来初めてで、募集400人に対し1.5倍の609人が応じた。青山商事単体の正社員の1割を超える人数にあたる。同時に新しい中期経営計画「Aoyama Reborn 2023」を掲げ、再建に入った。\n\n再建は数字に表れた。2022年3月期に当期純利益14億円で黒字へ戻り、2023年3月期の売上高1856億円、2024年3月期1937億円、2025年3月期1948億円と回復する。営業利益は2025年3月期に126億円まで戻った。連結従業員数は2019年3月期の8101人から2025年3月期の6561人へ減っている。2024年3月期には前中期経営計画を利益ベースで達成したと総括し、2024年度から2026年度の中期経営計画を発表した。株主還元は配当性向70％またはDOE3％の高い方とし、自己株式取得は期間最大100億円を置いている。\n\n2025年1月、青山商事は遠藤泰三氏の社長昇格を発表した。1967年生まれで1990年に入社し、洋服の青山せんげん台店の店長を経て人事部長、管理本部長を務めた人物で、創業一族以外からの社長は初めてにあたる。同年4月1日に執行役員社長、6月26日に代表取締役社長へ就き、青山理氏は代表取締役会長へ移った。新体制の1年目は事業統合を含む組織の刷新と人材投資を進め、2028年3月期を初年度とする次期中期経営計画の策定に入っている。2026年4月1日には1株を3株とする株式分割を実施した。2026年3月期の連結売上高は1890億円、当期純利益は69億円だった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "新中期経営計画「Aoyama Reborn 2023」を発表。コロナ禍対応の構造改革として不採算店舗の統廃合・希望退職・リーバイス事業撤退を実施し、減損106億円・希望退職関連損失42億円を計上した",
                "source": "青山商事 2022年3月期 決算・中期経営計画説明会資料",
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                "genbun": "青山商事は不採算店舗の統廃合、希望退職、リーバイス事業からの撤退を進め、減損106億円と希望退職関連損失42億円を計上する"
              },
              {
                "fact": "2020年末に創業以来初となる希望退職の募集を発表し、募集人数400人に対し1.5倍の609人が応募。青山商事単体の正社員の1割超にあたる",
                "source": "週刊東洋経済 2021年3月13日号「第1特集 コロナ倒産 最終局面 PART1」",
                "url": null,
                "genbun": "2020年末に発表した希望退職は創業以来初めてで、募集400人に対し1.5倍の609人が応じた"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "前中期経営計画「Aoyama Reborn 2023」を利益ベースで達成と総括し2024〜2026年度中期経営計画を発表。株主還元は配当性向70%またはDOE3%の高い方、自己株式取得は期間最大100億円",
                "source": "青山商事 2024年3月期 決算・中期経営計画説明会資料",
                "url": null,
                "genbun": "2024年3月期には前中期経営計画を利益ベースで達成したと総括し、2024年度から2026年度の中期経営計画を発表した"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2025年1月27日に遠藤泰三執行役員の社長昇格を発表。1967年生まれ、1990年入社、洋服の青山せんげん台店長を経て2017年執行役員人事部長、2021年執行役員管理本部長。創業一族以外からの社長就任は初",
                "source": "日本経済新聞 2025年1月27日「『洋服の青山』の青山商事、社長に遠藤泰三執行役員 創業一族以外で初」",
                "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC276RI0X20C25A1000000/",
                "genbun": "1967年生まれで1990年に入社し、洋服の青山せんげん台店の店長を経て人事部長、管理本部長を務めた人物で、創業一族以外からの社長は初めてにあたる"
              },
              {
                "fact": "2025年4月1日付で遠藤泰三氏が執行役員社長、6月26日付で代表取締役社長兼執行役員社長に就任し、青山理氏は代表取締役会長へ。2026年3月期有価証券報告書の代表者は遠藤泰三氏",
                "source": "青山商事 有価証券報告書（第62期）表紙／繊研新聞 2025年1月27日「青山商事、社長に遠藤泰三執行役員」",
                "url": null,
                "genbun": "同年4月1日に執行役員社長、6月26日に代表取締役社長へ就き、青山理氏は代表取締役会長へ移った"
              },
              {
                "fact": "遠藤泰三社長の新体制1年目は事業統合を含む組織刷新・人材投資を報告し、2028年3月期を初年度とする次期中計の策定開始を表明。2026年4月1日付で1株を3株とする株式分割を実施",
                "source": "青山商事 2026年3月期 決算説明会資料",
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                "genbun": "新体制の1年目は事業統合を含む組織の刷新と人材投資を進め、2028年3月期を初年度とする次期中期経営計画の策定に入っている。2026年4月1日には1株を3株とする株式分割を実施した"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    }
  ],
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "### 創業\n\n1964年、高度成長期の広島県府中市で、日本専売公社の経理担当だった青山五郎氏が弟ら4人で青山商事を創業。1967年に紳士服へ絞り、1974年には東広島市西条に物販店として日本初の郊外店を開いた。米国視察と2000人アンケートから、品揃えと車での行きやすさを求める客には150坪の郊外立地しかないと読んだ。支えたのは業界慣行の委託仕入を捨てた完全買取仕入で、返品リスクを負う代わりに仕入原価が下がり、粗利率は業界平均36％に対し50％を保った。厚い粗利を広告に投じて客を集め、仕入ロットを太らせて安く買う循環を回した。",
    "sections": [
      {
        "label": "創業",
        "body": "1964年、高度成長期の広島県府中市で、日本専売公社の経理担当だった青山五郎氏が弟ら4人で青山商事を創業。1967年に紳士服へ絞り、1974年には東広島市西条に物販店として日本初の郊外店を開いた。米国視察と2000人アンケートから、品揃えと車での行きやすさを求める客には150坪の郊外立地しかないと読んだ。支えたのは業界慣行の委託仕入を捨てた完全買取仕入で、返品リスクを負う代わりに仕入原価が下がり、粗利率は業界平均36％に対し50％を保った。厚い粗利を広告に投じて客を集め、仕入ロットを太らせて安く買う循環を回した。",
        "tags": {
          "primary": {
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            "label": "独立系・個人創業",
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              "label": "職人・家業・小売からの出発",
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              "label": "商法・モデル革新で差別化",
              "group": "起点の事業モデル"
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    ],
    "qa": [
      {
        "q": "なぜ1998年に本業と無関係の外債投資で74億円もの特別損失を出したのか",
        "a": "完全買取仕入と価格破壊で紳士服を売り、無借金で潤沢な手元資金を抱えた青山商事は、その余剰資金を高利回りの外国債運用へ振り向けた。タックスヘイブンに設けた特別目的会社を通じ、ロシアなどカントリーリスクの高い国のドル建て国債を組み合わせて買う仕組みで、有価証券報告書には実際の銘柄ではなくファンド名しか載らず中身は外から見えなかった。1998年9月にロシア投資の失敗が噂されて株価はストップ安をつけ、4ファンドの簿価427億円に対し時価は227億円まで沈み、翌年の中間決算で74億円の特別損失を計上した。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "1998年の決算分析で、青山商事は無借金経営で紳士服関連に専念していると評価された",
            "source": "週刊東洋経済 1998年6月20日号「特集 緊急分析！98年度迷走決算」",
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            "genbun": "完全買取仕入と価格破壊で紳士服を売り、無借金で潤沢な手元資金を抱えた青山商事は、その余剰資金を高利回りの外国債運用へ振り向けた。"
          },
          {
            "fact": "タックスヘイブンに設けたSPCを通じロシア等のドル建て国債を買い、有報にはファンド名しか載らず投資の中身は外から見えなかった",
            "source": "週刊東洋経済 1998年12月19日号「青山商事に見る損失隠し SPCを活用した損失先送りのテクニックとは」",
            "url": null,
            "genbun": "タックスヘイブンに設けた特別目的会社を通じ、ロシアなどカントリーリスクの高い国のドル建て国債を組み合わせて買う仕組みで、有価証券報告書には実際の銘柄ではなくファンド名しか載らず中身は外から見えなかった。"
          },
          {
            "fact": "1998年9月にロシア投資失敗の噂で株価ストップ安、4ファンド簿価427億円に対し時価227億円、1999年3月期中間に74億円の特別損失を計上",
            "source": "週刊東洋経済 1998年12月19日号「青山商事に見る損失隠し SPCを活用した損失先送りのテクニックとは」",
            "url": null,
            "genbun": "1998年9月にロシア投資の失敗が噂されて株価はストップ安をつけ、4ファンドの簿価427億円に対し時価は227億円まで沈み、翌年の中間決算で74億円の特別損失を計上した。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ創業50周年の2015年に靴修理のミスターミニットを買収したのか",
        "a": "スーツそのものの需要が構造的に細り、店を増やすだけでは売上を保てなくなっていた。1世帯当たりのスーツ年間支出額は1991年の1.9万円から2017年には5217円へ約4分の1に落ち、クールビズやカジュアル化が重なった。青山商事は創業50周年の中期経営計画「CHALLENGE 2017」でM&Aによる事業領域の拡大を掲げ、2015年12月に靴修理と鍵複製を軸とする総合リペアサービスのミニット・アジア・パシフィックを買収する。「ミスターミニット」で500店超を持つ同社を取り込み、スーツ依存からの脱却を目指した。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "1世帯当たりスーツ年間支出額は1991年1.9万円から2017年5217円へ約4分の1に減少、クールビズとカジュアル化が重なった",
            "source": "週刊東洋経済 2019年2月9日号「産業リポート 苦悩するスーツ量販店 大手4社苦渋の生き残り策」",
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            "genbun": "1世帯当たりのスーツ年間支出額は1991年の1.9万円から2017年には5217円へ約4分の1に落ち、クールビズやカジュアル化が重なった。"
          },
          {
            "fact": "創業50周年の中計「CHALLENGE 2017」でM&Aによる事業領域拡大を掲げ、2015年12月にミニット・アジア・パシフィックを買収",
            "source": "青山商事 有価証券報告書【沿革】／2015年3月期 決算・中期経営計画説明会資料",
            "url": null,
            "genbun": "青山商事は創業50周年の中期経営計画「CHALLENGE 2017」でM&Aによる事業領域の拡大を掲げ、2015年12月に靴修理と鍵複製を軸とする総合リペアサービスのミニット・アジア・パシフィックを買収する。"
          },
          {
            "fact": "ミニット・アジア・パシフィックは「ミスターミニット」で500店超を持ち、青山商事はスーツ依存からの脱却を狙った",
            "source": "日本M&Aセンター M&Aニュース 2015年11月27日「青山商事、靴修理『ミスター・ミニット』運営のミニット・アジア・パシフィックを完全子会社化」",
            "url": "https://www.nihon-ma.co.jp/news/20151127_8219/",
            "genbun": "「ミスターミニット」で500店超を持つ同社を取り込み、スーツ依存からの脱却を目指した。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜコロナ後の2020〜2025年に創業以来初の希望退職と非創業家からの社長選出に踏み切ったのか",
        "a": "テレワークの普及と出張の減少がスーツ需要を直撃し、事業構造を人ごと組み替えなければ立て直せなくなっていた。青山商事は2021年に営業損失144億円・当期純損失389億円を出し、2020年末に募った創業以来初の希望退職には募集400人に対し609人が応じた。中期経営計画「Aoyama Reborn 2023」で不採算店の統廃合とリーバイス事業からの撤退を進めて黒字へ戻した。2025年には人事・管理畑を歩んだ遠藤泰三氏を、創業一族以外で初の社長に据えた。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "2021年3月期は連結営業損失144億円・親会社株主に帰属する当期純損失389億円",
            "source": "青山商事 有価証券報告書",
            "url": null,
            "genbun": "青山商事は2021年に営業損失144億円・当期純損失389億円を出し、2020年末に募った創業以来初の希望退職には募集400人に対し609人が応じた。"
          },
          {
            "fact": "2020年末に創業以来初の希望退職を募集、募集400人に対し1.5倍の609人が応募（単体正社員の1割超）",
            "source": "週刊東洋経済 2021年3月13日号「第1特集 コロナ倒産 最終局面 PART1」",
            "url": null,
            "genbun": "青山商事は2021年に営業損失144億円・当期純損失389億円を出し、2020年末に募った創業以来初の希望退職には募集400人に対し609人が応じた。"
          },
          {
            "fact": "中期経営計画「Aoyama Reborn 2023」で不採算店の統廃合・希望退職・リーバイス事業撤退を進め黒字転換した",
            "source": "青山商事 2022年3月期 決算・中期経営計画説明会資料",
            "url": null,
            "genbun": "中期経営計画「Aoyama Reborn 2023」で不採算店の統廃合とリーバイス事業からの撤退を進めて黒字へ戻した。"
          },
          {
            "fact": "2025年に人事・管理畑を歩んだ遠藤泰三氏が創業一族以外で初の社長に就任した",
            "source": "日本経済新聞 2025年1月27日「『洋服の青山』の青山商事、社長に遠藤泰三執行役員 創業一族以外で初」",
            "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC276RI0X20C25A1000000/",
            "genbun": "2025年には人事・管理畑を歩んだ遠藤泰三氏を、創業一族以外で初の社長に据えた。"
          }
        ]
      }
    ]
  }
}
