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      "title": "一般メリヤス雑貨の生産をやめ野球ストッキング中心のスポーツウエアへ全面転換",
      "subtitle": "誰でも編める肌着を続けるか、選手にしか要らないユニフォームを引き受けるか——創業半年の津沢メリヤス製造所が決めた品目",
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          "label": "概要",
          "text": "1952年7月、創業から7カ月の株式会社津沢メリヤス製造所が、野球ストッキングを中心とするスポーツウエアの全面生産へ切り替えた経営判断。一般メリヤス雑貨の製造は併営せず、競技用ウエアの専業へ移った。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "富山県西砺波郡津沢町はメリヤス業者が並ぶ地域で、肌着・靴下の生産は競合が多かった。一方、終戦後の日本選手は世界選手権で試合中にユニフォームが破れるほどの装備しか持たず、選手側から国産品の改良を求める申し入れが届いていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "野球ストッキングを軸に競技用ウエアの生産へ全面的に移行し、選手が海外から持ち帰った先進国の製品を参考に、選手の意見を聞きながら仕様を詰める作り方を採った。日紡貝塚のためのNK式ユニフォームなど、競技ごとの個別開発を積み上げた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "量産の効く日常衣料ではなく、注文の中身が特殊な競技用ウエアを選んだことで、富山の工場は仕様で稼ぐ製造拠点になった。1964年の東京オリンピックでの採用、1963年の社名変更、その後のスキーウエア主力化まで、この品目の選択が土台となった。"
        }
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            "note": "当時の商号は株式会社津沢メリヤス製造所。資本金50万円、富山県西砺波郡津沢町清沢に所在する小規模なメリヤス製造業者"
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          "title": "株式会社津沢メリヤス製造所を設立（資本金50万円・富山県西砺波郡津沢町清沢）"
        },
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          "title": "大阪営業所を開設（1958年2月に東京営業所）"
        },
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          "title": "本社を富山県小矢部市清沢へ移転し、社名を株式会社ゴールドウインに改称"
        },
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          "title": "東京オリンピックで日本代表の競技ユニフォームに採用される"
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1952年（転換時）",
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            "name": "津沢メリヤス製造所（現・ゴールドウイン）",
            "fiscal_year": "1952年（転換時・単体）",
            "president": "西田東作",
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "富山の一メリヤス製造所として",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1951年12月、富山県西砺波郡津沢町清沢1062番地に株式会社津沢メリヤス製造所が設立された。資本金は50万円である。西田東作氏が興したこの会社は、肌着・靴下といった一般メリヤス雑貨の製造から出発した。富山県は明治期からメリヤス工業が地場に根づいた地域で、津沢の町にも同業が並んでいた。設立時点の同社を他社と区別する材料は、規模にも設備にも見あたらない。",
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                    {
                      "fact": "1951年12月、資本金50万円で株式会社津沢メリヤス製造所を設立（富山県西砺波郡津沢町清沢1062番地）",
                      "原文": "昭和26年12月 株式会社津沢メリヤス製造所設立（資本金50万円、富山県西砺波郡津沢町清沢1062番地）",
                      "source": "ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "出発点の品目については、西田東作社長自身が後年の講演で述べている。1991年12月の日本証券アナリスト協会での講演で、同社長は津沢メリヤス製造所として発足したのち、1952年に一般メリヤス雑貨の製造からスポーツウエアの生産へ全面転換し、それから40年が経つと語った。転換の前と後を、併営ではなく入れ替えとして説明した点に、この判断の性格が表れている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1951年12月に津沢メリヤス製造所として発足し、1952年に一般メリヤス雑貨の製造からスポーツウエアの生産へ全面転換した",
                      "原文": "当社は昭和26年12月、富山県小矢部市に設立した(株)津沢メリヤス製造所として発足し、27年に一般メリヤス雑貨の製造からスポーツウエアの生産へ全面転換して以来40年、スポーツの歴史とともに歩み続けてきた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）",
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                  "text": "転換の材料は市場調査ではなく、競技の現場から届いた。終戦からしばらくは物不足で、世界選手権大会に出場した日本選手のユニフォームは試合の途中で大事なところが破れ、機能の面でも不備が多かった。西田東作社長は1981年2月の講演でこの状態を振り返り、装備の差が選手にとって小さくないハンデであったと述べている。用具ではなく着るものが競技結果に影響するという認識が、需要の側から先にあった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "終戦後の物不足で日本選手のユニフォームは試合中に破れ、機能面の不備が競技上のハンデになっていた",
                      "原文": "ところが終戦からしばらくは物不足で、日本の選手は世界選手権大会などに出場しても、試合の途中で大事なところが破れたり、機能的に不備が多く、この面のハンデも少なくなかった。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1981年3月号「企業――ゴールドウイン」（西田東作・日本証券アナリスト協会企業分析部会 1981年2月10日名古屋講演要旨）",
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                {
                  "text": "そこにレスリングの笹原正三選手らが、海外から先進国のユニフォームを持ち帰り、それを参考に日本の選手に合ったものを作ってほしいと津沢メリヤスへ申し入れた。西田東作社長には別の動機もあった。ロサンゼルスで開かれた全米水泳選手権大会での古橋選手の活躍に感動し、戦後の荒廃のなかで国民に希望をわかせるスポーツの振興に役立とうという思いがあったと、後年みずから語っている。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "レスリングの笹原正三選手らが海外のユニフォームを持ち帰り、日本の選手に合ったものを作るよう津沢メリヤスへ申し入れた",
                      "原文": "そこでレスリングの笹原正三選手などが、海外から先進国のユニフォームを持ち帰り、当社(その当時は津沢メリヤス)に、それを参考にして日本の選手に合ったユニフォームをつくってくれと申し入れてきた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1981年3月号「企業――ゴールドウイン」（西田東作・日本証券アナリスト協会企業分析部会 1981年2月10日名古屋講演要旨）",
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                      "fact": "全米水泳選手権での古橋選手の活躍に感動し、スポーツ振興に役立とうという思いがスポーツ用品専業化の動機にあった",
                      "原文": "当社がスポーツ用品の製造販売を専業としたのには、そのころロサンゼルスで開かれた全米水泳選手権大会で古橋選手(現JOC会長)が金メダルをとった大活躍に感動し、戦後の荒廃のなかで国民に希望をわかせるスポーツの振興に少しでも役立とうという思いもあった。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）",
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
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              "sub_title": "1952年7月、野球ストッキングへの全面移行",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1952年7月、津沢メリヤス製造所は野球ストッキングを中心にスポーツウエアの全面生産へ転換した。設立から7カ月しか経っていない。有価証券報告書の沿革は、この転換を設立の次に置かれた一行として記録している。編機も職人もそのままに、作る相手だけを日常衣料の買い手から競技者へ移す決定であった。",
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                      "原文": "昭和27年７月 野球ストッキングを中心にスポーツウエアの全面生産に転換",
                      "source": "ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "会社側の後年の整理でも、1952年の転換は品目の追加ではなく身の振り方の変更として語られている。統合報告書は、創業3年目にスポーツウエア専業メーカーへ転身したと記し、「見えないものにこそ、『真実』の価値がある」を信条に機能性重視のものづくりを追求したと説明する。肌着で使えた「安く早く多く」という物差しは、この時点で会社の中から外された。",
                  "evidences": [
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                      "原文": "「見えないものにこそ、『真実』の価値がある」を信条に機能性重視のものづくりを追求。創業3年目にはスポーツウエア専業メーカーへと転身し、1963年に社名を「株式会社ゴールドウイン」に変更しました。",
                      "source": "ゴールドウイン 統合報告書2023",
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              "sub_title": "引き受けた注文の中身",
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                {
                  "text": "競技用ウエアの注文は、日常衣料とは要求の質が違った。バレーボールの女子選手はそれまで布帛のブルマをはいていたが、国際試合で十分に動けないためニットへ切り換えた。トレーニングのシャツやパンツはスライディングのさいに高熱が出るため、普通の繊維では溶けたり破れたりした。体操では倒立の際にパンツが脚にフィットしていないと採点が下がり、レスリングのユニフォームは試合の激しさで破れやすかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "バレーボールの布帛ブルマをニットへ切り換え、トレーニングウエアはスライディング時の発熱、体操は採点、レスリングは破損という競技別の要求があった",
                      "原文": "バレーボールの女子選手はそれまで布帛のプルマをはいていたが、それでは国際試合で十分に活動できないためニットに切り換えた。またトレーニングのシャツやパンツは、スライディングの瞬間に800ぐらいの熱が出るので、普通の繊維では溶けたり破れたりするという問題があった。体操の場合は、倒立などでパンツが格好よく脚にピタッとしていないと採点が悪くなる。レスリングのユニホームも試合が厳しいので破れやすい。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）",
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                },
                {
                  "text": "解き方も特殊であった。海外で試合をした選手に先進各国のスポーツウエアを持ち帰ってもらい、それを参考に選手の意見を聞いて研究するという手順を繰り返した。ローマオリンピックで金メダルを獲得した体操の小野選手もその一人であり、大松監督が率いた日紡貝塚のユニフォームも、この過程から生まれたNK式ユニフォームであった。設計図は社内になく、使う本人との往復のなかで仕様が決まった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "海外で試合をした選手に各国のスポーツウエアを持ち帰ってもらい、選手の意見を聞いて研究する方法で課題を解決した",
                      "原文": "当社はこのような問題を、海外で試合をした多くの選手が帰国の際、先進各国のスポーツウエアを持ち帰ってもらって、それらを参考に、選手の意見を聞いて研究し、解決してきた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "ローマ五輪金メダルの体操・小野選手、大松監督率いる日紡貝塚のためのNK式ユニフォームを開発した",
                      "原文": "ローマ・オリンピック大会で金メダルをとった体操の小野選手もそのひとりであり、バレー・ボールの大松監督が率いる日紡貝塚のためのユニフォームも当社で開発したNK式ユニフォームであった。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1981年3月号「企業――ゴールドウイン」（西田東作・日本証券アナリスト協会企業分析部会 1981年2月10日名古屋講演要旨）",
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          "section": "outcome",
          "label": "結果",
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            {
              "sub_title": "東京オリンピックと社名",
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                {
                  "text": "1964年の東京オリンピックで、日本は16個の金メダルを獲得した。そのうち12個は、同社製のユニフォームを着用した選手によるものであった。合宿練習の段階から選手とユニフォーム作りの相談を重ねる過程で、選手たちから「ブランド名が\"津沢\"ではよくない」と言われ、\"黄金の勝利\"を意味するゴールドウインが商品ブランドとして生まれた。名づけの主導権も、この時期は使い手の側にあった。",
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                      "fact": "1964年東京五輪の日本の金メダル16個のうち12個は同社製ユニフォーム着用の選手によるもので、選手の指摘からブランド名ゴールドウインが生まれた",
                      "原文": "東京オリンピックで日本は16個の金メダルをとったが、そのうち12個までは当社製のユニホームを着用した選手によるものである。彼らとはオリンピックに備えての合宿練習のときからユニホームづくりの相談をしたが、そこで選手たちから、「ブランド名が\"津沢\"ではよくない」と言われ、\"黄金の勝利\"という意味の\"ゴールドウイン\"とし、さらに、それを社名にしたという次第だ。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）",
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                },
                {
                  "text": "販売と本社の位置も、転換に合わせて動いた。1956年4月に大阪営業所、1958年2月に東京営業所を開設し、富山の生産と都市の需要を結ぶ経路を作った。1963年6月には本社を富山県小矢部市清沢210番地へ移し、同時に社名をブランドにあわせて株式会社ゴールドウインへ改称した。競技用ウエアの品目名でしかなかった呼び名が、11年で会社そのものの名になった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1956年4月に大阪営業所、1958年2月に東京営業所を開設し、1963年6月に本社を小矢部市清沢へ移転して社名をゴールドウインに改称した",
                      "原文": "昭和31年４月 大阪営業所開設／昭和33年２月 東京営業所開設／昭和38年６月 本社を富山県小矢部市清沢210番地に移転 同時に社名をブランドにあわせ株式会社ゴールドウインと改称",
                      "source": "ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】",
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              "sub_title": "品目構成に残った転換の跡",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "名古屋証券取引所第二部への上場を果たした1981年時点の品目別売上構成比は、アスレチックウエア56.1％、スキー用品28.6％、テニス・カジュアルウエア7.0％、アウトドア用品4.3％、その他4.0％であった。従業員は本体244人、生産を担う100％子会社トヤマゴールドウインが591人で、グループ全体では937人である。創業から30年、売上の全量が競技とその周辺のウエアで構成されていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1981年時点の品目別売上構成比はアスレチックウエア56.1％・スキー用品28.6％・テニスカジュアル7.0％・アウトドア4.3％・その他4.0％、グループ従業員は937人",
                      "原文": "当社商品の品目別売上高構成比をみると、前期(54年6月21日～55年6月20日)の実績で、アスレチック・ウェア(トレーニング・シャツ、ユニフォーム類)56.1%、スキー用品28.6%、アウト・ドア用品(ダウン・ウェア、テントなど)4.3%、テニス・カジュアル・ウェア7.0%、その他(くつ下、バッグなど)4.0%となっている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1981年3月号「企業――ゴールドウイン」（西田東作・日本証券アナリスト協会企業分析部会 1981年2月10日名古屋講演要旨）",
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                {
                  "text": "その10年後、1991年3月期の構成比はスキー用品47.2％、アスレチックウエア26.1％、スポーツ・カジュアルウエア12.5％、アウトドア用品10.4％へ移り、売上高は541億6,200万円、経常利益21億6,300万円、当期純利益8億200万円に達した。スキーウエアの市場占有率は23.6％で首位である。主力の競技は入れ替わったが、競技用ウエアという枠から外へ出ないまま規模が積み上がった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1991年3月期の売上高541億6,200万円・経常利益21億6,300万円・当期純利益8億200万円、品目構成はスキー47.2％・アスレチック26.1％ほか、スキーウエア市場占有率23.6％で首位",
                      "原文": "ちなみに、平成3年3月期の実績は、売上高541億6,200万円、経常利益21億6,300万円、当期純利益8億200万円であった。／業界に占める当社の順位は、スポーツウェア全般で第4位だが、スキーウエアでは市場占有率23.6%で第1位だ。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）",
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                {
                  "text": "1952年の転換で選ばれたのは、伸びる市場ではなく、注文の中身が面倒な市場であった。肌着や靴下は誰でも編めるが、スライディングの熱で溶けないパンツや、倒立したときに脚へ沿うタイツは、使う本人に聞かなければ寸法すら決まらない。津沢メリヤス製造所が引き受けたのはその往復であり、以後の富山の工場は、生産量ではなく仕様の細かさで対価を得る工場になった。創業から7カ月という時期の速さは、迷って選んだというより、注文が来た側に身を寄せた結果とみられる。"
                },
                {
                  "text": "この選択は40年後の商品構成にも残った。1991年12月の講演で西田東作社長は、スキー用品の売上構成比を47％程度より上げないようにし、ゴルフウエアなど他の品目を伸ばして偏りを抑える方針を示している。特定の競技に寄りかからないという配慮は、競技用ウエアの外へ出るという発想とは別物である。会社が肌着を捨てた1952年7月の一行は、有価証券報告書の沿革で設立の次に置かれたまま、今も動いていない。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】",
        "証券アナリストジャーナル 1981年3月号「企業――ゴールドウイン」（西田東作・日本証券アナリスト協会企業分析部会 1981年2月10日名古屋講演要旨）",
        "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）",
        "ゴールドウイン 統合報告書2023"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-23"
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      "slug": "north-face-trademark-1995",
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      "title": "ザ・ノース・フェイスの日本・韓国における商標権取得",
      "subtitle": "本国の企画を輸入して売り続けるか、日本で何を作るかを決める権利ごと買うか——輸入開始から17年目の選択",
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          "text": "1995年、ゴールドウインが米国のアウトドアブランド「ザ・ノース・フェイス」の日本および韓国における商標権を取得した経営判断。1978年に始めた輸入販売・ライセンス生産から、自社の裁量で企画・製造・販売を行う立場へ移った。"
        },
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          "label": "背景",
          "text": "1970年のフザルプ社との技術提携を皮切りに海外ブランドとのライセンス契約を重ね、複数ブランドを扱う体制を作っていた。ただしライセンシーの立場では本国が決めた企画・寸法・色の枠を出られず、日本人の体型や使われ方に合わせた設計には限界があった。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "日本と韓国という地域を限って商標権を買い取り、商品開発からマーケティングまでを自社で決められる体制へ移した。1990年に取得済みだったエレッセの日本商標権に続く措置で、同じ年に東京・名古屋両証券取引所の市場第一部へ指定替えとなった。"
        },
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          "label": "含意",
          "text": "権利を握ったことで日本独自の商品群が成立し、2024年3月期のザ・ノース・フェイス売上高は975億円、連結売上高1,269億円の大半を占めるに至った。一方で権利範囲が日本と韓国に限られる制約は、自社ブランド育成という後年の課題として残った。"
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            "note": "スキーウエアを主力とするスポーツウエアメーカー。1978年からザ・ノース・フェイスの輸入販売を手がけ、1995年9月に東証・名証の市場第一部へ指定替え"
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          "title": "東京・名古屋両証券取引所の市場第一部へ指定替え"
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                  "text": "ゴールドウインが海外ブランドを扱い始めたのは1970年である。フランスのスキーウエアブランド、フザルプ社との技術提携を皮切りに、海外ブランドとのライセンス契約を重ね、世界最先端の技術を導入しながら複数ブランドを扱う事業の形を作った。1976年にはイタリアのエレッセのライセンス生産を始め、1978年にはザ・ノース・フェイスの輸入販売に着手した。1983年にはノルウェーのヘリーハンセンともライセンス契約を結んでいる。",
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                      "fact": "1970年のフザルプ社との技術提携を皮切りに海外ブランドとのライセンス契約を進め、マルチブランドの事業を始めた",
                      "原文": "1970年にフランスのスキーウエアブランド フザルプ社と技術提携。これを皮切りに、海外ブランドとのライセンス契約を進め、世界最先端の技術を導入しながらマルチブランドビジネスの展開を始めました。",
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                      "source": "ゴールドウイン公式サイト「ゴールドウインの歩み」",
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                {
                  "text": "借りたブランドで売る形は、当時のスポーツ用品業界では有力な手段であった。西田東作社長は1981年の講演で、世界の一流ブランドはロイヤリティも高く導入をめぐる競争も激しいと述べ、フザルプ社の技術提携には世界各国から23社が詰めかけたなかを1週間以上ねばって獲得したと語っている。契約を取ること自体が競争であり、取った後に何を作るかは別の交渉であった。",
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                      "原文": "世界の一流ブランドはロイヤリティも高く、導入をめぐる競争も激しい。たとえばフザルプ社の場合は技術提携を求めて世界各国から23社も詰めかけていたが、当社は私が1週間以上もねばりにねばってものにした。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1981年3月号「企業――ゴールドウイン」（西田東作・日本証券アナリスト協会企業分析部会 1981年2月10日名古屋講演要旨）",
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                  "text": "西田東作社長は、欧米と日本では物の作り方の前提が違うと繰り返し述べていた。洋服や靴は各人のサイズに合わせて作るのに対し、着物や下駄・草履は万人が着用できる。スポーツウエアも同じで、海外メーカーと技術提携したのはそうした日本的なやり方を是正するためだったと1991年12月の講演で語り、その時点では提携先より自社のほうが進んでいる面もあると述べている。技術は移せても、寸法を決める権利は移らなかった。",
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                  "text": "事業の側にも事情があった。1990年前後のバブル経済の崩壊以降、個人のライフスタイルや価値観が変わり、スポーツの楽しみ方は多様化した。主力のスキーウエアは季節と流行に左右される品目であり、1996年3月期の売上高779億円を支える構成は、冬に偏ったままであった。年間を通して需要のある領域へ商品を広げるには、企画の中身に手を入れられる立場が要る。",
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                      "source": "ゴールドウイン 統合報告書2023",
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              "sub_title": "1995年、地域を限って権利を買う",
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                  "text": "1995年、ゴールドウインはザ・ノース・フェイスの日本および韓国における商標権を取得した。輸入販売の開始から17年目にあたる。同じ年の9月には東京・名古屋両証券取引所の市場第一部へ指定替えとなっており、公開市場での資金調達の枠が広がった時期と権利の買い取りが重なった。会社側はこの措置を、多角化した事業を整理していく時期の「経営基盤の充実」と説明している。",
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                      "source": "ゴールドウイン公式サイト「ゴールドウインの歩み」",
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                      "原文": "当社では、「エレッセ（ellesse）」や「ザ・ノース・フェイス（ THE NORTH FACE）」の日本における商標権を買い取り、経営基盤の充実を図りました。",
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                },
                {
                  "text": "権利を持つ前と後で何が変わったかは、実務を担った当事者が説明している。ザ・ノース・フェイスの事業に30年以上関わってきた渡辺貴生氏は、商標権の取得によって商品開発からマーケティングまで自社の裁量で自由にできるようになったと述べている。本国が用意した型番を輸入して並べる仕事から、日本で何を作り、どう売るかを自分たちで決める仕事へ、業務の中身が入れ替わった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "商標権の取得により商品開発からマーケティングまで自社の裁量で行えるようになった",
                      "原文": "商品開発からマーケティングまで自社の裁量で自由にできるようになった",
                      "source": "日経クロストレンド（2019年5月7日）「\"ジャパン ノース・フェイス\"を作った男 モノづくりの真髄」",
                      "url": "https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00149/00001/"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "先例としてのエレッセ、範囲としての日本と韓国",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "商標権を買うという手は、この時が初めてではなかった。同社は1989年から1990年にかけてエレッセの日本における商標権を取得しており、ダンスキンの商標権も同時期に押さえている。テニス・カジュアル領域で試した手順を、1995年に登山用品ブランドへ適用した順序になる。ライセンス契約と商標権取得を並べて持つ形は、以後の同社の海外ブランド事業の標準となった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1989年から1990年にかけてエレッセの日本商標権とダンスキンの商標権を取得していた",
                      "原文": "1989年 「エレッセ」の日本商標権取得、ダンスキン商標権取得／1990年 「エレッセ」日本商標権取得",
                      "source": "ゴールドウイン公式サイト「ゴールドウインの歩み」",
                      "url": "https://about.goldwin.co.jp/about/history"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "買い取った範囲が日本と韓国の二市場に限られた点は、この判断の輪郭を決めた。韓国では現地に会社を置いて事業を運営する形が採られ、2006年3月期の有価証券報告書には、GOLDWIN KOREA Corporationが韓国でスポーツウエアの企画・販売を担うと記されている。日本向けに設計した商品をそのまま持ち込める市場を、権利の側で一つ確保していた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "韓国ではGOLDWIN KOREA Corporationがスポーツウエアの企画・販売を行っていた",
                      "原文": "GOLDWIN KOREA Corporation（韓国）は、韓国においてスポーツウエアの企画・販売を行っております。",
                      "source": "ゴールドウイン 有価証券報告書（2006年3月期・連結）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "日本企画という商品群",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "権利取得から20年余りを経た2018年の誌面は、国内で正規販売されているザ・ノース・フェイス商品のほとんどがゴールドウインの独自企画であると伝えている。日本人の体型に合わせるだけでなく、登山着では最新の素材や縫製・接着の技術を取り入れ、軽さや保温性、蒸れにくさで海外モデルを上回る製品に仕上げていた。本格的な登山以外の商品展開も多く、使われる場面の幅が国内市場では広がった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "国内で正規販売されるノース商品のほとんどはゴールドウインの独自企画で、日本人の体型と機能面を追求した内容になっている",
                      "原文": "ゴールドウインがノース製品の取り扱いを開始したのは４０年前のこと。当初は本国モデルの輸入販売が主だったが、９４年に日本で自由にブランドを使用できる商標権を買い取った。現在、国内で正規販売されているノース商品のほとんどは、ゴールドウインが独自に企画したものだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2018年9月29日号「【産業リポート ノース快走のゴールドウイン】ノース快走のゴールドウイン 次は自社ブランドで海外へ」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "数字にも表れた。2017年度の推計売上高は400億円前後で、過去6年で倍増し、全社売上高704億円の過半を1ブランドで稼ぐ構成になっていた。その後も伸びは続き、2024年3月期のザ・ノース・フェイス売上高は975億円、過去10年で約5倍となった。同期の連結売上高は1,269億円で、1995年に買った権利の上で会社の収益の大半が立つ状態に至った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2017年度のノース推計売上高は400億円前後で全社売上高704億円の過半を占めた",
                      "原文": "そうした海外ブランドの中で、最も成功したのがノースであり、昨年度の推計売上高は４００億円前後。過去６年間で倍増し、１ブランドで全社売上高（昨年度７０４億円）の過半を稼ぎ出す文字どおりの大黒柱だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2018年9月29日号「【産業リポート ノース快走のゴールドウイン】ノース快走のゴールドウイン 次は自社ブランドで海外へ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2024年3月期のザ・ノース・フェイス売上高は975億円で過去10年で約5倍、同期の連結売上高は1,269億円",
                      "原文": "2024年3月期の連結売上高は1,269億円、営業利益238億円、親会社株主に帰属する当期純利益243億円であった。",
                      "source": "ゴールドウイン 有価証券報告書（2024年3月期・連結）",
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                    },
                    {
                      "fact": "2024年3月期のザ・ノース・フェイス単独売上高は975億円で、過去10年で約5倍に成長した",
                      "原文": "ゴールドウイン「ザ・ノース・フェイス」売上高975億円 過去10年で5倍に成長",
                      "source": "WWDジャパン（2024年）「ゴールドウイン『ザ・ノース・フェイス』売上高975億円 過去10年で5倍に成長」",
                      "url": "https://www.wwdjapan.com/articles/1858178"
                    }
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              ]
            },
            {
              "sub_title": "権利の外側に残った市場",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "買った範囲の外は、そのまま制約として残った。統合報告書2023は、ザ・ノース・フェイスが今後も中核ブランドである一方、同ブランドは日本と韓国以外の国では商標権の関係で販売に制約があると明記している。アパレル市場300兆円のうち国内は10兆円にすぎず、残る290兆円にほぼ手付かずであるという記述が続く。国内で通用した企画力を、そのまま持ち出せない構造になっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ザ・ノース・フェイスは日本と韓国以外では商標権の関係で販売に制約があり、海外市場への挑戦が課題として残った",
                      "原文": "「ザ・ノース・フェイス」は、今後も中核ブランドとして当社の成長のけん引役となりますが、同ブランドは日本と韓国以外の国では商標権の関係で販売に制約があります。300 兆円とも言われるアパレル市場のうち、国内はわずか10兆円であり、残りの290兆円に対して当社はほぼ手付かずの状態ですので、海外への挑戦は喫緊の課題と捉えています。",
                      "source": "ゴールドウイン 統合報告書2023",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "権利を買う手法そのものは、その後も繰り返された。1983年のライセンス契約から33年を経た2016年12月、ゴールドウインはノルウェーのHelly Hansen ASからヘリーハンセンの日本における商標権を30億円で取得し、2017年1月25日に公表した。安定した事業基盤を確立し、中長期の戦略投資を可能にするというのが会社側の説明である。日本経済新聞も同日付で同じ内容と金額を報じている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2016年12月にヘリーハンセンの日本における商標権をHelly Hansen ASから30億円で取得し、2017年1月25日に公表した",
                      "原文": "取得価額30億円。マリン&アウトドアブランド「ヘリーハンセン／HELLY HANSEN」の日本における商標権をHelly Hansen AS（本社：ノルウェー・オスロ）より取得。今回の商標権取得により安定的な事業基盤を確立し、中長期的な戦略投資が可能となり、アウトドアスタイル事業の中核ブランドとしてヘリーハンセンのさらなる成長を促進する。",
                      "source": "ゴールドウイン「『ヘリーハンセン／HELLY HANSEN』の日本における商標権取得のお知らせ」（2017年1月25日）",
                      "url": "https://about.goldwin.co.jp/news/page-18791"
                    },
                    {
                      "fact": "ゴールドウインがHelly Hansen ASからヘリーハンセンの日本商標権を30億円で取得した",
                      "原文": "ゴールドウインは、マリン&アウトドアブランド「ヘリーハンセン」の日本における商標権をHelly Hansen ASから30億円で取得した。1983年から33年にわたるライセンス契約を経ての取得となる。",
                      "source": "日本経済新聞（2017年1月25日）「ゴールドウイン、マリン&アウトドアブランド『ヘリーハンセン/HELLY HANSEN』の日本での商標権取得」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP434327_V20C17A1000000/"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "買ったのは商品ではなく決定権",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1995年に支払った対価が向かった先は、在庫でも設備でもなく、日本と韓国で何を作るかを決める権限であった。輸入代理店のままでも当時のザ・ノース・フェイスは売れていたはずで、権利の買い取りは目の前の売上を増やす投資ではない。効いてきたのは、都市で着るダウンや通勤に使うリュックのような、本国の商品計画には載らない品目を自前で立てられた点にある。同じ手順が1990年のエレッセ、2016年のヘリーハンセンでも踏まれており、単発の思いつきというより、この会社が繰り返し使ってきた型とみることができる。"
                },
                {
                  "text": "ただし買ったのは二つの国の権利であって、世界ではなかった。2024年3月期に975億円まで育ったブランドを、そのまま海外へ持ち出す道は最初から閉じている。ゴールドウインは自社名を冠したブランドの育成へ資源を振り向け、2024年10月に韓国・ソウルへGoldwin Korea Corporationを設立、2026年2月14日には同ブランドとして世界最大規模の旗艦店をソウルに開いた。1995年に日本と並べて韓国を権利範囲に入れた判断は、30年後、他社ブランドではなく自社ブランドの店を構えるという答えに行き着いた。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "ゴールドウイン公式サイト「ゴールドウインの歩み」",
        "ゴールドウイン 統合報告書2023",
        "ゴールドウイン 有価証券報告書（2006年3月期・連結）",
        "ゴールドウイン 有価証券報告書（2024年3月期・連結）",
        "週刊東洋経済 2018年9月29日号「【産業リポート ノース快走のゴールドウイン】ノース快走のゴールドウイン 次は自社ブランドで海外へ」",
        "日経クロストレンド（2019年5月7日）「\"ジャパン ノース・フェイス\"を作った男 モノづくりの真髄」",
        "WWDジャパン（2024年）「ゴールドウイン『ザ・ノース・フェイス』売上高975億円 過去10年で5倍に成長」",
        "ゴールドウイン「『ヘリーハンセン／HELLY HANSEN』の日本における商標権取得のお知らせ」（2017年1月25日）",
        "日本経済新聞（2017年1月25日）「ゴールドウイン、マリン&アウトドアブランド『ヘリーハンセン/HELLY HANSEN』の日本での商標権取得」",
        "証券アナリストジャーナル 1981年3月号「企業――ゴールドウイン」（西田東作・日本証券アナリスト協会企業分析部会 1981年2月10日名古屋講演要旨）",
        "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-23"
    },
    {
      "slug": "wholesale-to-retail-2000",
      "url": "/tse/8111/decisions/wholesale-to-retail-2000/",
      "year": 2000,
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          "text": "卸先の店頭に委ねていた販売を自社の売場へ引き寄せたことで、需要を見てから作る「実需型ビジネス」の土台ができた。国内の生産機能は富山に縮小して残り、2017年11月に開設した研究開発施設テック・ラボも創業地の小矢部市に置かれた。"
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      ],
      "parties": [
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          "highlight": true
        },
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          "title": "生産子会社トヤマゴールドウインを株式会社ゴールドウインテクニカルセンターへ商号変更"
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          "title": "減損会計の導入により2006年3月期に39億7,300万円の当期損失を計上"
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "2002年3月期",
        "source": "ゴールドウイン 有価証券報告書（2006年3月期）主要な経営指標等の推移・連結",
        "companies": [
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            "stock_code": "8111",
            "name": "ゴールドウイン",
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                  "text": "1980年代後半、スキーブームの到来で毎年新しいウエアを買うことが流行し、ゴールドウインのスキー関連売上は260億円を超えた。スウェーデンのナショナルスキーチームの公式サプライヤーも務め、成長の軌道に乗っていた。販売は全国のスポーツ専門店への卸が中心で、海外ブランドについてもスポーツ専門代理店へ卸す形が採られていた。売場を持たない代わりに、需要の読み違いは在庫として自社に残る構造であった。",
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                    {
                      "fact": "1980年代後半のスキーブームでスキー関連売上が260億円を超え、スウェーデンナショナルスキーチームの公式サプライヤーも務めた",
                      "原文": "また、1980年代後半はスキーブームが到来し、毎年新しいウエアを購入することがトレンドになります。当社のスキー関連の売上も260億円を超え、さらに、スウェーデンナショナルスキーチームのオフィシャルサプライヤーとしてアスリートとの製品づくりに邁進するなど、成長軌道に乗りました。",
                      "source": "ゴールドウイン 統合報告書2023",
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                {
                  "text": "この構造の危うさは、ブームの前にすでに一度表れていた。全国のスポーツ専門店へ販路を広げた卸型ビジネスは順調に伸びたものの、販売先への供給過剰で在庫が増え続け、1984年には過剰在庫によって赤字を計上した。会社年鑑によれば1984年6月期の経常損益は4億5,000万円の損失、当期純損益は2億8,000万円の損失である。店頭在庫と売れ筋をつかみ、売れるものを適時適量に納める仕組みづくりは、このときから課題として残った。",
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                    {
                      "fact": "卸型ビジネスの供給過剰で在庫が増え続け、1984年に過剰在庫による赤字を計上した",
                      "原文": "全国のスポーツ専門店に販路を広げ、卸型ビジネスは順調に拡大。しかし、販売先への供給過剰で大量に在庫が増え続け、1984 年には過剰在庫によって赤字を計上しました。",
                      "source": "ゴールドウイン 統合報告書2023",
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                      "原文": "1984年6月期の経常損益は△4.5億円、当期純損益は△2.8億円であった。",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "スポーツ用品の周辺へも事業を広げていた。1988年6月にゴールドウイン開発、1990年7月にゴールドウインイベントサポートを設立し、1990年6月にはシークラフトの株式を取得している。1991年には富山にゴルフ倶楽部を開業した。西田東作社長は開業の狙いを、スポーツ用品だけでなくスポーツを行う場所も提供する考えによるものと説明している。",
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                    {
                      "fact": "1988年6月にゴールドウイン開発、1990年6月にシークラフト株式取得、1990年7月にゴールドウインイベントサポートを設立した",
                      "原文": "昭和63年６月 ゴールドウイン開発株式会社（現・関連会社）を設立／平成２年６月 株式会社シークラフト（現・連結子会社）の株式取得／平成２年７月 株式会社ゴールドウインイベントサポート（現・連結子会社）を設立",
                      "source": "ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】",
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                      "原文": "その一環として、ゴルフ場をオープンしたが、これはスポーツ用品だけではなく、スポーツを行う場所も提供するという考えによるものだ。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）",
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                {
                  "text": "拡大の見通しも大きかった。創立40周年を機に策定した「ビジョン21」では、2000年までに2,000億円企業へ挑戦するというスローガンを掲げ、3年ごとの三段階で進める計画を立てていた。当時の売上高は1991年3月期で541億円である。通商産業省が市場規模を2000年までに15兆円へ育成する方針を打ち出していたことも、この目標の後押しとなった。実際の1996年3月期の売上高は779億円にとどまった。",
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                      "fact": "創立40周年を機に「ビジョン21」を策定し、2000年までに2,000億円企業へ挑戦するスローガンを掲げた",
                      "原文": "こうしたなかで当社は昨年、創立40周年を機に「ビジョン21」を策定し、「2000年までに2,000億円企業に挑戦すると同時に、ゆとりのあるスポーツライフを提案し、人間らしさを大切にする」というスローガンを掲げ、これを3年ごとのPartI、Part、Partに分けて推進することとした。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）",
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                      "原文": "1996年3月期 779億円",
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                  "text": "1997年から1999年にかけて、ゴールドウインは経営の合理化のために多角化した事業とブランドを整理する3カ年計画を実行した。処理の費用は決算にそのまま出た。1998年3月期に41億円、1999年3月期に55億円の当期損失を計上し、1999年の損失には多角化事業の清算に伴うものが含まれる。2期の合計は96億円で、当時の年間売上高のおよそ1割強にあたる規模であった。",
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                    {
                      "fact": "1997〜1999年に多角化した事業とブランドを整理する3カ年計画を実行し、1998年3月期に41億円、1999年3月期に55億円の当期損失を計上した",
                      "原文": "1997～1999 年にかけて、経営の合理化のために多角化した事業とブランドを整理する3カ年計画を断行した結果、1999年は清算に伴う損失を計上。／1998年3月期 ▲41億円 1999年3月期 ▲55億円 多角化事業の清算損失",
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                  "text": "整理を終えた2000年、会社は経営資源の集中と財務体質の強化によって黒字化を果たした。同年6月、1977年入社で1997年から専務取締役を務めていた西田明男氏が代表取締役社長に就任し、「強い経営・速い経営・きれいな経営」という経営行動指針のもとで経営体質の強化を進めた。損失の処理は前任の体制で終え、その先の作り替えを新しい社長が引き受ける順序であった。",
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                      "fact": "2000年に経営資源の集中と財務体質の強化で黒字化を実現した",
                      "原文": "しかし、2000 年には経営資源の集中と財務体質の強化で黒字化を実現しました。",
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                      "原文": "1977年に株式会社ゴールドウインに入社し、1989年に取締役、1992年に常務取締役、1997年に専務取締役に就任。2000年6月に当社の代表取締役社長に就任しました。「強い経営・速い経営・きれいな経営」という経営行動指針のもと、経営体質の強化を推進しました。",
                      "source": "ゴールドウイン「当社代表取締役会長 西田明男が『旭日小綬章』を受章」（2024年11月3日）",
                      "url": "https://about.goldwin.co.jp/news/page-36965"
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                {
                  "text": "2000年、以前から展開していた直営店「ウエザーステーション」を「THE NORTH FACE原宿」へ店名変更し、自主管理売場の展開を本格化させた。さらにアウトドアブランドをそろえた「THE NORTH FACE+」など、市場に合わせた形態の店舗を並べ、卸型ビジネスから実需型ビジネスへ移した。売場に立って客の用途を聞き、売れ行きを見てから作る手順に組み替える作業であった。",
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                    {
                      "fact": "2000年に「ウエザーステーション」を「THE NORTH FACE原宿」へ改称して自主管理売場を本格化し、卸型ビジネスから実需型ビジネスへ移した",
                      "原文": "また同年には、以前より展開していた「ウエザーステーション」を、「 THE NORTH FACE原宿」と店名変更することにより自主管理売場の展開を本格化。さらに、アウトドアブランドをセレクトしたショップ「 THE NORTH FACE+ 」など、マーケットに合わせたさまざまな形態のショップを展開し、卸型ビジネスから実需型ビジネスへと推し進めていきました。",
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                {
                  "text": "生産の側では海外調達への移行が同時に進んだ。1995年4月に中国北京市へ現地資本との合弁で北京奥冠英有限公司を設立しており、統合報告書の年表は2000年前後を「海外生産に着手」、2001年から2006年の再構築期を「海外生産本格化」と記す。2006年3月期の有価証券報告書は、製品調達の多くが競争力のある調達を目的として中国を主とし、ベトナム・タイなどの海外調達に依存していると記載している。",
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                      "fact": "1995年4月に中国北京市へ合弁で北京奥冠英有限公司を設立した",
                      "原文": "平成７年４月 中国北京市に現地資本と合弁で北京奥冠英有限公司（現・連結子会社）を設立",
                      "source": "ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】",
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                      "原文": "当社グループの製品調達の多くは、競争力のある製品調達を目的に中国を主として、ベトナム・タイ等の海外調達に依存しております。",
                      "source": "ゴールドウイン 有価証券報告書（2006年3月期・連結）",
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        {
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              "sub_title": "縮んだ売上と残った生産拠点",
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                  "text": "数年間の連結数値は、規模の縮小と利益の改善が並んだ推移を示している。売上高は2002年3月期の493億円から2003年3月期450億円、2004年3月期427億円へ下がり、2006年3月期に462億円まで戻した。一方で経常利益は同じ期間に9億2,500万円から18億2,200万円へ増えている。連結の従業員数は2002年3月期の1,450人から2004年3月期には1,303人となり、2006年3月期は子会社2社の連結加入を含めて1,500人であった。",
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                      "fact": "連結売上高は2002年3月期493億円から2004年3月期427億円へ減り2006年3月期462億円、経常利益は9億2,500万円から18億2,200万円へ増加、連結従業員数は1,450人から1,303人を経て1,500人となった",
                      "原文": "売上高（百万円）49,331／45,080／42,775／43,555／46,249　経常利益（百万円）925／1,316／1,187／1,413／1,822　従業員数（人）1,450／1,329／1,303／1,364／1,500",
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                {
                  "text": "国内の生産機能は富山に縮小して残った。1979年6月に生産部門を分離して営業を譲り受けた子会社トヤマゴールドウインは、2003年4月に株式会社ゴールドウインテクニカルセンターへ商号を変更している。2006年3月期の設備の状況では、小矢部市の本店は生産管理施設として従業員72人、同社の本社工場が生産設備を持って323人、中国の北京奥冠英有限公司の本社工場は21人と記載されている。作る場所は移り、作り方を決める場所は創業地に置かれた。",
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                      "fact": "1979年6月に生産部門を分離した子会社トヤマゴールドウインは2003年4月にゴールドウインテクニカルセンターへ商号変更した",
                      "原文": "昭和54年５月 株式会社トヤマゴールドウイン（現・連結子会社）を設立（平成15年４月、株式会社ゴールドウインテクニカルセンターに商号変更）／昭和54年６月 生産部門を分離し、株式会社トヤマゴールドウイン（当社の持株比率100％）に生産に関する営業を譲渡",
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                    {
                      "fact": "2006年3月期の設備は小矢部市の本店が生産管理施設で従業員72人、ゴールドウインテクニカルセンター本社工場が生産設備で323人、北京奥冠英有限公司本社工場が21人",
                      "原文": "本店（富山県小矢部市）スポーツ用品 生産管理施設 従業員数72人／㈱ゴールドウインテクニカルセンター 本社工場（富山県小矢部市）繊維製品スポーツ用品生産設備 従業員数323人／北京奥冠英有限公司 本社工場（中国北京）繊維製品スポーツ用品生産設備 従業員数21人",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "販売と原価の作り替えは2007年からの中期経営計画へ引き継がれた。展開する品番数を減らし、素材を共有し、調達手法を変えて原価率を下げる一方、需要予測の精度を上げて返品と値引きを減らす。在庫の総量を抑えて回転率を高め、物流費を削る。統合報告書はこの期間を「体質改善期」と呼び、営業利益の改善に取り組んだと記している。売場から吸い上げた情報を生産計画へ返す経路が、ここで実務として固まった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2007年からの中期経営計画で品番数削減・素材共有・調達改革による原価率低減と、需要予測の精度向上による返品・値引き削減、在庫の総量抑制に取り組んだ",
                      "原文": "2007年からの中期経営計画では、製品の展開品番数の削減、素材の共有化、調達手法改革による原価率の低減と、需要予測の精度向上による返品・値引きの削減により、売上総利益率の改善を実施し、在庫の総量抑制と回転率の向上により物流コストの削減に取り組み、営業利益の抜本的改善を図りました。",
                      "source": "ゴールドウイン 統合報告書2023",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "効果は10年以上の時間をかけて数字に出た。2018年の誌面は、かつて卸売りが大半を占めたザ・ノース・フェイスの販売のうち直営店が半分近くを占めるようになり、2000年以降に相次いで出した直営店が60店を超えたと伝えている。2017年度の営業利益は71億円で前年度比8割増、スキーとテニスに沸いた1991年度以来26年ぶりに最高益を更新した。直営店の数は2023年3月期に国内外156店となっている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2000年以降に直営店を相次ぎ出店して60店超となり、直営店販売が半分近くを占め、2017年度営業利益71億円は26年ぶりの最高益であった",
                      "原文": "かつてのノースはスポーツ専門店などへの卸売りが大半を占めたが、今では直営店販売が半分近くを占める。００年以降、直営店を相次ぎ出店し、その数は６０店超にまで増えた。／前２０１７年度の営業利益は７１億円と前の年度より８割増え、スキーやテニスブームに沸いた９１年度以来、実に２６年ぶりに最高益を更新した",
                      "source": "週刊東洋経済 2018年9月29日号「【産業リポート ノース快走のゴールドウイン】ノース快走のゴールドウイン 次は自社ブランドで海外へ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2023年3月期時点の直営店は国内外156店であった",
                      "原文": "現在では国内外で展開する156 店舗の直営店や卸先パートナーの売り場を起点に、機会点におけるお客さま満足を徹底追求するとともに",
                      "source": "ゴールドウイン 統合報告書2023",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "損失の中身と、残した設備",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2期96億円の損失は、スキー市場の縮小そのものというより、広げた事業とブランドを畳むために計上された費用であった。3カ年計画を終えた2000年に黒字へ戻し、そのうえで社長が交代し、売場と生産の作り替えに入るという順序は、危機のさなかの緊急避難とは性格が異なる。整理を先に終えたからこそ、直営店を出すという当時のスポーツ用品メーカーには前例の乏しい選択に資金を回せたとみられる。"
                },
                {
                  "text": "生産を海外へ移す一方で、会社は富山を手放さなかった。1979年に分離した生産子会社は2003年に技術センターへ商号を変え、2020年4月には本体へ吸収合併された。2017年11月に小矢部市へ開いた研究開発施設テック・ラボには、運動研究室や人工気象室、品質検査室に加えて生地の裁断・縫製の設備が置かれ、パターン設計から着用試験までを一カ所に集めている。縫う工程は中国やベトナムへ渡ったが、何をどう縫うかを決める道具は、創業の地に据え直された。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "ゴールドウイン 統合報告書2023",
        "ゴールドウイン 有価証券報告書【沿革】",
        "ゴールドウイン 有価証券報告書（2006年3月期・連結）",
        "ゴールドウイン 有価証券報告書（2006年3月期）主要な経営指標等の推移・連結",
        "ゴールドウイン「当社代表取締役会長 西田明男が『旭日小綬章』を受章」（2024年11月3日）",
        "週刊東洋経済 2018年9月29日号「【産業リポート ノース快走のゴールドウイン】ノース快走のゴールドウイン 次は自社ブランドで海外へ」",
        "証券アナリストジャーナル 1992年2月号 別冊付録「企業」ゴールドウイン（西田東作・1991年12月27日東京講演要旨）",
        "会社年鑑（ゴールドウイン 1984年6月期・単体）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-23"
    }
  ]
}
